はてなキーワード: 訃報とは
この妹さんが構われたがりならこの対応は正解だけど、こんな家族は嫌だな。これでもし訃報をまだ知らなかったらどうしたんだろう?わざわざ知らせてたの?というのと、真面目に悲しんでる時くらいそっとしておいてほしいというのと。
一日中、暇があればスマホを握り、ツイッターを眺め、くだらないことを呟き、フォロワーと会話したり互いにいいねを付け合い馴れ合っている。
絵師でもない、
インフルエンサーでもない、
ただのひっそりとした非公開の愚痴垢だ。
そんな私は昨日の三浦春馬さんの訃報もTwitterのタイムライン上で知った。
演技の上手い美しい人で、
時折バラエティなどに出るとその真面目さや繊細さが目立つ素敵な人だと認識していたくらいで、
彼が出演している作品をチェックしたり映画や舞台に足を運んだ事もない。
もしかしたら出演していたドラマをちゃんと見た事すらないかもしれない。
私にとって彼はそれくらいの人だ。
だが、それくらいの人のはずなのに、私はいま彼の死にものすごくショックを受けている。
三月の暮れ、志村けんさんが亡くなったときも「あぁ残念だな」と思った程度で、
「悲しくて仕事が/家事が手につかない」と言っている一般人の呟きやインスタのポストが理解できなかった。
もともと身内の通夜葬式でもお経の最中にうたた寝をしてしまうくらいの人間なので、
私は今後芸能人の訃報を聞いても対岸の火事という感じで心が揺さぶられることなどないのだろうと達観していた。
そんな私がなぜか今ものすごいショックを受けて、ツイッターで一切くだらないことが言えなくなっている。
なぜだろう。
Twitterを開く気になれずなんとなく5chの芸スポのスレを見てみると、
「ファンでもないのになんでそんなに悲しんでるの?」という書き込みが散見していた。
今もモヤモヤは晴れず、なぜだかずっと落ち込んでいる。
後追いなんかではなく、
ただ何の思い入れも接点もない私がここまで落ち込み引きずるんだから、
これがトリガーになり向こう側へ自分もという気持ちになる人が出てくるのはわかる。
誰にも本当の事なんてわからない。
綺麗事を並べても、汚い事実を探し出しても、もう真実なんてわからないのだ。
自分の出番が終わってやっと春馬の訃報と向き合っています...
なぁ、俺ら一緒に撮った映画どうすんだよ... まだ公開日も決まってないのに...— 西川貴教 (@TMR15) July 18, 2020
↓
そこじゃないだろ…
わかるが、、— 男の滑走路 (@ymqhvZVYZ8Ce3LV) July 18, 2020
映画の公開のことより
他にかける言葉はないんですか?— 友くん🍼🍑🗽💛💜(まりり七燐鈴TO) (@XfOmddR8YqJkd5F) July 18, 2020
なにこれ
言ってみれば「明日飲みに行く約束してだろ!(だから死ぬはずないと思っていたのに)何でだよ!」って男泣きしている人へ
死にたい。
死にたくない。
精神科に通院したり一旦は治ったりを繰り返して3年ほど生きてる20そこそこのダメ人間。
毎日頭のどこかで死について考えながら取り敢えず化粧をして取り敢えず仕事をして取り敢えず勧められたソシャゲのノルマをこなして眠る。このまま二度と目が覚めなくてもいいのにと思いながら。
昨日も取り敢えずのルーティーンで仕事して休憩と同時に某俳優さんが自殺したとの訃報。
驚いた、特にファンでは無かったけど周りには彼のことをそれなりに好いている子が多かったからふとその子たちのことを思い出したりした。
ツイッターの彼のファンだった人達のアカウントを見て、「嘘だと云って欲しい」「信じられない」悲しみに溢れた言葉に、こんなたくさんの人に求められてるのにどうして死を選んだんだろう?と疑問に思った。
家に帰って、なんとなくテレビを見て、涙を浮かべながら歌を唄う俳優さんを見て心がギュッとなった。
こんなたくさんのファンや同じ業界にいる友人知人を悲しませるなんて、私なんかよりもお金があって才能があって人望があっただろうに、勿体無い、あなたよりも死ぬべき人が沢山いるのに!そう思った。
けれど、家の中のふと縄をかけられそうな箇所を見たとき、そういえば私も死にたかったじゃん…って思い出した。
若くして綺麗なまま惜しまれながらも死を選んだ俳優さんのことで頭がいっぱいだったからすっかり忘れてた、私も死にたいんだって。
もうずっと死にたいって思ってる。
ある時はこのまま仕事に行くフリして線路に落ちようかなとか、ある時は職場に毒性の高い薬品が納品されてきたのを見つけてこれを横領して服毒自殺しようかとか、家に一人の間、一酸化炭素中毒で死のうかとか、貰った薬とアルコールを過剰摂取しようとか、やっぱりシンプルに首を吊ろうかとか、思いつくたびワクワクした。
でもタイミングが合わない、例えば今死んだら〇〇ちゃんに立て替えてもらってる〇〇代の1万円返してないのに死んだら〇〇ちゃんに迷惑かかるなぁとか、職場のモノを横領するのは犯罪だよなぁとか、暫く家に一人になれる日が無いなぁとか、冷静に考え始めてしまっていくうちに今は死にたくないに切り替わる。
今度は死に方に拘り出してどうせなら一番綺麗で高かった服を着て入れたかった刺青を入れて一番好きな化粧をして死のうとか、逆に今は顔の調子が良く無いから死ぬのは後にしたいとか始まってまた死にたい期を逃す。
仮に死ぬ方法とタイミングが合致したとしても、いざ実行しようとすると身体がすくんで結局出来なかった、心は死にたくて死にたくて堪らないのに、もういっそ急に誰かに首をはね飛ばされるとかしたら楽なのに。
しかしここで思い出す、よく考えたら私子供の頃から何一つろくに出来た試しがないダメ人間だったじゃないかと。
小3の頃夏休みの宿題は提出間に合わなかったし、中学も受験勉強するする云って結局まともにしなかったし、高校もちゃんとするする云って結局友達ひとり作れず保健室通い、同人活動していた時代とか少しだけあったけど新刊落とす頻度の方が圧倒的に高いくらいに好きなはずの絵を描くやる気すらない〆切を守れない、家のお手伝いとかそういうのも云われなきゃ出来ない1から10まで云われないと動けないダメな子だと怒られた。
そんな奴が自分の意志で自殺を完遂させられるか?無理だろ。そう気づいた瞬間、自ら死を選んだ彼の決断力がより良いものに思えた。ファンの人には叩かれるかもしれないが。
でもこれは彼に限らず自殺を完遂出来た人達みんなに対して思っている事なんです、1から10まで云われないと何も出来ない、自分から動けない、行動力決断力がない、優柔不断、ダメ人間。
自ら死ぬことを選んで見事自殺に成功した人はすごい、羨ましい、私は今日も取り敢えず出された薬を飲んで、次の通院の時に話すためのメモとしてここに自分のダメ人間ぶりと死ぬ覚悟と決意が出来た人が素晴らしく羨ましいことを残しておきます。
元々芸能人に詳しくない自分でさえ、この人の事はそこそこ好きで。画面の向こうはもちろんのこと、舞台の上でピンヒールを履いて、凛とし颯爽と歌い踊る姿はとても衝撃でかつ、綺麗だった。
順風満帆に見えていただけで、何かしらあったのだと思うと、やり切れない。
昨日の夜、私は友人達と豪勢な食事をした。満足気に彼らと別れて、電車に乗って帰宅した。
その帰り道、別の路線で人身事故があった。憂うでもなく、怒ることも無く、何事も無く、私は帰宅した。
私達が楽しく過ごしている中で、誰かは悩み、自ら命を絶っていた。いや、もしかしたら体調不良でホームに落ちてしまったのかもしれない。
何の気にも留めない日常の中に、死は存在していて、弔う思いもまた沢山生まれている。自殺だけじゃない、今この瞬間に事故や病気で亡くなる人がいて、誰かが悲しんでる。
三年前、昔付き合っていたAが「人身事故で帰れない。ほんとに迷惑だからやめろ」とツイートしていた。
他にも沢山の人がツイートしていた。その時は、あぁ大変だなとしか思ってなかった。
その数十日後、その人身事故で亡くなったのは、Aの後に付き合ったBだった事がわかった。
彼が亡くなる前日や、その真相を知る前までは、私は楽しく何も考えずにただただ日々を過ごしていた。だって知らなかった。そんな事になってしまっていたなんて。
BのSNSを見ると、亡くなる前々日まで、普通そうだった。そもそもSNS更新自体が多くない人間だった。亡くなる前日のツイートはなかったけれども、病んだ様子もなくて、元気そうだった。
なぜ自ら命を絶ったのか、それか体調不良でホームに落ちてしまったのか、真相は分からない。
私が楽しく可笑しく過ごしていた日々の中で、そして今も誰かが亡くなり、誰かが悲しむ。寄り添ってあげたかった、久々に連絡してみればよかった、舞台を見に行けばよかった、ラジオを聞けばよかった……。そんな後悔をしても、もう何もかも遅い。
10年以上前になります。友人Aが自殺を図りました。結果は未遂です。
Aとは高校時代にあるアーティストを通じて知り合い、以後お酒を飲める年齢をすぎる頃まで友人でした。
お互い初めての社会人生活に悪戦苦闘していた時期でもあり、時々飲みに誘い合っては楽しいこと辛いことを語り合い、まあ良い関係で過ごしていたと思います。
ありがちな表現になりますが、「そんな素振りはなかった」というやつです。
それでもAは私の与り知らないところで追い詰められ、勤め先の屋上から飛び降りたそうです。
病院へ見舞いに行ったとき、頭部はなんともなさそうでしたが車椅子すがたで、足腰を相当に砕いたようでした。
私は報せを受けてからも、病院で顔をあわせてからも、「馬鹿野郎」という気持ちしかありませんでした。
本人にも言いました、この馬鹿野郎がと。こんな馬鹿の見舞いなど時間の無駄だったとまで言い放ちました。
最低最悪です。当時の私は「自殺の否定が叱咤激励になる」と信じていたのです。書いてて頭いたくなってきた、馬鹿は私だよ。
Aは怪我と心の療養を経て社会復帰しましたが、もう私とは友人ではなくなりました。
ただ否定するばかりの私に友情など感じなくなって当たり前です。
元気になったAは「こっちだってお前みたいなやつに見舞いにこられて迷惑だった」と言い残し去っていきました。以後お互いどこでどうしているかは知りません。
そんな経験があったからこそ、三浦春馬さんの選択を否定したくない……などと180度回転できるか。
春馬さんと友達になりたかった!(※一般人なので可能性のかの字もない)
悲しい最後を選びおって、と同時に、彼は30年を生き切ったのだブラボー!という気持ち。
私の好きな人は遠くに住んでいる。
昨今の世の中ではおいそれと会いに行ける距離ではない。
私はともかく、彼女は忙しくしているので、lineでのやり取りこそは出来るが、声を聞ける機会はあまり、ない。
とはいえ、お互いに予定の合う時には通話をする。平気で一時間二時間喋る。
文字でのやり取りではなかなか言えないことや聞けないことをやり取りができるので、少なくとも私にとっては貴重な時間だった。
私はさほど俳優に興味はない人間だが、それでもその俳優の名前は知っていた。
ただし、その俳優がどのような作品に出演していたかとか、代表作とか、そういったことは全く知らなかった。
もしかしたら知っているのかもしれないが、ぱっと思い出すことが出来ない程度の理解度だった。
彼女にとってその俳優がどのような存在だったのか、私は知らない。
ただ、私の決して誇ることのできない記憶力を頼りにしても良いのであれば、彼女からその名前を聞いたことはなかった。
数秒前とは明らかに異なる、戸惑い、動揺し、沈み込み、落ち込んだ声色で。
私と彼女の楽しいはずだったお喋りは、そうしてあっという間に閉幕した。
彼女に話したいことがたくさんあった。
悩んだ末に買った靴の履き心地。
くだらない日常と笑われるかもしれない。
けれど、私は彼女とそれを共有するのが好きだった。
共有した時の、彼女の頷く雰囲気や、喜んでくれる様子や、ちょっと掠れる笑い声なんかを聴くのが好きだった。
私と彼女は、少しの間あたりさわりのない会話を交わし、結局気落ちした彼女を元気づけることもできないまま、通話を終えた。
そうなると分かっていたから、私は彼女に訃報を伝えなかったのだが、私の小細工なんて意味がなかった。
そして、またしばらく、私は彼女の声を聞くことが出来なくなった。
どうしてそんなことをしたのか、私には分からない。
そのうち、ワイドショー辺りが取り上げるのだろうけど、正直に言えばどうでもいい。
それを知る権利があるのは、某俳優に近しい人達だろうし、その人達だけで充分だと思う。
ただ、出来れば亡くならないでいて欲しかった、と勝手なことをつい、考えてしまう。
私は某俳優のファンでも何でもなかったが、それでも自殺しないで欲しかった、と思う。思っている。
もし、某俳優が亡くならなければ、私は彼女といつものように通話が出来ていただろう。
彼女は、落ち込んだりするようなこともなかっただろう。
私と某俳優の間には、全く接点もなければ、私からの一方的な感情もなかったけれども、そんな私にさえ、某俳優の存在は大きな影響を与えていた。
きっと、私以外にもそんな人はいるのだろう。
きっときっと、たくさんの人が影響を受けていたのだろう。
自殺を考えるなんて相当なことに違いない。
ましてやそれを実行してしまうなんて、とてつもないことだ。
それほどまでに追い込まれていた某俳優に、自殺をしないで欲しかった、踏みとどまって欲しかった、なんて軽々しい白々しいと自分でも思う。
それでも、私は某俳優に亡くなって欲しくなかった。
たぶん。
私よりも、強くそう思っているであろう彼女は、今頃落ち込んでいる。
とても不誠実だし、下心満載だとは思うけれど。
私は、貴方の死が悲しい。
・好きな活動者の方がいて、その方が以前から変に噂が立っていた異性の活動者とコラボするらしい。別に私はその人とリアルで会いたいとか関係持ちたいとか思った事は一切無いけどなんかモヤモヤする気持ちがある。その事を友達に言ったら「ガチ恋じゃん」って言われたけど別にそういうわけでもない。なんかこう、結局私はただの一般人で、活動者は有名人で、そこは決して交わる事のない世界である事を突きつけられたような気持ちが強い。
・自分の妄想癖がガチで酷い。1度ここでその事について書いたこともある。昔から自分の妄想癖が他人に比べて群を抜いて酷いのは薄々気づいていたし、逆にそこを活かせば長所になるんじゃないかとプラス思考な事を考えていたが、最近確実にマイナス方向にしか働いてない事に気がついた。妄想の中ではいつだって自分がNo.1で居心地が良くて、この世界が実現してればな~と幸せな夢の世界に浸っている間に友達は恋人を作り、勉強して、成功していた。結局私は妄想の中でしか生きられない凡人以下の人間だったのだ。それでも妄想は辞められないし、現実に引き戻される度にギャップに絶望する。苦しい。
・今日、有名な俳優の訃報が目に飛び込んできた。この日記に辿り着くような人は嫌でも詳細を見てきたはずなので、詳しくは書かない。そういや何年か前までは訃報で目にするような芸能人の名前さえ知らなかった。ニュースを見るうちに、自分が産まれる前や幼い時に活躍してた方だったんだな、と学んでいた。しかし、最近になって亡くなった芸能人に見覚えのある名前と顔が増えてきた。しかも結構若い人。その度、胸が締め付けられる思いがする。無力で何も出来ない一般人の私のはずなのに、「自分に何か出来たんじゃないか?」と思ってしまう。この方は亡くなったから注目されているだけであって、今も生きてはいるけど生きている心地のしないほど苦しんでいる人だっているんだよな、と考えるだけで悲しくなる。自分、このままでいいのか??地方住みで最近コロナの第二波に怯えてる妄想癖持ちのクソ人間だけど、本気を出せば何人か救えたりするんじゃないか?
最近思った事ただつらつらと書いたのみです。皆さん良い週末を。
もしあなたの知っている誰かが亡くなって、その悲しみを周りと分かち合えないという状況だった時、これを読んで少しでも「同じ気持ちの人がいるんだな」と思ってもらえたらいいと思う。
知っている人の訃報を聞くと、ふつう悲しくなる。知らない人の訃報は、「へー」で終わってしまうこともある。
その人のことを知っていてもよく知らなくても、自殺の報は気分が沈む。それも普通とは少し違う風に。
有名人の自殺を通して、私は過去の夏に自殺した友人を見ている。
いや、自殺かは分からない。かの有名人だって本当に自殺かは分からない。誰も死に目を見ていないのだから。しかし、状況から見て自殺としか思えない。
そうなると、心は混乱する。重い悩みを抱えていたんだろう、どうして気づけなかったのか、と思う一方で、もしかしたら突然の心臓麻痺かもしれない、ひょっとすると自殺に見せかけた殺人かもしれない、などと突拍子もないことを思いついてしまう。そんなはずがなくても、その人が死を選ぶ程の悩みを抱えていたということや、自分や周りがそれに気づけなかったということを否定したくなる。
後を追うことは考えなかった。もし私が死んだら、私の友人は今の私と同じ気持ちになるのかと思うと、できなかった。
もし身近な人や好きな有名人が亡くなって、少しでも後追いを考えてしまっている人がいるなら、絶対にやめてほしい。
亡くなった人は、それを望んでいない。断言する。
訳あって、私は周囲の人間より少しだけ先に友人の死を知った。そして、そのことは発表されるまで誰にも言わないようにと言われた。
これがメチャクチャきつかった。周囲の人は、突然姿を表さなくなった友人について様々な噂話をする。死んだ?死んでない?何が原因?病気?いじめ?
半笑いでそんなことを話す奴はもちろん許せない、ぶっ飛ばしてやりたいが、真剣な顔で話している人もとにかく嫌だった。友人とろくに話したこともないくせに、何も知らないくせにと思っていた。でも、友人のことを何も分かっていなかったのは私も同じなのだ。だから友人は死んだ。誰にも言わずに一人で死んだ。私は不安な気持ちが拭えず、様々な不確かな憶測をめぐらせた。そいつの悩みは私が思いつくそのどれでもないかもしれないのに。所詮噂話をする無関係の奴らと一緒だった。葬式にも行けなかった。
今ならこう思う。友人のことを知らない人は、知らないなりに不安だったのだ。そして私ももちろん不安だった。大切な人が亡くなったときの状況や、心情を知りたいと思うのは自然な感情だ。だからそのことについて色々考えてしまうし、ネットで自殺者の心情や方法なんかについて調べてしまう。だがそういう情報に触れすぎると心は疲弊する。一種の自傷だ。だからそういうときは、テレビやネットに触れず、美味しいご飯食べて、風呂入って、好きな音楽聴きながら寝よう。
あの人はあんなに苦しんだのにそんな脳天気な生活してていいのか、とかそんなの考える必要は全くない。私のあの行動も自殺に追い込む一因になってしまったのではないか、とかも考えなくていい。メンタルが参っている時は、とにかく自分に優しくしろ。何も我慢するな。色々考えるのは落ち着いてからでいい。
自分がその人の死を止めれたんじゃないかとか、考えなくていい。あなたはその友人に冷たく接しただろうか?暴力をふるっただろうか?心無い言葉を浴びせただろうか?心当たりがないなら、それはあなたのせいじゃない。あなたの知らないところで、もしかしたらその人は苦しんでいたかもしれないが、それに気づけなかったのはただ運が悪かったのだ。だって気づいていたのならば、実際にはできなかったとしてもあなたはなにか行動しようとしていただろう。だからその人の死を悲しんでいるんだろう。
なんとも沈んだ気持ちのとき、静かな自分の部屋に一人でいると、今なら死ねそう、と頭に浮かんでしまうのだ。
鬱だ、死にたい……ではなく、なんとなく軽い気持ちで、あ、今なんか苦しまずに死ねる気がする、と思ってしまう。
そういう思考に変な思い切りの良さが加わると、人は息をするのをやめてしまう。
個人的な意見だが、人生はギャンブルのようなものだと思う。負けていてもずっと続けていればいつかは勝てるかもしれないし、今のツキが良いならその後の負けを恐れて降りたくなるかもしれない。この先アタリがくるかもわからない低迷の中にいて、私の友人は勝負を降りてしまった。
友人が亡くなった直後でも、1週間後でも、1ヶ月後でも、1年後でも、その後も、なんやかんやで世界は回るし、友人に影響を受けたはずの私も普通に生活できてしまうのだ。大切な人が死んでも、意外と生きていける。その事がショックだ。
ただ、私は友人の年齢を追い越してしまったし、友人は今伝染病で世界がものすごいことになっていることも、オリンピックが延期になったことも知らないんだなあと思う。
人が死ぬと、その人は異常に美化されるようになる。
たしかに素晴らしい人だった、だったけど、より美化されるようになる。みんな、あんなにいい人だったのにと急に言い始める。それを見ていると、なんだか死んでからじゃないと周囲から褒めてもらえないんじゃないかという気になる。
あちこちとっちらかった文だけど、要するに私は誰にも死んでほしくない。自殺は何も解決しない。苦しみから解き放たれるかもしれないが、それは楽になるということじゃない。ただ遺された人が本物のその人を忘れ、過度に美化された幻影を崇拝し続けるだけだ。死んだ方も、死なれた方も、得はしないと思う。
幻影でもその人のことを思い起こすことが無意味であるとは言わない。ただ、できるならみんな、生きているその人を見ていたかっただろうと思う。
繰り返す。なにも、あなたのせいじゃない。
三浦さんのファンだったわけではないけれど、ドラマに出ていればかっこいいなあと素直に思うくらいには好きだった。
訃報を知って泣くくらいには好きだった。
三浦さんではないけれど、自分にも好きな俳優さんはいるので、三浦さんのファンの方の悲しみは計り知れない。
ただただ、三浦さんのご冥福をお祈りします。
本題。
しかし、不意にやってくる、数年前に亡くなった妹関連で未だに怒りが湧いてきて、どうにか発散しようとネットを開いたところに、三浦さんの訃報を目にして心が完全にひしゃげた。
もう今日は使い物にならないだろう。
妹は数年前に自殺した。
なんとなく、確証もなく老後2人で縁側に座って話してるのかと思ってた。けどそんなことなかった。
殺人や事故だったら殺した犯人を憎めたけど、自殺は殺した犯人も被害者も同一人物だから憎しみも悲しみもごちゃ混ぜになる。
今でも妹のことを思って泣くことはあるし、体がだるくて動けなくなる。
その他色々、本当に色々、大袈裟にではなく、自殺の前と後では生活、性格、人生の全てが変わる。
本当に自殺は最悪だ。
序盤に書いたが、妹の自殺について、私にとって悲しみよりもずっと残るのは憎しみだ。
ずっと妹のことを思って泣いていたかった。
けど、醜く心に残ったのは怒りの方が強かった。
そして怒りの感情の方が長く残る。
死んだ妹に対して怒りはない。
自殺なので遺書もまああったが、正直なところどう思ってたのかなんて、誰にも分からない。
何故死んだのか、何故私に言ってくれなかったのか、とかはもういない人間に対して怒るのは疲れた。
私が憎い相手は2人いる。
1人目。妹の友人。
妹は母親が嫌いだった。
私は特に好きでも嫌いでもなかった。
なので妹の意見には同調できなかったが、妹の友人(Aとする)はそんな妹の気持ちをわかってやれたらしい。
それでもこのメールは見せないでくださいとか、私だけが妹のことをわかってる、みたいなそんな内容だった。
葬式にもAは来た。
私は受付をしていて、両親が参列者の相手をしていた。
妹に対しての、学生時代の旧友がくれた手紙などはあったけど、母親に対しての手紙。
嫌な予感がして母親から取り上げると、妹が母親を嫌っていたことがつらつらと書かれていた。
注釈しておくと、妹は母親を嫌っていたが、母親は妹のことを格別嫌っていたわけではなかった。
なので、妹の死に対して本当に母親は悲しんでいた。
私は親元を離れて暮らしていたので話に聞く程度だったが、会えばいつも泣いていたし、葬式でもずっと泣いていた。
そんな母親に対して「あなたの娘さんはあなたのこと嫌ってましたよ」なんて手紙を渡すか?
妹は嫌いだったかもしれないけど、私はそんなに嫌いでもない母親だ。
妹の遺品を整理して、妹の葬式の準備をして、毎日妹の死に触れて、妹が二度と帰ってくることのない実家に暮らしている母親に対して、葬式に来ただけの人間がそんなことするか?
本当に腹立たしかった。
手紙を渡すだけ渡してAはさっさと式場を出たらしい。
本当に憎らしかった。
妹の葬式に行くこと、母親に手紙を渡そうとしてることなどツイートされていて、憎しみが重なるばかりだった。
憎ければ見なきゃいいといえば本当にその通りだ。
本当に本当に憎い。
Aは愛しき友人のために、憎き母親へ一矢報いていい気分だっただろう。
Aにとって母親は、死んだ妹の仇敵だったけど、母親は私の母親でもある。
恨みつらみの手紙を送られて、精神に異常でも来たして後遺症でも残したらどうするつもりだったのだろう。
フィクションなら友人の復讐を遂げられて良かったかもしれない。
けれどここは現実だ。
Aにとっては自身の物語の重要な登場人物だった妹の仇をとって満足だっただろうが、モブの私や母親にも物語がある。
モブだと見なされた人間もちゃんと生きて家族がいて仕事があって人生がある。
妹が死んだ後のエピローグは最悪だ。
その患者は妹が亡くなったのとほぼ同じ年齢だった。
それだけでうわっと思ってた。嫌だなと思ってた。
カーテンを開けると、その患者はもりもりとご飯を口いっぱいに含ませ食べていた。
はあ?と思った。
けれど、それだけで、ふつふつと怒りが湧いてきた。
指導者が話しているのを横で聞いていただけだったが、ずっと私はその患者が憎くて睨んでいた。
なんで妹は死んだのに、お前は元気に生きて飯食べてるの?
別に妹のことは直接関係はない。本当に理不尽だし、本当は生きてて良かったと思うべきである。
しかし私は今でもあの女がもりもりと飯を食べている姿が脳裏に焼き付いて憎い。
私はそんなに人を憎まない性格だった。と思う。
Aと比べて、私や家族が何かされたわけではない。
けれど妹が死んで、生きている人間が不意に憎たらしく思うことが増えた。
認知の歪みだと思う。
自分でも理不尽だとわかっているけど、感情がそう思ってしまうのだから、どうしようもないのだ。
妹は見つけた時もう死んでいたのに?
妹は初めての自殺行為だったのに?
妹は死にかけた朝にご飯を食べることもなかったのに?
考え出すとぐるぐると、どうしようもない。
認知の歪みがわかっていても矯正することもできず、顔も覚えていない相手に今日まで怒りを抱いてしまう私がいる。
自殺は全てを狂わす。
不幸の行き着いた先の選択だ。
深く関わりがない、知っているだけの人間ももれなく全員不幸へ道連れにする最悪の選択だ。
この文章は実際に起きた出来事をもとに書いています。誰かを批判したり糾弾する意図はなく、事件の備忘録として秘匿で公開することをご了承ください。
また、特定を防ぐため一部事実と異なる記載もしていますが大元の筋は変えていないつもりです。
SNSで死んだはずのフォロワーが転生した。ちょうど一年前の7月の話だ。以降便宜上転生する前のそのフォロワーをAと仮称する。
Aとは今から三、四年くらい前にTRPGのセッションで知り合い、何度かオンラインで卓をし、作業通話などを行ったこともあった。声を聞いたり私生活を聞く限り、とても若いなという印象があった。
今から一年前の5月。その日は私と何人かのフォロワーがプレイヤーとしてAにTRPGシナリオの続きを回してもらう予定だった。ところが時間になってもGM(ゲームマスター、シナリオ進行者のこと)であるAは現れない。連絡しても反応がない。心配に思いつつシナリオ進行者であるAがいない以上卓を行うことなどできないので結局その日は解散となった。
Aのアカウントが沈黙して数日後、Aの親族を名乗る人物がAのアカウントを使いタイムラインに投稿した。なんでもAは腹痛で病院に運ばれたのだという。さらに数日後、A自身が自分の身体に癌が見つかった、初期の発見ではあったが命に関わるものだという旨のツイートをした。
この話を聞いた時、私よりはるかに若いAが重い病を患う事実は正直にショックだった。A本人からはしばらく卓ができない旨の謝罪があったがそれより元気になってほしいと思った。私自身、昔上司を癌で亡くした経験があり、癌の恐ろしさはある程度知っているつもりだった。癌というのは本当に、ぞっとするほどあっという間に命を奪う。
しかし、Aの体調によりAとの交流がストップし、AとはSNS上のタイムラインを見るだけのやりとりとなった中で小さな違和感が芽生え始めた。
AはA自身のSNSによれば抗癌剤による治療を受けているとのことだった。その中でAはかなり頻繁に他のフォロワーと通話を行っていたようなのだ。それも夜遅くまで。私には入院経験がないので病院のきちんとしたスケジュールは把握してないが、就寝時間が深夜に設定されている病院を私は知らない。それに抗癌剤治療はものすごくきついと聞く。それこそ毎日通話する余裕があったのだろうか、と。ただこの時は多少違和感があった程度でAを疑うまでは至らなかった。何よりフォロワーの病を疑うのは失礼だと思っていたから。
一ヶ月後、再びAの親族を名乗る人物がAのアカウントを使用し報告した。Aが亡くなった。
この報告を受けて私の中の違和感は確実に膨らんだ。癌は若い人ほど進行が早いと聞くが、いくら何でも早すぎる。それに腹痛で運ばれたにも関わらずAの親族が告げたAの死因は腹部や消化器系の癌ではなかった。Aの死を悲しむ気持ちと違和感だらけの事実に頭がごちゃごちゃになった頃、同じくAがGMを行った卓にPLとして行き、卓が中断していたフォロワーから連絡があった。「Aのことどう思う?」。
私はAの訃報は悲しいが、違和感があり正直信じられないと答えた。フォロワーも同意見だったようだったが、それ以上言及することはなく、私はAの訃報にお悔やみの言葉を送った。
数日後、SNS上で中断していた長期卓のGM募集をよく見るようになった。私がAの訃報で中断となったシナリオの卓もけっこうあった。私はこれらがAの一件によるものだと知り、その多さに愕然とした。Aは確かに時間のかかるシナリオやキャンペーンシナリオをよく回していたが、とある一人のフォロワーがAに対して6つの中断したシナリオを抱えていると聞いた時は慄いた。
私はAのSNSに連絡を取った。Aの訃報に対するお悔やみの言葉、その上でAに対する違和感、もしAが生きているなら返事をしてほしいこと、もしAが亡くなっておりAの親族がこれを見ているのならこれはAに対する言葉なので返事をしないでほしいことをAの個人チャットに送信した。
Aと私は竹馬の友と言う訳ではない。せいぜい数回遊んだ程度の、何かあれば簡単に縁など切れてしまう程度のフォロワーだ。それなのに今でも馬鹿な連絡を入れたと私は思う。Aにもまだ誠意があると少しでも思ってしまった。この時Aに連絡を入れたことは今日に至るまで誰にも話していない。
私が文章を送信してから三時間ほど後にAの親族から返信が来た。あなたの送った内容に憤りを感じている。私(Aの親族を指す)も嘘だと思いたい。もAに生きていて欲しかった。そんな感じの内容だった。
私が考えていた中で最悪のパターンだった。同時に私はAは生きていると確信した。
私はAに嘘でもいいから生きていてほしかった。だからA本人から連絡がくるのが最高のパターン。次にこのままDMが動かす読まれることなく終わる、もしくは返信なくブロックされるのが想定内のパターン。どんな親切な親族だろうと身内の死を疑う内容の文面にまともな返事を送らないだろうと考えていたからだ。そもそも本人以外返事をしないでほしいとわざわざ書いた。
Aは私という他人の前ですら、誠実なふりをすることすら辞めたらしい。親族という皮をかぶり本当に身内を喪った親族からすれば気分を害する内容の連絡にさほど時間を置かずに返ってきた妙に丁寧な文章、「あなたは誠実な人なのですね」という一文がただただ気味悪かった。私はこれ以上の言及は無意味だと適当に連絡を打ち切った。
それから一ヶ月後、とある匿名アカウントが現れる。警告アカウントと題されたそれにはAが別のアカウントを使い、別人としてシナリオを制作し卓の募集をしているというものだった。死んだフォロワーが転生した。ちょうど一年前の7月の話だ。
私は特に驚かなかったが心底がっかりはしたし憤りもした。新しいアカウントとやらに見に行くと確かに作成したシナリオはAと酷似している。というかほぼ同じだ。もうちょい上手にやれよと呆れざるを得ない。警告アカウントが広まり始めるとAの新アカウント(仮)はアカウントのみ残して消えた。
そこからさらに数ヶ月、とあるTRPGシナリオを目にした。それはAの新アカウント(仮)が作成していたシナリオそっくり、というかほぼ同じで、あっと思った頃には警告アカウントも再び動き出していた。転生、アゲイン。ここまで露骨に分かると笑ってしまう。笑い事ではないのだけれど。
ただ前回と違うのはその新アカウントはめちゃくちゃ人気を博しており、現在に至るまで消えていないということだ。Aが生きていた頃から感じていたことだが、Aには「信者」なるものがいるらしく、以前Aが問題ごとを起こしたときも指摘をした人がAの信者らしき匿名アカウントにものすごく叩かれたのだという。今回も新アカウントにコンタクトを取った末叩かれたり脅迫されたりした人を何人か見た。
地獄への道は善意で舗装されている、という言葉をまざまざと見た。新しいアカウントでのフォロワーは1000人を超え、再びいくつもの長編シナリオを回す予約を取り、さらにシナリオの販売まで始めたAは次はもう転生できないだろう。前回と異なり金銭が絡んでいるのだから。なのに転生したAはまた同じようにいくつもの卓を立て大量の長編キャンペーンシナリオを制作し、そのどれもが制作途中に関わらずすでにプレイヤーを募集している。
私は転生したAを見つけたときとてつもなく怒りの感情があった。他人とのコミュニケーションと信頼の上で成り立つゲームを途中で放り出され、癌という最悪の部類の嘘を吐かれ、批判覚悟で送った文章を足蹴にされた。その上すぐにバレるような形で転生し、なんの反省もなく同じことをくりかえしている。
だが転生を繰り返すAを今はただただ哀れだと思う。嘘をつき続けるというのはすごくしんどいことではないだろうか。それとも息をするように嘘が吐ける体質でもあるのだろうか。それはそれで嫌な人生だ。
私はAと関わりのありそうな全てのアカウントをブロックし、以降は目に入れないようにしている。警告アカウントも流れてきたものを目にするだけで特にリアクションしない。警告アカウントも警告アカウントでAの新アカウントの作品動画に直接警告文を送るなど、段々過激になっていることに少なからず嫌悪を抱いている。これらAに関する一件に触れたくないフォロワーもいる。私は真実かどうか分からない薄い正義より今でも一緒に遊んで元気に生きてくれるフォロワーの方が大事なのだ。
フォロワーがAの新アカウントをフォローしたりAの新アカウントが作ったシナリオで遊んだりすることも特に何も思わない。警告アカウントができた当初はフォロワーへの注意喚起として拡散したりもしたが、フォロワーが誰と何で遊ぶかはフォロワーが選ぶことだ。フォロワーに対する余計なお世話である。
ただ何も思わないっちゃ思わないのだが、新アカウントの動向を軽く見た限り恐らくその人は同じように大量の長編シナリオの予約をしてすっぽかす可能性が非常に高いので苦労するからやめとけとは思う。ちなみにそれなりに募集はかけたが一年が経った今も私達が放棄された卓の続きを行ってくれるGMは見つかっていない。
ここまで書いておいてなんだかAが死んだと嘘をつき、新アカウントで猛威を奮っているという確たる証拠はない。もしかしたらAは本当に亡くなっていてAによく似たシナリオを描く誰かなだけかもしれない。そうであってほしいとも思う。
Aの訃報を聞いた時、嘘でもいいから生きてくれと思った。Aの新アカウントを見つけたとき頼むから死んでいてくれと願った。今はもう嘘が本当か分からない夏の怪談話の一つを手に入れたような気分だ。
私はAの転生を見て様々な学びを得た。計画性なく卓を詰め込みすぎないこと、できないと思ったら素直に申告すること、心からの謝罪の大切さ、過ちを庇うだけが思いやりではないこと、人はそう簡単に変われないこと。
皮肉なことに不幸中の幸いなのはAが家族でも親友でも恋人でもない、ただ数回遊んだ程度の、何かあれば簡単に縁など切れてしまう程度のフォロワーであるということだ。もしも家族や友人がAのようだったらと考えるとぞっとする。家族や友人が善意で舗装された地獄への道を歩いているとき、多分私は何もできない。
せめて、私が大切だと思う人たちが嘘による転生などを行わないことを、嘘の繰り返しで誰かを傷つけないことを、ただただ願う。
ある程度読んでいる人前提の記事であり、ネタバレの要素が含まれています。
もしこの記事を先に読み、興味が湧いたという方がいらっしゃいましたら、是非漫画も読んでみてください。
タイムパラドクスゴーストライター/ジャンプ本誌新連載マンガ試し読み - 市真ケンジ/伊達恒大 | 少年ジャンプ+
週刊少年ジャンプにて連載中の漫画。2020/24号から連載開始。
2020/07/17時点(2020/32号)で9話まで連載されている。
漫画家志望の青年・佐々木哲平は週刊少年ジャンプ編集部に何度もネームを見せるもボツ続きの日々を送っていた。
ある日、落雷の影響で電子レンジから10年後の未来の週刊少年ジャンプが送られてきて、
そこに載っていた新連載漫画「ホワイトナイト」に感銘を受ける。
それを盗作し、連載を勝ち取るが、そこに本来の作者である藍野伊月(PN:アイノイツキ)が現れ、
ひょんな事から藍野伊月が哲平のアシスタントに加わることとなる。
ホワイトナイトが未来のアイノイツキからの盗作である事を隠しつつ、哲平は毎週送られてくる未来のジャンプを参考に連載を続けるが、
そこには
という旨が書かれており、哲平は戸惑いながらも藍野伊月を救う決意を固める。
未来からのメッセージから半年後、藍野伊月はANIMAの連載をスタートさせるため、アシスタントを卒業する。
佐々木哲平vs藍野伊月がついに始まろうとしていた。
第3話 同類
第4話 贋作
第5話 本物の偽物
第6話 ストップ!
第8話 メッセージ
第9話 白紙の続き
未来のジャンプは1の世界線から2の世界線に向けて送られてきている。
で未来から佐々木哲平に向け、砂鉄を利用したメッセージが送られてきた。
送っているのが人なのか何なのかはまだわからない。
哲平がお前は誰だ?何者だ?と聞いた時、
√144や藍野伊月が頭に付けているヘアピンのマークが表示された。
・ ANIMAを藍野伊月が連載する事を知っている
・ 佐々木哲平が藍野伊月に負けると藍野伊月が死亡することを知っている
この事から
・ すでに藍野伊月の死亡を一度は確認している
・ ホワイトナイトを失った藍野伊月がANIMAを執筆する事を確認している
・ 藍野伊月を救う方法を分かっている
さらに
「藍野伊月を救う方法を確認しているという事は、すでに何度か藍野伊月の死を経験しているのではないか」
という事も推測できる。
と逆説を考えると
ANIMAを知っているはずの未来からのメッセージを送っている人と、ホワイトナイトの連載がある未来のジャンプを送っている人の世界線が異なるため、別人である可能性がある
ということも付け加えておく。
現在は死因について全く触れられていない。
どうしたら辻褄が合うか考えてみる。
・ホワイトナイトを執筆し続けた場合、10年後に熱狂的なファン(ストーカー)に殺される
・ANIMAを執筆した場合 人気投票1位を取る ー> インタビューに答えるなどをし作者の顔が世間に知られる ー> 熱狂的なファン(ストーカー)に殺される
こんな死因ではないか?と考えると
「漫画の人気投票で1位を取ることが無ければ、世間に注目される事が無く、殺されないのではないか」
とも導き出せる。
この推測があっていた場合は佐々木哲平がANIMAに勝ち続ける必要はない。
ANIMAが一位を取ったとしても世間の注目さえ浴びなければいいので、個人情報は絶対晒さないなどでも回避できるが、
美少女漫画家などマスコミからすれば良いネタなので藍野伊月の性格から考えると難しいだろう。
佐々木哲平が勝ち続けると注目が佐々木哲平に移るという事も考えられる。
その場合、
なんてという展開も考えられる。
もしその時は
ジャンプを腹にでも入れていて命が助かった
という展開でジャンプをヨイショするのもアリだろう。
事故や病死だった場合、漫画の勝敗は余り関係がなくなってしまうし、別の要因を排除するのが自然だろう。
過労死という展開も考えられるが、漫画が描きたくて漫画家になり、漫画を描いて人気絶頂で死ぬ。
これを止める権利は誰にもない。人気で勝ち、萎えさせろ!なんていう後ろ向きな死の止め方はため息しか出ない。
この藍野伊月の死因については不明な点が多いため、さらなる情報を求めたい。
ハッキリとした理由は不明だが、現在までの哲平の想いを羅列すると
などがある。
藍野との関係性は漫画家-アシスタント(現在は作家仲間)の間柄程度で、
良くて友人レベルまではあるが、恋仲といった描写は今の所無いようだ。
2030/24号から2031/21号まで佐々木哲平の手元に存在している。
月曜日の16:59に毎週届くが、例外として合併号の翌週は届かない。
また2031/20号はホワイトナイトの掲載がなかったため、届かなかった。
また、最初に届いた2030/24号は一度消えたと思っていたが、隙間に落としただけで残っている。
その他の号はコピーしていたり、本棚に置いてある描写があることから保管しているものと思われる。
10年経っているため、哲平の知っている作品は一つも無いとのこと。
ホワイトナイトは2031/19号の45話が最終話になるという旨が合わせて記載された。
時が進むのがめちゃくちゃ早い。(9話にして劇中ではすでに一年が経過した)
存在しないホワイトナイト46話以降のネーム苦労していたような描写があったが、
霧散してしまったり、別の漫画のキャラみたいな下目にクマが描かれるようになったり
と親指噛んだりとツッコみたい所一杯ある漫画ですが、憎めない。
超えてくるような展開をしてほしい。
大卒時にメンタル関係で大ポカをやらかして新卒カードを棒に振って以来非正規を転々としていたが、最近運よく正規職のポストに潜り込むことが出来た。
とりあえず今の職場で足場を固めつつ将来の備えを、とようやくゆっくり考えることが出来るようになった…筈だったのだが、今回のコロナ騒ぎが直撃。観光関係の末端に連なるようなサービス業だったため当然ボーナスは吹っ飛び、休業も相まって月々の手取りは(元々大した額でもないのだが)悪い意味で中々衝撃的な額となった。人員整理までまだ身近な部分に話が及んでいないのは幸いだが、おそらく遠からず覚悟を決めなければならない日が来るだろう。仮に近く職を失った場合現職での経験もスキルもクソもない状態で放り出されることになるため、また非正規から再スタートとなる可能性が高い。正直不安は尽きない。
GOTOがうんぬんについては先達の方々が散々議論しているので置いておくとして、とにかくここに至るまでの展開があまりにも早い、気がする。まだ半年と少ししか経っていない。年が明けた頃、中国で感染症がうんぬんと不穏なニュースは多少流れていたものの、今年はオリンピックもあり非常に忙しくなるから頑張って乗り切らなければと逆の方向で覚悟を決めていたのを思い出す。
ヒトヒト感染が確認されて、武漢がなんだか大変なことになって、寄港したクルーズ船の動向を固唾をのんで見守っているうちに感染がヨーロッパに広がり、アメリカに広がり、志村けん始め著名人の訃報が流れるようになって、遂に各国ロックダウン、気が付いたら国内外物凄い数の感染者、死者が出ていて、いよいよ海外渡航禁止となりあっという間に自分の収入は激減した。それどころか今や観光業やイベント業は近い将来消滅する可能性が高いとかまことしやかに言われている有様である。2019年にはそんな話誰もおおっぴらには口に出していなかったというのに。
あらゆる可能性を想定しリスク管理をとはよく言うが、それにしても、よりによって、という言葉しか出ない。仮に首都直下で大震災が起これば半年どころか一日で状況はひっくり返るだろうから、起こる時とはそういうものなのかもしれないが。
自分自身とにかく今後の身の振り方を考えなくてはならないのだが、その前に愚痴だけ書き残しておきたかった。今はとにかく身内に感染者が出ていない幸運にまず感謝しつつ、とにかく生き残るためなんとかやっていくしかない。
もうすぐ1年が経つ。多分当日は、とてもではないがインターネットを見れる精神状態ではないだろうから、今日、自分のために書く。
7月18日、僕は友人たちを失った。
何度もメッセージをLINEを送り、早く既読になってくれと祈り続けた。携帯電話を家に忘れていったかもしれないじゃないか、まだ何もわかっていないきっと大丈夫だと僕は何度も何度も自分に言い聞かせた。
ニュースで報じられるたび、どうか違うスタジオに出勤していてくれ、あるいは今日は休みであってくれと祈った。
亡くなった人の数がどんどん増えていって、彼の無事を祈ることはほかの人の死でそれを代替えすることだと分かっていても、僕はそう願わざるを得なかった。
当日に連絡がつかなくても、「まだ落ち着いていないからだ」と何度も言った。僕は以前、似たようなかたちで大切な人を失っている。だから、もう二度と、そんなことは自分の身にも自分が大好きな人の身にも起こらないと信じていた。
やがて、僕の元に訃報が届いた。
僕は、まぁ中年と言われるような年だけれど、ほかの多くの人が味わわないような凄惨な亡くなり方を自分のごく親しい・近しい人で見てきて……、しばらく自分が死神のように思えて、精神科にも何度か通った。
どう受け止めればいいかわからなくて、今も受け入れられていない。
ニュースから遠ざかり、でも情報が欲しくて、気が狂ったように調べまくった。映像と音声で勝手に耳に飛び込んでくるテレビとは異なり、ネットは自分の意思で能動的に、嫌悪感のあるものを避けて情報を手に入れられるから助かった。僕はしばらく、テレビが怖かった。テレビを見られるようになったのは、年が明けてからだったと思う。
大げさだと思う人もいるかもしれない、そんなことあるはずがないと思う人もいるかもしれない。
だけど、人の前で笑えるようになった今でさえ、あの日から1日たりとも、友人たちのことを考えない日はなかった。
夢を語り夢にたどり着き新たな夢を思い描いていた顔しか、僕は知らない。
同じ世界に生きていて明るい世界を目指していた顔しか、僕は知らない。
それなのに、一人の狂った犬によって、僕の大切な人たちが奪われた。そして、多くの人も、多くの大切な人を奪われた。
どうか、あのクソ野郎よ死んでくれ。
裁判をして何になる、”真相”とかいうものがわかって何になる?
あのクソが奪った尊い人たちは、自分の気持ちを口にすることもできなかった。
裁判の席に座ることも、自らの苦しみや痛みを語ることもない。
なのにどうしてあのクソだけが、得手勝手な”真相”というものを語ることが許される?
法の裁きは平等に行われなければならないし、あのクソを弁護する弁護士の人にも、医療従事者の人にも、そしてあのクソの家族に対しても、僕は悪い感情は持っていない。
法の裁きに委ねられ、法の元で裁かれることが望みだし、私刑なんか許されてはならない。
それはわかっている。医療従事者は目の前の患者に全力を尽くすべきだし、弁護士は弁護される側の利益のために動くし、法は平等であるべきだ。
だから、だれの手も煩わせずに、苦しんで苦しみぬいて死んでほしい。ただ死んでほしい。だれが何と言おうと、僕はそれを願う。死んでくれ。どうか死んでくれ。
どこにも言えない。どこにも書けない。だから、匿名の、僕が僕ではないところで、こう願う。
あの日以来、ずっと忘れることはない。1日たりとも忘れたことはない。
これからもずっと考え続けることになると思う。
なんで、世界でだれひとりとして生きることを望んでいないあのクソが助かって、罪のない友人たちが死ななければならなかったんだろうと。
ひどく疲れてしまった。
白い小型犬だった。犬種はジャックラッセルテリアで、短毛タイプだった。姉の中学進学祝いにうちにきて、家に来たのは私が小学生の頃だった。
犬は暗に家庭内の序列を見抜くと言うが、彼女は明らかに私が家庭内でもっとも低い序列であることを、幼いながら見抜いていた。餌を上げる係だった姉にはいい顔して、家の主の母には甘えて、絶対者の父の言うことは必ず従ったが、私には懐かずいつも歯向かって来たものだった。私もそれが気に食わなくてよく喧嘩のように戦ったものだった。私が大学進学で家を出るまでそんな関係がずっと続いていた。
それから十年近く。帰省をするたびに彼女は衰えて行った。散歩に行ってもすぐ帰りたがり、あまり走らなくなり、目が悪くなって大好きだったおもちゃを投げても反応が悪くなった。最後に見たときは本当にヨボヨボで、走り回って飛び回っていたソファにすら自力で登れないほどになっていた。そんな姿を見るにつけ母とは「本当に歳取ったよねえ」と頷きあった。そんな彼女が先日死んだ。18歳だった。ご飯を食べなくなって3日、健康時の半分くらいの体重だったらしい。
訃報を聞いてすぐにはなんともなかったが、母と彼女についてラインを交わすうちに涙が止まらなくなった。これを書いてる今も二文くらい書くごとに嗚咽が止まらない。
たぶん犬にしてはとても長生きで致死的な病気を患ったわけでもなく(肝臓を悪くして母にウルソを盛られていたが)て老衰だと思う。彼女のことを思うにつけ「うちに来て幸せだったのかな」という念に囚われては、涙が溢れ返す。
ジャックラッセルテリアは本当なら牧草地を駆け回る犬種なのに、散歩ではアスファルトの地面ばっかり歩かせて、室内ではせいぜい廊下を少し走らせてやる程度しかさせられなかったね。平日昼間は家に誰もいないからほっぽりだしてずっと一人でソファで寝てばっかり。しばらく虚勢させないままで、本当は子どもとか欲しかったかもしれないけど、ずっとソワソワして落ち着かなかったり家中に血が飛ぶからって最後は虚勢させちゃったよね。
でも、たぶん寝るのは嫌いじゃなくて、学校が休みのときとか昼過ぎの高い日差しの指す窓辺に「ここにクッションを置け」と言わんばかりに佇んで、一緒にお昼寝したよね。あとなぜか足の裏を舐めるのが好きで、寛いでると足元に現れて、足を爪で引っ掻いて「足を出せ」アピールをよくしたよね。お風呂に入ったあとのしょっぱくない足だとすぐに舐めるのをやめるワガママなところは相変わらずだったけど。いつもいがみ合ってたけどそういうときだけ打ち解けられた気がしてたよ。あと実家を離れてから久しぶりにあったときも実家にいたころより徐々に柔和になってきてるようで、少しずつだけど大人として認められてきたような気がして嬉しかったよ。
彼女は犬として幸せだったのかな。幸せだったらいいな。もしそうじゃなかったらごめんね。それでもうちに来てくれてありがとうね。魂がどこ行くかなんて分からないけど、この先もずっと安らかでいられることを願ってるよ。じゃあね。
少し前に祖父が亡くなった。
身近な人が亡くなるのはそれが初めてだった。
知らせを聞いたときや葬儀の場などでは悲しさを感じて涙を流した。
そしてニュースなどで著名人の訃報を聞くたびにその時のことを思い出してまた泣いていた。
あれから少し気持ちも落ち着いた今、あの時の自分を思い返して疑問に思ったことがある。
私はなぜ泣いていたのか。
遺品を整理し、やり残したことがあるまま逝った祖父に思いを馳せながら泣いていた。
これらは私が「悲しい」と感じたというより、祖母や祖父の「悲しい」という感情に共感していたのではないか。そう思った。
私と祖父だけの二人だけの関係を考えたとき、楽しかった思い出や怒られた思い出や嫌だなと思った思い出などなどすぐに思い返せる。
会いに行けばいつもいたその姿にもう二度と会えないのだという喪失感はある。
著名人のニュースの件を考えたとき、私はその著名人に対して特に思い入れは無い。中には訃報で初めて名前を聞いた人もいる。
だからきっと私は彼らの死自体には悲しみを感じていなかった、と思う。
それなのに泣いていたのは、彼らの死に寄せられるコメントに共感をしていたからなのではないか。
例え共感であっても私は「悲しい」をもう得ているのか。これから手に入れるのか。
私が共感を覚えた彼らは一体どこで「悲しい」を得たのか。
えーっと...
何件かこのアカウントに悪口が届きまして。
絶対に人から恨まれないような聖人君子ではないわけですが、身に覚えもなかったので悪口の内容から検索したところ、テラスハウスの訃報に同姓同名の方が関係しているようです。大変悲しいニュースだなと思っていたところにこんな形で繋がるとは思っておらず驚いております。まずは木村花さん、ご冥福をお祈りいたします。
ご存知だと思いますが念のため申し上げますと、人違いです。私は全くの別人です。
また、テラスハウスを見ていないのでどちらが悪いとかどちらの味方とかそんな気持ちは全くありませんが、この事件は誹謗中傷が招いた事件なようです。
それに対して誹謗中傷するという無限ループ、どうか本物の小林快さんにも誹謗中傷はやめてあげてください。同姓同名からのお願いです。
本物の小林快さんってなんか俺が偽物みたいで変だけど、ニュアンスで伝わるからいいよね。
— 小林 快 (Kai Kobayashi) (@e_kai_k) May 27, 2020
この人が一番かわいそうだと思った・・・