はてなキーワード: クスクスとは
私が20数年前、原付の試験を取得しに免許試験場へ行った時の話だ。
現在はどうか分からないが、運転適性検査の中に下記のような引っかけ問題が3種類あった。
当時は統合失調症という病名はまだ存在しなかった。精神異常者、●チガイ、クルクルパーという呼び名が当時のものだ。
この適性検査の3問に「はい」と答えると、精神異常者で運転不適格者のおそれがあると面接を課せられたのだそうだ。
当時私はなぜこのような訳の分からない問題が混ざっているのか鼻で笑っていた。
今思うに大昔から、そのようなことを言う人がいて、大体が頭のおかしい人、精神異常者が口にする言葉として考えられていたと思う。
さてそこで集ストテク犯だが、よく考えると
このように同義語として置き換えることが出来ると思わないだろうか?
集団ストーカー、テクノロジー犯罪の話をすると「統合失調症だ!」と決められるのは
加害側が情報操作や世論誘導などしなくても、世間はそう受け取ってしまう。それが悲しい現実なのだ。
いくら理論立ててイルミナティだなんだと主張しても、十把一絡げで「キチ●イ」として括られてしまう。
被害者加害者以外の大多数の方は、普通にそう思うのが当たり前と考えて欲しい。
またこの質問に「はい」と答えると、決めつけたり、陰で笑ったりするのが人の性なのだ。
クスクスと笑っているのが常と考えてほしい。これも普通のことなのだ。
これが世間の実相で、この犯罪に対する認知は自然にそうなっていくのだ。
内心笑いながら「可哀想だ人だな」などと同情されるのだ。
それをよく考えてください、と私は訴えたい。
街頭でも増田でも、この犯罪を叫べば叫ぶほど、同情されたり陰で笑われ、無視され、興味を持たれず、相手にされず。それが現実だ。
考えすぎてもはや自分の容姿が客観的にどうなのかよく分からないけど、素は結構なブスでばっちりメイクして着飾れば普通かちょいブスくらいだと思う。
そんな容姿で数十年生きていれば普通はブスなりの諦めとか処世術とか身についてくるんだろうけど、私は未だに自分のブスさに悩み、絶望し続けている。
私は幼稚園の頃から眼鏡をかけていた。小学校も半ばになるととんでもない癖毛が発現した。当時はナル〇ヤ系ブランドが流行っていて、『もどき』のちょっと派手な服をたまたま一着買い与えられた。これはちょっと似合わないような気がする。でも鏡を見ない限り服だけが目に入る。可愛い、テンション上がる!
と引かれた。「お母さんが勝手に買ってきたんだよ」と強がった。
おしゃれをすることと、可愛らしい格好をすることが怖くなった。ぐりぐりの癖っ毛をショートカットにし、お下がりでボロボロのパーカーとジーンズを着た。眼鏡はなぜか無難な横長のレンズじゃなくてまんまるなやつをかけさせられていた。おまけに度が強いのでめちゃくちゃ目が小さく見える。
それでも私は密かに希望を抱いていた。なぜなら、それらは言わば足枷だからだ。
眼鏡を外した自分の顔を鏡で見ると、なかなか可愛かった。鼻はちょっと大きいけど、見慣れれば平気なレベル。目はぱっちり二重だし悪くないんじゃない? コンタクトにして縮毛矯正をかけられる時が来たら……見てろよ!
似たような経験のある人にはお分かりだと思うが、これはかなり危険な勘違いだ。鏡の前では誰しも『良い顔』を作ってしまう。しかも私の場合は裸眼だと鏡にかなり顔を近づけなければよく見えなかったので、至近距離からパーツごとに凝視していたことになる。全体のバランスが全く見えていなかった。
中学に上がったらもっとあからさまにブス扱いされ始めた。クラスのヤンキー達から陰で変なあだ名をつけられてクスクス笑われていたらしい(何ヶ月も続いた後にようやく知らされた)。あと、ブスハブりというか、差別。いじめと言うほど積極的ではないにしろ、クラスの可愛い子達、運動ができる子達、コミュ力の高い子達からスッと避けられる。あとに残った、(私の脳内では私より)極端に根暗な子達と仲良くするしかない。友達を選ぶ権利もない。いじめではないからどうにもできないが、私にとってはこれが一番堪えた。
それでも希望はある。高校に入ったらコンタクトにして縮毛矯正も許可するって親が言ってくれた。卒業まで耐えれば大逆転待ったなし!!
そして待ちに待った高校に入学した。私は美少女に生まれ変わった。いや、これが本来の姿だったのだ。さあ、今後毎日お弁当を食べるグループが決まる瞬間。隣の席の可愛い子、その前の席の可愛い子、後ろのいかにも運動部な子よ、仲間になろっ!
……ダメだった。彼女達は私など視界にも入らないかのように三人で机をくっつけてお昼を食べ始めた。私はあれよあれよと言う間に近くの席の変わり者達に取り込まれ、一年間そのグループでごはんを食べた。これでは中学校と同じではないか。一体なぜ。
行事の際に集合写真を撮った。そこに写った自分は美少女ではなく、能面みたいな顔だった。丸顔なんだか面長なんだかよく分からない縦にも横にもデカい顔に『見慣れれば平気』どころじゃない巨大な鼻とそれを際立たせるちんまりとした口。大きくて綺麗だと思い込んでいた目は巨顔に占める比率で言えばむしろ細く、まりもっこりみたいな三白眼でかまぼこ形だった。それらのハーモニーが最高に気色悪かった。
さて、ようやく自分がブスであることを悟った私は希望を失い、それまで以上にブス扱いに傷つくこととなった。
メイクやファッションを学び、失敗を繰り返しながらも徐々にマシにはなった。しかしメイクには限界があり、鏡の前で「お! イケてるんじゃない?」と思っても他人から見れば誤差のレベルで、特に複数人の中で比較されてしまえばほとんど意味はない。大人になれば流石に真っ向から「ブース!」と罵られることはないが、一緒にいる可愛い同僚だけ毎日褒められたり、とある男性社員からブスとデブだけ嫌がらせを受けていることに気づいたりして、その度に深く傷ついた。ブスならそんなのよくあることだし、そもそも毎回褒めそやしてもらえるほどの美人の方が少数派でブスがそれを望むなんてちゃんちゃらおかしいと頭では分かっているのだが、思春期までずっと「私は本当は可愛い」と思い込んでいたせいで余計に受け入れられない。新しいコミュニティに入るたびに、ついつい美人扱いを期待してはがっかりしてしまう。本当に馬鹿げている。
整形すればいいのでは? と思われるかもしれないが、そこまで大掛かりでない整形で何とかなりそうなのが鼻くらいしかない。顔も頭も大きい、目の位置は高い、顎はない、酷い巻き肩が治らないのも悩みだし、手足はかなり短い。肌質も髪質も声質もゴミだ。よくアイドルなんかが「顔の輪郭を髪でごまかしている」と馬鹿にされているがご存知だろうか、輪郭を髪で隠すにも素質が必要なのだ。顔が生え際から大きくせり出しているとほとんど隠せない。
それに鼻って弄るとすぐにバレる。あくまで私自身のことに限定した考え方だが、知人に整形したとバレたら美人もくそもないではないか。年に一回くらいのペースで会う美人の先輩が、会うたびに「また綺麗になったね」と褒めてくれる。私のゴッテゴテの化粧から「美人になりたい!! 綺麗って言って!!」感を読み取って言ってくれているのだろうなと思ってたまらなく恥ずかしくなる。そういうくだらない自意識も捨てられない。美人になりたいブスのくせに。
「人柄が顔に表れる」という言葉がある。本当に? 顔に出るにしたって限界があるだろう。もともと吊り目の人と垂れ目の人が同じくらいニコニコしていたとして、どちらの方が柔和に見えるかなんて分かりきったことじゃないか。『目つき』って何だ、結局目の形や黒目の大きさによるものじゃないか。
「女芸人のあの人は美人じゃなくてもいつもニコニコしているから可愛らしいじゃないか」もよく聞くけれど話にならない。芸能人なんてのは美人じゃなかったとしてもなんだかんだ好印象な顔、『様になる』顔なのだ。私のような不快感を与えるタイプのブスなんて見たことがない。
そう、私は多分なんとも不快なタイプのブスだ。香椎〇宇っていたでしょう。彼女はもちろん美人だったけど、彼女の目つきがきつい感じ、お堅そうな感じだけを持ち合わせたブスがいたとしたら……それが私。どこへ行ってもまず第一印象は良くないし、良くてくそ真面目に見られてしまう。滅多に打ち解けられないし、一つ失敗したらすごく失望されるし、みんなと一緒になってはしゃいだら苦笑いされるかギョッとされる。悲しい。寂しい。性格ブスが進んで雰囲気もますますブスになる。せめて好印象な顔になりたかった。
最後に、なんで都会ってスタイルの良い人がやたら多いの? ただの健康診断の会場ですら私より小さい人が見当たらなくて愕然とした。身長だけで言えば私はごく平均的なはずなのに。何というかみんな頭身が高い。『モーニング』の世界に一人だけ『コロコロコミック』のキャラが迷い込んだみたいで恥ずかしかった。じゃあね。
女にも性的欲求があって、どっちが性的欲求を満たすセックスを出来るか、それを行える環境下なのか、の話だし
女でも他の男とセックスするなら自殺する、他の女とセックスしたら自殺するみたいなのはあるだろうし
でもそんな選択しなくていいよ、そんな選択せずに頼りない俺と振り返ったら地獄みたいな日々送ろうよってのがNTRみたいなところあるし
間男側が本気出して動画とか撮っちゃって「今では富豪のペットです」みたいになってそれを見させられて「君は綺麗だ〜(official 髭男dism)」ってなるのも良さだし
結局のところそこに付き合ってるのがNTRなのよね
本当は
しんどいなら離れていいし、別のパートナーを作ってお互いに性欲とか抜きでいざヤるってなるとクスクス笑ってしまうような関係になってしまってもいい
そんな大切なものと目の前にある欲望なら目の前にある欲望に靡くようなヤツがこれから先の人生で賢い選択をするとは思えないからって理由で離れてもいい
それでも付き合ってやるのがNTRなんだろう
どれだけ惨めな身分に落ちて、どれだけ彼女との距離が離れて月に一回ぐらいしか出会えず、出会ったとしても本番行為なんか出来ずに足で処理されたとしても、その細長く頑丈な鎖に縛られて生きる気の狂った存在が自分で、そしてそれを圧倒的な肉欲の海に溺れながら小指の爪の先で引っ掛けているのが相手なら
それもまた愛ではないのか。
だけどまぁ現実のお昼下がりに行われてるような寝取られは大体裁判沙汰だし
お遊びだし
肉塊だから馬鹿なので訴えたら自分達が勝てると思ってたりするし
そしてそういうのがわかってて、お互いの歪んだ性癖を満たす人達は寝取らせとかをしてて
そこにも厳密なルールが作られてるし
あと普通に間男側もそんなにチンポ強くなくて、やっぱりバイブとか使ったりテクニックや健康診断とかそういう入念な準備が必要だし
ていうか、そこまでできる人材って、ひっぱりだこだよね。
クスクスって知ってるか?
すっごい小さいプチプチしたような小麦粉の塊で、欧州とかモロッコとかの方で食べるものなんだけどさ。
もう手軽さにビックリする。
食べたい分量だけよそって深めのお皿に入れて、あとは熱湯を必要量だけ注いでラップを張って待つだけ。
だいたい5分ぐらいほっとけば勝手にできる。
だいたい一人分は70gで必要な熱湯は100mlあたり。
味はオリーブオイル、塩胡椒にトマトのサバ缶を和えるとか適当で良い。
パスタ作るのより蕎麦作るのより圧倒的に手軽。後始末しなくていいんだから。
その当時の小山田くんとか小沢くんの発言の雰囲気は、時々突拍子もないことを言ってインタビュアーを煙に巻いておいて、「クスクス、僕の言ったこと本気にしている?本当だよ?、クスクス。。。」みたいな感じ。言っていることが本当なのか?嘘なのか?は、正直どうでも良くて、インタビュアーというか大人をバカにしているような、していないような、わざと掴みどころ無い話をする、みたいなところがあったと思う。そういうところをカッコいいと感じるファンも多かったと思う。
そんな当時の雰囲気の中で自分がその記事を読んだときに思ったのは、この出来事は本当でも嘘でもなくて、ただただ学生時代にそういった鬱屈とした衝動的な暴力的な色々な思いを抱え込んでいて、それが今の小山田くんの表現の一部になっているのかな、みたいなことだ。フリッパーズ・ギターの頃からインタビュアーをバカにするような言動も多々あったので、まあその延長線上なのかとも思った。本当にひどいことをして、それを雑誌のインタビューで話す、なんてことはありえないだろ?という前提で読むのかなと思っていた。
連休前で仕事が入ってこず暇すぎるので、何となく思い出したからダラダラ書く。
昔の職場でのこと。昼休みに外でご飯を食べて帰って来たら会社の玄関にオナホがあった。別に会社の商品とかそういうのではない。全然普通の業種だし、しかも使用後のようでシリコンがむき出しになっていて、ハンドタオルの上に洗って干されてるような感じだった。
あまりの事態に頭が真っ白になって固まってオナホを見つめていたら、同僚の30代既婚のお姉ちゃんがクスクス笑いながら
「ねーそれ、変な形してるし、なんかプニプニしてて面白いよね〜」
といっても、自分は当時アラサーの女。漫画やネットでは死ぬ程目にしてきたけれど、オナホの現物なんて初めてみたので、もしかしてオナホではない…?と思って、こっそりそれをスマホで撮影して、友人のグループと彼氏にLINEで「会社にあった」と画像を送った。双方からすぐに返事が入り「オナホじゃん」と言われた。オナホであることが確定した。
そしてこのオナホの出所だが、一択しかなかった。社長(50代おっさん)だ。
当時の会社はマンションのワンフロアを借りて店舗にし、同じマンションの住居の物件を数室借りて、事務所や倉庫にしていた。その1室に社長の住居もあったが、この日は社長が外のマンションを買ったので、そちらに移るために引っ越しをしていた。先程笑ってた同僚のお姉ちゃんも
「社長の部屋に残ってたからって、大家さんが持って来てくれた」
と話してくれた。その荷物が玄関にあって一番上にかなり目立つ感じでオナホが置かれていたのだ。
社長はバツイチの一人暮らしで、引っ越しは再婚して新しい奥さんと一緒にで暮らすためのものだった。完全に社長のオナホ(使用済み)だ。
それににしても、世間でのオナホの認知度って低いんだなってビックリした。事務所には私以外にも30代女性が先程のお姉ちゃんも合わせて2人、50代女性が1人いて、みんな既婚者で性の方向に経験がない、とかではないはず。しかしみんな「変な物(笑)」という認識だった。笑ってたお姉ちゃんは私が見てる時にもツンツン触っていたので、知らないふりをしていたわけではない。荷物を持って来てくれた大家さんも50代くらいの夫婦。悪意あってわざわざ目立つ様には置いてないと思う。むしろ私が大家だったら返却するにしても外から見ても分からんようにするかな…。
そんな感じで事態の深刻さと、面白さに気づいてるのは私だけだった。笑いそうになるのを必死に堪えつつも、いつまでも会社に玄関にオナホがあるのはよろしくない。しれっと処分すべきか…いやでも触りたくないな…どうしよう…と考えてる内に友達と彼氏から「どういうこと?」といLINEも入ってくる。どういうことなのかは私が聞きたい。
まあ、後今日入ってくるのは社長くらいだろうし、その時に本人がこそっと捨てるだろうな…来客さえなければ…と考えてた丁度その時に、社長が来客を連れてきた。しかも20〜30代の若い営業の男性という、オナホ知らん訳がないやろうって年代の人だった。あまりのタイミングに笑いを堪えるのが辛かった。
入ってくる時は特に何もなかったが、更に事態が悪化したので、本当に捨てるべきかどうかも考えていたけれど、社長と営業さんとの打ち合わせは早々に終わり、会議室から出て来た。玄関は私のデスクからは死角だが営業さんが「ありがとうございました〜」と元気よく言った後に妙な間があった。多分玄関で2人ともオナホを凝視してたんだと思う。すると見送りに出てた同僚お姉ちゃんが
「それ、面白いですよね〜プニプにしてるんですよ〜w」
と畳み掛けていた。きっと、男2人、そこに乗っかるしかないってなったんでしょうね。営業さんは
「や、本当、何なんでしょうねぇ〜これwww」
と完全ににやけた言い方で言っていた。一方社長は
「なんだこれは!!気色悪い!!」
とキレ気味に声を荒げていた。本当に気色悪いよ。
「大家にも確認してきたけれど、知らんって言ってたから捨てるぞ!!」
と必死に自分のものではないアピールをしてオナホを処分して、一応事態は収集がついた。
でも私には一つだけ心配なことがあった。笑ってた同僚お姉ちゃん、ちゃんと手を洗ったかな…。
その日の夕方、事務所はその同僚お姉ちゃんと私の2人になったタイミングでこそっと
と教えてあげた。
同僚お姉ちゃんは「ぎゃーーーーー!!!」って叫びながら洗面所の方に行って、凄い勢いで手を洗いだした。やっぱり知らんかったんだ…。
その後しばらく「社長が気持ち悪い…」と言っていたので、言わない方がよかったかな…とたまに思い出してゴメンと心の中で謝っている。
ブクマがついてたので読んでみたら、驚きのバカが晒しあげられてるだけだった。
バカはたとえ話が苦手って感じだな
…
例え話が必要な場面で相手に合わせて適切な例えを持ち出すことが、自分が完全に理解してるはずの事でも説明できないんだなぁ。
…
不適切なたとえ話をしておいて
ドヤ顔でイキリ倒す前に、まず国語をちゃんと勉強しろバカ。増田が「たとえ話」をしたのは読者に対して息子の現状を説明するための冒頭の一回だけだ。息子さんにしたのはただの「説明」だ。説明のなかでされた「(もし)…と聞かれたら」は仮定だ。仮定はなぞらえとは違う。仮定は状況の設定だが、なぞらえは具体化だ。対象との関係性がまったく異なる。
話をかみ砕いて教えるのは必要だが、必ずしも例えを用いなければいけない理由はない。
たとえ話は難しい。臆せずに具体例を書いたのはよいが、しかし実際には親子の体重が 32kg と 64kg のようにぴったり割れる数になるわけがない。
だから体重に具体化して説明するメリットはせいぜい身近な量を使う、くらいしかない。
「適切なたとえ話」を説明するのに引っ張ってきたたとえ話が絵に描いたモチの時点で、証明されてしまったのはあなたのバカさだ。
ベビーカーで突進してくるな、お前らのために避けるのはまっぴらごめんだ。
ショーケースを見ている私を押しのけて身体をぶつければ退くと思うのか、待つ余裕すらないのか。
キーキー言ってるなら諌めろ、躾けろ、駄々をこねているならまだしも、毎日叫ぶソイツをどうにかしろ。
子供が出来ない私をクスクス笑うな、子供がいないねと噂をするな、子が居ないからできる贅沢なくらしを派手だとコソコソ笑うな。
とにかく、お前らみたいな「厚顔無恥な母親」いうカテゴリの人間がとても嫌いだ。
そして、きっとこんなことを思っているから私は子が産めないのだ。
全ては妬みであり嫉みだ、お前らみたく髪ボサボサにして肌ボロボロで子に全てを注ぎたい。
素晴らしい素晴らしい素晴らしい夫との遺伝子をただ残したいという誰しもが出来ることが、どれだけ医療の力を借りてもできない。
私はお前らになりたいんだよ、子供を守るために他の人を犠牲にできるお前らになりたかった。
でも、私はお前らになれないのかもしれない。
終わりの見えない絶望と減っていく残高、クソ死にてえな。
9歳頃から胸が大きくなり始めていたが、親から、姉弟で一緒に風呂に入れるようにさせられていた。
今となっては、それが弟に性的なものを意識させていたのだろうと思う。
また、家族であれば女の裸を見る等の性的なことをやっていいと勘違いさせたのかもしれない。
目が覚めると和室で母と弟が何やら話している。
そして起きた私に気がつくと、弟がクスクスと笑いながら「おねえちゃんのお股のにおい嗅いだの」と話してきたのだ。
母は反応に困ったような半笑いのような表情だったように覚えている。7歳の子供のしたことだから、「うんち」とか「おしっこ」みたいな幼稚な下ネタ程度に思いたかったのだろう。
悪びれなく笑っている弟、弟を叱らない母に、私はただただ嫌悪感が湧き上がった。
母は理由を聞くと先日の弟のことに触れられるとでも思ったのか、「思春期だからね」とだけ言って受け入れた。
その日、一人で風呂に入っているとドアの向こうから弟が幾度と「なんで?」「なんで急におねえちゃんとお風呂に入らなくなったの?」と母に聞いている声が聞こえた。
弟の質が悪いのは、分かっているのに年下であること利用して純朴、無知を振る舞っていたことである。
そして小賢しいので、風呂に一緒に入れないなりにあの手この手で姉である私の裸を見ようと執着していた。
塾や習い事から帰宅するとわざわざ風呂のドアを開けて「おねえちゃんただいま」と言ってくるようになった。私はそれで体を洗う時間を極端に短くして、湯船に入るときは風呂の蓋をギリギリまで閉めるようにした。
ちなみに、弟は帰宅時に私が部屋にいる時は部屋には来ない。あからさまである。
また、今までトイレに行ったらトイレタンクの蛇口から出る水で手を洗っていたのに、途端に脱衣所の洗面台で手を洗うようになった。風呂上がりの、裸で体を拭いているタイミングを狙ってくるのだ。
だから私は風呂から上がったことがバレないように、湯船から出る音、風呂のドアを開ける音を最小限に留めたり、体を急いで拭いて、拭ききらぬまま下着や寝間着を着ていた。
これが癖になって修学旅行で体がビショビショのまま寝間着を着ていたことで同級生には驚かれた。
こんな、自宅なのに落ち着いて風呂に入れない生活が長く続いた。
そしてある日のこと、タイミング悪く私のお風呂上がりに合わせて弟が脱衣所に入ってきてしまった。
弟は下から舐めるように見た後に「おねえちゃん、(毛が)生えたんだね」と言ってきた。
家族に性的な好奇心の道具にされていることの屈辱で言葉にならず、声も出ずに弟をその場にあった洗濯カゴで殴った。
母には私が弟を邪険に扱っているように見えていたらしい。
中学校の卒業の時に、弟が「おねえちゃんにプレゼントだよ」と言って、名入れされたハンカチを渡してきた。
当たり前だが弟が名入れのハンカチなど買える訳がなく、母が提案して弟から渡させたのだろう。
私のこの、長年の苦しみがハンカチ1枚で許される訳がない。ハンカチはもらってすぐに本棚の裏に投げ捨てた。
コロナ禍もあり、私の部屋を片付けて仕事部屋にしたいというので片付けを手伝った。
母からの「せっかく買ってあげたのになんで使わないのよ」の一言で、ああ、この人は私の苦しみを何も気づいていないのだと悲しい気持ちになった。
当時、弟の風呂のぞきに困っていることを相談したことはあった。だが「小さいから面白がってるだけよ」と真剣に取り合ってもらえなかった。
もしくは、自分のかわいい息子が姉にれっきとした性的虐待をしていると信じたくなかったのだろう。
しかし、やられた側からすれば「たかが風呂のぞき」では済まないのだ。
風呂に入っている時、ハンカチを見た時、ふとしたタイミングで思い出されては今でもずっと嫌な思いをしている。
最近だと子供の性教育は話半分ではなく、「ちゃんと真剣にやらないといけないよね」という世の中の流れになってきている。
私は、私と同じような思いをする子供が一人でも減ってくれればいいとただただ願っている。
だからこそ、このように書き残すことにした。
子供が異性の体に興味を持つこと自体は自然なこと。だけどそれで家族が犠牲になってはならない。
たくさんのコメント、ありがとうございます。
「気をつけよう」「性教育は大事」というコメントがあって、伝えたいことが届いて良かったという思いです。
そして、同じような経験のある方々もコメントを書いてくださってありがとうございます。
本当に、苦しかったですよね。過去のこととはいえ、ふとしたタイミングで思い出されては、やりきれない気持ちになります。
予想以上に同じような経験をされている方が多く、家庭内だからこそ根が深い問題なのだと再認識しました。
また、書く場所が場所なので、心無いコメントは仕方ないと思っています。
やられた立場にならないと苦しみが分からないでしょうし、やった側だったとしたらこんなに重大な心の傷を負わせているなどと信じたくないのでしょう。
ですが、理解されないものだとはいえ、攻撃して良い理由にはなりません。
目に余るコメントもあるので、いくつかコメントさせてください。
文章のプロではないから説明に不足があったかもしれませんが、そういう議論のために投稿したのではありません。
できるならそうしています。
痴漢の被害者にも同じようなことを言う人がいますが、なぜ被害者側に非があるような言い方になるのでしょうか。
同じように家族から性的な嫌がらせを受けても「許そう」と思えるのでしょうか?
そして被害を受けた側はどんなに忘れたくても、ふとしたタイミングで思い出してしまうのです。
それほどの、一生引きずるほどの傷を残す重大な問題なのです。
面白がって書いているのでしょうが、良い訳がありませんよね。本人が嫌なら駄目です。
このような考えの人がいるから家庭内の性被害って見過ごされるのですよ。
よくいる。
認知されたい人の声がでかくて認知されたくない人は声出さないから分かりづらいだけ。
集団活動に放り込まれた時に気を付けて見てみると割といる。オタクイベントだとスタッフから絶対距離を取るマンとかいて更に分かりやすい。
認知されたくないとのことだけど、多分悪い意味で、ご近所でヒソヒソとかコンビニでクスクスとかされていると思う。(ちなみに整体とかは予約時の備考欄に「会話苦手なので喋らない人希望」みたいなの書くといいよ。おまじない程度だけど。)
本当に意識に残らないのは問題行動すらしない奴。人って人の好意は記憶にあんま残んないんだよね。逆に挨拶無視程度のことでも不快なことはずっと覚えてるしネチネチ言う。
で、増田は良い方の認知はされたくないの分かったけど、悪い方の認知はどう? わりと平気なのでは?
「なぜ認知されたくないのか」を考えた方が多分生きやすくなると思う。良い認知も「話して好かれたら困る」とかだと「自意識過剰では?」の自己ツッコミとか入って生きるハードルが低くなるのでオススメ。
恋愛の話や下ネタについていけず気まずい思いをすることが度々ある。
先日、ミーティングがあるというので会社の打ち合わせスペースに行った。
すると、なぜかみんながクスクス笑っていた。
後でなんとなくわかったのだが、要するにそこに置いてあったお菓子の袋か何かが避妊具に見えるという事だったようだ。
詳しいことはわからない。
それについての会話になるというよりは、口に出さず空気感を共有してみんなでその状況を面白がっているような感じだった。
電車におもしろい人が入ってきたときの乗客同士のあの雰囲気だ。
すると今度は、みんながヒソヒソしだした。
会社のみんなは僕に彼女ができたことがないことを知っているので、
多分、「あ、やっぱりあいつ分からないんだ」みたいな話をしていたのだろう。
そんなことがありました。
私が実家と絶縁したことによって、姉ちゃんに被害が及ばないか心配。
母は、「産んでやっただろう、育ててやっただろう、あの時ああしてやっただろう」っていう恩着せがましいタイプの毒親で、私は子供の頃からちょっとした洗脳を受けていた。
私は学生時代にうつ病で不登校になったり高校を中退・通信制に転入したり、母に沢山心配させて親不孝したものだから、自分の残りの人生は母への恩返しのために生きるんだとナチュラルに思っていた。
母は酷いヒステリーで考え方が歪んでて、一緒にいるとものすごく疲れるしイライラするけれど、自分がニコニコ笑って我慢していれば、母を怒らせなければそれなりに良い母娘でいられると思ってた。
何をするにも決めるにも母の意見を優先し、母の意見が私のすべてで、気が付いたら自分で考える事ができないアラサーBBAに。
結婚して実家から出た事がきっかけで洗脳が解けた私は、数か月前にLINEで母に手短に「子供の頃から実家が嫌だった 距離を置きたい」と一方的に告げてブロック。
絶縁というほどではないかもしれないけれど、顔も見たくないし声も聴きたくない気持ちは変わらず、このまま関わりたくないと思っている。
そして先月、姉から「母の日のプレゼントを用意したから共同ってことにしよう」とLINEが来た。
姉と私は気の合う真の仲良し姉妹という感じではないが、同じ親を持つ「同志」という意識が強い。 だから姉の言動が信じられないし、そんな事したくなかたったから断った。
姉は極力実家は頼らないって言ってるけど、ただでさえ今正社員で働きながら娘を育てるわけで、この先双子が生まれるとなると実家を頼らないとキツイ。
でも、両親は高齢の挙句貧乏で車も持ってないし、「孫=面倒事」くらいにしか思っていない。 私自身子供を産んで育てた経験もない。
姉の力になってあげたい。 でも、かといって両親が頼りない分、叔母の私が姪っ子達にサービスし続けるのもなんかおかしい。
一番の心配は、次女(私)という母のサンドバッグが消えたことにより、姉や姪っ子に視線や期待が集中するんじゃないかって。
なんていうか、母自身が見栄っ張りな挙句コンプレックスの塊で、我が子で自分のコンプレックスを払拭させる人だったのね。
だから娘に必要以上に干渉するし口出しもする。 自分の言いなりにならないとキレて手に負えなくなる。
多分だけど、姉的にはこれ以上自分に被害が及ぶ前に実家と仲直りしてほしいんだと思う。
でも、私は嫌。 言葉の通じない両親の為にサンドバッグになり続けるのは嫌。 話がわかる人たちなら、こんな強硬手段はとらなかった。
両親のありがたみはきっと自分が親にならないとわからない。 姉も親になって母のありがたみも異常さもわかったのかもしれない。
ずっと姉に言えなかったことがある。
母は、姉が父親似なのが気に入らなかったようで、姉のいないところで姉が悲しむような悪口をクスクス笑いながら私に聞かせていた事。
小さい頃から「お姉ちゃんは私たちと違う」って、陰で姉を余所者みたいに扱っていた事。
私の事を「あんたはお姉ちゃんと違ってお母さん似だから幸せになれる」ってずっと馬鹿みたいに言ってたけど、子供の頃の私を何かにつけ「やっぱりあの男の子供だな!」ってなじっていた事。
姪っ子を「旦那さん似で ざんね~んw」って小馬鹿にしている事。 半日預かっただけで「一日中泣きやがって。酷い目に遭った」と醜く顔を歪ませて私に愚痴った事。
保育園に通っていた私は保母さんにいろんなことを教えてもらって、優しくてお母さんと違って怒らない保母さんのことが好きだった。
成長して、円周率を学んだ。
私は保母さんになったら「私、円周率なの」というジョークを言うのだと漠然と思っていた。
時は経ち、将来のことを真面目に考えるようになった。保母さんになるための道を探した。
けれどその時にはもう、保母さんにはなれなかった。保育士というものに変わっていた。
円周率も3になっていた。
ダンジョキョードーサンカクカシャカイとやらはきっと社会を良くしている。保育士になりたかった男性が、呼称を気にしなくてよくなった。
子供の世話をするといえば母である、という固定概念も取り払われつつある。
教育要綱は二転三転していてよくわからない。今の円周率はいくつなんだろう。今の人達は円周率をほぼ3と認識しているのだろうか。
とにかく、時代は変わった。
私は円周率になれなかった。
バイト仲間に女性講師がいる。俺と同じ大学だ。彼女は少しコミュニケーションが苦手なタイプで、真面目で、生徒にも敬語を使う。ある女子生徒が教室内の道を塞いでおり、彼女は「すみませんが……」と言った。近くにいた女子中高生集団はギャハハと笑い出した。「あの人だれー?クスクス」「マスダって言ってたクスクス」「すみませんが(声真似)www」「キモwww」
彼女は男子生徒からは信頼が厚い。コミュニケーション不全なところは不満はありつつ、生徒と慣れ合わずに勉強を教える姿勢が受けている。講師仲間や社員からも真面目で優秀な人なので信頼が厚い。ただ女子生徒からはずっとこんな感じだ。