はてなキーワード: 自営業とは
モラトリアムという言葉がある。若気の至りで職につかず、フリーターや学生、旅行者として自由を満喫する期間とでも訳せばいいのだろうか。
この言葉は仕事での成功や結婚、育児などそのあとの生活があることを前提とした言葉だと思う。いわゆる大人としての生活だ。
仕事での成功は大学入学時点で90%くらい決まってる気がするし、次世代に負担を残し続けがちな人間という生き物による社会に我が子を残すのは忍びない。
また、日本では出稼ぎ外国人や社畜らがコンビニを始めとした各職場で奴隷ともとれる労働力を提供してくれているので、恵まれた、次世代を残すべきような教育を受けてきた20代の間では結婚しなくても幸せな社会という雰囲気ができつつある。特に女性を中心に。
旦那は30後半、会社員。私は20代後半、自営業。第1子は明日で1歳、めちゃ可愛い
旦那は5、6年先でいいらしい。子供はこのまま1人でもいいらしい。
私は2、3年のうちにもう1人ほしい。
なんとなく30歳になるまでにもう1人と思っていたが、1人目で子育ての大変さを知り、今の状況では難しいし、今マイホームの計画も進んでいるので落ち着いてからと考えてる
もちろん、計画通りに授かるのは、身をもって難しいことと理解しているけど、旦那は後先しっかり考えて5〜6年先と言っているのか疑問で不安に感じてしまう
・今でも体力的な限界を感じているのに、旦那は30半ばはまだ若いし元気だから大丈夫と言う
・女性は年齢を重ねるほどいろんなリスクが高まることを知らなさそう
けどこのまま意見が合わなければ、子は1人だけになるだろうなぁ
頭の中も文章もぐちゃぐちゃ汚いわ
賃金と労働内容のバランスについての不満を時々見かけるけど(その価格では割に合わない・割りに合う・こんなに出してるのに仕事がしょぼい・これだけしかもらってないのに仕事がキツイなどなど)
立場が変われば同じこと言うだろうしお金に込めた重さって相対的なものでしかないし噛み合う人とでも噛み合わない時は必ずある
答えのない話だから延々とそういう話を見かけるんだろうけど見かけるたびに不毛だなとしか思えない
ときどき人を使う自営業としてはどちらの立場もわかるし意見もわかる
落ち度とか割合とか関係なく、文句を言われたらなだめる時もあるし完全に従う時もあるし強気で折れない時もある
出したお金で精一杯なのはその範囲かもしれないし、職人の腕がそのレベルだったのかもしれないし、出したお金ではまったくやる気がでなかったのかもしれない
そんなのはどうでもよくて、出した時点でオレの責任だから、対応の可能性だけそれとなく聞いてダメなら他の人に修正などを引き継いでもらうか自分で直す
最近増えてるフリーランス最高!!!とか、起業最高!!!とか言ってる人種が嫌いだ。差別化!!!独自性!!!自分だけの強み!!!と叫びながら、一部のインフルエンサーの言うことをクソ真面目に聞いて、俺も新しい時代の生き方をするんだと意気込んだ無が無を呟くのが気持ち悪くて仕方ない。これからは評価経済の時代でプロ奢ラレヤーは新しい生き方を体現しているんだと大真面目に信じ込んでる大脳皮質がないバカどもを見ていて気分が悪くなる。否定から入るコミュニケーションはよくないってつぶやきをリツイートしながら、自分たちは既存の文化と社会体制を否定することで連帯しようとしているのもクソ寒い。共通の敵を作って仲間内でぬるま湯に浸かるのが楽しいのか。そうかそうか。まぁそういうもんだよな。
俺たちは異常なんだ〜と対して異常でもない奴らが自分の凡庸さと無から目を背けてヘラヘラ笑ってるのも気持ち悪い。オタクが狭いコミュニティの中で自分の性癖がいかに歪んでいるかをアピールして、マウントとってポジショニングするのと構図が同じなんだよ。何も持っていない人間がせめて肩書きだけでもと自分の”個性”を演出しようとしているのもダセェ。自分に専門性がないヤツでも0から始められるアクションの代表が起業とかフリーライターだ。無が肩書きを持って有っぽく振る舞おうとしてる。その人自体に何か新しい価値が付随してるわけではない。もはや個性的な人材でも新しい生き方でもなんでもない。
プロ奢ラレヤーを過剰評価してる人類もうんざりだ。あれを新しい生き方だと褒め称えてる奴、頭おかしいよ。なんでtwitterで見ただけの人をそこまで尊敬できるのさ。だってどう考えても社会不適合者じゃん。会ったらわかると思うんですけど、ただの多動ですよ。新しい生き方なんじゃなくて、プロ奢ラレヤーの生き方。手放しで崇拝するなよ。他人は他人、お前はお前の人生を生きろよ。そりゃあプロ奢氏の無を惹きつける能力は素晴らしい。真似しようと思ってできることではない。すごいんだけど、盲目的に「俺もプロ奢になるんだ!!」ってうおーしようとしてるワナビは、虚無へまっしぐらだなぁと思って受け付けないです。twitterであそこらへんの界隈?に絡んでる奴のプロフィール見てたらあ〜〜〜なるほどね〜〜〜つまんないな〜〜〜って気持ちになった。フリーランス×ブロガーやりたいんだったらつまんないのはダメだよ。他人の言葉をコピーしても熱量はコピーされないんだからお前にしか言えないことを言って欲しい。
成功した人のやり方を真似ても、成功した人以上の存在にはなれないでしょう?その人はその人独自の居場所を確立したから成功しているのであって、成功法則はその人が作った評価時空なんじゃん?そういう人もいるんだなぁと思う以上にのめり込んでどっぷり浸かるのは思考停止で先に待ち構えてるのは穏やかな死か搾取される未来でしょ。成功者に会った人に対する普通の人の反応は、驚愕・尊敬・相対化の3ステージをたどると僕は考えている。これまでの自分の世界観とは異質な世界観に触れて驚く。これはかなりショックの大きいイベントで、受け入れられる人と拒絶する人にわかれる。ふるいにかけられて生き残った人、つまりすごい!!!と心の底から感動した人だけが次の尊敬のステージに移行する。プロ無職すげぇ!!だとか、イケダハヤトはすげぇ!!だとか、そういう精神状態だ。そして「まぁ、あの人はこういう考えだけど、自分は違うんだな」「私のスタンスとあの人のスタンスはここが違う。でもいいところは取り入れよう」と分析して相対化に至る。で、いわゆる信者というのは、尊敬のステージから盲信のステージに入り込んじゃった人のことで、相対化に行けなかった人なのだ。特定の思想が絶対的だと信じて疑わない人。信奉することは何も悪くないと思う。だが、わざと教えにカルト的要素を仕込んでいる教祖はずるいというか、悪徳だなぁと思う。
エホバの証人の教えには、「悪霊たちからいやがらせをされる場合は,み名を口にしてエホバを呼ぶとよいでしょう。そうすればエホバはあなたを守ってくださいます。(箴言 18:10)しかし神の保護を受けるには,心霊術や悪霊崇拝とかかわりのあるものからすべて完全に離れなければなりません。古代エフェソスにいた神の崇拝者たちはそれを実行しました。魔術の本を全部集めて燃やしたのです。(使徒 19:19,20)現代の神の僕たちも同じようにしなければなりません。あなたのお札や魔よけ,“お守り”のひも,呪物,魔術の本など,心霊術とかかわりのあるものすべてから離れてください」
というように書いてある。要は、「エホバの証人以外の人は悪魔サタンに支配されているから関わりを断て」ということだ。#起業しろの人とかはまさにそうで、自分の仲間を増やしたいがために、若者に後戻りさせないよう引き返せないよう迅速な決断を迫っているのである(ここら辺の決断を熟慮せず悩むことなくできるのが、ADHDで多動入ってる系なんだろうなという雑感想)。えいやっと割り切ることでしか手に入らないものもあるし見えてこない世界もあるのはわかるから、起業推進系VCとかエンジェル投資家を否定しようというわけではないのはわかってほしいな。
落合陽一周りをうろうろしてるNewspick張り付き意識高い系おじさんも嫌いだ。手を動かせっつってんだろ。落合陽一の文章のうまいところは、カタカナマシマシ学術用語マシマシで翻訳したら簡単なことしか言ってないというところだ。彼がAIを偏微分装置だなんだ生物は計算機だどうのこうの未来は自然(ネイチャー)に計算機が溶け込んでいくのだなどと冗長に表現するのを、専門外の意識高い理系が頑張って解釈して、「俺はわかってる側なんだ」と優越感・選民意識を持つ。さすがだ。これはまさに与沢翼が信者に買わせているメルマガで使っている手法だ。脳に負担を掛けさせるだけのガチガチに硬い文章を読ませて、単純な内容を苦労して理解させる。こうして得られた情報は、信者にとっては神託として作用し、自分は周りと違って「リテラシー」のある人材なのだと錯覚するのだ。うまい、うますぎる。
互いに褒めるのが一時期流行ってたけど、あれも最高にキモい。なんだよ構ってちゃんかよ。そんなに褒めてもらわないと死んでしまう病気にかかってんのか?一般社会に適合できなかった人が自分のいいところを見つけてもらって承認されようとしている光景が嫌だ。別に承認を求めるのは悪くない。だってみんな承認されないと生きていけないから。でもその承認の過程を、さも新しい運動だと喧伝して新しい活動だとアピールするのは、欲望を綺麗にパッケージングしているにすぎない。自分の居場所を、アイデンティティの固定を求めているのだと意識していないのを嫌悪している。
これがワールドスタンダードだから、とかアメリカでは〜だからと言って日本の文化風土が遅れていると批判している奴に、ここは世界じゃない日本だと言いたい。海外には海外の文化風土と国民性と歴史があって、これらに合致した制度が作られてるの。日本には日本の文脈があるの。そりゃあ日本の制度は非効率的でグダグダで今にも沈みゆく船かもしれないけど、そこにしがみついて生きるしかない人々もいるわけ。変えるなら場所を変えろ。ここにいるな。一人で逃げるのが寂しいからって他の人を巻き込んで行くんじゃない。まずはお前が一人で出て行け。そんで出ていった先で幸せそうにしておけ。本当にそこがよかったら自然に人は流出して行くから。いいか、一人でやれ。
zozotownの平社員だかなんだかの、炎上商法で人の感情を煽り立てては「はい今お前俺の言ったことに反応した〜〜〜wwwww俺の勝ち〜〜〜〜〜wwwww」という姿勢がめちゃくちゃ嫌いだ。メッセージを伝える、少なくとも見てもらうための方法なのは理解できるけれど、他人を不快にさせてもいいという態度はさっさと死んでしまえと思う。伝えたいことは、相手が受け取りやすい形で伝えるべきだ。キンコンの西野もだぞ。あとこいつらのやり方をみて、フォロワーを獲得するのに繋がるから俺はいいと思うけどな〜ってしたり顔で語る意識高い系を装ったクソも嫌いだ。他人に迷惑をかけるのは仕方ない。誰もが迷惑をかけてかけられて生きていくしかないのだから。でも意識的に他人を不快にしてもいいわけじゃないだろ。さっさと熱狂的なファンに刺されてしまえ。腹が立つ。善意を利用して金をとる、愛につけ込んで時間を奪う、畜生だな。おい、秋元康、聞いてんのか?おまえもだ。ソシャゲのガチャを考案した奴もだからな。天国に行けると思うなよ。
フォロワー◯◯人集める方法教えます!!とかスポンサーつけて●●円稼ぐ方法noteで売ります!!っていうのに嫌悪感がある。あれじゃん、与沢翼とか情報商材と同じじゃん。「お金稼ぐ方法売ります」が「フォロワー稼ぐ方法売ります」に変わっただけじゃん。ごく少数のインフルエンサーが大多数の無から金を吸い上げるだけ。確かに、金よりはフォロワー稼ぐ方が実現のためのハードルは低いから、まだ優良なのかもしれないが、本質的に価値を生み出すような行動で金を稼いでいないのは気持ち悪いと思う。実労働が伴っていないのだ。あぁ、もし僕にお金があれば、インフルエンサーが売っている無の情報を買い集めて無料で公開できるのに。情報は広がっていく性質を持っている。その流れをせき止めて、価値があるように見せかけて利ざやを稼ぐ行為を私は好まない。価値を生み出せ価値を。お前にしかできないことかそれは?実質を伴っているのか?他人の劣化コピーに成り下がった人間は死ぬほどつまらないぞ。
あと何かにつけて海外に行こうとするのなんなの?トビタテなんとかプロジェクトをいろんな大学が推進してたけど、大学に教育する気力もリソースもないから外注するってバカなの?いつから大学は知の養成機関から二流旅行代理店になったわけ?海外留学がレールを外れることみたいな風潮あるけど、それめっちゃ他人にレール敷かれてるじゃん。ありきたりすぎる。海外にいくのが異常で独自性で新しくて自分らしさだとかマジで信じ込んでるの?短絡的すぎて脳みそショートするわ。わざわざ国の税金を浪費しなくても、日本にも新しい価値観に触れられる場所はいくらでもあるぞ。なんなら日本の国土の三分の二は森だからな、近くの山に行って森で一ヶ月暮らした方が圧倒的にブルーオーシャンでしょ。西成に行って日雇い労働してみた方が誰もやってないからレアでしょ。なんとなくみんなが行ってるから海外に行くっていうのはレッドオーシャンじゃない?あとたかが海外に行った程度で価値観変わった〜〜って思うくらいの経験しかしてないのってめちゃくちゃダサくない?wowwow
インフルエンサーはわりとまともなことを言っていたり、真理情報を握っているのだが、その周りでうろちょろしてる人間が大嫌いだ。ホリエモンが言った言葉を文字起こしする、図解する、本にする、ゴーストライトするなどの仕事をもらって日々口に糊する糧にするのは大いに結構だが、インフルエンサーが提示する価値観に染まりきって他の文化体系を取り込もうとしない態度は気持ち悪い。それ、ただの新興宗教やぞ。カルトやぞ。ロールモデルは大事だ。正しさなんて誰も保証してくれない世の中で、生きる指針・データセットとして有用だ。だが、特定の人、特定の集団に共鳴して絶対的だと信奉するのはあまりにも気持ち悪い。そこにお前という個人は存在しなくて、ただの情報の結節点に成り下がっている。いいのか、それで。つまらなくないか?みんながみんな、「ひととの繋がりってやっぱ大切だよね〜」と同じ表情で同調して笑う世界がそんなに面白いか?僕はそう思わない。ヘラヘラ馴れ合うな。お前は個性的なんじゃないぞ。ただの社会不適合者だとを手帳にでもMacBookのデスクトップにでも書いておけ。
どいつもこいつも多様性が大事だ大事だと言いつつも、多様性が死ぬコミュニティに飛び込んでいる。矛盾だ。クズも利口もエリートも筋肉もメンヘラもオタクも意識高い系も引きこもりニートも普通の会社員もおじいちゃんも赤ちゃんもヤクザもアルコール依存症も発達障害も健康優良児も腕がない人もある人もゲイもレズもポリアモリーもノンセクシャルもノーマルも自営業も高学歴も中卒も野蛮人も文明人も右翼も左翼もリベラルも宗教家もメンサ会員もいるのが多様性だろ。
「普通の社会」に生きづらさを感じて逃げてきたのは素晴らしいことだと僕は思う。だって辛いことをしてたらしんどいもの。しんどいことを続けてたら死んでしまうもの。死んでしまうと僕は悲しい。人はすぐに忘れる生き物だというこじらせメンヘラもいるかもしれないが、それは誤りだ。僕は死んだ父のことを一生忘れることはないだろう。虐待で死んだ女の子のことも、自殺したご当地アイドルも、メンヘラ.jpのライターの首をつった妹も、もしかしたらこの後自殺する予定のお前のことも、僕は一生死ぬまで抱えて生きていくからなバーカバーカ。忘れるんじゃなくて、心の中から血反吐をドバドバ垂れ流しながらとてつもない喪失感に慣れるんだからな、そこんとこ履き違えるなよ。死にたいと思うならいくらでも死にたいと言え。希死念慮なら僕も持ってる。いつもそばにいてさっさと消えちまえよと囁いてくる。俺も消えたいよ。この世には苦しみしかない。生きる意味なんてどこにもない。意味があると盲信して生きている人しかいない。だから僕より先に死んで勝手に救われようとしてんじゃねえよ。
取り乱した。申し訳ない。
つい数日前に、名刺を全部捨ててる発言のたかーぎとかいう奴がなかなかホットだったが、僕もあれは嫌いだ。嫌悪。上の世代の価値観を否定することで自分の立ち位置を確立し、賛同者を集めるという行為は、フォロワー集めと信頼稼ぎの手法として効率が最高に良いし実際にやろうとしてやれる人はいない。素晴らしいと思う。天才だ。だけど、この世界のほとんどは従来のパラダイムに乗っかっている人で動かされているわけで、彼のパフォーマンスは彼らに対するリスペクトを捨てているからこそ得られる効用なのだと認識しなくてはならない。新しいパラダイムを作り出す集団は、旧来の価値観の否定なしには動くことができない。これもまた事実だ。僕が言いたいのは、手放しに全てを賞賛するのは間違いだということだ。アリストテレスも孔子も中庸こそが目指すべき立ち位置だと言っている。
歴史的コンテクストと共感不可能な他者への尊重を失ったムーヴメントを、私は拒否する。
これが僕の基本的な生きる姿勢だ。好き・嫌いと関わりたい・関わりたくないは別方向のベクトルだと僕は考えている。正直起業家ワナビもプロなんたらもほにゃらら2.0を進めていくんだと意気込む虚無も、大嫌いだ。だとしても、嫌いなものから目を背けてしまっては学びがない。可能性を捨てている。共感不可能な他者と共感可能な自己を理解&比較して初めて知を獲得できる。範馬勇次郎はこう言っている。
「防腐剤...着色料...保存料...様々な化学物質、身体によかろうハズもない」
「しかしだからとて健康にいいものだけを採る、これも健全とは言い難い」
「毒も喰らう、栄養も喰らう」
「両方を共に美味いと感じ、血肉に変える度量こそが食には肝要だ」
虐待を受けて育ったわけではないが、親が私に対して愛情があるか懐疑的だった。
子供の頃から親に嫌われまいと振る舞っていたような気がする。心配させまいと我慢した。
それがいつしか、親に相談はできないに変わっていた。勇気を出して相談したことを無碍にされたからだと思う。
服の趣味もバカにされた。自分のお小遣いで買った服を見て、私の母は激怒しそのままその服を服屋に返した。
今ならこれが毒親だと分かる。
父は自営業をしていた。稼ぎはよくなく、毎日「不景気だから」と言っていた。
その割には毎晩よそで酒を飲みに行っていた。家庭から逃げ、お酒に依存していた。
父との思い出は少ない。父親らしいことをしてもらった覚えもない。
キャッチボールや、就職の相談や、成人式や卒業式に何かをもらったこともない。
たまに電話したときに「さみしいなぁ」とボヤくような父だった。
私はそれがたまらなく嫌だった。
社会人になって数年が経ち、私はいつも虚無感に悩まされていた。
何をしても虚しく、心が動くことがなかった。恋人がいたときもあったが、どうしても愛し続けることができなかった。
そもそも私は自分も含め、愛することができないのではないだろうか。
結局、私は親に対して絶望し、縁を切ることになったのだが。
たまにふと、親に愛されたかったと思っては涙が出る。
もう限界なのかもしれない。
大体いっつも土曜日の昼過ぎから外出して月曜の朝くらいに帰ってくる(旦那は自営業、私は会社勤め)
なにしてんの?って聞いても「ちょっと出掛けてる」ってしか言わないから分からない
なにしてんだろうなあ
家族が自営業をやっているんだが、従業員が誤発注○百万をやらかして蒸発、誤発注品だからお客様に本来提供するべき物を仕入れて○百万、
更に別の従業員が仕事のミスで、取引先に賠償○十万、となって、会社の経営が完全に破たん……。
従業員の給料が払えないのは目に見えてるので、別の会社に斡旋して辞めてもらう。
その時、会社でパワハラとセクハラに合って退職していた私、「月5万円ぐらいしか出せないけど、バイトということで入ってくれ」と
家族から言われて、一家心中寸前の雰囲気を感じ、転職活動を辞めて、立て直せるまでがんばろうと、手伝い始めたのだが。
まあ……ね、従業員がゼロ(私のみ)になったのに、辞めた従業員から引き継いだ仕事量はまるまる私が負う訳で、仕事が終わらない……。
そして引き継いだ仕事=既に報酬を貰ってる仕事、なわけで、新しく会社にお金が入るわけじゃない。
仕事を取りたくてもすでにこなせる業務量キャパいっぱいいっぱい。
完全に積んだわけです。
月5万もらえるはずもない。(家族のお金のみが収入として家計に入ってる)。
むしろ仕事にかかる交通費は自分持ちで、自分の貯金から生きるのにかかるお金すべてを出して暮らしている。
家に住み込みなので、光熱費や食費は少し出すだけなので、私自身、自分の生活費は通信費、国民保健とか含めて5万でなんとか収めてるけど、
とうとうそんな生活が2年目で、毎月借金で5万をまかなう日々になりました。
私の貯金ったってなあ……まだ新卒3年目で会社辞めたんだもの……手取り17万(当時一人暮らし)だったから……。
家族なのでね、捨てるとか別れるとかできなくてね。いやするべきなんだろうか。
ここでタイトルの話ですよ。
「FXをやれ」
「バイナリーやれ」
↑ これはまあ、最近やっと小銭稼ぐ(毎週数千円とか……)ことができるようになったんだけど
「アフィをやれ」
がふんぎりつかなくて……。
私はオタクなんですよ。
さえない小学校中学校高校大学、全部パソコンですてきなインターネットして過ごしてきたんですよ。
調べたら、どうもアフィって、たくさんブログ作りまくって、内容は薄味で、とにかく情報ふりまいて、
50や100のサイトを作って、1サイトからコツコツ小銭集めるという……。
わかる。
うん、それはビジネスとしてありだとは思う。
でも、私にはできない。
キュレーションサイトとかも問題になったけど、ググって、検索ページの1つめも2つめも
そういう薄ーい情報、信ぴょう性がどこまであるのかわからないサイトばかりになったじゃん。
そういう時代なんだとは思うよ、今時ネットはオタのものなんて言ったら、バカになる薬か何かやってらっしゃる? と思うもの。
でも、でも、できないよ。
私も書いててよくわかんなくなってきた。
でも、なんかアフィだけはすごく抵抗あるんですよね、という話。
日々借金しかなくて、通帳には1円も入ってなくて、むしろマイナスついてるんだけど
それでもなおアフィが精神的にできない、そんな強情な自分が嫌だ。
お金に執着する人間じゃないと、お金は入ってこないんじゃないかなあ。
だから、なんか、お金に執着してアフィできない自分は、もしかしたらこの社会、これからの社会には、
不適合者なんじゃないかな、このまま家族に破産させて家族の子どもの人生しんどくして(※私は子どもの立場ではない)しまうことになったら、
生活保護を受けても無駄なくらい、(ビジネス・資本主義社会に)生産性のない人間じゃないかな、と思うのです。
数年前に国公立大学で無利子奨学金、授業料免除を全額とか半額とか受けて祖父母に支払ってもらって卒業した。
下宿は親せきの家で、家賃25000円で置いてもらって、かなり恵まれていた。
父親とは縁を切ろうとして家を出たのに、奨学金も授業料免除も、親の証明がいる。
祖母が父親と交渉してくれたけど、それはもう毎回、戦争だった。
社会的にクズだからか、不満の当てつけか、書類が遅れることはいつものことで、何度、学生課に頭を下げたかわからない。
父親が自営業で、実質経営破たんしていたから助かったけど、下手に収入あったら困ってただろうって思う。
それでも、こんなのマシだ。
毒親を想定しない制度の多さ - T.が過去を振り返る http://t-ritama.hatenablog.com/entry/2016/06/03/113152
自分が国公立大学に入って驚いたのは、お金に余裕はなくても、親がちゃんといる、ちゃんとした教育を受けている子が圧倒的に多いことだった。
そりゃそうだ、入る段階で、選別されているんだから。
自分は運が良かった、と本当に思う。
堀茂樹教授「どちらかといえば金銭的&文化的に恵まれた若者達の組織」に対する反応と奥田君の苦悩 - Togetter https://togetter.com/li/921944 @togetter_jpさんから
自分も、授業料免除の度に、何の苦労もない人が羨ましくて仕方なかった。
目の前が真っ暗にならなかったのは、大学での友人の存在と、今は夫になる人がいたからだ。
夫は、親が継父でお金を出してもらえず授業料免除は却下され、奨学金を借りて毎日8時間アルバイトをして、大学の講義にも出て、ちゃんと卒業した。
友人は、バイトしたお金を自由に使って遊んでいるし、貯金もある。
そんな格差を目の前で見せつけられた、高校を卒業したばかりの若者が耐えられるか、と思うのだ。
今も、日本は、こうして、呪いを貯めこむ学生を増やしているんだろう。
自分も、その一人だ。
でも、これで救われるのは、自分じゃないのだ、と気付いて、気が重くなってしまった。
あの時の、自分のつらさを、他人にも味わってもらわないと平等じゃない、と考えてしまうようになってしまった。
社会人になって数年。
大学の時は、これから働いて豊かになるぞ、人生、楽しもう、と思ってた。
だけど、身体を壊してしまって働けなくなって、夫に収入は頼り切りだし、明るくて楽観的だった夫も、残業続きで疲弊している。
高度プロフェッショナル制度も通ってしまったし、夫の会社が、この制度を悪用しないことを祈るばかりだ。
他人がちょっとでも幸せそうにしていると、妬むようになってしまった。
それを、国公立の授業料免除の改善ニュースで、気付いてしまった。
これからも、他人を妬みながら、くらすようになっていくんだろうか。
それは怖くて自分に失望する未来だ。そんな時期もあったなと思って無邪気に笑える未来は来るだろうか。
きっともう、どうしようもない。ただ流れに身を任せるしかないんだろうな。
専業主婦は田舎から都会に出てきて近くに家事育児に協力してくれる実家が無い人達の間で生まれた形態だよ。
田舎は自営業(農業や商店経営など)が多いというのもある。「農家や商家の嫁」が家業を手伝わないなんて選択肢はないから。
だから夫両親と同居で仕事も家事育児もさせられる田舎の嫁にとって、同居しなくて良くて家事育児だけやれば良い都会の核家族専業主婦は憧れだったし
田舎の親世代も「息子は後継ぎだから田舎に残して嫁を貰いたいが、娘は田舎の嫁になって苦労するより都会のサラリーマンの嫁になって欲しい」
と娘のみを都会に送り出す人が多く、田舎の嫁不足に繋がった。
均等法以前~均等法後もまだ浸透してなかった時代は
「大卒男子のみ」「女子は20歳まで」なんて求人が普通で大卒女に一般の就職先は少なく、
田舎の(保育激戦区ではない地域の)保育園だと自営業という名の実質専業主婦(家業あるけど自分は関わってないとか)でも預けてる人が山ほどいるし、
仕事してても休みの日も預けるのは当然、短時間パートでも仕事終わったら即迎えに行く事もなく預けられるだけ預けるのが当たり前だよ。
「仕事がなければ手元に置いておきたい」親なんか少数派。預けられるものなら出来るだけ長く預けたい親の方が圧倒的に多い。
田舎の少人数の価値観で語られても。東京で働いてるお母さんはいかに残業せずに子供との時間を増やすかに血道上げて努力してるよ。個人の観測範囲ですけどね。
書いてから消す人か。
残業しないのは子供との時間を増やしたいんじゃなくて、残業しなくてもただでさえ帰りが遅いからそれ以上遅くなると迎えが間に合わないとか
流石に帰宅までが遅くなり過ぎる(田舎と違って家遠いからね)という理由でしょ。
だから「夫ばかりが残業し放題なのは不公平!私も夫に子供任せて残業したい!!」って人多いよね。はてなでもよく見る。
皆育児より残業したがってる、というのが共通の前提だからそういう言説が生まれるわけで。
夫は夫で帰宅恐怖症とか言ってるし。