はてなキーワード: 宗教団体とは
◆第1段階「否認」
ぼっちになりつつあることに気がついたり、友人が残り少ないと周囲から認識されたときに、まず現れるのがこの「否認」です。
「これは何かの間違いに違いない」
「自分に限ってそんなことは起こりえない」
なんとかぼっちから脱出しようとしてキョロ充になりかけるのもこの頃。
一緒にいて楽しくないのに無理にクラスメイトと一緒にいたりして…今から思えば無駄な時間を過ごしたなと感じます。
◆第2段階「怒り」
「否認」が維持できなくなると、次第に自分の命が短いことを認めざるを得なくなります。
すると、「怒り」が現れます。
「なぜ自分がこんな目にあうんだ!」
「一体私が何をしたというのか!」
というように、あらゆることに対して「怒り」が向けられます。
楽しくない相手と無理に一緒にいるので当然人間関係は広がりません。自分も楽しくないということは相手も対して自分のことを大事に思ってはいないのです。
本当は無理して一緒にいるのが間違いなのですが、自分がぼっちになることを受け入れられないので周りに怒りをふりまきます。
自分が楽しいと感じられないのは周りが悪い、周りが悪いから楽しい友達ができないと思い込み、ストレスをためます。
◆第3段階「取引」
十分な「怒り」を体験した後は、もはや避けられない今の現実を少しでも先延ばしにできないものかと、交渉する段階に入っていきます。これが「取引」です。
「何か人々の役に立つようなことをするから、友達になってほしい。ぼっちを避けたい」
「もう2度と悪い行いはしないから、ぼっちだけはやめてほしい」
このような「取引」は、主に個人が勝手に決めている「友達になれそうな人(実際は相手はなりたいと思っていないし、本人も大して好きな相手ではない)」にむりやり押し付けるようになります。このあたりになると大抵の人は逆に孤立します。
◆第4段階「抑うつ」
周囲との「取引」が成立しない、自分はもうぼっちになるしかないのだ、という心理状態にたどり着くと、「抑うつ」という段階に移行します。
「ぼっちとして生きていかなくてはならないのか・・・」というぼっちへの”準備的な抑うつ”と、自己の性格を批判する”反応的な抑うつ”があります。
傍目から見るとすでにぼっちになっている上に思い悩んでいるという、どう考えても更に人を遠ざける状態になります。
ひとりで暗い顔をしている人に進んで声をかける奇遇な人は宗教団体の勧誘くらいなものです。
◆第5段階「受容」
この段階まで来ると、自分のぼっちを「受容」できるようになってきます。ゆったりとした平安な気持ちになり、ぼっちに向けて気持ちが整ったような状態になります。
自己嫌悪もなくなり、周囲へのストレスもなくなり、「もうぼっちでいいや」と割り切るようになります。
ここまでくると一人焼き肉、一人カラオケ、一人温泉、一人酒、などなどの「おひとりさま」を堪能するようになり、
周囲から見ると逆に楽しそうに見えてきますし、本人も今まで無理に人間関係を保とうとしてたのは一体何だったんだ?とやたらスッキリした表情をしはじめます。
集団心理が強い人たちから見れば奇人変人に見えますが、人によっては楽しそうでいいな、と思う人も出てきます。
逆に楽しそうにしているので人に誘われることも増えてくることもありますが、
一人の楽しさを堪能してしまっているので往々にして断ることが多くなります。
たまに断りきれずに食事をとったりすることもありますが、逆に疲れてしまい後悔することも多い。
「ぼっちになりたくない」と気をもんでいたというのに、気がついたら「ぼっちのほうが楽しい」にシフトチェンジするのです。
ウィキペディアの死の受容から改変追記してぼっちエンジョイの自分に至るまでを書いてみたが本当にこんな感じだった。
かつてはぼっちになりたくないともがいていたのに、もういいや、と思った瞬間にぼっちが楽しくなります。
今はもはや楽しそうなリア充を見ても爆発しろとは思わなくなりました。
私は一人で楽しむから、いいやと。
とはいえずっと一緒にいるわけではないのでぼっちで過ごすことも多いです。
こちらこそお返事ありがとうございます。
カルト的な宗教、信仰の仕方をしている人は自己主張が激しいからそうなっちゃうのは致し方ないかもしれませんね。
一般的に自己主張は伝統的な宗教では嫌われる傾向にあるのが現実っていうか。
でも、ここ数年で日本でもキリスト教徒が3%から6%になったなんていう話もあったりなんかします。
ああ、わかるなあ。
12歳の時にあれが起きてから、色々変なスピリチュアルも流行りましたよね、今もそうですけど…。
正直ね、宗教アレルギー起こしてる人の方が何も感じていない人より、変なのにハマりやすいんですよね。
仏教の実践重視のところとか、キリスト教のカルトなあそことか、スピリチュアルなんて一番多いです。
あれ?宗教怖いとか言ってなかったっけ?って突っ込んだら、あの時のわたしはどうかしていた、とか言い出す始末で。
現世利益ちっくな信仰って一番厄介で、その思考になっちゃうと伝統宗教のところにはなかなか入れないし拒否されちゃうから。
実際「信仰に至るかどうかで悩んでるっぽい」似たような感じでうちの教会に来てる人って確かに見かけるんですよね。
話しかけるのがいいのかどうなのかわからないから、まだ話しかけていないんだけど。
書き込みを見て、その人にちょっとだけでも話しかけてみようかなあ、と思いました。
その時になったら「与えられる」ものですよ。
あ、そうだ。
日本正教会 http://www.orthodoxjapan.jp/
ウェブサイト見て、先に知識だけちょっと積んで行った方がいいかも。
できれば、行く直前に電話もしてみたら、教える人もラクかもしれません。
暦が違う(クリスマスが1月)とか、十字の切り方が西方教会(プロテスタント含む)と左右逆とか、
正教で洗礼受けた人じゃないと前の方行っちゃだめとかあります。
(※どこの教会行っても、前の方に行くのはやめた方が無難:聖書朗読する人が座ってます)
他の方が同じ教派のひと同士じゃないと結婚できないとか言ってますが、
寛容なところなら未信徒の方だけ呼んで勉強会をしたり、「こんなことに理解を示してほしい」と要望した上で
あと、堕胎をできるだけ避けるのはどこの宗教でも言われることで、キリスト教に限りません。
丁寧にお返事くれてありがとう。
子供の頃にオウム事件あったのね、あれは大きかったと思う。あと某政治宗教団体。
自分のまわりに宗教やってる人って、某政治宗教団体くらいしか居なかった…実際はいたのかもしれないけど、信仰してると主張するのが彼らだったから余計に。
普通の事と言われて、「え、そうなの?」って思った。正直に言うとそう言われる事にまだ違和感がある。
教会は大丈夫だと思う。十分の一とも言われないし、礼拝行ってるけど個人情報ろくに聞かれなかった。
「NPO界隈の過半が『怪しいNPO』で占められてる」というのは一部の人には「常識」なんだが、
問題は、そういう「NPOリテラシー」は、言ってみれば特殊な人(NPO関係者、マスコミ、裏稼業な人)にとっての「常識」であり、
表側の人、特に新米ママ界隈だと、そういうリテラシーを持ち合わせていないママが多すぎること。
だから首捻りマッサージNPOに、「NPOなんだから・・・」と、いともカンタンに引っ掛かる
「育児支援団体の中には、怪しい団体もありますから注意しましょう」
「育児書の中には、怪しい育児書もありますから注意しましょう」というリテラシー教育をすべきだと思う。
でも、この手の「怪しい育児NPO」、意外と「市役所主催の育児支援企画」に出入りしたりしてる。
⇒「どれが怪しくて」「どれが怪しくないか」何もわからない新米ママは、
「市役所主催の企画だから、内容も間違いないだろう」と信頼してしまう
だから、首捻りマッサージNPOも、過去に「役所の公的企画に、どれだけ呼ばれていたか」、ちゃんとチェックすべきだと思うが、
「水からの伝言」「EM菌」なんかも「役所の公的企画」になっちゃってたりするので、
多分首捻りマッサージも公的企画に採用されてるんじゃないかと推測される。
「新米ママ」というのは、エセ科学団体、そして宗教団体からしたら「格好のカモ」。
だから、「妊娠出産時は、へんな団体が来ますから注意しましょう」なリテラシー教育が重要
一番責められるべきは、
「首捻りマッサージとかEM菌とかの怪しげな企画を、精査せずに安易に採用する市役所担当者」なんだが、
「昨年は育児企画を7件企画したが、今年はまだ2件しかしてない、このままじゃ来年から予算が減らされる、どうしよう・・」
「係長、いい企画見つけました!赤ちゃんの首を捻って、免疫向上だそうです!」
「よし、早速企画だ!!」
・・・というノリで、あちこちの市役所で、EM菌とか首捻りマッサージとかホメオパシーとかを企画してそうな気がする。
逆に、首捻りマッサージNPO側も、あちこちの市役所に「営業」してたんだろうなあ。
「講演料は要りませんから」なんて言われたら、財政が厳しい市役所は飛びつく。
で、講演会場で「この商材を買えば・・」と営業トーク。講演料ゼロでも元は取れる
・・・と偉そうに書いている自分だが、うちの妻も怪しげな育児書に騙されかけたからなあ。
⇒早速取り上げて、妻を洗脳解除。
○野田哲君 よろしいです。
厚生省、八月十五日が迫っているわけですが、毎年武道館で式典が行われている。昨年突如として、あの式典の正面に、どう言うのですか、掲げられているあれですね、いままではずっと長年「戦没者之標」という表示で行われていた。これが昨年突如として「戦没者之霊」というふうに変わった。この理由は何ですか。
○説明員(柴義康君) 八月十五日の全国戦没者追悼式は政府主催でございまして、厚生省といたしましては、政府の御指示により実施を担当いたしておるわけでございますが、昨年標柱の表示を「全国戦没者追悼之標」から「全国戦没者之霊」に改めるようにと御指示がございまして改めたわけでございますが、私ども伺っているところによりますと、三十八年から過去十二回実施してまいったわけでございますが、会場におきまして戦没者に黙祷をささげ、あるいは献花をいたします場合に「追悼之標」という表示では何かしっくりしないという戦没者の遺族の方々の意見がございまして、「霊」に改めたというふうに聞いております。
○野田哲君 厚生省のあなた方の方へ「標」というのを「霊」に改めるように指示があったのはどこから指示があったのですか。
○説明員(柴義康君) 厚生省は実施の方を担当いたしておるわけでございますので、内閣の方から指示があったというふうに伺っております。
○野田哲君 この式典の出発のときに、どういうあそこに表示をするかということでいろいろ国会の中でも議論が行われた。「霊」という表示の仕方、この「霊」というのは、これはある思想、宗教団体が使うものであって、宗教団体によっては「霊」というのは使わない、こういう団体もある。したがって、政府主催の場合には宗教色抜きで、憲法のたてまえによって無宗教という立場で国民の合意を得てやらなければならないということであの表示は「標」という形で行うと、こういうことで出発をした。そういう経過、あなた御存じですか。
○説明員(柴義康君) 追悼式をどのような形で実施するかということは、当初から慎重に検討されまして、宗教色を全く抜きにして実施しなければならないということであのような形で行われ始めたというふうに伺っております。
○野田哲君 ことしはどういう内容になっておりますか、その点は。
○説明員(柴義康君) 昨年と同様に実施することになっております。
○野田哲君 昨年ああいう形で実施をした、恐らくことしもああいう形になるんだろうということで、厚生省の方へ宗教団体等からいろいろあのことに対する抗議あるいは変更を求められるような要請等が行っていると思うんですが、いかがですか。
○説明員(柴義康君) 宗教団体の方々から、そのような要望があったことは存じております。
○野田哲君 いままで「標」という表示でやっておられた期間はその問題については特に問題は起こらなかった。それがああいう形に去年変更されたことによって、国民の間にあれでは困るということの声が上がり、変更を求める要請なり抗議が行っているということは、つまり、ああいう形に変更したことによって、これは国民の間にコンセンサスが得られなくなってきておる、宗教的な色彩を持ってきておる、こういうことでいろいろ宗教団体の方からそのことに対する抗議や要請が行っていると思うんです。だから、ことしあえてそれを去年どおりやるということになれば、政府のやり方は特定の宗教の色彩を帯びたやり方、こういうことになって、つまり、これは憲法に反するやり方ということになっているんじゃないかと思うんですが、この点は官房長官に後でやりたいと思っておるんですが、厚生省としてはその点はどういうふうに考えておられますか。
○説明員(柴義康君) 日本人の中で、「霊」という言葉はいろいろな意味合いで使われておると思うのでございますが、一般的に霊枢車とか、あるいは霊安所といったように死者にかわる言葉、死者を尊称する言葉として一般的に国民の中で用いられているわけでございまして、きわめて素朴な意味で死亡者を「霊」というふうに表現していると思うわけでございます。したがいまして、「霊」という表現そのものが宗教的な言葉であるというふうにはわれわれは考えていないわけでございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/077/1020/07708121020002c.html
○朝食:なし
○夕食:なし
○調子
テンションあげあげでいきますよー! とか言って、お酒を飲んでしまった。
気分よく酔えたのでよしとしよう。
○デッドライジング1
45レベル。
ケース07を攻略。
これがまあ、大変だった。
ついに最終章、ケース08へ。
そのときの「お前のやったことは許さない、だが俺が伝えてやる」というフランクさんの言葉は、もう格好よすぎだ。
「あいつはテロリストだった、だが、最後に兄貴みたいなこと言いやがって」とか、もう死んでからのカリートあげが凄い。
そして何より、それを口にするフランクさんが格好いい!
ここまで非常に滾る展開だったのだが、エンディング後セーブが入り、OverTimeモードに入った瞬間
このゲームに詳しい人ならわかると思うが、このタイミングのフリーズはかなり手痛い。
OverTimeモードをLV1からヤルか、通常モードを引き継ぎでもう一周するかの選択になるからだ。
はっきり言って、一気にやる気が失せたので、Overtimeモードはネットの情報を見聞きして満足することにした。
僕のモットーである「スタッフロールを見る」は成し遂げたわけだし、別にもうこれでいいよ。
ええと、なになに、実はカリートは孤児を使った人間爆弾ならぬゾンビ爆弾を計画していたと、
そしてフランクさんはそれをスクープするもよくあるニュースとして片付けられてしまいましたとさ、2に続くと。
ふーむ、面白いんじゃないですかね?(はっきりいって、このタイミングのフリーズは手痛すぎた)
まあでも、途中は確かにだいぶ面白かったし、フランクさんのキャラクタ自体はかなりシビれるものがあった。
是非とも再びフランクさんが登場するCASE WESTをプレイするため、2とCASE0をプレイしようと思う。(カプコンサマーセールで安く買えたし)
このゲーム熱をどこにぶつければいいのか、そうだHaloWarsだ、と思い次の項目へ進む。
○HaloWars
まずはカットシーンでスパルタン対エリート、軍曹対アービター滾ってきたあああああああ!
そしてテンションだだ上がりのまま、フォージ軍曹が身を犠牲にしてリアクターを爆発させることに、
そんな悲しいことないよ!
Haloシリーズの魅力は台詞回しとシナリオにあると思うんだけど、そのどれも特にwarsでは魅力的じゃなかった。
けど、RTSというゲーム性は正直FPSよりも好みかもしれない。
でも、ゲームへの没入度という意味ではやっぱりFPSが、HaloにはFPSが似合うかなあ。
佐用町に何があるのかなと思って調べたら天常教ていう宗教団体発見
御嶽信仰の一派らしい
よくいってたらしい豊岡市にも直霊教という御嶽信仰系の団体があった。ただ今は無いらしい
神道親導教というのが同市にあるけど御嶽系との関係はよく分からない
同系統は福岡市にはなかったが北九州市に神理教というのがある。
というのを踏まえてこのコメントをもう一度見て欲しい
「天に誓って嘘偽りはなく、現地で意見交換や政策の教示を受けるために訪問した」
あるいはあの独特なテンションを思い出しつつ次の文章を読んで欲しい
「御座(おざ)は講活動の中心をなすもので、御嶽を信仰する人々にとって共有化されたコスモロジーの上に具現化された儀式です。その儀礼は神霊を統御する力能を技術を獲得した前座と深いトランス状態になる訓練と高神との接触、交流の技術を獲得した中座という役割の異なる二人の行者が一組となって行われます。前座は御嶽の神霊を降臨させて、トランス状態になった中座の身体にそれを憑依させます。そして神霊自身に変化した中座が信者の依頼に応えて病気治癒や占いなどを行うという呪術的な儀礼です。」
「まどか☆マギカ」が良くできた(?)ブラック企業だとすると、今やってる「ハピネスチャージプリキュア」はたちの悪い新興宗教みたい。
まずどちらも被害者から搾取の仕方が上手い。「まどか」は契約時に願いを叶えてはくれるけど、日常のすべてを奪われてひたすら働き続けさせられる(働けなくなくなっても搾取され続けてしまう…)。 ブラック企業的な未来の見えない絶望感だ。
対して「ハピネスチャージ」の方はまだのほほんとした世界のようだけど、搾取の仕方はより巧妙だ。「まどか」ではとりあえず願いは叶えてもらえたけど、こちらで願い事が叶うのは仕事の成果ありきの目標だ。そのしかも仕事は完全に無給。その上恋愛禁止と人としての最低限の権利まで剥奪されている。まるで極楽を約束する宗教団体にすべてを投げ打って尽くし続けているかのような状況だ。そういえば神様も出てるしね。まあこっちは今のとこ何時でも辞める事はできそうだけど。
ああ、こわいこわい
美味しんぼが炎上なうですね。美味しんぼに限らず、震災、原発をテーマにした作品は多数あります。なぜそれらは叩かれなくて、美味しんぼが叩かれたのかについて考えてみます。
美味しんぼをフォローするようで悪いんですが、こういう話って、よくありますよね。僕の親父が好きな陰謀説では「震災はアメリカ水爆爆弾によって起こされ、原発事故は仕組まれたわなであった」みたいな。あとは某宗教団体さんも沢山やっていらっしゃいます。言葉は悪いですが、出版社においては宣伝文句となりつつあります。
問題はどの程度の宣伝文句を使うかです。「原発事故の真実」と書くのか、「原発事故をモチーフにしました」と書くのか。内容も、賛成派、反対派両方の視点から書くのか、片方だけ書くのか。あるいは取材したおばちゃん数人の視点で書くのか。それによっても違いますよね。過激さは。
その煽り加減を間違えると、今回のように大炎上になるのです。宣伝文句としての”原発事故”を否定するつもりはありません。現に読者はその情報を欲しがっているわけですし、普通な見出しよりは過激な見出しに目がいきます。本を売ってメシを食べる人たちは自然に過激な方向へいくのでしょう。
コストかかるけど、研修で2週間くらい外界と引き離すのもポイント。
マインドコントロールは、基本的にどのようなものであっても
後重要なのは、何の実際的効力も無い「儀式」や「戒律」を上手く取り入れること。
要するに、「特殊な集団の栄えある一員」という感覚を滋養するためには
無駄に賢しい奴のふるい落としになるしね。王将や居酒屋甲子園のあの馬鹿馬鹿しい業務にも
それなりの合理性がある。
マインドコントロール系の書籍はたいした数が出てないから全部読むといい。
あとは宗教団体の運営マニュアルをまとめた「完全教祖マニュアル」が使えた。
それも執拗に繰り返し繰り返し「私は駄目な人間です、しかしやります」と繰り返させる。
ある種の自発性が伴ってないと半年もたない。
フィナーレに関する目に留まったいくつかの……多くの記事と多くの部分におよそ三十年分の記憶との齟齬があり、明石家さんを軸に百字で収まらぬあれこれを書き留めておこうと。
文字起こしではなくライブで関西ローカルラジオを全国の明石家さんファンが聴けば、おそらくその数は激減すると思う。伊集院のラジオを聴きスタッフの馬鹿笑いにたちまち拒否反応を起こす関西人よりも多かろうと。
「笑っていいとも!」へのたけし乱入はたいした事件ではなかった。登場でいきなり出演者の首を締め上げるのは当時からのお約束。たけしが人選を間違えて変になった。「お笑い論を偉そうにぶっていた康夫にカチンときた」といった経緯もない。そもそも初期のいいともはアングラ芸人タモリを始めとする監督や芸術家、作家、アナウンサーら文化人が時事風俗を斬る、社会風刺を主とする番組であったのだ(田中裕子回必見の安産祈願を巡る宗教団体の抗議等々により、観覧客だけでなく視聴者にもタモリは恐怖感を抱いてしまい、ゆるいお笑い路線となった。最終週の後説で安産祈願ネタをタモリがややムキになって話していたのが感慨深い)。ほぼ初対面で髪をぐしゃぐしゃにされた康夫がむくれたのはたけしのミス。後のインタビューで「あそこで俺の首を締めかえしたら成立したのに、これだから作家はダメ」とたけしが語っていたが、芸人矜持を偉そうに語るなら当時毒づいていたタモリに(大橋巨泉なぞに認められる奴はそろって贋物だとか)いけよと思った。たけしオタクを自負する太田ならこのインタビューも当然読んでいたはずだが、フィナーレでは反撃を恐れて放りっぱなしで逃走、康夫は仕方なく傍の田中裕二に組み付いたが本気で抵抗され、諦めて壇上を降りる康夫の背中に裕二は蹴りをかます(当たってはいないが)。「あいつは、テレビの前の皆様に向けてじゃないんですよ。あれは俺に向けてやりよったんですよ」は明石屋さんの自意識過剰だと思われ。あと、いいとも降板は選手権で笑いを取ったことを責められせいではなく、制限時間オーバーで失格と裁定されたのが気に入らなかったため。
鶴瓶のヤンタンも聴いたが、同じく最初に読み上げられたリスナーのハガキが「師匠の引き際に感嘆した、素晴らしい」だったのが象徴的。共演NGが本人よりも外野、スタッフの死活問題に帰するという見解は正しいのではと考える。さんまの毒舌というより真正面からの他者批判を聞いていれば、共演を避けるよう周囲が動くのも仕方ないなと。さんまはNGが多いタレントという印象。徳光とのNGは徳光側の意向もあるのだろうが、「次番組に呼んだら俺は降板する」とからくりTVのスタッフに伝えた野村克也のケースは異例だろう。ひょうきん族にとんねるずが出演した際、石橋に今後の相談を受けたさんまは、お前らなぞ眼中にないとばかり、そのままでええんちゃうと軽くいなしてやったと得意げにラジオで語っていた(のりおは石橋はともかく木梨なんて竜介レベル、すぐに消えると言っていた)。石橋が関西芸人敵視になったのも仕方ない。夕ニャンが終了した際は「フジテレビとしてはとんねるずよりおニャン子が惜しい、大事」と素人の私も首を傾げる業界事情を報告していた。松本に関してはさんまのまんま登場時の松本へのスカシや、最近も「すべらない話」なんて掲げる自体がお笑い失格、恥ずかしいと語っていたが、吉本芸人同士、両者に重なるスタッフもいてあからさまな共演NGとはならなかったのだろう。後輩の松本が配慮していたというのもある(まんま出演後は自らの失敗と反省していたし、「まだまだ売れるわー」の連呼もそう)。浜田に関しては先輩である寛平の頭を叩く行為に怒っているという噂も聞いたが、フィナーレでミニコントしたり、太田への浜田の苛立ちを腕を抑えて笑いにしたりと決して険悪な関係ではないのだろう。
太田は談志の後継者らしく政治的に動く人という印象(談志と揉めた後、業界の偉いさんらに悪口言い触らされたとたかじんがぼやいていた)。タモリ、さんま、石橋があの芸風を好んで許容しているのかはなはだ疑問。ファンには「プロレスをせず、真剣で戦っている唯一の芸人」なのだろうが、もしも浜田のツッコミを振り切り、例の客席、視聴者へのつまらぬアピールをやったら、浜田は加減なしでケツを蹴り上げる。今田も東野も宮迫もその覚悟を持ち共演しているが、怪我でもしたら社長が吉本に大人の申し入れをしそうでなんとも。土下座事件は噂の真相で事実のように書かれていたがこちらもはなはだ疑わしい話。たけし後継に勝手に名乗りを上げるなとプロレス好きの弟子の水道橋が乗っかっただけのように思われる。太田が著書で松本批判をしたのは確かなので、ライバルとしてではなく、何が面白いのかわからぬ後輩の売れっ子がこっちにからんでくるなと、俺らウンナンとは違うからなという程度だろうと(太田は「笑いの殿堂」でメインのウンナンの悪口陰口を石塚英彦と一緒にくっちゃべっていた)。
たけしに「男気」を感じたことは一度もない。その類のエピソードが語られるたびに、正月のフジヒットパレードでの松村との初顔合わせのVTR、どこかに残ってないかと思う。最終回いいともの辞もありきたりのベタ。「似非インテリの集団」に担がれたが自虐ネタになってないのは辛かった(山下や赤塚、浅井慎平や高平哲郎に比べ高田文夫やテリー、高信太郎はいかにも山師っぽい。筒井康隆はタモリを小説に登場させたほどだが、たけしについては俺の毒舌の二番煎じ、ぐらいに考えていた節がある)。
ナイナイも当初は太田批判をANNなどで話していた。とんねるず世代で、舞台や漫才ではなく、あくまでもテレビに出たい人。芸人にダメだしするなと中居批判、下駄を履いたジャニーズ批判もやっていて、めちゃイケ共演までははっきりと敵視していた。いいともへのレギュラーが決まった際は「見つかってもうた」と嘆き(有吉のバカに見つかっちゃったの先行事例)、その「タモリ愛」もジャングルTVから始まったものだといえる。ちなみに東野のツボ芸人は「さんまのスポーツするぞ」で会話に割っていけず泣きくれたナイナイ矢部、いいとも後期の森脇健児、どSの中川礼二、現在の爆笑太田。
鶴瓶はやはり怖いという印象。関西時代はたけしの何が面白いのかわからないと問うていた(問われた相手は爆笑こそしないがニヤリとはすると答え、そんなん笑いなら爆笑させんとと)。たけしのANN開始前に鶴瓶ラジオを参考にしていたと聞き、さらに「東京進出失敗」もあり「たけし兄さん」と呼ぶように。メインではなくサブに回るのには抵抗もあったはずだが、タモリに諭されいいとも出演を続けた。タモリとは深い親交を結んだが、さらに古いさだまさしとの親交は話さなかったらしくジャングルTVゲスト出演の際の交友フリップを見て初めて知ったタモリが「え、あんた友達だったの?」と仰天していた。いいとも出演よりもさんまの「覚えてるでえ」が東京での起爆剤になったと思う。
タイトルにした香取慎吾のスピーチは印象に残った。それぞれ良かったのではないか(石橋の発言は馬鹿にしたものじゃなく本心だと思うので、タモリの反応は可哀相だった)。これ以上の盛り上がりはない、スピーチは余計という声もあるが、芸人祭りで締めればそれこそ「バラエティーのフジテレビの終わり」で終了してしまう。
駆け足が長くなった。ここでおわり。
隠蔽工作をしているのは自称拉致被害者とその家族だよ間抜け・・
本来は公安がそれを調査するんだろ?
単なる共産主義に憧れた馬鹿又は家庭内の問題=個人的な問題で統一カルトを通じて失踪しただけだろ?
自称拉致被害者とその家族は事が大きくなりすぎて「言うに言えない状況」になってるんだよ・・
その状況を支援したのが行政府=司法=公安=宗教団体=人権団体だろ?
言うに言えない状況だが「言えば良いだろ?」
何で嘘を突き通すの?
知ればしょーもない事が解る・・「正直者が馬鹿を見る世の中だと解る。」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
隠蔽工作をしているのは自称拉致被害者とその家族だよ間抜け・・
本来は公安がそれを調査するんだろ?
単なる共産主義に憧れた馬鹿又は家庭内の問題=個人的な問題で統一カルトを通じて失踪しただけだろ?
自称拉致被害者とその家族は事が大きくなりすぎて「言うに言えない状況」になってるんだよ・・
その状況を支援したのが行政府=司法=公安=宗教団体=人権団体だろ?
言うに言えない状況だが「言えば良いだろ?」
何で嘘を突き通すの?
知ればしょーもない事が解る・・「正直者が馬鹿を見る世の中だと解る。」
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1388615873/
生きる意味などありません。
(人間は)たまたま生まれてしまって、たまたま死にたくないという本能が備わっていたから生きているのです。
生きる意味が欲しい人は、生きるのが辛いからそこに意味が欲しいだけです。生きるのが辛いから、ありもしない意味を求めてさまよってるのです。
私は感動物語で感動したことが一度も無い
それを【心が無い】という人もいるが、他人の不幸話や悲劇話で【快感】になれることが人の心だというなら、私はそんなものいらない。
私はそこまで残酷には生きれない
↑
この言葉は、そのルールの正当性はどこにも保障していないくせに、
そのルールが間違っている可能性は一切認めようとしない
一方的な愛の押し付けなんて、
人を愛することが、
必ずしも人を幸せにすることだとは限らないでしょう。
物分りのいい人は自分を世の中に適合させる。
世の中に屁理屈なんて存在しません。理論的なものと非理論的なものの二つがあるだけです。ただし理論的なモノの中で、理論的過ぎて感情的に嫌悪されるモノだけが屁理屈と呼ばれます。
理論的な人間ほど、異常に感情的な一面をどこかに持ってるものですよ
そもそも理論的な人間というのは、一般人の何百倍も理論性を愛してるわけですから。
みんな知ってるかい?
…どうやら、世間も本当は気付いてるようだぜ。愛が結婚とともに終わるってことを。
一人で生きれない人間に、誰かと生きる資格なんてありませんわ。
なんかもう危ない宗教団体の人と話してる気分。
神様がそう言ってるからだ!神様を疑うなんてこの不信人者!殺す!!ってね
心に傷を持ってる人ほど
心に傷を持っている人は
自分が受けたこの苦しみを誰かにも味合わせてやりたいと常に思っています
常に情熱を持って目標を持って、前進する生き方が素晴らしいと。
そうおっしゃるわけですか。
生まれ変わる。この世で最も無駄な言葉です。どうせ生まれ変わらないんだから。そんな非現実的な妄想を抱いてないで、小さな成長をコツコツ目指しなさい。
一つの結果とは、一つの原因だけでそうなることはまずありません。
良くも悪くも物事は循環するのです。
他人を憎いと思うのは、
神様を信じてるという人達は、自分にとって都合の良いことを言う神様だけを信じています。
ですから、奥さんが何人も欲しい人はキリスト教徒になりませんし、ヘアースタイルを気にする人は仏教徒になりません。
http://web.archive.org/web/20130107032122/http://daisuisei.blog.shinobi.jp/Category/2/
http://web.archive.bibalex.org/web/20050910161451/http://pr1.cgiboy.com/S/0458284