2015-07-15

ミニマリスト批判を違う角度から展開してみる

はてブは手斧を持ったモヒカンが背景全無視で「行為」を断罪する論理荒野パラダイスだが、

手斧を投げつける手法が「個人攻撃」に見えることが多くのドラマを生み出しているとも言える。

平たく言えば「オマエの主義は知らんが、その論理展開の主張は気に入らん」という投擲だ。

「オレの生き方サイコー」なら良いが、それに「他の生き方ダメだ」と続けてクサスのが良くないってのを観て

なんかそれもまた違くね?と思ったのが、この批判を書くに至った理由だ。

自分の主張を補強するつもりで、他の論を持ってくるなんてことは、良くある。

論文は大抵「過去研究ではこう言ってる」「が、俺は違うと証明した」「が、俺は新たに良い手法を見つけた」みたいなのばっかりだ。

まり比較することそのものは、別に批判対象になるようなことじゃない。

比較が雑だったり、優位を主張する部分に誤りがあるから批判対象になるわけだ。

コレは結局のところ「スタート立ち位置が変だから、組み立てが変」なんじゃなかろうか。

思想を持たない「主義」への違和感

例えば、「菜食主義者」の「菜食主義」そのものは、「手段」だ。

宗教上の理由から「肉食を避ける」菜食主義者と、健康上の理由から「肉食を避ける」菜食主義者とは、

外側から見える行動そのものは変わらなくても、その思想的な背景である目的」は、大きく異る。

例えばミニマルアート(Minimal Art)は、視覚芸術におけるミニマリズムだが、これは縛りプレイと呼んで良い。

徹底的に削ぎ落としたその先にも表現はあるはずだという、抽象美術の一つの縛りプレイの形といえる。

これも目的は「アート」の追求であり、色数を減らすのは手段の一つにすぎない。

手塚治虫ブッダで覚えている人も居るだろうが、コーサラ国にスダッタという富豪が居た。

ブッダの説法を聞いて感動し、ハコモノを建ててブッダを誘致しようとした人だ。

ジェータ太子土地を譲ってもらう条件の「土地を金貨で敷き詰めたら」を素で実行しようとした人だ。

必要最低限のモノだけを残して全ての財を金貨に変えて土地に敷き詰めまだ足りないと実行し続けた奉仕の人だ。

目的」が明確で、「手段」としてミニマリズム実践した人、とも言える。

最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「目的」が見えない。

目的」が明確なら、その「手段」は様々である

知り合いのヒンドゥー教徒は、結構ユルイヤツが多い。日本に来てる時なら酒は飲む、とか。

手段である「主義」は、厳格な人間でなければ、そう厳密に守ることでもない。

(もちろん厳格な人が、厳格でない人を批判する事は、ままある)

まあ、どんな主義であれ、基本的には尊重されるべきだろうし、

本人の主義に関してアレコレ言うことは(同じ主義を持つ集団でなければ)、無意味干渉しかならないだろう。

ただし、それは「相手もまたそうであろう」という暗黙の了解に基づくから、そう言える。

ヒンドゥー教徒の知人は、仏教徒仏教戒律に関して「バカげている」という話はしない。

当然、仏教徒の知人も、ヒンドゥー教徒に対して「その食の制限意味が無い」という話はしない。

お互いに違う宗教を信じていても、相手のことを尊重しているからだ。

(敬意を持った上で、教義上の疑問点を話す、なんてことはある)

最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「他者の主義に対する敬意」が見えない。

自分の主義に無頓着から他人の主義もぞんざいに扱えるのでは?

結局のところ、目的も無く、自覚的自身の主義を捉えることもないので、想像力が無いのだろう。

そうした場合、「自分もそうだから、相手もそうだろう」と想像してしまっても、無理はない。

というよりも、想像することそのものが出来ないのだろう、と想像できる。

全く知らない宗教団体と事前知識無く出会うことになった時に、何がタブーかなんて想像も付かない。

自分以外に配慮出来ないのは、何も「最近はてブを騒がすミニマリスト達」に限った話では無いと思う。

あれは「症状」みたいなもので、クシャミと同じたぐいの「結果が目に見える形になっただけ」では無いか。

それは「自身立ち位置無自覚」で「他人思想的背景を理解しようとしない」という、結構怖い人達なんではないか。

まりインド人ベジタリアンに向かって「夏バテなら肉を食べれば元気が付くじゃない」と無邪気に言える怖さだ。

きっとその個々の無自覚さは、ソコココで小さな軋轢を生み、全体としてその母集団の信頼が失われていく。

最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「自分の主義に対する思い入れ」が見えない。

他者に敬意を払えない恐ろしさ

自分の正しさを証明するために、他人の主義を引き合いに出すのは、それそのもの別に悪く無い。

他者に敬意を持っていれば、引き合いに出す際にぞんざいに嘲ったりすることは、出来ないだろう。

他者に敬意を持ってさえいれば、間違いがあっても、論理構成が変でも、ちゃんと「比較」しようとするはずだ。

最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達は、きっと想像以上に恐ろしい存在なのだと思う。

  • 働くのなんてどうでもいい消費なんてどうでもいい!ふーんへーで済む話を、わざわざ執着していつまでも書いてる人は自分の思想を押し付けたいだけで、結局ミニマリストと同類なん...

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