はてなキーワード: 自営業とは
そもそも、自称普通の日本人男性の皆様は、現状、そんなに権利的に大損してるんですか?
なんかネトウヨ=ニート説は誤りで、50代以上自営業・中小企業経営者が多数説とかいわれてるじゃないですか
まあ、自分らは大損してなくても非・普通の日本人男性(日本人以外のアジア人女性、子供、障害者、ゲイその他)がずば抜けて得してるなら、嫉妬するのもわかるんですが、非・普通の日本人男性がそんな目に見えて良い思いしてるように思えないのだが
で、皮肉や嫌味抜きに、同身分の同年代女性(九州の実家におる妹みてると、歳とるほど職がないのも、結婚しろプレッシャーも女の方がずっとキツい)や、外国人技能実習生のほうがはるかに悲惨だろワイまだマシとしか思えないのだが
地方都市の婚活イベントに参加して思ったこと。見も蓋もないけど。
・事前講習したほうがよい。
◯前提
当方30代営業独身。だいぶ地方都市。参加した婚活イベントはさらに田舎の名士が集まる某団体主催。
某団体役員である営業先社長から「女性が足りないからぜひ参加して」と泣きつかれ、せっかくの日曜に車で一時間かかる公民館へ。
かつて別団体の婚活イベントに参加したことがあるが、名刺を出した途端に男性陣が引いていく(距離的に)。
なので、こういったイベントでの出会いにはあまり期待していなかった。
社長もそれは承知で、参加してレポートしてくれれば良いとのこと。
それを今まとめてみる。
◯身元保証
男性陣が勤務先を言わない。
プロフィールカードには職業欄があるので、会社員とか団体職員とか自営業とか運転手とか書いてある。
しかし面と向かって尋ねても、「たいしたことないところなので」と、企業団体名を言わない。
ちなみに私は「会社員(営業)」と書いたが、誰も企業名を尋ねて来ない。
しかし意外なことに、他市の参加者が多く、その時は出身高校をネタにはしずらかった。
初対面の、それも自己申告の名前年齢職業(勤務先でない)趣味しかわからない異性と連絡先を交換するのはハードルが高い。
共通の知人か、こちらによほどの好意(初対面での)がなければ無理だ。
先方がおかしなヤツだった時に、仲介を含めた相談をできるところがないからだ。
◯事前講習
趣味やペットは話しやすいようだが、私のようによく聞く音楽がクラシック、休日にやることがゴルフかボランティア、行きたいところが東欧だと、それ以上話が続かない。
男性の趣味がスポーツとして、本人がスポーツしてる人はそれなりに話ができるが、見るだけという人は本当にそれが趣味かどうかあやしい。
趣味が映画鑑賞という人も、最近見た映画やこだわりのある映画の面白さや特徴を具体的に説明できるわけではない。緊張してたのかもしれないが。
前述の通り期待していなかったので、やや意図的にゴルフと答えたのだが、「やってみたい」という男性はいなかった。
しかし休日の予定といえば、家事か趣味か何かしらの行事(友人と会うとか)に決まってるので、プロフィールカードに趣味の欄があれば聞くだけムダ。
誰が教えたのか知らないが、それはプロフィールカードなどない合コンや街コンで使うネタだろう。
話題の選び方が間違っている。
田舎では人脈がどこかでつながっていたりするので、共通の知人がいれば身元保証になるし、修学旅行先や甲子園予選で共通項があれば話しやすい。
全体に、話のきっかけづくりがうまくないし、続かない。
最大の問題は、男性陣に「結婚相手を探している」意識が低いこと。
彼らは「次の休日にデートとして一緒にどこかへ出かけられる相手を探している」ようにしか感じられない。
そのへんをサポートできればいいのでは。
あの辺は慈善事業家じゃないぞ?金融屋だぞ?つまり、いくら投資したらいくら儲けられるかかという算段でやってる。
で、ネタがあるやつには出す。といっても、一個人がそこまで競争優位なものを独力では作れん。ましてや上司とそりあがあわんクラスの人間はもってのほか。
パーマネント職にまでたどり着けた大学の先生がネタを作って、でもパーマネント職捨てる気ないから、学生に事業やってみてとかいうおぜん立て。
んだから、一見学生がぽっとやってすぐ軌道に乗るように見える。
んだが、実はそれは大学の先生がそこそこ安定して研究費も金もらえる状況で温めて時間かけて作ってきたようなネタ。
そういうネタとたまたま巡り合えた学生であって(まあ、多少は自分で行動したのもあるが、ひーひー言って日銭を稼いでる自営業とは比べ物にならないレベル)
・大企業社員ーその会社が起こした不祥事のイメージに巻き込まれる
・フリーランスーはいはい在宅ワーク在宅ワーク仕事早く見つかると良いね―
・自営業ー怪しいことして稼いでるんでしょ
・無職ー^^がんばってね
・役人ーどうせ悪い事してるんでしょ
・学生ー気楽でええの~~~クッチャクッチャ
就職をすることを命じること。
子供は同居したうえで3年は待つこと。3年間は全部避妊すること。その間に彼氏をよく見とけと言っとくこと。
娘さんの話をよく聞くようにして、娘さんがおかしいな?と感じるところがあれば賛同すること。
きちんと働けていたらシングルマザーでもやっていける。
同業他社がいいといえばいいんだけどね。職人肌ってことは、自営業の妻になる可能性もあるんだし。そうすれば、男の仕事の一部を妻がやらないとならない可能性もある。
子供は待たせること。若いんだし一緒に同居して男のくずっぷりを見れば別れる可能性もある。子供がいなければ、後はまた目を養って何とでもなる。
https://anond.hatelabo.jp/20180430150117
日本じゃいまだに規制が厳しくてuberできないけど、米国ですっかり定着したuberやlyftのドライバーがまさに非コミュ低能でも頑張ればなんとか毎月2000ドルくらいは稼げる。
とにかくシステムが指定してくる客を乗せて運ぶだけ。客と話す必要もない。自身の営業努力としては客が集まりやすい繁華街や客単価の高い空港あたりにスタンバイしてなきゃならんが、基本運転が苦にならない奴はストレスほぼゼロ。客待ちの間は駐車場に止まって携帯ゲームか本でも読んで時間潰せばいい。
メインの仕事としてははっきりいってクソ。本職があるけどそれじゃ稼げないってやつが空き時間でやるのがほとんどでこれメインでやるのは少数。
ただ人の会話することなく、表面的には「Be my boss」を演じられるので(実質はuberやlyftのシステムの駒に過ぎないんだけど)、自営業の社長みたいで一定のプライドを保てるらしい。
父方の祖母が亡くなって数年経つのだけれども、未だに亡くなる前夜のことを忘れられなくて軽めに死にたくなったりするのでとりあえず書いてみようと思う。
一人暮らしで、痛いのずっと我慢して、病院に行った時にはもう手遅れだったんだよ、癌だった。みんなに心配かけるからってずっと痛いの我慢して、結構怒っちまったんだ。なんで言わないんだよって、でもまあ分かるんだよね。そんで困ったみたいな顔でニコニコしてる、わたしのおばあちゃんはそういう人でした。
そこから結構頑張ってくれて、もしかしたらもう癌なんて嘘みたいになくなってて、わたしが風邪引いて熱出して一週間くらい寝込んだ時にうどん作りに来てくれて部屋まで運んでくれたりなんかして、この先あと五年くらい穏やかにいつも通りに生きてくれるんじゃないかなって思ってたんだけどそうはいかなかったね。
煮てくれたうどん食べてわたしが復活したのと入れ替わるくらいのタイミングで体が動かなくなっていった。
おばあちゃんは大抵一階のリビングにいつもいたのね。自室は二階にあって、足腰鍛えなきゃって言いながらいつも自分で登っていってたんだけど、それができなくなって、階段に座って一段よじ登って休んでまたよじ登ってを繰り返さないと上の階に上がれなくなってた。
おばあちゃんちの一階を身内が自営業の店舗として使ってるもんで昼間は常に誰かしら家にいたことと、別の身内に医療従事者がいたおかげで、在宅で最期まで生活していくためのサポート体制が幸いにも整ってたの。それで介護用のベッドを二階の部屋に置いて、みんなで昼夜交代ばんこでお世話しながら亡くなるまでの二ヶ月くらいずっとそこで生活するようになった。
ベッド導入してからはほとんどそこから動けなくて、もうだいぶ食べれる量は少なかったんだけどそれからさらに少なくなり、起きてる時間が短くなり、大好きだった肉も飲み込めなくて、食べられたと思ったらお腹が張っちゃって苦しんで(大腸ガンだった)、時季には早いスイカをちょっとなめて美味しいねってニコニコして、そのうち一番美味しいのが冷たくひやしたお水で、ってなって、亡くなる一週間前くらいからは一人じゃ立ち上がれなくなるくらい衰弱しちゃったの。
それをみているのがとても辛かった。最期まで家に居てくれて、ずっと一緒にいることができたのはすごく嬉しいことだったけど、大好きな人がどんどん弱っていって否応無く死に向かってる姿を見続けるのがとても辛かった。夜になると誰か一人家族がついてるようになんとなくしてて、そんで夜になるとなんかさ、色々考えちゃったりするじゃない。わたしはこの人がわたしにしてくれたことを何一つ返せないまま、逝かせてしまうのだなとか、ずっと死なないで生きててくれてると思ってたなとか、考えたってどうしようもないんだけどそんなことばっかり考えてた。
それで、亡くなる前日の夜、わたしが夜のお当番の日だったから、おばあちゃんち泊まって部屋にずっと一緒に居たんだけど、なんかもうすごい苦しそうだったのよ。そんなに苦しそうにしてることがそれまでなかったってくらい。呼吸するときの音がすごくて、たぶん痰が喉に絡まっちゃってそれで音が立ってたんだと思うんだけど、風の強い日の外みたいな音がするの。で、まぶたを閉じるための筋肉が弱くなっちゃったのか、その辺分からないんだけど、半目みたいな状態になってて、口もポカンとあいていて、なんか、こんなこと思いたくないって思いながら、今まで大好きでずっと一緒にいた人が、突然知らない生き物になってしまったような気がしてしまって、そうしたらもう怖くて怖くてたまらなくなった。
そんで、わたしはバカだったから、家族の誰かに助けを求めるとか、そういうことを考えつかなくて、わたしが当番なんだからわたしがこの夜を乗り切らなきゃいけない、朝になったら父がこっちに来てくれる、それまで我慢しなきゃいけないって思ったんだよ。我慢しなきゃいけないって思っちまったんだよなあ。我慢だよ我慢。そんなこと思いたくなかったっていうか、そういうことを大好きな人に対して思ってしまう自分を発見してしまって吐きそうになった。
辛いのはお前じゃなくてばあちゃんだろって。思うように頑張ったんだけども、どうしても恐怖が拭えなくて、そのうちおばあちゃんの顔も見られなくなっちゃって、同じ部屋にいるだけで震えが止まらなくなってしまって、逃げちゃったんだよな。部屋から逃げて、階段のフチにすわって、現実逃避みたいに友達にライン爆撃して、朝まで震えてた。
部屋から呼吸してる音は聞こえてくるから、ああまだ生きてる大丈夫だ、って思って、確認しに部屋に行きたいんだけど、おばあちゃんの顔を見るのがどうしてもどうしてもできなかった。部屋に向かおうとすると足が震えて呼吸が乱れんの。何があんなに怖かったのか分からないのだけど、今これを打ちながら、思い出してちょっと震えている。死んでいく人の姿を見るのが初めてだったから、それで怖かったのかもしれないなと、今は思うようにしている。
呼吸が苦しくて、でも頼りの孫は自分をほっぽって部屋の外に行ってしまって、そうして自分が死に向かっていて、こんなのは想像でしかなくてもしかしたら意識なんかなかったのかもしれないけども、あの六時間くらいの間のことを思い返すと、今も眠れなくなる。
父が帰ってきて、おばあちゃんの部屋に入るなり、『(医療従事者の親戚)に電話しろ!!痰が詰まって溢れてる!!』って怒鳴って、そのときのもうなんか、自業自得っつーか、わたしがやってしまったことなんだけど、絶望感。それと父がちゃんと状況を回すことのできる人間として機能していて自分の役目がなくなったことに対する安心感。それがものすごかった。
結局そのあと母とその医療系の親戚が一時間くらいで来てくれて、わたしは申し訳なさとか情けなさとか、おばあちゃんは勿論なんだけどそれと同等くらいの父に合わす顔のなさとか、色々ないまぜになって、ずっと一階のリビングで項垂れてた。わたし以外の三人がずっとお世話してて、それで、9時ごろになって、お母さんがオムツ替えようとしたときに、おばあちゃんは亡くなった。
亡くなったこと自体はわたしのせいじゃないしそもそも意識はなくなってたはずだよ、人が死ぬってこういうことだからあんまり気にしないで、って医療系の親戚が慰めてくれたんだけど、なんかもうその夜のことが未だにフッと蘇って、どうしようもなくなるときがあるんだよ。
わたし、おばあちゃんとサヨナラするときには、ちゃんとありがとうって伝えて、大好きだ、またいつか会おうねって伝えようってずっと思ってたけど、そんなこと言えなかった。二階で母親が『おばあちゃん様子がヘン!!』って叫んだとき、すっ飛んでって、「ごめんなさい!」って叫ぶことしかできなかったんだよ。最期に謝罪なんて聞きたくなかったろうな。どうしよう、自分のせいでおばあちゃんが死んでしまう、それしか頭の中になかった。
こんなはずじゃなかったんだよ。そんで、もしかしたら、入院してたなら、こんなことにならなかったんじゃないか、とか最低なことも思ってしまう。痰の吸引ってされる方はすごく辛いって聞くけど、少なくとも自分がずっと可愛がってきた孫が、自分が喉に痰をつまらせてるのを見捨ててどっか行っちまうなんてこと体験させなくて済んだんじゃねえかな(そりゃそうだ)とか思っちゃうのよ。
そういうわけで、昨日の夜もハッと思い出して眠れなくなったので、文章に起こして懺悔にしてみようと思った。もうすぐ三回忌なんだ。ホント合わせる顔がねえ。でもおばあちゃんは、バカだね〜そんなわけないじゃん〜、ってケラケラ笑ってくれるような人だった。分かんないけどね、もしかしたらメッチャ恨まれてるかもしれない。そう思う方が楽なんだな。でもあの人はそういう人じゃなかった。どこまでも自分本位だけれど、ちゃんと会って謝れる機会がもうないってとてもしんどい。わたしはおそらく一生死ぬまで、この夜の記憶を引きずって生きていくんだと思う。自分との折り合いがつかない。そしてもうこれを家族の誰に言うこともできない。おばあちゃんの死に対して、みんながみんな思うところがあるわけだから。自分でどうにかしないといけないんだよなあ。
私はアラフォーの自営業だ。音楽を作って生計を立てているので、わかりやすく「作曲家」を名乗らせてもらっている。
大学在学中からこの仕事を始め、貧しいながらも細々と仕事をしてきた。
代表作はない。誰も知らないソシャゲやコケたアイドル、名前の出ない地方CMやyoutube広告等の「誰もやらない」仕事をずっと続けてきた。
次の5年はどんどん成功していく同世代の作家に多少あせりを感じつつも、精一杯仕事をした。
そしてこの5年間。ただただ惨めで、つらかった。
アニメ曲や主題歌のコンペは知り合いのディレクターさんから回ってくる。
10代の作家や、年配でもまだ若い感性の先生方に混じり、自分が戦えるはずはなかったが、それでも「継続は力なり」「努力こそ正義」を信じ、たくさんの曲を作った。
自分の関わるプロジェクトはすべてリリースされることなく破綻したり、不祥事がありなかったことにされたり、無事リリースされても誰も聴いてくれず、youtubeにあげられたMVの再生数は悲惨なものだ。400再生とか。
ショットの発注の音楽を10万円で買い取ってもらい、それを15年間延々と続けてきたのだ。
何の人脈も、スキルもない。
でも音楽が作れるのでは?
残念ながらそれも違った。
発注はいつも「きゃりーぱみゅーぱみゅぱみゅみたいな感じで」「高木正勝みたいな感じで」と本家に発注すると高いものを、廉価版として自分のところに1/10の値段で来るのだ。
誰もライブには着てくれず、自費で出したCDは売れない。大量のダンボール箱の在庫である。
音楽は才能がなくても仕事ができる、を自分を通して身をもって感じる、惨めでつらい15年間だった。
16年目で成功するかもしれない。
そんな甘い夢を見て1年、また1年と続けてきたが、15年で限界です。
私は、退場します。
旦那32 私28。最近やたらと旦那が、大切な友人とやらに会わせたがる。
旦那が言う大切な友人のスペックが、高身長で自営業・年齢は39歳。独身。
その人は友人ではあるが、尊敬する先輩であり、ぜひとも嫁(私)を紹介したいんだと。
尊敬する友人なのに私達の結婚式も出ていないし、今まで一度もその人の話を旦那から聞いていない。
先々週の日曜に、次の日曜に友人がこちらに来るから昼飯よろしく~と言われたんだけど、
前日になって、私のパート先(スーパー。フルタイム)で急病人が出て代わりに出勤する事が決まった。
私のパート先のスーパーは、オープンしたばかりで人手が足りず、1人病欠すると結構大変。
元々休みだった人が出勤する事が多々ある。今回もまさにそんな感じで、代わりに出勤するのが私しかいなかった。(他の休みの人は法事で有給、もう1人はお子さんと前々から計画していた鼠の国)
その事を旦那に伝えたら、鼠の国に行った奴を出勤させろよと愚痴。いちいち何をするにも当てつけのように溜め息をつく。
そんなに会わせたい友人なのかと思いながら謝ったんだけど許してくれず。
フラっと我が家に寄った義母にこのことをそれとなく話したら、顔を真っ青にしながら、
「その友人、旦那君が20代前半のときに絶縁したはずの農家の息子さんよ! 確かに絶縁前は仲良かったけど、コトメ(旦那妹)を嫁に迎えたいと言って通学時に待ち伏せして襲ったんよ!」と言った。
農家、れ●ぷ未遂。こんな人間を私に会わせるなんて嫌な予感しかしない。
私と義母で、その友人には死んでも会わないと宣言したらふて寝。
こりゃ離婚かも。友人にその気はないと言われても信じられるわけがないだろう。
友人は更生した!お前は最低だ!とこちらを悪く言っているらしいが、知るかよそんなん。
れ●ぷだぞれ●ぷ。
その友人の外見は写メを見る限りでは、仲村トオル系の割と良い感じに年を重ねてるように見えた。
実際芸能人では仲村トオルや唐沢くんみたいな年代の人が好きだし、