はてなキーワード: セクターとは
所詮右か左かというのは強者より、弱者寄りぐらいの意味しかない。
ついでに言うと大昔は自由主義一本だった。だけど自由主義だと世界恐慌の後の長期不況をどうすることもできなかった。
そこでケインズが「きちんと政府が金の流れを調整するべきだ」と訴え、とマルクスが「世界恐慌のようなバブルとその崩壊を防ぐために政府がすべて計画する経済が良い」と訴えた。
そうした世界はケインズ社会主義(右)とマルクス社会主義(左)となっていた。
マルクス社会主義は失敗したがケインズ社会主義もオイルショックのような重要資源の供給不足でケチがついた。
なので、ケインズ社会主義よりもさらに右である自由主義が新自由主義として復活した。だがバブル崩壊で再び長期不況に陥った。
新自由主義はケインズ社会主義の残渣が悪いと公的セクターの縮小と、法人税、累進所得税の減税を進めさまざまな構造改革をしていった。
この時点では右は新自由主義に乗っ取られ、左は経済政策の依り代を失ったため何も考えず新自由主義になった。つまり経済政策では両方とも新自由主義になったため経済政策としてみると右左ともかつての基準で見れば極右になってる。
◇戦闘準備
・艦長スキルは危険察知・最後の抵抗・(アドレナリンラッシュ)・抗堪専門家・(基本射撃)・無線探知・隠蔽処理専門家
()内は必須ではない、ジュトランド以降は基本射撃と管理を交換している
⇒敵駆逐処理を最優先
⇒駆逐処理を最優先のため11.1kmの射程で十分、それ以上は隠蔽に入れないデメリットが発生
・アップグレードは弾薬庫改良・水中聴音改良・魚雷発射管改良・操舵装置改良・隠蔽システム改良
・旗は特につけていないが、つけるなら消耗品準備時間と火災発生率と爆沈防止ぐらい
⇒貧乏性なのでつけてません
◇戦闘前
・空母・レーダー艦の有無(最初はWikiの消耗品のレーダーに一覧があるので見比べる)・敵駆逐をチェック
◇戦闘全体
・チャット欄は活用する(敵駆逐の位置・戻れ・援護を求む・push plz rador plz)等
・対駆逐接敵体制は無線探知角度を12時として7時8時(4時5時)ぐらい(敵巡洋の後ろを向きたい)
◇戦闘序盤
制圧戦なら真っすぐCAPポイントに後ろから突入(ケツキャップ)・通常戦ならマップ真ん中に隠蔽ラインが重なるまで進んで接敵体制
□対空母
⇒無線探知場所を味方空母に教える(特にロケットが敵駆逐付近に向かおうとしているときは)
⇒第一は味方巡洋艦の列まで下がる、下がれず発見されそうなら発見される前に煙幕
発見される前(5km)ぐらいから煙幕を徹底(艦の向きすら教えたくない)
□対レーダー
敵2つ以上レーダー艦がいれば先ず間違いなくキャップはできないのでキャップはするが後ろ向いている筈なのでレーダー後即座に引く
真っすぐに逃げるのではなく交互に舵を入れて滑りながら逃げていく
□対駆逐
基本的に、自分が発見されていないときは撃たない(味方に撃ってもらう分には自分の体力は削られない)
自分が発見され、ヘッドオン状態なら撃つ(すぐ隠蔽に入られるなら撃たない)
敵駆逐が撃った瞬間に煙幕使用・煙幕射撃⇒レーダー艦居る場合はレーダーが来るので煙幕射撃しながら逃げる
相手も後ろを向いているときは、敵レーダーがいる場合後進入れてスポットしにいく
敵レーダーがいない場合は前進1/2速でスポットしにいく(発見・被射撃後即煙幕前提)
◇戦闘中盤以降
2002年米国でジョン・ホプキンス市民生体防御戦略センター(CCBS)や戦略国際問題研究センター(CSIS)が主導、
軍司令官やジャーナリスト、大統領顧問、FDA委員、CIA上級職員などが参加した
高伝染性病原菌を用いたバイオテロ攻撃シミュレーション「オペレーションダークウィンター」の結果によって
・大規模な民間人の死傷者の可能性に加えて、政府への信頼の喪失、それに続く市民の混乱、および秩序を回復しようとする当局による民主的プロセスの違反、不可欠な制度の崩壊の可能性があること
・政府のさまざまなレベル(連邦、州、および地方)の間、政府と民間セクターの間、さまざまな機関と機関の間、および官民セクター内に主要な「障害」が存在すること
・十分な準備がない場合、病気の拡散蔓延を防ぐための十分な薬物や機材の欠如が政府の選択肢を著しく制限すること
・情報管理とコミュニケーション(たとえば、報道機関への効果的な対処、市民とのコミュニケーション、あらゆる組織レベルでの指揮統制に必要な情報フローの維持)が危機/結果管理の重要な要素になること
・高伝染性病原体の拡散蔓延の防止には、倫理的、政治的、文化的、政府運営上、および法的重大な課題が存在すること
が明らかになりました。
新自由主義の元、ある公的産業の費用削減に、そのセクターに関わる人間を悪者にするというのがある。
教育も、介護も、基礎研究も、児童保護も、図書館も、皆それでぼろぼろになってしまった。
で、医療費削減のために老人を悪者にしてるんだろうねっても感じるね。
むしろ、これほどのパンデミックを見れば医療費こそが大事だということがいえる。日本のコロナの抑制はCT検査普及率が関与してるんじゃないかという話もある。
けど、新自由主義と、財政均衡主義の財務省はそれを苦々しく思ってるだろうから、まずは老人に石を投げさせようと。老人はコロナで死んでも構わないという方向に誘導する方向で。
ただ、資金の需要(資金調達しての支出)と供給(貯蓄)は、一定期間の集計後に一致するので、企業が資金調達するようにせずに財政均衡を狙うと不景気になるだけなんだけどね。
経済成長と「生産性で人間をはからせない世の中」は両立するのか?という問いがあった、
私は経済学で博士課程に在籍している。経済成長論は専門ではないが、ここにある
という表現があまりにも経済学者一般の成長に対する考え方とかけ離れているように思ったので、経済学者が考えている成長について述べていこうと思う。
経済学において成長の源泉は大きくいえば二つある。一つは資本蓄積、二つ目は技術進歩だ。資本蓄積とは、端的に言えば人が生産したものを貯蓄し、資本を蓄積することで、1人当たりの生産量(労働生産性)をあげ、豊かになっていくというモデルである。ロビンソンクルーソーで例えれば、木を切ってすぐに使わないで貯めていき、それで木を切るための道具を作ったり、船を作ったりすれば、時間あたり(人あたり)の(木、魚などの)生産量が上がる、というような経路を考えればいいだろう。
もう一つの源泉が技術進歩である。ロビンソンクルーソーがいくら木などの資源を蓄積したところで、そのうち彼には使いきれないほどの資本がでてくるだろう。彼が持続的に豊かになり続けるためには、彼の持っている技術のレベルを超えて、電気や自動車などの新しい技術を発明していく必要がある。持続的な成長のためには資本蓄積だけでは不十分で、技術進歩によって生産性を向上させていくことが必要である、というのが経済学者のコンセンサスであると思う。経済学部でソローモデルなどを習った人にはこのメッセージは聞きなれたものであるかもしれない。
このロビンソンクルーソーの例えだと、資本蓄積と技術進歩ってどう違うの?という考えが出てくると思う。どちらも本質的には今期の消費や余暇を犠牲にして、将来の生産に役立てる行為のように見えるからだ。これは上にあるような絶えざる我慢、努力によって「生産と消費を増やすことを常に人々に強いる社会」のように思えてくる。
資本蓄積と技術進歩の大きな違いは、技術(知識)が公共財であるということだ。つまりロビンソンクルーソーが自動車を発明しなくても、誰かが自動車の作り方をみつけ、それを彼に伝えることができれば(理論的には)彼は自動車を作ることができる。このように、他者に渡してもその価値が損なわれないものを経済学では非競合財という。考えてみれば、社会における進歩に私たち個人の努力は殆ど関係がない。一人の人間がいくら怠けても鉄道、電気の利用、インターネットなどは発明されていただろう。そして私たちは努力をしなくてもそれらの恩恵を享受することができる。ある人が20年前と今で(同じ金額で)買えるものは大きく異なるだろうが、それはその人が絶えざる努力をしたからではなく、技術が進歩してそれが社会に普及していったからだろう。
このように、個人の絶えざる努力を通じて「生産と消費を増やすことを常に人々に強いる社会」という考え方はあまり経済学者の中では一般的ではない。成長論の一般的なモデルでは、社会は生産セクターと研究開発セクターに分かれている。研究開発セクターが発明・開発を行い、その成果が生産セクターに波及することによって経済成長が起こる。研究開発部門は特許などを通じて利益を得て、研究者に給料を払い、持続的に技術進歩、成長ができるような経済が実現するようにモデルが組まれている。
この経済成長のある世の中で、人間は生産性ではかられているだろうか?この「生産性で人間がはかられているか」という表現は極めてあいまいだと思うが、試しに「生産性によって人の待遇(富、名声)などが決まる社会」を考えてみよう。ちょっと考えればこれは度合いの問題こそあれ、経済成長をしている現代では当てはまらないことのように思える。例えば生産性が皆無である乳児の死亡率は下がり続けている。ALS患者の皆様が介助を受け、政治家として活動ができるようになったのはこの経済成長がある現代ではないだろうか。
また経済成長を追い求めないことが「生産性で人間をはからせない世の中」に近づくのだろうか?ちょっと考えればそんなことはないと分かると思う。例えば経済成長がほとんどない中世などで人々は生産性で測られていなかっただろうか?乳児死亡率は高かっただろうし、十分に働けない人間は野垂れ死んでいただろう(これはちょっと誇張かもしれないが、少なくとも現代の日本よりはそうであろう)。これが果たして「生産性で人間をはからせない世の中」だろうか?
現代において経済成長を止めた社会が「生産性で人間をはからせない世の中」と両立するだろうか?仮想的に研究開発など、技術進歩につながる行為を一切止めた社会を考えてみよう。それで果たして生産性で人間ははかられなくなるだろうか?注意すべきなのは、個々人の生産性の差は静的なものであり、経済成長と無関係に存在するということだ。私が1時間に10人をレジでさばくことができ、Aさんが1時間に15人をレジでさばくことができるとしよう。果たして技術進歩が完全に止まったとして、私とAさんの地位は変わるだろうか?引用した議論では、現存している生産性の差と経済成長が関係しているように暗に仮定されているが、それは少なくとも私にとっては全く自明ではないと思う。
すいません、また後で書きます。
田舎で土地とか家とかそれなりに持ってて、親戚が多くて、食費があまりかからなかったりすると430万で全然OKだろ。
地縁血縁かなぐり捨てて東京で地方出身者同士で結婚してタワーマンション買っちゃったような世帯年収2000万よりよっぽど豊か。
大学だって地域二番手くらいまでの進学校で不通に勉強してれば地元駅弁くらいは余裕で行けるけど、奨学金借りて一人暮らしして日東駒専じゃ元はとれない。
地方には仕事がないってみんな言うけど、県庁所在地まで通勤できればそれなりに経済は回ってる。公的セクターの雇用もある。厳しいのは確かだが。
要するに地に足のついた考え方ができるかだよね。
市民、あなたはコンピューター様について何か誤解をされているようです。
パラノイアは1984年に発売された、冷戦下の赤狩りを皮肉るブラックユーモアに溢れたTRPGです。
舞台となるアルファ・コンプレックスは、サンフランシスコ地下にあるコンピューターの制御するシェルター都市である。小惑星の地球への衝突によりネットワークから孤立した各都市のコンピューターは、断片的な情報から共産主義国家の核攻撃中にあると誤認。結果、すべての都市は共産主義者に制圧され自都市だけが正常に営まれていると結論するに到った。以後数百年に渡ってコンピューターは「共産主義の攻撃」と「汚染」から市民を守護するという妄想を達成すべく、都市の人類が外に出られないように隔離し、独裁的・専制的・全体主義的な支配を行っている(ちなみに、XPの時点ではコンピューター歴214年である)。人類の自由を奪うコンピューターの支配体制は、かつてのアメリカが持っていた妄想的な「悪の共産圏国家」のイメージそのものである。共産主義者の攻撃から守るという名目で共産主義的な社会を作り出すというのは大きな矛盾なのだが、コンピューターはすでに狂ってしまっているのでそのことには気づけていない。
つまり、パラノイアでは市民は狂ったコンピュータ様の支配の下、特に存在しない脅威と戦い、どうでもよいミッションを遂行しつつ、適当な人を反逆者として今日も粛清しているのです。(ZAP! ZAP!)
アルファコンプレックスではこのような状況が長く続いたため、科学技術も衰退しきっています。
車に乗れば走っている間にタイヤが外れ、エレベーターに乗れば落下をし、銃を撃てば暴発します。
プレイヤーはみな疑心暗鬼です。理不尽なミッションを遂行するふりをしながらお互いに監視をしあい、隙あらば反逆者として仲間を処刑しようとします。
なかなか狂っていますね。でもゲームブックはさらに狂っています。
市民はセキュリティクリアランスに従い情報が制限されています。そしてプレイヤーのセキュリティークリアランス 赤(R: レッド)はルールブックを読むことができないのです! プレイヤーはわけもわからないままアルファコンプレックスに放り込まれまることになります。
ひょっとしたら自分で遊ぶよりも他人が右往左往している姿を見る方が面白いかもしれません。素敵なリプレイを紹介しましょう。
作り込まれたネタと表現力が魅力です。冒頭を抜粋してみます。こんなノリが好きならオススメです。ちなみに太字はプレイヤー名です。
みなさんは、いつものように仕事へ出かける前の朝食をいただくため、食堂に集まっています。
食堂は収容人数3000人ぐらいの、カマボコ型の天井をした、とてつもなく広い体育館のような場所を想像して下さい。
その中央を長いベルトコンベアーが貫いており、その上にはポリカーボネートの皿に乗った灰色のペーストが並んでいます。
直に匂いを嗅ぐと涙が止まらなくなる強い刺激臭と、スチールのスプーンすら溶かす強烈な味がしますが、食べてもすぐには死なない程度の安全性は保証されてい ます。
腹を空かせた市民達は、コンベアーに群がり皿を受け取ると、思い思いのテーブルについて食事を始めます。
食べ慣れていない市民などはスプーンをペーストに長く漬けていたため、スプーンを溶かしてしまうなどといった粗相をするものもいましたが、食事はおおむ ね……失礼しました、完璧に幸福に進んでいきます。
STAR-R:いやぁ、コンピューターのくださるお食事はいつ食べても美味しいですね~
Rese-R:当然だね。疑いようもなく、我々は幸福だ。
食堂には、より幸福に食事を楽しめるよう、娯楽としてテレビまで用意されています。
Rese-R:それにしても、いったいどんな番組が流されているのだろう?
ちょうど食事時の人気番組である「電子顕微鏡の世界」というのが放映されています。
この番組は、様々な金属の電子顕微鏡の映像を延々と流し続けるというもので……ちなみに、今日のテーマはベリリウム(原子番号 4 の元素。記号Be 原子量 9.013)です。
Rese-R:いよいよ、明日は「ホウ素」か、いゃあ~、楽しみだなぁ!!
STAR-R:まったくです。こいつぁ目が離せませんね。
(注: 本来の名前表示は「個人名」-「クリアランスイニシャル」-「ホームセクター」-「クローンナンバー」でしたが、読みやすさのため「個人名」-「クリアランスイニシャル」に変更しました)
雰囲気が伝わったでしょうか。
自分と同じ会社で働いていた若者がブログ(銀行員を辞めたい銀行員へ!僕は三井住友信託銀行を辞めた)を書き、良くも悪くもバズっていた。
メガバンクと違い、普段ほとんどメディアに取り上げられない会社なのでびっくりしてしまった。
自分も彼と同じ会社で働いていたが、「そんなに悪い会社じゃないよ!!楽しかったよ!!」と言いたいので匿名で記事を書きたいと思います。
支店勤務
転職して1年くらい ←いまここ
・どこでもよかった。反省はしていない。
大学時代やりたいことがなく、
「そもそも働いたことないのに働きたい会社なんてわかんないよな。とりあえず3-5年一生懸命頑張って天職見つけて転職しよう」と適当に考えていた。
実家も貧乏で余裕はなかったし景気も悪かったしストレス耐性には自信あったのでとりあえず給料もらえて安定的な大手金融に行こうと。
適当に就活頑張って、ここ以外にもメガ2つと生損保1つずつ、ついでにインフラ企業に受かって、一番キャラクターが合いそうなところに入った。
・居心地がよくて5年以上いてしまったが、後悔はしていない
・一言には言えない。メガバンクやりそにゃより小さい癖に、それ以上に会社内でカラーがバラバラすぎる印象
・明らかに風通しは良い。若手(20代)が部次長に意見しても全然怒られない(一部部署は除く)
・ジェネラリストよりもスペシャリストを優遇する雰囲気があると感じた。しっかり勉強してバリューだせやと。
ちなみに資格取得は最低限で良い。1年目で全部取れて、2年目以降は自分の勉強ができる
・30代以上は銀行員らしくない、変わった人が多い印象。合併して就活の世界でもプレゼンスが出て、
良くも悪くも普通な人が年々増えていった印象がある。
・やりたいことが見つかった
・そのやりたいことは、この銀行でも実現できることだったが、会社まるごと移ったほうが良さそう(総合的判断の結果)
・そもそもいつか辞めると決めていた
・労働時間の長さ、内容の高度さはメガ以上と思われる。労働強度が高い。
・その代わり、クソみたいな仕事は少ないし裁量が与えられる。やってみなはれの精神
・(直接関係ないけど)そもそも、今の若手銀行員がつらいのって、下記あたりが原因かな。
①ファイナンスの高度化が進み、メインバンク制がなくなって、銀行が他企業に対して出来ることが減った
②合併とリストラにより本部セクターの席が減り分業も進んだ結果、若い人はソルジャーと化し、クソみたいな商品を売りつけることだけが仕事となった
・辞めることは別にいいと思うけど、パワハラやノルマがキツイっていうのが退職の理由の場合、
なんで就活の時にちゃんと調べなかったんでしょかね。いくらでも情報転がっているだろうに。自信あったのかな
(地方の場合は、ほかに良い就職先がないという切実な理由があるから仕方ないところはある)
・仕事頑張って、「面白い仕事やらせろ!」ってアピールして、叶わなかったら辞める、くらいでよいと思う
自分の場合、ここのあるあるの2,3割は納得できるものでした。
最近、同じように銀行や信金を辞めた人と会うことが多いが、銀行カルチャーはSMTBは控えめな気がする
「自分はマシだったんだな」って思うことが非常に多い。
1:自分らしく生きれるようになった
銀行員を辞めたことで、仕事中に人の評価を気にすることはなくなりました。『人の評価』を気にすることは予想以上に、心に負担をかけます。
⇒どこの会社でも人事評価は気になるのでは、、、そして、SMTBの人事評価なんて自分でコントロールしやすいほうだろうに
ていうか人事評価が気になったら自分らしく生きられないんですかね。まじめな人なんですね。
事務手続きに毎日6時間、無駄な会議、無駄な勉強会、使わない資格の勉強、規定を読む時間、上司との飲み会などいくらでもあります。
⇒事務手続に6時間。どんなブラック支店、部署だろう。18時に営業から帰ってきて2時間で事務やってかえるよね普通
上司との飲み会はほどほどでいいのは合意。自分は3か月に1回くらいしか会社の飲み会なかったけど
6:失敗を恐れずに何事にも挑戦できるようになった
失敗したら評価下がるなんてどこの会社だよ。みんな失敗ばっかでしょ
銀行員になって感じたのは「お客さんは銀行の看板に魅力や安心感を感じ、商品を買う」ということでした。
そこに「僕の価値がほとんどない」です。銀行員を辞めて『自分の能力、知識』で勝負し、仕事がうまくいった時に感じられる喜びは大きいです。
⇒じゃあなんであんなに社員間で成績に差がつくんですかね、、、
看板がないとお客さんが話聞いてくれないとは感じたけど、商品を買ってくれるかどうかは個人の頑張りだと思っていました。
⇒分かる。紙と印鑑はどんどんなくすべき。実際に本部セクターは紙文化は目に見えて減っていった。
⇒支店旅行はクソなので排除すべきだが、SMTBで今でもやっているのは某西日本の2,3支店しか知らない。
制度があるまでは言えないのでは
⇒自分が新人の時はまだ手書き日誌があったが、2015年以降なくなったはずでは・・・
融資案件、定期預金の預かり残高、投資信託、生命保険、医療保険、平準払い保険、住宅ローン、贈与関連商品、教育ローン、クーレジットカード、遺言、不動産などのノルマが20種類以上あります。
⇒全部達成しなくても評価されてたけどね。で、全て達成して今でもSMTBで頑張ってる人いますよ
いろいろ思うことはあるけど、一度同じ会社に入った仲間だし、どんな人かは気になる。会ってみたいもんよね。
今後とも頑張ってほしい。終わり。
きららクールジャパンコンテンツで売れない、つまり成長がないコンテンツの特徴
きららクールジャパンコンテンツって売れtelのは親クラスやセックスワーカー、恋人に見せてウエってならない、『デキる人』はみんなそうしてるのが多そうでもある。
要は毎回露骨におっぱい出したりエロい事(LGBT営業とか)したりしない、それに私はこんな所でくすぶる気はないエッグ。欧米で通用する俺たちはポルであればあるほど話題にフレキシブルに対応する日本ならまだ通用するけど
売れてないエッグはきららスキームも含めてポルセクターがかなり似通ってて毎回エロくしないとグローバルな視点から見てNG的な強迫観念さえフィードバック。
コンツェルンがグローバル的な観点から視ても安堵できるきららクールジャパンコンテンツはミリオン人受けするし売れるんだろうな(苦笑)。
保守政党は地域での相互扶助というコンセプトが大好きだから、何らかの形で制度化したいんじゃないかな。
共助社会の実現ってやつね。
既存の民生委員システムを活用するのも良いし、今イマイチパッとしない地域型保育事業にバリエーションを加えてもいい。
町内会単位で寄付しあうとか、それを税額控除するとか、NPOやNGOが仕切っていくとか、いろいろできれば良いだろうけど、
一朝一夕には実現できなさそう。
今は子育て政策が重要だというコンセンサスがあるので、公共セクターが税金を投入して何かするのが手っ取り早い。
覚えるなら商品名ではなく、成分名の「ケトプロフェン」の方がイイと思うよ。
モーラステープは危険だからと思って、ケトテックステープを貼った・・・なんてことにもなりかねないからね^^;
貼り薬
モーラス30(久光)・ケトタックス(ラクール)・ケトラニール(三友)・タッチロン(救急薬品工業)・ニックールK(マルコ)・ミルタックス(第一三共)・リフェロン(沢井)・モーラステープ(久光)・ケトテックステープ(ラクール)・パテルテープ(大石膏成堂)・ケトプロフェンテープ(マルコ)・タッチロンテープ(救急薬品工業)・フレストルテープ(東和)・ライラテープ(テイコクメディックス)・レイナノンテープ(シオノケミカル)・ロマールテープ(富士カプセル)・ペステックテープ(前田薬品工業)
塗り薬
エパテックゲル/ローション/クリーム(ゼリア)・セクタークリーム/ゲル(久光)・セクターローション(久光)・メナミン軟膏(中外)
これ全部同じ成分だから。