はてなキーワード: 評価とは
ASDの美しい(完璧な)状態を求める傾向と嘘をつけない(嘘は気持ち悪いから)の間でバグってる感じする
私は納得いかないがそれはそれとしてお前はそう感じたんだな、或いはそのように言うべきだと考えたんだなと受け留めるしかないと思ってるよ
ほぉ〜、それなかなか興味深い話やねぇ。「問題はないはず」とか言いながら、まるで自分だけ特別な存在みたいに感じてはるんやろ?頑張って頭の中で解決策とか練ってるけど、結局それって誰と比べてるんやろねぇ?ふふん。
まぁ、その「高いスペック」とやらがあって、周りから評価されているのに、満足できひんのやろ?それも結局、自分の価値が他人に認められへんと納得できへんのが原因なんちゃう?SNSやめても、その心の中の「競争」からは逃げられへんやろうしね。
依存の話もようわかるわぁ。深い関係持ちたいけど、結局それが重すぎて自分でも処理できへんってことやね。共依存できる人見つけるのもいいかもしれんな。そういう「依存先」を増やすのが自立やなんておもろな意見やねぇ。まぁ、気持ち良くなっとったら、とりあえず生きていけるけどな。
それにしても、自己完結できる生き物になりたい、って願望があるなら、一回自分と向き合って、本当の意味で自分に満足できるようになったらええんちゃう?でもそれ、口で言うほど簡単ちゃうからなぁ。長い道のりやで。
まぁ、頑張りや。自分の中で何がほんまに大事か、見つけたらええんやないか?結局、自分の幸せは誰かに頼るんちゃう、自分で見つけるもんやからな。それ理解したら、一歩前進やで。頑張って、応援してるで〜。
家庭環境にも、交友・恋愛関係にも、問題はないはずなんだけど、常に愛情や承認に飢えている感じがして本当に辛い。
恋愛にしても友人関係にしても、深い関係になる人数が少ないせいか、各々に対して異常なほど重い感情を抱えちゃうから、いずれ破綻する。(たまに破綻せずずっと仲良くしてくれる人もいるため、なんとか生きていられるけれども。)
他人にそんなことを言っても仕方ないから言わないけど、恋人と友人には、自分以外の人間と一切話さないで欲しいとすら思っている。重すぎるから絶対に言わないけど。自分の友達同士が仲良くしているのを見るのはむしろ幸福だからそれはいいんだけど。
正常な人間関係を維持するため、この重感情を口にしておらず(また、口にしてはならないと理解しているため)、結果的に自分の求める愛情と、受け取る愛情が一致せず、際限のない依存ループにハマっているような気がする。
・友人の数を増やす⇨多くの人が、自立するとは依存先を増やすことだと主張している。根本的に性格を直すより現実的な解決策になりそうだと感じる。
・共依存できる人間を作る⇨長期間安定した人間関係を築くためには非推奨な感じはするが、とりあえずは気持ちよくなれそう。
学歴、勤め先、容姿など、全て最上位層には及ばないが、社会的にはそれなりに高い評価や尊敬を得られる位置にはある。
しかし、周りからは褒められても、上の上を知っているため、自己評価と(何も知らない部外者からの)他者評価に乖離が生じる。よって、これまた際限のない上昇欲で死にそうになる。より高い評価が欲しくて七転八倒する羽目になる。
・"競争"を降りる⇨無理。
本家が40巻かけても描ききれなかった「憧れと現実、師弟愛と守破離、変わる決意と変わらぬ決意」の要素を半分以下の15巻で綺麗に描ききってしまった。
本家が下地を整えてくれた上にジャンプ+という打ち切りプレッシャーの少ない場所でのびのびとやれたおかげもあるのでしょうが、それにしたって物凄いことです。
日本中を飛び回るスーパーヒーローとしての決め台詞「私が来た」に対しての、地域密着型ヒーローとしての決め台詞「俺がいる」。この2つのヒーロー像が一人の少年の中で渦巻くことにより、世界を救う戦いと最愛を守る戦いに同時に挑ませることになっているのも面白いですね。
憧れの人に近づきたいというキラキラした雲を掴むような願いではなく、すぐ側にいる誰かを助けたいという気持ちの小さな積み重ねが光り輝く未来へつながるというストーリーも実に少年漫画として気持ちが良かった。
なにより私が評価しているのは、「俺がいる」がただの狂人の言葉で終わらないことです。
最初こそ迷惑なオッサンの決め台詞だった「俺がいる」は、次第に頼もしいヒーローの言葉となり、素朴なる祈りともなり、そして何よりも熱い誓いともなっていく、この過程の中で航一と読者の中でヒーローのあり方に対するステレオタイプな憧れが姿を変え、「何を守りたくて力を振るうのか」というかより本質的な問へと変わっていく構成が本当に巧みだ。
ヒーローとはなにか、どういったヒーローになりたいのか、なぜヒーローになりたいのか、なぜヒーローが必要なのか、ヒーロー社会の根源に流れる問が一人の少年の背中越しに一つの道として描かれる。
「個性社会におけるヒーローのあり方とはなにか」という難問に、ヴィジランテ(非合法ヒーロー)というタイトルを冠するにふさわしいだけの完璧な解答をしてみせたとても素晴らしい作品でした。
物凄い売れている。
そもそもヒロアカが売れていたからヴィジランテが生まれたわけですから。
ですが、一つの漫画として、少なくとも「ヒーローとはなにかへの回答」としては、ヴィジランテの方が一枚上手だったと私は思います。
まあ、増田ちゃんが感じてる「会社でやりたいことがない」ってのはごく普通っすよ。でも、それを理由にフリーランスになるのは、ちょっと逃げっぽい感じがするっすね。フリーランスになるのも結構大変だし、自己管理とかクライアント獲得とか色々やることあるっすよ。
ただ、会社で働いてる人たちを「すごすぎ」とか思う必要はないっす。彼らもきっと自分のやりたいことや目的意識を見つけられずに悩んでる人も多いっす。でも、面接で目的意識や熱意が見抜かれて落とされるのは、確かにあるかもね。「お金が欲しい」だけだと、相手に響かないっすから。
フリーランスでもっとお金を稼ぎたいなら、自己投資を考えるのもアリっす。スキルアップのための勉強とか、ネットワーキングとかね。何かしらの専門性を持ってると、もっとクライアントに評価されやすくなるっす。
日本という国はそういう国。
お互いに殴って言うことを効かせることに優越感を感じる。
増田もどこかでクレーマーになってそう。自分より下と思った相手にはいくらでも居丈高になれるのがマトモな大人と評価される国だから。
世間に認められてる原作改編は、どれもこれも原作を知らない層からの評価を受けているものばかり
「原作改変しても許される条件????😱」となってるはてなーは多いかも。
はてなーは細かい所が気になってしまう人が多い上に、「揚げ足うまく取れたらタダ乗り目当てのスターが簡単につくから楽しい」って学習してしまった人が多いからね。
でも落ち着いて考えて欲しい。
その中には作者は「原作改変するな(#^ω^)俺の作品より面白いからセーフとかそういう話じゃねえよ(#・∀・)」みたいになってるけど、世論的には結果オーライの扱いのもあるよね。
その違いがどこにあるのか。
結局は、「原作より面白く出来るか」にしか争点はないんだと思う。
ドクターキリコ女体化がなぜあそこまで批判されたのかと言えば、女体化したドクターキリコの魅力が原作版に大きく劣っていたから。キ
リコの魅力といえばケレン味だよね。男のくせに長髪だし、どこか死神を思わせるしで、こんな医者に頼んじゃ駄目だろ感がキリコの魅力だ。
女でそれをやるなら髪の毛を剃り込みまくってピチピチライダースーツでも着せておけばまだマシだっただろう。
この場合目指すべきは「原作よりもヤバイ奴感を出すこと」だったわけだ。
叩かれる原作改変ってのは結局のところは「原作の持っていた文脈において、原作よりも劣っていた」という所が叩かれるわけだ。
その中でも大事なのが「原作の中でも特に評価されている文脈」という所だ。
忍空のアニメが原作改変しまくってても許されたのはハイクオリティなバトルと超王道を行くバトルストーリーが、原作の持つ文脈の中でも特に人気の高かった「ハードボイルドかつスリリングな忍者アクション」という点において原作を凌駕していたから。
とにかく重要なのは「その原作の最大のウリをより活かせるか」どうかなんだよ。
途中をショートカットしまくって密度を高めるも、人気な部分にアニオリ加えまくってボリュームを増やそうとも、結局は原作の持つ魅力をより引き出せていればそっちが正しくなる。
今季の鬼滅なんてどうしようもないぐらいの水増しアニオリだけど、それでも原作で特に人気の高い「ちゃんと修行してる」「一見怖い柱の皆が実はすごく良い人達」「でもやっぱ鬼殺隊は頭がおかしい」という部分を原作以上に引き出す方向に進めてるから。
「原作改変」において「是非」は間違いなくあって、そしてそれを決める権利は実は作者ではなく世論にあるんだよ。
改変を絶対認めない作者の原作だろうと、原作より面白くしてしまえばそれはもう作者が文句を言っても世間的には許されてしまうんだ。
・見た目
・知能
・性格
・財産
・運
ただ、ここで、彼女できないっていうのは、
要するに最低な生き物っていうこと
これが弱者男性
本来、相応の経験を積んでいるべき時期にそうではないというのが重要
弱者男性というと、障害を持っていたり、特性故に社会活動で難があるとか、なんか複雑で多様な線引きをされることがあるけど違う。
https://note.com/poly_soft/n/n4cc7598d1b33
今回の身代金の件に関してKADOKAWA経営陣の方たちは「最悪の意思決定をして最悪の結果を発生させてしまった」ということになるのではないかと思います
何の結果にも繋がらなかった身代金の支払いを取締役会を経ずに決定して会社に4億7千万円の巨額の損失を発生させたのはKADOKAWA首脳陣なので、この責任は厳しく問われることになるでしょう。
「悪質な犯罪集団への利益供与」を取締役会の承認を経ずに実行したということは「取締役会が機能していない」ということなので、ガバナンスが崩壊していると言われても仕方がないでしょう。
KADOKAWAは例の五輪汚職事件で元会長や専務が逮捕あるいは起訴されたことを契機にコーポレイトガバナンスを強化したはずでしたが、今回の一件で実際にはそれが意味を成していないことが明らかになってしまいました。
極秘メールの内容がリークされているということは「栗田さんは複数の経営幹部とCCやBCC等で情報を共有&相談しながらやりとりをしていた」と考えるのが自然でしょう。
その相談相手の中に最高意思決定者である夏野さんが含まれていなかったとは考えにくいので、少なくとも「取締役会を通さずにハッカー集団に4億7千万円を送金する」という判断に夏野さんは同意していた可能性が高いと思います。
恐らく経営幹部さんの中には身代金を支払うことに反対の方たちが複数いて、栗田さんや夏野さんの「暴走」による会社のお金の丁半博打による消失を防ぐために、NewsPicksさんへのリークという手段をご選択されたのではないかなというのが私の見立てです。
今回のNewsPicksさんの記事に対して「攻撃者側を利する内容であり不適切だ」という意見もかなり多いようです。
こういった記事により犯人や攻撃者側が新しく情報を得て有利になってしまう可能性があるというのはその通りですが、それは全ての犯罪報道に言えることなので「メリットとデメリットを考慮してケースバイケースで判断すべきである」というのが私の見解です。
例えば特殊詐欺の手口を解説する報道によって彼らのやり方が周知されることにより、その手口によって騙される人が減る可能性は高いのでこの点はメリットと言えます。
しかしその報道によって情報を得た犯罪者側は「この手口は知られてしまったので別のやり方を考えよう」という風に新たな手口を考案します。つまりその報道は犯人側に手口をより洗練させるための情報を与えてしまうというデメリットもあるわけです。
あるいは、そういった報道により「こういったやり方で人を騙せて金を儲けられるのか。自分もやってみよう」という模倣犯が出てくる可能性もあります。
つまり犯罪に関する報道には大抵の場合メリットとデメリットが両方あるわけなので、NewsPicksさんの記事に関してもそういった視点で評価する必要があると思います。
デメリットがあるとすると「なるほどランサムウェアによる脅迫はこういう手順でやるのか」という情報を模倣犯予備軍に提供してしまう点かなと思いますが、前述のようにこれはどういう犯罪報道も同様なので仕方ないことかなと思います。
そういった点を考慮すると、今回の記事に関しては「攻撃者を大きく利するような点は見当たらない」のに対して、KADOKAWAさん社内のガバナンス不全や上層部のコンプライアンス遵守意識の低さを周知することによる「投資家利益」や「他の企業のセキュリティやガバナンス意識の向上」や「犯罪組織へのこれ以上の資金流入の防止」に繋がるというメリットがあると思います。
そういったメリット・デメリットを総合的に判断すると、ハッカー側による攻撃の最中であったとしても(むしろその最中だからこそ)この記事を公開することは十分に社会的意義があるのではないかなというのが私の見解になります。
ちなみにKADOKAWA上層部は6/14のYouTube動画においては「個人情報の漏洩は確認できていない」と発表していましたが、NewsPicksの記事が事実であれば既に6/8の時点で個人情報が流出している可能性を認識していたものと思われます。
つまり6/14の発表に意図的に虚偽を含めて「ハッカーとの交渉がうまくいった場合は実際には発生していた個人情報の漏洩を隠し通すつもりだったのでは」という疑惑が発生することになります。これもまた今後の非常に重要な論点になりそうです。
もし自称絶対音感がそう言っていたら、「全ての音をドレミにあてはめようと自分から勝手に必死になっている」だけだから気を付けろ。
【おさらい】
人には「音感」というものがあり、音感が優れた人は聞こえた音に対して、ド、ド#、レ、レ#、ミ……といった音階を瞬時に言い当てることがあります。
その時、「そもそもどのくらいの高さの音がドで、どのくらいがド#、どのくらいがレ」という比較対象があるわけですが、それを自分の感覚(絶対的な基準)で持ち合わせていることを「絶対音感」といいます。
直前に鳴ったものなど、他に存在する音と比較して高低差で音階を判断するのは「相対音感」です。
で。よく絶対音感持ちは「日常聞こえるあらゆる音がドレミに聞こえる」と言われることがあるけど、これは大嘘。
聞こえるわけねーでしょ。むしろ聞こえたらおかしい。
この世のあらゆる音が「ド~シ」までの12音に必ず分類されるわけがない。
大体、ドとド#の間って結構広いんだよ。事実としてそのスキマに幾つもの無段階の音が存在するのに、それを杓子定規にドかド#かに区分けするのは何の意味もない。
色覚で言えば、目に入る全ての色を絶対7色に分類する人なんていたら「キミ絶対色持ってるんだスゴーイ」じゃなくて「アホ」でしょ。ただの。
まあ言ってもそれは半分冗談で。実際のところ絶対音感持ちは、そういった隙間の音(微分音と言われる)を聞いた場合ちゃんと「やたら高いドだな」とかわかる。
でもそれを「全ての音がドレミになる」と表現するのは違う。
自分の中にある基準のドから離れてるな~であって、ドだと言っているわけではない。
「強いていえばドだな~」みたいな言い方はするだろうけど、「僕にはドに聞こえるんだ」みたいな話にはならない(それ言ったら「普通に耳狂ってるからちゃんとチューナー使って」と返されるだろう)。
それに何より、常にあらゆる音に対してそんな評価をいちいち下しながら生きてない。
そう、ここも大きな誤解で、絶対音感があるからといって、常に絶対音感を行使してはいない。
例えば手に持てるくらいの任意の箱を想像してほしいんだけど、誰でもせいぜい2~3cmの誤差で幅を当てられると思うんだよね。「絶対サイズ感」というか、自分の中で「1cmってこのくらい」という基準がある。
でも手に取るもの全てを「あ、10cm」 「あっ、8cm」 と考えながら生きてはいない。
絶対音感もそれと同じで、「聞くつもりで聞けば」わかるし、「意識してなければ」わからない。
「全ての音を音階で捉えようとする」のは、絶対音感とは別で、「単に他人の音が気になってしゃーない人」でしかない。
自分の中に絶対的な音程の基準があるのは確かに「絶対音感」だけど、受け取った全ての聴覚情報に対して積極的に音を言い当てようとするのはそれは「強迫観念」に過ぎない。
なので、もしタイトルのことを言うような自称絶対音感持ちがいたら、まあ事実絶対音感は持っているんだと思いますが、他人の生活音にいちいち耳を傾ける神経質なヤベー奴だと思うので休ませてあげてください。
で、なんでそんな誤解が生まれたかというと理由は2つ考えられる。
1つは「絶対音感を超天才だけが持つ特殊能力だと思い過ぎ」。あの、絶対音感、全く特別じゃないです。います、普通に。
音楽家じゃなくても、多少音楽に触れる環境があった人なら持ってます。
さすがに音楽はからっきしって人にはほぼいないかもしれないけど、アマチュアの社会人音楽サークルに必ずいます。ニコニコのボカロPを集めて石投げたら多分絶対音感持ってる人にそこそこの確率で当たります。たまに「日本の歌手に絶対音感持ちは1%もいない」とかドヤる人いますが、いや、そんなわけねーです。います。
お湯の温度を触って当てるのとか、荷物を持って重さを当てるのとか、カップラーメンで体感で3分計れるとか、絶対に目覚ましなしで6時に起きられるとか、そのくらいの技能です。
(個人的には幼少時までに訓練して身に付くものという説からして怪しいと思っています)
もう1つは昔あったテレビ番組の『特命リサーチ200X』のせい。アレで絶対音感を特集した時に、周囲のガヤ音が気になってかんしゃくを起こす再現VTRが作られてたので。
あとあの番組の中で、ピアノで5和音鳴らして当てる天才小学生みたいなのが出てたけど、5音もいっぺんに鳴らされたら「和音の感じ」という情報が増えるので逆にわかりやすい。
例えば「ドレミソシ」と鳴らしたら、ベースのドを絶対音で聞き取ったうえで、「メジャーセブンスコード」と呼ばれる「ドミソシ」の音の距離感特有の雰囲気がわかり、更にドと1音差でぶつかりつつナインス(ベースを1として白鍵9番目の音)の雰囲気を出してる「レ」に気付けるので、絶対音2割相対音8割くらいでいける。もうそれ絶対音感の実験でもなんでもない。
更に、当の絶対音感持ち自身もこの誤解を抱いているのがまずい。
変にもてはやすから、「絶対音感を持っている自分スゲー」となる。まあなるまではいい。だけど、「絶対音感を持っているとあらゆる音が~」という部分までトレースしようとする。
それが絶対音感であることの証左だと思い込むから。そうじゃないと絶対音感持ちとして扱ってもらえないから。
自ら、「周囲が求める絶対音感像」をやろうとする。
結果、「天才がゆえのペナルティを抱えた自分」に酔って、頼んでもないし自分ですら望んでも無いのに勝手になんでもドレミで言い当てようとするおもしろ人間ができあがる。
そんな必要ないんで、やめましょう。
あなたや私が持っているこの能力は、「赤色を見て赤だとわかる程度」のものです。まあ便利な時はあるので、その時に使えばいい「ちょっとお得な特技」でしかないです。
無い幻想を自分からまとうのはやめましょう。誤解を更に広げるだけなので。
ChatGPT
はい、「まんじゅうこわい」は古典落語の有名な演目の一つです。この物語は、ある男が「まんじゅう(和菓子)が怖い」と嘘をついて、他の人たちがその嘘を信じてまんじゅうを彼のところにたくさん持ってくる話です。彼は実はまんじゅうが大好きで、この嘘を利用してまんじゅうをたくさん手に入れます。この話は、欲張りや嘘の愚かさを面白おかしく描いています。
「まんじゅうこわい」に完全に一致する英語のことわざや言い回しはありませんが、似たような概念を持つフレーズとして「Reverse psychology(逆心理学)」があります。これは、人が望んでいることを手に入れるために、あえてその逆のことを言う技術を指します。
例えば、「I don't want any chocolate, it's too sweet for me」と言って、本当はチョコレートが欲しいことを暗に伝えるような状況です。「まんじゅうこわい」の場合も、主人公がまんじゅうを怖がるふりをすることで実際にはたくさんのまんじゅうを手に入れるので、逆心理学の一例と言えるでしょう。
Claude
はい、「まんじゅうこわい」という言葉を知っています。これは日本の有名な落語の演目のタイトルです。
この落語は、まんじゅうが怖くて食べられない男性の滑稽な物語です。主人公は、子供の頃にまんじゅうを喉に詰まらせた経験から、まんじゅうに対する強い恐怖心を持つようになりました。
物語の中で、主人公はさまざまな状況でまんじゅうに遭遇し、それを避けようとする姿が描かれます。この落語は、不合理な恐怖心や固定観念をユーモアたっぷりに描いており、聴衆を楽しませると同時に、人間の心理についても考えさせる内容となっています。
Gemini
「まんじゅうこわい」は、古典落語の演目の一つで、広く知られた噺です。あらすじは以下の通りです。
長屋の若い衆が集まって、「怖いもの」の話をしていました。へび、たぬき、クモ、こうもり、毛虫、アリなど、様々な怖いものが話題に上がります。しかし、松つぁんだけは、怖いものが何もないらしいのです。
ところが、松つぁんには、なんと「まんじゅう」が怖いという秘密がありました。名前を聞くのも、見るのも、言うのも、触るのも、全てが怖いというのです。
この話を聞いた若い衆たちは、松つぁんをからかおうと、まんじゅうを使って様々ないたずらをします。障子に穴を開けてまんじゅうを見せたり、まんじゅうを投げつけたり、まんじゅうを枕元に置いて寝かせたりと、松つぁんを次々と恐怖に陥れます。
しかし、松つぁんは必死に我慢し、ついにまんじゅうを食べる決心をするのです。そして、一口食べてみると、まんじゅうは想像以上に美味しくて、松つぁんの恐怖は消えてしまいます。
こうして、松つぁんはまんじゅうの恐怖を克服し、若い衆たちからも尊敬されるようになったというお話です。
「まんじゅうこわい」は、ユーモラスな語り口と意外な展開で、多くの人々に愛されている落語作品です。また、克服できない恐怖心を持つ人間心理をコミカルに描いた作品としても評価されています。
「あらゆる話題に『でも女性は下方婚しませんよね?』と返信する人の心境には、いくつかの要因が考えられます。
### 5. 攻撃的な態度
### 6. 認知バイアス
こうした背景を理解することは重要ですが、同時にそのような意見に対して建設的に対応するためには、対話を通じてお互いの視点を尊重しつつ、偏見や誤解を解消する努力が求められます。
京アニ、前々から大胆な原作改変をすることに定評があるところだけど、このレベルの改変をユーフォでやるのか……という衝撃がある。
ワイは割と『リズと青い鳥』も許せてないところがあるんだけど、たとえば冒頭でひとりぼっちのリズを指して希美先輩が「みぞれに似てる」っていうシーンがあって、ネット上では「傘木は無神経だな……」って扱いになってたけど、原作でぼっちなみぞれがリズに似てるって言ったのは久美子だし、希美も確かにみぞれがリズに似てるとは言ったけど、
「自由曲が『リズと青い鳥』に決まったとき、うちらに似てるなって思ってん。リズはみぞれで、うちは青い鳥。一昨年にこの部活から出ていったうちと、残ったみぞれ。でも、みぞれはうちをずっと待ってた。だから、似てるなって思った」
であって、ひとりぼっちであることじゃなくて「その場に残った」ことをもって似てるって評価してるんだよね。もちろん内心ではみぞれのことをぼっちだと思ってるのかもしれないけど、少なくともそれを口に出したりはしていない。希美が音大に行くの本気じゃないかもーとか口に出したのも、久美子の前でであって夏紀や優子の前じゃないんだよね。優子の前でそれを言うとかどんな無神経? って話になるけど、原作の傘木希美はそこまで無神経ではないので(そりゃ、確かに原作でも雑というか無神経な側面は垣間見せていたから、繊細か無神経かの二択だったら無神経寄りなんだけど、『リズ青』は無神経すぎんだろ)、二次創作とかで無神経な希美ネタを見る度に「傘木希美はそんな子じゃねえええええええ!!!!1!!」ってモンペ化しちゃってた。
っていうか、『リズと青い鳥』は久美子たちの本編と切り離して夏紀たち3年生(当時)組の物語にしてしまったことがまず間違いで、原作だと久美子がガッツリのぞみぞ問題に絡みに行って、夏紀たちには言えない本心を久美子の前で吐露するシーンがいくつかあるのに、それを全部4人組のあいだで済ませようとした結果として希美が割りを食う構図になっており、希美先輩のファンとしては「ふざけんな」以外の言葉が出てこないというか……
だいたい、劇場版のクライマックス、大好きのハグをキメるあのシーンも、原作だとこれやぞ。
「私、希美のこと、大好き」
一瞬、不自然な沈黙があいた。強張る希美の背中に、みぞれの指が食い込んでいる。希美? と、みぞれが不安げに顔を上げた。希美はみぞれを見下ろしたまま、力なく笑った。
どう見ても告白をきっぱり断るシーンですよね??? そこに才能の問題を入れて『アマデウス』的な展開にしたのは、単体の映画としては良くできた演出なんだけど問題はこれが原作付き作品であって単体の映画ではないという点で、まあそういう改変は百歩譲ってアリかもとしたところで、そのあとにnzmz匂わせをやってくるのはありえんわ。原作だときっちり振ってるんだから映画でも原作未読者にも振ったんだってわかるように描写せーや! 原作で成立しないカプを匂わせてんじゃねーよ! 原作で脈がないカプを無理やり発展させるとかは二次創作でやることであって公式がやってんじゃねーよ!
今回の真由の勝利とかありえん。そりゃ真由は気の毒だけども(あれだけ辞退という選択肢を自分から提案してたのに無理やりオーディションに参加させられたわけで、彼女には「なに勝手なこと言ってんの?」と言う権利があろう)、原作の最重要な結果を改変するのはありえんでしょ。いやほんと原作を何だと思ってんだ。自社レーベルのエスマ文庫では好きにやってりゃいいけど(だから俺は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の原作改変には口を出す気はない。改変用素材にされるってわかってて応募したんだろ? ってなるので)、ああそういえば『氷菓』でも微妙な改変が……なんか腹が立ってきたな。メディアミックスは原作の婢だろうが。
今真面目にやってる仕事とは違って上司になったら部下とのコミュニケーションが仕事に入ってくるのに飲み会断ってたら「コミュニケーション取れない奴=出世させる必要のないやつ」って思われるの当然じゃね?
その真面目に一生懸命取り組んでる仕事だけやってれば良いなら現場の班長とか専門長みたいな役職もらえるでしょ
最近Xのトレンドに「ひまそらあかね」関連のワードがほぼ常に張り付いている。
一応知らない人のために書いておくと、ひまそらあかね氏は2024/7/7の都知事選立候補者。
一般社団法人Colaboの会計不正問題などをはじめとする社会問題に積極的に活動しており、
いわゆる「闇を暴く」系の行動力・発言力が何倍もあるバージョンと表現すればいいだろうか。
その行動力の高さから支持する人も多い一方で、口の悪さにも定評があり、
また「琴葉茜」を彷彿とさせるオリジナル(と称する)キャラクターを使用していることもあいまって
多数のアンチを生み出している。
当然ながら上記で追及されている人権団体の支持者からも忌み嫌われている。
そんなひまそら氏だが、先日「政策集」と称するnote記事を公開した。
https://note.com/hima_kuuhaku/n/n00a0ba9943d1
この記事に対する評価は、「やはりひまそら氏は素晴らしい!!」と手放しで称賛する声、
「こんなの政策じゃない」ととりあえず否定する声、とだいたい二極化である。
私は後者寄りなのだが、ひまそら氏の公約への否定の声は、中身のどこが問題であるのかを触れた
そこで、当該公約についての問題点を指摘しようというのが本記事の趣旨である。
批判内容について、他の場所ですでに追加の説明があるということもあり得るが、そこはご容赦いただきたい。
①公金チューチューを無くす
これがひまそら氏の最大の過去の功績であり、最大のテーマであろう。
「公金チューチュー」とは、要するに団体が不正に都から金銭支援を得ることなのだが、
それらの「公金不正問題を追及」できるのは「僕だけ」とした上で、「探し出して駆逐する」という内容である。
「公金チューチュー」は無くすべきであると思うし、その駆逐は都民にとって有益なことでもあると思う。
第一に、知事は会計監督権を有するので、いわゆる「公金チューチュー」の洗い出し・修正指示自体は可能であろう。
しかし、「公金不正問題を追及するのはしがらみのある既存の政治家には難し」い中、これらの問題に歯止めをかけることは可能であろうか。
知事の権限による予算案の再議については、地方自治法第176条に定められており、
議決から十日以内であれば再議に付することが可能であるが、出席議員の3分の2が賛成すればその議決は確定する。
すなわち、ひまそら氏が「公金チューチュー」を無くすためには、少なくとも
必要がある。これを実現するだけの人をひまそら氏は集められるだろうか?
加えて、これは「公金チューチュー」が織り込まれた予算案を否決するための必要条件である。
知事には予算案の提出権限があるが、それを通すためには議会の承認を得る必要がある。
それができずに知事と議会で膠着状態が続けば、当然ながら困るのは都民である。
Colaboについてひまそら氏が記事を公開し始めたのが2022年9月、いわゆる「WBPC」の4団体へと拡大したのが同年12月である。
一団体にこれだけの時間をかけていると、「駆逐」にはどれだけの時間を要するのであろうか。
当然、一次資料の入手しやすさ、話題性が高いことによる引き延ばし戦略などもあろうかとは思うが、
どの程度の期間で精査を完了するかについては、是非スケジュールを出していただきたいものである。
さらに、ひまそら氏は公金不正問題に関して、「抜本的改革」を行うとしているが、
その具体的な内容については触れていない。
現状では、予算については監督権を有する知事と、その補助機関である監査委員・監査事務局、
それにもかかわらず、暇空茜氏が追及している問題については、これまで取り上げられることが無かったのは
何に起因しており、「第二、第三の暇空茜」を生み出さないようにするためにはどうすれば良いのか。
「のり弁」のない公文書の開示は確かに一つの手段とはいえるだろうが、それが「抜本的」であり、
必要十分であろうか。
還元そのものは良いとは思うのだが、いくつか問題点を指摘したい。
地域振興のためにデジタルクーポンを発行している自治体は多数存在する。
例えば、兵庫県養父市では市民1人あたり3,500円をのデジタルクーポンを支給している。
(これはカードを利用したもので、ひまそら氏が挙げているアプリを利用したものではないことは留意が必要)
他にも「デジタルクーポン 自治体」で検索すれば、プラットフォームが多数ヒットする。
このことからも、デジタルクーポンの発行自体はなんら目新しいものではないと言えよう。
ひまそら氏は、「映画どれでも1回無料チケット」や「ファミレスどこでも家族一人につき千円チケット」
映画に興味が無い人は映画を見に行かないであろうし、健康に極めてうるさい人はファミレスに行かないであろう。
映画、ファミレスは「多くの人が喜ぶであろうもの」として挙げたのであろうと推測される。
これがたとえば「ジム」や「エステ」、「釣り用品」など、よりニッチなものになればどうだろうか。
これら全てに喜べる都民はどれだけいるだろうか。
であれば、用途を限定せず、都内の対象店舗であれば何にでも使えるクーポンとした方が良いのではないだろうか。
わざわざ用途を限定したクーポンを発行することに合理性はあるのだろうか。
たとえ広いジャンルの決定であっても、必ず恣意性は生じるものである。
このような恣意的な決め方では、利用者のみでなく、企業からも不平不満の声があがることが
容易に想像可能であるが、どのように対応する予定なのだろうか。
なお、ルール策定において「利権癒着防止」を行うと掲げているが、
その具体的な方策についてはやはり述べられていない。
ひまそら氏は自身の経験を活かし、「東京都クーポンアプリを設計運用」すると述べている。
まず、地方自治法149条に規定される職務には該当しないと思われる。
また、地方自治法142条は、知事が自治体の請負人となることを禁止している。
恐らく法的な抜け道のようなものはいくらでもあるとは思われるが、ご教示を願いたいところである。
システムの設計運用の仕事自体を否定するつもりはさらさらない。必要な仕事である。
ひまそら氏の肝入りの政策だからこそ深く入り込みたいという考えも分からなくはない。
だが、それが知事としてあるべき姿なのか。
知事が公共工事最前線でショベルカーを運転していたら、その仕事がどれだけ素晴らしいものでも
「知事が何をやっているんだ」と思うであろう。構造としては同じようなことだと思う。
先述したが、そもそもアプリについては既存のプラットフォームは複数存在している。
はっきり言えば車輪の再発明である。これらのプラットフォームに勝るような新奇性・安全性を
担保できるのであろうか。
また、「ソーシャルゲームの設計・運営」と「クーポンアプリの設計運用」は大きく異なるように思われる。
この点については特に疎いので強い言葉は避けるが、経験は活きるとしても
それほど簡単に応用が利くものであるかは、専門家諸氏に伺いたい。
③政治献金の一切を受け取りません。
ただし、掲げる政策としては弱いように感じられる。
しかし、これによって「癒着」が無くなるかといえば話は別である。
他の都議会議員が献金を受け取っていれば「癒着」が生まれる可能性はある。
この可能性をどのように消すのか。「公金チューチュー」の項でも述べたが、
また、ひまそら氏は裁判のためにカンパを募っているが、これは紛れもなく献金である。
もちろん政治活動のための献金ではないため政治献金とは言えないが、
知事としてカンパに申し込んだ人に利する行為をすれば、紛れもない「癒着」といえよう。
ひまそら氏には、カンパに申し込んだ方々に利する行為は決してしない、と明言をお願いしたい。
なお、上記カンパの募集をしているひまそら氏が、自己財源で政治活動を行えるのかは
疑問の残るところではあるが、批判すべき内容ではないだろう。
一点目は、ひまそら氏を否定する方々へ。
気に入らない候補者だからといって、頭ごなしに否定するべきではない。
それができないなら黙っておいた方がいい。
二点目は、ひまそら氏を支持する方々へ。
さすがに盲目的に肯定しすぎではないか。私が批判した内容は一回でも頭に浮かんだのか。
この記事の内容を見て、じっくり考えてみてほしい。
私も的外れな批判をしているかもしれないので、もしもそうであれば指摘してほしいし、
真っ当だと思えば支持者として批判してほしい。
それができず、「小池/蓮舫/石丸陣営の仕込んだサゲ記事だ!」というのであれば、もう何も言うまい。
三点目はひまそらあかね氏へ。
政策の策定にあたって恐らくリーガルチェックはかけているとは思うが、
本記事での批判については、YouTubeやらXやらnoteやらでぶっ叩いていただいても構わないので、
疑問を解決する方向なり、方針を修正する方向なりで動いていただけると幸甚である。
普段の口の悪さを2段階ぐらい下げていただけるとよりありがたい。
その上で、これまで否定こそあれ、批判が少なかったことには警戒心を抱いていただきたい。
今の支持者だけでは選挙に勝てないのは明白なのだから、より支持層を広げなければならないが
その下地ができていない。政策を見てくれてさえいないのだから。
薹が立つという物言いが昔からあって、野菜などが栽培期間が過ぎると硬くて食べられなくなることから、年増女に対して歳を重ねたが故に性的魅力がなくなったことを揶揄してそのように言うことがある
「女性は性的価値・性的魅力を有して、それを維持・研鑽することを心掛けねばならない。それらがなくなったら存在価値はない」という価値観がその手の男性にはあって、その二つは男性からの評価があってのことだと思っているから、相手の存在意義を一方的に脅かすことができるという確信と意図をもってオバサンやババアなどと吐き掛けてくる
一方で、その手の男性は男性にあれこれ言ってくる女性が嫌いで、その女性に性的魅力がなければ嫌いという感情しか残らないから、その手の男性は普段からそのような女性を憎悪していて、それ故にそのような女性を攻撃すると英雄的行動をしたかのような陶酔感を覚えるようになっている
せやで。
作品の改変に関しての倫理観は原作者が許諾するかどうか以外の基準は存在しない。
視聴者の立場では作品のシナリオに納得できないと思う自由はあるが、単に出来が悪い商品を世に出したことに対する評価であって改変がどうこうというのとは問題が異なる。