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2024-08-24

anond:20240822121833

元増田ではないが気持ちがわかる部分があり擁護する

自信はアマチュアDTMやってるアラフォー人間

ニコニコ動画やらが全盛期の世代。(歌ものは作っていないが)

当時20万近くしてプロしか買えなかったKOMPLETE5が突如セールをやり、学生でも5万円でスタンダードで買えたことが感慨深いね

プロ御用達だったミックスマスタリングツールWavesもそう。2008年くらいのプロしかできない電子音楽からアマチュアもできる電子音楽に変革した気がする。その後ボカロも出てきた)

元増田がいいたいのは、枠を超えた新しい音楽表現が近年でていないのではないかという話だと思っている。

そこで個人音楽体験をいうのは違う。(ブコメでも一部言及されている)

元増田テクノ界隈なので、音楽理論(=現代音楽微分音含む)の話はおいておく。

なお、民族音楽テクノの組み合わせは広範囲実施されていることは存じ上げていて重要だが、枠を超えたという意味だと弱いと思う。

個人的には西アフリカジャンベの複雑なリズムテクノに活かされてほしいが、別に大局的には新しい音楽ではないだろう。リズムパターンを変えただけなので)

私は歴史しか知らないが80'sや90'sは電子音楽の全盛期だったと感じる。技術アップデート音楽につながるといった流れだ。

有名なのはシンセサイザーTB-303だが, TR808 or 909 もあるし、鍵盤系だったらJD800(それこそ小室哲哉ピアノ)やsupwersawのJP8000(8080)もあった。

また、シンセではないSC-88proのようなPCM音源(≒いわゆるMIDI音源)も重要であろう。アマチュア音楽家もハマり、それが今のDTM人口もつながっている。なにより、プロ使用していた。(レイハラカミボカロ勢(i.e. sasakure.UK))

また、各種トランスサイケ含む)やドラムンベースなど一世を風靡したジャンルがあったのもこのころだと思う。

あとオウテカのような音響系も盛んだった。あと日本でいうWEGのようなIDM系もね。

00's後半になるとエレクトロ全盛期があった。ダフトパンクジャスティスだね。

10's前半はスクリレックス代表されるベース音楽(BROSTEP, etc)が流行った、スクリレックスは従来の加算系シンセFM8で音を作ったとのこと立ったが、いままで減算シンセでつくった音をいかにひずませるか(それこそ00's後半)からすると衝撃的だったよね。しかも当時倍音を出せるソフトウェアシンセMassiveでなくFM8でやったなんて。そこからウェーブテーブルシンセ音色(おんしょく)探求が始まった。増田もそこらへんの世代。一方ニコニコではボカロ黎明から全盛期になっている。ここを組み合わせたうまい人は今一戦でやっているね。

そのあとは、2013年くらいにTrap やFootWorkといった80'sリバイバルが起き(FootWorkはリズム芸人なところもあって好きだが)

そのあと#Seapunkを経たFuturebassが主流になり、数年前ベースボコーダーを合わせたColourBassが流行っている。

並行してボカロ≒JPOPもリリースカットピアノだの譜割りだのはアッパーになっている。

しかし、ジャンル的には細かい改善点であり、大きな変曲点は最近なさそう。というか10スパンしか来なさそう。

そういったことを元増田はいたかったのではないか

2022-05-25

anond:20220522090735

その文化さ、もとは東方で醸成されたもんだと思うんだよね。

東方原曲自作同人ゲームBGMで、作者の神主ことZUN氏は多分昔からSC-88Proとかの良い音源を使ってDTMしてたとは思うんだけど、結局はMIDIなわけよ。

楽譜はかなり技巧的で複雑怪奇なんだけど(実際自分作曲したものを聞いてもらうためにゲームを作りはじめたと言ってた)、音自体MIDI音源サンプリングたにしては(良い音源使ってるから)だいぶリッチに聴こえるとは言え、結局は一人で作った打ち込みサウンド感が滲み出てるわけ。通になるとこのDTM感こそZUN作品の味だと分かるものの、普通の人は「すごい個性的な曲だけどなんかちょっとリアルじゃない」と違和感をおぼえる具合。というかピアノドラム人間業じゃないしベースも大抵和音で鳴ってる。

から、このなんかヤバい曲を俺らのバンド再現してみよーぜ!だとか、この聞いたことないくらメロディアスBGM歌詞つけて歌ってみましたわ!みたいな、二次創作欲が刺激される原曲でもあった。そして神主二次に寛容だった。

アニメMADみたいな、基本商業流通している洗練された作品切り貼りして面白おかしナンセンス動画を作り、こっそりネットオタク内で楽しむ方向ような方向の二次創作とは真逆だったわけ。

ボカロというのは、クリプトン社などが公式として一次の権利を持つ商業モノではあるけども、楽器ソフトとしての音声データとその声の主というキャラ設定けが一次設定としてあるにすぎない。

そこに不完全性というか、むしろユーザーの創意工夫によってキャラ世界観を作ってくださいねとする商品なわけなので、これも東方のように二次創作欲が刺激される元コンテンツなわけよ。

それでボカロPと名乗る多くはアマチュアDTMerたちが、言ってしまえば楽曲披露したくってゲームを作ったZUN氏のように、自作曲を公開していくわけ。

でもそこはアマチュアなりの編成の拙さがあったり、ボーカルボカロという普通の人が聞くとケロケロと聴こえる萌え声機械音声にすぎないわけで、「すごい癖のある曲だけどなんかちょっとリアルじゃない」と違和感を覚えてしまう具合。

なので三次創作として「××(ボカロ曲)歌ってみた」とか「演奏してみた」というのが生まれてくる。

これが大手アーティストの曲とかだと少し抵抗や遠慮、あるいは権利面の危うさから一歩踏み出す人は減ってくるところだが、ボカロだとボカロ曲作者自体自分たちと同じ同人音楽畑の人間だということが分かるから抵抗が減る。

そういう心理的構図を最初ニコ厨たちに刷り込んだのが東方だと俺は思うんだよ。しらんけど。

2021-03-23

劇場版は楽しめない

エヴァの話です。私はリアルタイムTV版を観れた人間です。

1995年は私が美大入学した年で、テレ東夕方アニメでも、日曜の朝のアニメでも話題にできる環境にいました。

から、どっぷりエヴァに浸っていた。学食エヴァの話ができる環境なのです。

まあ、美大生なのに他人様が作った作品をどうのこうの言っている状態は、意識高い系美大からするとガキっぽかったかもしれませんが、まだ1年生ということもあって、それはそれで楽しかった。

そして、TV版の終盤のグダグダ。でも、そのグダグダさえ楽しかった。

限られたテレビという時間の中ではよくあることだし、終盤おかしくなっていくアニメなんて沢山ある。

しかし、TV放送終了後に、なぜか話題になっていくエヴァ時代ルリルリではないのか?

バカばっか

あんグダグダで終わってしまったアニメに。

そして、劇場版

TV版の総集編を映画館でわざわざ観させるって凄いなと思ったし、わざわざ観たくないと思った。

それは、私がだいぶ美大生化してきたかなのだろうか。

期限内に終わらせられなかったら、どんなに素晴らしい作品でもボツではないのか?と。

いや、美大生化は違うかも。こいつスゲーなというようなやつは、よく期限内に提出できなくて、

先生に頼み込んでなんとか時間を伸ばして仕上げてくるやつで、単に私がそういうやり方が嫌いだっただけかも。

そういう、交渉してまで作品ガッツ根性的なものに対する嫉妬だったかもしれない。

その後、就職氷河期世代となった私は、職を何度か変えながら、今はMacで何かを作る仕事をしている。

まあ、私の名前が出るような作品もなく、何者にもなれていない私ですが、何とか食っていけています

ここ10年ぐらいは、日本酒にハマっていますが、エヴァTV再放送獺祭が出てきたときは引いた。

気持ち悪い。

最近は、アマプラヱヴァを観ました。別の世界線の話なのだろう。

TV版終了後に持て囃していた人たちは、このリメイクをどう観るのだろうか? 私は蛇足しかない感じた。

いや、別の監督によるヱヴァ世界だったら楽しめたような気がする。

同じ監督が作るから、その作品を見るときに、わざわざ記憶に残るエヴァを引っ張り出し、

書き換え作業をしないといけないと思うと、何か抵抗感がある。

私が劇場版を全く楽しめないのは、多分この抵抗感なんだろう。

ダラダラと、書き連ねていたら、わかってきた。

この抵抗感は、多分、TV版当時の楽しかったモラトリアム時間記憶と共にエヴァがあるからなんだろうと。

当時の私のPowerMac 7500の起動時には、アスカエヴァ起動時のドイツ語が流れ、

システム終了時には、ミサトさんが「メインケーブル切断!」と言っていたし、

エラー音は、伊吹マヤの「不潔」だったり、リツコの「探しても載ってないわよ」だったりした。

カラオケ残酷な天使のテーゼをみんなで歌ってもいた。

エヴァ一色だったわけではなく、高校受験大学受験とで、いろいろオアズケになっていた90年代ガンダムを観まくったし、

ガンプラ戦車プラモデルも作っていたし、FSSガレージキットにも手を出していた。

同人誌に参加して、コミケにも行った。

コスプレをする気はなかったけど、ミシンを買って、丈の長いシャツを作ったり、

SC-88Proを買ってDMTやったり、ギター買ったりキーボを買ったり、

フイルムカメラを買ってユニットバス暗室にしてモノクロ現像したり

バイトしまくって、広く浅くいろんな物に手を出した。

バイト先の女子にも手を出して、飲みに行ったり、私の部屋で手料理をふるまったり

受験というものから開放され、3年生の後半ぐらいか意識しだす就職というものまでの、2年半のモラトリアム

ただただ充実していた。自分の中では超満足している。

から、いちいち戻りたいとも思わないし、やり直したいということもない。

ただ、話題のシン・エヴァンゲリオンは楽しめるのではないかと思っている。

大学当時につるんでいた奴らと、一緒に観たいかも。

そして、一緒に酒を飲みたいかも。

2021-01-31

続:45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

エントリが思いの他読んで貰えて「まぁ、こんなものか」と思っていた20数年の枯れたプログラマ人生に幾許かの水を挿して貰った気分になった。ありがとう

続きを書いて欲しいという声もちらほら頂いたので調子にのって書いてみた。

↓前エントリ

https://anond.hatelabo.jp/20210130001953

年収が高いのでは?という声をそれなりに頂いた。

最初所属した会社倒産をして先輩の起業に付いていったのだが、その会社が完全歩合制の会社だった為、多重派遣としては良い方の収入だったように思う。

例えば、月単価から2割が会社お金、8割が自分の取り分というようなシステムである。勿論、仕事が無い時は収入ゼロ

エントリでも書いたが、個人フリーでいるより単価交渉をしやすく、将来貰えるかは解らないが年金も2階建てに出来る。

現状ではある程度キャリアのある人達にとっては悪くないシステムなのではと思う。

ただ、退職金も無く、手当も通勤手当さえもないので福利厚生も貧弱なのを考えると大手と同じ金額感ではないはず。

多重派遣会社でも月単価80万~100万の人間は居るし、特にDB技術者ネットワーク技術者として特化している人には年収1000万プレイヤーでタワマンに住んでいるような人も居るので多重派遣人間収入も様々だ。

会社によっても給与体系はマチマチで、過去に私が自社(SES時代最後会社)に引き抜いた人は年収が1.5倍くらいになったのではないだろうか。

からSESでも会社を変えるのは多分、有効収入アップの手立てなのだろうと思う。

実は仕事ができる人というコメントも多く頂いたが、私と一緒に仕事をしてきた人達が読んだらしかめっ面をするのは間違いない。

期待を裏切ったようで申し訳ない。

派遣先のウンコ事情について

今回は派遣先のウンコ事情についての話からだ。大事な話なんだ。申し訳ない。

派遣先は男ばかりの社会であることが多い。しか現場ではすし詰めである

最後現場なんかは長机に90cm毎に青の養生テープが貼ってあり、そこが1人分のスペースだった。

ちょうど2枚の液晶モニターがおけるギリギリである。勿論、そこにはIT技術しかおらず、顧客は居ない。

養鶏場の鳥である我々に人権など無い。コロナ感染などもあれば鳥インフル並にあっという間だろう。

人数も多い・男が多いとくれば当然、男性トイレの個室が足りない問題が発生する現場が当然多かった。

更に困ったことに、休憩を取りにくい業界である為、一息つけるパーソナルスペース本来ウンコをする場所であるトイレの個室くらいしか無く、休憩に使っている人も多く居た。

私自身、無呼吸症候群がひどくて眠すぎる場合トイレの5分の仮眠をとっていた。

もっと休憩を取りやす社会になってほしいものだ。

リモートワークはトイレの個室問題も、休憩のとり方についても一つの解決策になるのかもしれない。

何度も何度も漏れそうになったが、肛門まわりの筋肉活躍により、大事に至らなかった。頼もしい鉾である感謝

オフショア開発の話①

野田大臣総理だった時、「円高注視していく」というコメントを多く残していた。

一滴一滴を見つめるだけが仕事になるというドモホルンリンクルCMが昔あったが、聴くたびそれを思い出していた。

円高に加え、当時は中国・他アジア人件費現在よりも低いということもあり、オフショア開発ブームが起こった。

それで多重派遣先の現場には何が起こったのか?

海外情勢等を勘案し」という理由で単価が2回下がった。合計で月単価が10万円は下がったはず。

その金額最後まで巻き返す事が出来なかった。だから私のプログラマ人生で最高の収入を得ていたのはこのとき円高前ということになる。

余談だが、この時期、とある「なんちゃらソリューション」社では開発拠点北海道沖縄への移転真剣検討されていた。

何故なら北海道沖縄は開発の単価が低い(給料が低い)からだ。同じ日本人であっても。

日本人北海道沖縄に移動させて安く使おうという会社に畏怖しか感じない。

同一労働・同一賃金世界にならなければ地方民の流出なんて治まるわけがない。

オフショア開発の話②

中小ベンダーではオフショアで失敗している所が非常に多かった。制作されたものクオリティが低いか完成に至らない為だ。

当時の中間会社から明日からインフルで1週間ほど倒れた事にして現場休み中間会社に来て欲しい」と言われたことがある。

欲を出して自社開発(という名のオフショア開発)に手を出し、見事に失敗し、その尻拭いを手伝って欲しいという事である

私は言われたとおり嘘を付いて現場休み中間会社で7日間(土日も出勤)、無償奉仕オフショア開発ダメだったプログラム修正をさせられた。

基礎的な部分もまるでダメだったので日本人が書いた仕様書を見て1から全部組み直し。

北海道とある大手である。私としては借しのつもりだったが、私が仕事が無いか問い合わせた時に対応が非常に冷たかったのを忘れてはいない。

しかもこの会社は私の事を1次プロパー評価して単価を上げていてくれていたのにも関わらず、上がった分をただただ吸い上げていた。

当然、働きの割に単価が低いので次の現場に移動するという話になったのだが、その時にこの会社営業から「単価を上げるので考え直せ」と必死に食い止められた。勿論断り、その営業は1次プロパーからこっ酷く怒られたそうだ。ざまーねえな。

ただ、これは3次受け4次受けの会社には良くある話なので、皆さんも気をつけてくだされ。

余談だが、公的機関システム海外開発で作られていることが一時期は凄く多かったように思う。

良くルーター等で海外産だと情報流出・・・といった話が上がるが、そもそも海外開発のシステムなんて抜け目を作ろうと思えばやりたい放題だし、そのほうが問題なんじゃないのと思うのは私だけなのだろうか。

・4GBのメモリとともに歩んだプログラマ人生

私の20数年のプログラム人生殆どにおいて開発PCメモリが4GBだった。これほど恐ろしい話は無い。

eclipseで開発していてもである。開発PCメモリの少なさに嘆いている派遣プログラマ増田も多いことだろう。

金融システム開発の現場では未だにCore2Duoマシンが現役の開発マシンの所もある。人権が無い。

一定額以上のPCに関しては減価償却という面倒な経理手順が関わってくる為、関連会社リースというレンタル契約、及び保守契約している所が大手にはそこそこある。そうするとPC一式15万円のものが数十万円に化けてしまう。

実際に保守をしてくれるかというと微妙で、要は減価償却理由にした誰かの利権なのだ

リースマシンは長く使われる傾向にあり、未だに古いマシンが現役の場合もある。

サーバーサイドの開発であればTeraTermエクセルメールソフトが動けば大丈夫現場もあるので、そういう現場はまぁ大丈夫なのだろう。

私も近年までPentium4Core2Duoマシンには長くお世話になった。くそが。

当然、高性能なマシンのほうが開発効率が良いに決まっている。

中小企業は特例もあるが、PC減価償却システム日本IT劣化させているのは間違いない。

そろそろ8GB以下は人権侵害ということで良いのではないだろうか。

・5000円の著作権フリー音源システム使用するのに数百万かかった話

システムアラート音楽を鳴らす仕様が来た時、現場は軽く混乱した。

そもそもアラート音楽をどう調達して良いのか解らないかである

ボカロP増田さんが作れば良いんじゃない?」という話も出て殺意を覚えるなどした。

初音ミクさんにアラートの歌でも歌わせればよかったのだろうか。ただそれはそれで可愛い

から著作権フリー音源を買うのはどうか?と提案し、採用されたものの、

実際の採用までお偉方と顧客が数週間議論をし、ようやく決まった。

何を議論していたのかは知らないが、彼らの単価・給料を考えると数百万のコストは掛かっただろう。

5000円というリーズナブル音源を使う為にである

同人活動がバレて地獄を見た話

何故か入った現場で私の趣味がバレていた。

SC-88ProMIDIブームの終わりの時にMIDIを触っていた人間なので、初音ミクさんという天使が現れた時は飛びついたものだ。

私は同人活動としてボカロPをしていた。

良くて数万再生の曲が数曲あったのだが、数十万の持ち曲があるミクさんという天使の前では本当に無名存在だ。

ただ、それでも他の活動もあってTwitterに数千人のフォロワーが居る。(詮索はしないで欲しい)

それを何も知らない人が見たらどうなるか?

あいつ超有名人じゃん」の出来上がりである

じゃあ実際にそのジャンル好きな人が私を知っているかというと間違いなく私のことは知らないだろう。

そのジャンルの沼のほとりの草のつもりでいるのに、メジャーリーガー4番バッターの如く語られ、

そのジャンルに少し詳しい人間に実際に調べられ、「全然だよ」と言われる地獄増田達に伝わるだろうか。

所詮趣味ベースアマチュアなので、クオリティも高くはない。

何もしていないのに、何も誇示していないのに、実際に草でしかないのに

勝手メジャーリーガーの如く言われる気持ち悪さが解るだろうか。

ジャンルに興味も無いのにブログ職場で閲覧され、曲を聞かれ

今回のは「イマイチだったね」と言われる地獄が伝わるだろうか。

曲を聞いた現場リーダーに「増田ポエム歌詞のこと)読み上げちゃおうかな~」とか最悪ないじりをされる地獄

全ての創作意欲をなくし、ブログのほうは消してしまった。

なので、先日が久しぶりのブログ投稿という事になる。

その現場に居た事のあるプロパー会社人間中洲ボカロが好きなキャバ嬢に私の名前を出して口説いて居たらしい。

あいつのこと紹介してやるよ」と得意げなプロパー。突然キャバ嬢から連絡が来たが、当然キャバ嬢は私のことなんぞ知らなかったというオチ

何故何もしていないのにこんな微妙気持ちにならないといけないのか。

同人活動職場でバレないように気をつけろ。増田との約束だよ。

余談だが、ミクさん以前はオフ時間はずっとネトゲリネージュをしていた。

仕事が忙しいので友人も作る時間が無い。そもそも友人を作るのが得意ではない私にとって

ネトゲは人とのゆるい繋がりを作ってくれるのにちょうど居心地が良かったのだ。

たまたま入ったチームが当時ワールドとある地方半年渡り占拠することになるチームで、

数百あるワールドでこれを成し遂げたのはこのチームだけという実力あるチームだった。

地方占拠すると2日1回戦争を受諾しないと行けなくなる。大抵は22時から行われるのだが、これが面白かった。

戦争のある日は戦争時間に合わせて仕事を切り上げ、戦争の無い日は終電という生活をしており、

同人活動と違ってリネージュユーザーであることはオープンにしていた為、

現場スケジュールに「増田戦争」と書かれるようになった。

同人活動バレした現場を覗いて、趣味活動は私を随分と精神的な面で支えてくれたように思う。

今も45歳ボカロ好き&ラブライバーとして活動している。

また長くなった。パワハラ理不尽な話は続けると胸焼けするかと思うのであっさり目にした。

さすがに20年以上働くと色々あったなと。

職場出会った変わった人」等もいれたがったが今度はまた気が向いた時にでも。もう書かないかもしれない。

現役のSES増田達がずっとリモート&&パワハラの無い環境で働けますように。

 
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