はてなキーワード: がっかりとは
武雄市民の皆さん、この文章を読んで下さっている皆さんへ
武雄市に住んでいる一市民です。インターネットに意見を書くのはとても勇気が要りました。ずっとこのもやもやした思いを誰かに話したかったのですが、誰かに話すことで回り回って私や家族、親戚に圧力がかかるのは最悪の場合生死に関わりますので、誰にも言わず、えいっと書いてみます。長文、乱文になりますが、ご容赦下さい。
新しい図書館、ボランティアを突然募集されていましたが、身分証明書を提出しなければならないとのことで、自分の本名や所属をお伝えするのは立場上非常に危険だと思い、本当は一早く中を見て現状を皆さんにお伝えしたかったのですが、泣く泣く断念しました。今までの図書館は天窓も有り、道路側に面したガラスが大きく採光が最高で、また吹き抜けの面積が大きく、大変開放的な館内でした。読み聞かせの部屋も見たことはありますが、子供が読み聞かせに集中できるようにあえて周囲とは離した設計になっていると説明していただき、なるほどと納得出来ました。
新しい図書館にはスターバックスができるそうですね。図書館でコーヒーが飲めるようになること自体は私はさほど気にはしませんが、本は湿気が大敵だとお聞きしてますから、どれくらい影響があるのかはちょっと気になります。それと、これまでゆめタウン側にあった自動販売機や水が飲める機械、そして学生さんが座って飲み物を飲んだりしていたテーブルがどうなるのかが気になります。確かあのスペースは新しく入り口ができるそうですね。これまで一緒に行ったお母さん仲間と休憩したりお話するのに丁度良いスペースだったのですが、まさかスターバックスのスペースで持ち込みの水を飲みながら長時間おしゃべりするわけにもいかないでしょうし。これからどこに行けばよいのでしょうか。
二階には椅子と電源コードが設置されると聞いてびっくりしました。ノートパソコンを持ち込んでお仕事をされる方が増えるのでしょうか。お仕事をされる方はさぞ捗るのでしょうが、結構長時間席を占領されそうですね。それ自体を非難するわけではないのですが、お仕事について調べたり学習したりしたいなと思った時に、二階の本を持って開いている席をウロウロと探すことが増えるのかと思うとちょっとげんなりします。この就職難のご時世ですから特に、真剣にお仕事を探されている方にも優しい図書館であってほしいものです。
蘭学館も数回行ったことはあります。誰もいないなんてことはありませんでしたよ。私が行った時には結構年配の方とか来られてましたね。歴史に興味が出る年代を考えるとそういうものなんでしょうか。ただ歴史には全く素人の私からすれば、確かに常設展示が主で変わり映えのないというイメージが付いてしまうのは残念に思いました。スペースの限りもあるのでしょうが、全国に散らばっている鍋島藩ゆかりの品々を展示するようなイベントでもいいので、もっと積極的にされてもいいのかなという気はしました。私が気づいていないだけであればごめんなさい。
こういう歴史的なものを展示するところがあるというのは、地味だけれど大変大事なものだと思います。たとえ展示物は複製品だったとしても、歴史資料や文献などを収集し保存しておくだけでも、後世にとっては重要なことでしょう。今は何らかの事情で展示できなくても、今後少しずつでも公開して頂けることを期待しています。
そう考えると、せっかくそういう意図を持って作ったはずの部屋を、なんでレンタルショップにしてしまうのかなという気はします。だって蔦屋はすでに朝日のボウリング場のところにあるんですよ。スーパーが24時間営業なのでよく買い物に行きますが、メリーランドの中で正直一番車が止まっているのって蔦屋の前なんです。週末なんか、ただ買い物に行って車を停めるのにも一苦労するくらい人が集まっているんです。(新武雄病院前のアクロスプラザのほうがお客さんが少ないですね。)
車を停めるのに一苦労といえば、今のゆめタウンだってそうです。週末でポイント5倍のセールなどがあっていると正直言って最悪です。誰しも年はとりたくありませんが、だんだん歩くのが辛くなってくると、競輪場側の駐車場に車を停めて歩きたいとは思いません。その競輪場前の駐車場だって、週末は競輪の開催と重なって満杯近くなっていることもあります。もうすぐ新しい図書館ができると、きっと物珍しさに来館者(決して「お客さん」とは思いたくないですが)は増えることでしょう。従来の図書館の駐車場はそれなりに大きい方かもしれませんが、それでも、これまでは週末など停めるのに苦労していました。これからどうやって来ればいいのか正直いって不安です。
私も実は前々回の選挙で樋渡市長に投票した一人なのですが、確かにその時は閉塞感が広がっていて、武雄市を変えてくれるかもしれないという望みを託していました。ですが、年数が経っていくうちに、その望みは間違いだったかもしれないと正直いって思うようになりました。
市民病院が民間になり、広い敷地に大きな建物ができました。たしかに立派に見える病院にはなったのですが、お母さん仲間の中ではあそこに行く人は多くありません。理由を聞いてみると「小児科がない」からです。意外に思われるかもしれませんが、武雄市内中心部には小児科が1軒しかなく、今はどうか知りませんが以前はそこですらお医者さんが毎日いるわけではなく、子供が病気にかかった時にどこに連れて行けばいいのかがわからなかったのです。今は私には小児科に連れて行くような子供がいませんので現状がわかりませんが、少なくとも小児科を増やしていただくことが、市民にとっては切実な問題ではないでしょうか。それこそ「今あるものを生かしながら」でもあり、「抜本的に変える」ことでもあると思います。民間に変わってからもうすぐ2年が経ちますが、現状はまだこうなのです。本当の意味で「使いやすい形で、変えていただくこと」を望みます。
それから、ツイッターのことですが、「takeotoilet」というものができた理由を拝見しました。武雄市民として、最初見たときはがっかりしました。どうしてそんな名前にされたのかと正直に思いました。ただそんな名前がつくにも理由があるのだから、と自分に言い聞かせて調べてみました。私はてっきり図書館に反対している人たち(っていうんでしょうか?)が侮辱的に言ってるものだと思っていたのですが、最初に「ツイッターは便所の落書き」だと仰ったのは他でもない市長だったそうですね。私は議会はあまり見ないので、普通のテレビや新聞などでみる市長のイメージしかありませんでしたが、正直言ってそんなに他の方を貶めるようなことを言うような方には見えませんでしたので、最初はまさかと思いましたが、残念ながら市長ご本人の発言なのですよね。非常にがっかりしました。信じていたのに、裏切られたような思いです。人間不信になりそうです。先日夫に聞いて初めて議会のインターネット放送?を見ました。そうしたら、本当にそのままで、もっとがっかりしました。
飛び抜けてできる子は駄目なところもあるのかもしれませんが、それが許されるのはきっと子供の間だからだと思います。社会人にもなったいい大人が、周りのことも考えられずに暴言を吐いたり、まともな議論もできないようでは大人としてどうかと思います。大学を卒業してすぐの新人研修ならともかく、5年も過ぎて同僚やお客さんに対して暴言を吐いたり、こっちが気を使って持ち上げてあげないと仕事ができないような会社員だとしたら、クビになってもおかしくないのではないでしょうか。私がもし同じ会社で一緒に働いているとしたらきっと毎日憂鬱なのだろうなと思います。
今の武雄市はいろいろなことをやっているように見えますが、いろんな失敗もあります。ですが、それを失敗だと言える人がいませんし、いたとしても表に出てこないのです。先ほどの市議会ではありませんが、市民の代表のはずの市議さんが議会の一般質問でなにか疑問をぶつけたら、たちまち暴言を返されたり、あなたには返答しないと言われたり、事実と違うことを言われたり、懲戒処分をうけるような状態なのです。議会で揚げ足取りをされているのをみるのは正直うんざりします。市民の代表でさえそんなことをされるような状態だというのに、どうして力もコネも守る手段もない一般の市民が自由にものが言えるのでしょうか?言えるはずがありません。言えるくらいなら、私もビクビクしながらこの文章を書いたりする必要はないはずです。
今の武雄市に起きているいろいろな事実や問題点を、些細なことや揚げ足取りと言われるのははっきり言って心外です。私もいろいろなことを聞いたり、それをきっかけに勉強して来ましたが、もうこの問題は図書館だとか病院だとかいう話だけでは収まらなくなっています。私たちが一市民として安心して住めるかどうかの瀬戸際だといって良いと思います。ですから、市外の方であってもこの問題に興味や疑問を持ち、色んな意見を言ってくださり、応援してくださる方が多くいらっしゃるという事実が大変嬉しいのです。さもそんなこともわからずに市長を非難しているかのように言っているような、本当に上から目線の馬鹿にしたフェイスブックやツイッターの皆さんの発言は許せません。私たち武雄市民に謝って欲しいくらいです。
揚げ足取りをする皆さんに言いたいのは、揚げ足を取るのではなくて、今の市長以上に本当の市民感覚を持ち、文化や歴史や哲学を大切にし、これから100年後をも見据えた武雄市づくりを真剣に考えておられる方を連れてきていただくか、抽象的な印象を語るだけでなく、聞かれたことには真摯に本当のことを答え、(もちろん開示請求は遅れずに処理していただいて、)筋道の通った話を、暴言なしで私たちにも分かる言葉でして欲しいと思います。市議会でいつも野次を飛ばしている方々と言うことが重なって、自分たちのいいように武雄市を変えてしまいたいと思ってしまう方達のよこしまな気持ちを感じます。
武雄のような田舎の現実をもっと、全国の皆さんに知ってほしいです。FB良品のこともありますが、全国の自治体が同じような閉塞感を抱いています。対岸の火事ではないのです。次はあなたが住んでいる自治体が同じようなことになるかもしれません。今まで通りでは駄目なんです。でも、ちゃんと筋道を通せば済む話を通さずになんとかしようとするようでは駄目なんです。そこはちゃんと意識を変えないと駄目なんです。そんなことは私のような一市民でも日々感じます。なぜそのことに目をつぶって揚げ足取りばかりするのでしょうか。武雄市民でもちゃんと考えている人は考えています。ただそれを表に出すことができないだけなのです。皆さんのお手伝いが必要なのです。
武雄市の問題に直接首を突っ込むのは嫌だという方もいらっしゃるでしょう。そんな方はどうか武雄のことはほっておいて下さい。その代わり、あなたが今住んでいる自治体が、武雄と同じようなことにならないかをしっかり監視していて下さい。武雄市は悪い形に変わってきています。子育てをするにも不安があります。市民と一緒に育ちたいのかどうかもわかりません。どうぞご自分の町にあなたの熱い思いをぶつけて下さい。
武雄市にはいろんな方が来られて協力してくださっていると聞いています。しかし話を聞く限り、ちょっとそれはどうだろうかと思うことも少なくありません。夢のある話だとおもいきや、実は市民に負担を強いていることもありますし、そのことすら表に出ていなかったり、ひっそり発表されてほとんどの市民が知らないこともあると夫の友人が残念そうに話してくれました。そんな人達や会社もフェイスブックやツイッターで揚げ足取りをされているようで、武雄市民として本当に残念に思っていますし、武雄市が良く変わろうとしていることを食い物にしようとする人たちを本当に情けなく、これもまた大変残念に思いました。
私たち市民は、よほどのことがない限り武雄に住み続けなければなりません。ですから、現状をどうにかしたいという気持ちは真剣に思っています。武雄市のために協力してくださっている方に心から感謝を申し上げます。武雄市の悪い部分をインターネットなどでご覧になり、武雄市のイメージが悪くなってしまっていることに対しては大変残念ですが、どうか武雄市のことは嫌いにならないで下さい。お願いします。
追伸)まるで茶化しているかのように書いてしまいましたが、私は今非常に怒っています。また残念でたまりません。なぜ私がこの文章を匿名日記のようなところに書かなければいけなくなったのか、皆さんにお汲み取り頂ければと思います。決して冗談で書いているのではありません。何もできない一市民からの、心の叫びなんです。どうか、この問題について少しでもあなたの琴線に触れたのなら、ぜひ次のホームページを見て下さい。私が住んでいる町でどんなことが起きているのか、有志の方がまとめてくださっています。ありがとうございます。https://sites.google.com/site/takeoproblem/
追伸その2)これまで私は、武雄市民と思われる方のブログが2回閉鎖されるのを目の当たりにして来ました。私は3人目にはなりたくありません。
ホモォいじりの問題って二つあると思うんだよね。
一つは、キャラクターの作者に金を払わずにキャラ人気に乗っかって儲けていること。(のまネコ問題に近い)
もう一つは、ホモォというキャラクターが同性愛差別にまつわるセンシティブな問題を抱えており、作者がキャラの拡散を望んでいないのに利用して拡散してしまったということ。
大多数がネタだって理解してると思うけどほんとうはこの盛り上がりに嫌悪感抱いてる人だっていっぱいいるよね。言葉が言葉だし。今更私が画像削除したってどうにもならないことなんだけどどうにも歯痒い。「身内で楽しむつもりだった」ってのも何の免罪符にもならない。
ホモォを作ったのは@kkkkei019という人。
身内で小規模に楽しむつもりだったのが予想外に拡散して批判を浴びたことで、キャラの公開を後悔している。(ダジャレではない)
例えばさ、シスへテロの大概の女性からしたら、男性が「おっぱい おっぱい」言って欲情してたら不快なのは明白だろ。 それは別に自分に対してじゃないと分かっていても当たり前に不愉快なんだから不愉快なんだよこの野郎やめろ。
ホモォ…がTLを席巻している自体が同性愛者へのセクハラにあたるという意見ですね。
あとは、「ホモォ」が何をあらわしているのかという点でも誤解を生んでいる。
キャラの作者は「ホモを求める腐女子の気持ち悪さ」をキャラクター化して、内輪の自虐芸として楽しんでいたんだけど、
一般人の目に触れるまで広がってしまったことで、「ホモの気持ち悪さ」をキャラクター化した差別的な存在だと受け取る人も出てきた。
あとは勝手に自虐に巻き込まれて「気持ち悪いもの」扱いされたことを怒っている腐女子も、ごく少数だけど見かけた。
一億総ツッコミ時代と言われるように、「気持ち悪い!ショボ!」と言いたくなるものがソーシャルでシェアされ伝播しやすい時代。
突っ込ませるポイントをあえて作るようにしている。
http://app-review.jp/news/107546
と言っているわけで、ホモォのことを気持ち悪いものとして扱って商用利用し、拡散したわけです。
この商用利用、原作者に許可をもらっているとはどうにも思えない。
おそらく無断で、タダで、のっかって儲けてしまっているわけです。
そしてそののっかりヒットが、200個企画を出した新規事業プロジェクトの唯一のヒットアプリだというのだから困惑もします。
採用、特に新卒採用に大きな効果があった。新卒は一つの事業しかやっていないところに不安を感じる傾向にあるのか、事業の多様性がウリになっていると思われる。「ホモォのとこに就職したい」という人が来た。
http://app-review.jp/news/107546
いいんですかね、こういうの。
夫が3ヶ月続けてきた禁煙に失敗した。
禁煙外来に行って、一時は成功したと思ったのに、ぬか喜びだった
また彼や家の中が臭い生活に戻るのかと思うと、正直がっかりした
裏切られたなんて大袈裟だし、被害者意識が強すぎると思うけれど、
妻たる私の存在では抑止にならなかったのかと思うとくやしい
激務でのストレスがあるのだろうが、同じ環境でも吸わない人は吸わないから
吸う口実にしてるだけじゃないかとも思う
吸うと妙な咳が出るし、決して正常ともいい難い血圧にも影響が出てるのに
習慣とは恐ろしいものだね
何にも言わないでおいたら、私が諦めた=吸ってもイイになりそうだなとか
穿った考えが過ぎる自分が嫌だなー
甘えられてるというか舐められてるのかね
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1046446270
>原子力って結局、お湯沸かすだけなんですか?
>詳しくないんですが、聞いたら原子力発電とかはプルトニウムを核分裂させた熱でお湯を沸かしてるだけだと聞きました。
>これが将来、地球上でエネルギーとして使うなら、核融合炉や反物質炉が出来ても、薪の代わりにお湯を沸かすだけなんでしょうか?
>追加で、鉄腕アトムなんかも体の中でお湯を沸かす設計なんでしょうか?
つくづく思うが、科学議論の場って、極めて専門化・深化して、ともすれば「専門バカ」が進行しがち。
学会とか論文の査読なんかも専門性の極北だし、科学者がわかりやすく市民に伝える、という
「市民科学講座」とか「サイエンスカフェ」なども、市民側は「多少は科学リテラシーが高い市民」が集いがち。
偏差値で例えれば、偏差値80の専門家が、偏差値55の市民に語る、という構図。
そういう場を設けることで、偏差値55の市民が偏差値60に引き上げられる効果は認めるが、
また、偏差値80の専門家も、偏差値55の「扱いやすい市民」を相手にするのだから、
専門バカは解消しない。
偏差値55の、市民講座に参加するような市民は、言ってみればお利口な市民だから、
専門家がびっくりするような斬新な視点は、なかなか出てこない。
一方、知恵袋って、玉石混交とか、質問数が多すぎて回答付かないケースが散発しているとか、
数々の問題点を孕んだフォーマットではあるが、唯一最大に評価できる点は
「リテラシー50未満のド素人が、臆せずに気軽にセミプロに質問できるフォーマット」である点。
「原子力って、お湯沸かすだけなんですか?なんだかがっかり・・」という視点は、
市民講座に集うような原子力偏差値55~60のお利口な市民からは、決して出てこない。
恐らくこの知恵袋の質問者の原子力リテラシー偏差値は50未満だと思うが、
だからこそ、このような斬新な視座で質問がなされたんだと思う。
そして、原子力リテラシー偏差値80の専門家も、この質問は「目からウロコ」だったに相違ない。
こういう偏差値50未満の一般市民とサシでやり取りするようになれば、専門バカも徐々に矯正されていくんじゃないか?と思う。
また、
「原子力リテラシー偏差値50未満の人って、こんな風に原子力見てたんだ」
個々のブログやツイッターでも一部可視化されているのかもしれないが、より鮮明に可視化できているのは、
やはり知恵袋だろう。
「偏差値50未満の人が質問し、偏差値60以上の人が回答する」というフォーマットなので、
上位リテラシーの市民と中下位リテラシーの市民がくっきり対比できる。
ずっと我慢していたがあえて吐き出そうと思う。
という部分で「お前が言うな」という批判もあるだろうことを承知の上で書く
「あっ…これ…だいじょうぶかな…」
これを見てピンとくる人もいるかもしれない
分からない人はそれでいいとおもう
お土産をやりとりする機会で
断っておくが普段は色々と良くしてくれている、
身近にいる大切な人たちである。
まぁ相手は自分が東北出身だってことは知ってたり知らなかったりするわけだし
どうしても仕方のないことだってことも良く知ってる
でもさ、これ 実は結構傷つくんだよ
たとえ直接的に自分のことを言われたわけではないとわかってはいるけど、
結構というかかなり残念に思う
けどさ、これが何気なく出てくるってことは
「あぁなんだ、やっぱり復興支援だなんだって言っても心の中ではそう思ってんだな」
ってこっちも思うわけでさ
まぁ仕方ないか、とも思うけど
でもさ
「どっちもどっちだよね…」ってポツリと言ったり
「もう東北のもの食べれないよね」なんて意見も目の前で言われて
いや、それは正直どうよ と
でもあぁ、結局そんなもんだよな と
残念には思うけど納得せざるを得なかったりもするわけで
幸い亡くなった人は自分の周りにいなかったけど
家が流されて仮設生活や知り合いが流されてお葬式に行った話や廃業、
原発被害にあって元の地にはもう住めない、なんて友人や知り合いはごろごろいるので
こういう意見を聞いて
どうしても「あーあ…」と思うわけで
一応「それ絶対東北の人の目の前ではいっちゃだめだよ~ww」なんて
ほかの人が諌める場面もあったけど
「そうだねぇ、目の前にもいるからね、気を付けた方がいいかもしれないね」
なんてにっこり言ってしまった
相手も「(あっしまった)」って顔はしたので
多少大人げなかったとは思ったが、
どういう反応するかは想像出来なかったのかな、と
その後は気を使ってるのかは分からないが
なんとなくお土産も渡さないようになったり
また、震災直後に周りによくあったのは
「もっと何か凄い支援が出来ると思ったのに」
どぶ掃除かよwwwww地味な作業だなぁ」
「うちにあるいらないもの送ったら「使えないからいらない」って言われた
確かにボロかったけどせっかく送ったのに」
という実際にあった会話
若者じゃない、4~50代のおっさん達でもこういう事いうんだな
自衛隊みたいな人命救助が出来るヒーローにでもなれると思ったのか
そこに住んでいる人たちはついこないだまで自分たちと同じように暮らしてただけの人たちなのに
震災にあった人たちはずっと「可哀想」であってほしいのか
と、その時は正直憤った
そういうのは
何だか今までは矛先が「アフリカの恵まれない子供たち」なんかに向いていた
「可哀そうな誰かを支援したい」っていうベクトルが
「今までにない津波被害や震災地域」という状況が身近にできたことで
都合のいい「可哀そうな誰かを気軽に“支援して”やってる」
「感謝しろ」といういかにも上から目線に酔ってるような気がして
一時期吐き気もした
今はもう気にしても仕方ないことだと半ばあきらめたが
ボランティア自体も別段することに否定はしないし、むしろ有難いと思う
自分が出来ることなんて限られているので
食べなれた味を求めて東北産を選んで買ったりする
そんなこと言ったら相手に何も言えない、
とか
とか
めんどくせぇなこいつ
それでも、身近な誰かがもしかしたら、っていう
ほんの少しの思いやりくらいはあればいいのにと思う
事実にはお礼を言いたい
ありがとうございました
そんな震災2年目
ぶく速 SFが読みたい!2012年のSFベストランキング発表!
うんちくは多いけど、それだけって感じ。
俺設定・俺テクノロジーを語るために物語を適当にこじつけたような。
SFってただの設定厨ってことだったの?
がっかり。
■2013/03/01追記
南極点のピアピア動画には、カタルシスがほとんど感じられなかったんだよね。
予定調和的に淡々と進んでいくだけで、オーバーテクノロジーなりトンデモ理論なりが、話の展開を作る上でただのモブに成り下がってたように思えた。
それを使って話の展開が180度変わったりとか、そういうカタルシスが欲しいんだ。個人的には。
SF的な「設定」は「とりあえずある」っていうだけで、おはなしの部分は平坦なストーリーをなぞるだけだったら、むしろストーリーなんてなくていいとすら思えるんだよね。
用語集とかだけでいいじゃん、みたいな。
じゃあSF小説の醍醐味ってなんなの?って話にもなっちゃうけど。
参考までに自分の傾向。
・とりあえず翻訳物は苦手っぽい。日本人の作家だとありがたいかも。
・よくまとめサイトとかであがるものだと星を継ぐ者があるけど、あれは最初の10ページだか20ページだかで読むのをやめてしまった。
・小川一水の老ヴォールの惑星は面白かった。でも同作者の他の作品(ラノベレーベルとか)はなんかイマイチ面白くなかった。
・伊藤計劃は前提知識とかが専門的すぎるように感じられてとっつきづらかった。
・ループもの、時空跳躍ものが好き。そういや夏への扉とかもオススメで上がってたっけか。
↑って書いたら、日本人のを読むからダメなんだと言われたから、とりあえずSF要素が薄いor読みやすい海外モノでオススメないかな?
名作と呼ばれてるもの=読みやすいってわけじゃないのは痛感してるから、「SF 名作」とかで出てくる本にも下手に手を出しづらいんだよね。
秋元康が峯岸事件について語ったポッドキャストがアップされた。
これを友人とも共有したいと思った。
しかし実際は連絡はしなかった。彼と連絡を取るのをやめて一月経っていたし。
それは良いのだが、俺はこいつが本当に糞なやつだということがこの病気が発端でわかった。
ペットは親戚に預けることに。洋服、娯楽用品、洗面用具等すべてまわりが手配。
病気の原因は本人の不摂生にあるのにそれを反省した素振りを見せない。
病気になる前にみんな彼に注意をした。
「運動をしたほうが良いよ」「野菜を食べたほうがよいよ」などなど。
それをなんだかんだ理由をつけて拒んだ。
「いや、時間がないんだよねー」「ジムいくお金がないっていうかー」
そのくせペットなど飼い始める始末。
自分ひとりではなにもできず、親に助けてもらってる現状。
でもこれはいいことだと俺は思っていた。
人間とことんまで落とされると、そこで切れて、また這い上がろうと努力する。
悪いところは改善する。
考えは変わる。
ホリエモンでさえ一時期に比べ丸くなったと言われた。
そういうものだと思っていた。
だがコイツは違った。
SNS上では愛想いい。人に心配される、同情を買うようなポストを投げる。
いいね!がそこそこつく。
挙句の果てには、迷惑をかけている親のケアについて不満を言う。
こんな制限かけてくるんだぜー、ホントなんでなんだよー、と。
親が制限かけるのは当たり前だろ。自己管理できない子供はルールで縛るしかないだろ。
お前自分の立ち位置理解してんの。相当ダサいことになってるよ。
もうお前には当分会わないけど、この機会に言っとくよ。
それをまわりの人はどう思っていると思うんだ。
お前の見舞いに行って、「最近風邪気味だった。体調管理は大変だ」
車椅子のお前と討論する気もないし、そんなことの為に見舞いに来たんじゃない。
友人だからと人の気分を害しても気にしない、ありがとうも言えない、
俺は多分がっかりしたのだと思う。
相当がっかりした。
別に女児sageがしたいわけではありませんが、女性って、自分が女だから「小さい男の子」と言われてもあまりイメージ湧かなくて、「可愛い服を着せられるから」なんていうどうてもいい理由で女の子を産みたいと思っている方が多いんじゃないでしょうか。というか、私がまさにそんな感じでした。病院で「男の子ですよ」って言われたとき、正直言うと少しがっかりでした。女の子と一緒にファッション談義したり料理作ったりしたかったなー、と。
でも、いざ男児を産んでみたら、これがめちゃくちゃ可愛いんですよ。今になると、なんで私、あんなに女の子を産みたがっていたんだろう?と不思議に思います。
「僕がママを守るからね」とか素で言い始めます。夫と喧嘩してると、「ママをいじめるな!」って駆け寄ってきたりします。駆け寄ってくる途中で盛大にコケて泣きだしたりします。おい、まずは自分を守れよと。
女の子は3歳にもなると、「あたくち1人で生きられまちゅから」って顔になってくるのに、男の子はいつまで経っても「ママ好きー」「ママ構ってー」「ママ助けてー」と抱きついてきます。なにこれマジかわいい。
ほんとアホです。好きな教科は体育と給食です。女の子たちが「あたくちの旦那、お掃除じぇんじぇん手伝ってくれないのよー」「あたくちの旦那は給料安くてこまったわー」とおままごとをしている間、男の子は奇声を上げながら犬みたいに庭をぐるぐる走り回っています。空気など一切読みません。そのかわり、裏表がなく素直です。悲しいときは我慢せずに大泣きし、欲しいものがあれば床にひっくり返ってじたばたして欲しがります。ある意味、分かりやすくて助かります。
やっぱり洋服のかわいさだけは、女の子ママが羨ましいです。男児服売り場に行っても全然そそられない。そのかわり、衝動買いすることがないから洋服代が安くなるという利点もありますが。
子どもの世話で忙しくて疲れてるだろう嫁さんにスキンシップしかけて拒絶されて勝手にがっかりしたり
自分の思い通りにならないとやたら「僕はキレた」「僕はキレた」ってダダこねまくりだしな
どこの集計かもよくわからんのですが、ヱヴァQの評判が悪いそうで。
そう思う人が多いのも仕方ないとも思うのですが、個人的には楽しめたのでそのあたりについて
「ヱヴァ解釈論ブーム」が落ち着いてきた感のある今頃になって適当に書き綴ってみる。
ヱヴァQを語るうえで前作とのつながりについては言及しないわけには行かないですね。
たぶん今回ヱヴァQでがっかりした人は結構な割合でヱヴァ破のラストにグッと来ていたと思います。
かくいう私もグッと来ました。シンジさんかっこよかったっすね。
でも、あれってヱヴァQ見てから再度見直すと、シンジさんのちょっとしたミスが気になってしまいます。
それは、
「僕がどうなったっていい、世界がどうなったっていい、だけど綾波は…せめて綾波だけは、絶対助ける!」
これがシンジさんをシンジさんたらしめているセリフなんですが、ここに含まれるちょっとしたミスが
そうです。「世界がどうなったっていい」という部分は口にしても願ってもいけなかったんです。
だって、ヱヴァ初号機とシンジさんの組み合わせではその願いが具現化してしまうんですから。
シンジさんの願いを叶えるべく、初号機さんは世界を犠牲にしてでも綾波を救おうとしちゃうんです。
ここでのシンジさんの不幸は、己の力量を正確に把握できていなかったことでした。
己の何気ない考えや言葉が世界に及ぼす影響をまったく考えていなかったことでした。
あの時のリツコさんの言葉が本当なら、とことん貪欲に「世界も綾波も救って幸せに暮らしてやる」って願えば
世界への甚大な影響はなかったんじゃないんでしょうか?それとも「古い生命体は滅ぶ」の方が優先されるんでしょうか?
そんなのみんなで新しい生命体になればいいじゃん!Yes貪欲!No More 遠慮!
そしてヱヴァQの序盤です。
我らのヒーローであるシンジさんが周りからひどい拒絶を受けてしまう序盤ですが、これもこの時の状況を考えると
だって、シンジさんのせいで被害を被ってない第三者である我々視聴者はともかく、ヴィレの面々はシンジさんが
間違った方向に全力出しちゃったせいで甚大な被害を受けた被害者なわけです。
それだけでも拒絶するに十分な理由なのに、あろうことかサルベージ計画実行中に覚醒してます。
回収後の調査で科学的には14年前の碇シンジという個体と同一である可能性が非常に高いという結果が出てるとはいえ、
世界を犠牲にして綾波を救おうとした生命体が情報収集のために碇シンジという生命体に擬態している可能性もあるわけです。
おいそれと警戒を解くわけにも、情報をべらべらしゃべるわけにもいかないのは、ヴィレ側の立場としては仕方ないのではと思います。
いつまた世界を犠牲にして綾波を救い出そうとするやもわからない生命体に心を開けという方が無茶です。
まぁ、結果としては「綾波なんて救えてないよ」という絶望的な現実をシンジさんに伝えてしまうわけですが。
外見や声だけはまるっきり同じの綾波モドキがシンジさんを悲しい現実から救いに来てくれちゃったおかげで
シンジさんは現実から目をそらして綾波モドキと一緒に逃亡します。
「やっぱり綾波は救えていたんじゃないか」という自分の信じたい現実(虚構)が目の前に現れてくれたおかげでシンジさんは
まだ何とかポジティブです。しかしそれも徐々に揺らいでいきます。
自分が救ったはずの綾波(モドキ)が自分の知ってる綾波と違うことが徐々に露わになり始めますが、シンジさんはその現実からも
目をそらしてしまいます。その現実逃避がよく表れているのが「綾波の段ボール小屋の前に積まれた本」ですね。
「お前は俺が救った綾波のはずだ」という願望の押しつけを積み重ね、それでも無視する綾波モドキに対してついには「もういいよ!」と当り散らして
積み上げた本を散らかしてしまいます。高く積まれた本が崩れる様は、シンジが「自分の努力は徒労どころか害悪でしかなかった」という
つらい現実をやっと受け入れたことを表していたように思います。
この綾波モドキとのやり取りと並行して描かれた、ヱヴァQで評判の悪い真夏(かどうか不明)の昼の淫夢にも触れなくてはならないでしょう。
つらい現実から目を背け続けるシンジさんをカヲル君は優しく慰め、つらい現実を優しく噛み砕いてシンジさんに受け入れさせようとします。
拒絶と無関心しかない世間で唯一自分を認めてくれる存在が目の前にあれば、だれでもそれに縋るでしょう。ほかに縋れるものなんてないから。
そしてカヲル君はこのどうしようもない現状の打開策(とカヲル自身が信じている事)をシンジに伝えます。
そりゃやるでしょう。受け入れがたい現実を受け入れたことでシンジさんは自分にとてつもない力があることだけは自覚できたからです。
「自分には力がある。前回は使い道を間違ったけど、今回は道しるべを示してくれる人がいる。これはいける!」
この時点で道しるべを疑うことをシンジさんに期待するのは酷というものです。
不吉な番号が付いた13号機に二人で乗り込み、汚名返上のため再度やる気120%のシンジさんは、視界に入る大好きだった綾波と似て非なる生命体を
そこで、自信満々でシンジさんを導いてきたカヲル君が異変に気づきます。
「何かがおかしい」
でもシンジさんは止まれません。
目の前に広がるクソッタレな現実から逃げられるまであと一歩というところまで来てるんだから。
船頭が迷い始めているのに漕ぎ手が止まりません。
もうすぐ答えに手が届きそうなときに「なんか不安だからやめよう」なんて言われても止まれません。
なぜならこの言葉はシンジさんにとっては「このクソッタレな現実ともうしばらく付き合おう」に等しいからです。
「もうすぐでこのクソッタレな現実から逃げきれるのになんでわざわざつかまってやらなきゃいけないんだ」
と考えてしまうのも無理はない。止まれない。
せっかくやる気を出したにもかかわらず2度やって2度失敗してしまったシンジさんは絶望してヒキニートに戻ります。
仕方ないことですね。頑張っても無駄だったんだもの。むしろ害悪だったんだもの。2度やって2度とも。
「自分が頑張れば頑張るほど他人が迷惑する」というつらい現実と2度も直面させられては、こうなってしまうのも無理はない。
だってこんだけ迷惑かけても、息を切らして自分に駆けつけてくれる絵にかいたようなツンデレ美少女が居るんですよ?
ふざけんな、何がシンジさんだこの野郎。かわいそうな自分に酔ってんじゃねぇぞ。
こんなに幸せな物語ありますか?超絶ご都合主義なアニメじゃねーか。
映画の感想を分かち合う友人もいない、人生の伴侶もいない、電話の着信履歴が1年近く残る、メールが来るのはスパムだけな俺より全然マシじゃねーか。
いっちょまえに絶望気取ってんじゃねぇぞ。どんだけ幸せなんだこの野郎。
シンジさん改めボケカスヒキニートシンジの心の変遷をたどりながら2回見ました。
同じ映画を2回見たのはこれが初めてです。
世間的にはクソ映画なのかもしれませんが、俺にとってはかなり満足度の高い映画でした。
まぁ、こういう意見もあるってことで。
それは何も声優に限った話ではなくて、監督女優俳優有名人からキャラものまで何でも言える事じゃないかな。
人気がある人を起用すれば、その人目当てで見たり買ったりする人が居るんだから。
ジ○リ作品に芸能人が起用されるたびがっかりしてるけど、その有名人のファンは確実に見に来るし、テレビで宣伝してもらえる利点もあるから、合わなくても演技がど下手でも起用してしまうという事もある。
人気声優を起用するのも同じで、声優のブログやTwitterをたくさんの人が見てたら、それだけ宣伝になるじゃない。
それが「独自の拘りがない、仕事を楽しんでない」に当てはまるのかどうかはわからん。仕事とは何ぞやという議論になりそうだからな。
ただ、作品を作るっていうのは単に声だけじゃなくて、色んな事を多方面から考える必要があるんじゃないかなと思ってる。だから起用の理由が「有名声優だから」という理由だったとしても、作品のことを考えてないとか、やっつけ仕事をしていると決めつけるのは行き過ぎてると思うよ。
就職と同時に見知らぬ土地に引っ越して、会える距離に友達が居なくなった。
地元の子は全然ネットやらないからたまにメールをやり取りする程度。
出かける時はいつもぼっちで、会社でお局からいびりを受け、全く会話しない日が数ヶ月続いたら、なんか会話の仕方をすっかり忘れてしまったみたいで
何気なく行った店で店員さんに話しかけられた時、頭真っ白になって何も返事できなくなってた。
これはまずいとリハビリがてらSNSを始め、趣味をきっかけに数人と仲良くなって
オフ会に参加して久しぶりに人と一緒にお茶飲んだりご飯食べたりした。
でもその趣味仲間にある人が入ってきて変わった。
その人がどうも私の事を嫌いらしく、SNSで名指しではないけど私だと分かる悪口を言い始めた。
ちなみにこの人とは直接会ったこと無い。
悪口を見るたびに動悸や手の震えや怒りがこみ上げてきて、その人とは本当にもうだめだと思ってSNS上の縁を切ったんだけど、その後、他の人も全く咎めたりしないからもしかしてみんな同意してるんだろうかとか色々と思い悩んでしまって
もうどうしようもなくてカウンセリングに行って来た。
ひととおり話を聞いたカウンセラーはひとこと
「ネットやめたらどうですかぁ?」
これで7000円ですよ。
なんかがっかりしちゃった。
イブイブは仕事後21時まわってからスタバに行ってカップルを横目に見ながら書類書いてて
イブは仕事後プレゼント交換後二人でシャンパンを呷りながら年賀状書きに追われ疲れて甘い雰囲気どころではなくパソコンの前で熟睡
クリスマスは昨日の余りもののチーズとクラッカーにランプフィッシュの卵塗って余ったシャンパンにブルーベリープラスして飲みながら
書類書いて年賀状書いてるなう プリンタインクが切れたからディスカウントストアまで歩いて買いに行ってくるか
今週は31日までずっと細切れな仕事や家事タスクで埋め尽くされそう 大掃除やおせち作る暇無いな 今日お餅やそば、正月食材買っておくか
「他人を評価する側が『ウヨク』だの『サヨク』だの、乱暴で単純な分け方をしてるだけ」ってゲラゲラ笑い飛ばせば済むはずなのに、顔真っ赤にして言及してる時点で「ああ、この人も自分に自信がないだけなんだなぁ」ってのがよく分かってがっかりした。
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20121129/hatesa_hashimoto#c
加野瀬さんが「そのぐらいのダブルスタンダードを使い分けなければ、真のはてなサヨクにはなれないのだ!」って茶化して書かれているのに対して「別に俺はダブルスタンダードじゃねーし」って各自が勝手に脳内で解決すれば良いだけの話なのに、具体的な言及を待たずわざわざ釣られに行ってる時点で相当微妙な感じがする(し、自分の言葉に対して読解力を求める一方で加野瀬さんの書かれ方に対して自己の読解力不足を認めない態度は、いわゆる『はてなサヨク』よりも質の悪い印象を持った)。
いやーこれはちょっとやっちゃいましたね、村長。一騎当千ぐらいに思ってるのかもしれないけど、ちょっと舐め過ぎみたいな。こちとら修羅場くぐり抜けてないし、みたいな。
kanoseってリベラルなヒトだと思ってたんだけどなあ。ガチガチの右だったってことか。残念。まあなんか色々と執筆活動とかで儲けてるんだろうな。たいしたこと書いてないくせに、ネットでちょっと人気があるからそれを利用して資産家気取りで右派右派(ウハウハ)ですか。笑っちゃうよね。
まあ、正直もう村長って呼べるほどはてなじゃ人気ないでしょ。今じゃekken氏の方が適任かなとか思っちゃうし。色が無いぶんね。いや色ついてもいいんだけど右は無いわー。まじで無いわー。がっかり。
ヱヴァンゲリヲンのQをみた。東信者である俺は村上裕一×坂上秋成×さやわかによるQ最速座談会ももちろん聞いたし、風花でのあずまんと坂上村上ustも見たし、はるしにゃんとあずまんのtwitterでの絡みもチェックしたし、文学フリマでのQの感想を言いたくて仕方ない空気もしっかり感じた。相変わらず、文学フリマは「東浩紀不在の存在感」しかなかった。
さてQの感想はというと最初は「あれ?もう終わりか」というあっさり感。やけにシンジとカヲルいちゃついてんな、くらいが印象的だったのと、短いのもあってまるでTV版を見ているような感覚だった。劇場は満員で、上映が終わった後の観客の態度もなんだかしっくりきてなく見える。ロフトのイベントに出る直前のQを見たあずまんの感想が「僕には退屈だった」というのもあり、まあこんなものなのかと大して感動もないまま家に帰る。
避けていたネット上の色んなネタバレ感想をチェックしているうちに、Qは旧エヴァを見ている人間ほど思う所が強く、新劇場版から入った人間ほど低評価、という傾向にあるようだ。低評価の人間に多く共通しているのは「ミサトさん達ひどい」だ。シンジに共感している人が多い。確かにミサトはレイを助けるシンジの背中を押したくせにあれだけシンジに嫌悪感を見せるのはひどい。他のヴンダーのメンバーも気持ち悪いくらいシンジを否定している。そりゃサードインパクトを引き起こした張本人を前に友好的になれってのは無理な話かもしれないが、シンジだって使徒止めたしニアサード引き起こしたのはマークシックスなんちゃうん…あとシンジがエヴァにさえ乗らなければフォースインパクト起きないんだからちょっとは優しくしとけよ。自分だけ14年置き去りにされて(28)や(43)にあんだけきつくあたられたらそりゃネルフ側に行くわ…と突っ込み出したら切りがないが、14年という年月の間に明かされてない事が多いのでどうとでも解釈できる。ミサトさんもヴンダー立ち上げるまでに色々あったんだろうし43なら更年期障害とかあるかもしれんし、部下の前で弱い所も見せれんかったのかもしれん。
ひと通りネット上の感想を見た後で坂上村上さやわかQ座談会も聞く。三人とも旧エヴァからのファンで、Qにかなりの衝撃を受けた直後からの感想が生々しくて実に良かった。彼ら的にはQは決して高評価でなく、エヴァを見続けている人間として胸をえぐられた気持ちになり、傷つきつつも、座談会を通して次作のシンエヴァを待つ気持ちにようやくなれたということらしい。しかし他の低評価の人たちに比べたら随分高評価だと言える。聞いていて庵野信者とはこういうものか、と納得できた。
その後続けて風花のあずまん坂上村上ustをみる。こちらはゼロ年代の風景が再びといった面子で東クラスタ的には涎が止まらない。重要なのは坂上がtwitter上で思想地図β2の震災特集号の巻頭言に大して上から目線感想をし、あずまんがカジュアル破門をし、その後坂上が宇野常寛陣営に下った後の初の二人の対面という構図だろう。
人間関係においても時間という薬は効き目が抜群で、あずまんと坂上もあのカジュアル破門の一件から一転して普通に話している。しかしどこかギスギスしている所は否めない。坂上の立場としてはとても難しい。宇野との関係がある以上あずまんと必要以上に交流したら立場として面倒くさくなるのは明白だ。それでもこのustで坂上が冗舌なのは彼だって東信者だからである。あずまんを尊敬して、でもあずまんの強烈すぎる人格性に耐えられなくて逃げて、それでもあずまんが諦めきれないのだ。俺がustの一連の坂上の発言から読み取ったのは「俺を認めてくれあずまん!」というメッセージに尽きる。でもあずまんはもう坂上に大して興味がないしQにも興味がないのだ。坂上が言うQの解釈というのはあずまんにとって遊びでしかない。ゼロ年代的な言葉遊びに辟易した彼からしたら坂上の仕事は頑張っているとは言えても世界を変えるまでには至らない、とるにたらないものだろう。それでも坂上の仕事はあずまんの影響下にあるもので、「よく出来た劣化コピー」のような、あずまんから見たら愛憎交じるアンビバレントな思いもあるだろう。だから彼はゲンロンカフェの話を持ちかけた。これは坂上にとって良い話なので、当然受けるだろう。これは同時にあずまんから宇野に対する牽制でもある。仮面ライダーの話をした点からも明らかだ。坂上の「仮面ライダーなら村上さんも語れますしね…」と力なく呟いたのが印象的だ。そこは明らかに宇野の名前が出るはずなのに、出なかった。出せなかったのだ。まったくもってめんどうくさい話である。
あずまんはなぜQに感動しなかったのか。彼と坂上および村上の間で共通している見解としては「庵野が旧エヴァのような事を再びQでやった」である。破で宮崎駿や押井守に負けるとも劣らぬクオリティの高いエンターテイメントを提供した庵野が、敢えてそれをぶち壊すような所にシビれ、憧れたのが坂上であるが、あずまんはそこに反応しなかった。いや、一定の評価はした。そんなことをしてしまう庵野さんは誠実な作家だし、評価されるべきではある、と。しかし、旧エヴァのようなことをして、それで出てきたものがこれだった、それだけの話だと。つまり、あずまんは庵野が破で得た物を失う覚悟で旧エヴァ的な事を再びやろうとしたQを理解している。坂上と見解は一緒なのだ。その上で退屈だったと評しているのだ。ここでのあずまんのQに対する低評価は謎だ。新規のエヴァファンが破のようなエンタメを期待してQでがっかりするのとはわけが違う。旧エヴァからのファンが庵野の再暴走に困惑されながらもさながら90年代の頃のように「それも庵野の手の平の上で踊っているにすぎない」と自覚しながらも難解な解釈を並べ悦に浸る様子とも違う。旧エヴァからのファンでもあるあずまんはすべてをわかっている上でQを評価していないのだ。そこには坂上と同等かそれ以上のエヴァに対する愛がある。愛がある上での諦め。庵野さんはこの程度だった、という残念感。それはなんなのか。あずまんは純粋に作品から狂気が感じられなかったとも言っている。一方で坂上は破を見せつけた上でこんなことをしてしまう(旧エヴァからのファンに大して14年時間を飛ばすという暴挙を突きつけてしまう等)庵野さんからはやっぱり狂気を感じた、と村上さやわか座談会で述べている。坂上が感じたこの狂気はゼロ年代的である。あの作品があったから感じられる庵野さんの狂気、という文脈ありきの話である。これは言ってしまえば島宇宙内での狂気、カタルシスだ。座談会でも述べられていたが、Qは海外で評価される可能性は限りなく低いだろう。ガラパゴス化したエヴァファンの間で熱狂的に批判され、評価され、むさぼられるのは目に見えている。あずまんが興味があるのは世界を変えるレベルのことなのだ。Qによってその可能性を落とされたエヴァに対して興味が薄くなっているのも無理はない。彼がエヴァで興味のあることとしたらそれによって動員できる人員、客および金と若い芽くらいだろう。シンエヴァによって変わる可能性も否めないが、現時点ではわからない。
大量に書いてしまったが、この二つの座談会とustを見ることで俺個人では感じれなかった旧エヴァ時代からの熱いファンの解釈を知ることができた。それが何よりの収穫だ。みんなも罵倒しながら見るといいんじゃないかな。