はてなキーワード: 訃報とは
花さんの訃報と追悼、
誹謗中傷してた人への説教ばかりが流れてくるSNSのタイムラインに本当に辟易したからここに書き殴る。
「他人の恋愛、格差、情けない様子を神の視点から観測して感動して馬鹿にする番組『テラスハウス』に出演して
叩かれ自殺した人の死を悲しんでる人は、
その番組を楽しんで見てた人たち」
その歪んだショーを楽しませる側がいて、楽しむ側がいた。
あの番組は本当に嫌いで、当時付き合ってた彼女に進められたものの、
ネットフリックスの人気一位のそれを見た瞬間に速攻非表示になるように設定して、
こんなもんばっか見てるからクソみたいなやつが増えたんだと思うようになった。
広い年齢層の人間性の汚い部分にフックをかけて、
ひっぱりあげて、視聴者参加型の仕組みを構築して、
それを楽しんでもいいんだと刺激ばかり与えといて、その共犯者になっておいて、
いざその先で人が死んだら、楽しんでた自分らは無関係みたいに、
「叩いてた人」だけを吊し上げて、説教と追悼ツイートするやつら。
誰よりも醜い。一番の極悪人はお前らだろと思う。
なんだろうな、この直接イジメには加担しないけど、
止めもせず、傍観して、本当は楽しんで笑ってた奴ら感。
それでいざ問題が起きたら我関せず。
人間の汚い部分も、綺麗でおいしいところまでも全部とりこぼさないようにしたたかに生きてる感じ。
誹謗中傷してるやつらにはなんとも思わないよ。
そういう脳みそ空っぽにさせて倫理観とかも排除させていいよっていう
エンタメを提供されて楽しんでただけの人間たちが本当に悪人かな。
同じ芸能界に所属してて、もっと近い関係性の人間たちにしか止められることじゃないし、支えることが出来ないことじゃないんですかね。
「説教」と「追悼」だけで、
「近くにいた自分はどうして何も出来なかったんだろう」
って言える人が一人もいないのが本当に虫唾がたつし、全てを物語ってると思う。
お前らが死ねばよかったのに。
この説唱えてる奴は、どうせ花の訃報が話題になってから後追いでテラハ見て、直近のエピソードであるコスチューム洗濯事件を見てそれっぽい理由つけてるだけだろ。ラジオをリアルタイムで聞かずwebニュース記事をソースにしてdisった社会福祉ヤクザみたいなことはやめろ。
違う。最初からテラハの今シーズンを見てる人ならわかるけど、花にはとにかく居場所がなかった。最新話時点で入居してる女性陣は、ロシア系美女のビビ(ビビは最新話で卒業して、代わりに「中国のガッキー」としてSNSでも有名な美女ロン・モンロウが入居)、「世界でもっとも美しい顔100人」に2年連続ノミネートされるグラビアアイドル兼IT企業社員のゆめ、そしてプロレスラーの花。
身もふたもないこというけど、恋愛リアリティショーの登場人物という意味でキャラクターが弱すぎた。花はプロレスを生業としてる珍しさで「掴み」はOKだったけど、その後花と男性陣の間で恋愛的な発展を見せることがほとんどなかった。メンズからは「とりあえずのご飯」を誘われては終わりを繰り返しており、最新話にいたってはほとんど登場することもなかった。撮れ高が低すぎた。コメンテーターの山ちゃんも、花にはほとんど触れてなくなってしまった。番組全体に「花こいつどうしよう…」みたいな空気感が漂っていた。
テラハを見てる人ならわかるけど、みんな「居場所ねーな」っていう雰囲気を感じるから「卒業」する。好きな人と結ばれたから卒業なんてシーンはほとんどない。花も卒業タイミングを迎えていたと思うがどうも卒業する雰囲気がない。そして最新話で花が話した「コロナの影響でプロレス興行がなくなって収入がない」というセリフ。花は専業プロレスラーであり、コロナ禍において収入がなくなってしまったらしい。(視聴者の勝手な目線だと)「金がないからテラスハウスに無料で居座ってるだけなのでは…?」と勝手に思うようになってしまった。
Netflixでテラハを追っかけてる熱狂的なエンドユーザー(配信が始まると同接45万人くらいになるとかいう話誰かしてなかったっけ?いずれにせよお化け番組)は、視聴後すぐに「#テラハ」ハッシュタグで番組の辛辣な感想をTwitterに書きまくる。そこまでがワンセットだ。
最新話後のTwitterでは、ゆめと社長の北海道旅行でのやりとりについて、ロンとしおんの新鮮な展開への期待、レオとゆめの男女としての高度な駆け引きについて書かれることが多く、恋愛に絡んでいけない花にはひたすら触れられないか「早く卒業しろ」「いらない」みたいな投稿ばかりになってしまった。コロナで仕事がなくなりスマホばかり見るようになって、そういう情報の洪水を受けた人間がどういった選択をするのか想像するのは難しくない。
「SNSで誹謗中傷するのは良くない!」と芸能人が言い始めてるけどそんなことは当たり前である。頭の悪いこと言ってんじゃねーよ。背景、構造まで踏み込めよ。そうやって反論すらも140文字の世界で繰り広げてるからいつまでも世界は変わらないんだぞ。
そうではなく、SNSでの炎上見込んで視聴者を巻き込み盛り上がる番組手法の倫理的な是非と、それでも続けるなら登場人物への十分なメンタルケアや金銭的なケアまで気を配るべきだ。「休眠会員からお金取りません」とか良い人ぶってんじゃねーぞNETFLIX。その金で登場人物ケアしろ。
テラスハウス、今シーズンの残エピソードはもうお蔵入りだろう。1ファンとして残念だけど仕方ない。トランポリンしてる時の花、幸せそうだったな。
>ネトフリさんはこの訃報にコメントを発表しているが「突然の訃報に、言葉を失っております」じゃねーよ、即刻放送中止にしろや。と言いたい気持ちを抑えて、私は、誹謗中傷したアカウントはもとより、テラスハウスのプロデュースというか番組そのものに異を唱える。
訂正。
>ネトフリさんはこの訃報にコメントを発表しているが「突然の訃報に、言葉を失っております」じゃねーよ、即刻放送中止にしろや。と言いたい気持ちを抑えて、私は、誹謗中傷したアカウントはもとより、テラスハウスのプロデュースというか番組そのものに異を唱える。しかしそれよりも、それを求めようとした、あるいは求め続けた視聴者が一番悪い。こんな番組は「私は見ません」宣言して、とっとと打ち切らせればいいのだ。
※SNS上でセカンドレイプが発生している現状を鑑みて、便宜上ここでは被害者をAさんとします。
結論から言うと、今回のAさんの自殺はテラスハウスにおける「恋愛」を求めた視聴者に非がある。というか元凶は視聴者。
Aさんの自殺発覚後、彼らの攻撃対象は誹謗中傷を行ったアカウントに向いた。
出演者にやらせを強要していたり、意図的に人間の悪い部分をクローズアップしたテラスハウスのプロデュース方法や演出について批判をしているアカウントは誰一人として見つけられなかった。
そもそも『「人の恋愛」がエンターテイメントとして消費されている』という現状に、なぜ誰も非を唱えないのか。しかもその「恋愛」は脚本によって脚色された偽の恋愛と言っていいだろう。おかしいとは思わないのか?視聴者にとって、テラスハウスという番組はNetFlixに980円も毎月払ってみる価値のある作品なのか?
男が女を奪い合う、また女が男を奪い合う...そんなギスギスした構図を、わざわざドキュメンタリー形式的にしてまで、どうしてエンターテイメントとして楽しむことができるのか? 私には本当に理解することができない。
昨年のバチェラーの結末で炎上した件もそうだ、ご意見番みたいに「B子がかわいそう」「どうしてC美を選んだの?許せない」などと、他人の恋愛にいちいちコメントをすること自体が異常だぞ。
ネトフリさんはこの訃報にコメントを発表しているが「突然の訃報に、言葉を失っております」じゃねーよ、即刻放送中止にしろや。と言いたい気持ちを抑えて、私は、誹謗中傷したアカウントはもとより、テラスハウスのプロデュースというか番組そのものに異を唱える。
あと「言葉は刃物」「画面の相手の先にいる人のこと考えよう」とか綺麗事並べてるアカウントが気持ち悪い。視聴者は「テラハ見てたけどさ」とか前置きしてるけど、当然Aさんが誹謗中傷に遭ってることも気付いてたよな?その時になんで誹謗中傷しているアカウントに注意しなかったんだ??「他人には注意するけど自分は見て見ぬ振りか?」それ自分の発言内容と矛盾してないか?
お笑いは好きだが関東在住のため、俗に言う「関西お笑い」にはあまり触れていなかった
賞レースで決勝に行った大阪よしもとの芸人をテレビで見たり、そこからYouTubeで周りの芸人のネタを発掘してみたりするぐらいだった
「てんしとあくま」の存在自体は多分6、7年前くらいからぼんやりと知っていた
M-1やキングオブコント、上方漫才大賞などの賞レースでちょいちょい名前見るな〜という程度の認識だった
2015年の「おもしろ荘」で初めて地上波でネタを見た 面白かったという記憶はあったがどんなネタだったかは忘れた
今年3月の「ザ・ベストワン」でもネタを見た これも面白かったんだけど次の日にはもう忘れていた
漫才劇場(俗に言うマンゲキ)にレギュラーで出演されていたらしいから、関西の劇場に通うファンならお馴染みの存在だったのかもしれない
関西のよしもと芸人によくいるネタはどれも水準を保って面白い優等生タイプ、でも平場を見なければインパクトに欠ける、ただハマる人はめちゃくちゃハマる、ハマらない人にはすぐ忘れられるという印象だった
最近の若手芸人にいるような「チャラ男で派手なパリピ」「元消防士から芸人に転身」「芸人と並行して税理士をやっている」といったキャラ付けも無かった
そんな芸人はごまんといる そういう人らに限ってネタは面白くて、でも世間に評価はされない
だから二日前、ツッコミの川口さんの訃報をネットニュースで知るまで久しく「てんしとあくま」の存在は頭からサッパリ無くなっていた
サッパリ無くなっていたというのに、衝撃だった
てんしとあくまがそんなに印象に残っていなかったただの一お笑いファンだったはずなのに、泣けて泣けてしかたなかった
てんしとあくまを真剣に応援していたファンの方の気持ちなんてこんなもんじゃないだろう
他の芸人のTwitterの呟きも見たが、「まだどう受け入れていいのかわからない」というものが大半だった
訃報が出たその日に行う予定だったZOOM配信や生放送が次々と中止になった 「諸事情により急遽中止します」という事務的な連絡で
なんだろう、対して追ってなかったはずだったのにこの喪失感は
心にぽっかりと穴が開いたような、ってこういうことか
ああそうだそうだ見たことある、と思い出せるものばかりだった チューリップの漫才や椅子のコント
面白いなあ
今まで頭の片隅にぼんやりと存在していたてんしとあくまの存在が急激にはっきりとした輪郭を持ち始めている
いやなんでだよ M-1決勝進出とかにしてくれよそういうのは なんで訃報なんかで初めててんしとあくまの存在をはっきり意識しなきゃいけないんだよ
今も頭の中が川口さんのことで埋め尽くされている 対して好きじゃなかったくせに
36歳なんてまだこれからだよ
一人の芸人が亡くなったんだなあ
うわなんかすごいやだな
安倍総理はそりゃそうでしょ
問題あると思ってたらとっくに引っ込めてるもんね
賛成でも反対でもなく「興味ありません」ってわざわざタグまで作ってる人は黙ってりゃいいのに
私は物忘れがとても酷くて色々忘れちゃうから忘れない様に何度も読み返して記憶に焼き付ける為にメモする
末期癌の父をさっき自宅で皆で看取った
昼間訪問した時はまだ反応があったんだけど0時過ぎぐらいから呼吸がちょっとおかしくなったというので、母から2時に電話が来た
誰も歩いていない真夜中の静かな町を早歩きで向かう
徐々にご飯が食べられなくなって、父は骨と皮でゴツゴツになってしまっていた
総入れ歯だったからごっそりげっそり頬がこけちゃってねちょっと不憫でね
誰も泣き叫ばず静かに看取る真夜中
掌の中で命が消えていく哀しい時間
段々目の焦点が合わなくなって、白目が濁るってのかな?瞬きとかの動きが減っていき、亡くなると体温が失われて肌の色が変わっていくんだね知らなかった
その時を迎えた父は、寝た様に見えた
ぽかんとクチ開けていつものパジャマ着て酔って寝ちゃったみたいに
だけど、違う
腹膜が1mmも動いてない
それを見て、ああもう呼吸をしてないんだなって痛感した
開いた口と閉じた瞼
苦悶さは一切見えない
モルヒネの力で苦しさはなかったみたいだけど、目頭に残ったこの液体は、たぶん父の最期の涙だ
まるで着くの待っててくれたみたいだ
昼間は自力でベッドから起き上がって座る位置直したり動いたりしてたって言ってから、今夜逝こうと決めたのかな?
それぐらい不思議な早さだった
末期がんの診断出て2年
思っていたよりも長く父は生きた
その後抗がん剤で髪が抜けてしまって、でも抗がん剤止めたら髪が生えて生命力すごいなーなんて言ってて
末期がんって判ってから仕事辞めて家にいる事になった父は家具作りやスマホや家事や料理を始めた
引っ越したばかりの団地の部屋を得意の家具作りであちこち整え、スマホを学んでネットで競馬したりLINEやyoutube視聴やポケモンGOもしだした
炊き込みご飯を勧めたら気に入ったみたいで美味しいのを作る様になったし、カレーも作った
庭いじりが好きな父は四季折々庭を整えられて少し楽しみを持ててたみたい
あとめだか飼いだしたけど上手く育てられなくてすぐ死んじゃうから悲しくなって飼うの止めたって聞いてちょっと辛かった
今回は自宅で看取れたので良かったと思う
祖父の時は病院で心電図モニタありで音が結構辛くてイヤだなって思ってたから今回は無しでいくって聞いてたので良かったと思う
お医者さんも看護師もいない自宅だから、逝こうとする父を皆で静かに見守れて良かったと思う
今コロナで休業期間で家族全員が毎日じっくりゆっくり看取り期間があったから徐々に覚悟が出来た
って母がずっと言っていた
…お父さん
私もありがとうって思ってるよ
朝が来た
真っ白な光の風景
暗かった闇が潮の満ち引きみたいに引いて朝が来た
父がいなくなってから初めての一日が始まる
しっかり務めるよ
一日後に見た父はダブルのスーツ着せてもらえてて安置してもらってた
顔は一日前に見たままだった
胸には花束が載っていた
父が庭で育ててた花で作った花束
ピンクと白の綺麗な花で、ちょうど咲いたんだそうだ
もう一度、声をかける
訃報を送ったら、会社の人とか私の周囲の人達が私が父の面白話をちょこちょこしてたからか、話した事すら忘れてた父との小さなエピソードを覚えててくれて、それが嬉しいねーって話をしたり、孫が父に書いた手紙があったりしたのでそれを見せてもらった
出棺後はお別れの時間がないよと言うので、僅かだけど二人きりにしてもらった
線香をあげてから、頭を撫でる
暖かかった頭
髪の毛は一日前と同じ柔らかでふわふわだったけど、髪の毛の先、皮膚からはすでにドライアイスでかっちこちの冷え冷えの身体
変わっちゃってて、最期に撫でた頭の温もりとのギャップ感がかなり激しかった
斎場へ
先に行った私達から遅れて父と母が車で着いた
車はクラウン
ああ、トヨタなんだ
父はレンタカーはトヨタって決めてるぐらいトヨタに絶対の信頼を置いてたので、ちょっと笑ってしまった
(偶然なのか帰りに捕まえたタクシーもトヨタ製だった。どこまでトヨタ好きなんだ)
白っぽい棺が台車に載せて運ばれてきて、お花を入れてあげてと言われた
ここでも庭から摘んだ花を入れてあげられた
庭いじりが好きで実家も深い山の中の人だから、あっちに行ってもきっと珍しい草木を見つけて育ててるだろうねなんて言いながら皆で父を花で埋めていく
注文してた花と育てた花で棺が埋まっていく
ダブルのスーツをパリッと着て綺麗な花に埋もれた父のその姿は、見ていても不思議と決して不幸な感じはしなかった
余談なんだけど、遠い昔、親戚の葬儀に参加した時、棺に釘を打つ作業があった
知らない親戚だったけどあれは二度とやりたくなかったから、この斎場ではそれがなくって良かったなと思った
粛々とやる事が進んで、やがて焼き場の扉前に棺が運ばれる
みんなで父にお礼を言った
泣きながら 泣き崩れない様に支え合いながら 涙そのままに 既に涙が枯れてたり
各々の別れ方だった
そして、横、縦と閉まっていく扉
その時は終わった
それは死んだ珊瑚みたいで骨に見えなかったし、これが父だったんだとはちょっと思えなかった
物を骨壷に入れて、布巻いて、木箱を母が抱える
ようやく終わったなー。そんな感じ
真夏の様に暑かった昨日とはうって変わって、とても凉しい皐月らしい午後のお別れだった
三週間前ホスピスに入院になったけど、何とか実家に戻ってきた父
整えてなかった実家の不便な所のビフォーアフターを済ませ(DIY好きの父なのであちこち整えてった)、身の回りの物の整理や、搬出搬送しやすい様に動線の整理も済ませ、亡くなる3日前、栄養のない点滴に自分の意識で切り替えたとも聞いた
二年半、末期がんの父を皆で思い思いに看病をし、逝くまでを皆で見られた事
祖父の時出来なかった事を全て出来たと思う
言い方悪いけど、母の時にまたやる事になるだろうから、その覚悟も出来たと思う
私もこんな風に逝けたらいいと思えた葬儀でした
モルヒネで意識が混濁してた父ですが、最期には目があって何度かアイコンタクトを交わせたのですが、その眼差しと動きには心残りや苦痛な感じは一切見受けられなかったので、悔い無かった様に感じられました
名前はもちろん知ってる方、名前は知らなかったけれど役名を聞けばあの人か!となる方。
そのどちらの方も自分はよく知らない人だった。
お笑い番組は笑点しか見たことがなく、小学生4年生くらいまでは20時までにふとんに入っていなくてはならなかった。
アニメも見せてもらえるものは決まっていて、例えばクレヨンしんちゃんは見せて貰えなかった。
世間と同じように悲しむことができない。
それは例えば知ってるけれどあまり興味がなくて…という状態ならまだマシだった。(それはこれまでも何度かあった)
けれど、そもそもよく知らないから悲しむことも世間がそんなにも悲しんでいることにもついていけないのだ。
そんなに愛されてる人だったのか、なぜ自分は知らないのか…というなんとも言えない感情。
世間で流行っているもの、良いとされているものはある程度子どもに触れさせるのがたぶんいいんだろうなあと漠然と感じた。
疎外感がすごい。子どもの頃も多少はあったけれど、大人になってもなかなかの疎外感だ。
別にバズりたいわけでもなんでもないのでぐちゃぐちゃな文章のまま投稿するけれど。
ジョンソン首相の訃報はあり得る気もするよね。陰謀史観的には。
https://ria.ru/amp/20200406/1569611571.html?__twitter_impression=true
先日、某著名人が亡くなった。
それは瞬く間にメディアで報じられSNSでも拡散された。私の家族や周りの友人、職場の人達は口を揃えて「ショックだ、悲しすぎる、言葉が出ない、残念だ」と言う。メディアでは「日本の宝を失った。日本中が絶句、日本が涙で包まれた。」
と数日間、毎日報じられた。
私自身、亡くなったのは残念だし幼い頃から知っている有名人が亡くなったことで某ウイルスの怖さを覚えた。
だがしかし、泣くほどは悲しくないし訃報を知った時も「あーそうなんだ」って思ったぐらい。
人は皆、早かれ遅かれ必ず死は訪れるし毎日、人は亡くなっている。日本の年間死亡数は138万人だ。だから死は自然な事であり悲しみはそれほど無い。なのに世間や周りの人は悲しんでいないとこの人はおかしいって目で見てくる。人の心が無い奴だ、頭がおかしい、可哀想な奴だって。
皆が悲しんでいるから私も泣かなきゃならないの?そうやって普通の人、おかしな人って二分化して少数派の考えを普通と言う言葉を盾にして批判、否定するのはどうなんだろうか。
人がどう思うかはその人の主観であり、誰も批判してはいけない気がする。その方がよっぽど悪だ。人は皆違う、だからお願いだから一括りにしないでくれ。多数派が偉いとか少数派はおかしいとかそんな世の中に違和感を感じてばかりいます最近。
リモート勤務1ヶ月過ぎて、外出も自粛要請で引きこもってるうちに、志村けんの訃報がありいよいよ精神的に持ってかれそうになってる。家の日当たりも悪いし。
太陽光を浴びて運動したらなんかセロトニン的なものがブリブリ出て気が晴れるかなと思い、マスクつけて軽く散歩に出るものの、今日の関東地方はあいにく小雨まじりの曇り。
これからも家にいる時間が長くなることを考えると、光を浴びることも物理で殴って解決できないものかなと思い至った。
なんかamazonで光療法を謳った5,000円くらいの高照度の照明がいくつもあるんだけど、まあレビューも参考にできない昨今だし、商品紹介の日本語も不自由だしで選ぶのに疲れてしまった。
同じくリモートや在宅勤務が多くなっているであろうはてなの皆さんのオススメの光を浴びる方法あったら教えていただきたいです。
次引っ越す時は日当たり重視しよう…
志村けんも俺の中で8割方終わった
いくら田代が悪いとは分かっていても、俺の中ではあの時点で何かが終わった
クリミナルマインドも同じ
いや、本国じゃとっくに終わったけど
NHKの志村けんの訃報記事を読んでて気づいたんだが昭和、平成、西暦が混ざってる。校正云々じゃなくて書いてて気づくだろ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200330/k10012357011000.html