はてなキーワード: 凄さとは
「100人とヤった」みたいなエントリーをみて、非モテで彼女すらいたことない俺は奮起した。
そのエントリーはナンパによってその数を積んだらしく、早速やろうと決意。
いろいろと本を読み、ナンパの凄さや方法について学んだ俺は、渋谷、池袋、新宿へと足を運んだ。
それから1ヶ月たった。いま正直病んでいると思う。
最初は地蔵になってたけど、ツイッターでナンパ仲間募集して、声をかけること自体はできるようになった。拒絶されることも怖くはなくなった。
問題だったのは、話しかけるたびに胃が痛くなり、体という体が拒否反応を起こすことだった。つまり、超内向的で他人と話すことが苦痛なのだ。
フレンドリーに話そうとしてナンパするほど、精神が不安定になっていくのがわかった。
ナンパをもうやめたいが、でもそれだとモテる男にはなれないし、彼女もできない。
どうすればいいのだろうか…
今話題のセクハラパワハラ問題。それらに目を通していたら自分の過去の出来事が蘇ってきた。昔勤めていた小さなデザイン事務所で自称「クリエイターの誰もが目指す到達点に達してしまった」社長に毎朝5時まで残されて「俺の何処がそんなに凄いのか言え」と言われていた。(だれも凄いとは言ってない)
こういうタイプの面白いところは「社長の凄さは五大陸まで響き渡りますよー」みたいな馬鹿にした褒め言葉をも真に受けてご満悦になるところ。あんたが大将!みたいなことを言うと、顔を真っ赤にして身悶えして喜んでいたのが最高に馬鹿みたいだった。
と同時にそれが恐いところでもある。ここまで強制的に無理やり褒めさせているにも関わらず、その褒め言葉自体は相手の本心であると疑わない。後日「世界一なんて冗談に決まってるじゃないですかー」と言うと、目を点にして「え?冗談なの?この前世界一って言ったよね?」と真顔で聞き返された。その時の完全に瞳孔が開いてる目を思い出すとゾッとする。
褒め言葉を真に受けるのでどんどん図に乗り、妙に心を開いてくる。挙句身体の関係にまで発展しそうになったが(あくまで一方的に、相手の中では進展していることになっている)僕はゲイではなかったので断った。
それから露骨に社長を避けるようにしたら、飲みの席で言い争いになりその場でクビにされた。こうやって振り返ってみると発達障害なんじゃないかという気もしてきた。情緒がなく言葉を真に受けるあたりが。
短期間で辞めてしまったので、次の面接などで理由を聞かれ、社長の話をしたら「社内のことを漏らす人間は信用出来ない」「ストレス耐性が低い」というようなことを言われ不採用が続いた。それからは「自分が至らなかった、心を入れ替えて働きます」という風に退職理由を変え、なんとか次の職が見つかった。
今の職場では新人歓迎会で新人にお酌しようとすると「何するんですか!やめて下さい!」と言われる。自分の頃と違って今は新人さんがしっかり自己主張できる時代なんだなぁと感じる。
昨今衰退が叫ばれるニコニコ動画に関して、「キズナアイが最も恐れたYouTuberみたいなしょうもない乗っかり方しか出来ない」とか言っている人がいたけど(初めて見た彼の動画がPostalの実況だったのでギャップに少なからず驚いているが)
そもそも初期からYouTubeの動画を引用してそれにコメントだけ付けるっていう、しょうもない乗っかり方してたサイトだし
ニコニコ動画は元々しょうもないネタの宝庫でクリエイティブなんかとは無縁だよ
むしろ今まで盛り上がってたほうが異常なんだよ
ようは所詮アングラな雰囲気で表に出ちゃいけないところだったのに、何を勘違いしたのか大々的に表に出てきて、
日本を代表する動画投稿サイトみたいな、変な調子に乗り始めたあたりからおかしくなってきたんだろうな。
そんでその異常なバブル的な状況をついつい当たり前と考えてしまうから、今が衰退したように思える
とは言えなんというか、自分はニコニコ動画以外の動画サイトロクに見てなかったからこの手の危機に鈍感なだけかもしれない。なんせバーチャルYouTuberのチャンネル登録者数3万とかいう数字を見ても凄さがピンとこない。そういう面白い動画を探してYouTubeを見て回るなんてことなかったからな。公式の配信してるPV以外はしょうもない個人動画ばっかりだったから。
動画にあふれるコメント数ですぐに分かると言うニコニコ動画の状況に慣れすぎた。
もしかしたら、YouTubeにもニコニコ動画にも動画投稿してる人は、外部にいるからこそニコニコ動画のヤバさが分かるのかもしれないな。
内部にいるとその危なさには気づけ無いから。
タイトル通りです。それでは早速。
'No Diggity' cover by Seattle soul queen Grace Love @ The True Loves
https://www.youtube.com/watch?v=ffsNRYj7R6E
Grace Love というソウルの人。情報が全然無いので何者なのかさっぱりで申し訳ないが、まあ、見てもらえば凄さはわかってもらえるかと。
キック、スネアそれぞれで前に踏み込んで行くリズムが最高にハマる。
体内の何かにがっちりハマってくる感じ。
ホーンも聴きどころ。渋すぎる。
歌はこれでもかってくらいのガッツ感。この方向を求める限りにおいて、裏切られることはない。
この人の動画をいろいろ見てると、サウンド的にはギターの Jimmy James って人がキーパーソンらしく、地元ではそこそこプレセンスがある模様。この人はうまいと思う。
これとか良い。
Delvon Lamarr Organ Trio - Warm-up Set (Live on KEXP)
https://www.youtube.com/watch?v=jhicDUgXyNg
Gorillaz - Feel Good Inc. (Cover) by Daniela Andrade
https://www.youtube.com/watch?v=7C9EYka6fIU
カナダのこのお姉さんは、カバー中心に大量の動画があって、youtube 時代のアーティストとして割と有名らしいので、知ってる人も多いかも。曲はどれも良いんだけど、個人的にはこれがたまらなく好き。
アレンジも本当によく考えられていると思う。シンプル弾き語るために凄く工夫されていると言うか、ものすごく手の込んだシンプルさというか。
youtubeにカバーを大量に上げて有名になったらしいけど、カバー以外の曲もあって、なにげにツアーはアジア域まで来てたりするらしい。
RADWIMPS - 前前前世『君の名は。』(Matt Cab cover)
https://www.youtube.com/watch?v=Kq1R6Ur9cq4
星の数ほどある前前前世のカバーですが、個人的にはこれが好き。
おれはオリジナルを何回も聴いたけど、結局良さがわからずじまいだったんだよね。
オリジナルのBPM設定では、年寄りには曲の良さを理解するのムリだYO。。
絡みつくようにメロディをなぞる歌が気持ちよい。こみ上げるところそれなりにソウルフルな感じもあるるんだけど、声が重くならないのでポップらしさを維持しているあたり、良いバランスだと思う。多くのRADWIMPSファンにとってはやや重たいかもだけど、おれにはちょうど良いというかしっくりきた。
Meshell Ndegeocello Pop Life LIVE @ Sunset Junction 2010 Los Angeles YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=gWe55aMBnII
これは、ミシェルの仕事で最も素晴らしいものの1つではないかと。。この人の仕事はどれも凄いんだけどさ。
これもスローアレンジ。一歩一歩踏み込んで行く感じが最高で、踏み込むたびに囚われていく。オリジナルの軽いアレンジに対してこのアレンジは、普通の人間は思いつかないし、思いついても成立させられないと思う。「うおっ。そう来んだ!?」という驚きがあって、そしてそれが見たことが無い高いレベルで成立しているという。何が起きてるのか理解できない世界にいきなり引きずり込まれてワケわかんないんだけど、超気持ちいいという。聴くたびドキドキする。
Deantoni parks の一見空気読んでないように見えて、実はナイーブなドラムに胸をつかまれる。この人は他の仕事も良い。
ああいうのを嫌いって言うと「なるほど日本が憎いタイプの人か」って思われそうだけどそうじゃなくて、俺はむしろ日本好きだしかっこいいところは見たい。
でも、よくある日本凄い系の見せ方って、むしろ凄くなさそうだと思うわけ。
俺の考えるかっこいい奴ってのはさー。
何か事件が起きた時は「この微力も何かの役に立てれば……」とかしずしずと出て行って、
それでも「いやあ、お目汚しを」みたいなことを言って、
周囲からは(やっぱ困った時はあの人だぜ……!)みたいに思われてる。
みたいなのが好きなんだよ! 時代劇とか拳法物とか、あとお仕事物でもあるかなあ。
もしくは、オーフェンとかアーヴィング・ナイトウォーカーとかエロゲ主人公みたいに、
普段はぐうたらしてたりヤレヤレ系だったりの情けない兄ちゃんで周囲にいじられたりしてるんだけど、
でも今よくある日本凄い系って、違うじゃん。
外人呼んだり職人を外国に出かけさせたり日本好き外人の掲示板のログまとめたりで、我らの力を見よ……!ってやってるの、めっちゃ悪役っぽい。
しかもラオウみたいな強大なボス悪役って雰囲気でもなく、小物とかやられ役。
「わはははー! どうだー!」って巨大メカとか乗り回してるところに、昼行燈系の主人公が来てワンパンで壊されて「にゃ、にゃにぃ~~~!?」って顔芸させられちゃう側じゃん、むしろ。
ジャンプでやってる漫画。連載打ち切りの危機を、コアなファンの声のおかげで何度も乗り越えてきた。
読んでないわけじゃないけど正直1話目読んだ時から微妙と思ってた。
絵柄とかではなく、話に入り込めなかった。
強キャラの箔付けの意味で「あいつは国宝〇〇だ」と説明されるが、「国宝」という言葉の定義にまつわるエピソードをやらずにいきなりキャラ紹介と同時に言葉が出てくるので意味が分からない。しかも全国大会では雨後の筍のように、あいつも国宝、こいつも国宝と出てきて、国宝のありがたみが分からない。元横綱が学生時代に「国宝」と呼ばれていてそれを引き継いだみたいなのが最初にあったら分かるが。
漫画にはいろいろな決まり手が出てくるが、リアルなようでいてオリジナルの名前っぽい。リアルの決まり手とフィクションの決まり手の技の違いが分からない。オリジナル技の凄さを、ハッタリでもいいから解説してくれるとありがたい。
4亀の記事を読んで。
フィジカル(肉体的)スポーツ、インテリジェント(知的)スポーツ、テクニカル(技量的)スポーツといった伝統的な分類のほか、
近年ではローケーションに注目したマリンスポーツや、道具に注目したイー(電子的)スポーツなどの新しいジャンルが開拓されている。
また、「スポーツの分類」として
スポーツ技術、記録などの向上を目指し、人間の極限への挑戦を追及する選手のスポーツを「競技スポーツ」と言う。
例えばオリンピックなどが挙げられる。
それに対して、老若男女、だれもがスポーツに楽しみを求め、健康づくりや社交の場として行うスポーツ、身近な生活の場に取り入れられているスポーツを「生涯スポーツ」と呼ぶ。
としている。
上記のスポーツの分類から見れば、「レクリエーショナル・スポーツ」に限りなく近い「競技スポーツ」という印象。
自分は主にFPSとDTCGのプレイヤーであり、歴は10数年ほどの若い人間。
とあるFPSタイトルでチームとして日本代表となり、韓国に渡ったことがある程度(自慢)
現状では、ゲームプレイを主体として継続的に一定額以上のお金をもらい続けているゲーマーではないかと思っています。
プレイスキルの有無は関係ないと思っています。ゲームプレイで見ている人を楽しませることが目的。
野球にせよサッカーにせよチェスにせよ、スポーツが何故「面白い」と感じるのか。
この3つが、見ている人に理解出来るよう周知する事だと思います。
ルールが理解出来なければ、何をもって勝利/敗北とするのか分かりません。
また、そのプレイヤーは、何の意図があって行動をしているのか、見る側は理解出来ません。
理解し得ない行動を見て楽しむことは、お笑いでないと不可能です。
例えば肉体的スポーツの場合、多くの人が学生時代に体を動かしているため、プレイに対しての凄さが分かります。
さらに言えば、日常生活において体は常に動いているものなので、プレイがいかに困難かということが「直感的」に分かります。
Eスポーツの場合は、「ゲーム」をプレイした事がない人が「直感的」に凄いと思うことは困難ではないでしょうか。
ゲームならではのグラフィックの凄さは感じる事が出来るでしょう。
しかし、プレイに関しての凄さは、「直感的」な、いわゆる「おおげさ」なプレイでないと凄いと感じれないのではないでしょうか。
肉体的スポーツでも同じかと思います。スポーツは楽しみや感動を共有出来る人と続けないと難しいと思います。
1人でも観戦やプレイに行く人はいます。しかし、その後には何らかの情報をTwitter等で発信しているのではないでしょうか?
https://www.youtube.com/watch?v=JA9LNnzrhZ8
いかにもシンセっていう人工的な曲ですが、それが気持ちいいです。
https://www.youtube.com/watch?v=wP1uQNueWXA
ボカロに対抗して作られたフリーソフトのUTAUで作られたかっこいい作品。UTAUは調声難しいんですが、白虎野や銀輪以上の人間っぽさ。作者はアメリカ人の女子高生!!。
https://www.youtube.com/watch?v=TYy09Hy8Qwo
椎名もたさんの中からはこれかな〜。これ聞いてると私は変拍子好きなんだなって感じる。
https://www.youtube.com/watch?v=A3nnfVyaY7g
GoogleのCMにも使われた共同創作の繋がりをテーマにした曲ですが、今回はyoutubeでなくニコニコと合わせた二次創作版を。こっちのがボカロの「みんなでつくった奇跡」感がよく出てます。
誰かの作品がどんどん誰かの創作に繋がっていく姿を3Dソフトで可視化した動画です。繋がれる時代に生きてる凄さを感じられます。
https://www.youtube.com/watch?v=Dx9m4jpocAc
初期の超有名曲のリメイクにボカロ関係の創作に関わってた人たちがみんな参加して作られた合作動画。なんか卒業制作に感じられました。
経済学的な統計研究でも、その人の生涯獲得賃金に影響を与える最も大きな要素は「どこの国に生まれたか」なんだよ。ついで「どの親に産まれたか」。日本はたしかに長年経済が低迷してるし、日本社会のなかだけでその無力感に浸かっていると苛立っちゃうのも分からないではないけれど、日本の平均的な賃金や、なんだったら最低クラスの賃金でさえ、地球規模でみれば上位の収入なのね。水、安全、食事と言った生活の快適さにおいても、地球上でみれば上位10%に入っていると言わざるをえない。
俺は日本人に生まれたけれど、自分のことをちっともすごいとは思ってない。人類の上位10%にはいる能力を持っているとも思えない。バングラディッシュの大学の教授は俺より遥かに頭もいいし世界に貢献してると思う。けど、俺のほうが年収上だし、治安にも医療にも娯楽にも恵まれてる。それはひとえに日本に生まれるというラッキーに恵まれたからに過ぎない。
日本はすごいかもしれない。豊かという意味で。でも、それって俺らの凄さには何の接続もしない。俺らがすごいから日本がすごいわけじゃない。先祖が偉大だったというのすら嘘。彼らが勇気を持って勤勉だったから日本は大繁栄したってのも、年寄りの武勇伝に過ぎず、マクロ的に見れば、地政学的な(そして時代的な)幸運に恵まれただけだ。
そもそも日本を含む先進国がいまコレだけの裕福さを享受できているのは1900年代後半に、経済的な植民地政策をやって、発展途上国に貧困を輸出して国内へ技術やら知財やらっていう利益を溜め込んだからだ。言ってみれば搾取だね。
増田は日本人の中に労働者と、その労働者を搾取する富裕層がいるみたいな視点で世界を語りたいように見えるけれど、歴史的に見れば日本人全部が搾取側なのだ。発展途上国から搾取して(労働者を含む)日本が豊かになるのは正義だけど、日本国内で労働者から資本家が搾取するのは悪です……なんてのはただのダブルスタンダードにすぎない。だからそういうダブスタに俺は賛成しない。
何が悪かったのかひろゆきも先日のガジェット通信で言っていましたが
私もかねがね同意です。
ひろゆきのこの主張は今更後づけて言い出したわけではなく、
しかしニコ生の運営は一切聞く耳持たず現在の路線をひた走った結果こうなています。
全てはカワンゴと夏野の先見性の無さと判断の誤りだったと思います。
そして二人はその最重要人物であるひろゆきをうざいとばかりに排除しました。
故に今の現状になるべくしてなったという他ありません。
本来配信サービスにおいてYouTubeのような巨大モンスターに勝てる見込みはなく
そことの勝負は避けて胡散臭い路線をひた走るべきだったのですが、
カワンゴもそこは当時は分かっているような発言をしていましたが
どこかで勘違いしたのか、
あるいは会社が大きくなっていろんなしがらみや大人の事情から逃れられなくなったのか
最後のあがきで10月に大幅な機能改善をするようですが数年遅すぎました。
もう何をしても復興は無理でしょう。
そんな状態でもひろゆきはたった一人ニコ生の可能性にかけて細々と地道な活動を続けています。
ニコ生でやるならこれしかないというポイントを自ら実践し続けています。
ガジェット通信は大概夜中に突発的に始まるのとだらだら時間が長いので
ちゃんと見れている人は少ないと思うのですが、
とんでもない情報の宝庫です。
これを無料で垂れ流しているのですからひろゆきのサービス精神も大したものです。
ガジェット通信はそれでも見る人がちゃんと見ればその凄さに気づけると思いますが
もう一つの「雑談配信者」公式生放送の意味と可能性に気づけている人は
まだほんの一握りなのではないでしょうか?
糞レベルでまともにトークもできない底辺のだめ人間である生主を集めて
ひろゆきだけまともでひろゆき一人で七面六臂の気配りと活躍で番組をまとめている様子を見て
番組を放り出すのも時間の問題だろうとタカをくくっていました。
しかしそれは私が浅はかでした。
ひろゆきの狙いが当時私も見えていなかったのです。
そして普通ならこんなゴミの山にダイヤモンドなどあるわけないと思われる場所に
ダイヤモンドは転がっているとひろゆきは確信しているんだと思います。
なんでみんなただで転がってるダイヤモンドを拾おうとしないの?
ばっかじゃね?くらいに思っているんだと思います。
ゴミに見えるのは使い方が悪いだけで
使い方をちゃんとすればダイヤモンドになる素材もあるんですよ
もともと彼は何もない場所に何もない人を集め
そういう部分に可能性と興味を持って遊んでいるのかも知れません。
ひろゆき的には同じ延長線上で今興味が有ることをやっているだけなんだと思います。
本人は凄く先鋭的なつもりでいますが古いのです。
夏野さんのおかげでニコ生にすっかり尖りがなくなってしまいました。
ジョブズ追放後マイクロソフトに駆逐され崩壊寸前まで行ったアップルが
再びジョブズを登用し復活したように
ひろゆきを再び登用しニコ生が復活することを願ってやみません。
https://www.youtube.com/watch?v=tlKlMt58mbk&feature=youtu.be&t=1329
8月14日のガジェット通信でニコニコ動画について語るひろゆき
22分くらいから
8月12日16時半から戦後70年SPとして放送されたエピソード「わすれた森のヒナタ」が再放送される。
http://www.nhk.or.jp/anime/ojaru/tokuban03/index.html
まず前提としておじゃる丸という作品のもつ空気感の凄さを理解してほしいってのはあるんだけど、その平和な作品世界に「戦争」というテーマをぶち込んで、それでいてアンバランスになることなく、とてつもなく真面目に戦争というものを考えさせる、本当に異色の名エピソードに仕上がってるので、おじゃる丸という作品をちょっとでも見たことがある人はぜひ見てほしい
あ、ここでいうpixivの小説は二次創作、主に腐向け作品だと思って読んでほしい。
pixivの小説って評価が相応じゃない。とても面白くて「人に読ませる」文章なのに、ブクマ数が極端に少ないとかザラにある。
もちろん人気ジャンルかそうでないかに差があるのは分かってる。
ブクマ数が多いなって思う基準が50なら1桁は少ない。基準が100なら20前後は少ない。
私もミーハーな人間だから、ブクマ数が多い小説に手を伸ばしがちである。しかし、冒頭数文で(あっ、この人は書くのが下手だな)だと悟って読まなくなることや最後まで読んでも(何が何だか分からなかった)とブクマせずに終わることも多い。
二次創作だから下手な人がいて良い。むしろそれを排除しようなんて思ったら二次創作という文化が健全ではなくなってしまうと思う。
文章構成が上手くできていなくても、ネタが良ければブクマしたりする。二次創作だから!商業じゃないから!
でも、下手なのに面白くないのにブクマ数が多い、過大評価されている、と感じるものが多すぎるのだ。
こんなに上手いのに何故評価されないのか。作者の宣伝が足りないのか。タグ付けの問題か。
でも、pixivでは匿名っぽく小説を上げている人も多い。タグも腐向けタグとカプ名だけの人も多いし、タグを何もつけていない人も多い。そういった人たちだけが極端に評価されていないわけではないしその人たちの作品のブクマ数はむしろ多い傾向にある気がする。
では、何が下手で大して面白くもない小説がpixivで評価させてしまうのだろうか。
私としては仮説が3つほどある。
一つ目
R-18。単純にエロがあるとブクマ数は伸びる。たとえ(なんだこれめちゃくちゃだ)と感じるような文章の構成のものから、"原稿用紙の使い方"自体から間違っているようなもの、キャラクターの解釈を大きく違えているもの、でさえもR-18というだけでブクマ数は大きく伸びる。
これは人間の三大欲求に則しているから理由としては間違っていないだろう。
ただ、それだけで評価されてしまうのは気味が悪いと思ってしまうのは私だけだろうか。そうか、私だけか。
表紙がある。
pixivでは小説に表紙が設定できる。pixivの提供しているシンプルな数種類のものはもちろん自作のイラストやら写真やらを表紙にすることが可能だ。大半の書き手たちは主にpixivの提供しているものをそのまま使用している場合が多い。
その中で自分の撮った写真や同人誌の表紙よろしくフォトショ等で自らデザインしたものを表紙にしている人たちもいる。そういった人たちは小説自体に深いこだわりが多い人が多い。故にそのような表紙を使う人のブクマが伸びるのは大いに理解することができる。
大手の絵師のイラストを表紙に使っている人だ。身内だとか交流があるだとか、それは理解できるし表紙を描いてもらうのも理解できる。けれど、イラストが表紙のものは内容に関わらず初動のブクマ数が異様に多い。イラストをブクマするかのごとくブクマ数が伸びる。
これが怖いし、気持ち悪い。これで初動のブクマ数が多いためにランキング入りしてしまうのも気持ちが悪い。
もちろん絵師のイラストを表紙に使うな、とは言わないしそういうコネクションがあるのは素敵なことだろう。
しかし、内容に関わらずブクマをつける人たちには憤りがある。内容を読んでから評価しろ。
装丁は大事だ。しかし何よりも大事なのは中身である小説だ。それを読まずして評価するのは首を傾げざるを得ない。
三つ目
一度面白い作品を書いた人はそのあとも一定以上のブクマがつく、評価がされる。もちろんファンがついたということもあるのだろうが、一回面白くて上手い作品が書けたとしても、次があるかなんて分からない。しかし、内容も見ずにブクマをしている人間がいるように感じる。
これに少しばかり関連して、ブクマ数が多いものにしかブクマしない人間がいる。ブクマする理由はただブクマ数が多いから、そう言わんばかりに読む小説に傾向なく、ブクマ数だけで小説を読んでいる人間がいる。
まあ、それで"当たり"は掴みやすいんだろうけれど気に入らない。
取り敢えず、いま思いつく3つの理由を考えてみたけれど他にも理由はあるはずだろう。SSみたいな短い話だけが良いだとか、会話文多めの方が良いだとか、ギャグの方が良いだとか。
もちろんSSが悪いなんて言ってないし、会話文多めの小説を見下してるわけじゃない。ギャグの小説をシリアスな小説の下位互換だと思ってるわけでもない。
ただ、実力よりも評価数が多かったり少なかったりするpixivの小説が謎だと思うという話だ。
あと一つ、最後にもう少しだけ私の仮説を聞いてほしい。これはいろいろなところから怒られそうだから、読み飛ばしてくれてもいい。怒られること覚悟でこの仮説を示そう。
もちろん、文学作品を親しむ人間が多いのは分かる。私も実際文学作品をよく読む人間だ。オススメはオーソドックスっていうかこんなこと書いたら逆に「お前それしか読んだことないんだろ」と言われそうだが夏目漱石だ。一番好きな話はこれまたド定番にこころだ。現代の作家なら村上春樹で、鏡という話が一番好きだ。他には山田宗樹の書く話も好きだったりする。でも、彼らの書く話は「人に読ませる」文だし面白い。
少し話は脱線したがオタクは意外にも本は読まない。読んだとしてもライトノベルやマンガ・アニメのノベライズだ。そもそもオタクに限らず本を読む人間というのは少ない。自分が読んでいるからと言っても隣の人が本を読む人間とは限らない。学生時代はそれなりに嗜んだけど、今はさっぱりだという人も多いはずだ。必ず月一冊は読んでいるというだけの人間ですら探すのは難しい。
オタクが読んでいる本は、小説は、文学ではない。実は読んでいるようで、真に本を読んでいないのだ。「ライトノベルを見下しているのか!」と怒られそうだが、怒られることを覚悟で書いている。批判もどんとこいだ。ライトノベルでも面白いものもあるし上手い文もあるが、基本的には似たり寄ったりだし、何よりラノベ独自の文章の使い方がダメだ。あれはあれで文化として存在しているのだろうけれど、小説に求められているものって本当にソレなのだろうか。
又吉直樹の火花という本がある。芥川賞を受賞したあの本だ。あれは個人的には素人に毛が生えたレベルだと思っている。でも、話題になったし売れたし何故か芥川賞も獲れてしまった。
何故だとお考えだろうか?
それは"小説を読まない"人間が手を伸ばしたからだ。普段小説を読まない人間だからこそ、なんとなく「凄い」と思わせたら書き手は勝ちなのだ。小説を読まない人間というマジョリティに話題になってしまえば書き手は勝ちなのだ。
どんなに小さなジャンルであってもマンガは投稿されてなくても小説は存在しているなんてことがある。供給に飢えているオタクはそれを読む。小説を読まない人間の勘違いの「凄さ」「萌え」によって実力不相応のブクマは増えていく。
"小説を読まない"人間に評価は難しい。小説語に慣れていない人間に評価は難しい。知識が足りない人間に評価は難しい。
絵については散々文句が言えたりするオタクたちも小説の評価に慣れていない。
私は小説に対する知識と教養が少ないオタクたちがpixivの小説に対する評価を歪めていると思う。
もちろんこれは原因理由の一部であって全てではないと思うが、確かに理由だと思う。
この意見に批判があるのは覚悟しているし仕方がないと思うが、私はこれを事実だと考えている。
もしも、これを読んで必要以上に怒りに狂った人がいるならば、考えてほしい。
あなたは小説が読めるのか、と。評論が読めるのか、と。国語ができるのか、と。
なんなら、学生時代まで遡って現代文の成績を考えてみるといい。読解はできたのかと。
まあ、私の書いている文章が読めているあなたは、自分が文章を読める力があっても周りの人間は、想像以上に読解力が無かったことを思い出せるだろう。そういうことだ。
冷静に考えた上で、この意見に批判があるなら聞かせてほしい。私は純粋に不当な評価のpixiv小説が存在することが不思議なのだ。その理由が知りたい。私の考察に至らないことは沢山あるだろうし、あると思っているから臆して匿名でこの文章を書いている。でも、できればこの文章をキッカケに理由が解明されればいいと思っている。純粋に知りたいから。
さて、最後に私は何が言いたいかと言うと、pixivで人に読ませる素敵な文章かつ面白い作品を書いている人の小説が不当に評価されているという事実が悲しい。
pixivで下手な小説かつ面白くない文章が不当に評価されているという事実に憤りを感じている。
下手な小説も上手い小説も面白い小説も面白くない小説も存在していていい。それが二次創作の良さだ。