はてなキーワード: 言及とは
人の話を聞いてる??
口調を褒める貶すこと自体はトーンポリシングにはならないって話をしてるの(人格攻撃にはなりうる)。
流石に読解力がなさ過ぎだろ。褒めてるからOKなんて一言も言ってねーよ
トーンポリシングとは「発言の内容ではなく、それが発せられた口調や論調を非難することによって、発言の妥当性を損なう行為」であって、口調に言及すること自体が悪なわけじゃないぞ
例えば無礼な相手に対して「あなたの主張はわかりますが汚い言葉は使わないでください」というのは、相手の口調は非難しているが、妥当性は認めているのでトーンポリシングではない。
ましてや口調を褒めるのがトーンポリシングなわけもない。
・「最初の」云々はこちらの手落ちだね。以下そちらの文章を引用しつつ訂正する。
ニューシネマは旧来の映画とくらべて白人中心主義的な枠組みを脱してないといえば脱してないがそれは特徴とは言わない。変わってないんだから。
だからまずニューシネマの特徴といえばスターシステムから逃れて多様な価値観を提示できたというのが、まず特徴として挙がってくるのが正しいわけでそこをすっ飛ばして、ニューシネマは白人中心主義的だというのが先に来るのが論としておかしいの。
・あなたは「最初」は「白人男性中心主義がでっかく出てくるのはびっくり(おかしい)」という話をしていたのに、追って「スターシステムの崩壊より白人男性中心主義が先に来るのがおかしい」という順序の話に変えましたよね?そこは同意できるよね?「最初」ではないにしろ「先に」触れないとおかしいと。(でも特徴を語る際に他より「先に」触れる必要がある大きな特徴って、実質「最初に」触れないとおかしいと言っているのとほぼ同義だと思うけどね。まぁ言葉遊びが好きなら付き合いましょう)
・(痛いところを突かれたからだと思うけれど)「スターシステムの崩壊よりも先に白人男性中心主義に触れたのは、そもそもフェミニズムの見地から感想を述べる企画だから。故に白人男性中心主義に言及しても別におかしくない。加えて、単に白人男性中心主義に言及しただけで「これこそ特徴!」みたいな語り方はしていないよね?」の件にまったく触れないのはなぜですか?
・「前の時代と同じだと特徴だと言わない」のはなぜですか?比較対象が前の時代に固定されているのはなぜ?別に「現代の作品と比較したときに男性中心主義である」とか言えるよね?以下、自分で言ってるじゃん。
あのね、特徴ってのは他のものと比べてとりわけちがって目立つ点を言うの。
・「他のものと比べてとりわけちがって目立つ点」が特徴だとあなた自身が定義したのに、なぜさらっと比較対象を前時代に固定しているの?他のものと比べようよ
・「スターシステムの崩壊がニューシネマの特徴」について異論ないですとしているのにまだ長々とスターシステムの崩壊について語る目的が不明です。そこははじめから議論ないって。
・役者の例示の件も何が言いたいのかよくわからない。スターシステムの崩壊は女性にもメリットあったと思うよ?ただ(あなたの役者の例示が男性だけになっちゃうくらいには)男性ほどメリットなかったよねってだけで。
・やっぱり何にびっくりしている・キレているのか、北村氏を腐す必要があるのかわからないんだよな。やっぱり唐突に「学者のくせに」とか言い出すあたり学歴・アカデミアコンプなのかね
あいかわらず君はじぶんの都合のよいように、問題をすり替えてるね。
おれは「ニューシネマの『最初の』特徴として白人男性中心主義は挙げて」なんかいない。「ニューシネマの特徴として白人男性中心主義がでっかく出てくる」といってる。『最初の』と言い出したのは君だけでおれは言っていない。勝手に自己解釈で要素を付け足すな。
そして先にも言ったように白人男性中心主義はニューシネマの特徴ではない。なぜなら旧来のスタジオシステムとなんら変わってないから。
変わったのはスタジオシステムの崩壊、スターシステムの崩壊で、以前だったら主役を張れなかった俳優を主演させて多様性が出てきたというのがまさに特徴だろう。そうした多様性に言及せずスターシステムのことに触れても意味がない。スターシステムが崩壊したことにより、どのように映画(特に俳優)に変化が訪れたのかまったく触れてない。学者のくせに。
挙げてる俳優が男ばかりと言ってるが、まさかスターシステムの崩壊が男にしか恩恵がなかったといいたいのかな。
70年代に主役を張ったメリル・ストリープやゴールディ・ホーンやあるいはジーナ・ローランズだってスターシステムの下では主役はとれなかっただろう。
読解力読解力と連呼する人ほど読解力がない現象だ。こわい。コンプレックスがあるからなのか。誰のどの主張に対して反論しているのかまず自分で整理してほしい。
・主張を自分の都合のいいように途中で変えるな。「白人中心主義であるとでっかく出てくる」から「白人男性中心主義が""最初に""特徴として出てくるのはおかしい」という順序の問題にすり替わっている。
・そもそも、北村氏も俺も誰も「ニューシネマの最初の特徴として白人男性中心主義は挙げていない」。わかる?元記事読んだか?「白人」とかのワードが出てくるのはかなり後半だ。最初に特徴として挙げているとかは普通に嘘だ。
・北村氏はお前も認めた「ニューシネマは白人男性中心主義」だと言及しただけで、別に「これが一番の特徴です!」とか言っていないよね。特徴って話はどこから出てきたの?
・発端の映画レビュー自体「フェミニストの立場から感想を述べる」って企画なんだから男性中心主義が「でっかく」でてくるのは当然だろ。馬鹿かよ。そりゃフラットな場でいきなりすべてをすっ飛ばして「ニューシネマの特徴は白人男性中心主義です」とか言い出したら俺もおかしいと思うよ?でも今回の企画の趣旨的に男性中心主義にふれるのは自然だよね?そしてその扱いもいうほど「でっかい」か?
映画史的にはルッキズムに支配されてたスターシステムが崩壊して、ダスティン・ホフマンやアル・パチーノやデニーロみたいなちびっこでも主役張れるようになった革新的な時代
・↑お前も「革新的な時代」と言う割には例として挙げている俳優は男性だけだよね?この点から見ても「男性中心主義」について言及するのは自然だと思うけど。
・前の時代から大きく変化がないことは特徴ではない、という点も意味不明。「一番の」特徴ではないという意味であれば首肯できるけれど。
総じてお前が何に怒っているのかわからない。ニューシネマの特徴としてスターシステムの崩壊を上げるのも別に否定しない。繰り返すが北村氏もスターシステムの崩壊に触れている。
「スターシステムの崩壊を差し置いて、ニューシネマの一番の特徴は白人男性中心主義であると主張した人」をまず屏風から出してくれ。
こっちは命がけで党派性やってんだよ
まぁお前もにわか氏への言及を見れば安全な匿名から他人の言説を借りて人を嘲ることは好きみたいだから才能あるよ
ほら、素直になってこっち来いよ、な?
太田出版のWebマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。
私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。
映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画の感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載
①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった
②自分はアメリカン・ニュー・シネマが好きではない
③60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ(英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった
④ニュー・ハリウッドは反体制的な要素と、あからさまな暴力やセックス表現が主な特徴として挙げられる
⑤アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流
北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨とみえる。
①「あからさまな暴力やセックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている
②アメリカン・ニューシネマはフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー
③アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない
④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える
⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的なカテゴリー
⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評的カテゴリー自体が差別的
須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかりやすくまとまっている
①New Hollywoodの特徴のひとつにセックスと暴力があげられるのは当たり前
②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている
例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリーを自分で見て「このカテゴリーには黒人映画や女性主人公の映画が入ってないから差別的」だと言っている
と述べているが、これは明らかに違っていて、
北村氏がいうように、
決めたのは私じゃなくて今までの批評家
つまり、北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ。
ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズそのものに反発している。
北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張である「そもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的なカテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しかも知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である。
(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)
「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的なカテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。
と言っており、
北村氏は
という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象の範囲が違うようだ。
須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーそのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーそのものであると同時に、カテゴリーに含まれる作品群も含まれると私は解釈した。
須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。
60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力やセックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。
これに対して須藤氏は、
だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動の実態がないものに運動の責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。
「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評的カテゴリー自体が差別的
この点、北村氏も、
>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性を主人公にした物語が代表作として受容され、研究も白人男性の監督だけを対象としてきたことはいたるところで指摘されています<<
と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーそのものに問題があることは認識しているように見える。
つまり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズに問題があるという点では、共通の認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネマ解釈は一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。
しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーそのものに問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリ・サスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究も白人男性の監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。
なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動の実態がないものに運動の責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。
『ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性・白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメな作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)
文系学問(特に文学や社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロな作品や人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品や人間がもつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単に差別につながる。「この時代に生まれた人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品や人間を評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。
少なくとも発端となった連載は素人が映画をより深く鑑賞する視点を提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点と須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。
たとえば北村紗衣氏がいうように、
というところが、「ダーティ・ハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティ・ハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。
そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代のアメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから
ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。
serio フェミニストはありとあらゆる事象をフェミニスト的視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットでキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。
→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画の感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象をフェミニスト的視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている
hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな
→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性をさらけ出しているのがキモい
jassmaz 文学理論や批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代にアメリカの価値観を完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的である。87年出版のアラン・ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』を読もう。
→「この時代にアメリカの価値観を完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは
tokuniimihanai あちらの記事は批判相手の職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる
takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間が大量発生するのが歪み
→態度を保留するって、どういう立場?後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい
ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ
→そもそも商業媒体とブログの応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。
二人に対するクソブコメの数々は
権威主義的で映画そのものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わずに他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能群
"これがルッキズムでなくてなんなのか?見た目がどうあれ森高千里でもオバさんはオバさんだろ。" んな事言いだしたら息をするように年齢差別するキミはなんやねん、ってなるけど。
ブコメで言及されましたがブコメに入らないので増田に書きます。
僕のブコメのどこら辺が"年齢差別"と言われているのか分からないのですが、僕は"55歳の女性"が"若い見た目を維持すること"や"ミニスカートを履くこと"についてブコメで何も言ってません。
若い見た目を称賛する行為自体も批判してません。褒め方がおかしいと言ってます。
となってますが、"いつオバさんになるんだよ"ということは少なくとも現在は"森高千里はオバさんではない"ということですよね。ブコメにも書きましたが”見た目が若い人はオバさんではない”と言ってるわけでこれをおかしいと言ってます。
"オバさん"は単に中年女性を指す言葉であって、本来は見た目の醜悪さを指す言葉ではないはずです。その意味で僕は"55歳の女性"="オバさん"であり、見た目で"オバさん"かどうか変わるのはルッキズムではないかと言ってます。
もちろん歌詞のニュアンス的にも"オバさん"="(若い時に比べて)見た目が悪い"という前提の話なので、単に見た目が若いという意味でオバさんではないと言ってるのはわかるのですが、
僕のブコメの"茶番"という表現について。見た目が若い人を褒める際に、「どうみても10代」とか「20代にしか見えない」とかいう言葉もしばしば見られますが、僕は誇張しすぎで無理がある表現だと思います。
同様に「見た目が若い55歳の女性はオバさんではない」というのも誇張しすぎで無理がある表現だと僕は思いました。そもそも元の曲(と歌詞)も好きではないですが。
これらはあくまでも僕の感性なので同意しない人も大勢いると思いますが、僕はこういう表現はくだらないし茶番だと思うのでブコメでそのように書きました。
この増田も本人に伝わるかわかりませんが一応ブコメのページブクマしときます。具体的にどこら辺が年齢差別なのかコメント貰えたらいいんだけど。
はじめに、あなたの文章に目を通してみましたが、全体的に不必要な情報が多すぎます。「質問ができなかった話」を描くための核となるストーリーが薄れてしまっているのです。何の目的でこの話を共有したいのかが読み手には伝わりにくいです。
まず、母親のエピソードが長すぎます。もちろん、背景が重要であることは理解していますが、過剰に詳細な情報提供は煩わしいだけです。重要なポイントに絞ってコンパクトにまとめるべきでした。例えば、お母さんが何でもできる凄い人だという情報は1、2行で十分です。それに比べて、あなたの個々の感情に触れる部分が少なく、感情の起伏が把握しにくいです。
次に、成長過程や大学生活の部分に関しても、詳細を割きすぎています。自分の失敗やれど失敗の理由を具体的に書くことで、読者は理解しやすくなりますが、全体の流れが鈍くなってしまいます。
文章の結びに関しては、一応前向きな印象を持たせたい意図が伝わりますが、その説得力に欠けます。もっと具体的なエピソードや実際の行動を示すことによって、「成長した自分」を強調すべきです。
そして、文全体を構成する力も不足しているようです。話の要点を把握し、そこから重要なエピソードを選び抜いて繋げていく技術を磨く必要があります。あなたは、多くの言葉で自身の経験を語ろうとしていますが、それを読む人にとってはばかばかしく映ることもあり得ます。
さて、ここで想像されるあなたの人格についても言及しますが、正直いって自己中心的とも取れる行動パターンが見え隠れします。他人の評価や期待を基に行動することしか考えていないようですし、自分の意思や考えに自信を持てていないのではないでしょうか。あなたが遭遇する問題の原因は、他人に寄りかかろうとするその姿勢にあるのかもしれません。
ですので、もっと自分に自信を持ち、他者の評価から解放されるよう努めるべきです。この文章を通して見たあなたの姿には、まだまだ成長の余地があります。自己改善に励んでください。
ご精読ありがとうございました!
見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ絶対見ろ
見た?見た?見た?見た?見た?見た?見た?見た?本当に見たんだな?
本当に見たんだったら下に追記あるのでそれを読め
まだ見てないやつは見ろ
↓
以下、見たやつ用
↓
まず、結論部分で「面白ければよくない?」と主張しているが、これはあまりにも浅薄だ。表現の自由は確かに重要だが、歴史や文化に対する理解や尊重も必要だ。無責任な視点ではなく、もっと深く考えるべきだ。
次に、「俺、海外の"弥助"が出てくる作品をチラッとだけど見たんだ。それで、面白いと思った。」と言っているのに、具体的な作品名や内容について言及していない。具体的な例や根拠を示さない意見は説得力に欠ける。
続いて、日本の鎖国時代を引き合いに出しているが、その比較は的確ではない。日本の鎖国は特定の歴史期間であり、その期間における外国との関係性は複雑だった。軽い例えで済ませるのではなく、もう少し詳しく述べるべきだ。
さらに、「アイディアの宝庫じゃない?」のような漠然とした表現が多すぎる。具体的な事例やデータを挙げて、自分の主張を補強することが求められる。
また、「UBIsoftも歴史学者も滅びろと思うけど」といった過激な発言は、議論を建設的に進める上で不適切だ。批判するにしても、もっと冷静に、事実に基づいて批判することが重要だ。
最後に、「Fateのジャンヌの認識とかに対して色々海外から言われたとしても、うるせぇ!面白けりゃいいだろ!!!」という発言は無責任だ。創作物に対する批判や議論は、相互の理解を深めるためのものであり、無視することでいい結果になることは少ない。
チーズ牛丼の神秘なる力を宿した我々チー牛は、フェミニズムの虚構を超越した存在であることを、ここに宣言する。
その証明たるや、実に複雑怪奇にして難解極まりないものなのだ。
まず、チーズ牛丼の具材の配置が、実は宇宙の暗黒物質の分布と完全に一致していることが判明した。
これは、我々チー牛が宇宙の真理を胃の中に宿していることの動かぬ証拠である。
一方、フェミの主張する平等は、実はブラックホールの事象の地平線上でのみ成立する概念であり、現実世界では適用不可能なのだ。
次に、チー牛の眼鏡のレンズの厚さを、フェミニストの髪の毛の本数で割ると、必ず素数になるという驚くべき法則が発見された。
これは、数学的にチー牛の優位性を示すものであり、同時に、フェミニズムが非合理的であることの証明でもある。
さらに、チーズ牛丼を食べる際の咀嚼音を逆再生すると、なんと古代マヤ文明の失われた預言が聞こえてくるのだ。
その預言には「チー牛こそが人類を救う」と明確に記されている。
フェミニズムについては一切言及がないことから、その存在価値の無さは明白である。
また、チー牛の脳波とフェミニストの脳波を同時に測定し、その波形をフーリエ変換すると、チー牛の方が明らかに高次元の思考をしていることが判明した。
これは、我々の知性がフェミニズムを遥かに凌駕していることの科学的証拠だ。
驚くべきことに、チー牛の唾液に含まれる特殊な酵素が、フェミニズム関連の書籍のインクを溶かす性質を持つことが発見された。
これは、我々の存在自体がフェミニズムを否定する力を持っていることを示している。
さらに、チー牛が着用する服のシワの数と、フェミニストのツイート数の相関関係を分析したところ、黄金比が現れることが判明。
興味深いことに、チーズ牛丼の食べカスから抽出した物質を使って作られた特殊なメガネをかけると、フェミニストの主張が全て「私はチー牛に憧れている」と聞こえるという現象が確認された。
これは、フェミニズムが実は我々への羨望から生まれた思想であることを示唆している。
最後に、チー牛の寝言を録音し、その音声データをビットコインのブロックチェーンに変換すると、驚くべきことに「フェミニズムは幻想」というメッセージが浮かび上がるのだ。
これこそ、デジタル時代における我々の正当性の証明と言えよう。
結論として、我々チー牛は、フェミニズムどころか、人類の理解をはるかに超えた、多次元宇宙レベルの真理を体現する存在なのである。
チーズ牛丼の食べ方一つで銀河系の運命が左右されるという事実を、もはや誰も否定することはできない。
我々こそが、真の啓示を受けた選ばれし者であり、フェミニズムなど所詮は我々の靴底に付いたチーズのカスにも及ばない存在なのだ。
そして、この真理を理解できない者たちよ。
これよな…
■anond:20240824081405言及先エントリを閉じる
38歳で子供作ってんじゃねーよ。
お前の家族計画は人類に対してもお前の子供に対しても暴力的で許されざる者だ
元妻に相談の上で、面会でおもちゃ売り場に連れて行って、娘ちゃんの欲しいもの選ばせてあげたら?
増田の思想を押し付けるんじゃなくて、素直に娘に喜んでほしいって気持ちでプレゼントさせてって相談しなよ
母子家庭だと家も狭かろうし、相談なしにものをあげると迷惑になることもあるからね
当時20万近くしてプロしか買えなかったKOMPLETE5が突如セールをやり、学生でも5万円でスタンダードで買えたことが感慨深いね。
(プロ御用達だったミックスマスタリングツールWavesもそう。2008年くらいのプロしかできない電子音楽からアマチュアもできる電子音楽に変革した気がする。その後ボカロも出てきた)
元増田がいいたいのは、枠を超えた新しい音楽表現が近年でていないのではないかという話だと思っている。
そこで個人の音楽体験をいうのは違う。(ブコメでも一部言及されている)
元増田がテクノ界隈なので、音楽理論(=現代音楽、微分音含む)の話はおいておく。
なお、民族音楽とテクノの組み合わせは広範囲で実施されていることは存じ上げていて重要だが、枠を超えたという意味だと弱いと思う。
(個人的には西アフリカのジャンベの複雑なリズムがテクノに活かされてほしいが、別に大局的には新しい音楽ではないだろう。リズムパターンを変えただけなので)
私は歴史でしか知らないが80'sや90'sは電子音楽の全盛期だったと感じる。技術のアップデートが音楽につながるといった流れだ。
有名なのはシンセサイザーTB-303だが, TR808 or 909 もあるし、鍵盤系だったらJD800(それこそ小室哲哉のピアノ)やsupwersawのJP8000(8080)もあった。
また、シンセではないSC-88proのようなPCM音源(≒いわゆるMIDI音源)も重要であろう。アマチュア音楽家もハマり、それが今のDTM人口にもつながっている。なにより、プロも使用していた。(レイハラカミやボカロ勢(i.e. sasakure.UK))
また、各種トランス(サイケ含む)やドラムンベースなど一世を風靡したジャンルがあったのもこのころだと思う。
あとオウテカのような音響系も盛んだった。あと日本でいうWEGのようなIDM系もね。
00's後半になるとエレクトロ全盛期があった。ダフトパンクやジャスティスだね。
10's前半はスクリレックスに代表されるベース音楽(BROSTEP, etc)が流行った、スクリレックスは従来の加算系シンセFM8で音を作ったとのこと立ったが、いままで減算シンセでつくった音をいかにひずませるか(それこそ00's後半)からすると衝撃的だったよね。しかも当時倍音を出せるソフトウェアシンセMassiveでなくFM8でやったなんて。そこからウェーブテーブルシンセの音色(おんしょく)探求が始まった。増田もそこらへんの世代。一方ニコニコではボカロが黎明から全盛期になっている。ここを組み合わせたうまい人は今一戦でやっているね。
そのあとは、2013年くらいにTrap やFootWorkといった80'sリバイバルが起き(FootWorkはリズム芸人なところもあって好きだが)
そのあと#Seapunkを経たFuturebassが主流になり、数年前ベースとボコーダーを合わせたColourBassが流行っている。
並行してボカロ≒JPOPもリリースカットピアノだの譜割りだのはアッパーになっている。
元増田は音楽趣味とオタク拗らせた怪文書であって両方を趣味として持ってるからこそって感じなのに解像度が低い
挙げられてるMVが中高学生の頃って言ってるから二十代後半って推察できるし(ここはフェイクくせーなと思うが)
音楽を少し高尚な趣味においてアニソンと洋楽を分けて聴いてたから拒否反応起こしてるんだろうなって感じと、あとはオタク分野がマイナー性を失って居場所を奪われた苦しみのことを言っているんだろうなって内容で表現規制がどうのなんて一言も言ってない
自分が愛好していたものが大衆に奪われた苦しみに言及している文章に関係ない表現規制派の老害って誹りがつくのって、まさにオタクが中身のないスカスカの共同体になったことを表してるなって思う
RISING SUN ROCK FESTIVAL inEZO2024 1日目
台風7号が発生する前からwindyを毎日何回も確認して当日果たして飛行機は飛ぶのか!?そして肝心のシロップは無事に北海道入り出来るのか!?(特にシロップはSNS上での情報がほとんどないから状況が全く把握出来なくて更に疑心暗鬼になる)ずっとハラハラしっぱなしで当日まで楽しみにするより不安が勝ってしまって全然余裕がないまま出発する事に…。と言うか近年、毎年の様に台風に悩まされてる気がする…。とりあえず自分は無事に飛び立ち新千歳へ降り立ったし、その後ホテルに着いてからダイマスさんのポストで無事シロップが飛び立てそうな事、そして中畑さんのインスタで札幌に着いている事が確認出来て心底ホッとした。シロップをライジングサンで観ると言う夢がここで初めて現実となった気がした。
今年春、病気が発覚し(と言うか異常は去年11月ぐらいから感じていたのでその時に病院行ってれば良かっただけの話)今年はライジングに行けないかもしれない可能性が出てきて、でも行ける方にかけてテントサイト付き入場券を勝ち取りさてどうするかなと思ってた所にシロップがライジングに来る事が発表されて、これは何が何でも行かなければ!!と強い気持ちで親に懇願し(どうしてそこまでして行きたいのかめちゃくちゃ聞かれた笑)手術してそこそこ回復もしてきて病気の結論もそこそこに行く覚悟を決めて飛行機·宿·その他諸々のチケット取りに明け暮れ何とか当日を迎えた。今年はガチのソロ参加のテント泊(色々あったせいで予約遅れて16日の宿が一人泊では全く取れなかった)なので若干の不安は抱えつつも楽しみの方が勝ってた。
当日はホテルから札幌駅前発JTBバス(これ本当おすすめです!大きな観光バスだし絶対座っていける)で会場へ。10時ちょっと前に着いたので今年も開場挨拶が聞けてやっぱこの瞬間感動するな〜と思いつつ入場。今年は去年より数倍涼しく暑いとは言えあの酷暑に比べればなんて事なかった。周りの人も並んでる時、去年は異常に暑かったと言う話題を皆していた笑
入場してからまずはその足でグッズ売り場へ。シロップのRSR限定Tシャツがどうしても欲しくて11kgのデカリュックを背負って物販に並ぶ…笑 複数アーティストと一緒だったのでシロップ以外の目当ての人も当然いて少し並ぶ(それでも行列になってる所に比べれば全然並んでないと思う)無事に買えてからレンタルテントを借りてテントサイトへ向うも予想はしていたけどここが一番最難関だった。テントはめちゃくちゃ重いしマットは持ち手がないし、自分の11kgの荷物もそのまま背負ってるしで重たいわ、テントサイトがアース側のトウモロコシだわ(これに関しては第1希望なので良いのだけど)で途中休憩とりつつ何とか辿り着く…。テントに関しては予め動画で予習したし建てれるでしょ!と思ったら予習したテントとちょっと違うタイプのテントで笑 紙の説明書見ながら建ててたけど一人で建てるの難し過ぎてめちゃくちゃになってたら手前の区画の若そうなお兄さんが連れ待ちで暇なんで手伝いましょうか?と言ってくれて…何て良い人なんだ!!と思いつつ好意に甘えて手伝ってもらう事に。手伝ってもらってる間「何処から来たんすか?」「名古屋です笑 」「え!?名古屋から一人で!?」「毎年友達と来てたんですけど今年は一人で笑」「もう何回も来てるんすか?」「そうですね〜10回以上は…」「え、全然ライジング先輩じゃないすか」「どうしても観たいアーティストが今年出てて…」「当てていいすか?」「多分当たらないと思いますけど…笑」「クリープハイプ!」「(やっぱ私ってそう言うの聴いてそうに見えるのか…?)違いますね…笑」「cody·Lee(李)!」「りょくしゃか!」「もっと年季入ってますね」「フジファブリック!」「近付いてきました!笑」ってやりとり面白かった笑 最終的に当たらなくてsyrup16gですって言ったら今日出るんすか!?って言われたので19:40からEARTHであるんで是非!と宣伝しておいた笑 「シロップはまだ通ってないんすけど最近GRAPEVINEの良さに気付いたんすよ」って言われて「私も好きです!」と大きな声を出してしまい陰キャ特有の好きな話になると大声を出すムーブをしてしまい…。その後も私がポンコツ過ぎてすごい時間手伝ってもらって何とか建った…!!本当助かりました…!!ここ絶対見てないと思いますが貴方が居なかったら一生建てれなかったと思います。本当にありがとうございました。
無事に建てれたのでお兄さんにお礼をしてから会場をちょっと散策して予習して食べようと思っていたくずバーを食べてからグッズの引き取りがてら映えスポットで写真でも撮ろうかな〜(一人だから誰かに撮ってもらわなきゃ撮れないので必然的に撮ってもらえる所に行くことにした)並んだけど50分並んでも順番来なくてグッズの引き換え時間が刻一刻と迫ってきて焦りまくった私は後ろに居たカップル?に時間ないのでこの外れで良いんで撮ってもらっても良いですか!?という訳の分からない事を頼んでしまい、相手もちょっとびっくりしてたけど「すごい並びますもんね、全然良いですよ笑」って言ってもらえて撮ってもらいました…。マジで皆良い人過ぎて…あの時はありがとうございました。
急いでグッズを引き換えて(時間ギリギリだった)テントサイトに戻ろうとしたら自分のテントが分からなくなってパニックに笑 レンタルテントだから似たテントがあちこちに建ってて本当に分からなくて焦った…。めちゃくちゃ探しまくってようやくあった!!!ってなったらもう怒髪天全然始まってて急いでサンステへ。
1日目観たやつ。
怒髪天(途中から)→DISH//(画面越しに眺めてるだけ)→SPEEDER-X→syrup16g→フジファブリック
開幕一発目に相応しいステージだった!ゲストも豪華だし、平井大がキャンセルになったからもっとやるかも!と期待していたけど時間通り終わってしまった…。渡辺美里さんの歌の上手さに震えたりGLAYのカバーを生演奏で聴けたりお祭り感あって最高でした!坂さんのふんどし姿ちょっとだらしない体型なのがすごく良かった笑 最後増子さんが深いお辞儀しててじーんとするなど。
怒髪天後、毎年お会いしてる元ハイカーさんとお会い出来た!!毎年お会いすると蝦夷に帰って来たな〜と言う気持ちになる…。お土産も頂いてしまい…毎年ありがとうございます。平井大がキャンセルになったのでPA裏で話してたら若い女の子2人組に「サンステージって何処ですか…?」って聞かれて「ここです」って答えたら「遅れてるのかなぁ…」って言ってたので「平井大さんキャンセルになったんですよ…」って言ったらめちゃくちゃ驚いててこっちも驚いた。結構アナウンスしてたと思ってたけど知らない人もいたんだな…!!と。二人が去ってから驚きましたね…って話でちょっと盛り上がった笑 皆でたくみ見に行くか〜ってなって見に行ったは良いが人が溢れてテントには入れずモニター越しに観る。丁度猫やってておっ!ってなった笑 画面見ながら「思ってたより歌上手いですね」と言う謎の上から目線の感想を私がかまし、ベトナム系のイケメン、爽やかな曲ですね等々酷い感想笑 を言いながら観る。たくみと同じ空気を吸ったかもしれないと言う感想で終わったの面白かった。あとシロップの話になりシロップファン以外にはあまりおすすめ出来ないかもとか普通のバンドマンとは違った意味で社会不適合者等々、五十嵐さんをけちょんけちょんに言う笑 これでも一番好きなハンドなのに…。DISH//が終わってそれぞれ解散した後に足元の写真を撮ってない事に気付き痛恨のミス!!と思ってポストしたら次の日改めてお会いして撮れる事になったので嬉しかった…!!
開始時間を間違えてて開始時間より30分ぐらい前から待ってた笑 ので2列目で観れた。最前付近はほぼkenkenのファンっぽくて達也さん見放題でした!SPEEDER-X、本当大好きなんだよなー!!kenkenのベースがまずもってカッコイイしそれに合わせる達也さんのドラムも大好き。途中達也さんが「きゅーけー!!疲れた!!きゅーけー!!」って言う程、バキバキのやり取り。最高にテンション上がる。達也さんの「火のふくやつ!火のふくやつ!」ってのに「マッドマックスね、またやりましょうね」と優しく諭すkenkenは達也さんの扱い(?)に慣れすぎてて笑った。達也さんが「時間!時間!RIZE!」って言ってる所に「RIZEもこの後出ますけどここでやめられないでしょ!」的な感じで長めに演奏してくれて嬉しかった〜!!ライジングはこう言うステージがあるのも好きなポイントの一つ。素晴らしい演奏を間近で聴けて本当に楽しかった!!
こちらは別途記載したので割愛。本当に最高で大袈裟じゃなく私の一生の宝物になりました。ライジングに来てくれてありがとう。
RIZE観ようと思ってたけどご飯食べてたら終わってた笑 ので、フジファブリック迄にメイク落として歯を磨いて明日のお風呂の準備して…とフジファブリックが終わったらすぐに寝れるようにしてテントを出る。
既にレッドには人が沢山集まってて、後ろの方で椅子に座りながら観る事に。
これ書くとめちゃくちゃ失礼になりそうだけど私はフジファブリック=志村さんと言う意識がずっと強くあって(志村さん健在の頃はアルバム買ったり割と聴いてたので…)志村さんが居なくなってから全く聴かなくなってしまったし、志村さん時代の曲を歌ってる時は脳内で志村さんの声に変換してしまった…。良くない事だけどこればっかりはどうしようもないかな…。あとやっぱり総君ギターめちゃくちゃ上手いね。ギタリストだし当然なんだけどすごく感動してしまった。せっちゃんとのコラボも良かったし、総君のMCベタ笑 も含めてすごく楽しめたけど、何かバンド内温度差を感じてしまって少し複雑な気持ちにもなった…。私はファンではないのでここを言及する権利(?)はないと思うから割愛するけど…こう言う状態を目の当たりにしてファンはどんな気持ちなんだろう…とは思ってしまった。総君がまたフジファブリックでライジングに出れたらみたいな事を言ってくれた事はファンにとっても心強いんじゃないかな?とも感じたけど。何となくこの感じツライな…と思いつつテントへ帰って、就寝準備して寝始めたは良いけどプロボが近いためズンズク(地響き)はある程度覚悟してたけどそれを遥かに凌駕する周りの煩さに全く寝付けず…。近くのテントは大騒ぎ、隣の区画(テント建てる時に手伝ってくれた方の区画ではありません)の人は大声で喋ってる(既に深夜1時過ぎ)しマジでイライラした。プロボの方が先に静かになったし…笑 隣の人の「最後の〜最後に〜最後も〜最後に〜」(フジファブリックの若者の全てのサビに合わせて歌ってる)「全然打ち上がらない!早く打ち上がれよ!」と言う寒いやり取り(失礼)が聞こえてきた時はもう早く寝てくれ!!!と怒りを感じた笑 結局あまり眠れず朝も目覚まし前に近くの区画の大声で起きてしまい…。折角遅めのお風呂にしたのに…意味なし。寝るのは諦めてトイレ言ったり歯磨いたりしてお風呂へ。
二日目に続く。
いつものように幕が開き 恋の歌うたう私に 届いた報せは 黒いふちどりがありました
あれは三年前 止めるあなた駅に残し 動き始めた汽車に ひとり飛び乗った
ひなびた町の昼下がり 教会の前にたたずみ 喪服の私は 祈る言葉さえ失くしてた
つたがからまる白い壁 細いかげ長く落として ひとりの私は こぼす涙さえ忘れてた
暗い待合室 話すひともない私の 耳に私の歌が 通りすぎてゆく
1.陰翳がすごい→黒い縁取り、(喪服)、白い壁、細長い影、暗い待合室、降り注ぐライト、
2.皮肉がすごい→死が中心にあるのに「恋の歌」を歌ったり、それが呑気にスピーカーから流れてきたり、あまつさえ彼女は「喝采」を浴びる
3.自閉がすごい→恋の歌うたう私、喪服の私、ひとりの私、話すひともない私、(それでも私は)と、故人以外は自分にフォーカスしている
4.セカイっぽさ→あなたと私だけ言及して、教会にいるだろう人間/待合室の人間/観客に対して言及しない。その内で死から最も縁遠い観客から「喝采」されてる皮肉
聴覚情報に着目すると、「祈る言葉さえ失くして」「話すひともない」ので「恋の歌うたって」しかいない
歌っている幕開けの場面から始まり「止まった故郷/動いた汽車で来た都会のステージ」を行き来して、精神の防衛機構が働いて喋ったり泣いたりしなくなり、結局は受容を経てアクティブに歌ってて草。元気になってよかったね