はてなキーワード: ムービーとは
この記事のタイトルを見てこのページを開いた人達の中で、同じ気持ちの人は何人いるのだろう。
新作が発売されて間もないこの時期、水を差すようで申し訳ないとは思うが、文章として残しておきたかったので書いておく。
新作のネタバレがあるので注意してください。
私はゼルダの伝説というゲームが好きだ。昔から大好きだ。テンプレのように時のオカリナからハマり、過去作も新作もずっと遊び続けた。
おなじみのキャラクターが出ても同じようなギミックやアイテムが出ても古臭さや飽きを感じさせず、常に新しさを感じてきた良いタイトルだ。子どもの頃から遊んで、大人になった今でも夢中になれるほど好きなゲームだ。本当に大好きだ。
ゼルダの伝説のキャラクターは、本作を遊んだことが無い人でも名前ぐらいは知っているぐらい有名だと思う。主人公のリンクとヒロインのゼルダ姫。この二人は毎度違う人物だったり前作と同一人物だったり様々だけれど、だいたいの関係性は変わらない。いつだって二人は「勇者」と「姫」だ。
ゼルダ姫というキャラクターは最初のシリーズでは登場回数も少なく、メインカラクターにしてはやや影が薄かった。だけど気にしたことがなかった。だってプレイヤーの中で「ゼルダ姫」というキャラクターは特別なのだ、そう簡単に会えるものでもないと子どもながらに思っていたし、大人になった今でもその考えは変わらない。
スマブラの影響もあり、私の中でゼルダ姫=時のオカリナのイメージが強かった。そんな中で、風のタクトが発売された。ゼルダ姫のイメージが今までとがらっと変わり、衝撃を受けた。だけど、すんなりとい受け入れられた。だって彼女は性格や人間性が違ったとしても、「特別なゼルダ姫」だったからだ。
重要な時に現れ、リンクを導き、そして一緒に魔王を倒す。王道なすストーリーの中で、ゼルダ姫は物語のヒロインとして輝いていた。
その後も様々なタイトルが発売され、スカイウォードソードが発売された。これも風のタクトの時と同様に衝撃を受けた。だって、今まで特別な存在だったゼルダ姫が姫ではないどころか、序盤から会えるどころがリンクとは既にとても深い関係にあったからだ。
スカイウォードソードのゼルダは新しい存在であったが、愛らしい容姿と一途にリンクを想う姿がまさにヒロインで、すぐに大好きになった。今まで物語のヒロインであったゼルダが、今度はリンクのヒロインになった。姫ではないけれど、やはり特別な存在であることに変わりわなかった。
そしてスカイウォードソードからはゼルダという人物にスポットが当てられることが増えたように感じた。でも、そうなるのも分かる。だってヒロインだし、可愛いのだ。今まで影が薄かった方がむしろおかしいのだ。そう思った。今までリンクとゼルダ姫の関係性に恋愛の様な進展があることはなかったが、きっとこの二人は結ばれたのだろう。リンクのゼルダを救おうとする必死な姿を見て、そう思えた。
2017年3月3日、待望の新作「ブレス オブ ザ ワイルド」が発売された。
ブレワイを発売初日に遊ぶために死に物狂いでSwitchとゲームソフトを予約し、一日中遊び続けた。今までには新しい遊びがたくさん詰め込まれたゲームだった。
はじめは声だけだった姫だが、リンクが記憶を取り戻すごとに彼女がどんな人間だったのかを垣間見ることが出来た。どれだけ修行を積んでも力が目覚めず苦悩する姿、リンクへのコンプレックス…と、今までのゼルダ姫とは明らかに違う人物だった。
それから徐々に感じるようになった。彼女は、本当に「ゼルダ姫」なのか、と。
少しでも皆の役に立つため努力しているけれど報われない、「かわいそうな」ヒロインだった。こういう女性の姿を見た時、多くの人間は「守りたい」と感じるのだろう。だけど、私はそうは思えなかった。むしろ、勤勉な設定なのにどうして役に立つことを物語中なにも行う描写がないのだろう、と。
頑張る姿はこれでもかという程描かれているのに、それが報われるのはリンクの死の間際と物語のラストだけ。いくら「ゼルダはすごい人だ」と言われても、納得が出来なかった。
私は、このゲームを通して「ゼルダ姫という愛されるべきキャラクター」を押し付けられている。そう感じてしまった。
ブレワイのゼルダ姫はリンクを守ってくれない、アドバイスをして導いてくれない、ただひたすら遠くから神秘的な声を一方的に送られるだけだ。役に立つ重要なアイテムをくれたりもしない。光の弓矢だって、使えるのはラスボスだけだ。大事な場面だけ登場して、ガノンを封印するという美味しいシーンだけ持っていく。彼女は気持ちを押し付けるだけ押し付けてきて、こちらの考えは聞いてくれない。一体どうして、そんな彼女を愛せることができるのだろうか。100年の間、ひたすらリンクを待ってくれていたと言うけれど、誰が待っていてくれと頼んだのか。勝手に待ち続けて、勝手に満足しているのではないだろうか。
良くも悪くも、彼女はリンクという人間に依存し過ぎている。だけどリンクが彼女のそばにいるのは、彼女が好きだからではない。リンクが勇者で、騎士だったから。それだけだ。ゼルダの中でリンクという存在は大きいだろうが、リンクの中でゼルダという存在は比例していない。証拠も何もないけれど、少なくとも私はそう感じた。ゼルダを助けたいという気持ちを、リンクからは何一つ感じなかったからだ。
思い出を辿っていく中で、リンクの記憶のはずなのゼルダ姫目線のものばかりなのも気になった。捏造された記憶を見せつけられているのではないか、と思うぐらい。
だけど、ゲームはとんでもなく面白かった。ゼルダ姫という人間は理解できなかったが、それでもゲームをクリアできたのは彼女の姿も名前も、ほぼ記憶の中と終盤しか出てこなかったからだ。
そしてついに、ティアーズ オブ ザ キングダムが発売された。
プレイ前から、嫌な予感はしていた。ゼルダ姫という人間のゴリ押しをひしひしと感じたからだ。だけれど、ゲームはやはり面白い。空島だけで夢中になってしまっていた。そして始まった、怒涛の「ゼルダの伝説」のムービーが。
どのムービーもゼルダ姫、地上のモブキャラクターの口からもゼルダ姫、他のメインキャラクターと会話してもゼルダ姫。どこを見てもゼルダゼルダゼルダの嵐だった。
いずれ訪れる未来を救いたいと、自ら龍になりマスターソードを癒し、リンクを待つゼルダ姫。それはもう感動のシーンなのだろう。私以外の人間にとっては。
龍の泪のストーリーを終え、涙が散り地上絵になった瞬間に悟った。ああ私、このキャラクターが嫌いなんだ、と。
どうして、こんなことをする前にもっとリンクの為に力になるシーンが無かったのだろう。どうして、おいしいところだけ持っていこうとするのだろう。どうして、頼んでもいないことを勝手にやって勝手に泣いて、勝手に全てをリンクに押し付けてくるのだろう、と。
このゼルダ姫の中で、きっと「私の憧れるリンク」という存在がある。そのリンクは、プレイヤーが操作しているリンクとは違う。彼女は頭の中のリンクに依存し、そして自分の思い描く完璧なストーリーを辿ってくれると信じて疑わない。だから押し付けてくるのだ、なにもかも。
ブレス オブ ザ ワイルドもティアーズ オブ ザ キングダムも、本当に素晴らしいゲームだ。だけどたった一人「ゼルダ姫」という存在の為に、手放しにこのゲームを大好きだと言えなくなってしまった。ムービーの度に現れる姿にもテキストの中で名前が出てくるだけど辛くなり、ゲームが出来なくなってしまった。どうしてこうなってしまったのだろう。私はもう、このゲームを好きだと言える資格を持っていない。
唯一の救いは、2作も出したのだからきっともうブレワイの系譜の続編は作らないだろうということだ。新しいハイラルで、新しいリンクとゼルダ姫を見守りたい。一刻も早く、そうなってほしい。
5月7日(公開5週間)時点で11.5億ドル(25位)+0.7億ドル
5月14日(公開6週間)時点で12.1億ドル(24位)+0.6億ドル
参考
3位 アバター:ウェイ・オブ・ウォーター 23億ドル 2022 ★2022年1位
5位 スターウォーズ/フォースの覚醒 20.7億ドル 2015 ★ディズニー1位
6位 アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー 20.4億ドル 2018
7位 スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム 19.2億ドル 2021
8位 ジュラシック・ワールド 16.7億ドル 2015
11位 ワイルド・スピード SKY MISSION 15.1億ドル 2015
12位 トップガン マーヴェリック 14.9億ドル 2022
13位 アナと雪の女王2 14.5億ドル 2019 ★アニメ1位
16位 ハリー・ポッターと死の秘宝 13.4億ドル 2017
17位 スターウォーズ/最後のジェダイ 13.3億ドル 2017
18位 ジュラシック・ワールド/炎の王国 13.0億ドル 2018
19位 アナと雪の女王 12.8億ドル 2017 ★アニメ2位
21位 インクレディブル・ファミリー 12.4億ドル 2018 ★アニメ3位
22位 ワイルド・スピード ICE BREAK 12.3億ドル 2017
25位 ミニオンズ 11.6億ドル 2015 ★イルミネーション1位
44位 怪盗グルーのミニオン大脱走 10.3億ドル 2017
45位 スターウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 10.2億ドル 1999
48位 アリス・イン・ワンダーランド 10.2億ドル 2010
視聴環境は4DX、というか観た後に断言するのであればザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーは4DXを前提に作られている映画だ。
上記をレビューの1番最初へ持ってきたことの意味を大事にして欲しい。レビュワーによれば4DXでなくとも良いと評価する者も居るだろうが、個人的には本作において4DXは無くてはならないものだという印象を受けた。それほどに4DXと相性が良すぎる。
USJなどの体験型アトラクションと比較するレビュワーも多く散見されているが、USJなどの体験型アトラクションと比較しようと多くのレビュワーに思われてしまう時点で本作はそういう映画なのだ。
つまり、裏を返せば2Dで鑑賞してしまった人たちと4DXで鑑賞した人たちに断絶とも表現することが出来るほど評価の差が起きる可能性が十分にある。
そのような意味では、プロモーションの時点で4DXでなければならないと観客へ強く印象付けることは必要だったのではないかと思う。
関連した部分では物販の乏しさも失敗だったのではないか。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーを視聴した後に強く思ってしまったのは「USJで買ったマリオの帽子を持ってきて子供に被せりゃ良かった。子供ももっと気分が盛り上がっただろうに」だ。
この映画には身に着けられるスーパーマリオブラザーズのグッズが必要である。何なら応援上映があっても良いと思うくらいにはグッズがもっと充実してても良かったんじゃないか。みんなでフラワーやスターをあしらったキンブレを振ろう。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーは親にそう思わせてしまう、そういう映画なのだ。
上映終了後、退館する子供たちのキラキラした瞳は表現しようがないほどの満足感を私たちに与えてくれる。
映画館の通路で片手を挙げピョンっとジャンプする子供が多いこと多いこと、そんなはずは無いのにジャンプと共に効果音が聴こえてしまう。このレビューを読むアナタにも聴こえているんじゃなかろうか。
もしかしたらアナタはザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーをまだ観ていないかも知れない。しかし効果音が頭の中で鳴り響いた。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーはアナタのその幻聴を肯定してしまう。アナタが期待したとおりに劇中では効果音が鳴るのだ。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーはスーパーマリオブラザーズの体験そのままを映画に落とし込んでいる。
子供たちはマリオが頑張る姿を観てワクワクドキドキし、大人は数多く散りばめられた小ネタに気付くたびニヤリとする。本作はそういう映画なのだ。
このレビューをする筆者は北海道の片田舎に生まれた。北海道民が「あそこは田舎だ」と言うような地域出身である。小学校の同級生は3人だった。
筆者は高校生になるまで遊園地というところへ行ったことがなかった。初めて体験した遊園地はルスツリゾートだ。
筆者は結婚するまでルスツリゾート以外の遊園地へ行ったことがなかった。ディズニーランドへ行ったことがなかった。
考えてみて欲しい、ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーはあの超有名な遊園地であるユニバーサルスタジオジャパンのアトラクションと比較され語られる映画なのだ。USJの、ユニバの、アトラクションとたかが映画が比較されるんだぞ?
田舎の流行の発信地と言えばイオンだ、大きなイオンにはイオンシネマがある。
全国津々浦々のイオンシネマでUSJのアトラクションと比較されうる映画が登場した。その作品名はザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー(4DX版)というのだ。
都会人の皆さんは無意識に比較したのだろう。しかし田舎者にとってその比較の意味は計り知れないほど大きなものなのである。
遊園地がオラが田舎に来た。ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー(4DX版)はイオンシネマを遊園地にする。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー(4DX版)を体験した子供たちは絶対に「なんまら面白かった!また映画館さ来ようね!」と言うだろう。
そんなの任天堂にとっても映画館にとっても映画業界にとっても大勝利の感想じゃないか。
マリオを楽しんでたボクは、息子がマリオを楽しむ姿を見る親になった。
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーはそんな体験型アトラクションなのである。
駄作だ失敗作だ黒歴史だ、と散々言われてるスーパーマリオの映画だけど、実際に見てみると思いの外面白い。
レビューサイトを見ると、「カネの掛ったB級映画」と称されているが、全体的な感想としては確かにそんな感じで。
コメディ要素が多くて楽しく笑えるし、全体的に勢いがあり話のスピード感もなかなか。勢いで誤魔化しているところも多いが、細かいところはいい。そして金は使っているので、頻繁に物が壊れ、無駄にアクションが派手であるのも見どころだな。
この映画はコメディ要素とその勢いはとにかくすごくて、例えばマリオとルイージが異世界に初めて降り立ったとき、困惑していると、傍にいた優しそうなオバちゃんから「ここは武器を持たないと危険なところだよ」と警告されるんよ。でもただの配管工のマリオは武器なんか持ってないし、正直に「いや、持ってない」と言うと、オバちゃんが間髪入れずに銃を向けて「だったら金を出せ!」と脅してきたり、クッパに捕まって手を縛られて死を覚悟したら、写真を撮られるだけだったりと、とにかく笑わしにくるイカれた展開が多い。
クッパやその一味は見た目は人間なのは、CGが満足に使えない時代のものだからしようがないにしても、クッパの暴君っぷりもちゃんと描かれてるし、敵としての描写は十分。俳優がなんとなくプーチンっぽい見た目もしていると、作中で言われているように独裁者、ファシストと言われるのも、それなりに納得がいく良いチョイスかもしれない。まあ、そんな独裁者クッパもやたらとピザを注文しようとしたり、コメディ要素もふんだんにある。
そして、この映画はマリオが頼れる兄貴分として描かれており、ヒーローとはまた少し違って描き方がされている。なぜか女を口説くのもうまいし、マリオ自身も誇らしげに言う。
口が悪いし、声がオッサンすぎるから、どちらかと言えば、こいつワリオじゃねえの?と思うこともしばしばあるが。
予定した攻撃が失敗しても、焦らずにまあいいかでスルーするし、映画の締め方を見ても、本当にこのマリオは頼りがいがある描写になっている。
ちなみに黒歴史呼ばわりされているけども、今公開されている「スーパーマリオブラザーズ ザ・ムービー」には、この実写版マリオ映画のオマージュと思われる部分もちょくちょくある。舞台がニューヨークのブルックリンであるのもそうだし、二人が配管工の仕事で使う車のデザインもよく似ている。そして冒頭で仕事に向かおうとすると、車が壊れるというところなんかも。
ザ・ムービーの方でマリオが弟思いという設定があるけど、それもおそらくこの映画からのオマージュじゃないかな。ゲームにはそんな設定はないし。
ちなみに本作ではルイージはマリオの養子という設定であり、実の兄弟でも義理の兄弟でもなかったりする。だからマリオはルイージは優しい。ただし、親子と呼べるほど年も離れていないから、母であり父であり兄である、と作中で言われている。
あと、この映画ではマリオの本名は「マリオ・マリオ」となっており、実にツッコミどころのある本名であるが、作中でこの名を語ったときは当然聞いた人から突っ込まれてる。続けてルイージが「ルイージ・マリオ」と名を語るので、「2人合わせてマリオは3つでいいのか?」と名を聞いた人が発言するのは、実に笑えた。ひょっとしたらこんなしょうもないネタのために、こんな名前にさせられたのか。
参考
3位 アバター:ウェイ・オブ・ウォーター 23億ドル 2022 ★2022年1位
5位 スターウォーズ/フォースの覚醒 20.7億ドル 2015 ★ディズニー1位
6位 アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー 20.4億ドル 2018
7位 スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム 19.2億ドル 2021
8位 ジュラシック・ワールド 16.7億ドル 2015
11位 ワイルド・スピード SKY MISSION 15.1億ドル 2015
12位 トップガン マーヴェリック 14.9億ドル 2022
13位 アナと雪の女王2 14.5億ドル 2019 ★アニメ1位
16位 ハリー・ポッターと死の秘宝 13.4億ドル 2017
19位 アナと雪の女王 12.8億ドル 2017 ★アニメ2位
24位 ミニオンズ 11.6億ドル 2015 ★イルミネーション1位
44位 怪盗グルーのミニオン大脱走 10.3億ドル 2017
45位 スターウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 10.2億ドル 1999
48位 アリス・イン・ワンダーランド 10.2億ドル 2010
53位 ジュラシック・ワールド/新たなる支配者 10.0億ドル 2022
55位 ハリー・ポッターと死の秘宝 9.7億ドル 2010
ネタバレしないように気をつけるけど、一切ヒント欲しくない人は読まないで!
というか、もうこんなタイトルな時点でネタバレが嫌なら開くな。
地雷原に足を踏み込んでおいてふっとばされてから被害者面するのまじでクソ。
それでも片足失ったなら同情するけど、対して傷ついてもないくせに他人に殴り返したいだけで被害者ムーブするやつには一切の同情はしない。
さて本題。
古来のオタクなら何度も味わってきてるであろう、後付ストーリーが公式化されちゃうであろう危惧。
正しい歴史よりも多くの人が信じやすい歴史が好まれるのと同じ。
「あぁ、この映画以降は、マリオの公式ストーリーってこれになってしまうんだろうな。」って、隣で大はしゃぎする息子を横目に遠い目をしながら見てました。
もともとファミコンのゲームなんだから大した公式設定もなくてほとんどが後付だということは認める。
でも、その中で原作者が自らのイメージと矛盾がないように大切に作り上げてきたストーリーというものがあると思ってる。
ファンもそれを理解した上で、二次創作は二次創作としてのパラレルワールドで、オリジナルの世界では原作否定はNGっていうのが暗黙の了解でしょ。
今回の映画もパラレルワールドの一つでしかないと思いたいのだけど、公式ライセンスの映画ですって言われちゃうとそうも言ってられなくなってしまう。
ストーリーについてはネタバレになるから言わないけど、そもそもマリオの表情や性格のそうじゃない感がすごい。
これはCMや予告を見ていたときから感じていたことで、こいつらはマリオキャラのスキンをかぶっているだけのハリウッドキャラクター(ミニオンとかグルーとか)だとしか感じられなかった。
俺と一緒に育ったマリオはそんな顔しないし、そんなリアクションもしない。
あいつはもっと淡々と何事もこなしていって、痛み以外には関心がないような男だよ。
こんなに表情豊かにあれこれ語るような男だったら、俺はマリオなんて好きになってない。
それこそがキャラ作りで本当はこういう人間でしたってカミングアウトするならかまわないけど、それならそれでその辺りをはっきりさせてほしい。
そういう意味ではファンムービーとしてはこの上ないほどよくできていて、なんならそのままゲーム化しても楽しいだろうなって思えるくらいの完成度。
でも、ゲーム化するにしても正式ナンバリングではなくて、「スーパーマリオブラザーズ ザ・ムービー」シリーズとして展開してほしいと切に願う。
だって、これはスーパーマリオブラザーズのハリウッド解釈版でしかないから。
これからもサブキャラつかってスピンオフたくさんつくりそうな勢いすら感じられて、第二のアベンジャーズになってもおかしくないくらいには面白かったよ。
欲を言えば、どうして日本で作らなかったんだよと文句を言いたい。
いや、確かにイタリア系アメリカ人の生活シーンなんて日本人に描くことはできないかもしれないけど、リアリティ求めるところってそこじゃなくない?ネタバレ?すまんね!
シリーズ揃えたりグッズ買ったり、家族分の映画チケット買うくらいしか貢献できない男だけど、悲しさくらいは吐き出させて。
ここまで好きなようにマリオを飛び回らせることができることに対して。
みんなに愛されたキャラを自分色に染めていく作業はさぞかし楽しかったろうなぁ。
結果的に、マリオファンにとっても、そうでもないけど今後もマリオシリーズを楽しむつもりがある人にとっても、この映画は見るべき映画だということは申し上げておきます。
この映画前後でマリオのストーリーに対する歴史が変わってしまうことはほぼ回避できないから。
できれば全人類に、マリオに対する解釈の一つとして見てほしいけど。
ただ、自分みたいにこうやって受け入れる覚悟がないと、めちゃくちゃ細かい設定の矛盾とか気になって楽しめないかも。
そもそもそういうところじゃないからっていう映画なんだけど、そういうマウント取りたいだけマンに揚げ足取られやすそうなシーンは結構多かった。
あと、チコについてはみんなが言及しているからあえて触れないとして、個人的に気になったのはキノピオ。
一緒に行った我が子もダウン症なんだけど、彼ら特有の目つきに見えちゃうシーンが結構あった。
みんなデリケート過ぎて口にできないだけで俺じゃなきゃ見逃しちゃうね案件ではないと思う。
息子はキノピオが痛く気に入ったようなのでそれはそれとしてよかったねという感じではあるのだけど、もうちょっとキャラデザどうにかならなかったかなとは思った。
公式チートみたいなの平気で使いまくって攻略するのも同じようにアカンと思う。
たとえばアクションRPGなんてeasyで遊んだらボム連打からの相打ち繰り返しだけでクリア出来るでしょ。
やたらスキの少ない遠距離攻撃で遠くから削ってパターンなんて全く見切らないで終わるとかもアウト。
お前さあ……それで攻略したって言えるのか、と。
そりゃストーリーだけサッサと見たいならその方が早いんだろうけど、主人公と一緒に苦労して必死に勝ち取るから物語に意味が産まれるんじゃん。
ボタンガチャガチャしてオッスオッスしたら全部終わりじゃ、強敵倒した達成感もなくなってインタラクティブでナラティブなゲーム体験なんてもう発生しえないでしょ。
プレイヤーの悩んだ苦しんだ大変だったという体験があって初めて成立するっていうかさ、そんなのYoutubeでムービーだけ見てるのと変わらねえじゃん。
いやむしろ「あのボス偉そうなこと言ってるけどボタン連打してるだけで勝てたわw」って変な経験が付随するぐらいならムービーだけ見た方がよっぽどいいだろ。
「『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』感想。楽しいだけ、の映画」
https://www.shachikudayo.com/entry/2023/04/29/120418
「人生の意義を指し示してくれるような教養的で社会性の深みのあるディズニーピクサーと比べて、イルミネーションは深みがない、ただただ「楽しいだけ」と言われ続けてきたのだ」
と言われていて、へーって思ったけれど
でもイルミネーションの映画だってテーマやメッセージ性はちゃんとあるよね
シングだったら夢を諦めない事とか自分らしさを貫く事とか、ミニオンズだったらグルーと血の繋がらない娘達との親子愛とか
でもそれらを「思想」と表現されるとめちゃくちゃ違和感あるんだよなあ
個人的にはテーマやメッセージ性はその対象が広くて、異性愛や親子愛といった世の中に既に当たり前に受け入れられている価値観も含むけれど
「思想」って言われると現状の世の中ではまだ当たり前のように受け入れられてはいないけれど、作り手が強く訴えかけたいというイメージを持つ
それが良い悪いじゃなくて、違うもんは違うよねって話
3位 アバター:ウェイ・オブ・ウォーター 23億ドル 2022
5位 スターウォーズ/フォースの覚醒 20.7億ドル 2015
8位 ジュラシック・ワールド 16.7億ドル 2015
12位 トップガン マーヴェリック 14.9億ドル 2022
13位 アナと雪の女王2 14.5億ドル 2019 ★アニメ1位
16位 ハリー・ポッターと死の秘宝 13.4億ドル 2017
19位 アナと雪の女王 12.8億ドル 2017 ★アニメ2位
24位 ミニオンズ 11.6億ドル 2015 ★イルミネーション1位
43位 怪盗グルーのミニオン大脱走 10.3億ドル 2017
45位 スターウォーズ エピソード1/ファントム・メナス 10.2億ドル 1999
47位 アリス・イン・ワンダーランド 10.2億ドル 2010
52位 ジュラシック・ワールド/新たなる支配者 10.0億ドル 2022
54位 ハリー・ポッターと死の秘宝 9.7億ドル 2010
55位 怪盗グルーのミニオン危機一発 9.7億ドル 2013
61位 ドクター・ストレンジ/マルチバースオブマッドネス 9.5億ドル 2022
109位 Star Wars: Episode IV - A New Hope 7.7億ドル 1977
スターウォーズってすごいな
ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーを見てきたので感想を残しとく。
[視聴環境]
[事前情報]
世界興収がスゴイらしい。評論家からの評価は悪いらしい。吹き替えはマリオが宮野守でルイージが畠中とかいう奴らしい。予告チラ見した感じ、声が微妙だったので字幕でみることにした。
[どんな話か(うっすらネタバレ)]
現代のニューヨーク在住の冴えないイタリア人配管工の兄弟が、ひょんなことから異世界(マリオワールド)に飛ばされ、キノピオ、ピーチ、ドンキーコングとともに悪者クッパを倒そうとするお話。
[総評]
普通に面白かった。良くも悪くもファンムービー。映像的な革新性、脚本の秀逸さ、思わず吹き出してしまう小気味よいジョーク、心動かす感動的なシーン、胸が熱くなる激アツ展開、などはない。
かといって出来が酷いわけではなく、一応どれも及第点は取れてる、と思う。(脚本はかなり雑で突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるけど、子供向け映画にマジになっても仕方ないよね)
[おすすめ度]
劇場で何度も見たくなるタイプの映画ではないけど、人生でマリオのゲームに触れたことある人なら一回は見といた方がいい映画だと思う。
[誰向け?]
万人向け。マリオのゲームをやったことある人なら、小さい子連れのファミリーから、デートムービー、友達グループ、独り身の暇つぶしまであらゆる層に対応してる。
[グロ度]
なし。ただしギャグ演出として暴力的なシーンが多用されている。痛々しい演出は多め。(例:手をピアノで挟む)
<良い点>
・キャラクターのモーションやSE、BGMが原作を忠実に再現していて楽しい
<悪い点>
それに加えて各シーンの演出や各エピソードの繋がりがとてもご都合主義的。
どのような「ご都合」かというと、「原作のこの絵を再現したい!」→「じゃあこういう展開でこういう演出にしましょう!」というのが明け透けに見えている。
たとえば、「ベビーマリオを出したい!」→「ルイージに幼少期を回想させよう!(何の脈絡もないけど)」みたいなのが盛りだくさんとなっている。
原作再現が最優先なため、伏線を先に引いて、後で回収する・・・というのがほぼない。
ピーチ姫がSWのレイみたいになってたり、キノピオが陽気な友人キャラみたいになってたり。どれもハリウッド映画に出てくるお決まりのキャラではあるけども。
<まとめると>
どのシーンにも「物語上の必然性」がない。かわりに「原作再現上の必然性」がある。
だからマリオを知らない人が見たら「なんでそうなる???」「唐突・・・」「最初からそうしとけばいいのに・・・」「無理矢理だなあ」「この人たち出てくる意味あった?」「え?なんでみんな普通に受け入れてハッピーエンドみたいになってるの?なんか説明合った?」「こいつは一体なんなんだよ」と突っ込みどころ満載かもしれない。
が、それもこれも原作再現を楽しみにしてるファンを思ってのことだと思うので悪く言うつもりはない。
スーパーマリオブラザーズ・ザ・ムービーじゃないのは何故だろう。
幼少期におりがみで遊び、親となって子どもとおりがみで遊び、祖父母となって孫とおりがみで遊ぶということらしい。
マリオは今まさに、誰もが当たり前に遊ぶ遊びとなるべく、三度目の出会いを目前に控えている時ではないだろうか。
ファミコンの「マリオブラザーズ」が発売された80年代に小学生だった世代は、今40代から50代へと差し掛かっている。
私も二度目の出会いを子どもたちと迎え、三度目の出会いまであと少しというところまできた。
正直に言ってしまうと、ずっとマリオで遊んでいたわけではない。
プレステに衝撃を受けて、任天堂のゲーム機から離れた時期と、結婚出産子育ての時期が続いたこともあり、64とゲームキューブはスルーした。
今日、「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」を観に行った。
良いことばかりではない。
積み重なっていたこともあった。
映画の内容に触れない程度で言えば、泣く要素はどこにもない。
でも、ずっと涙が込み上げてきた。
どれだけお願いしても買ってもらえなかったファミコン。
お小遣いをためて、親の目が届かない旅行先で買ったゲームボーイ。
Switchは、どんな奇跡が起きたのか、店頭にあった最後の1個を滑り込みで買うことができた。
アドバンスやDS、3DSは、今も家族の分が引き出しにしまわれている。
ゲームの話ができる友だちは皆無だった。
そもそもゲームをするなんて、しかも女の子がゲームするなんて……と言われた時代だ。
ピーチ姫だって、クッパにさらわれてマリオの助けを待つばかりだった。
でも、時が経ち時代は変わった。
そして、ピーチ姫は勇敢に戦う人となった。
私もたくさん戦ってきた。
私たちはここまでよくやってきた。
色々なことがたくさんあったけれど、よくやってきたのだ。
がんばった人もがんばってない人も、ゲームで遊んだ人も遊んでいない人も、みんな私たちはここまでよくやってきたのだ。
あとひと踏ん張りなのだ。
映画を観ながら、そんなことを考えていた。
残念ながら同じ世代でこんな話ができる人は身近にいない。
同世代でも家人はゲームをしない人だし、友だちたちもゲームをする人は皆無だ。
ゲームの友だちは年若いか、海外勢のためこの映画を観たとしても、同じような感情になることはないだろう。
なので、駄文ではあるがここに書くことにした。
もしも、同じ時代を過ごしてきた人の目に留まるようなことがあれば、これだけは伝えたい。
私たちはここまでよくやってきた。
あとひと踏ん張りなんだよ、と。
最後に。
マリオ、本当にごめん。
これからもっともっと手元がおぼつかなくなるけれど、よろしくね。
でも、「スーパーマリオブラザーズ35」では何度も1位取ったんだからね!
まだまだいけるよ!!たぶん。
素晴らしいゲーム、映画を本当にありがとうございます。
また観に行きたいと思います。
パンツが見えなかったので星1つです
130点ヤッター! 点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。多分世間では娯楽映画という評価であり、事実娯楽映画なんだけど、ゲームという文脈においてガチだった(この辺後で詳細語りますわ)で130点なのでした。
見終わった瞬間、あれ、この映画って存外、なんか手堅くまとまってて100点くらいなのかな? 娯楽映画としてよくできているけれど、やっぱ弱点はあるよね、とは思ったのです。
主人公マリオの悩みみたいなものも、その克服も描かれてはいたんだけれど深い描きというよりはあっさりと乗り越えたし、アクションシーンの出来はどれも良かったんだけどアクション娯楽映画にありがちな失点として、アクションシーンの連続になりすぎて、ドキワク感が全体でのっぺりしちゃったところは実際にある。
あと、これはフォローしがたいけどエンドクレジット後のおまけカットみたいなの(2種)は蛇足感があった。
でもそうやって、脳内で「映画減点表」みたいなのを作り、同時に「映画加点表」みたいなのもあり、合計計算して出てきたスコアは100点だったんだけど、見終わった感情的満足感は130点だったんですよ。ズレが有る。
こういう映画ってたまにあって、それは自分が言語化できてない、なにかスペシャルな要素があるって証拠だと思うんですね。
じゃあその+30点どこから出てきたんだよというのが、この感想を書いた理由です。
主人公マリオはニューヨークで配管工業を営む青年。作中はっきりとは語られてないけれど、イタリア系移民で大家族で暮らしていて、年齢は20歳ちょいなのかな。新卒で入った会社を飛び出して、弟ルイージを巻き込み、いきなり配管修理事務所を起業して、全財産を叩いてCMを流したところから物語は始まる。
会社を飛び出した経緯の詳細は語られていないけれど、「何をやらせてもダメ」「できることがない」とモラハラを受けていたフシがあり、マリオは「自分は役立たずなんじゃなかろうか」「いいやそんなことはない、やればできるはずだ」の二つの気持ちの間で揺れている。
おっかなびっくりだし、確信はないし本当は自信だってないんだけど、ルイージに対してお兄ちゃんぶりたい気持ちだけはあって、まぁ虚勢を張っている。
映画になって肉付けされたこのマリオ像ってのは、結構好感度ありました。
主人公マリオのもってる「自分は役立たずなんじゃなかろうか」なんて悩み、誰にでもあるじゃないですか? はっきり言っちゃえば、具体的な問題の表出は違えども、全人類の99%が成長過程の中で経験するものでしょう。
それにたいして「やればできるはずだ」っていう根拠のない自分自身の鼓舞だって、誰でもやるでしょう。
これらは映画を含む既存のストーリーメディアでは、勇気とか挑戦とか言われるたぐいのテーマの類型です。この類型は多くの、それこそほとんどすべての物語作品で見ることができます。内面の問題や弱気を乗り越える勇気の話は、物語作品の王道ですから。
歴史上、ストーリーメディアはそれに対して勇気づけるための物語を何千何万と語ってきた。美しくまたはおぞましく、ハラハラ・ドキドキするような物語をたくさん作ってきた。「勇気を出す理由」「その褒美」について、あらゆる物語が手を変え品を変え洗練したストーリーを紡いできた。
そういう歴史あるテーマの歴代傑作の洗練に対して、この映画のエピソードづくりや演出が最高峰かというと、そんなことはない。マリオの閉塞感もその打開も、徹底的に演出されているわけではない。もちろん赤点ではないんだけど、その部分で言えば「凡庸なファミリー映画」ですらある。
たぶん「それ」が、映画としての物語性や演出を厳密に評価した評論家と一般ユーザーの間で、この映画の評価が真っ二つに別れちゃった理由だと思うのです。
あらゆる人々の実際の人生における、自信のなさ、不安感、でもそのなかで勇気を振り絞って、はたから見ればどんなにくだらなくてもその当人にとっては難題である目の前の課題に挑んで見る――そういう勇気に対して物語メディアは物語としての洗練や感動をもって応援してきたわけですが、じゃあそれで現実の人々の不安感や自己否定をちゃんと払拭できたかといえば、そうではない。物語の大好きな自分は、それでも物語のない世界は暗闇だと思うわけですけど、世のすべてが照らされて現実の問題が駆逐されるなんてことはなかったわけです。
でも、全く同じ問題に対して、ビデオゲームは別の方法論で挑んできました。
それは成功体験です。
問題点がある。失敗する。ゲームオーバーしてしまう。つらいね、くやしいね。でも何回かやってみようよ。工夫してみようよ。ほら!さっきよりいい感じ!よし!一個クリア!先に進めた!すごい!ほら、つぎの課題が来たぞ!ジャンプだ!パンチだ!やったぞ!進めたぞ!!
そういう、課題と克服、工夫や練習での突破、つまりは直接的な成功体験で、「キミはできるんだ!」と全存在で訴えかけてきてくれるわけです。ビデオゲームをする人にはあまりにも自明で、やらない人には分かりづらいかもしれませんが、任天堂のみならずすべてのビデオゲームの本質はこれで、これでしかないんです。
何か挑戦すべき課題、突破するべきステージでも強敵でも生産目標でも集めるべきコインでもなんでもいいですけど、課題があって、それは最初は難しくて無理かもしれないけれど、ゲームの世界を調査して構造を知り、工夫して、練習すれば、達成していける。
「努力すればなんとかなる」。
そのことを、人間の子守では到底無理なほどの忍耐(なんせ機械なので)で、何千回でも、何万回でも人間の子どもたち、時には大人にも付き合ってくれた。それがビデオゲームの達成した最も尊い部分だと思います。「レベルを上げる」「レベルが足りない」という今や日常会話でも違和感なく使えるこのフレーズには、「いまは無理でもいずれできる」「できるようになるはずだ」という、生きる上で本当に重要な価値観が込められていることがわかるでしょうか?
スーパーマリオの歴史ってほぼイコール、家庭用ビデオゲームの歴史です。そして、ビデオゲームの歴史は、「挑んでみなよ!なんとかなるよ!」というメッセージの歴史なのです。任天堂こそは、それを声高く叫び続けるゲームデザインをしてきた企業でもある。
前述のように、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は既存の物語メディアの、少なくとも映画の文脈で言えばそのシナリオや演出が傑作に達していないかもしれない。でも、そこにビデオゲームという別の文脈が持ち込んである。そしてそのことに制作陣は自覚的です。
つまり、彼らはわかっていて、わざとそう作ったのです。マリオと任天堂と、そしてなにより地球で生まれて40年になるビデオゲームという新顔の娯楽を本気でリスペクトして作ったのです。
マリオは作中「諦めが悪い」「しぶとい」とピーチ姫などに評されます。実際、マリオは映画終盤になっても結構ミスをする。敵の攻撃を食らってパワーアップが解除される、しかも頻繁に。
それをマリオは「スマートに物事を解決できない」という評価だと受け止めてちょっとしょぼくれたりもするのです。が、とんでもない。
それは「ミスをしてもなげださない」という意味であり、「ゲームの主人公」として、そして「マリオを操るプレイヤーとしての我々」としても、それは最上級の素質です。
そう考えてみると、この映画の白眉は序盤、キノコ王国にたどり着いたマリオがピーチ姫への同行許可を得るために、練習用コースに挑戦した部分だったと思い出されます。
マリオは何十回も何百回もミスをする。回転する棒にビビって飛び込めない。移動する床をうまくジャンプできない。ブロックを壊そうとして目測を誤って落下する。
そういった失敗は『スーパーマリオブラザーズ』をプレイしたことのある人々にとっては、あるあるだし、わかるし、お前もか……。なわけですよ。
でも同時に、それを何十回も繰り返せば、あんなに難しいと思えた難所もクリアできるようになるし、ピーチ姫が疲れて寝ちゃった夜中もずっとプレイして、ミスを繰り返して、ヒャッフゥ!と突破できるようになるのもまた、自分自身のことのように、わかるわけです。
『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』における「課題と勇気、挑戦」はそのようなものなのです。だからブルックリンにクッパが現れたって絶望したり家族が死んでスーパーパワーに覚醒したりする必要はありません。映画的な意味での過剰なドラマ表現をしなくても、マリオは「やるぞ!」とちゃんと理解できるのです。
ビデオゲームが産まれ、親しまれ、市民権を得て、もはや一般的な共通理解となった現代社会において、視聴者の理解や感覚はもうその段階まで達している。だからこそ映画もドラマの形を拡張して、巨大なリスペクトを持ってゲームの文脈を抱きかかえることができた。
映画もゲームも大好きな自分として、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はそのような映画であると受け止めました。
+30点はあるよ、ちゃんと実在するよ! 家族が死んだり国が滅びたり医師生命を失ったりしなくても、そんな悲劇がなくても、僕たちはちゃんと「攻略してやればクリアできるんだぜ」という、穏やかに前向きな価値観をゲームから予め受け取っているんだ。そういう意味で、とても良い映画でした。
ティアキン出るし、ずっと気になってたからブレワイクリアしたんだけどさ、あれ小学生がクリアできるの?
まあ出来る子は出来るんだろうけど、結構数絞られない?
ライネルとかガーディアンとか雷のカースガノンとか厄災ガノンとか
特に厄災さん
何で急に無敵状態になるの?
んでもって、無敵状態になったって明示してくれないじゃん
でもそれだけじゃん
だもんだから、パリィのタイミングもジャスト回避が成功するタイミングも掴めないまま、何度試しても攻撃は通らず、数少ない攻撃のチャンスも巧く活かせず、どうしてもむてきが解除されず、相手の攻撃の捌きもわからないままだらだらとダメージか蓄積されて、じり貧で負けましたわこんちくしょう
再戦したらなんか勝っちゃったけどさ、よし勝った!って感じじゃなくて、ほんとなんか勝っちゃんたんだよね、雷さんと同じく
ゼルダ、時のオカリナ以来だったからそもそも認識に違いがあるかもなんだけど、時オカはすごくナビィが有能だった気がする
設定上難しかったのかも知れないけど、戦闘途中でもヒントが欲しかったなあ
楽しかったです
やっぱアクション苦手だなあ
全体の1/3くらい進んだのにまた最初のとこに戻れって言われてハア!?ってなった
徒歩だよ
一応戻ったけど、今後も行ったり来たりの水増しされんのかなって思ったらやる気なくなった
いやまじでつまんねえのよこれ
移動・お使い自体をゲームにしてしまうってのはなるほどって思うけど、揶揄されがちなお使いゲーってのを誉め言葉かなんかと勘違いしちゃったんじゃねーのって思う
一応マップに他プレイヤーの看板(簡易メッセージみたいなの)とかいいねつけたりとかはしごとかあったりもするけど
最初に伝説の配達人っつってるのに、ステータス画面のランクは新人配達人とかなってるし
変なとこでゲームの都合いれててもうしっちゃかめっちゃかだよ
ロープレで武器99個とか持ってると普通歩きにくいよね笑ってのをガチでやっちゃった感じ
敵もいるけどみつかってもよけたりするだけだし
やたら岩がころがってごつごつしてて移動しにくい草原と山と川だけ
まじで楽しくない
ゲームを楽しみたい人間にとってはこれやるくらいなら他のゲーム、もしくは仕事してたほうがましってくらいだった
それにしても冒頭1時間で操作できる時間が15分くらいしかなかったのはやりすぎだと思うけど
そんだけムービー入れてるならがっつり世界観やら没入感高めてくれてるならまだしも、
お使いだけどNPCだーれもいなくてVR映像みたいなのだけだし
世界にまじで人がいない
赤ちゃん泣き出してたびたびあやすのも龍が如くのゴミミニゲーム思い出したわ同じ赤ちゃんあやすやつ
津田健だけどなんかねっちょりしたしゃべりかたするのが全然あってない
車もめっちゃあるのになんで使わせてくんねーんだよ