はてなキーワード: 再現可能とは
4DXちゃんは、水がかかるシーンでは容赦なく水飛沫をかけてくる。別にミストなんて誰も求めてないのに、「これが新感覚映画体験ですよ~!!!」みたいな感じで、映像で水に関わるシーンが登場すると「待ってました!」と言わんばかりに水をかけてくる。
舞台が川や海になったらかなり危ない。ボートに乗るシーンがあったら、次の瞬間、4DXちゃんはあなたの顔面目掛けてミストを吹きかけてくる。4DXちゃんに悪気はないので、ミストが嫌な人は座席の肘掛けにあるWater offボタンを押そう。
重要なのが、このWater offボタンの位置だ。よく映画館では、「右と左どっちが自分のドリンクホルダーか分かんないよ~」というあるあるが語られるが、4DXでは、「右と左どっちが自分のWater offボタンか分かんないよ~」となる。4DXちゃんのミスト機能は、水を3日間飲み忘れていた人以外にとっては課金してでも止めたい機能なので、重要度のウエイトがドリンクホルダーの比じゃない。
Water offボタンの横に座席番号でも書いてくれればいいのだが、4DXちゃんはそこまでは気が回らない子なので、自分の座席に座る前に一番端の座席の見て、右と左どっちが自分のWater offボタンか確認しよう。そして、上映前に携帯電話の電源をoffにするのと一緒にWaterをoffしよう。
私はこの確認作業を怠ってしまい、「右と左どっちが自分のWater offボタンか分かんないよ~」状態に陥ってしまった。適当にボタンを押した場合、1/2の確率で隣のおっさんのWaterを勝手にoffしてしまうことになるので、結果身動きが取れなくなりメガネをビショビショにされた。水滴だらけのメガネを拭いて装着したまさにその瞬間に再び4DXちゃんにミストを吹きかけられたときは、たまらず左右どっちかのWater offボタンを博打で押してしまおうかと思ったが、顔面に水しぶきを吹きかけられて喜ぶタイプのおっさんも存在するので、勝手に他人のWater offボタンを押すのはやめよう。
ちなみに、Water offボタンを押したところで水を完全に防げるわけではない。4DXちゃんは映像で雨が降れば雨を降らすし、嵐が来れば風とともに水しぶきを吹きかけてくる。このへんはもう、「自然現象だからそりゃあしょうがないよね」と割り切って受け入れよう。
4DXちゃんは、「映像と体験がリンクすることはとにかくいいことだ」と思っているので、観客が求めていないことでも再現可能なことは何でも体感させようとする。なので、格闘シーンで主人公が背中を蹴られたら、4DXちゃんも観客の背中を激しくプッシュしてくる。
これが薄着だとそこそこダメージを食らうし、なんの予備知識もない状態でやられるとかなりビビる。私は後ろの客が思いっきり座席を蹴飛ばしてきたのかと思って軽くパニクった。主人公が背中を蹴られたときはもちろん、なぜか腹パンされたときでさえも4DXちゃんは背中を蹴飛ばしてくる。ダメージを喰らいたくない方は、羽毛がパンパンに詰まったダウンジャケットを着て衝撃を和らげよう。
カーアクション映画や空を飛ぶシーンの多いトップガンのような映画は、かなり風が吹いてくる。普通に寒くてやめてほしいのだが、4DXちゃんはノリノリで風を送り続けるので、寒いのが苦手な方は羽毛がパンパンに詰まったダウンジャケットを着て備えよう。
4DXを1人で鑑賞するときは、隣に人がいない座席を予約することを強くおすすめする。なぜなら、「自分ソロの状況で知らない人と一緒に隣同士で激しく揺さぶられるのはそこそこ恥ずかしい」から。ディズニーで自分1人だけあぶれて、知らないグループと一緒にスプラッシュマウンテンに載せられた時みたいな気まずさが発生する。
私は1人で鑑賞したのが、なるべく中央の座席で鑑賞したかったので隣に人がいる座席を予約してしまった。自分一人、隣の座席もおっさん1人。2人で一緒に無言で上下左右に激しくグワングワン揺さぶられていると、知らないおっさんと一緒に激しく揺さぶられた時だけに抱く謎の恥じらいを2時間近く味わされて映画に集中できなるので絶対に隣に人がいない座席を予約しよう。
あとは隣の座席が空いていると荷物を置けるというメリットもある。座席が動く4DXでは、地面に荷物を置くと挟まったりして危なそうという意識からか、荷物を抱えている客が多い。座席が激しく動く4DXで荷物を抱えるのは普通に邪魔なので、座席に荷物がおけるのは結構重要。
あのさ、
お盆が明けたらお節料理商戦が始まって10月はハロウィーン一色でしょ、
11月に入ったら即クリスマスシャンシャンムードでもう広場にはイルミネーションてんこ盛りのクリスマスツリーおっ立てられてるし
12月26日から元旦まではなんか少し休憩で大人しくしていて、
もうクリスマスムード満載でお送りする年末までのまだ12月25日はまだまだ遠いわよ。
そんでもってさ、
11月のいい何々の日って語呂が良すぎて11月全部もうなんかいい記念日的になってるので、
いっそのこと11月はいい日の月って全部を言ってしまったらハッピー月間な11月になるんじゃないかしら?
そうアース・ウインド・アンド・ファイヤーさんたちも言っていたわよ。
それはディッセンバーだったわ。
あまりに語呂が良すぎて
11月だし、
食べ物がもれなく美味しくて
白菜安くって助かるわ。
もうトマトが高すぎて買えないのはもう諦めたけど、
最低限の鍋美味しく食べられるので
冬はこれに限るわ。
そんでさ、
こないだ鶏の挽肉買ってきてテクってツクネにしようと思ったけど、
でも消費期限が秒で迫ってきているから早くでもなんとかして食べ切らないと!って押切もえの顔真似をしながら思っていたの。
そこで名案!が閃いたの!
名推理級に。
鶏の挽肉をスプーンですくってそのまま鍋に投入してダイレクトツクネをテクって作ってみたの。
そしたら案外いい出来栄えで
肉のゴロッとした食感がとてもグッドで味も肉感があってジューシーで
テクってツクネにしてこねくり回して作るよりも、
そのままダイレクトにスプーンですくって鍋に投入するタイプのツクネに素直に感動したわ。
え?これもうツクネにする必要ないんじゃない?って
これはダイレクトにスプーンですくって鍋に投入するタイプの簡単何もしないツクネは直球!ってことだと思うの。
あまりに期待せずに食べたその直球ダイレクトスプーン投入ツクネが美味しくて、
またチャレンジしようと思ったぐらいよ。
よくさ
適当に作った自炊料理が奇跡的に美味しく仕上がった出来栄えの完璧な味の時ほど再現出来ないあるあるってあるじゃない。
そういうのって適当だから調味料も何をどのぐらい使ったかよく覚えていない時があるけど、
再現できるできないもないわよね。
ただ鶏のムネ肉かモモ肉かムネ・モモ合い挽き肉だったのかってところが思い出せないけど、
でもまあ最悪この3種類の試し挽肉でやってみたら
正解の直球が投げられるはずだから
多分また再現可能なはずなのよ。
たまーにあるわよね。
だから結構再現性を求めるときはちゃんとお醤油とか目盛りを量って入れたりして覚えておくようにしているけど
勘でやんのもいいけど、
安定的に再現するためにはある程度の勘を育てなくちゃいけないわよね。
よく料理研究家の人が適当でいいんですよ調味料とかの量は!って言うけど
ああいう人たちは一回凄い料理の修業を通ってきた人たちだからこそ言う言葉だと思うので、
安直にそれを信じて仕舞うのもって説も私の中で唱えている事よ。
あんなに料理のプロがプロって調味料計らずとも適当と見える感じで料理を作っていても、
凄いもの凄い料理の修業をしてきている基礎体力が全然違うので、
そう言うことだと思うわ。
でもこの適当ダイレクト鍋にスプーンですくって入れるツミレは適当すぎて、
間違いが無いところがいいわ。
間違いようがないもの。
ある程度の再現性がないとSTAP細胞はありまーす!とも言えないじゃない。
それと一緒のことだと思うわ、
きっと割烹着だけに。
そんなわけで、
いいツクネの日だって、
嘘だけど。
うふふ。
トマト高いのにトマトサンドとかにあるトマトは高くないのかしら?
トマトが高ければトマトジュースを飲めば言いじゃないってそれなんてマリーアントワネット?って言われそうだけど、
買い置き買っておかなくちゃって重い腰を上げて買いに行きたい季節。
レモン炭酸に追いレモンポッカレモン投入のレモン風味増し増しの
冬レモンもいいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
AIイラストが受容という間違った方向へ進んでいるのでやむを得ず事業家兼プログラマの俺がAIイラストの潰し方を教えてやろう。
他国のAIを禁止できないからAIを受け入れようという知能の低い意見が流布しているが誤りである。
SNSは人気イラストレーターなどのパフォーマーの集客力を利益としており既存の作品を剽窃したAIイラストの氾濫はこの利益を一方的に毀損しながらSNS企業にこれを正当化する集客力も利益ももたらさない。
すなわちパフォーマーとフォロワーがAIイラストを規制しない大手SNSから規制する大手競合SNSに移動すればユーザー数と滞在時間のもたらす企業利益もそのまま競合企業に移動する。
またフォロワーでなくともテキストボットのイラスト版のようなよく見ると破綻している不快なイラストボットと贋作が氾濫するノイズだらけの剽窃SNS・贋作SNSからはユーザーが逃げる。
SNS企業においてAIイラストのもたらすこれらのユーザーの移動は経営責任を問われるレベルの経済的および競争上明白な不利益となる。
したがってSNS企業はAIイラストを規制しなければ重大な損害を被る立場にあり遅かれ早かれ確実にAIイラストを規制する。
そしてその規制は文化と産業が壊滅的被害を受ける前に行わなければならないのはもちろんであり直ちに正しい世論を形成し政治家に申し入れさせるのが得策である。
AIの使用を法的に規制できなくとも市場(プラットフォーム)からの排除はできるのである。
特定の著作物の指定により生成された類似性の高いイラストの違法性はその指定から自明である。
例えばミッキーマウスというキャラクター名やトイストーリーという作品名の指定により同一性ないし類似性を与えられた生成物の著作権侵害は明らかであり作者の指定もこれに準じる規制根拠となる。
特定の著作物や作者に偏るデータセットも違法性の根拠となることもちろんである。
またそもそも生成物に制限がなく無制限に違法著作物を生成できる機能を公開または許可していること自体犯罪幇助の違法性を帯びておりポルノの生成と同様の制限を加えなければいずれ違法性を認定される可能性が高い。
したがってプラットフォームはAIイラストの適法性と自らに法的責任がないことを明らかにするために法的保護の対象となる人名と著作物の使用を禁止したイラストAIのみ許可するかAIイラストに生成方法としてキーワードとデータセットを明記させ制限する必要が生じこれにより不適切なキーワードまたはデータセットの使用およびキーワードとデータセットを明記しないAIイラストを規制できる。
また生成方法の公開によるAIイラストの再現可能化によりAIイラストを陳腐化できる。
特定の(特に商業)作家の作風をキーワードまたはデータセットにより故意に再現し濫用(特に作者の名誉または経済的利益を毀損)した場合キーワードまたはデータセットから故意が認定されれば濫用の程度に応じて違法性が認定される可能性が高い。
特に単なる作風にとどまらず頻出するキャラクターを偽造または改変した場合商用キャラクターの無断使用やポルノコラージュに準じた違法性認定が可能になる。
これらはキーワードとデータセットが明示義務化されれば違法性認定が非常に容易となり著作物が含まれていれば著作権上の、作者名が含まれていればパブリシティ権や人格権上の違法性が加わりさらに認定が容易となる。
音楽における4小節以内のような定量的基準をイラストに規定することも機械的に正確に評価することも極めて困難であろう。
この方向での追求は筋が悪い。
AIイラストの氾濫によりイラストレーターと画家が激減し文化や産業に壊滅的被害が予想される場合、当然保護の必要が生じ規制根拠となる。
この必要と根拠は世界共通であり世界的に連携して規制を推進できるだろう。
特に現在のAIは文化を単独で発展(進歩・革新)させる力はなく単独では文化を停止させ終わらせる力しかないという人間との決定的かつ絶対的な違いを強調しなければならない。
もたもたしてると間違った方向に世論が進んで間違った社会認識が固まるからネットの中だけでいいから今すぐ社会運動化してSNS企業と政治家に働きかけて正しい社会認識と規制を作れ。
剽窃SNSと贋作SNSはフレーズとして優れているから無力な不特定多数の連中はこのフレーズを流布してトレンドに上げて社会認識に持ち上げとけ。
前から思ってたんだけど
出生率のピークは大正時代、1920年くらいで、そこからまっすぐ落ちていってる
http://honkawa2.sakura.ne.jp/1553.html
戦後の2回のベビーブームは単純に異常値であって、それ以外は綺麗に減っていってる
俺が本当に知りたいのは
・大正〜昭和初期にかけてなぜ減っていったのか?その因子は何か?
なんだけど、歴史に明るいわけじゃないからマジで戦前のことが分からんのに
ちなみに富国強兵政策かなと思ったんだけど、むしろその時期は出生率が減ってる時期だとわかった
価値観の大きな変化はたぶん江戸時代→明治時代だろうから、西欧化が原因というのも多分間違い
むしろ女性の有り様の変化とか、文化的側面とか、近代化の何かだと思うんだけど、とにかく明治〜昭和初期に明るくないとわからん
______
→確かに1923年で、ピークの2年後くらいだ、何か関係あるのかな
・産業革命
→確かにこれ大きいのかも、例えば第二次産業の普及と共に子供の資産価値が一旦上がったとか?
・電気の普及
→ていうか張ったページに書いてあるねw
>大正時代における出生率の増加から減少への転換の契機となったのは、産児制限への動きや一般家庭への電灯の普及の影響と考えられている。
>電灯は庶民の「夜の生活」を変えた、といっていいだろう。電灯のもとで、人々は雑誌や書籍を読むこともできたし、夜なべ仕事も容易になった。大正期に始まる都市の出生率の低下は、電灯の普及と少なくとも時期的には一致している。都市では夜の娯楽が増え、農村に比べてそもそも低かった出生率は、さらに低くなった」
大正時代といえばまだ子供が資産だった時代だと思うけど、それでも娯楽の影響は大きいんだろうか
そういえば昔、初体験の年齢が地方と都市で異なると聞いたことがある、それに初婚年齢も都市部のほうが遅い
・富国強兵の時期って1870年頃〜1905年くらいなんだね、出生率の上昇と一致する
気づいたこと
仮説
・娯楽が充実すると子供は減る
・富国強兵はうまく行っていた?
不明なこと
・産業革命が及ぼした影響
娯楽を減らすなんて無理だし
<はじめに>
読みにくいと題に書きました。この文章を読んだあなたが不快になったとしてもそれは注意書きを読んだ上であなたがあなたの判断によってあなたが読んだ文章によってあなたが不快になったにすぎず、それは完全にあなたの自己責任です。祈りが足りません。毎日もっともっと祈ってください。
<はじめにおわり>
ブログを開設して投稿しても良かったのですが、増田で投稿したほうが興味のある人に少しでも多く届くかなと思い増田で投稿することにしました。
先日、TwitterがOnion版サイトに対応したと風のうわさに囁かれました。
https[:]//twitter3e4tixl4xyajtrzo62zg5vztmjuricljdp2c5kshju4avyoid.onion
これがそのURLです。(Chrome、Safari、Edge、インストールした後そのままつかているFirefox、では閲覧することができません。諦めてください)
おそらくTwitter社が想定しているケースは
①何らかの理由によって、Twitterへのアクセスがエラーを吐くようになった。(生IPでのアク禁)
②ユーザーは長年使用してきたTwitterアカウントにログインして情報を得たい、情報を投稿したい。
みたいな意図なのではないかと勝手に想定しています。が、これはあくまで一民間人の主観なので流してください。
①への対策としてVPNが挙げられますが、プライバシー保護を謳う幾多のVPNがこれまで国家権力に屈してログ情報を開示してきた例を見ると(すべてがすべてノーログを謳っていたわけではない)、そこらのVPN会社を利用するよりもTorで多重化した方が少しは安心ではないかという気持ちからTwitter社がOnion版サイトを公開してくれたとしたら、嬉しいことです。
<本題>
・個人的に今利用しているアカウントにTorでログインするのは嫌なので、新規登録ができるかどうかを確認する(気になる人は既存アカウントで実験してみてください)
・Tor等を利用したTwitterアカウント作成時との比較を観察する
Torから設定→プライバシーとセキュリティ→セキュリティ(セキュリティレベル)を選び、Torでボタン一つで選択することのできるJavaScript等のトラッキング制限をどの程度選択すればアカウント作成できるかを確認します。
より安全(真ん中のレベル):アカウント作成できない(自分が確認した環境ではできないだけかもしれません、詳しくは後で記します)
最も安全(3段階で一番上のレベル):相変わらずいつも通りアカウント作成できない
アカウントを作成した感想としては、正直Onion版サイトを公開したと聞いたときには、他所のOnion版サイトのように「最も安全」でアクセス先のURLに依存したJavaScriptをいくつか許可すればアカウント作成できるのかな、と期待を胸にしていたのですが、現実としては「いつもどおりのhttps[:]//twitter.comへTorを用いてアカウントを作成するとき」と何一つとして変わる点がありませんでした。これには少しがっかりです。
Torを用いてTwitterアカウントを作成するとだいたい1ツイートまではTwitter社の宇宙よりも大きな器によって許されます。
しかし、2ツイート目をしようものなら、時間をかけてアイコンやBIO、ヘッダーを設定しようものなら「reCAPTCHAのパチモンクリア(4問正解で通してくれる神キャプチャ、お前が世界を取れ)」がやってきます。
運が良ければそのまま関門通過。運が悪ければ電話番号登録を強いられます。
今回はセキュリティの「標準」でアカウントを作成したので、ログイン後1ツイートをした後に「より安全」に上げても使えるかな?と上げてプロフィール設定をしているところで電話番号登録を要求されました。
ここ最近のhttps[:]//twitter.comは、ブラウザのセキュリティレベルを「最も安全」「より安全」にしていると「んなんか今日調子悪いわ笑」とログインページやアカウント作成ページを表示しれくれません(国際情勢が関係しているのかな?)。ですが、以前は上で書いた「他所のOnion版サイトのように『最も安全』でアクセス先のURLに依存したJavaScriptをいくつか許可すればアカウント作成できるのかな」の手順でアカウント作成をできた過去があります(セキュリティレベルを上げ忘れたままTorを利用していた可能性があります、「ですが」以降は思い出として読んでください)。
その時ですら電話番号登録まで要求してこなかったというのに、セキュリティレベルを最低まで落として、やっとアカウント作成できたと思ったら、「お前はホモサピエンスか?」とパチモンに聞かれ、全問正解したというのに電話番号まで登録を強いられる。ダルいのでこの文章は放置されている電話番号登録画面を横目に書かれています。
実験結果
ブラウザのセキュリティレベルを最低まで落とすことでアカウントの作成に成功したが、セキュリティレベルを上げて遊んでいたら(これが原因では???)電話番号登録を強いられた。
この実験結果からわかるように、新規アカウントへの優遇としてOnion版サイトを公開したとはとても思えず、既存ユーザーに向けたサービス展開と見るべきだと思う。
まず今回やったことはOnion版サイトで行わなくても、https[:]//twitter.comで再現可能だったことであり、2者の差はOnionに対応しているか否かでしかありません(緩くあってほしかった)。
生IPでアクセスできないからTor使うのにそこで電話番号登録を要求したら、電話番号を契約している本人が分かりますよね。
Onion版サイトの展開がどこの誰のためにやっているのか知ったことではないですが(良い子のみんなはソースを探してから口を開こう)、向いている方向とやっていることが少しズレている気がします。
「理不尽な事象により生IPでアク禁された人々がいる、それに対抗するためにOnion版サイトを公開する、がOnion版からであってもアカウント作成はいつもどおりです。」だと仮定すると、現状は今のTwitterが落とし込めるギリギリなのかもしれません。
TwitterくんがFacebookくんに憧れる気持ちはよく分かりますが、Tor関連を冷遇するのところまでしっかり見習わなくても良かったと思います。
腹癒せ
「Onion版サイト公開されたんですか?やったー!」「サイト公開されただけじゃないですかやだー!(少しは優遇されただろうと勝手に思っていた筆者が完全に悪い)」をしたので、初めの方に少し書いたVPNについて少し。ノーログを謳うおすすめの紹介です。VPNを使ってたとしても、画面の向こうにいる人間に配慮しながらインターネットを利用しましょう。もうページを閉じてインターネットに帰っていいですよ。帰りの会は終わりました、事務連絡は済ませたのでここからは雑談です。
Mullvad(有料)
一言:広告を一切していないので、検索して出てくるMullvadの感想はPRを含みません。すげぇ
IVPN(有料)
一言:他所のノーログを謳うVPNサービスは月当たりの通信量の制限があったりしますが、ProtonVPNにはそれがない。そこがすごい。本当にすごい。無料で始めたかったらProtonを使ってください。
OVPN(有料)
一言:2月から#StandWithUkraine https://www.ovpn.com/en/blog/standwithukraine というページを公開し、ウクライナの人への応援をしている。すごい。「ウクライナ人はサポートに連絡したら無料のVPNが用意してあるぞ」と言ってる。かっこいい、抱いてほしい。それはそれとしてOpenvpnの拡張子が.ovpnだから検索結果がOVPNとめっちゃ交じる。マジ卍
個人的には薦めないけれど、生IPよりかは良いんじゃないんですか、有名で使っている人も結構いますよね、好きだったら使えばいいと思います4選(それぞれノーログを謳っています)
NordVPN(有料)
一言:有名、紹介料いくらか知らんけどプライバシー特化おすすめVPN○選!みたいな記事ではいつもいるやつ。ちなみにそいういう記事に限って上の4選の奴らはいません。
一言:買収されて運営会社が変わった。NordVPNを紹介している記事は大体ExpressVPNも紹介している感じのアレ。
PIA(有料)
https[:]//www.privateinternetaccess.com
一言:゚(゚´ω`゚)゚。ピーア 日本人ではNordとExpressよりは使っている人は少ないんじゃないかな。
AirVPN(有料)
最後に
https://gigazine.net/news/20211015-former-malware-kape-technologies-owns-vpn-services/
ちなみに死んでるとわかった家族のそれでも遺体を墓に収めることにめちゃくちゃこだわるの日本人だけやぞ
そのこだわりのおかしさを指摘するような千の風になってとか流行ったのも外人からみるとあたりまえすぎて意味が分からんとおもう
あと人間とおなじアミノ酸でできた生物である場合は、肉を加熱してもなにしても感染力が消えないプリオン系の病気(狂牛病とかクロイツフェルト・ヤコブ病とか)に注意。(たぶん炭になるまで焼いたら感染力もなくなるが味もなくなる)
相手は狂牛病を克服してるかもしれないけどこっちは相手の体のどこに何がはいってるかわからんのだ
味なんて病気にくらべたら簡単に調べられるし再現可能なんだよなぁ
文化らしいことと言えば!
そうブクマたくさん欲しいというかブクマがたくさんつく増田を書くって言うことを私使命としてプロ増田を目指すことを今やすっかり忘れていた今日この頃いかがお過ごしですか?
もうさ、
私ちゃんと種まきやっておいたわよ、
久しぶりの増活!
私が納得するブクマ数までは達することまでには至らなかった火蓋を切って落とすわけには行かなかったんだけど、
私が私にくれたもの~
たくさんブクマのついた増田をみごと達成成し遂げることができて文化の日ね!お母さん!って堂々と言える事となったわけなの。
やっぱり普通の増田も書いておかなくちゃいけないことをすっかり
飛ぶことを忘れた鳥のように、
私は毎日何をやっていたの?って自問自答を連続飛び込み前転を行うように繰り返していたわけなの。
まあそれはともかく、
久っさしぶりに本当に久しぶりに
みかんの花咲く丘公園前駅の商店街のかつてはよく通い詰めていて久しくこの例のコロナのせいで時間も時短でよろしく出来なかった焼き鳥屋さんがあったのよ。
で久しぶりに行ったら、
お客さん今までに見たことないぐらいパンパンの満員でテラス席までお客さんがあふれかえっていて、
そのテラス席には急遽というか、
私も初めて見たんだけどそのテラス席!
それが吊して照明にしてあって明るいテラスでご機嫌さんたちが大勢だったわ。
私は幸いにして飛び込み前転で入店できたからか分からないけど、
その意気込みを買ってくれたのかは知らないけど、
カウンター角の席が空いていて、
マスター大将に目配せしてここに座るわね!って調子で座ったの。
私がいつも初っぱなにスタートダッシュで頼むスピードメニュー以外のメニューの焼き鳥串盛り合わせを頼んだけど
今日は砂ずりがないから豚バラでもいいか?って尋ねてくるじゃない!
待ってましたと言わんばかりに
いつも一緒のカード、
つまり串しか来ない盛り合わせと言っておきながらいつもの決まったスタイルのフォーマットの串が並ぶんだけど、
といっても事前にもう豚バラの串が来ることはあらかじめ分かっていたんだけど、
町田市のマンホールの焼き鳥の絵柄を思い出しながら食べる焼き鳥もまた乙よねーって
焼き鳥談義に花を咲かせていたわけなの。
ちょうど花を咲かせまくっていて花瓶を2つ目に交換して頂いたところで、
というか私も一人焼き鳥屋さんで活動できる活動限界時間ってのがあって、
とても一人で焼き鳥を食べ続けるジャンボ白田さんみたいなメンタルもないしうどん屋も経営してないし、
食べるもの食べて飲めるモノ飲んだらわりと潔くパパッと帰るって感じのスタイルなの。
うちは24時間営業です!って。
もうかつての調子を取り戻したかのように営業時間も絶好調ってわけなのね。
商店街の灯りもなんだか明るいような気がしてちょっと良いなって思ったのよね。
でさー、
文化的な話題をまた一つ歩織り込まなくちゃいけない文化の日の昨今。
私!
それはざる蕎麦に付いてくるワサビの使い方をどうやって食べるのが一番美味しいのか問題!
ツユにつけてとかしてしまうと全部わさび味のワサビになってしまうほど、
終始始めから終わりまで蕎麦を食べる味がまったくわさびの味しかしないのよ。
そこで、そこでよ!
盛られたわさびをちょいと箸でつまんでお蕎麦に乗せて食べるって方法!
わさびの風味をガッカリせずに勇気100パーセントで堪能できるの。
またわさび乗せで戻ってきたてもいいし、
その往復も自由自在なのよ。
だいたいの私ぐらいの頭の人が考えることはすでにローマの歴史を重ねてきた頃から道は一つに通ずるなんていうから、
きっとローマ時代のそば屋から開発されていたワサビのせの食べ方だったかも知れないけれど、
私はそれに気付いてしまって
なにこれ美味しいじゃない!って
文化の日にふさわしいなんか本当に文化的な話しで大変恐縮なんだけど、
いや~
この蕎麦のわさびの食べ方の最適解が出てしかも秀逸な再現可能な実験でもあるし、
つまりは誰にでもお勧めしうることが出来る可能性を秘めているから可及的速やかにできるだけ早く皆に知らせたいってことなのよ。
もうよく分からないけど俵万智か俵万智じゃないかって言われたら俵万智さんじゃないけど
こんな文化的なことがフィーバーする?って目を疑ってしまったわ。
とても文化的な日ね!
うふふ。
この殿堂入り感!
我ながら最強に美味しさが強まって美味しいわね。
なんかまたちょっと暖かくなってきてない?
ホッツもいいけど、
たまには冷たいものをと思ってレモン炭酸ウォーラーを切らしていてしまっていたので、
この時期追加でたくさん買うのは超中期的に見て躊躇してしまいそうよね。
なかったので、
にしました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
= (散布図を見ながら人力で推定する)
「人力で推定する」際の脳内の処理を何とか形式化すれば、まあ何とか許容できるものになるのでは。
= (散布図を見ながら人力で推定する)
「人力で推定する」際の脳内の処理を何とか形式化すれば、まあ何とか許容できるものになるのでは。
せめて、神託としてある程度でも当たっていれば面白いが、たった一週間後なのに4割以上外れたり、精度悪すぎ。
= (散布図を見ながら人力で推定する)
「人力で推定する」際の脳内の処理を何とか形式化すれば、まあ何とか許容できるものになるのでは。
インターネットでなんでも魚拓取られてしまう時代において、軽率・厳重含めあらゆる書き込みが一切残らないのは本当に素晴らしい。
もしも自分の考えがあとから変わっても「前こう言ってたよね?」と粘着される心配もナッシング
通常のツイッターであれば流石にアウトなことでもトランプ式ツイッターならオールオッケー。
個人情報を書こうがパスワードを書こうがスタンドアロン端末内で無へと消えるだけのデータなので何の問題もない。
過激な発言をした後に炎上してないか気にする必要はもちろんなし。
その上ナイスな発言をした後だってチラチラファボ数を確認してしまって時間を無駄にすることもなし。
ネットの書き込みに他人がどんな反応を返すのか気にしてる時間なんて人生の無駄でしかない。
トランプ式ツイッターはチラシの裏にポエムを書いてるだけなので時間の無駄と思う人もいるかも知れない。
でも違う。
書くことで人は初めて「これはもう忘れていい」と判断できる。
昨日見たドラマの感想や、一週間前の嫌な思い出、さっき思いついた寒いダジャレ、そういったものに脳のメモリを使っていては人生がゴミになってしまう。
「権威」という言葉に納得できないのであれば、われわれは、ある話題について、誰を、どの程度まで信じることができるか、という「実践感覚」を持って生活していると言い換えてもよいだろうか。
われわれは義務教育の教科書に書かれていることは概ね正しいと認識している。義務教育で教える内容はいわゆる「定説」として確立されたものであり、すでに複数の専門家による批判・検証を経て正統な保守本流の知識としての共通認識が成立したものであると理解しているためだ。初等教育過程で学ぶ知識の体系はほぼ権威による学びである。もちろん理科であれば実験をおこなうことによって、社会科であればフィールドワークを行うことによって、学んだことを経験によって確認する機会は設けられている。しかし学ぶ知識のすべてについてそのような検証を行うわけではない。教えられる知識が検証可能であることを示し正当性を担保するためと、検証する方法論を学ぶためである。
われわれは新聞やTVというメディアの情報が概ね信頼できることを知っている。しかし100%信頼できないことも知っている。各メディアごとに信頼度は異なり、同じメディアの中でも話題や分野によって信頼度が異なるという感覚も持っている。BBCやCNNのいうことは信頼できるがスプートニクや大紀元はトンデモだとか、岩波書店の出す書籍の内容は信頼できるが幻冬社の本は紙くずだとか、われわれはこのような無数の相場感覚、実践感覚を日々の生活で養いつつ、またそれを以って触れる情報の真偽のグラデーションを判断しているのだ。ここで見落とすべきでないのはそれら相場感覚、実践感覚はあくまでも「感覚」であって客観的基準ではないということである。
元増田への反論に論文査読や再現可能性、反証可能性を持ち出すのは筋違いの議論である。それらは原理的な主張としては正しい。しかしわれわれは全ての情報についてそのような判断をしているわけではない。例えば「SARS-CoV-2は空気感染する」という言説を聞いた時、それを主張する論文に当たり、誰が書いたものか、査読は誰が行ったか、それぞれの研究者の業績等を調べて真偽度を判定するというのは「原理的には」可能である。しかしそのようなことをあらゆる情報について行うことは余程の暇人でなければやっていられない。多くの場合はその分野の権威とみなされる研究者が論文に信頼性があると判断した(あるいは信頼性がないと判断した)という事実をもって自身の判断の参考にするだろう。すなわち権威による判断である。
初等教育で学ぶ知識の体系に照らして真偽を判断するということは可能であろう。しかし初等教育で学ぶ知識の体系というのは権威による学びであったことを忘れるべきではない。その知識の体系全てについて実験などによる経験として検証したと主張できる人は少ないだろう。(あとで、検証することが原理的に可能であるとしても)我々はそのように<権威によって>「定説」として与えられたものをもとに真偽を判断し、その真偽の判断が他の人の言説にどのように現れるかを以ってその人に対する信頼度を評価し、その信頼度においてその人の言説に現れた事象の真偽を評価するのである。そのような信頼と評価の積み重ねから真偽のグラデーションを判断する実践感覚が生まれているのだということ、多くの生活の場においてその感覚に依存しているのだということを忘れるべきではない。