はてなキーワード: クスクスとは
私(A)が3日で辞めた人生初のアルバイト先では、従業員の洗脳が行われていました。
だいぶ時間が経ったため、そのとき見たことを日記にしてみたいと思います。
1x 歳のある日、家から遠くなく初心者歓迎とあったカフェの求人を見かけて応募しました。
翌日早速連絡が来て面接を受けることになり、そのカフェで 30 分ほど話をしました。
前回の面接時に「x 日 x 時にまた来てください」と言われたので、てっきり事務的な手続きを行うと思ってカフェに来ると、いきなり勤務が開始しました。
学生のバイトは、少し怖くて気だるげな女性の先輩たちと、優しそうだけど生気を失った男性の先輩が一人。
先輩に店内を案内してもらっていると、背後から「おい、挨拶しろ!!」と声が。
もちろん初めて見る人でした。
偉そうなその人がオーナーであると先輩に伝えられ、仕方なしに愛想よく挨拶しましたが、無視。隣にはクスクス意地悪く笑う妻らしき女性。
旦那が煽り運転したときに被害者をガラケーで撮影するおばさんが脳裏をよぎりました。
思ったほど歓迎されていない雰囲気に緊張が絶えないでいると、明るい声が聞こえました。
「君は新人の A さん?僕は B って言います!新しいバイト大変だと思うけど、よろしくねっ!😁」
笑顔が素敵でかっこいい、親しみやすそうな男性社員 B でした。
この人がマインドコントロールの主です。
その日は初日ということで、配膳のみ担当することになりました。
退勤時間を知らされていなかったので、いつまで働くのかと不安になりながら働いていると、半日ほど経ったときに社員 B に声をかけられました。
私服に着替えて空いた客席につき、社員 B と面談することになりました。
最初は給料の振込先などを聞かれたため事務的な手続きが目的かと思いきや、話はどんどん精神論のような説教に逸れてゆきました。
「まだできることが少なくて悔しいだろ?"あの先輩を超えたい" って思うだろ?」
あまりぴんと来ていませんでしたが勢いに押されてハ、ハイと答えました。
「その言葉が聞きたかった。A さんなら本当にできる。超えられるよ、先輩全員を」
あまり成果を出せた感覚がなかったので、出会って数時間である上基本的に厨房にしかいない社員 B は、無根拠に私を信頼すると言っているように感じられました。
しかしながら、やる気を引き出すための軽いお世辞という感じでもなく、じっとこちらを見つめる妙に真剣な眼差しがまるでマルチの勧誘のようでした。
次回以降の勤務日程について何も知らされていないためひょっとしてバイトの話はナシになったのだろうかと考えていると、数日後の 22 時頃、初日に LINE を交換した社員 C からメッセージが届きました。
来てくださいって、たまたま大丈夫だけどさ、用事あったらどうするんだ。
その日も初日と同様退勤時間は知らされていませんでした。先輩や社員に尋ねてもたらい回しにされるだけで、結局何時まで働くことになるのかわからないまま勤務を始めました。
初めてのバイトだったので、当時はこんなものかなとなんとなく納得していました。
その日は、先輩にハンディ(スマホ)を使った注文のとり方を教わり、お客さんからの注文をとることになりました。
しかし、使い慣れない機器と記憶していないメニューで注文をとる際操作に失敗してしまいました。
「A にオーダーやらせんなっつっただろうが!A はなーーんにもできねぇんだからさ!!A の失敗はお前の責任だからな!!」
もちろん私に聞こえるように言っています。
ふてくされた先輩は私に「もうオーダーはやらなくていいから」と冷たく言い放ちました。社員 Bは、「A さぁーん、オーダーはやらなくて大丈夫だからねぇー😊」と、猫なで声で言いました。
その後も社員 B が「A がさぁ……」と女性の先輩に何かを話し、直後先輩が何かを注意しに来る、ということが何度かありました。
社員 B は、私に対する威嚇は間接的に行うのみで直接強い態度で出ることは一切なく、必ず部下を使って "指導" を行わせました。
また、こうして笑顔で "フォロー" を行いました。そして、先輩の苛立ちの視線が自分に向けられ始めたことに気がつきました。
その日も唐突に退勤を促され、今度は若い男性社員 C と面談を行うことになりました。
気弱で声が小さく、誰の前でもおどおどしているタイプでした。
経験上こういったおとなしいタイプの人は意外と豊かな世界を持っていることが多く、今までよく仲良くできてきたので、社員 C とは打ち解けられるかもしれないと期待しました。
しかし、社員 C は初めて出会った瞬間から警戒とも異なる、敵意のような態度を向けてきました。
ことあるごとに近寄ってきてはぼそぼそと小さな声で小言を言うのですが、内容は抽象的な言葉ばかりで、小言の目的が後輩の教育ではなく上に立つための嫌味であることはすぐに分かりました。
C「…… x 月 x 日は出勤できますか」
私「その日は難しいです」
C「……それはさぁ……なんでですか……!」
C「……それって何時から何時まで……なんですか……!」
C「……実験の内容って……何なんですか……!」(本当に知りたいのか?)
以下続く。これを 31 日分行います。一言一言に棘を演出しようとしている努力は伝わりましたが、すべて聞き取るのに苦労するほどの音量でした。
正直社員 C にあまり怖さを感じていなかったので、途中から理由はすべて「私用です」と答えるようにしました。
C「……私用って内容は何ですか……!」
私「だから、私用です!」
苛立って語気を強めてしまい顔をあげると、社員 C は目を腫らしてうつむいていました。
新人バイトが強めに言い返しただけで泣くとは思わなかったため動揺しましたが、この尋問は社員 C が誰かにやらされているものであると気づきました。
やらせている人間は間違いなく社員 B であると勘づきました。
社員 B は、勤務中常にネチネチと社員 C をいじめていました。
人間性を否定するような言葉はもちろん、社員 C が作った料理を調理器具ごとガシャーン!と目の前でゴミ箱に捨てたり、執拗に小突いたりしていました。
社員 C はやらされているとはいえ私に強く当たることがあったため味方をする道理はありませんが、同情せざるをえない部分がありました。
もはや退勤時間が知らされていないのは当然です。
一応尋ねましたがやはりたらい回しで結局わかりませんでした。
その日は先輩からレストランフロアの床を雑巾で水拭きするよう言い渡されました。
(出勤初日に知りましたが、併設の喫煙や飲酒ができる薄暗いレストランもなぜか仕事の範囲に含まれていました)
今ならレストランの土足スペースの掃除は普通モップでやるものだとわかりますし、あの言いつけは嫌がらせだったと思います。
お客さんからの視線も痛かったですが、当時の私はたとえそんな仕事であっても一人で作業できる分ほっと嬉しく思うくらい、他の従業員と関わる仕事が嫌になっていました。
そしてこの日も退勤後に社員 B との面談タイムがありました。
「C 君に聞いたよ、全然出勤してくれないんだって?だめじゃないか!😊」
面接時に「土日も出勤できますか?」との問いにハイと答えていました。
社員 B はこれを「土日はすべて出勤できる」と曲解し、土日に出勤できない日が 1 日でも存在することを責めているのです。
B「都合とか仕事内容とか、バイトでどうしてもうまくいかないときがあるよね。そういうとき、どうすべきだと思う?」
私の返答は社員 B にとって想定外だったようで、笑顔が一瞬引きつったように見えました。
しかし、笑顔を保ったまま「ううん、違うよ。がむしゃらにやるしかないんだよ」と言いました。
私の退職オーラを感じ取ってか、その日の社員 B は終始にっこり笑顔でした。
最後に何か困ったことはないかと聞かれたので、出勤日と退勤時間を出勤数日前には知りたいと伝えると、「わかった。これから気をつけるね!」とあっさり前向きな返事をもらいました。
初のアルバイトなので最初こそ我慢が足りないかと思いましたが、他で働く友達が面倒くさがりながらもそこそこ楽しそうにバイトの話をするのを見て、勤務 1 回 1 回が嫌でしょうがないことに疑問を感じ始めました。
前回面談後もご想像通り次回のシフトの連絡は来ないわけですが、いっそシフトが決まらない(っていうか連絡が来ない)うちに退職の意を示しそのまま辞めてしまおうと思いました。
勤務分約 1 万 5000 円はもしかしたら振り込まれないかもしれない。
でも、たとえ 1 万 5000 円損しても構わないからとにかく辞めたいと感じていました。
B「おう、A さん!どした?^^」
B「……てめェふざけんなよ!!辞めたいじゃねえよボケ!!そういうのは直接来て言うもんだろうがよ!!いいか、次絶対来いよ、絶対だぞ、わかったな」
突如豹変し、映画で見るヤ●ザのような巻き舌でまくしたてる社員 B。
初めて社員 B が直接私を威嚇した瞬間でした。
私は衝動的にバイト先からの電話の着信拒否設定と社員 C の LINE のブロックを行い、借りていた制服を郵送しました。
もちろんバイト先にはこの後 1 度も行きませんでした。
(だいたい、「次」がいつなのか教えてくれなかったのは向こうです!)
1 万 5000 円は振り込まれていました。👏
社員 C から涙の尋問を受けたとき、社員 B のやり口に気が付きました。
部下を吹聴して新人をいびらせ、自分はその新人をなだめる親切な上司のポジションに立つ。
しかし自分が恐い人間であることは間接的にしっかりアピールする。
最終的に従業員は新人時代に孤立し、従業員同士は疑心暗鬼になり、全従業員にとって信頼できる人間が社員 B のみになっていました。
また、社員 B は相手の性別によって態度を少し変えているようでした。
女性に対してはアメとムチで巧みに操る。たまにキレるとき以外はお世辞や冗談で喜ばせていることが多かったです。
男性に対してはとにかく自己肯定感を下げる言動をとっていました。お前は一人では何もできないと常に言い聞かせていました。
女性従業員が皆社員 B を慕い、男性従業員が皆生気を失っていたのはこのためでした。
ちなみにこの日、一瞬だけ店長に会う機会がありましたが(なぜか最初で最後)、店長も実質的な立場が社員 B より低く口出しできないようで、他の男性従業員同様に生気を失っていました。
社員 B は、競争心、恐怖心、猜疑心を煽って人を操ることや、アメとムチの使い分けがとても上手でした。
本物のサイコパスは、明るくユーモアがあり、笑顔が素敵で魅力的であることを知りました。
退職後は新たに飲食店でのバイトを始め、数年間お世話になりました。
苦労もありましたが洗脳もなく楽しく働けたので、本当に辞めてよかったと思います。
1 年ほど経ったある日、風の噂でカフェが閉店したと聞きました。
最近近くを通る機会がありましたが、更地になっておりなんとも複雑な気持ちになりました。
同時に自分の体験は完全に過去の出来事になったと感じたので日記にしてみた次第でした。
おわり。
・マラソンで一緒に走ろうと誘っておいて最後は一人で先にゴール
・抽選に当たったらみんなで分けようと約束したお菓子を当選したので独り占め
・多少勉強ができたので同級生に「こんなのも分からないの?そんなんじゃ志望校落ちるよ笑」とか言う
・長期休暇にアメリカでホームステイしたことや南半球にスキー旅行に行ったことを自慢する
・当然いじめ行為を行う。仲間はずれにする、無視する、50m走10秒台はヤバすぎでしょ、クスクスみたいなことを輪になって本人に聞こえるように言う
・教師いじめもする。みんなで、せんせー!何言ってるかわかりませーん!ギャハハ笑と言って新人の教師を泣かせる
女性コミュニティは主語が小さい、またはアホコミュニティとでも言ったほうがいいかもしれないが、観測されたのが女性コミュニティなのでこのタイトルで。以下全部私の観測範囲の話。
中学の時の塾の話で、他の中学の女性グループにずっとクスクス笑われたり、すれ違ったあとに聞こえるようにキモーイとか言われたり、なんか嫌われてんなっていう状態だった。
大学生のとき、私とその女性グループの1人が塾のバイトとして同時に雇われた。顔を合わせたとき、私も嫌だし相手も嫌だろうなって思ったんだが、相手方は仕事中も全然そんな素振りを見せないし、バイトグループの打ち上げでも普通に接してきた。拍子抜けである。
で、数年経って最近。オンラインなら気軽やろ、ってんで久々にバイトのときのグループでオンライン飲み会が開かれた。どうせ最後やし聞いてみようと思って、その人に「中学の時、上記のようなグループでちょっとした嫌がらせはしていたか?」って聞いた。やってた。謝られたけど、「謝っても許さねえから!」って変な顔しながら言っておいた。後腐れはしないだろう。
で、不思議なのがなんで私が標的だったかってこと。もしかしたら他の野郎共にもやってた可能性はあるけど。別に他の女性には嫌われてるという程ではなかったし。まあ顔と体と声と口がデカくて悪いっていうのはあったかもしれない。
私が標的になった理由は置いといて、本題。前置きが長くて申し訳ない。「あいつキモイ」で繋がるコミュニティって、観測できてる限り女性コミュニティばかりなのだ。男は嫌うやつは単体で嫌うか、あるいは男全体がなんとなく女性蔑視のいわゆるホモソ的繋がりを共有していた、というのは否定しないしできないが、特定個人を「あいつキモイ」しているところを見たことがない。体のデカさで私に1対1で勝てる女性なんて(ほぼ)いないので、徒党組むのは理解できるんだが、学校で女性コミュニティに「あいつキモイ」されてる人は男女問わずだいたい背が低い・顔が悪い・アトピーで肌が汚いとかの外見的に恵まれない人か、何らかの理由でコミュニティからも外れた人か、あるいは女性蔑視発言や、くだらん下ネタを繰り返してた特定のクソ野郎共だ。クソ野郎共は自業自得として、どちらかといえば弱い立場の人が標的になりがちだったのが観測範囲でのこと。さらに言えば、女性蔑視を隠さない、女性の体を平気で触るようなクソでも全然嫌われてなかったり。このへんの機微は全くわからないので置いておくが、「反撃してこないやつ」を「あいつキモイ」してたのかな、と。私も全スルーの達人だったのでちょうど良かったんだろうか。
あいつキモイで繋がったコミュニティ、上記の私に対してやっていた人たちはとっくに疎遠になっていると聞いたし、私の知る限り長続きしてるグループは無い。その場その場での社会を、仮初の仲間意識と連帯感で生き延びるための防御のために、そういうことをしていたのかな、と思う。やっていることはどう考えても攻撃で、正当化の言い訳なんて聞く気もしないが、気の毒に思う気持ちはある。
女性コミュニティに限らず、何か大きな仮想敵や加害者ならまだしも、個人に「あいつキモイ」やってる奴、たとえ本当にキモくても良くないよ。キモいのは加害じゃないよ。まともな人は離れていくし、その連帯は仮初だ。
『理解のある彼くん』と言う言葉をご存知だろうか。何らかの障害、あるいは不幸な環境によって社会に馴染めずしんどい思いを抱えて生きていた女性の人生を描いた漫画に突如として現れる「こんな私ですが、今は理解のある彼君のおかげで幸せに過ごしています♡」というアレである。
かく言う私も、毒親育ちの発達障害グレーゾーンのメンヘラであった。話すと明らかにヤバいのが伝わってしまうのか、27まで恋人ができたことはなかった(でも処女ではない。察してください)。学生の頃は今くらいの時期、当然のように彼氏との予定の話題で盛り上がる同級生たちに嫉妬していた。愛されたくて仕方がなかった。見た目は明らかに喪女にも関わらず、妙にプライドの高かった私は、クリスマスの翌日に自分で買ったブランドネックレスの偽物をつけて登校し、カースト上位のクスクス笑いに耐えきれずゴミ箱に捨てて帰ったこともある。
大学を卒業して社会人になり、自分の役立たずさに肩身がゴリゴリ削られながら5年が過ぎた。そんな時、趣味のオフ会で出会ったのが彼くんだった。
女性だけの集まりと思っていたのに、しれっと参加していた彼くんに最初は戸惑ったものの、物腰が柔らかい人だったので自然に話せた。帰り際に連絡先を聞かれ、「可愛いなと思って」と言われた時は、本当に胸がバクバク鳴った。
途中で引かれてしまうのでは……と思ったが、予想以上に順調にデートを重ね、私たちは付き合うことになった。会うたびに、彼くんは私を可愛い可愛いと言って褒めてくれた。発達障害でコミュ障、その上はじめての恋愛で挙動不審な言動も「それが増田ちゃんじゃん!」と包み込んでくれた。私のメチャクチャな嫉妬(女の連絡先消して!と泣き叫ぶなど)で喧嘩になっても、歩み寄って抱きしめてくれた。彼くんは、私にとってまさに救世主のような存在だった。
……が、今思えば気付くべきだった。彼くんは特に美人でも若くもなく、障害と毒親持ちの女のどこが好きだったのか。
共通の知り合いのAからは、彼くんが前にも私と同じようなメンヘラと付き合っていたと聞いた。Aは何か警告したそうだったが、彼くんの過去の恋愛を聞きたくなさすぎた私は話題を逸らした。多分、彼くんはメンヘラが好きで……もっと言うと、自分にズブズブに依存してくれる女がタイプだったのだ。
彼くんは見た目はオタク(もちろんこちらも人のことは言えない)のわりに女慣れしている感じがした。当時37とかだったのでこれが大人の余裕なのかな?と思っていた。実際恋愛経験豊富だった。彼女は毎回10歳くらい年下のメンヘラだったので感情の爆発には慣れっこだった。だからこそ正しい(刺激しない)対応が出来たのだろう。
当然のことながら、わたしは彼くんにズブズブに依存していった。いい年して彼くんが生活の中心になった。彼くんは基本、「増田ちゃんは悪くないよ、頑張ってるよ、えらいよ可愛いよ」スタイルだったので、変に自己肯定感が上がった。例えば以前なら職場で何かを指摘された時、「ごめんなさい!」と心底申し訳なく思ってたところを、「そっちだって◯◯じゃん!!」と反省の前に内心爆ギレするようになってしまったのだ。気が弱いので相手には言えないのだけど、彼くんにすぐにLINEしたりした。彼くんが生活の中心なので、失うなんて考えたくなかった。そのうち結婚すると思っていた。
……こんな増田を描いてる時点でお察しだろうが、2年付き合い30歳の誕生日目前で、私は彼くんにふられた。もちろん揉めに揉めたけど、彼は地方転職までして私から逃げた。共通の人間関係も切った。あんなに「ほっとけるわけないじゃん」なんて言っていたのに、見捨てる時はマッハだった。
数年経った今、ひょんなことから彼くんが結婚したことを知った。やはり10こくらい下で、だけど、心身健康そうな奥さんだった。どうしてこんな子がオタクの彼くんと?と思ったけれど、よく考えたら彼くんは当時上場企業の社員だったし、今もいい年収をキープしているのだろう。
彼くんがメンヘラが好きだったけど結婚相手は健康な人を選んだのか、今までメンヘラにしか相手にされなかったから仕方なく付き合っていただけで、奇跡的に振り向いてくれた健康そうな女性にプロポーズしたのか、どっちだろう。
『理解のある彼くん』のいる女子は、彼くんに見放される可能性を考えておいた方がいいと思う。あまりに彼頼りになると、見放された時が辛すぎる。結婚しない限り、彼くんがメンヘラが好きなら新しいメンヘラに一生警戒しないといけないし、メンヘラにしか相手にされない彼くんであっても奇跡が起きてしまうかもしれない。まともな男性ならお断りな私たち地雷に、奇跡みたいに『彼くん』が現れるように。
別にいじめられているとか意図的に仲間はずれにされているとかではない。
ただ上司と先輩の仲が良すぎる。悪いことじゃないんだけど、二人の仲が親密すぎて、結果私の立ち位置が不安定になっている。ちなみに上司と先輩と私は同性で全員既婚者。
私は元々コミュニケーションは得意じゃない。
まだ小学生か中学生の時だと思うけど、友達の会話に入ろうとしたら「ちょっと……ねえ?」って友達二人が顔を見合わせてクスクス笑われたという思い出があって、それが毎日頭をよぎって会話に入れない。
この歳になって、そんな幼稚なことをする人たちではないと思うけど、嫌な経験ってなかなか払拭できないものだ。
うちの会社には社内チャットがあるんだけど、上司と先輩がずっとそれで会話しながらクスクス笑ってる。たった3人の部署で。嫌な経験を払拭するどころか上塗りしていっている。
この状態で平然としていられる自分すごいな!? と思って自己肯定感を無理矢理高めることでなんとか生きてるけど、限界がきそうな日もある。
他に仲のいい人を作れれば解決するとは思う。だがしかし残念ながら部署には上司先輩私の3人だけだし、他の部署とコミュニケーションを取る機会はかなり少ない。
話しかければ返してくれるし、仕事も教えてくれるし、優しいし、業務上は何も問題がないので他部署の上司に相談するようなことではない。ていうか、相談したところで私が退職する以外の方法では解決しないと思う。
私としては精一杯歩み寄る姿勢を見せているつもりなので、時間が解決してくれると思うけど解決する前に限界がきそう。
3人で昼食とってるときに2人にしか分からない話を2人だけでされるっていうのが毎日続くのってけっこう辛いよ。2人にしか分からない話が多すぎて、話に入る隙がないんだよ。
こうして書いてみると、解決策が時間経過か退職の2つしかない。けっこう絶望的だ。
在宅勤務助かるー
仲間同士顔を見合わせて肩を上げてクスクスするのがニヤニヤ
そのころは今みたいにカラフルなランドセルを持っている子はほとんどいなくて、ほぼ「男は黒、女は赤」の時代だった。なので女なのに青ランドセルだった私は男子にバチボコにからかわれ(やーい男女みたいなやつ)、女子には笑われた(わーあの子なんで青いランドセルなの? 変なのークスクスみたいなやつ)。
そもそもなぜ青ランドセルだったかというと、母が「赤なんて普通でつまらない、赤だけは絶対ダメ」と言ったから。
それまでも幼稚園でバッグや巾着等の小物を集団購入するときは、だいたい女子用の赤ではなく男子用の青か黒のものを購入されていた。私はめちゃくちゃ嫌だったが、母が「ほらーこっちのほうがシックで素敵じゃない?」と言うのでニコニコして「そうだね!そう思う」と言っていた。その場で母に不機嫌になられるよりは、嘘をついて褒めてもらった方がよかったからだ。
だがランドセルとなると話は違う。6年間もそれで過ごすわけだし、周りから死ぬほどからかわれることなんてそれまでの短い人生ではっきりわかっていたことだった。だからランドセルを買うために来たデパートで母が「赤はダメ」と言ったとき、めちゃくちゃに抵抗した。「赤がいい!」と言って泣き叫び、「それなら買わないよ!」と脅す母親と掴み合い、さらなる脅しのため駐車場に引き戻された。それを何度か繰り返し、私はとうとう観念した。
駐車場との何度目かの往復でランドセル売り場に戻り、私は怒りと絶望に震えながら青いランドセルを選択した。母が後から言うところによると「赤以外ならピンクでもオレンジでも何でもよかった」らしいのだが、幼稚園年長さんだった私は「赤がダメ=青か黒」だと思っていた。で、冒頭に戻り、私は周囲からバチボコにからかわれたわけだ。
青いランドセルを背負った私を見て、大人たちはたしかに「あらおしゃれ」みたいな反応をしていた。しかしそれが何だと言うのか。同級生から死ぬほどからかわれターゲットにされた私は確実に性格が歪んだし、今でも母を恨んで許していない。
たぶん青いランドセルを買ったことが、本当に自分の欲しい色を選んでのことだったら話は違っていた。自分の選択の結果だし、親を逆恨みすることはあっても大人になった時はさすがに納得して、自業自得だったなと思っていると思う。私の場合、青いランドセルは事実上強制されたもので、結果が最悪だったからこんなことになった。私は大人になるまで心のどこかで母親のことを「いつかは裏切る人」「結局自分のことしか考えてない人」と思っていた。
これを読んだ未就学児の父母・祖父母の皆様におかれましては、お願いだから何色であっても子供が本当に欲しい色のランドセルを買ってあげてほしい。どんなにダサくてもだ。どんなに自分の固定概念から離れていてもだ。お願いします。欲しい色のランドセルを買ってもらえなかった年長さんの私より。
先日、入学以来初の登校をした。コロナで延期されていたのでようやくだ、と嬉しい気持ちでその日を迎えたが結論から言うとげんなりした。
定番の自己紹介が行われる最中、話すのが苦手な子を見てクスクスと笑う女子がまず目についた。大学生にもなって周りの友人と顔を見合わせて嘲笑するような人、ほんとにいるんだな。
そして何よりも自己紹介で好きなものをあげるときに「韓国が好き」という人があまりに多かったのが気になってしまった。
K-POPだったり料理だったりファッションだったり、色んなものを含めて手っ取り早く「韓国が好き」と言っているのだろうが、どうにも引っ掛かる。もちろんジャニオタとかバンド好きとかも沢山いたけど、予想以上に次から次へと韓国好きが多かったのね。
個人的には先入観がバリバリあるので、そのクスクスと嘲笑していた女も韓国が好きです〜!と言っていたのを見て内心溜息をついていた。
自分はこんなとこに書き込んでいるような陰キャだし、韓国好きが陽キャの必須条件みたいな雰囲気がとても気持ち悪い。
あとK-POP盲目信者は人の話聞かないイメージついてるので、早く本格的に大学が始まってその子達の悪い印象を払拭したい。ともに過ごし、彼女らの良いところを発見したい。
終戦の日は、Y君の命日です。
高校時代の同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。
Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。
しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。
Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校の受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。
入学式からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップの公立高校を落ちてきた人間でした。
はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。
端から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。
入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。
第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ校合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。
その時の僕にはまだ、そんな理由で勉強をはじめようと思う理由を理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意に入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。
とは言っても、その後Y君が試験のライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラスの文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラス二クラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。
交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。
彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街に引っ越してきたので、同じ中学校の出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えます。しかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。
Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いています。しかし、同じクラスのテニス部員から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。
Y君と同じグループのテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦のメンバーに入ることはなかったそうです。
ときに一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活の練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。
僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。
Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。
高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強のノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活が休みになってY君が加わったことが何度かあります。
Y君が、自分の勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間の発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間の発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者の発言に賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。
僕らはみな自分に合わせて勉強のスタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。
僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語の勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題を毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習を英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間は文法を勉強していた方が都合よかったのです。
そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法の問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。
時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベルな英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。
学年上位の彼女の場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。
すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベルの問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。
試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。
Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法・勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分に必要な勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。
高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験室から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ、模試のたびに奪い合うのです。
事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑の眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。
勉強をしたからテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位で一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。
正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。
僕は、努力の方向性を間違える人間は愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間を軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑の対象でした。「三年の夏に部活を引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。
当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分を鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。
みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学だから、日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部二学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命は早慶、国公立大学」
Y君が目指したのも、早慶の文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格は絶望的なので記念受験だったと思います。
日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専を第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベルの大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。
先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学に合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力の甲斐あって志望校に合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベルの大学です。
高校の卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館で勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。
僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分の精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。
僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。
Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専の文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学の教育学部に合格したのも少なからず影響があったと思います。
Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。
Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法中レベルの大学に手応えを感じていたそうです。高校時代の担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専の合格は決まっていました。
しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専の手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専の入学一時金を払わなかったそうです。
かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪、二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイで変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後のメールには、そう書かれていたそうです。
苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間だけが、成功を評価できます。しかし成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。
三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています。
同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。
二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察に通報したそうです。海上保安庁と警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。
沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。
暗く塩辛い海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。
人生の遠回りを許さない日本の空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分の責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。
彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。
彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。
こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。
今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れます。しかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。
実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれた田舎の風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。
村社会ジャンルの声デカ信者に自ジャンルが踏み荒らされた気がした。
そのジャンルはストーリーやキャラは良いがとにかく民度が低い。声がデカく拡散力のある信者(以下、声デカ)含め大多数が検索避けもせずにキャラ名垂れ流しで下品な呟きばかりするわジャンルに真っ当な苦言を呈す人間を袋叩きにして引退まで追い込むわ苦言や批判のツイートやマシュマロなどを構文化して内輪でクスクス笑ってるわとにかく陰湿で民度が低い。にも関わらず盲目信者たちはうちは民度が高い高いと言い張っており自浄作用も無い。他ジャンルにもジャンル特有のノリのようなものがあると思うが、キャラに対しての感情や見方が一番狂っていて一番気持ち悪い人が優勝!みたいなノリのジャンルである。キャラが好きなんじゃなくてキャラに大暴れしてる自分が好きなのだと思う。
そんなジャンルの声デカの一人が、自ジャンルのソシャゲに触った。ストーリーの序盤だけをなぞってキャラに気持ち悪い属性付けをするようなツイートばかりだった。もちろん伏せ字や検索避けは無し。村社会ジャンルの痛くて寒い内輪ノリをそのまま持ってきたみたいな下品な呟きばかりだった。
自ジャンルは、一部クセのあるキャラはいるがユーザーの楽しみ方やキャラの推し方も他ジャンルと比べると比較的まともだ。キャラを無闇に貶めたりこき下ろしたりとかそういうノリは無い。大きな炎上も無く全体的に平和なジャンルだ。
しかしその声デカが、寒いノリをそのまま自ジャンルに持ってきて、取り巻きと一緒にキャラに汚い属性をつけて笑いものにし始めた。ここに書くのも憚られるほどえげつない下ネタとキャラを結び付けていたり、他にも色々と酷いツイートばかりだった。好きなキャラを寒いネタツイのためのおもちゃにされたような気がして、吐き気がするくらい気持ち悪かった。キャラを神格化しているとかそういうわけじゃ無いけど、汚された気分だった。今まで内輪でやっていたノリが外でも通じると思っていそうで痛々しい。自ジャンルに触れるなとは言わないけれど、楽しむにしてももう少し節度とか持てないのかな。
どうせこの増田も見られたら構文化してクスクス笑われたり一部だけ拾って揚げ足取られるんだろうな。ずっとそういうノリのジャンルだから。
おじさんなのばれてるよ。🐣クスクス。
32歳側を読んで思うのは、私は年相応だろうかということ。
自分がこうなんじゃないかって思うと怖い。他人からまともに見られたいしあわよくば良く見られたいと思ってしまうので、個性的な好みでもなく量産好みな人間だから年相応の中から好きを選択すればいいかなって考えだけど、年相応と思っている物が正しく年相応かどうか分からないし傍から見たら違うとか陰でクスクスなんての本当怖い…
落ち着き具合なんて特に自分には年相応かなって不安になる。物事しっかり多方面から考えて嫌なことも責任もってやってる人達と比べたら、とりあえずなせばなるし、嫌なことは蓋をしよう、なんてめんどくさがりずぼらな人間だからもう年相応じゃないんだろうなって思って怖い
ただ、自己肯定感が低くって、オタクとしてワイワイしたいとか受け入れられたいが強く出るから生き取ったんかワレ案件を羨ましくも感じてしまう。そういうところが幼いんだろうなって思う…
友人側も読んだけど、自分の中の年相応像とか世間体含めた考えとか理解出来る部分が多々あるから、Aやばいなと思ってしまう、自分のことでもあるのにね。実際には意外とAが擁護されてて友人を叩く流れなのは驚いた。友人がジャンジャン自分語りと後だしマウントとり始めたのを見て、結局そういうことかって感じた。
公共の場でデケー声で悪口言われて晒し者にされたストレス発散で投下。
高校生最後の年にクラスの男子にバチクソにいじめられてた。特になんかやらかしたわけではないと思ってるし、そもそもほぼ会話すらしてないうちからされてたから、デブでブスの醜い陰キャ女を適当に楽しくいじって遊ぼうって感じだったんだろうけど、授業中だろうと休み時間中だろうと監視されて、友達と談笑してたら「○○さん笑ってるww」ってデカい声で報告される度に死にたくなったし、頭を突然体に擦り付けられたのは気持ち悪すぎてずっと忘れられないし、なにかする度にクスクス笑われて、明らかに私の事だけど名前の代わりみたいに隠語の蔑称使って聞こえる声で悪口も言われた。
何がタチ悪いかって隠語使ってるから反応したら途端に「誰もお前のこと言ってねぇじゃん笑」「自意識過剰すぎん?笑」って自意識過剰な奴にされるところで、そもそも反応する必要も無いからずっと無視してた。
でも一向に止まないし、そいつらが学校の中でも特に強豪の運動部メンバーだったから先生も黙認。ストレスで十円ハゲ出来るわ毎日ゲロゲロ吐くわで無理すぎて限界だったから捨て身のTwitterで鍵なし・顔出し・学校名とクラスと部活を大公開した上で引くほど暴言吐きまくった。これで私が生徒指導室に呼ばれたらその流れでそいつらも何かしら罰受けてくれるかなって思って連日簡単に特定できるようなツイートしまくった。デジタルタトゥーって言葉は知った上でやってたし、何かしら被害があればいいなぐらいの気持ちでやってたから当時は本当に馬鹿だったと思う。
結果的に言うと普通にバレてたけど加害者側が大学推薦控えてるから黙認。勿論私も注意すらされなくて、軽くHRに「SNSで学校名出すなよ~」とかその程度のこと言われたぐらい。
終わったなって感じ。
それからも卒業するまでずっと嫌がらせされ続けて、卒業する頃には男性恐怖症になってた。
エレベーターで男性と2人きりになると冷や汗と震えが止まらないし、男子高校生の笑い声聞くだけで自分が笑われてる気がして鳥肌止まらない。まともに会話も出来ないし、男性に対して恋愛感情なんて以ての外で、気持ち悪さと恐怖しか抱けなくなった。トラウマってこういう風に染み付いてくるんだなって感じ。
で、最悪なことにそのうちのクラスメイトのひとりが同じ学校に進学した。って言ってもその人は高校の時は進学のための勉強ばっかりしてた上に他の男子生徒にいじられてからは大人しくしてた人だったから関係ないかなって思ったらそんなことはなく。
結果的にそいつ含め全然知らんやつからも継続して悪口言われるようになった。なんで?
申し訳ないけど進学してからの私は本当に何もしてない。何もしてないのに存在してるだけで悪口言われないといけないってどんだけ人生我慢しないといけないんだよ。っていうか嫌いなら無視してよ。髪の毛染めた事も服装も私という存在全て否定してくるけどお前高校ではめちゃくちゃいじられてからめちゃくちゃ大人しかったじゃん。自分より下の人間がいたら攻撃するのかよ小学生かよ。誰もお前の為に髪染めてないし服も買ってないんよ。ほっといてくれもうって思うけど誰にも相談出来んし20になってすら教師頼るのも無理すぎ。高校の時の担任は「これも社会勉強」とかのたまってたけどそれじゃあ誰が私を助けてくれるんよ。法か?
まぁお陰様で現在進行形で男性不信と男性恐怖症拗らせてる訳だけど、母さんが私に最近将来の結婚の話してくるのがそれもあって辛すぎるんよね。
ごめん母さん私多分結婚しないし出来んよ。孫も見せてあげられんと思う。ほんとにごめんってめっちゃ思う。
なんか支離滅裂で読みにくいし文章くどくて最悪だな。なんかもう疲れたからいいや。
私が何もしてないのにおもちゃにされるような見た目してなければもう少し違ったんかなぁ。