はてなキーワード: リスペクトとは
多くの批判が寄せられている一方
医師などの診断で精神的な問題があると認められる場合ならば、ストレスを軽減する必要があるが
そうでないならば
いうことだとすると、選手は自分の都合で大会の収益システムの一部をボイコットすることになる
試合の獲得賞金を半額受け取る契約などを付帯すればいいのではないか
返上する賞金はスポンサーに分配して返金、もしくはスポンサーがOKなら他の選手の賞金に分配することでバランスが取れる
『試合をたくさんしたのに、会見拒否だけで半額はおかしい!』と言う方もいるだろうがそうは思わない
事前の取材を受ける、大会の放送に試合を流す、インタビューを受ける、大会主催のパーティーなどに参加するなどの行為全てに同意した上での報酬として賞金が設定されていること
そして、ここが重要だが、選手の活動とは別に多くのスタッフがスポンサー獲得に向けて尽力し、大会を設営し、その広報活動に従事し、放送局との調整、ボランティアの確保、会場の確保、警備、集客、アコモデーションなど様々な業務をこなしている
その上で優勝はじめ優秀な成績とメディア露出を果たした選手への最大のリスペクトとしてスタッフの年収の数十倍から100倍にもなる高い報酬が設定されている
その上で
選手の努力や技術と、スタッフの作業はイーブンな関係にあると思う
選手の高いパフォーマンスが無ければ試合は成り立たないがしかし、大会関係者の尽力がなければ大会は開催されないか、もしくは賞金のないアマチュア大会になるだろう
ならば関係はイーブン
手に入れるのは名誉のみでもいいはずだ
名誉は欲しいがスポンサーメリットを確保する行為は不参加だと言うなら半額の賞金を受け取る契約で試合に出れば良い
名誉が手に入れば
個人へのスポンサーは獲得できて収入は確保できるし、返上した金額を分配する事で、大会側の損失も補填することができる
誰を責める事もなく、選手の精神状態にも配慮しつつ問題を解決する事ができる
そこに関係するどのスタッフの生涯賃金にも登る数億円の報酬が手に入る
主催者や大会スタッフ、スポンサー企業のスタッフたちも、あらゆるストレスと戦いつつ職務をこなしている、全ての職務がストレスなく精神状態をキープできるものではないと思う
そんな中、年に一度行われるビッグイベントにおいて選手だけがストレスを理由に職務を拒否することは、フェアではないし、それが許されるならどんな仕事も『これは精神的な健康によくないからやりたくない』と拒否され成立しない
懲罰的な意味合いではなく、収益などに対する仕事量として、競技力を高め、試合で発揮することとメディアの露出はそのくらいのバランスで成り立っていると感じる
最低限のラインがどこにあるか、が全員同じでない限り、誰かがストレスを処理しなければ世の中は成立しないし
という話は高額な報酬を手にする立場では簡単に処理できるものではない
その報酬を手にできる『理由』が自分のみの経済活動の結果ではなく、あくまで『楽しいスポーツ』をプレーしていたら
「ストレス」と戦いつつも職務をこなして、自分よりも遥かに低い報酬でその報酬を獲得する努力をするスタッフや大会関係者の尽力により用意された報酬にたどり着いただけ
『スポーツが上手い』
それだけで手にできる報酬などどこにも無い
『理解が足りない』と誰かを責めることも
どちらも不毛な争いだ
仕事の作業量と報酬を巡るシンプルな契約の問題であるべきだと思う
もう一度言うが
この世の中に『スポーツが上手いだけ』で手に入る報酬は存在しないのである
スポーツが金を産むのではない
そこに携わる全ての人の『業務』により
そしてこれは私見だが
自分自身の感じる
『ストレス』も同じく
みんなでシェアしつつ、思いやりつつ
争わず軽減していければいい
そう考える強さもアスリートとして、タレントとして持ち併せたいと思う
https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=10226286385974717&id=1493110918
私は甲子園の開催がオリンピックと比べて明らかに感染拡大リスクが低いとは思わない。
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/573544
京都市は30%
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0897e2e23c30d2a49ce3d0a694ed5e91d4277f8
山形県内は4割超
https://www.minyu-net.com/news/news/FM20210530-620798.php
会津若松市は45%
例えば3人家族だとして、3人は家庭以外のコミュニティにそれぞれ3つ所属しているとすると(仕事関係や友人関係など)1家族あたり9の異なるコミュニティにウイルスを運ぶ可能性が生まれる。
一方でオリンピックは選手、関係者はそれぞれの日常生活とは全く別の生活を送ることになるため所属するコミュニティとも分離された状態にある。そのため複数のコミュニティへウイルスを運ぶリスクは少ない。
しかも、来日時に複数回のPCR検査を要求していて、さらにワクチン接種もする予定。
選手間で感染爆発が起こるとは考えにくいし、そもそも選手はオリンピックに来て競技前に感染してそこで終了なんて馬鹿げたことが起こらないように注意するだろう。
(選手やコーチなど関係者が持ち込むはず、みたいな意見はリスペクトを欠いているどころか差別的ですら思える)
対して国内在住者だけで行われる甲子園はこれから地区予選があり、それぞれの都道府県内での移動が何度となく行われる。
本大会では甲子園周辺に集結して地元に戻るし、勝ち進むと地元と甲子園を複数回往復する場合もある。
予選から本戦決勝までの選手や関係者ののべ国内移動距離はオリンピックより長くても驚かない(というか間違いなく甲子園の方が長いでしょう)。
日本ではここまで感染拡大を防ぐため移動は減らしましょうとやってきて、甲子園は関係ないよとどうして言えるのだろうか。
蛇足だけど、コロナ以前はオリンピックの熱中症対策はどうなんだと話題になっていたけれどそれは甲子園も同様で、給水タイムは設けたけれど真夏にやらなきゃいけないのかとも思う。
あんま興味を持ってないあっぱらぱーなので用語が間違ってたら文脈で判断してほしい。
外国だと実は自分は6歳の女の子ということに気づいて離婚した子持ち男性、みたいなのも目に触れた。
実は猫です、みたいなのも。
個人的にややこしいし糞めんどくせえ…と思っている。
人付き合いが嫌いなので、外見で大体あたりがつくこと(性別、年齢)だけでなく想像できない内面的な要素まで考慮しろなんて言われたらますます引きこもりボッチが加速する。
いや、今とそう変わらんか。
そしてふとわいてきた疑問。面倒な書き方をするとこう。
————
生まれてから7年目、生まれ持っての身体性別は女のA。しかしAは自分は本当は36歳の大人の女性で、セックスが大好きな人間だと気づいた。
幼女にしか性的関心を抱けない、生まれてから36年目、生まれ持っての身体性別は男性B。彼は性的関心を抱く対象が幼女なことを自覚し恥じており、それを表に出そうとは決してしなかった。
A曰く、Bはセックスの相性がとてもいい。それに自分をリスペクトし対等に見てくれるからこちらも彼をリスペクトしている。見かけで判断せず、内面を見てくれた彼のことを世界で誰よりも愛している。彼と共に幸福になりたいし、不幸なことも彼と共に立ち向かい、乗り越えていきたい。
B曰く、自分は幼女にしか性的欲求を抱けないのかと思っていた。Aのことも初めはその肉体からそう見ているのだと言い聞かせ距離をおこうとしたが、彼女の理知的な言葉、何より内面を知り自分は彼女と結ばれるためにこの世に性を受けたのだと理解した。はじめて対等に大人の女性を愛することができ、その愛するAを自分は生涯をかけて幸福にする。
————
36歳×7歳。
この婚姻を認めろと言って素直に認められる人は限りなく0に近いと思う。
法律的に問題ない国があり、そこで実際に婚姻が行われることがあったとしても、少なくとも日本人の我々は「人身売買」のような文字が脳に浮かび、本能的に嫌な感じがするだろう。
じゃあ。
36歳×36歳。
どちらかが既婚者であるとか、そういう問題はないとして。どちらも未婚であるとして。
「いいんじゃない? つか許可とろうとすんなよ。いい年しといてさ。おめでとさん」
基本こうだろう。
自認を優先するとこういう問題も起こると思うんだよな。
流れてくるニュースがどうしても強者とされてきたものの自認が弱者側だと気がついた、ってものだから。
例えば、性同一性障害の人に「それは思い違いじゃないか?」「ただ単に変わった自分を演出したいだけだろう?」「そんなのは間違っている、あなたの性別は生まれもっての肉体的な性別である男or女だ、冷静になりなさい」なんて言ってみたらどうなるか。
確実に大バッシングだし、「○○の□□な発言に抗議します」なんて署名が瞬く間に10万人突破しましたツイートがあちこちでされるだろう。
けれど、AとBに対しては同様の発言がAの保護のために許されるし(せいぜい違いは生まれ持っての性別が生まれてからの年月になるくらいだろうな)、Bにはロリコン、性犯罪者、虐待、その他もろもろの中傷はそれこそ10万単位だろう。
「Bに対する厳罰を求めます」「性犯罪の刑罰の厳罰化を求めます」なんかの署名が雨後のなんとやらだし、「7歳の女の子との婚姻を求めるBって誰?本名?家族は?? 調べてみました!」なサイトもほにゃららな筍なんだろうな。
Aの心は無視して、愛する人が犯罪者であるという前提で話が進んでいくのが彼女をどんな気持ちにさせるかを考えないで。
気になるんだよな。
無理だ~~~~。
これは無理。
マジ、無理。
可愛いキャラと仲良くするだけのゲームならいけるけどケッコンはかなり無理だ~~~。
つうか異種姦じゃん?
いや本当マジで無理これだけは無理ありえない。
そもそも艦これでも思ったんだけど職位を利用して立場によって相手を惚れさせて結婚させるって流れがもうキモすぎ。
オタク向けアニメやゲームだったら定番の展開ではあるんだけどさぁ……勇者さまぁ~~ん♡って奴……。
たとえば盾の勇者の成り上がりとかまさにこういうのだったよねえ。
立場を利用して生まれた勾配に恋愛感情が滑り込んできて相手が勝手に股を開いてくるのは……いやマジでさ……キッツいよ……。
つうかこれぞまさに原作レイプじゃないの?
広告代理店で働く大部分の人は、Twitterなどで見かけるようないわゆる"Evilな広告代理店"像とはかけ離れた環境の中で働いている。むしろ、悲しい局面も多くあり、今回はそれを「コンペ」という視点で書いていく。
どの業界でも発注先を検討する際にコンペティションをすることはあると思う。広告代理店も事業主側から、プロジェクト単位や年単位など開催されるコンペに呼ばれることがある。大体のケースが、クライアントからのオリエンテーションの後、TVCMやキャンペーン企画などのクリエイティブやメディアプランを提案していく。*代理店でいうコンペは、提示された予算に対しプロモーションプランをかなり具体まで詰めて提案することを指す。
そのため、ほぼすべての提案がオートクチュール的というか、クライアントに合わせてすべてカスタムメイドする。予算単位が大きくなればなるほど、関与する人は増えていく。大きな提案になると、営業、クリエイティブ、メディア、PR、デジタルプランナー、タレントキャスティング、プロダクションなど数十名にも及ぶ大チームで、100枚・200枚を優に超える資料で提案することもザラにある。TVCM企画1本の提案でも、2〜3名でチャチャっとできるものではない。
コンペフィーが支払われることも稀にあるが、言葉通り稀なので負けた場合は赤字になる。参加している以上、負けて赤字になるのはしょうがないことだが、アイデアだけ使われてしまったり、クライアントサイドも2〜3社であればまだ良いものの10社近く声がけしていることもあり、フィードバックもロクにもらえないこともある。
アイデアやそこにかける時間やリソースにお金が支払われず、リスペクトがないのはとても悲しい。
これは、デジタル広告の代理店にある話だ。そこでも上記に書いたようなコンペが行われるが、いわゆる電通博報堂と言われる総合代理店と違い、デジタル系代理店のコンペは「コスト効率」でほぼ勝敗が決まる。まず、デジタル領域のコンペは近年「クリエイティブ無償化」というのが主流になりつつある。配信するバナーや動画の種類が多ければ多いほどABテストもでき、コスト効率が改善されるため、"本数"が重要になるからである。まず、制作する人がいるのにコストが支払われないというのが悲しい。
また、数年前からゲームなどのドメインも持つA社を筆頭としたメディアマージンの値引きが常態化している。(片手%以下のマージンを提示することも珍しくなく、資本力ゆえなのだが独占禁止法に抵触しないのだろうか?)値引き合戦とセットで、クライアントからのマージン開示要求も年々強くなっている。開示することでさらにコストが買い叩かれるという構造である。デジタルといえど、裏側では、分析やオペーレションを行う人が多くいることを考えるとリソースが買い叩かれるのは、とても悲しい。
※注
もちろん、良いクライアントもおりコンペフィーが支払われフィードバックも丁寧で、代理店に適正な費用を払ってくれているところもある。
剣と魔法の世界観な戦略シミュレーションRPG
豊富なシナリオとオンライン対戦にも対応しているのが特徴
今回紹介する中で一番オススメ
マリオライクな横スクロールアクション
追加ステージをダウンロード可能で非常に長く遊べる
世界観はメトロイド、操作感はテラリアと表現したらわかりやすいかも知れない横スクロールアクション
ちなみにテラリアよりも歴史が長い
マリオカートライクなパーティ系カーレース
マリオカートリスペクトなゲームの中では完成度が高い
世代的にはマリオカート64が元になっているようだ
オープンソースで開発されているFPS
比較的低性能なマシンでもサクサク動くのでノートパソコンでも問題なく遊べる
結局は社会の仕組み・お金の仕組みを知らなかったのでイイようにやられてしまいました、ってことなんだろうけれど。
まあまずそもそも芸能界の話なんてフィールド自体が庶民から隔絶浮遊しているところだからね。
"庶民感覚"(笑)で訴えかけようとしているのがまず第一にゲスというか、都合がいいというか、創業株主とおんなじくらいイノセンスな強欲じゃね?ってとこ。
で、大抵こういう話になると、庶民感覚(笑)で煽動された頭でっかちの庶民様が、仕組みがおかしい仕組みがおかしいって話をするんだよね。
ワクチンなんかでも繰り返されているけど、ではその仕組や構造がどうして出来上がっているのかっていうことに対するリスペクトがないわけよ。
普段はインフラ系で問題なく動くのが当たり前で問題が起きたら一斉に叩く"庶民"に猛烈に怒るくせにね。
結局自分の立場でしかものを考えられないから想像力や他者存在の仕組みや理屈を理解できない。
当たり前に動いてきた秩序に功罪があって、
みんな罪の部分が浮き上がってすぐにそこだけ目を向けて一斉に叩き始める。
そうなると罪を叩くことが目的化していて、
当たり前に動かす仕組みを構築してくれている功の部分を全く無視することばかり起きるんだよね。
リベラル系の恐ろしいところは罪破壊を原動力にしているところなんだよね。
功を求めて組み立てることをしない。
そもそも、今回っている社会の仕組みを理解しようとすらしない。
その仕組を下地にしなければ罪の改善もうまくいくわけがないんだな。
アプリ版は下手にいじるとバランス損なうし混乱するからしばらくこのままでいいと思う。
アニメ・漫画には多少物足りないところがあるので提案してみたい。
スペちゃんは二人の母が居たが、実質ウマ娘(アプリ版)にも二人の母が居るようなもので。
オリキャラで二世、三世と紡いでいく時に、なんかぼんやりした存在の父親と実母、因子母の3人から生まれ、因子母と実母の絆が子供に影響あたえるみたいな。
各チーム個性があり、それぞれ敵対しながらもリスペクトしているいい関係だとは思うがぬるい。
ここは多少不自然でも、悪のウマ娘組織(学園)を登場させるなりして、チーム対抗戦をやる。
パラレルワールド的な話でもいい。シン・ウマ娘として、スピカ、リギルその他チームの精鋭や、他のウマを勝たせるために、大逃げしてペースを乱す師匠とか色んなウマにスポット当てつつ、努力友情勝利。
競馬には必要不可欠な存在。現状、トレーナーからの指示やアドバイス、本人の作戦観などで多少は補強されているが弱い。
また、一部(ズっ友コンビ)を除くウマ娘にとってレースが孤独でありすぎる。それはそれでもいいが……。
物理的に騎手を載せるなんて無理なので、浮遊する妖精をパートナーに着けるなど考えたらいけるかとも思ったが、ファンタジーが過ぎる。
唯一の打開策は、小動物(しゃべれる)を頭にのせたりポケットに入れて支持を仰ぐことであろう。
ねずみとかが適任だと思う。
どういうことかというとネットのコメント文化というのは元となる記事があってそれに対してコメントがつくものだ。
最近では記事そっちのけでコメントバトルなんかが常態化しているが、おおもとにあるのは記事である。
そこで、ある本を読了したあと、その本にまつわるコメント・レビューを読んでみるのだ。
これが面白い。
特に、しっかりした内容であれば批判コメントもものすごく参考になる。
自分はこの本は面白い、一気読みするくらい良い内容だった!と思ってても、
鋭い批判コメントを読むと、ああなるほど確かにその部分の言及が足りなかったかもなあ、と思い、
今度はその足りない部分に言及している本が読みたくなる。
本棚にあるずっと昔に読んだきりの本についても、コメントを読んでるとまたもっかい読んでみたいという気になる。
コメントを読むのは楽しいけれど、結局おおもとの記事なりコンテンツなりがしっかりしてないと、
コメント文化ってのはコメントそれ自体では成立しないとつくづく思った。
最近のコメント文化は元記事へのリスペクトそっちのけで自分の意見をコメントで主張してそれをやりとりするだけではと感じてもいたので、
この体験は良かった。
というか、コメントを読む時間とコンテンツを読む時間ならコンテンツ>コメントが通常であるはずなんだから、
その人のコメントばっかり追うよりは、
そのコメントを寄せている人のブログなりなんなりの方が魅力があるのではないか。
そう考えるとコンテンツって作るの難しいよな。ブログだって継続が一番難しいと言うし。
こうした編集のような手が加わったコンテンツとしての手応えが得られないからなのかな。
となると一応の結論としては、身銭を切るなどしてコンテンツへのリスペクトを形にしないと、
体験は充実化されないのかもしれない。
ホモソーシャル・マッチョな文化になじめず、不登校で引きこもっていた。情報探索処理能力がたりないのでオタクにもなれずにいた。
そんな中で昔フェミニズムの本を読んでちょっぴり救われたり、好きな音楽を抱きしめながらなんとか生きていた。
弱者男性論がホットエントリに盛んに上がってきているのは意識してはいるけど、丁寧に追っかける物理的、精神的な余裕もない。
一言で弱者男性といっても定義は定まっていないみたいで、結局のところ何がどうなれば多少なりとも救われるのか、一人一派なんだよね。
ソーシャルメディアでひとりひとりが個人の主張をできるようになって、それは民主的である一方、議論があまりにも拡散している。
おれは頭が悪いのでそろそろ「バリバラ」で取り上げてくれないかなと思う。
バリバラといえば、この前、LGBTQ×障碍者のことを取り上げていて、温度差が人それぞれ違うのでリスペクトしようっていうような趣旨だった。
よくわかるんだけども、それを言い出すと世界には76億通りの自己認識があるので、頭がパンクしそうになる。
弱者男性とかフェミニストとか非モテとかは音楽のジャンル分けに似ていて、これはロックだジャズだ、いや違うみたいな論争がバカバカしい一方、ジャンル分けは他者とのコミュニケーションでは便利なツールでもあってモヤる。人間の脳はまだすべての個人を個別に認識するまでは進化していない。
一生この人のオタクなんだろうな、と思っていた。
そんな事はなかったよ。
8年間の供養の日記。
転機があったのは2020年。
この3つのコンボで、自分は8年続けた声優オタクをやめる事が出来た。
起きる直前に見た夢が悪夢だったときのような感覚で、幸せだったときの事を、もうあまり覚えていない。
自らに厳しく、仕事とプライベートを分けて考えられる人なんだ、好きだなぁ、と思っていた。
が、そんなものは幻影だった。
自分はリアコではなかったが、彼の惚気は心底きつかった。
SNSで尊いと言われているのを見たが、反応しているのは大概DDだった。
それに全く気付いていない彼を見て、失望してしまった。ファンのことなんか何も見てなかったんだなと思った。
ファンはひっそりと減っていった。
彼はゲーム実況を始めていた。
正直言って彼は話がつまらない。気も利かない。ゲームも上手くない。
そんなのはとっくに知っていて、むしろ口下手なところも応援していた。
だが、時代の波に流されて、能力に見合わない仕事に適当に手を出す、
彼のその自己理解の低さと自己プロモーション力の無さにまた失望してしまった。
ファンのことを見ていない割に、視聴者(ファン)に頼った仕事だった。
彼をリスペクト出来る点が、日に日に減っていった。
ファンはどんどんいなくなっていった。
彼を非難する声も多々上がるようになる。
そんな中声を上げているファンがいた。
『彼のやっていることは正しい!応援できないってどういうこと!?他の声優なんかよりもっと魅力的!』
もう一時でも、こんな界隈にいたくなかった。
オタクが故に応援は止められない、対象の魅力がなくなっている事を受容れられない、そんな状況が彼女をそうさせたのだと思った。
私は彼のファンを止めた。
生活の視野が広がった。今までは無意識に、彼以外のことを見ないようにして生きていたんだと思った。
今までだったら絶対にやらなかったことに、挑戦出来るようになった。
8年間のオタク活動、楽しかった思い出が確かにあるはずなのに、今となってはあまり思い出せない。
これが引き際を間違えたオタクの末路なのかもしれない。
追記(2021/05/13 22:43):関係ない方の名前が上がっていたので補足しておきます。ここで言う彼は先日テレビで激辛料理にチャレンジしたそうです。
REOTOY
アイアムマンやためにならないより玩具会社にリスペクトが感じられる
レオンちゃんねるやオタファほどテンションが高くないし岩下スティーブンより上品
ボドゲもやる
4ST
レトロゲーがらみのバラエティ動画をクッソ高いクオリティで投稿する謎の男
本当にクオリティがクッソ高い
いやまじで
TVのお陰で若者にもラップが広く認知されるようになったけど、結果として日本のHIPHOPシーンはMCバトルとそれ以外に二分化した。
二分化っていうのはラッパーではなく、ファン層の話だ。(ある程度知名度のあるバトルMCならちゃんとクラブイベントに呼ばれてるし、バトル出身で売れたラッパーもいる)
二分化とは"MCバトルを見る層"と"音源を聞く層"のこと。普段バトル動画を見てる人は音源を聞かないし、音源をチェックしている人はバトル動画を見ないという状況になっている。
バトルからHIPHOPを知って音源も追うようになったファンもバトルMCの音源を聞いているわけではない。
なぜならバトル動画の再生回数はえげつないのに、そのラッパーのspotifyの月間リスナーはかなり少ないということがザラにあるから。
"MCバトルを見る層"と"音源を聞く層"が被っていないからこういう現象が起きる。音源を聞かない人々への知名度が上がってるだけだ。
一つ目はYouTubeにMVをアップしても検索上位がバトル動画に占領されて音源を聞いてもらえる機会を損失する。バトル動画は急上昇にランクインするレベルで再生数を稼ぐのでどうしても上位に掲出される。
二つ目は(これが一番大きい)"MCバトルを見る層"に見つかってしまうことだ。この層はネットミームを動画のコメント欄で展開したり、平気でSNSで動画を違法転載したり、ラッパーにしつこく同じコメントを送ったり、バトルで失敗したラッパーをこき下ろしたりする。"MCバトルを見る層"は音楽が好きなわけじゃないからラッパーへのリスペクトを持っていない。だから恥ずかしげもなくこういうことをする。
リスク覚悟で地上波を舞台に戦ったラッパーにはリスペクトしかない。また、それでお金を稼げているなら続けてもなんの問題もない。
TVのお陰で若者にもラップが広く認知されるようになったけど、結果として日本のHIPHOPシーンはMCバトルとそれ以外に二分化した。
二分化っていうのはラッパーではなく、ファン層の話だ。(ある程度知名度のあるバトルMCならちゃんとクラブイベントに呼ばれてるし、バトル出身で売れたラッパーもいる)
二分化とは"MCバトルを見る層"と"音源を聞く層"のこと。普段バトル動画を見てる人は音源を聞かないし、音源をチェックしている人はバトル動画を見ないという状況になっている。
バトルからHIPHOPを知って音源も追うようになったファンは少数派だろう。なぜならバトル動画の再生回数はえげつないのに、そのラッパーのspotifyの月間リスナーはかなり少ないということがザラにあるから。
"MCバトルを見る層"と"音源を聞く層"が被っていないからこういう現象が起きる。音源を聞かない人々への知名度が上がってるだけだ。
一つ目はYouTubeにMVをアップしても検索上位がバトル動画に占領されて音源を聞いてもらえる機会を損失する。バトル動画は急上昇にランクインするレベルで再生数を稼ぐのでどうしても上位に掲出される。
二つ目は(これが一番大きい)"MCバトルを見る層"に見つかってしまうことだ。この層はネットミームを動画のコメント欄で展開したり、平気でSNSで動画を違法転載したり、ラッパーにしつこく同じコメントを送ったり、バトルで失敗したラッパーをこき下ろしたりする。"MCバトルを見る層"は音楽が好きなわけじゃないからラッパーへのリスペクトを持っていない。だから恥ずかしげもなくこういうことをする。
リスク覚悟で地上波を舞台に戦ったラッパーにはリスペクトしかない。また、それでお金を稼げているなら続けてもなんの問題もない。
英語圏SNSと比較してやっぱ明らかに日本は外れ値なんじゃねと思うのは
とくにネットに常駐してるインテリがあまりに「スポーツ」の価値を軽視してること
はてな民はオリンピック決まった当初からアホが勝手にやってる迷惑な大運動会みたいに言うやつばっかりだったが
英語圏のインテリで表立ってそういう論調もってくるやつなかなかいないんだよね
何人か知り合いの研究者と話した感じでは、スポーツに対して基本的に大学の基礎研究ぐらいの価値を認めていた
いやむしろ逆に欧米圏というか特に欧州でスポーツの政治的・社会的地位が高すぎるというべきなんだろうか?
逆に体育会系っぽいやつらがインテリ馬鹿にしてるのは大して変わらない感じもある(これは単にSNS眺めた上での感想)けど
それに対してインテリがスポーツを馬鹿にするみたいなのはあんまり無いんだよなあ
まあ良し悪しはあるけど
別にこの親子のやりとりはあってもいいしよくある普通の家庭の会話だと思うけど、子供の方が絶望的に頭が弱くてそれを市井の賢者が見出した真実かのように世界に向けて大発信しちゃったのがダメで、それに共感して賛同しちゃってるお前のようなやつもダメってこと。この母親くらいの言動は教養のない家庭では普通だと思うからそこは責めてないよ。要は家でやれってこと。
あと、毎日多くの書き込みがされて賑わっているWebサービスを便所の落書き呼ばわりするのは、あまりにもはてなの技術者たちにリスペクトがなさすぎない?相当失礼なこと言ってる自覚ある?
中には元増田みたいに酷いこと書く人もいるけど、名前を出して書くのははばかられる内心の吐露や、書くことで攻撃されかねない弱者側から見た現状などを共有するサイトとして、犯罪予告などに使われない程度に治安を守りながら、うまく維持してくれて運営には感謝してるよ。増田がなかったら知ることさえできなかった異なる立場の意見も多いしね。