はてなキーワード: 訃報とは
「高速消費」っていうけど、有名人の訃報とかって昔からテレビのニュースの数分とかで「超高速消費」されてきてるだろ、それにコミュニティで共有されてる喪失感に共感出来ないほうが社会性に問題あるぞ
タイトルの通りだ。
友人が亡くなってるかもしれない。
この事に気がついたのは数時間前で、自分はそれを某ソシャゲ内のたまたま見たフレンド一覧のログイン時間から気がついた。
正確には友人がこの所ログインしていない事に気がつき、何かあったのだと思った。
友人は2年程前に病を患ったが、闘病の後快復しており、
去年の年末はまだ完全に治ったわけではなかったがゲームのイベントに一緒に赴きだらだらと遊んだ。しかもその後自分が体調を崩して寝込んだ。
年明けには海の向こうで何やら新型のアレが流行だしたと言う所だったが、まだそこまででもなかってので普通に開催されたバンドのライブをマスクをつけながら一緒に観た。
ただ直前再発したかもということはツイッター上で報告したのを確認しており、無理はするなよ的なやり取りをした覚えがある。
当日もあまり具合は良くなさそうだったが、ライブの直前まで某コラボカフェいたとか話を聞いた。
この時友人が死ぬ。なんて思うわけもなく、ずっとこのまま適当に関係は続くものだと思っていた。
たまたま名簿順の前後で、クラスで唯一オタク化が進んでいたオタク同士だったので2人で話す事が多かった。ただそんなに趣味が合ったというわけではなかったので深い話などする事もなく、アニメや漫画の好きなキャラの話とか他愛もないことを話していただけだった気がする。
唯一、年明けに見に行ったバンドだけがたまたま本当に2人だけの共通項で、そこから一緒に出かける関係になったんだったかな確か。
友人との関係はそんな感じで薄っぺらくて、主にメールと友人のHP→mixi→ツイッターって感じで細々と場所を変えながらたまにやり取りを交わして続いていた。家がそこそこ近かったのもあって高校で離れてからもたまに家の近所で会ったりして。
でもお互い相手の家に入った事はない。いつも私の家の前で立ち話をしていた。私は友人の家は知らない。山を一つ超えたらあるぐらいしか知らない。打ち込んでて本当に友人だったのかな…と思う。
お互い割と口数が少ないのもあって、本当に腹を割って話したという事がないのだ。
自分は本当にコミュ障なのだが友人はコスプレをやってたりした事もあって知り合いが多そうだった。
でも近所で同級生でというと自然と自分になるのかなといった感じで、利用…というと語弊があるかもしれないが丁度いい埋め合わせ相手として見ていたのかなと感じる事もなくはなかった。
自分は前述の通りコミュ障でオンにもオフにも全く知り合いがいないので、自分を気にかけてくれるありがたい存在だと思ってるので気にしていないし、寧ろ自分でいいのかなと良く思ったものだ。
友人は割とツイッターを見ている方なのだがTLにはいなかった。
慌てて前にやり取りしたDM画面から友人のトップ画面に飛んだ。
固定にはお知らせとして一月前の状況が書かれていた。
病状は悪化し、もう余命いくばくもない事、これから緩和ケアになるという事。
ツイッターのアカウントは消そうと思うが消せるかわからない事などが綴られていた。
友人の呟きを辿ると入院時の呟きがずっと続いていて2週間前に止まっていた。
自分もツイ廃ではあるが、友人と繋がっている方は今は殆ど見ずに別のアカウントで下らない事を垂れ流している。
友人の報告にも何も返せず、最後の呟きにも何も言えず、ただ友人は普通に生きているのだろうと信じ切って普通に生活していたのが本当に悔しくて情けなくてどうしようもなく愚かだなと思って、ただどこにも吐き出す所がなくてここに吐き出しにきた。
凄い薄っぺらい関係だったけとそれでもやっばり自分にとって数少ない大事な人だった。
もうリプも貰えないし迷惑もかけられないし会えないとか信じたくないな。
ライブもイベントもいつ行く?とか話す事も頑張ってチケット取る事ないんだな。
友人は自分なんかよりも辛い環境で耐えて、真面目に生きてきたのにな。どうしてだろ。
ただの書き殴りなのでここまで読む人いないと思うけど読んでくれてたらお疲れ様でした。ドラマチックな展開とかなくてすいません。
亡くなってるかもしれない、というのは単に呟きが止まってるだけかもしれないのかが、上記の通り関係が希薄なので訃報がここまで届かないのもあってわからないからです。
どうにか住所調べて親御さんに話聞きに行ってもいいんだけどそれも難しそうなんですよね…だからいつの日か風の便りが届くのを待つしかできない。
生きていてくれたらいいんだけどなぁ。
・キャプテンスーパーマーケットで、死者の書を取るときの呪文が分からなくて「クラトゥ…ヴェラタ…ぬっふるるっふん! さあ言ったぞ!」と咳で誤魔化すとこ。もちろん通用せず、死者の軍団がよみがえってしまう。
https://www.youtube.com/watch?v=_xAGIqVzu6k
・ビッグリボウスキで、車の窓から火のついた煙草をポイ捨てしようとしたら、窓が閉まってて股間あたりに跳ね返ってきてパニくったあげく車ぶつけるとこ
https://www.youtube.com/watch?v=jo11SqLmuGc
・ブレイド2の冒頭、ヴァンパイアの溜まり場を襲撃するブレイドの、流れるようなキメキメ連続キルシーン
https://www.youtube.com/watch?v=xLZaRxDN2-M
最後は本当にもう大好きで、DVD購入して家で50回くらい見た。
3つじゃなくなっちゃうけど、これ忘れてた。
・三池監督「DOA 犯罪者」のオープニング、特に大杉漣さん演ずるヤンさんが数メートルもあるコカインのラインをどりゃーっ!!と一気にスニッフィングするシーン。
https://www.youtube.com/watch?v=DCbWrCYMhoY
もはや伝説となっている例のエンディング ( https://www.youtube.com/watch?v=rxNdJ7aC6Is ) よりこちらの方が記憶に深く刻まれている。
今年はコロナが多くのものに影響を及ぼした。私は今大学4年だが、未だに就職先が決まっていない。
全てがコロナのせいではないと思う。周りの友人も着々と就職活動を終わらせている。私はたいした努力もせず就活戦争に敗れ、今はベッドの上で壁と向き合っているか働くかの毎日を送っている。
卒論も書かなければいけない。でも私はほとんど書かずに、今は教授からも見放されていると思う。そもそも前期の単位を全く取れていないので留年確定している。両親にはまだそのことを打ち明けられていない。
6月末に祖母が亡くなった。私は遠距離の彼氏に会うために大阪に出向いていたところで、その訃報を彼と一緒に寝ていたベッドの上で聞いた。私はそのことが恥ずかしくて、今すぐにでも大阪から実家に帰りたいと思った。2月ごろから祖母が病気で在宅看護されているのも知っていたし、7月頭は会いに行こうと思っていた。でも私は祖母に会うことはできず、きっと祖母が亡くなった時、私は彼氏とセックスをしていた。
祖母に申し訳なかった。私は初孫で、祖父母にとって唯一の女の子の孫で、きっと他の子たちよりもほんの少しだけ大事にされていた。しっかり者で優しい女の子。そう評価されるのが嬉しかった。でも大事な時に私は彼氏にうつつを抜かしていた。母親に「今どこにいるの」と聞かれた時居場所を伝えなければいけないのが苦痛だった。
元から学校はサボりがちだったが、祖母の葬式以来授業に出れなかった。就職活動もここ1ヶ月していない。彼氏とは祖母が亡くなった1週間後別れてしまった。
こういう風に書くと私が祖母の死にショックを受けすぎてなにも手がつかなくなった風に思われるかもしれないがそうじゃないんだと思う。私にも説明がつかないが、死にたいと思うことが日に日に増えて、夜眠れなくなって、結果生活リズムが崩れて社会的な行動が取れなくなっただけ。
私はうつなんだろうか。わからない。死にたいと思うし消えたいとも思うけど、何も自殺に繋がる事はしていない。
でも死にたいと言う割にクーラーのついた部屋にいるし、仕事で高い焼肉を食っておっさん相手に「こんなの初めて食べました!」と笑いかけている。デリヘル嬢なんておっさんが連れてった飯屋で美味しそうに食べておっさんの口臭のきつい口とキスしてちんこなめて同じベッドで寝るだけの仕事だ。ずっとニコニコして必要とあれば喘いで、祖父母と同じ年代の男性に「父親だと思って」と言われて「ありがとうお父さん」なんて言ってちんこしごいて射精させる仕事。週に3回仕事して大体7万もらえる。それで生活している。
ツイッターでは死にたいとずっと言っている。唯一の相互のリア友が「一緒に死のうか」と言ってくれる。その子と心中することを考えると幸せになるから毎日そのことを考える。でもその子は今旦那さんとの子を妊娠していて、きっと私と死んではくれないんだろうなとも思う。
はやく死にたい。はやくこの世から消えたい。どうして安楽死が許されないのか理解できない。
死にたいね、これを書きながら泣いているけど、どうせそのうちトイレに行ったりして、ちょっとウトウトして、携帯いじってるうちに1日が終わるんだと思う。どうせそのうち涙も止まってる。死にたいと強く思う気持ちが、本当なのかもうよくわからない。留年確定したことも就活ほとんどしてないことも彼氏と別れたこともデリヘル嬢だと言うことも全て隠して嘘をついてきた。私の嘘はそれだけじゃないし、自分でも誰にどの嘘をついたか、どんな嘘だったか全然覚えてない。
親がこんな私を知ったらどう思うだろう。この前LINEで「大好きだよ」と言ってくれた母親。「困ったことがあったら言いなさい」 と言ってくれた父親。私は周りに恵まれていて、とても大切にされている。それなのに死にたい。友達の女の子と手を繋いで早く死にたい。
ごめんなさい、死にたいよ。
それだけの日記です。
今日、5年ほど一緒に仕事をしていた人の訃報を受け取った。社会人5年目、仕事のつながりで亡くなった人は2人目になる。二人とも病気で、亡くなるには若すぎる年齢だった。
この前の3月に小学校からの友人を自殺で亡くした。地元に帰れなくて葬儀に出られなかった。こういうことばかり多く続いているような気がしてしまう。友人は三浦春馬くんと同い年で、ここのところ彼の話題を聞くたびにどうしても思い出してしまう。
当たり前だけれど、誰にも元気でまた会える保証はない。コロナ禍で顔を合わせないうちに縁のあった人がどんどん亡くなっていくような感覚でとても怖い。もう誰にもいなくなってほしくない。
三浦春馬と同い年だった、いずれ過去形になってしまうのが悲しい。
彼が亡くなってからふとした瞬間の悲しみがある、会ったことも話したこともない存在なのになぜなのだろう。
あの頃は志田未来がとにかく話題で、「シュッとしたイケメン」くらいにしか思っていなかった。
成人してからは印象が変わった、
CMで歌を披露しているの見て、良い声だな〜と思ったり、ダンスや舞台もやっているそうで、何でもできる多才なひとなんだなーと思うようになった。
とはいえもっとも彼を知るきっかけになったのは、NHKの「世界はほしいモノにあふれてる」だ。
MCがJUJUと三浦春馬で、世界中を飛び回るバイヤーが紹介する雑貨、インテリア、食などさまざまなモノを紹介する番組、これが良かった。
彼のことを追っかけたり、ファンとしてドラマや映画を見ていたわけではないので一面的だろうけど、この番組では素のような三浦春馬を見ていた。
そもそもJUJUも素のような感じで、調子の良いことを言ったり三浦春馬をイジったりするのだが、彼は彼で、子供のような純粋な表情をしたり、真面目な顔で何か感じ取ろうとしていたり、表情を見ていて楽しい番組だった。
細かいことを言うと番組の時間帯が映ってからは面白さが半減し、あまり見なくなってたのだけど、それでもJUJUと三浦春馬の掛け合いが見たくて見ていたような番組だった。
そんな中であの訃報だった。
出先で速報を見て、信じられず混乱した。
速報からしばらくしてNHKのアプリに彼の顔写真がトップに来ているのを見て、何だか変な気持ちだった。
出先から帰る電車の中で、なんだか胸が苦しくなってくるのを感じた。
言ってなかったが俺は男で、彼に対して何か特別な思いがあるわけでもない、と思っていた。
けどとにかく悲しくなってきた、友人がいなくなってしまったような、感情を共有してきたひとが消えてしまったような、そんな気持ちだった。
とにかく暗い気持ちになってきて、誰かと話したいと思った。
予期しない喪失感にとにかく面食らっていた。
1人でいると、気が沈む。
妻がいるので、帰宅してきたところを駅まで迎えに行って、ポツリポツリ話し始めた。
他の話題を挟みながら家まで帰り、ニュースを見ながらまた思い出話をしていたら、不意に涙が溢れてきた。
自分でも何故だかわからない、彼のファンでもないし、追いかけていたわけでもない、よく知っているわけでもない。
でも何故かとにかく悲しくなって泣いていた、あとで彼が自宅のクローゼットの中で亡くなっていたと聞いて、余計に悲しくなった。
何故彼は1人で、クローゼットの中なんてところで亡くなってしまったのか、自殺報道の在り方についてガイドラインの重要性をはじめて感じた。知りたいけど知らない方がいい情報もあるのだとはじめて実感した。
勢いで書いてしまった、とにかく悲しい気持ちが続いていてこんなことははじめてなので、ここに書き出すことにした。
YouTubeでみた彼の歌が忘れられない、頭の中をグルグル回る。
今日会社のミーティングで、30歳の部下を評するのにこう言った人がいた、
「三浦春馬と同じ、悩める30歳です」
少し笑いが起き、同時に「それは不適切ですよ」と嗜める声が上がった。
三浦春馬と同じ、30歳だ。
何故か今はそれが悲しい。
「自殺報道ガイドライン」がどうのこうの言われて…が理由かはわからないけど、もうほとんど報道もされてない気がする。もうみんな日常に戻れてるのか。みんな適応能力高いね。
私はまだ全然受け止めきれてない。特別ファンだったわけじゃないし、舞台もいくつかしか観たことないけど、私が幼い頃からの大スターで、最近はミュージカルでもよく観てたし、いつでも当たり前に観られる俳優だと思ってた。何より「死」から一番遠いところにいる太陽のような存在だと思ってたから、名前の隣に「死亡」と続くのが変な感じ。
訃報が流れた当日はテレビは一つも見れなかったけど、今は少しでも受け止めようと思って、名前で検索してネットニュースを読んだりもしてる。(不謹慎だとは思うけど)私はワイドショー的な情報も多少は有り難く受け取った。例えば、部屋から「死にたい」と書かれた日記が見つかったというニュース。これを知れたおかげで、「ああ、三浦春馬は死にたくて死んだのか。よかった」と少し思えた。(とはいえ詮索・憶測は大嫌いなのでほとんどのニュースはミュートしてる。)
訃報のちょうど5日後に「SUPERハンサムLIVE 2012」が映画館で上映されていたので、都内の映画館に観に行った。
別に死んだから上映されたわけでもないし、死んだから観に行ったわけでもない。死ぬ2・3日前にも配信・上映されていて、そのとき私は自宅で配信を見てた。楽しく見てた。
というか2012年に現地でも観てた。でも「推し」は三浦春馬ではないので、正直彼がステージ上にいたときでも観ていなかった時間はたくさんあった。そもそも見るべきところが多すぎるんだよなハンサムライブ。
死んだから観に行ったわけでもないけど、まあ、つい目で追ってしまうよね。めちゃくちゃかっこよかった。何で今まで知らなかったんだろうってくらいかっこよかった。顔が端正なだけじゃない、脚が長いだけじゃない。全ての出で立ちがまさに「ハンサム」。このイベントが「イケメン」とかじゃなく「ハンサム」を冠してるのは間違いなく三浦春馬のおかげが大きいだろうと感じた。
開演時のコメントで彼は「今日昼公演あって明日も2公演あるけど、そんなの関係ねえ!」と言った。そうだった、彼は2012年末、劇団☆新感線の公演(しかも上演時間4時間くらい)にメインキャストで出つつハンサムライブに出演してくれていたんだった。恐ろしいことするね。でも「三浦春馬ならこれができる」と思ってたし、事務所もそう思ってたし、実際彼はやり遂げた。映像見ればわかると思うけど(8月6日にも映画館上映・ネット配信されるから観てね)翌日2公演控えてる人の動きじゃないんだよね。ダンスも歌も笑顔も。
彼を「30年で完成した完璧な作品」と評するファンもいる。けど、そんなきれいなものではないと思う。だって、決まってた映画も、ドラマも、ミュージカルも、全部捨てていっちゃったんだもん。これを「美しい物語」として消費してしまうのは、それこそ完璧主義者の三浦春馬に失礼な気がする。
と思ってしまうほど、ライトなファンのイメージの中でさえ「三浦春馬」は完璧だった。
そんな「完璧な三浦春馬」でいることに彼は疲れてしまったんだろうか。彼の友達が言っていたように「たとえどんなに苦しくても、必ずその困難に打ち勝ち、最高のエンタメを届けてくれた」を貫いてくれたのは最後の優しさだったんだろうか。それとも最後まで苦しめてしまってたのかな。
でも、たまには負けてもいいから、生きていてほしかったよ。(これは完全に私のエゴだということはわかってる。)
今日、彼の著書やCDが売上ランキングの上位を席巻してた。…こんなことがなくても一世風靡するだけのポテンシャルがあったはずなのに。特にもうすぐ発売される新曲「Night Diver」は本当に美しい曲なので、ここまで読んでくれた方は絶対に聴いてほしい。
でもこの世に三浦春馬が存在しない以上、もう「歌の力」も「演劇の力」も「エンターテイメントの力」も信じられなくなっちゃったな。エンターテイメントが私の生きる力を支えてくれていたのは間違いないけど、これって別に命綱ではなかったんだなーって強制的に気付かされちゃった感じ。
知人が亡くなった。故人の携帯のアドレス帳を利用したらしく、短い訃報のメールが来た。
簡単なお悔やみを返信し、共通の知人何人かで連名でお香典を送った。
家族とは面識はない。
故人本人とも数年連絡は取っていない。
電話はたまたま仕事中だったり気が付かなかったりで出なかった。
口調は馴れ馴れしく言っていることは支離滅裂で、電話で話した人は怯えていた。
こんな身内がいたのでは故人もさぞ心残りだろう。
でも、かつて関わりがあった頃、その人はわりと「自分が自分が」なタイプで苦手だったことを思い出した。
自分や自分の仲間には甘く、それ以外には厳しい、というか「自分を棚に上げて」って感じだった。
いつも上から目線で偉そうだった。
息子が自慢で、娘しかいない人や子供のいない人をバカにしてた。
関わりがなくなり、疎遠になってストレスが減った。
嫌なことばかり思い出して、あんな人だったから家族も変になったんだろうと思った。
もともと変だったのかもしれない。
誰にも言えないのでここで書かせてもらった。
三浦春馬さんのニュースを見て以来、地獄の蓋が開いたように、自分の希死願望と向き合うことになって辛い。べつに本当に死ぬ勇気なんてないんだけれど、頭が何度も三浦さんのその場を思い浮かべてしまう。そして自分もそちら側にいけないだろうか、と願ってる自分に気づいて、いやそんなこと考えてもしょうがない時間の無駄だしやめようよ、と振り払う。その繰り返しが地味にこたえる。
ほんとに地味に、なんだけど。
特別彼のファンだったわけではないけれど、おそらく同世代の多くの人間と同じように、昔はイケメン俳優、今はポールアンドジョーのスーツが似合ってせかほしみたいなセンスのいい番組のMCができて舞台でも成功してる一皮向けた俳優さん、くらいの印象だった。
ただそういう成功者であるところの彼が自殺したという話を見て、ああなんだきっと自分だってできるじゃんって思えてしまう。
いろんな格差や貧困が広まるこの国で、仕事があってある程度恵まれた環境にいて友達だって親だっているのに、それでも自分はきっと死ぬまで理解されることはなく孤独で苦しいしこれ以上人生でほしいものやみたいものもなくてきっとこれ以上めちゃくちゃいい瞬間があるわけでもないんだよな、と思えて、誰もそばにいないことが苦しくてならない。26年間そうだったんだから今後もそうだよなあ、しょうがないよな、これでも恵まれてるほうなんだもんな。
死にたくても人間は死ねない、だから人生を楽しめるよう頑張るしかないよ、って自分に言い聞かせていたのに、三浦さんの訃報を聞いて以来、自分もできないのかなあ、と考えてしまって、できないよなって諦めることがつらい。できないことを願うこと自体もつらいし、youtubeもTwitterも三浦さんの顔写真が流れてきて、そのたび思いが湧いてくる。きりがない。忘れたいけど忘れられない。そのうち忘れられるだろうか。
若くて才能のある、それも容姿端麗な人が死ぬとみんな好き勝手に言う。死んじゃ駄目だとか、私たちは助けてあげられなかったとか。
「この思いが天国に届いてますように」に対して「きっと届いてるよ!」と無邪気に返す人たちを見て目の前が真っ暗になった。
まだ訃報を耳にしたばっかでもうそんなこと言ってしまえるのか。
届いてるって何だよ。なんですぐにいい話にしようとするんだよ。自分たちのために物語を作るな。死にたいとも思ってない自分が救われたがるな。こんな悲しい決断をするところまで追い詰められた人を消費して、自分に酔うのはやめろ。
もうみんな黙ってくれ。頼むから何も言わないでくれ。
今ものすごく悲しいから静かに悲しませてほしいのに、自分の話をしたがるやつが多すぎて嫌になる。 ツイッターで散々いろんなことを言われてるのを目にしてめちゃくちゃに傷ついたから、日曜の晩から今までツイッターもインスタも一切触れてない。 SNSに依存気味だからすぐに癖で開きそうになるけど堪えてる。
死んだら駄目だって言うやつ山ほどいるけどあんたは何なの?どんなに悲しくても生きてればいいことあるよ、じゃないんだよ。
じゃあそれは具体的にいつなんだよ。いつまで我慢したらいいことがあるんだよ。他人の人生に責任なんか持てない癖に、薄っぺらな正しいっぽい言葉すらすら吐いて気持ちよくなってんじゃねーって思う。
いいこと起こるまで耐えられないくらい今がどうしようもなく辛いっていうのは、そんなに理解に苦しむ話なの?少しも我慢せずに死ぬ道を選んだって思うの?耐えて耐えて耐えてきて、それでもやっぱり辛かった結果だとは思わないの?あんたそれ想像力と思いやりが足りてないんじゃないの。
死にたいって思う人に、死ななくても済む理由を見つけさせられなかった世界が負けたんだよ。
残された側は悲しいけどね。本当に辛いけどね。でも私たちの悲しみ苦しみは問題じゃない。いちばん大事にされるべきなのは、死んでしまった人の感情だから。
せめて今もう辛くなければいいなと祈ることしかできないのは、目眩がするほどやるせなくて何もかも投げ出してしまいたくなる。
でもそれしかできないよ。あとは素晴らしい出演作をときどき観て、やっぱり素敵な人だったなあと懐かしむのが精一杯だよ。それ以上に何かできると思うのは傲慢です。あの素敵な人のことを全部悲しい思い出にしてしまわないように、今はまだ胸が痛くて難しいけど、定期的に作品を見返していきたい。
去年なんとか取れたチケットでキンキーブーツを初めて観た。そのパンフレットを開いて眺めていたらブワッといきなり涙が溢れてきた。まだどこか受け止められていなかった現実を脳が唐突に理解して、涙腺が壊れてしまった。
最高の舞台だったな。悪くもないけどあまりよくもない席が当たったのだけど、微妙な座席であることなんか気にならないほどのめり込んだ。
あの舞台に救われた。辛くて苦しくて塞ぎ込んでいた時期だったけど、踏み出す勇気をもらった。自分のありたい姿で生きるのは困難で勇気がいることだけど、そうやって真っ直ぐ生きる姿が格好よかった。また何としても観に行くぞって思ってた。
また、はもうない。日曜日から胸を占めていたぼんやりしていた悲しみが輪郭を持って、感情が今になって追いついてきた。タイムラグがあった分、勢いが凄まじくて止められなかった。泣いても泣いても止まらない。
あの素晴らしい舞台の記憶を綺麗に保存しておけたらいいのに。忘れたいことに限って忘れられないし、覚えていたいことは次々と思い出せなくなってしまう。
忘れたくないな。覚えていたいな。悲しい最期だけを記憶に残すんじゃなくて、きらきら輝いていた瞬間のこともちゃんと私の中に残しておきたい。
コロナでぶくぶく太り、運動嫌いの自分もさすがにヤバいと思い、5月頃から週に2-3回、15分のウォーキング+15分のランニング(5-6km)を始めた。
運動の中でも取り分け走ることが嫌いで、ほぼ学生時代のマラソン大会以来の試みだった。
目標は、3ヶ月以内に5kmを走れるようになること。
2ヶ月経ったが、10分のウォーキング+20分のランニングがやっとだった。翌日、翌々日まで筋肉痛が残るし、膝も痛くなるし、何より息が続かない。
加えて生来のだらしなさから、天気や筋肉痛を言い訳にサボることもあった。
あと1ヶ月じゃ到底目標達成は無理だな、と思った。
ぱっと出演作を列挙出来るわけでもなく、特別ファンでもないが、見ていて不快になることなんて無かったし、きちんと演技してる印象があったので寝耳に水だった。
今まで顔と名前は一致する、程度の認識だった同じ世代の、一見順風満帆の彼の訃報は悲しみというよりもショックだった。
故人を惜しむ声は真面目さ、誠実さ、優しさ、ストイックさで溢れ、自粛期間をいいことに、呑気に鼻をほじりながらゲームや漫画に明け暮れていた自分を恥じた。
久しぶりに晴れたので外に出た。
いつも「早く終われ、早く終われ」と願いながら走っているが、今回は件の俳優さんを頭の片隅に、「もっと頑張れ、彼はもっと頑張ってたんだ」と言い聞かせた。
嘘のように呆気なく、歩くことなく5kmを完走できた。
たかが5kmされど5km。自分にとっては到底なしえないと思っていたことがいとも簡単にできた。
嬉しさと同時にどれほど甘ったれた考えでいたのか思い知らされ、また自分を恥じた。
走り切った後、縁もゆかりもないけど、彼の分も頑張って生きていかないとならないと勝手に思った。
心よりご冥福をお祈りします。
訃報があってからいろんなメディアで取り上げられる姿を見てこれはマジできついよなあと思う。
だってみんなが自分のこと褒め称えてるんだよ?期待に応えなきゃしょうがないじゃん。
画面越しに見るその姿は本当に輝いていて眩しくて神々しくて、みんなを元気づけるんだ。
それを演じる中の人を除いて。
今年で30歳になる。タイトルはこんなのにしてみたが内容はニュースを見て思ったことを徒然なるままに書き流した日記である。
あまり関心を持ってはいなかったが、同い年ということで多少意識はしていた人なので衝撃があった。
世間的にも人気があったようで、驚きと悲しみの声があちこちから聞こえてくる。
本当だろうか。
30歳は若いのだろうか。
高校の友だちとオンライン飲み会をすると、「まだ30歳」よりも「もう30歳」という話のほうが多い。
もう30歳だ、そろそろ人生でやりたいことを決めないと。
もう30歳だ、結婚とか子供とか考えるならそろそろリミットを意識しないと。
人生100年とも言われる時代、30歳は客観的に見て若いだろう。
でも、まもなく30歳になる私の目線で考えると、「30年も生きてきてしまった」という感覚が強い。
だって知らないもん。
60歳の自分が振り返るときの30歳は若いかもしれないけど、今の自分にとっては未来だ。
もし件の彼が自殺だったとして、「まだ若い」という感覚があったのかは疑問だ。
本当だろうか。
思うに、自分が恵まれているかどうかは、欲しい物を持てているかどうかは、主観によるところが大きい。
自分は美貌も名声もお金もぼちぼち足りない普通のアラサーだが、感覚としてとても恵まれていると思っている。
高校の友達とオンライン飲み会をしても、「幸せだなあ」って話になる。
もちろん足りないものが多く、色々悩みは尽きないのだが、なんだかんだ満たされているのだ。
こんなことが悩みだーと誰かが言えば誰かが「そんなことないよ」「そんなときは自分はこうしているよ」と、慰めなりアドバイスなり、時にはお叱りなり、穴を埋めようと一緒になってくれる。
ただ、このメンバーに有名人で顔も人気もあって収入もある彼が加わっていたとしたら、
彼がこんなことが悩みだーと言っても「あなたは大丈夫よ」と返してしまわないだろうか。
その回答だと、彼の心の穴は埋まらないのではないだろうか。
もし件の彼が自殺だったとして、「自分は恵まれている」という感覚があったのかは疑問だ。
何が言いたいかって、まあ大して言いたいことはないんだけど、
最近だと三浦春馬さん、少し前だと志村けんさんや岡江久美子さんがニュースで突然の訃報が報じられましたが、
そのニュースに対してツイッターなどで「ご冥福をお祈りします」と締めくくる方を多く見受けられます。
でもご冥福を祈るって、その人の死をちゃんと受け止められないと自分にはちょっと出来ませんし、
近親や友人知人の死でしたら、通夜やお葬式が終わるころでないと、ちょっと言えないし思えません。
でもツイッターで訃報の第一報に対して「とても残念です、ご冥福をお祈りします。」
というメッセージを見ると、とてもあっさり受け入れてしまっているように見え、
ファンとか一緒に仕事をした間柄の人であっても、とっても冷たい人に見えてしまいます。
実際その人は冷たいとかではなくとても前向きな人なのなら、
人の死をスッと受け入れて、さ、次々!と思う人なのかもしれません。
それはその人の個性かもしれませんが、
もし訃報に対しては杓子定規的に「ご冥福を…」と言うもんだと思っているのであれば、
それはやめた方がいいと思います。
同い年の人気俳優、いつも笑顔の絶えない彼が自殺した。死因は首吊りらしい。
とにかくショックだった。ショックだったからここに吐き出させてくれ。
笑顔の素敵な彼だった。はにかんだ笑顔はいつもキラキラ輝いていた。
出てた番組を全て見ていた訳でもない。それでも顔を見れば名前はわかる、同い年でもあって勝手に親近感を持っていた。
ニュースに気づいた時は実感がなかったけれど、音楽の日を見ながら、流れてくる歌がだんだん彼のことに思えてきてモヤモヤした気持ちがじわじわと浸食しはじめた。どんな気持ちで死を決めたんだろう、どんな気持ちで紐を握ったのだろう、どんな気持ちで首にかけたんだろう、その手を止めることはできなかったのかい
娘を寝かしつけて静まり返った部屋でテレビをつけるとNEWSの生きろ!が流れるところだった。中居くんが3人になったNEWSに優しく声をかけるシーンが印象的だった。
生きろ
生きろ、生きていてくれ、生きていてほしい
毎週木曜日に笑顔を見せていてくれただろう、もう見れないなんて、新しい表情がみれないなんて
横にスワイプすると彼のキリッとした表情と悲しい文面。もう君はこの世界にはいないんだね
辛くなって布団に入るけれどなかなか寝付けない。遠くで車が大音量で走っていく音が聞こえた。
そのとき、初めて、引きずられる、と思った。何か大きな磁石みたいな力が車の走った方向へ心を引っ張ろうとしていた。
君は。こうやって誰かの手を握って安心して眠ることもできなかったのかな。
見つかったのは13時、行動したのが夜なのか朝なのかはわからない。見つかったとき僅かに心音が動いていたとワイドショーで言っていた。ということは朝方なのかな、目覚めてから行動したのかな、もう一晩待ってくれたら、今日は、7月18日は久々の晴れだよ。綺麗な青空が見えるよ。
朝起きてテレビをつけると、昨日の出来事を放送していた。やっぱり現実みたい。映画の番宣だったらいいのにというツイートをみた。詐欺だよ、騙されたね、って。そう言いながらテレビに出てきてほしい。
外に出て娘と散歩した。いつも通り人が行き交う道。笑い声、笑顔。久々の快晴だからか楽しそうに見える。道もキラキラしてみえる。娘の顔もキラキラしている。
もうこの空の下を歩くことがないんだね。テレビにも出ないんだね。雑誌にも出ないんだね。さみしいよ。
天国はどうだい、向こうでも歌を歌っているのかい、演劇をしているのかい、そちらの天気は晴れですか。
何人もの芸能人の訃報を耳にしてきたけれど、ここまでショックだったのは君が初めてだ。こんなにも君のことを考えるのも初めてだ。こんなにも君の存在が大きかったなんて。
死にたいではなく生きたくない、と言っていた。
生きたくない。生きるのが辛い。
死にたいわけじゃない。ただ、生きていたくない
そう思ってしまったのだろうか、生きていたくない。でも、私はあなたに生きていて欲しかった。
しばらく天国で新しい生活を楽しんでください。そしてもし、また、この世に戻ってきたいと思ったのなら、また来てください。また歌とダンスをみせてください