はてなキーワード: 宗教団体とは
もし、政党交付金の話をしてるなら(合法で渡すなら)セーフだよ。
特定宗教団体もしくは他団体と比較して宗教団体全体に特権を与えてるのを禁じてるんであって
仮に公明党が「ほらウチは政治団体も持ってるからチカラあるよ、入んなよ」と
国が宗教を推し進める→アウト
日本国憲法 第二〇条
一 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
三 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便宜若しくは維持のため、……これを支出し、又はその利用に供してはならない。
特権付与の禁止 - 特定の宗教団体に特権を付与すること。宗教団体すべてに対し他の団体と区別して特権を与えること。
宗教団体の「政治的権力」行使の禁止(「宗教団体の政治参加」を参照)。
先日の ザ・ボイス そこまで言うか!というラジオ番組で評論家の宮崎哲弥がこんな事を言っていた
実際にここで聞ける(15分辺りから)
http://www.1242.com/program/voice/
軽減税率の対象品目に加工品を含めるかという議論が続いているというニュースに対して
党税調と内閣が、あたかも何か3000億~8000億の綱引きで対立しているかのように見えますが
これを新聞の一面とかに書いている新聞社とかも全部グルです……
だって言ってるでしょこの番組でずーっと、3週間か4週間前から
もう、これ決まっていることですから!
ですから、大手町の新聞社と竹橋の新聞社と信濃町の宗教団体が決めるわけです、これは
で如何に経済的に軽減税率なるものが不合理なものであったとしても
もうこれは政治的に、実行されるんです」
聞き手「4000億だ8000億だって言ってますけど新聞いれちゃったらまた更に……」
宮崎「でも新聞は確か200億円程度だから、200億円か300億円程度だから……
ですから、なので、ごちゃごちゃ言ったってしょうがないといえば、しょうがないんですけれど……
ある人がね、誰とはいえませんけど、大きな池だと沈みやすいでしょ、と
つまり、生鮮食料品と新聞だけだと、あまりにも新聞が目立っちゃうじゃないですか」
聞き手「4000億と200億だと、あれこの200億何!?ってことになりますよね」
宮崎「みたいな感じになるでしょ
しかも生鮮食料品っていうのはなんとなくこう、確固たる領域なんだけど、そこになんで新聞がくっついてるのって話になるでしょ」
加工品まで広げてしまうとなんとなくこう認められるんじゃないかな、こそっと入れても……」
聞き手「加工品までホントに全部含めると8000億どころか1兆2000億なんて話もあって、そうすると200億くらい、こうちょこっと置いとくか……」
これを聞いて随分思い切ったことを言うなという印象だった
ここまで言い切るのだから何か確証があるのだろうけど正直な所、半信半疑
ということで話の真実を確かめるため今日のニュースをチェックしてみることに
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20151210-OYT1T50057.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151210-00050057-yom-pol
新聞とは書いてないな…
http://www.asahi.com/articles/ASHD9747GHD9UTFK01B.html
http://www.asahi.com/articles/ASHD8725QHD8UTFK012.html
書いてない…
http://mainichi.jp/articles/20151210/k00/00e/010/166000c
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151210-00000003-mai-pol
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS09H9R_Z01C15A2MM8000/
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS09HAY_Q5A211C1MM0000/
http://www.sankei.com/politics/news/151210/plt1512100019-n1.html
http://www.sankei.com/economy/news/151210/ecn1512100006-n1.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151210/k10010336041000.html
NHKも書いてない…
http://www.news24.jp/articles/2015/12/10/04317011.html
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00310812.html
フジテレビも書いてない…
http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000064105.html
やっぱり新聞なんて書いてないな…
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201512/CK2015121002000124.html
https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201512/0008635759.shtml
書いてないよ
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0211543.html
http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/258414
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2655217.html
ん!?
>消費税の軽減税率をめぐり、自民党と公明党は、再来年の10%への増税当初から
>加工食品の全般と新聞の一部を軽減税率の対象にする方向で最終調整に入りました。
>必要となる財源は1兆円規模の方向です。
入ってるじゃん!!!
に対してTBSってキー局で唯一大手新聞社との関連が薄いんですよね
なんだこれ!?
※追記
話の発端である宮崎哲弥さんが呉智英さんと共に新刊を出すそうです
『知的唯仏論―マンガから知の最前線まで――ブッダの思想を現代に問う―』(新潮社)
そうそう。
究極の目的ってつまり、宗の(一番大事な)教え、な訳だから、人生について一番大事なものはなにか考えたことがある人が宗教性を持たないはずがないよね。
それが宗教性だと認識できるかどうかは予備知識がいるだけで、すべからず信仰にもとづく宗教性はどんな無神論者でも持っているはず。
宗教から生まれる弊害って、知性の足りなさが原因なだけだし、知性の乏しさによる愚行は宗教性関係なく起こっているのには皆気づいていないんだよなぁ。
宗教団体や宗教者による害悪も沢山あるのだけど、皆が宗教のせいだと思っている多くは宗教そのものではなく個人の貧弱な精神(理性)からもたらされる害悪にすぎない。
ほんとにみんな世間で言われているようなくだらないものだと思っているのだろうか。
宗教団体や個人についてはもちろん批判すべきことは山ほどあり得るのは確かだと思う。
だけど根本の宗教性だとか、神の概念のような宗教のあつかう形而上学的な意味は現に存在するよね。
史実に限定しても古代ギリシャの昔から哲学として研究されてきた立派な知の分野だと思うのだけど。
実際に世間の考える宗教が、世界創ったヒゲの生えた古代ギリシャ人みたいな服来たおっさん、もしくはパンチパーマの像や紙に欠かれた文字に現世利益のため祈る、みたいなイメージだけだとしたら現代人の精神の貧しさに絶望。
宗教が人間の営みとして核心的で欠くことのできないものであることを理解している人ってほんとはある程度いるでしょ?
でなければ哲学も歴史もおよそ人文系の学問全て理解できないよね。科学に関しては形而上性に気づかなくても物理的側面だけでなんとかなるから要らないかもしれないけど。
はてブは手斧を持ったモヒカンが背景全無視で「行為」を断罪する論理荒野のパラダイスだが、
手斧を投げつける手法が「個人攻撃」に見えることが多くのドラマを生み出しているとも言える。
平たく言えば「オマエの主義は知らんが、その論理展開の主張は気に入らん」という投擲だ。
「オレの生き方サイコー」なら良いが、それに「他の生き方はダメだ」と続けてクサスのが良くないってのを観て
なんかそれもまた違くね?と思ったのが、この批判を書くに至った理由だ。
自分の主張を補強するつもりで、他の論を持ってくるなんてことは、良くある。
論文は大抵「過去の研究ではこう言ってる」「が、俺は違うと証明した」「が、俺は新たに良い手法を見つけた」みたいなのばっかりだ。
つまり、比較することそのものは、別に批判の対象になるようなことじゃない。
比較が雑だったり、優位を主張する部分に誤りがあるから、批判の対象になるわけだ。
コレは結局のところ「スタートの立ち位置が変だから、組み立てが変」なんじゃなかろうか。
例えば、「菜食主義者」の「菜食主義」そのものは、「手段」だ。
宗教上の理由から「肉食を避ける」菜食主義者と、健康上の理由から「肉食を避ける」菜食主義者とは、
外側から見える行動そのものは変わらなくても、その思想的な背景である「目的」は、大きく異る。
例えばミニマル・アート(Minimal Art)は、視覚芸術におけるミニマリズムだが、これは縛りプレイと呼んで良い。
徹底的に削ぎ落としたその先にも表現はあるはずだという、抽象美術の一つの縛りプレイの形といえる。
これも目的は「アート」の追求であり、色数を減らすのは手段の一つにすぎない。
手塚治虫のブッダで覚えている人も居るだろうが、コーサラ国にスダッタという富豪が居た。
ブッダの説法を聞いて感動し、ハコモノを建ててブッダを誘致しようとした人だ。
ジェータ太子の土地を譲ってもらう条件の「土地を金貨で敷き詰めたら」を素で実行しようとした人だ。
必要最低限のモノだけを残して全ての財を金貨に変えて土地に敷き詰めまだ足りないと実行し続けた奉仕の人だ。
「目的」が明確で、「手段」としてミニマリズムを実践した人、とも言える。
最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「目的」が見えない。
知り合いのヒンドゥー教徒は、結構ユルイヤツが多い。日本に来てる時なら酒は飲む、とか。
手段である「主義」は、厳格な人間でなければ、そう厳密に守ることでもない。
(もちろん厳格な人が、厳格でない人を批判する事は、ままある)
本人の主義に関してアレコレ言うことは(同じ主義を持つ集団でなければ)、無意味な干渉にしかならないだろう。
ただし、それは「相手もまたそうであろう」という暗黙の了解に基づくから、そう言える。
ヒンドゥー教徒の知人は、仏教徒に仏教の戒律に関して「バカげている」という話はしない。
当然、仏教徒の知人も、ヒンドゥー教徒に対して「その食の制限は意味が無い」という話はしない。
お互いに違う宗教を信じていても、相手のことを尊重しているからだ。
(敬意を持った上で、教義上の疑問点を話す、なんてことはある)
最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「他者の主義に対する敬意」が見えない。
結局のところ、目的も無く、自覚的に自身の主義を捉えることもないので、想像力が無いのだろう。
そうした場合、「自分もそうだから、相手もそうだろう」と想像してしまっても、無理はない。
というよりも、想像することそのものが出来ないのだろう、と想像できる。
全く知らない宗教団体と事前知識無く出会うことになった時に、何がタブーかなんて想像も付かない。
自分以外に配慮出来ないのは、何も「最近はてブを騒がすミニマリスト達」に限った話では無いと思う。
あれは「症状」みたいなもので、クシャミと同じたぐいの「結果が目に見える形になっただけ」では無いか。
それは「自身の立ち位置に無自覚」で「他人の思想的背景を理解しようとしない」という、結構怖い人達なんではないか。
つまり、インド人のベジタリアンに向かって「夏バテなら肉を食べれば元気が付くじゃない」と無邪気に言える怖さだ。
きっとその個々の無自覚さは、ソコココで小さな軋轢を生み、全体としてその母集団の信頼が失われていく。
最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「自分の主義に対する思い入れ」が見えない。
自分の正しさを証明するために、他人の主義を引き合いに出すのは、それそのものは別に悪く無い。
他者に敬意を持っていれば、引き合いに出す際にぞんざいに嘲ったりすることは、出来ないだろう。
・簡単にできる堕胎薬
日本だと認可されてないから病院じゃ処方して貰えないし、個人輸入なんかで入手して使っても堕胎罪になるけど。
バイトに落ちた理由。一日でクビ喰らった。ごめんなー、せっかくきてもらってわるいんだけどーってたった今電話で言われて、いえいえそれはそちら側の判断ですからと答える。クビになって苛ついてホントだよーだったら最初から雇うなカスとか言わない俺って偉いよ。まあ明日1日分の金千円受け取りに行くから当然っちゃ当然なんだけど。
多分俺は自分の考えで動いてはいけない人間なんだと思う。バイトをクビにするかどうかは当然俺の判断じゃない。自分の考えというか権利というか、そのバイトを受けるかどうかは当然俺の判断で動くんだけどその程度の考えなど「無」に出来るほどの力を相手側は持っている。あるいは最初から俺が一生懸命になって出した考えなんて文字通り「無」に等しいのかも知れない。「一生懸命に出した」なんて言うのも俺の主観で他人から見たら本当にゴミ以下の事しかやってないんだと思う。
バイトの話をさっきしたのはたった今バイトをクビになったからで、本当はバイトとかじゃなくてもいっぱいあるんだと思う。たとえばいじめ問題とか体罰とかで、体罰やいじめに当たるかの判断の一つとしてよく言われるのは「そこに愛があるかどうか」と言う事がよく言われる。相手のためを思ってやった、あるいは言った事であればそれはいじめでも体罰でもない。しかし一方で、言われた人がどう思うかということも大事であると。例えば私が小学校の頃(私自身は大学生です)は宿題を忘れたとかなんかあれば教室の後で立たせるということがしょっちゅう合った。で、先生によっては授業中に当てられてそれに答えられたら座れるみたいな。自分で言うのはあれだが小学校の頃は真面目だったので後で立たされる事はなかったから立たされた人の気持ちは分からない。大抵の人はめんどくせー!とかしゃーねーなー!みたいに思っていたんだと思う。一方で立たされる事が非常に屈辱的に感じる人もいて、それは体罰に当たるかも知れないねってだけ。俺なんかはそれが冗談なのかいじめなのかの判断がつかない人間だから、自分が嫌だからそれはいじめだ、駄目だとか言うのは許されていない気がする。
冗談か洒落にならないかっていうのも合って、自分が冗談でやってると思っている事が相手にとっては洒落にならない、みたいな事もある。ニコ動で某弁護士の動画を見て笑うし、本社が爆発しても面白いし、そっかー某宗教団体の動画を見て楽しむ。銃声を聞いて餃子の王将というコメがあると笑ってしまう。まあ自分で上げた動画ではないのだけれど。はてな関係だと虚構新聞とかコラ画像?とか。それが面白い、つまらないというのは自分の感性なのでそこにいちゃもんを付ける気はないのだけれど。しかし一方で不謹慎だとか著作権法違反だとかガセだとかそういうコメントをニコ動とかはてなとかでみると非常に驚く。どうして彼らは純粋に楽しめないのだろうと思ったりする。多分そのコメントというのは本気でつまらないと思っているから何かいちゃもんを付けたいというのもあるし、本気で道徳的に彼らのやっている事はダメだ、と言うのもあると思う。だから彼らにいや、これは冗談として通用する範囲だよ等というのは無駄というか、いっても分かってもらえない場合が多いだろう。逆に向こうからするとどうして面白いんだろう、どうして笑えるんだろうって事なんだろう。
自分自身、自然の敵Pの曲一つ一つは好きだったりするのに、カゲプロっていうブランドでまとめ挙げる事でそこにオナニー臭がするということを思っているのだけれど分かってくれる人は少ない。いや、商業的に大成功だから彼らにとっては良かったのだろうけれども。とにかく自分自身ボカロの曲とか評価されてるものでもつまらないなって思う事はある。
自分が冗談じゃないって思っていても、世間一般では冗談として扱う場合もある。ここから得られる教訓は何か冗談を言って相手が不快に感じたら「いやw冗談だろww」みたいにせずに真顔で土下座で謝罪をして同じ人に同じ冗談をしない事。他人から何か不快な事を言われたら真顔で土下座で謝罪をする、あるいは冗談だと分かれば笑ってあげる事。
とあるお話で、家族が、友達が、周りが社会が世間が世界が、間違っている事だってたくさんある。ゴミみたいなこの世に混じって自分を騙すな。みたいな事を言っていた。そういう考え方が出来るのはそいつが正しいから、強いからで俺みたいな頭が悪い弱者は相手が間違っていようがそれに従うしかない。
で、そのことを誰かに愚痴ると同居人に「それはお前の考えだろ?仕事をする上でお前の考えは要らない、相手に言われた事だけやってればいい。その考えは改めた方が良い」と言われるから愚痴る事は多分間違っている、いやしていないけど(前に一回経験済み)。
相談できる人もいなくて、困って困っていろんな局面に立たされたけど、なんとか頑張った。
中学入学から15歳までってすごい影響受けやすいし、自分の人格すらまだできあがっていなかった俺には、人の悪意を読み取るセンサーなんてなかった。
ただひたすら自分は、こんな自分で申し訳ないとおもいながらぼっちでもコツコツ頑張ってただけだった。
ちょうどwin95発売されたころで、自分がはじめて手にしたパソコンは大学生協で入学時に購入した26万のくっそおもたいモニターとはじめてのFMV。
ダイヤルアップ接続を初めてした頃の感動と、検索やメールだけに限定された頃で、特にはまるものとかいってもネットで好きな漫画のエロ同人サイト読みあさることくらい。
ネトゲには手を出さなかったし、PSもセガサターンもなにもゲームもやったことない自分で良かった。
19年くらい前の話だけど、あの頃の自分が愚鈍でよかったって思う。
他人に入れ知恵されて家庭崩壊一直線とか、当時はあやしい宗教団体くらいだと思う。
俺は、ひたすら。普通にぼっちでもがんばって卒業できて、目標ややりたいことを定められる過程を得て幸運だった。
結局、不自然な言動をしたのは独身寮に住んでいた田中一人だった。翌日から俺は彼の寮の前に張り込みを始めた。朝、日の出前に起きてチャリで一時間かけて彼の最寄り駅まで。チャリをそこに停めると家の前まで歩く。そこで彼が起き出して出社するのを待つ。彼が家を出ると、その後をつけて一緒に職場まで。あとは退社を近くの喫茶店で一日待つ。彼が退社すると一緒に帰宅して、それからは彼が眠るまで夜中まで張り込み。終電もない時間になるからチャリで事務所まで帰ってくる。この生活を一週間続けた。睡眠時間は平均4時間ほどになった。正直堪える。
何の成果も上がらず迎えた週末。俺はやはり朝から張り込みを続けていた。午前中は特に動きも無かったが、昼過ぎにどこかに出かけた。慌てて後をつける。最寄り駅から電車に乗り五駅先で降りた。駅から歩くこと十分。彼はうらぶれた雑居ビルに入っていった。
エレベーター前の案内を見ると二階に『光の華』という宗教法人が事務所を構えているらしい。田中は四時間ほどそこで過ごし、自分の家に帰った。それからは外出することなく就寝した。
* * *
田中の就寝を見届けてから事務所に帰ってきた俺は、早速ネットで『光の華』という宗教団体について調べてみた。最近規模を急激に拡大している新興宗教だという。その信者は多岐に渡り、一般人のみならず芸能界、司法、警察機構、政界にも少なからぬ信者がいるそうだ。
教祖は中野興右衛門という人物で、45歳。バブル崩壊後、経済的に荒廃した日本を離れ、インドで十年間ブッダもかくやといった荒行を積み超自然的な能力を身につけたらしい。どんな人物なのか写真でもないものかと検索してみたが、一つも見つからなかった。なんでも、神秘性を保つために写真の類は一切撮っていないらしい。この情報化の時代に写真の一枚もないなんて、神秘性を通り越して不気味だ。まあ、逆にSNSで今日の昼に何を食べたとか、誰と会ったとか、日常を垂れ流している宗教の教祖なんていたら、それはそれで嫌だけれど。
今度はこの宗教と関係があると言われている人物を検索してみる。真偽は不明だが、ネット上のゴシップが大量に出てくる。あまり芸能界に詳しくない俺でも知った名前がちらほら見える。高橋圭一の名前も見つかった。これで田中との繋がりが何なのか分かった。きっとこの宗教を通して関係があったのだろう。
関連サイトを見るともなしにブラウジングしていると、一人のアイドルが目に留まる。西織あいか。19歳。明るい髪と、意思の強そうなぱっちりした猫のような瞳が印象的だ。売り出し中の駆け出しアイドルらしく、テレビで見たことはないが、かわいらしい。正直タイプだ。所属は堀川プロダクション。
高橋圭一も所属は堀川プロダクションだった。同じ事務所で同じ宗教団体に属している芸能人二人。怪しい。
「確かめてみるか」
* * *
堀川プロダクションは中堅どころの芸能事務所だ。俺は事務所の入ったビルの向かいにある古本屋から、人の出入りを監視していた。まるで芸能人の追っかけになった気分だ。たまたま窓際の棚に陳列されていた、興味もない競馬マンガを立ち読みしながら待つこと三時間。サングラスで顔を隠しているが、西織あいかと思しき人物が事務所から外に出てきた。
急いで古本屋を出る。彼女は通りの角を曲がるところだった。見失わないよう小走りで後を追う。しばらく後をつけ、人通りが途絶えたのを確認して声をかけた。
「西織あいかだな」
「ファンの方? こういうの困るんですけど」
と、不機嫌も露に言った。これで本当にアイドルが務まるのだろうかと、他人ごとながら心配になってくる。
俺の話を聞いているのか聞いていないのか、はぁ~、と大きなため息をついたかと思うと、バックから携帯を取り出した。
「もしもし、マネージャーさん? ちょっと今すぐ来て欲しいんですけど……」
彼女は有無をいわさず事務所に連絡を取り始めた。問題になるのは困る。焦った俺はとっさに、彼女の手から携帯を叩き落とした。
「ちょ……もがっ!」
背中から手を回して羽交い締めにし、騒がれないよう口元を押さえる。
俺は囁くように言った。携帯からはマネージャーと思しき男が、どうした!とか叫ぶ声が聞こえている。大事になるとまずい。
彼女はしばらくもがもが暴れていたが、観念したのかやがて大人しくなった。
「よし。そのまま大人しくしてろよ」
口元から手をどけても、騒ぎ出す様子はない。安心して羽交い締めにしていた力を抜いたら、彼女の体はずるりと腕の中から滑り落ちていった。
「え……」
見れば彼女はぴくりともせずに地面の上に横たわっている。まさか。まさか。
「し、死んでる……」
* * *
オカルトとか陰謀論とか都市伝説とかデタラメなんだけどさ、それにツッコミいてれてるほうも頭悪い理屈だったりするんだよな。
「血液型占いなんて嘘だろ。人間の性格がたった4つに分けられるわけがない。ちょっと考えればわかるだろうに(ドヤ」みたいな。
「内向的・外向的」なんて人間の性格をたった2つに分類してるのに大雑把とか批判する人はいないし、数十数百に分類してる性格判断って見たことあるけど、そっちのほうがそんなの意味があるとか思っちゃうし。
フリーメイソンの東京支部がメディアの取材を受けたのを見て「普通の人だったw、これで陰謀論とか言うの頭おかしいわ」とか。テロを起こす前のオウムを取材して「普通の宗教団体です」って断言して恥をかいた人とか知らんのかとか。
日本国は、いまや世界最大級の盗聴国家であり、恐怖政治国家だ。
なぜなら日本には盗聴法があり、年間1万件以上の盗聴捜査が警察官によって実施されているからだ。
理屈の上では、組織犯罪幹部を逮捕するために盗聴するという当初の立法者による「大義」があり、立法目的がある。
しかし、「結果」や「実績」はその正反対の事実を証明している。
内閣の国会報告によれば、2014年1年間に実施された1万3778回の盗聴捜査で逮捕された人数はわずか72人しかいない。
しかもそのほぼ全員が組織犯罪の幹部ではない一般犯罪で、組織犯罪の幹部の逮捕は皆無だった。
しかも72人という数字はあくまでも逮捕者数であって、起訴された数ではない。
盗聴されて逮捕されても、起訴されない人もいるし、有罪にならなかった人もいるし、実刑にならなかった人もいる。
盗聴捜査は組織犯罪壊滅につながらないという批判は、もはや警察捜査成果として現実のものとなったのである。
麻薬の売人の運び屋や送金屋を何人逮捕したところで、犯罪組織にはなんの影響もないし、市民生活の犯罪に脅かされる市民社会は少しも良くならない。
これは警察がなまけていたからではなく、そもそもそういう制度を作ったことが誤りだったのである。
政府は、1年間で1万3778回の盗聴で対象となった事件数も公表した。
正解はたったの10件だ。
たったの10件の事件のために、無関係の無実の市民の通話が、たった1年間で1万回以上警察官に聞かれていた。
しかも、盗聴されていた事件のすべてが重大組織犯罪というわけではない。
たまたま手に入れた薬物をオバカなチンピラが売ったような突発事犯で盗聴捜査が成功しても、本物のヤクザ組織はびくともしない。
つまり、盗聴法による盗聴捜査は、捜査の実態結果から見た場合、
その捜査はわたしたち無実の市民の通話(電子メールやネット電話を含む!)に対して向けられている。
そもそも犯罪のプロの幹部たちが電話などで犯罪計画を連絡しているはずがない。
盗聴法による盗聴捜査のターゲットは、わたしたち無実の市民の携帯電話、電子メール、ネット電話であって、
そういう批判は法律制定前にもあったが、その批判はいま安倍政権のもとで現実のものになった。
「盗聴事実を当事者に知らせているから盗聴ではない」という批判が、盗聴法を作る側の警察官僚の側にはある。
たしかに盗聴法は、盗聴法によって盗聴された通話当事者に対して
盗聴記録が裁判に使われる場合にだけ、盗聴したという事実を当局が告知することになっている。
しかし、盗聴が犯罪と無関係で、盗聴記録を裁判の証拠として使わない場合は、
盗聴された人には盗聴事実の通知はされない。
つまり、事件化されない大多数の盗聴捜査で盗聴された無実の一般市民は、
盗聴されたことを知らないまま警察官に盗み聞きされ、
誰のためになんのためにどのようにに盗聴通話が使われているのかは、警察の闇の中だ。
盗聴法には、無関係な通話を盗聴させないようにするためと称して「立会人」という制度がつくられ、
「だから安心してください」と、盗聴法を作るために与党入りを決めた公明党指導者は訴えていた。
当時の政権批判野党だった公明党には、政府に盗聴されたくない犯罪陰謀事件などの弱みがあったと言われている。
過去には公明党は盗聴事件や脅迫事件なども起こし確定判決も存在し判決は公開されている。
盗聴される側ではなく盗聴する側になれば安心だという公明党の判断なのだろう。
「立会人」は盗聴法の規定により盗聴会話を聞くことができない。
だから、警察官が盗聴したり録音したりしている電話の内容が犯罪の理立証に不可欠な証拠かどうかを判断することは100%不可能。
しかも「立会人」は、消防士の事務職や警察OBなど、治安関係のお仲間が担当している。
だから、警察が違法不当な盗聴をしていても問題になることはない。
そもそも「立会人」は、立ち会うだけの義務しかなく違法な盗聴捜査の中止を命令する「制止権」が無いから、
「立会人」はお金をもらって隣の部屋でお菓子などを食べながら意味の無い時間をすごすだけの人になっている。
違法な盗聴捜査や意味の無い危険な盗聴捜査の「歯止め」としてまったく機能していない。
おそろしいことに、日本では盗聴法による傍受礼状が無くても事実上の盗聴ができてしまうことがある。
会話を録音して裁判の証拠として使うためには盗聴法を使わなければならないが、
録音しない場合、会話を裁判の証拠として使わない場合は、警察組織は傍受令状なしにいくらでも盗聴してもよいことになっている。
逆探知は誘拐などのときに使うものだと一般市民には信じられているが、実際はそうではない。
官僚組織などに質問や意見の電話をかける市民団体の参加者に対して、電話をかれられた側の官僚たちが、
電話をかけた者がどこの誰かを特定するために、当局に「行政執行暴力事件」として内偵を依頼し、
たとえば沖縄では基地問題をめぐってたくさんの沖縄県民が「暴力組織犯罪の容疑者」とみなされ
もちろんそれらの事件は、盗聴法によらない「通話者特定」だから、
盗聴法による報告はされないし、情報公開法による公開も除外規定により公開が制限されている。
このようにして、一般市民は「盗聴されているかもしれない」という事実によって管理され、
支配され、恐怖の統治を受けて公民権や言論は萎縮していくのである。
むしろその逆に、組織犯罪に必要な人的・予算的・組織的なリソースを縮小させ、
成果をあげる捜査のプロ刑事には、盗聴権限など不要というのが常識である。
盗聴捜査の対象は、罪の無い一般市民が大半であるという事実から、
市民の通信活動に対する不要な萎縮が起り、基本的人権である通信の秘密が破壊される。
したがって、盗聴法を制定した当初の立法者意思や立法目的は、完全に破綻した。
制定当時に言われていた「安心材料」は、結果的にすべて否定された。
問題は、このようになんの意味もなく成果もあげなかった盗聴制度を永久に維持させるために、
安倍政権は組織犯罪ではなく一般犯罪に対しても警察権力に「盗聴権」を付与させ、
そしてなにより盗聴法には、公務員犯罪を取り締まるために使うことができないという制約がある。
警察官や自衛官や刑務官による密室暴行、それらの密告を監視するために盗聴法を用いることはできない。
盗聴法は完全に破綻した。こうした恐怖政治のための危険な道具を日本は持つべきではない。
だが、いまはまさに「バカが刃物をふりまわす」状態になっている。
危険だ。日本国は、いまや世界最大級の盗聴国家であり、恐怖政治国家である。
それでも盗聴法を維持させなければならないのなら、政権交代を実現し、
盗聴法に賛成してきた自民党幹部と公明党幹部を有罪にする実績をつくればよい。
テレビで彼らの処刑を中継をやってもよいだろう。
そうすれば、「それはやりすぎだ。盗聴法には歯止めが必要だ、警察権力の強化は危険だ」という正論が出てくるに違いない。
そのとき「だったら盗聴法を廃止してしまいましょう」と議論してもよいだろう。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150206/k10015260271000.html
上川法務大臣は6日の閣議で、捜査当局に携帯電話などの傍受を認める「通信傍受法」に基づいて、去年1年間に違法薬物の密売など10の事件で通信傍受を実施し、これまでで2番目に多い72人を逮捕したことを報告しました。
平成12年に施行された「通信傍受法」は、違法薬物の密売など組織的な犯罪を捜査する際、ほかの手段では事件の解明が難しい場合に限り、捜査当局に電話や電子メールの傍受を認めるもので、捜査の行き過ぎを防ぐため、通信傍受を実施した件数や逮捕者の数などを、毎年、国会に報告するよう政府に求めています。
上川法務大臣は国会への報告に先立って、6日の閣議で去年1年間の実施状況を報告しました。
それによりますと、去年は、違法薬物の密売や拳銃の所持など10の事件で、携帯電話の通話を合わせて1万3778回傍受するなどした結果、これまでで2番目に多い72人を逮捕しました。
この結果、法律の施行後、通信傍受を実施した事件での逮捕者は525人となりました。
通信傍受を巡って法務省は、新たに振り込め詐欺や組織的な窃盗、それに誘拐事件などの捜査でも行えるようにする通信傍受法の改正案を、今の通常国会に提出する方針です。