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はてなキーワード: 引退とは

2024-10-16

作者「クロコダイ増田です」

AIスクリプトの力によって作者とは別の独自人格を持った存在であることを実現していたはずクロコダイ増田が作者の代弁者になってしまった瞬間

人気子役病気か何かで引退する際に親が当人の代わりに引退会見をしている場面に似ている

[]引退宣言まとめ

増田のやべーやつ(いわゆるネーム増田)の引退宣言をまとめました。

引退名前タイトルリンク
2022-07-20ポリンキーポリンキー増田引退宣言anond:20220720230208
2023-01-24肛門お知らせがあります😡anond:20230124224146
2023-12-01オールアンラーキーデイズくぅ~アンラーキーanond:20231201201959
2023-12-12増田朝礼[増田朝礼] しゅうりょうanond:20231212040843
2024-06-10ブルマーブルマー増田まとめ、その6【終】anond:20240610075321
2024-09-04ベジータの額ベジータの額、やる気なくしたanond:20240904231241
2024-09-07自転車乗りの思考がわからない自転車乗りの思考がわかったanond:20240907121116 (※削除済み) 後日再投稿anond:20241012115343
2024-10-11Apple Vision Proを買ったところでお前は何者にもなれないApple Vision Pro増田です。これが最後投稿になりますanond:20241011184829 (※削除済み) 参考:[B! 増田] Apple Vision Pro増田です。これが最後の投稿になります
2024-10-15クロコダイクロコダイ増田ですanond:20241015201723 (※削除済み) 参考:[B! 増田] クロコダイン増田です

他にも引退宣言があれば追加します。

菅さん認知症専門医引退を薦められてる

https://www.youtube.com/watch?v=diGMvQRH2dI

アンチ菅さんが耄碌してるって騒いでるのは見たけど、専門家からみてもそうなんや

8月場所番付行司増田が変わったからなんとも言えないけど、

あれは11月場所でせいぜい前頭までがやっと

引退表明をしているから乗らない可能性もあるけどな

お便り

チョコエッグ以上の存在感を持っていたから初掲載での大関もありえたし、優勝だって狙えたぞ

2024年10月16日現在ならその評価になるかもしれないが、これから1ヵ月程度の間が空いた時にどれだけ評価を落とすかは考えてない?

まぁ、他の奴らがマネしているのでそれも含めると優勝は難しいにしても関取まで行けるかもしれんわ(タフ増田関取で優勝しているが、その時の行司はひどかったので)

anond:20241016000649

別人やとすると他の増田の真似して引退宣言してるんか…😟

ワイの勤務先で退職時に一人一人挨拶して回る奴が出たらその後も真似して一人一人挨拶しだしてたのを思い出したやで

anond:20241016000125

ワイはポリンキー肛門臭・AppleVisionが引退した後も同じネタ引き継いでるやで…😟

ひょっとしてこの3つと🐊同一人物ちゃうんか??

ネーム増田です

ネーム増田です

特定ネーム増田ではなく幅広くネーム増田を演っている者です

自分発で育てたネーム増田も多いですが、人が作ったネーム増田に乗っかることも多いです

ぼくの作ったネーム増田が真似されることも多いのでぼくのようなネーム増田複数人いると思います

今回クロコダイ増田引退宣言したせいで、以降クロコダイ増田になることができなくなってしまいました

これは由々しき事態です

ネーム増田引退するにしても宣言なしでやってもらえませんか?

ぼくの手数が減るので

2024-10-15

盲導犬ユーザーと道端で話してたら

すれ違う人がニコニコ盲導犬を見ていく。

特に中年以上の女性。小さい子供に向ける眼差しによく似てる。

「まあ〜えらいわねえ〜」みたいな感じ。

つられてこちらもニコニコする。

飼い主に「〇〇号はモテモテですよ」と伝えてみるが、「え〜そうなんですか〜」と手応えは薄い。

視覚障害の人と接するとき自分の文才のなさ、表現の幅の狭さを痛感する。

どうしたら私の喜びを伝えることができるのか。

そんなに人の迷惑心配をする必要がないことを伝えられるのか。

盲導犬はもうすぐ引退らしい。温かい家族に囲まれ幸せな余生を過ごすとよかろう

2024-10-12

LUUP大好きなみんなのためにLUUP許認可の圧力をかけた自民党モビリティ交通新時代を創る議員の会のリストを出したよ

まず、LUUPがロビー活動により認可を得る流れについてはこちらのリンク先を参照

https://luup.sc/news/2021-05-18-maas-pt/

モビリティ交通新時代を創る議員の会の議員一覧は以下の記事参照

https://ligare.news/story/jimin-maas-giren/

以下、会長の甘利以外は五十音順

甘利 明 神奈川13区

逢沢 一郎 岡山1区

赤澤 亮正 鳥取2区

阿達 雅志 参議院比例

石井 正弘 参議院岡山

石崎 徹 維新 新潟1区暴行事件で離党ののち維新から立候補落選

岩井 茂樹 東伊豆町長(参議院静岡県知事選候補落選のち現職)

石原 伸晃 元 東京8区(次回参院選出馬予定)

今枝 宗一郎 愛知14区

上野 宏史 元 比例北関東

勝俣 孝明 静岡6区

神山 佐市 元 比例北関東

城内 実 静岡7区

桜田 義孝 千葉8区

佐々木 紀 石川2区

菅原 一秀 東京9区

田中 和徳 神奈川10区

高橋 克法 参議院栃木

武井 俊輔 宮崎1区

津島 淳 比例東北

西村 明宏 宮城3区

額賀 福志郎 茨城2区

平沢 勝栄 東京17区

藤丸 敏 福岡7区

細田 博之 死去

三ツ矢 憲生 引退

宮路 拓馬 鹿児島1区

盛山 正仁 兵庫1区

八木 哲也 愛知11区

山際 大志郎 神奈川18区

山口 泰明 埼玉10区

山田 美樹 東京1区

山本 有二 比例四国

LUUP議連、君の選挙区はいたかな?

競馬はやるな。

競馬絶対にやるな。

藤田菜七子引退ニュースを見て更に強く思った。

"公正なレース" ではなかった懸念が残るが、レース成立として返還されないようだ。

過去レースを遡って返還を行うべきだ。どんな疑惑があれど全て公正なレースとして処理されてしまうのは面白い

一般企業ならリコール・返品返金対応されるレベルの話だ。

そもそも競馬ルール自体も謎である

レース発送後、馬がゴールしなかったり発馬機から出走しなくてもレース成立となる。

これが公営ギャンブルというものらしい。

......なるほど。

きっと出走してからスナイパーに馬が殺されても成立するだろうね。

2024-10-11

保険証廃止マイナ保険証はこうすればうまくいった

医療機関勤務。

マイナ保険証メリットは大きい。

でも、やっぱりついて行けない人は多い。こういう施策を決める人の周りにはいいかもしれないが。

子供保険証だってお母さんが管理するんだから目的に対して1つの証明書であったほうが、管理やすい。みんな、保険証と、受給者証と母子手帳と、お薬手帳を一つにしてる。

受付の仕事が単純に増えた。それぞれはなんてことな操作なのだが、対面でついていないとできない人が多い。いままでは保険証を預かるだけだったのだが。

からメリットの大きい人、レジリエンスの大きい人から保険証廃止、実質義務化」すべきだった。

私の考える、その対象は「社会保険本人(以下、社保本人)」だ。(+職域国保

それ以外の、社保家族国保本人・家族高齢者は、希望者だけにすればよかった。

社保本人は働いているのだから手続き自分でできるし、子供高齢者もいない。そして、様々なマイナ保険証メリットを受けやすい層だ。

家庭であれば、大黒柱のお父さんがそれで、フルタイム夫婦ならその双方だ。子供や、引退した祖父母などは除かれる。

そういう人が、まず、マイナ保険証に慣れて、メリット享受することで、家族や親戚に周知することができる。

こうして、ある程度浸透してから全面的保険証廃止しても良かったのではないか

不正使用を防ぐことが一つの目的だと聞いたことがあるが、どの保険証種別にどれだけの不正があるのか(ありそうなのか)は聞いたことがない。(不正からからないのだと言われればそれまでだが、義務化の後には検証されるのだろうか。)

それでも、後期高齢者のなかでも、マイナカードを使えない老人や、家族受診させるであろう子供保険証不正使用はおそらく割合としては少ないのではないか

現行の高齢者保険証の期限である来年8月が怖い。

柔道選手の回想を聞いてほしい 5


最後パートだ。あとちょっとで終わる。

高校総体が終わった後の日々は、あっという間だった。光陰矢の如しである

そこまで熱の篭った思い出はない。ゼロというわけじゃないが。要約的に箇条書きにする。

1.[次世代柔道部

 T君の次の年次は、相応の強さだった。俺が赴任して一年目の頃は、てんでダメ一年集団だったけど、自分で考えて動くようになってた。

 中国大会への出場は最後まで叶わなかったけど、古豪復活の萌芽となったのは間違いない。あの学校は、今では中国大会の出場常連校になっている。

2.[T君の進路]

 彼は、まあまあ何でもやる奴だった。学業成績はそれなりで、友人関係もそれなりで、恋愛方面もそれなりだった。なんとT君は、高三の夏頃から女子マネージャー双子の姉の方と交際していた。T君は、高三になってからは格好よく柔道をする場面が多かった。人柄はよかったし、女にモテてもおかしくはない。彼は……なんというか、女のケツを追ってるんじゃなくて、夢や目標を追っていた。その結果としてモテていた。

 彼の進路はどうだったか必死で思い出した。確か、立命館大学だったと思う。もしかしたら、ブクマ家のwuzukiさんと学年が近いのかもしれない。

 ただ、「柔道大学ではしない」と明言していた笑 俺も、彼にはウェイトリフティングのようなスポーツが向いていると感じる。

3.[柔道部マネージャー

 この年の晩秋のことだ。俺は教頭ほか、指導的な立場にある先生方に呼び出しを食らった。要するにバレたのだ、マネージャーの妹の方とそういうことをしてたのが。あれから、都合3~4回ほど市内で会って、ホテルで性行為をしていた。

 教員として悪い行いだ。当時の俺にすらわかる。突き付けられた選択は2つだった。ひとつは、懲戒免職及び警察のお世話になること。もうひとつは、諭旨免職の道だった。自分から辞めれば、学校としては何もなかったことにしてくれるという。

 後者の道を選んだ。それで、その年の中国大会の予選が終わった頃に転職活動を始めた。まあ、辞めるのは嫌だったけどさ。しょうがないじゃん。人生過程コントロールできるが、結果はコントロールできない。柔道試合と一緒である

4.[俺個人の進路]

 一応まだ、全日本の強化選手だった。学校教員をしながら国際大会への出場というのは困難であり、ひとまず3年間は籍だけを置いておく~~というコーチ陣との約束だった。またいつか、現役に戻ろうと考えていた。まだ20代半ばである。野心があった。

 それで、スポンサーになってくれる組織を探して、探して、探しまくって、ようやく一社だけ見つけられた。縁があったのだ。選手としての扱いは最低ランクだったが、あと数年しか現役でいられない。ここで最後の花を咲かせようと思った。

 でも結局、最後の花は……イマイチな出来だった。納得のいく結果じゃなかった。不満足だし、やり切れなかった。現役生活最後は悔いばかりが残った。T君のように、清々しい気分で柔道生活を終えることはできなかった。



今は、四年制大学柔道を教えてる。正規職員じゃなくコーチとして。業務委託みたいな感じだ。一応は都内である独身だが、正直いい暮らしはしてないと思われる笑

これでも若い頃は国際大会に何度も出場してるし、国内大会でも結果を残してきた。自慢じゃないが、30才を過ぎて国民体育大会の県代表として選ばれたこともある。そんな実績を引っ提げて、いろんな大学コーチ求人を探して、探して、探して、応募し続けたが……ライバルは手ごわかった。

名門大学だと、現役時代に優秀だった者が採用されやすい。俺の成績はそれなりだったが、超一流の連中には及ばない。ツテを頼って探すにしても、ピンポイント大学コーチ枠は見つからない。求人自体がないのだ。

それでも、何百校もの大学に直電と訪問を繰り返して、ようやく一校だけ俺を雇ってくれるところがあった。コンタクトを取った大学は200校を超えていた。

其処は小さい大学で、柔道部員も10人ほどしかいない。けど、いい環境だった。みんな柔道が好きである当方指導者としての実績は十分とは言い難いが、これまで長いこと続けられている。

から半年前、メール転職サイトの案内が来ていた。よくある広告ひとつだと思って開くと、なんでも求職者キャリア登録をするだけで企業から採用面接の案内が来るという。俺には縁がないと思った。しかし、いろいろと求人企業を見ていくと……なんと、T君の姿があった。

ここ10年ほどで勢いを伸ばしているメガベンチャーだった。はてなユーザーの98%以上はご存じのことだろう。その組織の人事担当者として、T君の姿がサイトに載っていた。最初は人違いかと思ったが、餃子耳の跡が残っている。あれは手術で消すことができるが、痕跡はどうしても残る。

「ずいぶんと差がついたな」

と心の中で思ったが、同時に、彼が今のポジション幸せにやっていけてるのかな、と思うと心が安らぐ感じがした。

あい人間には大成してほしい。T君は根性がある子だったし、何よりいい奴だった。あの瞬間には、年甲斐もなく涙が込み上げてきたよ。

人生の一部を振り返ってみたが、スポーツで生きていく道はハイリスクハイリターンである。決してお薦めはしない。例えば、俺は現役時代インターハイインカレといった花道で優勝したことはない。けど、神がかった強さで全国制覇を成し遂げた選手でも、大人になった今ではいろんな仕事に就いている。

俺と同年代全日本強化選手だと……体力を生かして引っ越し屋とか、宅急便ドライバーとか、資格を生かして整骨院とか、正義感根性を生かして警察官とか、あとはグレーな警備業とか。

実業団選手で、所属企業に十分な貢献をした場合だと、引退後もお払い箱にならずに名誉職のようなポジション継続雇用されることもある。

最悪の未来を迎える選手だっている。詳しくは言わないが、野球だったら清原みたいにさ、あっちの方向にいってしまう奴だって当然いる。その点、俺は恵まれた方だ。努力を積み重ねる中で、いろんな人が助けてくれて、そのうえ運がよかった。だから、今こうして柔道でメシが食えている。

はてな匿名ダイアリーで、柔道をしている人の日記は少ない。珍しいものだったとは思う。俺自身が少し常識外れな部分があるから、読んでて苦しい人がいたのではないか不快な気分になった人に謝罪する。

最後まで読んでくれた人に感謝する。ありがとうございました。あなたと、その周りにいる人々の精力善用、自他共栄を願ってる。

柔道選手の回想を聞いてほしい 1


増田の人に聞いてほしいことがある。昔の記憶だ。

子どもの頃から俺はおかしかった。別に、変な子どもとか言われたことはない。むしろ褒められることの方が多かった。学校の成績はイマイチだったが、運動芸術の成績はよかった。

自己紹介必要最小限にしたい。今は四年制大学スポーツを教えてる。幼少期から柔道をやっていた。中学校全国大会で結果を出して、スポーツの名門高に進学して、同じく名門大学に進学して、卒業後はパチンコ機器メーカー入社(スポンサー契約)してプロになった。

柔道プロ制度はない。あくまで「それ」で食ってるという意味

それが、もう20年以上前だ。人生はあっという間である

回想を始めたい。パチンコメーカーの次の転職先を主題に据えて話をする。

新卒入社した、そのパチンコメーカーとの契約期間は3年だった。最終年度になると、次の道を考えないといけない。一応、次期も残れるだけの実績は出したものの、新しい、次のステージに挑戦しようと考えていた。柔道は、野球サッカーに比べると現役でいられる時間が少ない。体をたくさん動かす分、選手生命が短いのだ……。

当時は、全日本の強化選手(A指定)だった。合宿にはフルで参加していて、オリンピックに出場する連中とも交遊があった。あの頃は、井上康生全日本主将を務めていた。彼が不在の時は俺が副として動くこともあった。ウザいかもしれんが、ちょっとくらい自慢させてくれよ。こういう場で文章を書く機会は滅多にないんだから

※ところで、この日記はとても長い。ゆっくりまれることを推奨する。

次のステージについて悩んだ結果、選んだのは……学校先生だった。大学時代に保健体育教諭の免状を取っていた。いざという時に潰しが効くようにと、大学時代のコーチが勧めてくれた。今でも感謝してる。

どこの学校にしようか思案したところ、やはり地元がいいと思った。出身高校柔道部の監督相談したところ、広島県の東の端っこにある高等学校指導者を探しているということだった。

さっそく面談アポを取り付けてくれて、その高校の現監督と面会すると、すごく驚いてた。まさか強化選手高校教師転向するなんて思ってもみなかったんだろう。

トントン拍子に話は進んで、その翌年度から、俺はその高校の保健体育の教諭(兼柔道顧問)として赴任することになった。

指導者としてのミッションは『古豪復活』だった。その高等学校は、昭和40年代まではすべての体育会部活インターハイ活躍していた。

だが、『何か』があって進学校路線へと方針転換し、スポーツ推薦枠を徐々に減らしていったところ……平成に入る頃には、ほぼすべての部活が市内大会ですら勝てない状況になっていた。それでいて、進学校路線にも失敗していた(学内の最優秀者の進学先が広島大~関関同立くらい)。

そんな状況で、柔道部を立て直すのが俺に課せられたミッションだった。正直難しいと思われたが、チャレンジする価値はあると思っていた。



とまあ、そんな経過で柔道顧問としてキャリアスタートを切ったものの、部内はひどい状況だった。柔道部も地区大会まりとは聞いていたが、冗談抜きでレベルが低かった。心・技・体以前の問題である

部員の多くが高校から柔道を始めていたし、運動センスが抜群の子はいなかった。そして、柔道の何を教えても、どれだけ丁寧に教えてもダメだった。心構えは、まあいいよ。徐々にハートを鍛えていけばいい。ただまず、基礎体力の時点で問題があった。

例として、ベンチプレスだと80kgを上げられる子が1人しかいなかった(それは乳首が大きい子で、皆からあだ名苗字2字分+チクビだった。当時は高二)。ほかの子は概ね40~60kgといったところか。マトモな高校選手であれば、体重70kgくらいの子でも……ベンチ100kgは難しくとも、訓練すれば半年以内に達成できる。

800m走にしてもそうだ。なんと、150秒を切れる子が1人もいなかった。ゼロである(参考までに、当時26だった俺の記録がほぼ130秒。高校の頃は118秒がベスト)。

こんな状況で、この部員達約15名(+女子マネ3人)を、最低でも中国大会まで導かねばならないという……正直、難しかった。柔道プロとして言わせてもらうと、不可能に近い。

難しいのはそれだけじゃない。どれだけ心構えを説いても伝わらなかった。なんというか、やる気とかいレベル以前に、人としての器量というか……そういうのが圧倒的に足りてない。

困難な物事でも、ひとまず取り組んでみるとか、目標達成のために努力を積み重ねるとか、そういう志をもって挑んだ経験がないのでは? と感じるような子ばかりだった。

柔道の子だけじゃない。学校全体でそうだった。本校は、「中高一貫教育により、6年間を通して自ら考え、自ら動き、目標へと達するだけの力を陶冶できる人間を育てる――」と入学パンフレットで謳っていた。そんな生徒は皆無だった。惜しい子はいたのだが。

校則は厳しかった気がする。月イチの全校集会の後、生徒らが体育館前でクラス単位で並ばされて、髪型制服など、生徒指導担当教師陣が細かいチェックを行う。俺の出身校も、服装マナーは厳しい方だったが、ここまでではなかった。

こちらの高等学校偏差値は、40~45くらいだった。そこまで高い方ではないが、かくいう俺も、中学高校テストは平均50点未満しか取れなかった。里香なんかは14点だったこともある。国語濃緑濃緑すら怪しかった……。

柔道青春を捧げていた。それ以外はどうでもよかった。勉強の成績は最低だったけど、高校大学も、ほかのスポーツ特待生と一緒に先生方の温情で卒業させてもらった。

でも、確かにバカだったけどさ。当時、柔道関係書籍は年に五冊以上は読んでたし、毎月発行の『近代柔道だって、全ページの隅々まで目を通してた。

何が言いたいかというと、向上心である。たとえ下手くそでも、誰かに馬鹿にされようと、負けまくったとしても、そんなの関係ない。もっと上に行きたい、勝ちたいという気持ち向上心がない若者未来なんてあるか。

俺は油断していた。百年以上もの伝統がある高等学校だったら、多くの生徒はきっとポテンシャルがあるに違いないと高を括っていた。見通しが甘かった。

それでも一生懸命に教え続けた。暖簾に腕押しだったけど。指導を続けたのだ。怒りを我慢する場面は多くあった。指導者として悔しい思いもした。

当然、結果は出せなかった。他校との合同練習も、ローカル大会公式大会の結果も散々だった。おおよそ、彼ら柔道部員はこんな調子だった。

試合の度に勝敗分析シートを作るよう求めたが、半数は作らない

・提出があっても、ほとんどが小学生中学レベル

・合同練習では中学生に普通に負ける

公式大会直前の練習に来るのは部員の6割

テスト間中柔道場に基礎トレに来るのは1人だけ

 ※ベンチプレス80kgのチクビの子最後設備の測定限界の160kgまでいった。

  彼は柔道ではなくウェイトリフティングの道を歩むべきだった。

俺のストレス有頂天だった。我慢できないところまで来ていた。

なぜ、こいつらはやる気がないのだろうか。成績がいいとか、地頭があるとか、機転が利くとか、そういう能力の話ではなくて――"生きる力"とでも言えばいいのか。そういうのがなかった。



ストレスを抱えていた折、ついにやってしまった。あれは秋頃だったか。県大会があったのだ。高三が引退した後、最初にある十一月の新人大会だった。

大会は二日間あって、初日団体戦予選だったと記憶している。当校の成績はひどいものだった。リーグ戦があって、出場校が4校ずつに分かれて戦うのだが、普通に全敗だった。最初に戦った学校は、数年に一度は全国優勝者を出すほどのレベルだった。全員もれなく数十秒以内に瞬殺された。

チクビの子は、四十秒くらいは戦えていた。対戦相手は、彼と同じ高校二年生で、81kg級のスラッとした体形の選手だった。俺の記憶だと、ケンカ四つでガッチリと組み合った後、チクビの子バタバタ大内刈りをしかけた。全く効いてなかった。

その直後だった、内股で吹っ飛ばされていた。相手の右脚が彼の股下に入ったのを捉えた次の瞬間、その肉体が空中二回転半して畳にめり込んだ。

かに戦った2校も、全国レベルに準ずるところだった。そのうち1校は、毎年安定して県内ベスト4に入る伝統校だった。もうひとつは、偏差値70の私立高校で、全国有数の進学校である。なんと、この学校は週に2回しか柔道練習をしないらしい。それでいて、団体戦個人戦も、毎年ほぼ県内ベスト8に入る成績だった。

この2校には、当然コテンパンにやられた!……いいところがほとんどなかった。三部トーナメント行き確定である。一日目の全試合が終わった後、怒りの気持ち我慢しつつ部員全員に静かな檄を飛ばした。惨めな気分だった。

成果があったといえば、上のチクビの子(T君)が1回だけ勝った。体重相手の方が重かった(T君は当時85kg、相手は100kg級)。人生で初めての指導者としての喜びだった。

彼は寝技が得意だった――厳密には、運動神経が絶望的だったので寝技しか残ってなかった。寝技には運動神経は関係ない。ほぼ努力で上手になる道ができる。相手と密着している分、計算がしやすいのだ。立ち技だと、コンマ数秒の遅れで技の威力に変化が生じる。

毎日練習では、何度も何度も得意のパターンを繰り返した。俺が何回抑え込んでも、関節を極めても、締め技をかけても、決して諦めなかった。送り襟締めや袖車締めで落とした(※頸動脈の圧迫で意識がなくなる)回数は50回を超えている。

夏場にあった合同合宿だと、T君が他校の選手寝技で抑え込まれている時、竹刀背中や太腿を何十発もぶん殴ったっけ……「どうしてそこで力を抜くんやっ!?」と何度も指導した。

T君はそれに応えた。土中から這い出たばかりのカブトムシとか、成虫になろうとして藻掻いているハナムグリ芋虫みたいだった。精いっぱい、本気で動き回っていた。とにかく、妥協だけは絶対しないように教えた。

振り返ってみると、彼に柔道を教えていた期間は一年半もないんだな。たったそれだけである。ヤツは諦めなかった。妥協することはあったけど、俺の指導最後までついてきた。

そりゃあ、T君が情けない試合をした後だと、ブン殴ったことが何度もあったよ。鈍くさいし、柔道はボテボテしてるし、平々凡々の才能だった。でも、あいつはスゴイ奴だったよ。柔道を選んでなければ、別の道でインターハイに出ていたかもしれない。



さて。県大会一日目が終わって、部員一同は広島市にある古びたホステル宿泊することになっていた。ただ、女子マネ×3と引率教師である俺は別のホテルになった。

一応は、監督意見だった。この3人は一年生で、最初の泊まりなので配慮必要ということだった。最初宿泊が、あの年季が入ったボロホステルというのは、確かに……と俺も感じた。

女子マネ3人のうち、2人は双子だった。二卵性だから顔はそこまで似てない。お医者さんのご子息と聞いていた。このうち妹の方(マネ子とする)は、相当マジメな子だった。よく気が利くし、頭の回転が早いし、学業成績は最優秀である学内では清楚キャラで通っていた。実際、練習前には必ずお茶くみをしてくれる。

ほかの2人にしても、こんな弱小柔道部のマネージャーを半年も続けてる時点でひた向きだと思う。普通だったら辞めてるよ。半年間でほとんど勝ててないんだから。県大会個人戦だって、誰一人として出場できなかった。

責任を感じていた。柔道部が結果を出せない原因は俺にだってある。それが申し訳なかった。それで、姉妹のうち妹の方だけ、俺の宿泊部屋に呼んで話をすることにした。

この不甲斐ない状況について話を聞いてみると、彼女も思うことがあるようだった。会話をしたのは数十分である

マネ子の意見

・たしか柔道部は勝ててない

・でも私たちが選んだ道だから。途中でやめない

・新入生への部活説明の時に、柔道部が一番楽しそうだった

私たちサポートできるところはぜんぶやりたい

先生が話を聞いてくれてうれしかった

マネ子は、半分涙を流していた。こんな子がマネージャーで本当によかった。

ところで、俺がいた高校柔道部は、全国でも上から数えた方が早かった。いわゆるガチのところである女子マネージャーなど存在しようがない。いや、男子校から本当に存在しようがないのだが。

気が付くと、マネ子の髪を撫でていた。それから何を思ったのだろうか、そのままグイっと彼女の頭を、俺の肩のあたりまで引き寄せた。変な雰囲気になってた。マネ子は無抵抗だった。左手で胸のところまで引き寄せると、暖かい感触があった。

の子の顎を右手の指先で持ち上げるようにして、キスをした。抵抗はなかった。ベッドの上に押し倒して、後は流れだった。体のいろんなところをキスしながら触っていったけど、本当に無抵抗だった。たまに、俺の肩を猫の手でちょんと押すくらいだった。そのままずっと、ペッティングみたいなことを続けた。

このくらいの年齢の子って、あんまり柔らかくはない。女の子はやわらかい、といった世間イメージは正しくはない。柔らかいのは大人の女性である未成年はそこまで柔らかくはない。

などと思いながら、ちょっとずつ服を脱がしていった。その時のマネ子は、体操服のような簡素恰好だったのを覚えている。すぐに脱げた。

胸は大きくない。でもきれいな形だと思った。お互い、完全に裸になる前に明かりを消した。それから、肢体のいろんなところに触れたり、舐めあったり、くすぐったりした。マネ子は、俺に合わせて動くこともあったし、微動だにしない時もあった。全体的に反応は微かだった。

ひどいことをしている認識はあったが、それでもセックスの相性はよかったと思う。彼女は、最初の方は緊張してたけど、少しずつほぐれてきて、会話をしても大丈夫になった。お互いに唇をすぐ近くまでもってきて、囁くように会話をした。

マネ子は気分が乗ってきたみたいで、行為最中にいろんなことを言ったり、いろんな体位をやってくれた。最後の方はイチャイチャとしていた。会話を思い出してみる。

「ねえ。せんせー。ゴム、まだ持ってます?」

「持ってる。財布の中」

「なんで持ってるんですか笑 彼女さんいるんですか?」

「いないよ」

「えー、だってH慣れてるじゃん」

「慣れてないよ。下手くそだろ」

「……ほんとですか?」

「うん、本当」

うそだー」

「本当だよ」

マネ子にまたキスをすると、態勢を変えて、ベッドの中で真上に乗っかった。

顔を近づけて、両手でマネ子の頬に軽く触れて、しばらくずっと舌を絡め続けていた。舌を抜いた時、彼女がまっすぐ延ばした舌先で唾液がうねるみたいに躍動した。それからマネ子にまっすぐに乗っかって行為をした。俺はマネ子を知ったのだ。

行為が終わると、この子は暗闇の中で俺の眼をずっと見つめていた。俺はそのままベッドを出て、もう一度、財布のところまで歩いていった……。



次の日の朝、初めてあの子を見たのはホテルの朝食をとるスペースだった。ビジネスホテルよりは少し立派なバイキング方式だったっけ。

マネ子は、別に何でもないって顔をしてた。当時の俺は若かった。罪悪感はそこまでなかった。マネ子は本当に普通の様子で、俺や、マネ子の姉とも普通に会話をしてた。

の子たちとの朝飯を済ませてから、サッとチェックアウトをして、みんなを(広島市内の実家から借りてきた)自家用車に載せて会場に向かった記憶がある。

大会二日目は、これまでの中で最大の成果だった。リーグ戦で全敗した関係で、三部トーナメント行きになったのだが、なんと……ここで優勝してしまったのだ!! 嘘ではない、事実だ。ノーシードからきっちり4回勝って、優勝トロフィーを手にした。

T君が活躍したのもあるが、ほかの選手も本気で頑張っていた。あれだけ練習したというのに、リーグ戦での完全敗北が響いたのだろう。心に火がついたといっていい。三部トーナメントの出場校について、選手の半分ほどが白帯だったのもある。

柔道場合、一試合時間野球サッカーといった団体スポーツに比べて短い。試合必要なスペースも100㎡以下である。このように、各校の試合回数をできるだけ多くする配慮ができるのである

ここでいったん切る。

次です

https://anond.hatelabo.jp/20241011192838

藤田菜七子のアレ

去年、六人が処罰されていたときに、藤田菜七子も持ち込んだ事はあるが使ったことはないと自己申告。

結果、藤田菜七子厳重注意で済んだ。

週刊誌が、藤田菜七子は持ち込んだ上に通信していたと告発

JRAは、藤田菜七子通信していたなら、話は別と厳重処分検討し始める。

藤田菜七子は、週刊誌の言い分を鵜呑みにするJRAとはやってらんないと、泣いて引退届を書いた。

ブクマカは、一事不再理、二重処罰禁止だって怒ってるけど、

過去万引きしました。で厳重注意を受けたけど、本当は万引きしたとき店員に見つかったので殺しました。

くらいの事件からね。

通信」というのは、スマホ増田とかはてブ暇つぶししてたとか、そんな軽い内容じゃなくて、

ヤクザとつるんで八百長に加担してたってことなの。

藤田菜七子立場では逆らうことが難しい偉い人から

八百長を持ちかけられて、それを断ったら、八百長証拠でっち上げられて厳重処分されるとなったら、

そりゃ泣きながら引退届けも書くしか無いやん。

藤田騎手引退だのなんだの

今回の件は新たにまた持ち込んだのがばれたという話じゃなくて

前回、他の人が通信機器持ち込んだ時に私もやりましたと自己申告して厳重注意処分受けてた件に再度罰則が出た、ということみいね

で、懲罰の二重はアカンやろという話もある。

…と、思いきや自己申告時には持ち込んだけど通信はしてないって申告だったのに

通信記録が出てきて追加懲罰っていうのが今回の話みたい。

バカだねぇ

同級生アイドル

高校同級生ローカルアイドルをやってる女の子がいて、周りと比べ物にならないくらいかいかった。集合写真に映ればその子にすぐ目が行くレベルだし、周りの男子はみんなその子が好きでとにかくモテモテ、他の学校でも知られてた

の子テレビに出ると聞いたので楽しみにしていたのだが、テレビ画面の中でその子は完全にモブと化していて探すのに時間がかかった

ひな壇にアイドルがたくさんいてその中の1人だったんだけど、目の前で見るとあんなにかわいいのにテレビ越しにみるとまるで輝きがない

司会をやってる全国区アイドルと比べると、やっぱり名の知れた芸能人レベルが違うんだなーと痛感。。

結局その子は数年後にはアイドル引退して今はどうしてるかわからない。


私が唯一有名人(?)で知り合い以上友達未満なのが↑の子だけなんだけど、はてブロアイドルモデル同級生だった人いたら具体的でなくてもいいかエピソード聞いてみたい。

anond:20241011120226

不正回数に対して発見数が圧倒的に少ないとしか思えない

6人見つかった件の後でまたやるなんて相当チェックを舐めてる証拠よね

自主引退なんか受理せず懲戒かにすべき

競馬が終わってゆく

単純に歳をとっただけだとは思う

競馬面白くなくなって久しい

友人づきあいもあって(競馬サークル的なの)GIシーズンだけ重賞を買ってるけど、予想もおざなり

新聞すら買わず無課金のnetkeibaで10分くらいで予想する

今春のGIがどんなレースだったかどころか、勝ち馬さえ覚えてない

なのに昔の競馬は鮮明にレース映像が思い出せたりする

バイラリーナは東京の1400では買えたよな、とか、そんなマニアックなことまで覚えてる

今は完全に惰性

もちろんトータルで負けるし、やめりゃいいけど、なんとなくで続けてる

 

特徴的な個人馬主が減って、ビジネス感が増したのもつまらないし

とりあえず母父ストームキャットにはディープつけとけ的なロマンのない安直配合連発にも萎えたし

強い馬は間隔空けて使って、早く引退するし

なんか思い入れするのが難しくなってきた

 

そして今年の競馬界は酷い

落馬が多すぎる

不祥事も多すぎる

亡くなる騎手複数

 

シンエンペラーは嫌いな馬ではないが

少なくとも日本で頂点に立ってから凱旋門挑戦しろよとは思った

いや、そうでないからこそ、「凱旋門賞などただの特殊適性レースなのだ証明でき、皆の呪いを解けるのだ」と陣営は思ってたのかもしれんが

ダービーも勝てない馬が「世界を目指す」と出ていっても、そこまで思い入れはできない

 

海外レースを買えるのは楽しいが、

生産育成調教レース外注して馬券だけを売って、それで成り立つんだな、って

じゃあ競馬なんかリアルで開催しないで、精巧シミュレーションゲーム馬券売っても同じみたいな気もして

 

ダラダラ書いてまとまりがないな

まぁ、俺の中では競馬は終わっていて

から俺の目には日本競馬が終わっていくように見えてるけど

好きな人は引き続き楽しんでください

 

もう一度だけでいいから、めっちゃ思い入れできる、好きな馬に出会いたかたか

2年半やったMMOを辞める

振り返ればサービス開始から遊んだ初めてのMMOでした。

ログインすれば画面上に、同じようにログインして遊んでるプレイヤーリアルタイムでたくさん動いていたことに驚きと感動を覚えて。

Discordなどの通話アプリも使いましたが、ゲーム内の音声チャットでも話せたり、ギルドを建てたり加入したりして、メンバーと在籍サーバー一位を目指して作戦を練ったり実行したり、すごく楽しく遊べました。

開始当時はまだコロナ禍で、外に行けない人に会えないと言うこともあり、のめり込むには時間もかかりませんでしたから。

私の遊んでいたゲームはすごく細部までキャラクタークリエイトができて、まずそれで1日費やすと言うところからまりました。

もちろん、プレイしている途中でもアイテムを使えば変更もできますし、素体女性男性少女など変更もできます

表示画質を最高値にすればスクショちゃんと反映されるので、獲得したスキン自由に着せ替えして遊べるのは今でも楽しい要素の一つです。

課金もたくさんしました。とはいえ全体からしてみたら私はまだそんなにしてない方なのかも。

着せ替えるためのスキンの獲得はもちろん、戦力を上げるための課金もしてたので、トータルで3桁万円はしてると思います

ゲーム内時限イベントも、当時社畜だったけれど参加が厳しい時はキャラクターログインさえしていれば、ギルメンパーティに入れてくれて参加できてました。有難い。

今思えば生活の半分がゲームに費やされてました。

しかコロナ禍もほぼ収束し、コロナ禍以前の生活に戻りつつある今、ゲームに費やす時間が勿体ないと感じるようになってしまったのです。

これまで育成したキャラは3体。そして引退した友人のキャラも数体引き取りそれで日課を行うパーティーが完成するので、せめてデイリー任務だけでも、と半年ほど1人で5体オートで日課をしたり、ギルドイベントに参加してました。

でもある日、ぱたりと。

あ、めんどくさい。と感じてログインしませんでした。

夜に集中する時限イベントにも参加しないままで、日付が変わった後に、ログインするだけでもらえるアイテムを獲得するためだけにそっとログイン

でもそこから、あぁやっぱり日課だけでも、と言う気持ちは芽生えませんでした。

今までゲームに費やしていた時間は、沢山のことができました。

本を読んだりテレビを見たり、時間に縛られないタイプゲームに手を出してみたり。

課金に費やしてたお金資格を取るための勉強に充てることも出来たし。

あとは何より寝る時間が早くなりました。

とても良いことです。

つのことをやめる事で沢山のことができるようになって、それが楽しいと感じ始めた頃。

ギルドメンバーからログインしない事に対して心配の連絡も来るようになってました。

少し申し訳ない気持ちが顔を出しましたが、ゲームに縛られるような「やらなくてはならない」というゲームに関する義務感(これがきっと中毒性というもの)がほぼ抜けきっていたので、「忙しくなってしまった」とだけ返事をしておきました。

(とはいえギルドから追放しないでくれて本当に有難い)

グラフィック戦闘システムもすごく好き。

だけど、ゲームだけして生きていける訳でもないので、ここで1度辞めようと思う。

たくさん課金たから。

今までのイベント皆勤賞だったから。

戦力もたくさん伸ばして、スキンも沢山獲得したから。

辞めようとする度、この辺りの要素が「勿体ない」と後ろ髪を引いてきてはずるずると遊んでいたけれど。

辞める時っていうのは、ある日突然、ばたり。と来るものなのだ

ゲーム自体がサ終しなければ、いつでも遊べるから

まっ、いっか。

しかった!

2024-10-10

ラファ〜〜〜!!!!!!!!

やっぱ正式引退発表あると寂しい

今までありがとう本当にお疲れ様でした

有明試合をお目にかかれた奇跡を一生大切にしま

かわええお子さんとお幸せに。。

デ杯頑張ってください

2024-10-09

野球は欠陥スポーツ

走らない飛ばない。

走るにしても、ボールを取りに走るか、塁間を走るか、決まった方向に走るだけ。

コンタクト(体のぶつかり合い)もほぼなし。

投手捕手以外はほとんどの時間、止まって立ってるだけ。

投手もダラダラと何十秒もかけて一球投げる。

サッカーバスケに比べて、ゲーム中の戦術ほとんどない。

相手戦術に対する試合中のアジャストのような戦術応酬なんてあるわけない。

そのため、チームプレーや呼吸を合わせたプレーなんて、滅多にない。

息を合わせるプレーなんて、二遊間みたいな内野守備のやりとりくらい。

選手がベンチにいる時間も長いので、ベンチのたびに配球をコーチ陣と相談したり、熟考する時間だってある。

試合中に選手がじっくりタブレットノーパソみて考える時間があるから、瞬時的な判断能力なんて不要

こんな風に思ってるやつが野球なんて見るわけないので、詳しくは知らないが。

さらに、筋トレ技術が普及・発達して投球スピードが上がったら、肘を壊す投手多発。

人類の肘が耐えられない構造の動きをするスポーツ


試合時間も長く、夏場に育成年代がやるには熱中症危険も高い。

育成年代保護者からしても、投手捕手以外の選手が関与する時間が極めて乏しく見ごたえがない。

親の洗濯の手間も多そう。

道具も多く、費用もかかりそうだし、良いことなくない。


現地野球観戦は何を見るんだ?

一部の観客席以外、一番重要な配球等のやりとり見えないだろ。

サッカーなら、戦術連携として、ボールのないところの動きが重要になるが。


観るにしても、自分でやるにしても、親がさせるにしても何が面白いのかさっぱり分からん

これまでやってきた奴が競技引退後も観戦を楽しむ気持ちはまだわかる。

競技歴もないのに、野球観る奴の気持ちはまるで分らん。野球女子とか。

それなら、サッカーの方が面白いぞ。

台湾を「国」「島国」 立憲・枝野代表が繰り返し言及 [立憲]:朝日新聞デジタル

Foorier 支持するわ

Arturo_Ui これが問題なら、どういう表現なら穏当だったのか教えてもらいたいものだが。わざわざ「『台湾』と号して独立を主張しており、一部の国家と主張は対立するもの実効支配確立している島嶼地域」とか言うの?

toro-chan 大企業を○○王国、ということはよくある。小さい独立国よりGDPが多いのだから「国」と表現することは何も間違ってない。中華民国として、中華人民共和国の上として扱うって意味じゃない。大きい地方自治体は国だろう

theNULLPO どこからでもメディア叩き、どこからでも野党叩き

hagakuress 枝野ありがとう

ntstn いいぞもっとやれ

raitu 朝日新聞中国寄りだねって記事



【速報】台湾は「国」と自民麻生氏|47NEWS(よんななニュース)

Foorier もう引退した方がいいでしょ…

Arturo_Ui 老い先短い、まして宰相経験した人物が、国家の将来ではなく私怨嫌がらせしか考えなくなっている、ということが日本の国力低下の理由説明しているのではないですか。

toro-chan どうせ何も考えてないんだろう。実際日本には台湾専門家存在しなさすぎる。おそらく何もわかってない。国として独立しようとしていると、みなされる意味が分かってるとは思えない。

theNULLPO そりゃそうだけど、こいつはわざと火種放火して日本政府に平和主義放棄させようとしてるな。それこそ中国日本侵略する口実になりかねないんだが

hagakuress 自民最高顧問。小さい爺さんだコト。

ntstn 国だとは思っているが、政治家安易に声に出してはいけない。

raitu 失言王いまだ健在感ある、老いたというより元々このレベル失言連発してたしな…言葉を扱う仕事である政治家には基本向いていないんだが、地盤が強すぎて選挙で勝ててしまうゆえにココまできてしまった

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