私の好きな人は遠くに住んでいる。
昨今の世の中ではおいそれと会いに行ける距離ではない。
私はともかく、彼女は忙しくしているので、lineでのやり取りこそは出来るが、声を聞ける機会はあまり、ない。
とはいえ、お互いに予定の合う時には通話をする。平気で一時間二時間喋る。
文字でのやり取りではなかなか言えないことや聞けないことをやり取りができるので、少なくとも私にとっては貴重な時間だった。
私はさほど俳優に興味はない人間だが、それでもその俳優の名前は知っていた。
ただし、その俳優がどのような作品に出演していたかとか、代表作とか、そういったことは全く知らなかった。
もしかしたら知っているのかもしれないが、ぱっと思い出すことが出来ない程度の理解度だった。
彼女にとってその俳優がどのような存在だったのか、私は知らない。
ただ、私の決して誇ることのできない記憶力を頼りにしても良いのであれば、彼女からその名前を聞いたことはなかった。
数秒前とは明らかに異なる、戸惑い、動揺し、沈み込み、落ち込んだ声色で。
私と彼女の楽しいはずだったお喋りは、そうしてあっという間に閉幕した。
彼女に話したいことがたくさんあった。
悩んだ末に買った靴の履き心地。
くだらない日常と笑われるかもしれない。
けれど、私は彼女とそれを共有するのが好きだった。
共有した時の、彼女の頷く雰囲気や、喜んでくれる様子や、ちょっと掠れる笑い声なんかを聴くのが好きだった。
私と彼女は、少しの間あたりさわりのない会話を交わし、結局気落ちした彼女を元気づけることもできないまま、通話を終えた。
そうなると分かっていたから、私は彼女に訃報を伝えなかったのだが、私の小細工なんて意味がなかった。
そして、またしばらく、私は彼女の声を聞くことが出来なくなった。
どうしてそんなことをしたのか、私には分からない。
そのうち、ワイドショー辺りが取り上げるのだろうけど、正直に言えばどうでもいい。
それを知る権利があるのは、某俳優に近しい人達だろうし、その人達だけで充分だと思う。
ただ、出来れば亡くならないでいて欲しかった、と勝手なことをつい、考えてしまう。
私は某俳優のファンでも何でもなかったが、それでも自殺しないで欲しかった、と思う。思っている。
もし、某俳優が亡くならなければ、私は彼女といつものように通話が出来ていただろう。
彼女は、落ち込んだりするようなこともなかっただろう。
私と某俳優の間には、全く接点もなければ、私からの一方的な感情もなかったけれども、そんな私にさえ、某俳優の存在は大きな影響を与えていた。
きっと、私以外にもそんな人はいるのだろう。
きっときっと、たくさんの人が影響を受けていたのだろう。
自殺を考えるなんて相当なことに違いない。
ましてやそれを実行してしまうなんて、とてつもないことだ。
それほどまでに追い込まれていた某俳優に、自殺をしないで欲しかった、踏みとどまって欲しかった、なんて軽々しい白々しいと自分でも思う。
それでも、私は某俳優に亡くなって欲しくなかった。
たぶん。
私よりも、強くそう思っているであろう彼女は、今頃落ち込んでいる。
とても不誠実だし、下心満載だとは思うけれど。
私は、貴方の死が悲しい。