はてなキーワード: まあみとは
引っ越して1年くらい、引っ越しの挨拶のときに説明されたゴミ捨て場を使ってたら、先日清掃事務所の人が来て、今度から家の前に捨ててくださいって。
最近ゴミ捨て場が荒れてるから片付けたり掃除したりしてたりしてたのが気になってたけど、もしかして犯人扱いされた?
というのも、清掃事務所の人がくる2週間くらいまえに、わたしがゴミ出ししようとゴミ捨て場にいったらちょうど男の人が出てきて、ゴミを捨ててから家に入るまでずっと見られてたんだよね。
なんだろうと気になっていたけどこれで確信した。
聞くところによると、家の前のゴミ置き場は集積所としての看板を出すわけでもなく、我が家と隣の家の人だけがゴミを置いておくらしい。
言われてみるととある一角だけ妙に玄関前にゴミ箱が並んでる家が多かったけど、集積所トラブルがあってのことだったのかもね。
うちとしては目の前に捨てられるようになるので、カラス対策のネット上の袋だけ買ってむしろ願ったり叶ったり。
それで先日、もともとのゴミ集積所を覗いてみたらゴミ散らかりっぱなし。
これには悪いけど、めちゃくちゃ心のそこからざまあみろって言葉が出た。いやさすがに声にはしなかったけど、家に帰ってから思い出して声にした。今も増田書きながらした。
犯人扱したあの男の人、今頃どんな気持ちなんだろう。ねぇどんな気持ち?
前回はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20200911202150
精神的に不健康な作品・コンテンツの例として、青年向け漫画も取り上げる予定だった。もつあきさんと無望菜志さんと朝凪さんを取り上げようと考えていた。
迷った挙句に書かないことにした。男性しか読んで楽しめないものは書くべきではないと考えたからだ。かといって、私がボーイズラブの世界に足を踏み入れるわけにもいかず。
その代わり、ブクマコメントで要望のあった、精神的に健康なコンテンツを取り上げてみようと思った。
各編ひとつずつ選んで紹介する。ひとつにつき1000字程度。たまにネタバレをする。
久しぶりに読み返して、精神的に不健康な作品ってそもそもどんなものなのか?と自らに問いかけることになった。
これは面白い。「何も聞かずに読んでみて!」と無条件で人に勧めることができる数少ない漫画だ。
火の鳥。生き血を飲むと不老不死になる。彼女(?)は人間世界を見守っている。たまに人間に捕まえられて血を取られたり、稀に自分から血をあげることもある。その血を巡ってドラマが繰り広げられる章編もあれば、そもそも生き血を飲みたいという展開のない章編もある。
精神的に不健康な描写が数多くある。不老不死がテーマなだけに理不尽な死も多い。エロもあるし、グロもある。昔の漫画なのでよくない言語表現もある。
でも、読んでいるうちに何が何だかわからないまま時間が経って、読み終えると心が静かになっている。何も考えられない。心が作品に持っていかれる。
前々回の記事で、『完全なる経営』から読み取ることができる、精神的に健康な人間の要件として以下の5つを挙げた。
・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる
・夢中になれる物がある
火の鳥に出てくる主要人物は、このいずれかを必ず持っている。持っていないこともあるが、成長とともに持つようになる。
どのシーンも主人公に厳しい。安息の時はない。あったとしても理不尽に打ち砕かれる。各編の主人公には欲しいものや、なりたいものがある。それらを目指して戦い続ける。
彼らが生の終わりを迎えた時、死の跡には必ず何かが残っている。
精神的に健康/不健康な作品を分かつものは、破壊と創造のバランスなのだと思う。精神的に不健康な作品やコンテンツは、最後は何かが崩壊して終わる。対して、精神的に健康な作品というのは、最後に何かが創造される。
物語の過程で、登場人物が絶えず営為を繰り返している。だから読者の心に爪痕が残る。
精神的に健康になりたいのなら、土日の朝にやっているアニメを見るのが近道かもしれない。
人として正しい道へと導いてくれる作品が多い。
プリキュアはその筆頭だろう。プリキュア作品を見た児童は、正しい人格の在り方や、仲間のために何をしてあげればよいか、敵に対してはどのような態度で接すべきかなど、社会生活を営むうえで大事なことを学べる。
大人が視聴すると、忘れかけていた大事なことを思い出させてくれる。
今やっている『ヒーリングっどプリキュア』だと、15話がよかった。のどかとラビリンがあることをきっかけに喧嘩となり、冷戦状態になる。なんというか、リアルなのだ。ラビリンが問題行動を起こすきっかけも、のどかが怒った理由も。ケンカ中の態度も。
イザという時にケンカが裏目に出てしまう。信頼関係がなくなったせいで〇〇に失敗する。
ラテの仲介によって二人は仲直りするのだが、これもまたリアルだ。現実でも、こんなやり取りを見たことのある人がいるのではないか。
創作の世界に生きている人間を、現実に生きているように描く。これができるのは一流の作品だ。当たり回はいくらでもある。騙されたと思って是非視聴してほしい。
(余談)
大人が児童向けアニメを見ても面白くないという意見もある。特に作画。児童向けアニメというのは、1年間放送する関係で1話当りの予算が少ない。作画がよくないイメージが強いのではないか。
その点は安心だ。ハートキャッチプリキュア!の辺りから予算が上がっている(ような気がする)。それまでのプリキュアシリーズというのは、月に一度は作画が崩れてプリキュアの顔がおっさんになるという事態が生じていた。
いい時代になった。ただし弊害もある。スタッフがお気に入りのプリキュアが贔屓されるようになった(※今は特定のキャラが贔屓されることはない)。個人的意見になるが、キュアムーンライトの変身時の作画枚数が少ないのは、キュアサンシャインの変身バンクを盛大にするために暴走したスタッフのせいだと思っている。
プリキュアシリーズがたくさんありすぎて選ぶのがしんどいと思われた貴方には、私が選んだ大人向けのプリキュアを紹介させてもらう。作品紹介は最小限に留めている。
キャラデザは子ども向け。物語はシリアス。ファッションショー回にスタッフの愛を感じる。
本物の友情を描いている。硬派で軟派。中学生なのに色気がある。
男の子向け? 保守寄りの価値観をベースにしている。お笑い描写に定評がある。
★Go!プリンセスプリキュア(2015年)
誇りや気高さ、心の強さを描いている。みんな大好きキュアトゥインクル。
少女の友情がメイン。スイプリに比べれば甘々な感じ。最後の方は泣ける。
フリーゲームだ。一時期話題になったので知っている人もいるだろう。
主人公やヒロインは、病気や障害を持っている。主人公である中井久夫は、ある時に心臓病であることが判明し、30まで生きられるか怪しいという状態で物語がスタートする。
ヒロインの障害は様々だ。目が見えない子、話すことができない子、足がない子、手がない子、火傷のある子……。
この作品の、いったい何が精神的に健康なのかといえば、キャラクター同士の人間関係の深みを追体験できることだ。
外国人の有志が作ったゲームなので、そのあたりの深みはとんでもない。愛情で繋がるシーンが感動的なのと同じく、信頼が消えるシーンもまた同じくらいの衝撃で心を抉ってくる。
笑美のルートがよかった。外国人から見たときの模範的な恋人同士ってこうなのかな、というのが伝わってきた。個人主義・秘密主義を貫いていた笑美が、心の弱さを久夫に見せられるようになる過程に癒された。
テキスト量が凄まじいゲームなので、ホームページを読んで感じるものがあった子をプレイするのがいい。
某動画サイトではお馴染みのシリーズであり、2011年頃までは定期的に動画投稿をしていた。
このシリーズは、各作品の制作時期によって印象がてんで異なる。
初期の作品は見るに堪えない。まさに精神的に不健康だ。理不尽な死は基本であり、人権侵害を地でいっている。実際に見てみるのが一番早い。
初期に投稿されたのは、邦子が子どもの頃に作ったと思われるものだ。キャラクターはとりあえず雄叫びを上げ、とりあえず戦闘に突入し、とりあえず死ぬ。そんな作品としか言いようがない。ただし、作者のセンスが飛び抜けているので結果的に面白いストーリーになる。
邦子が大人になってから作ったと思われる作品は、初期のものとはまるで違う。理不尽な死が基本であるのは変わらないが、以下の特徴が挙げられる。
・視聴者のテンションの変化を読んでプロットを組んでいる。ハリウッド映画を研究している。
・真面目でひたむきなキャラが無残な死を遂げるのが減った
高橋邦子は大人になってしまったのだと思う。新しめの作品を視聴すると、このことがよくわかる。
精神的に若くないと、ああいう作品を作るのは難しい。例えば、会社員として適合してしまうと、そっち方面のアイデアが湧いてこなくなる。
これまでに30ヵ国語以上に翻訳され,1000万部以上を売ったとされる。架空の町マコンドの創設から、その滅亡に至るまでのブエンディア一族の歴史が描かれる。
ブエンディア一族は、みな自らが決めた使命や、本能のままに生きている。長生きした者もいれば、短命だった者もいるが、誰一人例外なくキャラクターが濃い。
キャラの立ち方について、「根が明るい」とか「聡明」とか「向こう見ず」とか、そういう言葉で表すのではなく、具体的なエピソードで表現している。
読了後は放心状態になる。静かな気持ちの中で、この本を選んでよかったという感慨を得ることができる。
大衆向けの作品でありながら純文学でもある。思わず吹き出してしまうシーンもあれば、「お前ここで終わるんか…」みたいに物悲しいシーンもある。
一番のおススメは文章だ。一文字一文字が読書中の脳に突き刺さる。以下の例はほんの一部だ。
屋敷のなかが恋であふれた。アウレリャノはその恋心を、初めも終わりもない詩にうたい込めた。メルキアデスからゆずられたざらざらの羊皮紙や浴室の壁、自分の腕にまで詩を書きつけた。あらゆるものに、変身したレメディオスの姿を認めた。午後二時の睡魔をさそう風のなかのレメディオス、薔薇の穏やかな息遣いにつつまれたレメディオス、蛾の浮いた静かな水時計のなかのレメディオス、明け方のパンの匂いにただようレメディオス。いたるところにレメディオスがいた。永遠に変わらぬレメディオスがいた。 P.73
ホセ・アルカディオが寝室のドアを閉めたとたんに、家じゅうに響きわたるピストルの音がした。ひと筋の血の流れがドアの下から洩れ、広間を横切り、通りへ出た。でこぼこの歩道をまっすぐに進み、階段を上り下りし、手すりを這いあがった。トルコ人街を通りぬけ、角で右に、さらに左に曲り、ブエンディア家の正面で直角に向きを変えた。閉っていた扉の下をくぐり、敷物を汚さないように壁ぎわに沿って客間を横切り、さらにひとつの広間を渡った。大きな曲線を描いて食堂のテーブルを避け、ベゴニアの鉢の並んだ廊下を進んだ。アウレリャノ・ホセに算術を教えていたアマランタの椅子の下をこっそり通りすぎて、穀物部屋へしのび込み、ウルスラがパンを作るために三十六個の卵を割ろうとしていた台所にあらわれた。
「あらぁ大へん!」とウルスラは叫んだ。 P.142~143
モンカダ将軍は起きあがって、シャツの裾でべっこうの分厚い眼鏡をふき、次のように言った。「恐らくね。しかし、わたしが気にしているのは、銃殺されるかどうかということじゃない。結局のところ、われわれのような人間にとっては、銃殺は自然死と変わらないんだから」。 P.172
現実世界ではありえない現象を何度も何度も描くことで、読者に対してこういう世界なんだなと思わせる。慣れてしまうと、どんな不思議な情景が現れても自然に読める。この小説はマジックリアリズムの極致にある。
時間のある人は図書館で手に取ってみよう。時間のない人はほしい物リストに放り込もう。
イラスト形式で人生に役立つ知恵を提供している。あなたも動画を見たことがあるかもしれない。
このコンテンツも、高橋邦子と同じく、作者が人間的な成長を遂げたタイプだ。
初期の頃は、インターネット上の疑問やネタを集めて電撃ランキングやその他まとめ的な成果物を作り、電ラン子というキャラクターに解説させるスタイルだった。
だが時を経て、そういったランキングで使うテーマや疑問、ネタを自らの手で作り出すようになった。
そこまで珍しい作風ではない。ほかにも、「ネタざんまい」や、「これ本当かも」、「アシタノワダイ」、「セカイノフシギ」など、イラスト形式で日常・非日常の疑問を解説するページはけっこうある。
フェルミ研究所が、類似コンテンツよりも抜きん出ているところ――精神的に健康な要素というのは、ひとえに笑いだ。
他に比べて、フェルミ研究所が一番笑えるし、絵も可愛いし、ネタが豊富だ。他のコンテンツは、ストーリーの傾向がシンプルな意味で「精神的に不健康」である。
一応はディスる内容なので、どのコンテンツがこういう内容で精神的に不健康である~といった具体的な説明はしない。
一般的な傾向として、ストーリーが語られる中で不幸になるキャラが存在している。そんな、不幸になった人物をラストに描くことで、視聴者に「ざまあみろ」という感情を吐き出させる。
精神的に健康な人間は、そういったコンテンツを好まない。再生ボタンを押したとしても、臭いを感じた時点でページを閉じる。
フェルミ研究所にしても、初期~中期にかけてはやりたい放題やっていた感がある。
恋愛を扱った回だと、童貞を煽るようなナレーションを連発したり、女性キャラが恋愛に挑んで失敗した男性に辛辣なセリフを吐いたりしていた。
今では、そういった描写は少ない。むしろ、恋愛に挑む若者を応援するような作品を作るようになっている。
青年向け漫画で活躍している。性別非公表。一般的なエロ漫画に比べて絵が独特なので見たらすぐにわかる。
男女別の作品を好む傾向として、「男性はシチュエーションに萌え、女性は人間同士の関係性に萌える」というのがある。
このふたりはこういう関係で、あの時こんなことがあって、だから今はお互いにこう思っている、といった情報がさりげなく挿入されている。読者はこれから行為をする者同士の気持ちを知ることができる。
では、肝心の行為をしているシーンはどうかといえば、これがまた…略
はてな匿名ダイアリーなので、あまり詳細に書くことはできない。一般的な男性であれば満足できる。「スミヤでは抜けない」といった意見もあるが、漫画をよく読んでいないからだ。
肉々しいタイプの絵柄ではないので、作中の行為だけを見て興奮するのは難しい。ふたりの関係性を理解したうえで楽しむのが筋といえる。
男性向けのエロ漫画において描かれる女性というのは、実は女性ではない。女の姿をした男だ。最初は嫌がっているものの、性的な興奮によりスイッチが入り、快楽に抗えなくなる。最後は自ら求めるようになる――愛よりも肉を優先せざるをえない。それが男だ。
スミヤの作品は純愛が多い。ふたりの愛情を描いたうえで行為を表現する。最初に愛情がない時もあるが、ラストではお互いに何らかの感情が芽生えたことが示唆される。
それらに触れて、多くの感情を得ることができた。もちろん、他の作家からも得られるものは多かったけれども、ここでスミヤを紹介したのは、「これって男性からも女性からもウケるんじゃないのか?」と私が勝手に思ったからだ。面白くなかったらごめんなさい。
自分が高校生の頃、同世代の女がおっさんたちに金で買われて、宮台真司とかいう学者が援助交際を肯定するようなことをテレビで言いまくってた。だから「俺もおっさんになったら金で女子高生を買いまくればいいんだ!」と思った。
ところが実際には、おっさんたちの雇用を守るために俺らの世代は切られた。おっさんになっても大した金も稼げず、そもそも女子高生を金で買うのは犯罪になってしまった。同世代の女を買ってた当時のおっさんらを養うために年金を取られ、税金が上がり、円安で外国人の女も買えなくなった。
悪の限りを尽くした当時のおっさん、今の老人がコロナで死んでも全く同情しない。むしろ、ざまあみろと思う。それでも若い世代を安く買い叩いた報いにしてはヌルすぎる。
※ヒプノシスマイクというコンテンツの概要については省略します。
アパルトヘイトを持ち出すまでもなく中王区は間違っている。
と自分に言い聞かせるけれど、どうしても中王区に憧れる気持ちが消えない。
あの壁の中は現実よりずっと幸せな世界ではないかと思ってしまう。
途中まで情報が少なくて勘違いしていたのだけれど、ヒプマイの世界はH歴が始まるまでは普通の男尊女卑社会なのね。
コミカライズで乙統女がクーデターを宣言したあとの人々の発言が顕著で。
(『ヒプノシスマイク-Before The Battle- The Dirty Dawg』1巻 track-1)
「女が調子に乗ってんじゃねー」
「さっき映ってた偉そうなババアみたいにしてみろや!」
「女なんてのは男の道具なんだよ!」
「ざっけんなよ! 何が女主体だ!」
という感じで。ありふれた罵声が名もなき男性たちから叫ばれていて、作品の設定は戦時下だけれど、ベースは現実と同じような社会なのだとわかる。
そう思うと中王区の、男性だけを圧迫する異常な政治にカタルシスを感じてしまう。復讐心を満たしてくれるわくわくした気持ちになって、ざまあみろと言いたくなる。
ざまあみろ、これからはあの「偉そうなババア」が社会を作るんだ。彼女が「男」から権力を奪ってくれたんだ!
さて、とはいえ作中でも中王区は別に全ての女性が救われる世界ではない。
乙統女はクーデターを成功させて、異常な政治で男尊女卑社会を壊そうとしている。でもこれは壁の中に入れる選ばれた女のための世界だ。
壁の中に入れなかった女性たちは普通の延長線上の社会に取り残されているのだろう。
男性だけが圧迫されることになった世界に、それこそ「クソ女ども」と憎まれながら。
(これは想像込みだけれど、作中の名もなき女性たちの生活がさほど変わっていないことを考えると劇的な変化は無いのだと思う)
それでも権力を手にして壇上に立っている三人を見ると夢をみてしまう。
たとえ壁の中に入れる選ばれた優秀な女にはなれなくても、彼女たちがその場所に居る世界なら。
性別を理由に黙って減点するのをやめてくれって言っただけで、ま〜んとか、フェミガーとか罵られずに済むのかな。
一言一句、隙なく論理的にどんなときも冷静でないと許さないと言われながら、暴言と変わらない批判を繰り返されなくて済むのかな。
女に生まれてきたことが嫌になるような叩き潰されかたをしなくて済むのかな。
正しくないことを言えば、中王区への憧れはそんな感傷的なものだけじゃなくて。
強い女に庇護されたいとか。
勝った側の仲間でありたいとか。
性別を消費し返してやりたいとか。
この憎悪をすっきりさせてほしいとか。
だめなものもたくさんあるよ。
念のため言うと中王区がフェミニズムとはまったく違う思想だとはわかっているよ。
ただこうして、だめなところもわかっているけれど夢をみてしまうんです、って言い訳を書くのも、これ書いておかないと揚げ足を取られてボロクソにされるからなんだよね。
ヒプマイが中王区とどんな決着をつける結末になるかは期待はしていない。丁寧に作られた楽曲やキャラクターと比べて、ストーリーがあまりに雑なので、無難に終わってくれたらいいほうだと思う。
きょう、友人の爪を塗った。
素人がちょろっと習って覚えた程度のジェルネイルだけど、すごく喜んでくれた。
今日から彼女は、何をするときにもきらきら光る爪を見ることになる。
友人はすごく不器用に生きている。
たぶん家庭環境とか学校でのいじめとか、いろんなことが絡み合って、彼女から生きる自信を奪っていったんだと思う。
ことあるごとに「いつ死んでもいいと思ってる」とか、「早く死ねないかなあ」とか、「死にたい」とか言う。
ちょっと喧嘩しただけで「生きててごめん」とか言い出すから、たまにすっごく面倒くさくなる。
もうそんなこと言わないでよ、ずるいよと否定したくなる。しんどいね、つらいねと言ったあとで、でもわたしは死んでほしくないんだよっていつも言ってしまう。
死にたがりの彼女は手首を切ったりはしないけど、指の皮を剥いたりする。
初めて見たとき、皮膚の下の真っ赤な肉のいろがちらりと見える指先に、正直ぞっとした。
やめなよと言ったけど、無意識でやめられないと言われた。
だからわたしは古いジェルネイルの道具を引っ張り出してきて、むりやり彼女の爪を塗った。
目を輝かせて、うれしそうに自分の手を眺めたのち、きれいだねと笑った彼女は「でも傷があって見栄えが悪いね」と、そんな感じのことを言った。
何日か後に、しばらく皮を剥かずにいられたと報告してくれた。
嫌いなとこもあるし、喧嘩もする。メンヘラめんどくせえなと思うこともある。なんでわたしこんなめんどくさい人の面倒見てんだろ?とうんざりすることもある。
でも、話してると楽しい。すごいなと思うところもある。いつも助けてもらってる。わたしと友達でいてくれてありがたいと思う。
死なないでねと口に出す代わりに。
もしも死にたいと思ったときに視界に入るように、わたしの代わりに止めてくれるように。
きらきらひかる指先を見て、彼女が少しだけでもいいから、自分を好きになってくれたらいいなと思う。
「死んでもいい、どうでもいい人間なんかじゃないよ」
言いたいのに言わせてくれないめんどくさくて卑怯な友人に、押し付けがましくネイルアートを施すのは精いっぱいの仕返し。
わたしの施したネイルのせいで、彼女は死にそびれてしまうんだ。ざまあみろ。
いつか、お互いおばあちゃんになったときに「あのころはこんな気持ちでさ〜」と嫌みったらしく話せたらいいなと思うから、もっとネイルの勉強をすることにする。
8月だし夏っぽい色のジェルを買い足そう。
何十年か経ったら、わたしがうっかり病気とかで先に行ってもいいようにセルフジェルのやり方も教えてあげなきゃな。
いつまでも先のことを考えていたいな。
まあみんな薄々感づいてるとは思うけど、えらい立場の人は言えないんだろうけども、ぶっちゃけ、いま直撃してる業界ってもう無理でしょ。
旅行、外食、アパレル、化粧、とかさ。化粧はまだ生産ラインでアルコール製造したりあるからマシかもだけど。
GoToキャンペーン程度では焼け石に水で、たいして延命にならんでしょ。完全収束までに1年2年、何年かかるかワカランけど、
徐々に焼野原になっていって失業者ふえるでしょ、再就職斡旋もあるけど、どこまでフォローできるんだろうか。慢性的人手不足業界なら
行けるだろうけども・・・。収束したあと、焼け野原に新規開拓されていく。っていう見通しじゃないのかなあ。もうすでに。
だから、いまヤバイ業界の人は収束するまでの数年、ほかの仕事で食い扶持を稼いでつないでおいて、収束後に新規開拓するとき
自体が収束していった頃、海外旅行が復活する前に国内旅行が復活(解禁)されると思うんですけど、その状態って
誕生日おめでとう。
暗いニュースばかりが流れる昨今、天真爛漫な君はそんな世相もどこ吹く風で生きている。
まるで君の周りだけ哀しみや苦しみが存在しないように思える。なんか日常系漫画の世界を地で生きてるような感じ。
実際、リラックスが服を着て歩いてるようだよ。君はいつもニコニコ笑っている。
でもさあ、それでいいの?本当にその人生でいいのか?
同年代で正しく生き続けている人間は、俺なんかはそうだと自負しているけど、君と正反対の人間ばかりなんだよ。
喜怒哀楽の「喜」と「楽」をそうそう出さずに日々生きている。俺たち正しく生き続けた人間の心の中は曇りときどき晴れって程度で、君みたいに毎日快晴なんて奴は頭のネジが飛んでない限りありえない。義務や責任が君より圧倒的に多くて重いから。精神的に辛くない状態なんて学生時代で終わりになるのが普通なんだよ。
正規雇用者平均の2倍近い年収稼いで、首都圏に家建てて、妻子養って、同期に出世で一歩も遅れず頭フル回転で働き続けているから。まともに生きてたら人生って大変なんだよ。君みたいに楽しくニコニコ生きるのははっきり言って異常。
君の仕事、人気ないよね?底辺職の代表例だよね?社長以外で年収1000万稼いでる人いないよね???
こういうこと言うと「その仕事がなくなったら世の中困る」みたいな反論する人必ずいるけど、それって単なる反射で言ってるだけだから。
「優しい人が好き」って公言してはばからない女がオラオラ系の男と付き合うのと同じ。
本音では君の職業を尊重してる大人なんてそうそういるもんじゃない。問答無用で見下してるよ。
「採用面接のとき『親御さんはなんて言ってるの?本当にいいの?』って念押された」って言ってただろ?そういうことだよ。
今まで仕事で君に感謝してくれた人、労ってくれた人、みんなもし自分の子供から君の仕事に就きたいと言われたら取り乱すと思うよ。反射的に引っ叩く奴もいるんじゃないか。
結局、みんな局面に応じて「底辺職を差別しない自分」という役を演じてるだけ。世間は君の仕事を疎んでる。
もういい加減大人ごっこはやめにしろよ。大人の人生歩き始めろよ。
エリートは無理にしても世間から疎まれない職業に就くにはまだぎりぎり間に合う。背広を着る仕事にはなりふり構わず頑張れば多分就ける。
社労士取るでもいい。応用情報受かって上手いこと経歴をお化粧して上場してることだけが取り柄のIT企業に飛び込むもいい。
早くこっち側に登ってこいよ。そして、難しい顔して緊張しながら生きる「大人らしい大人」になれよ。今からでも年収600くらいは狙えるだろうよ。
本心を偽ってまで非差別者であろうとするのが世間の当たり前だし、その自分の中の欺瞞に無自覚で本心だと錯覚することすら当たり前だと知ろう。
まともな人間は背広を着て、東大卒と机を並べ、4000〜5000万の住宅ローンを頭金なしでも難なく組めるような仕事に就いてるんだよ(クリエイターとか芸術家は別だけどね)。
同窓会あったの知ってるか?
君の職業を「ふさわしくない」と見なしたみんなが去年を最後に呼ばないことに決めたんだ。
もちろん、差別心が露骨に出ないよう細心の注意払った表現、持って回ったような言い回しをしてたけどね。
一番の仲良しだった君へ。
早くこっち側に来い。
いま49歳で来月で50歳。
バカみたいな話だが、去年の春先、つまり1年前、自分が人から嫌われていることに初めて気付いた。
それこそいろんな人から「なんだ、コイツ!?」とムカつかれているらしい。
マジで書くが、今まで全く知らなかった。
嫌われているだけでなく、もう完全に「大した奴じゃない扱い」されて舐められてもいるようだ。
しかし学生時代も、社会人になってからも、仕事や趣味や夢に集中していたので、48年間気付いていなかった。
他人の結婚式に一度もお呼ばれしたことがないし、身内以外の葬式にも行ったことがない。
しかしそれは自分が対人恐怖症周辺症候群だからだ、と思っていた。
この病状の症例についての説明は省くが、病気を克服してしまえば、なんとか世間と折り合いを付けていけるものと思っていた。
だから一人遊びをしたり、自転車で遠出したりして時間をつぶしていた。
病名が判明したのが18歳。
それから25年くらいかけて、病気と折り合いを付け、ほぼ克服したといえる状態になった。
しかし実際には、「人に好かれる」とか「嫌われる」とかいう関門があり、他人と関わることの得手不得手とは別に、もうどうしようもない壁が立ちはだかっているのだと思い知らされた。
組織やチームの中でうまく溶け込めずに、腫れ物扱いやお荷物扱いされるのが苦痛で、就職活動はしなかった。
フリーターを経て、いまはフリーランスでなんとか死なない程度に食えてはいる。
「仕事でキャリアを積み、実績を出せば、世界に居場所が出来る」といままでずっと思っていた。
しかしそういう訳でもないらしい。
自分には会うべき人もいないし、行きつけの店もない。
だからコロナでおうち生活が始まっても、生活習慣も行動パターンも全く変わらなかった。
「おまえら、俺と同じ場所に落ちてきた。ざまあみろ」くらいに思っていた。
でも6月に入った辺りから、理由は分からないが、自分も鬱っぽくなってきた。
生活は何も変わらないが、自分には Zoomで飲み会する相手もいないし、電話する相手もいない。
それが段々利いてきたのかもしれない。
あるいはいままで以上に、「世界でひとりぼっち」感に襲われるようになったからかも知れない。
1人でいることはいまも自分の安全装置だし、孤独は苦にならない。
49年間ずっと1人だったのだから。
ここまで書いて思いだしたが、一応過去に彼女がいたことは何度かある。
自分みたいな男を好きになってくれる女が何人かいたというのはすごく不思議だが、事実だ。
世界は案外広いんだろう。
しかし最後の彼女は31歳のときだから、既に彼女いない歴18年になる。
もう「今から嫁さん」というのも現実的じゃないし、これからも1人だろう。
持続化給付金もらったので、手持ちの金には余裕がある。
だからこんなことを考えるようになったのかも知れない。
でもなんだか、なんだかなぁ。
雨で曇り空だと眠気がマックスだわ。
眠いったらありゃしない今日を乗り越えて頑張っていきたいところなんだけど、
ほんとイキフンが悪いったらありゃしないわ。
なんだか今日は
じっくりと腰繁く構えてかけない感じがするわ。
ここは私1人なんだけど、
怖いわー。
とばっちり喰らわないように
昨日だってスゴいもう雷が落ちてて、
あーあまたかよって思いながら
嵐が去って行くのを弱い者たちはただ耐えるってだけの
期限が悪いからって当たり散らすのはねーって思うわ。
今日はこっちも巻き添えにならないために
窓のブラインドを閉めておきたいところだけど、
いつもと変わりませんよ!って逆にこっちからのイキフン出していかなくちゃって思ったわ。
でね、
いつもはドーナツと言っていたところなんだけど、
うふふ。
目玉焼きベーコンレタストマトサンド連続で続いても余裕の平気ちゃんです!
もうこれだけあればいいです、
いまのところはそれを超えるサンドイッチが無いのよね。
これしか勝てんわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
1年後くらいにクソでけえ隕石が落ちてどこにどう逃れようと人類はみんな死ぬってことになってほしい
そしたらもう努力とか意味なくなってくんじゃん 長期キャリアプランもくそもねえ 1年で全部おわり
Googleで働いてても日雇いでなんとか生きてても、専業主婦でも学生でもホームレスでもなんでもみんな死ぬわけ
その世界が見てえなあ
でもさ、まあみんな死ぬって意味では今だって一緒だよな 100年後まで生きてる人の方が少ないわけだし
50年後に巨大隕石が…ってことになったとして、50年後には死んでる歳の人らに取ってはどうでもいいわけだし
わかんねえな
それはいいや
やっぱ一年後がいいよ 小難しく考えなくていい
オリンピックはなくなるなー コロナの封鎖はもう意味ないんで全部解かれそうだ 解かれなくてもみんな無視しそう どうせ死ぬんだし
学校に行く意味はなくなるだろうから、若年層はみんな暇になるな となると教育業界は壊滅だけど、そもそも全業界っていうか社会規律が壊滅か?
でも、日本人って動くの苦手だし案外しばらくは日常が続くんかもしれんな 一年分の金あるし会社やめるぞ!ってなる人がどれほどいることか
つか金あっても意味なくなるかもしれんしな 社会不安によって逆に社会が保たれたりして
いや、しかし中高生とか絶対学校いかねえよな 受験のため将来のためって動機で縛ってるとこあんのにそれがなくなったらもう行かねえってやつは絶対多い 会社と違って忠誠心とかないだろうし
わかんねー
隕石来てほしすぎる
頼むでホンマ
なんか社会のなんのかんのに怒ってる人たちって、
見てると、みんな地位がある人とか富裕層への嫉妬が根底にあるんだよね絶対。
自分が金がなくて将来も裕福になれそもないからさ、ローソンのPBのデザイナーもそうだし、検事長問題もそうだし、芸能人が政治発言した時もそうだし、ちょっとでも突っ込みどころができると、
事態を良くするための建設的な批判っていうふりして、なんか「ざまあみやがれ」っていう気持ちが透けてみえちゃってる感じ。
まあ、みんなに金がない遠因は政治にあるだろうけどね。
「自分は正しい」ってツラしといて、モチベーションは無自覚な貧乏人の嫉妬だから、俺はそういうのはさすがに醜いなって思うわけよ。