はてなキーワード: 黒髪とは
(オリジナルは、2016年11月7日に「エリカ」というタイトルで投稿したものです。すでに数度にわたって細部を変更しており、今後も、物語を完成させる過程で、細部を変更する可能性があります。)
(筆者は、「先生、遠藤さんの上履きがありません!」( https://anond.hatelabo.jp/20160131184041 )と同一です。
「綺麗だ」
その言葉は、エリカを初めて見た時から、ずっと喉の奥に潜んでいたような気がした。何の変哲も無いこの瞬間に、ふと、唇から零れ落ちたのだった。
少女のように愛くるしく、それでいて色っぽい彼女の声が、少し照れているように聞こえた。あるいは、ただ驚いていただけだったかもしれないが、とにかく僕は、これで終わりにするつもりだった。
窓辺のソファはまだ少し肌寒い。細く差し込む月明かりを頼りに、天井の染みを観察する。
そうして、零してしまった言葉をまるで知らんぷりするように、僕は黙って眠りにつこうとしていた。
しかし、そんな僕の身勝手を許さず、「ねえ」と、いつもと変わらない、彼女のルックスと同じくらい綺麗な声で、彼女は僕に呼びかけた。
「何?」
「『エクスプリシット』って、どういう意味?」
「明示すること、あるいは、口に出していうことだよ」
「ふーん」
「どういう文脈?」
「それは、歌詞に露骨な表現が含まれているってこと。未成年には聞かせたく無い曲かもしれないってね」
「あ、そっか」
エリカは普段、音楽を聴くときはユーチューブを使うのだが、僕がスポティファイの話をしたから、アプリを試しているのだった。
飄々としているな。そう思った。だって、僕はまるで、胸に秘めた重大な秘密を打ち明けてしまったかのような気分になっていたのに、彼女はスマートフォンで音楽を探しているのだから。
僕たちの声が聞こえたらしく、メイリンがフェイスブックでエリカに連絡してきたそうだった。
僕は起き上がって、彼女が横になっている、部屋の一番暖かい場所にあるソファの足に背中を預けて、床に腰を下ろした。
それは小さな声でエリカと話をするためだったけど、結局それは言い訳で、僕の心のある部分は、この距離で彼女と話をしたいと、ずっと前から訴えていたのだった。
そしてその『部分』は、一つの要求を叶えたことで、もう一つの要求をするようになってしまった。
「あのさ」
お酒の影響はどれくらいあっただろうか。あからさまによっているわけではなかった。
「髪、触っていいかな」
「どうして?」
「綺麗だから」
薄暗い部屋でもはっきり見える彼女の綺麗な瞳が、にわかに輝きを増したかと思うと、わずかに頬が膨らんで、ニコッと笑ったように見えた。
「いいよ」
彼女はそう言った。はにかみながら。
彼女は上半身を起こして、ソファに腰掛けていたので、僕はその隣に座った。ソファの脇に置かれた小さなランプの暖かい光に照らされて、彼女の横顔が美しく映える。
僕はうっとりしながら、ぎこちない手つきでエリカの髪を撫でていた。彼女の髪は、柔らかく、滑らかだった。地は黒髪だが、数年前に明るい色に染めたそうで、今では綺麗なグラデーションになっている。頭を撫でられている彼女の顔は、見惚れるくらい美しかった。
「私、犬みたいだね」
気づけば夢中で彼女の頭を撫でる僕の手は、犬の頭を撫でるそれのようだった。これだけでも十分幸せだった。それでも結局、心のその『部分』が要求することには、いつも必ず次があるのだった。
「ハグしよう」
「いいよ」
アラフォー既婚子持ちハゲデブメガネでロボットアニメオタクの俺。顔面は平均ちょい上でトークもおそらくかなり面白い方だという自負はあるが、何せ小汚いおっさん。家庭だけは円満だ。
問題の後輩女子(A)は20代で黒髪ロングでちょいオタで、ハッキリ言ってかわいい。処女厨受けしそうな要素満載。少なくとも俺のこれまでのリアル知り合いでは一番かわいい。
性格はかなり八方美人なんだけど、それが災いして前の職場で上司のストーカー被害にあったらしい。今は彼氏がいない御様子。
で、このAのその八方美人の距離感の近さにムラムラして困っている。
いや、俺が男性として見られていないんだろうとわかってはいるんだ。
でも、さ。
宴席でそのストーカー被害の話をAがしている時に「もうちょっとガード固そうにした方がいよ」って、先輩というか上司ヅラして言った翌日に、別の後輩と雑談してたら「何の話ですか? まざっちゃおー」とか言いながら横の空き机のところで、椅子がないのでいわゆる空気椅子で参加してきたり。
「前からそちらの部署だけ楽しそうだから寂しかったんですよー。○○さん(俺)、もっと話しかけてくださいね!」とか言われると、そんなに女性経験がないまま結婚しちゃったおっさんはドギマギするんだ。
「みんながもっと飲むと思ったよ」って言いながらコーヒーポット持ってた役員のモノマネしている俺の後ろで「○○さん、これ何のポーズですかー」って言いながら同じポーズとかされるとかわいいんだよ。困る。
今度、社内のあるサークルで旅行がある。
元々女子は参加しない予定だったのですっかりピンク旅行の予定だったんだけど、そのサークル唯一のとある女子社員がAを誘ったら二つ返事で行くと言う。
サークルとしても全員参加するにこしたことはないので、そのAの旅費はサークルで負担することになった。
そしたらAが俺に「この店、行きましょうね!」とか言って来たり、先輩相手に俺が「ここどうですかね」とか提案してたら「私も行きます!」とか混ざって来る。
いや、俺が男性として見られていないんだろうとわかってはいるんだ。何度も言うけど。
でもやっぱりムラムラするんだよ。
こっちは旅行の自由時間に風俗行く気で禁欲もしてるしな。
上司に道ならぬ恋をして誘惑するOLのAVとかつい見ちゃう。
正直、我ながら相当にキモいと思う。
旅行当日は早めに風俗行って賢者モードにならないと行けないなあと思う。
そうでもしないと酔った勢いでセクハラしそうで。
とりあえず何が言いたいかというと、そういう罪作りな言動は止めてほしい。女子諸君。おっさんからの御願いだ。
おっさんは君らが思っている以上にチンコに忠実なんだ。
Hey!Say!JUMPの伊野尾慧くんが気になって気になって仕方ない。
最終回で豹変して、狂気的な感じになって、そのギャップにやられた。
やっぱり見返したいので月額933円(税抜)を払うことにした。
天才!志村どうぶつ園とか、メレンゲの気持ちとか、めざましテレビとか見たり
とにかく伊野尾くんが気になる。
こんなに異性のことがが気になるのは、夫に恋して以来だ。
私が好きな伊野尾くんは少し違う。
そんな矢先、『ドクターX~外科医・大門未知子~スペシャル』の再放送があって
迷わず録画して鑑賞。
こうして、色んな伊野尾くんを見るうちに、
実はこんな素顔を持っているのだと知ると、
彼が出演しているテレビを見るたび、微笑ましく感じてたまらない。
昔の歌番組なんかだと、
その後ろに映る伊野尾くんは
背が高くて、今よりも切れ長な印象で、お兄さんな感じ。
小さいメンバーと、お兄さんな伊野尾くんとの対比がとにかく萌える。
ちょっと目を細めて哀れむように見つめてる表情とか
だが今は、アイドルは素晴らしいと思う。
お金という対価を払えば、
身近に感じることができる。
少なからずショックだったけれども、
私なんかがショックを受けるのはお門違いだ。
そもそも彼は、その他大勢である私にとっては雲の上の存在なのだ。
手の届かないところにいるはずの彼が「アイドル」という職業を通して、
そういうわけで、伊野尾くんに対する
でもやっぱり、結婚するなら今の夫がいいです。
あれから15年、俺は社会人になりイラストを描くこともなくなっていた。
先日、俺は婚活パーティーで知り合った女性と初めて一夜を共にした。
彼女は黒髪のショートボブで、青いワンピースの似合う小柄な女性であった。
お互い久しぶりのセックスにもたつきながらも、時間をかけてゆっくりと身体を温めていった。
彼女が俺に跨って必死に腰を動かしている最中、仰向けになった俺は彼女の顔をぼんやり眺めていた。
その瞬間、今まで思い悩んでいたことが嘘のように消え去り、目の前の彼女が愛おしくてたまらなくなった。
俺は彼女を思い切り抱きしめて一緒になろうと言った。
「一緒になろう?私たち今一緒に繋がってますけど?」と彼女は言った。
そうじゃない。
男は女を顔で見てるとかいうけど
そんなことねーだろって話で
女がそれなりにいるところだったからそれなりに女がどういうところに興味持ってるのか
スケベ心で見てたんだけど
何が面白いかって、女は女の視線を気にしてるってこと。同性への監視がすごい
そして憧れも素直にだすのも女
女のあこがれはスポーツ選手とかではなく、モデルとかだし、スポーツでもフィギュアとかああいう華やかな着飾るものが好き
同性のアイドルなんかも割と好んで応援する人もいるのも男と違う
男とみるところが多少違うとしても結局容姿重視なのは変わらない。
そもそも、女って化粧が大好きでおしゃれに一生懸命だけど
その流れで勘違いした男が
男はすっぴんがすきだよ、とか
男は黒髪が好きだよ、とか
そのとき、女はいうわけだよ「は?www男のためにやってないんですけどwww」ってね
女が女をチェックしててけっこうぴりつくときがある
化粧とかファッションはどうにかできるけど、目が小さいとかそういうのもチェックしててこえーなっておもった
女の敵は女って話ではあるけど
とにかくまぁ、女は女の行動を監視しあってる
そんなことを思いました
くやしいっ……!
くやしくて、死にそうっ……!
身体の奥から絞り出すような掠れた声。これほどまでに悔しがる声を、かつて聞いたことがない。
TVアニメ『響け!ユーフォニアム』は、そういうお話だ。本気で高みを目指し練習に練習を重ねた――なのに届かなかったことがくやしくてくやしくて涙があふれてくる、そんな物語だ。
主人公の黄前久美子は、コンクールの京都府大会に向けた合奏の練習中に、顧問の滝からとあるパートの演奏から外れるよう指示される。そこはかつて質の低さを指摘され、改善を約束したパートだった。久美子は努力を重ねたが、滝が求める精度にけっきょくたどり着けなかった。
うまくなりたい。
うまくなりたい。
うまくなりたい。
うまくなりたい。うまくなりたいうまくなりたいうまくなりたい。うまくなりたい。うまくなりたい。うまくなりたい。うまくなりたい……!
うまくなりたい! 誰にも負けたくない! 誰にも……! 誰にもっ……!
後から後からあふれてくる涙に頬を濡らしながら久美子は知るのだ。
中学のとき関西大会への切符を賭けたコンクールで敗れた際、同輩の高坂麗奈が流した涙の意味を。その辛さを。「本気で全国いけると思ってたの?」と問いかけた自分の目の前で彼女がどんな気持ちでいたかを。
それを知った久美子は、「期待すれば恥をかく。叶いもしない夢を見るのは馬鹿げたことだって思ってた」自分と決別する。「絶対、全国に行く」と、ためらうことなく口にする。たとえ努力した者すべてに神様が微笑まない世界だったとしても。努力し、戦うことを選ぶのだ。
選ぶ、ということ。
TVアニメ『響け!ユーフォニアム』は、当人の選択とそれに伴う責任を重要なテーマに掲げている。
最も判りやすいのは冒頭だ。
顧問に就任した滝は、部員たちに部の目標を選ばせる。全国を目指すか、楽しい思い出をつくる部活動にするか。選んだ以上はそれに向かって努力してもらうことを言い添えたうえで。部員たちは多数決のすえ前者を選んだ。待っていたのは低レベルな演奏に対する容赦ない指摘だった。部員たちは反発したが、滝は取りあわなかった。「あなたたちは全国に行くと決めたんです」と。滝の厳しいながらも的確な指導によって演奏技術の向上を実感した部員たちは彼に信頼を寄せていく。
終盤にはもっと重要な意味をもってそれが描かれる。合奏のトランペット独奏パート、その奏者を巡るオーディションのやり直し。
奏者は麗奈にいったん内定したが、敗れた三年の中世古香織を慕う吉川優子の「噂になってるんです。オーディションのとき、先生がひいきしたんじゃないかって」という発言によって、滝は希望者に対する再オーディションを認める。そして香織がそれに手を上げたことからもう一度やる、ということになったのだ。
ここで面白いのは内定している麗奈の意向を滝が確認しなかったことだ。本当なら麗奈の気持ちが重視されるべきだろう。何せ一度はその座を勝ち取っているのだから。しかし滝はそれを訊かなかった。
その理由は、“選ぶ”ことによって“責任”が麗奈に発生してしまうからだろう。麗奈は本来それを負う必要がない。だから滝は回避した。彼の内面を推し量るなら、オーディションに不正があったのではと疑問を持たれた自分が責を負うべきだと考えたのではないか。
再オーディションの場でも“選択”と“責任”が遡上に上がる。どちらを奏者にするか、滝は(ひいきを疑った)部員たちに選ばせようとする。「全国に行くと決めた」あなたたちは、今の演奏を聴いてどちらがそれにふさわしいと思いますか、と。
しかし部員たちはどちらも選ばなかった。だから滝は香織に訊く。「あなたがソロを吹きますか」。香織は言う。「吹かないです。吹けないです。ソロは高坂さんが吹くべきだと思います」と。
香織が肯定していたら、恐らく滝はそのまま香織に吹かせただろう。香織では先の大会に進めない公算が高いと判断していても吹かせただろう。どちらも選ばなかった部員たちに文句を言う資格はもうない。部員たちはそういう“責任”を負わなければならない。そして香織も、もし吹くのであれば部の成績の是非を逃げ場のまったくないとこで負う覚悟がいる。滝はそれを問うたのだ。香織は否定した。
もちろんこれは責任を押しつけあったという話ではない。
何かを求めるのであれば相応の代価がいる。全国か楽しい部活か。全国を求めるなら苦しい練習とそれをしてなお届かなかったときの悔しさに対する覚悟がいる。『ユーフォニアム』とはそういう物語なのだ。
ところで『ユーフォ』がエロティシズム溢れるアニメだと言われて否定するひとは少なかろう。もっともあからさまなのは8話。夏の大吉山にノースリーブのワンピースで登った麗奈は、コケティッシュな魅力を見せつけながら久美子に“愛の告白”をする。夜景をバックに、裾を風や座ったときのはずみで翻しながら。あるいは久美子の唇を白くほっそりとした指でなぞりながら。正統派の黒髪美少女は、匂い立つような色気をまといながら、中高と同じ吹奏楽部に所属しながら顔見知り程度だった少女に真正面から迫っていく。
これは何なんだろう? 百合? サービスシーン? 半分ぐらいはそうだろうが、それだけではないように思う。
『ユーフォ』はキャラの欲望を隠さない。久美子の「うまくなりたい」を始めとしてみんな何らかの欲望を持っている。「特別になりたい」「三年間やってきたんだもん、最後は吹きたい」「あすかが思ってるわたしの一歩先を、本物のわたしが行きたい」「あたしさ、塚本のことが好きなんだけど」「みんな吹きたいんだ」「コンクールに出たいんだ」「全国」。
だから肉体は、欲望の主体がちゃんとそこに存在していることを証明するかのように、画面いっぱいに生々しく描かれる。
終盤はもっと直截だ。
炎天下での練習。頬を火照らせ汗を滴らせながら練習に励む彼女たちは、ときに渇きを癒そうと喉を鳴らしながら水を飲む。それらのシーンは例外なく艶めかしい。オーディションに勝って奏者に選ばれたい、今は手こずってるパートをもっとうまく吹けるようになりたい。喉の渇きは、そういう欲の隠喩表現だ。ときに口元を濡らしてしまうほど勢い良く飲むのは満たされることを強く欲してるからだ。
あの夏の夜。これから山に登ろうというのに、麗奈はノースリーブのワンピースにヒールサンダルという格好だった。対する久美子はTシャツとショートパンツにシューズというラフな出で立ち。片やデート、片や気心の知れた友だちとのお出かけのよう。その落差は気合いいれておめかししてきた麗奈の“欲”を際立たせる。
『響け!ユーフォニアム』は、何より絵でその強さを表現している。
音楽マンガには演奏の素晴らしさを聴衆のリアクションによって表現する手法がある。『ユーフォ』でもサンフェスへの出場を賭けた合奏や、サンフェスにおけるマーチングの際にこれが用いられた。アニメだから音そのもので質の高低は表現可能だし実際されているのだが、強調表現として使用されたのだ。
しかしながらラストのコンクールでは聴衆の反応がいっさい描かれない。いったいこの差はなんだろうか。
冒頭でも述べたように、『ユーフォ』は努力に努力を重ねたのに鳴らしたい音へとたどり着けなかったことやオーディションに敗れコンクールへ出られなかったことがくやしくて涙を流してしまう物語だ。
努力そのものには何の価値もない。滝も誰も努力したことを褒めない。努力の末に響かせた音にのみ評価が下される。聴衆は、久美子たちの努力を一切しらない。ホールに響き渡るあの音が努力の末のものなのかそうでないのか一切しらない。
しかし我々は知っている。努力をし、欲をむき出しにしてぶつかり合ってきた先にある音だと。滝に叱責され、炎天下で汗を滴らせ、楽譜に「全国」と大きく書き込み、がむしゃらに努力してきた先にある音だと。だからそれはきっと素晴らしいのだ。みんなが積み重ねてきた努力を知る葉月が「いっすね……」と呟く音はきっと素晴らしいのだ。
そこに聴衆のリアクションはいらない。ステージの上でまばゆい光を浴びた久美子たちが響かせる音、それは素晴らしいに違いないと我々はもう知っているのだから。
*観に行った当日に書いたものです。極力他人の感想等を見ない・聞かない努力をしています。
*とはいうものの記憶は薄れてしまっているので、読まれる方の混乱を防ぐためWikipediaなどのによりあらすじ・登場人物名確認を行った上で投稿されたものです。
*自省的なものです。レビューは他のかたの記事をお当たりください。
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映画を見なくて久しい友達が、ハリーポッターくらいしかまともな(?)映画を見たことのない僕に「観に行かへんか」と誘われ数々の選択肢から導かれて「聲の形」を観に行くことになった。
コミック未読の身としては、予告編の限りでは「普通によさそう」だと思い前向きだったが、相方はヒューマンドラマ的すぎて醒めてしまうのではないか、と消極的。結局後々の話題性(新学期の話のネタ)を考慮した結果がこれだったんですが。
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昼過ぎ集合、東宝の某劇場で別の映画を観るも機材のトラブルでサイレントに。7割は観たけど全額返金で謎のオトク感をかみしめ、軽食をとり松竹にうつる。
スクリーンにつく。若い人が多い印象。ぼくらみたいに男だけで来てる集団もかなり多かったような・・・
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主人公・石田が責任を負う形にはなるが、西宮に対するいやがらせは根本的には植野(黒髪の女子)から始まったように描写されている。
そもそもこの「いやがらせ」から「いじめ」への変遷で最も大きなものは、攻撃人数の増加・攻撃者の集団化だと思う。
集団化とは、ときに思わぬ人を巻き込むこと。川井(クリーム色の髪の女子)は集団化の被害者であり西宮への加害者である。
また、極端な描写とはいえ、教師の配慮の無さも事態をエスカレートさせている印象があった。
加害者追及(石田が全責任を負う)の場面は自分の小学生時代の記憶がフラッシュバックした・・・(加害者ではなかった分とても不愉快な記憶)
どれもこれも、人の未熟さゆえの出来事であり、高校生になった今、未だ未熟でありながらも、子どもたちはあの時の集団性を見返すのです。
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なんといっても、主要人物全員が橋の上で集まるシーンがこの作品の中核をなしていると思う。
広義的ないじめ加害者・観測者はすべてあの人物中にカテゴライズできる、と言っても過言ではないかもしれない。
そしてその一人ひとりに対し「主要な」いじめ加害者・石田が吐き捨てる言葉は的確であり、「こんなやつおるよなあ」と感心したくらい。
永束のキャラ性は決して浮きすぎず、むしろ重くなりがちな展開を緩和してくれてありがたい。
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途中に入れようとしたけど入れられない書きたかったところ。
すぐ「ごめんなさい」と伝える傾向にある西宮に対し、怒りを爆発させる植野の心情。
いじめは攻撃のある場にいるだけで参加しているようなものだ、と思う(陳腐ですが)。これを自覚できずただ流されるままの人間にはなりたくない。
たとえ偽善者と言われようと、嫌悪感を抱いたら行動は起こすほうがいい(身の上のためにも)。
島田(金髪男子・遊園地のバイト)はともかく、広瀬はWikipediaみるまで覚えてなかったんですが、なぜ彼らが石田の命を救ったのか。
・永束の扱い
記憶が正しければ劇場においてはいわゆる「正義の味方」役にとどまっていたはず(Wikipediaに載っているようなバックグラウンドは描写されていない)。ただこの一面だけであっても、実に典型的で現実的ないじめの観測者になっている。
・美也子(将也の母)の人物像
綺麗事を並べているわけでもないが、将也をはじめとした多くの人物に一言で影響を与えるとてもいい役をしている。画面にいるだけで安心する(?)。
劇場では厳格で冷たい人物であるように事故前まで描かれていた。館内で配られたSpecialBookでバックグラウンドが補完されている(ことにあとで気づいた)。
・そして、結弦
・石田・西宮が立ち寄った現代美術的モニュメント群は一体・・・?
はじめは金沢美術館あたりかなあと思ったんですが、舞台である岐阜の大垣市は結構名古屋寄り・・・今度調べなければ。
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全体的な感想としては、久々に映画を観るからか、とても楽しめましたし、精神的収穫もありました。
これが「日本映画の典型的なお涙頂戴」とは違う感慨であってほしい・・・
とりあえず自分の思ってたことはかけたので、他の人のレビューを見ていって補完していきたい所存。
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以下オタク雑感。
アニメをみてたのはほんの一時期だったので全話見て知ってるのは俺妹のあやせたんくらいなのですが(すでにうまい)、某動画サイトで異能バトルなる作品での名演が残されています。5分間しゃべりっぱなし・・・
大した話じゃないんで身内向けのチラ裏とでも思ってほしい。
直視するのが恥ずかしくて調べきれてなかったけど、
どのイベントなのかはまぁいろいろ調べてみてほしい。
「ナナとカヲル」を読んで一度くらいならと思うくらいのM寄りで、
ぼんやりとそういう憧れはあるけれど調べるとっかかりがないタイプ。
同人誌即売会ならともかく、こういうのに参加するのは初めてだし、
おもしろみのある服も綺麗な服も持たない喪女が行ったら浮くんじゃないかとヒヤヒヤした。
直前まで迷っていたものの、付いてきてくれる人が捕まったので行くことにした。
周りに看板なぞあるわけもなく、静かな住宅街に倉庫みたいな場所だった。
本当にやっているのだろうか不安になりながら受付らしき人に入場料を払い会場へ。
会場は思った通りそこまで狭くなくて、だいたい同人誌即売会のイメージまんまだった。
ただスタジオだけあってところどころ雰囲気のあるつくりが見える。
美女が腰掛けそうな絵になるソファ、何かを吊ると思しき一角など。
私がコスプレイヤーだったらさぞ興奮したと思う。
地下の部屋から数階のフロアで何部屋かにまたがって展示されており、
だいたい1部屋2~7くらいの展示だったと思う。
最初に入ったブースは首輪、と言ってもチョーカーのようなものも多く、
思ったよりは気軽に使えそうなカラフルなもの、細めなもの、鍵付きのもの、
これらがすべて人の意思を制御するために存在すると思うと圧巻だ。
日常生活では着ないような服をまとい、
という意思表示をするのはたしかに少し歪な形をしていて、セクシーだと思う。
会場をざっと見た感じ、男女比は1対1くらい。
ちなみに終盤行われた緊縛ショーは女性の比率が高かったらしい。
女性は黒髪ぱっつん姫カットとビビッドな髪色のお姉ちゃんが多い。
みんなそれぞれに好きな格好をしているので、
喪女だから浮いちゃうよ~~><といった心配はあまりいらなかった。
そこまで興味はなかったものの、実際に試着できるというので着てみることにした。
フォロイーのフォロイーの写真で見かけて面白いな、と思っていたくらいの認知度だった。
フェティッシュな「ジャンル」として認識したのはこのイベント終了後になる。
ぴちぴちした薄いマットみたいな服をハンガーから降ろして更衣室へ。
今回は全身黒人間みたいなスーツではなく、ワンピース型のドレスにした。
販売側の女性が着せてくれたが、まぁ想像通り吸い付く吸い付く。1人だったら無理だろうなあ。
少しひんやりしていて、全身に吸着する感じがあって心地よかった。
鏡で見るとテカテカしていて、アメコミか何かのヒーロースーツを思い出した。
続けて他の試着を進められて、今度はコルセット内蔵のものを着てみる。
ここでは普段の服よりひとまわり小さいサイズを進められ、そちらを着ることになった。
女性二人係で後ろのファスナーを上げると、先ほどよりもぎゅうぎゅうに全身が締め付けられた。
少し苦しいけどさっきよりも密着感がすごい。
鏡でみてみると、締め上げられた腰のくびれが強調され、胸元が際立っていた。
腰~胸元にかけてが立体的な構造になっており、寄せてあげて効果がすごい。
下半身デブも相まって腹部のひょうたんのラインが強く主張していた。
たぶんサービスだろうけど、表面の質感をテカテカにするジェル?を縫ってもらうとなおすごい。
鏡の中の私は、ボディコンのおねーちゃんみたいな身体をしていて質感まで変わってしまった。
ひとのからだというものは、こうも簡単に形を変えてしまうものなんだ。
眼で実感して肌で納得させられる屈服感に支配されるのがどきどきしたし、なんだか面白かった。
ああこのエロティックな質感と感触、解放感にやられるんだなと納得するしかなかった。
体型補正のパワーに惹かれてお買い上げまでするとは思ってなかったけどさ。
べたべた腰回り触ってみたりしてとっても楽しかったけどさー。
まさかこんなことになるとは思ってもみなくて会場を去った後もしばらく放心していた。
いやあまぁ、楽しいからいいんだけど、なんだか何か一線を越えてしまった気もする……。
よくわからないどきどきに、今も胸が締め付けられている。
この気持ちは変かな。
http://anond.hatelabo.jp/20160825145023
@tikuwa_zero と @zairo21 か。
@tikuwa_zeroは自分のことを「ちくわさん」とか言ってて痛々しいことこの上ないな。
こいつのキモさを説明できる人がいたら、ぜひとも読んでみたい。
@zairo21はあれなんなんだろうな。句読点使えないのか。
こいつの面白いところは、頑張ってコメントしまくってるのに全然「いいね!」がつかないことだ。
まぁそもそも、こいつのコメントは的外れだから当たり前なんだけど。
あと気になるのは@ABzome だな。
青い髪のアイコンがゆらゆら動くので目に入るんだが、コメントがどうでもいいので注目して損した気分になる。
みかんにマジックで顔を書いた@yukon_px200 のオッサン感はすごいな。
どのまとめ、どのコメントでも寒い発言しかしていない。上手いこと言ってるつもりなんだろうが、見てるほうが恥ずかしくなるな。
あとは真偽マンか。最近のまとめにはいないらしく、IDを探せなかった。
togetter界のxevraだな。あるいはMidasか。毎回同じようなことしか言わない。
同じことを数年間も言い続けると、周囲は「真偽マン早く来てくれー!」とか「xevra先生」とか持ち上げるものらしい。
どうでもいいけどxevraはいい加減お得意の運動と瞑想でまともな精神を手に入れろよ。完全に壊れてるじゃねぇか。
1. 肩までかかる黒髪を眺めて艷やかな反射を味わい、そしてファサり、ファサりと長い髪を触って楽しみたい。
2. 毛先を僕の股間にある亀さんの頭に押し付けて、敏感な部分で毛髪を感じたい。
3. 髪を手に取り、竿に一周か二周くらいでゆったりと巻きつけて髪の毛の感触を楽しみたい。
4. 手を上下に動かしながら徐々に高まっていく快感とともに毛髪の感触を十二分に味わいたい。
5. 気分が高揚してきたところで、右手の運動はそのままに左手で頭髪の一房をつかみ、そっと自分の口元に持ってきたい。
6. 深く息を吸い込み、シャンプーの香りを肺いっぱいに吸い込んで興奮を極限まで高めたい。
7. スーハースーハーと鼻で髪を感じている間に、顔全体の感触を毛髪でいっぱいにしたい。
8. イキそうになったら、そっと、つむじにキスをしながら果てたい。
個人的にはガングロのヤマンバ系ファッションってのはすごく評価してる。いや、好き嫌いで言えば嫌いだし、魅力なんて一片も感じないんだけど、でもだからこそ評価してる。
どういうことかというと、当時(いまもそうだと思うけれど)あの奇抜で威嚇的なファッションに好意的な男性って、ほぼいなかったんじゃないかと思うからだ。少数いたかもしれないけれど、それってニッチなゲテモノ好きであって、男性視点で商品価値なんてなかった。でもだからこそ、ヤマンバ系ファッションってのは彼女たちの彼女たち自身の内発的価値観としては尊重されるべきだったと思うのだ。言い換えると、「男性にモテるためにやってたわけじゃない」ところが尊い。
翻ると、いまの女性のファッションとか、ライフスタイルって、なんかこう男性にかなり都合がいいのではないか? いやオレ個人は男性なので受益者(?)側なのだが、AKB的な黒髪+制服系ファッションにしろ、女性誌に見られるコーディネートにしろ、露出がだんだんと増えていくここ20年間のトレンドにしろ、男性視点で見て概ね歓迎できる。女の子どんどん可愛くなっていくねーという老人的感想もあるし、もうちょっというと、深夜アニメのヒロイン的なファッションセンスがどんどん現実世界で受容されてきている気がする。
それに対して女性側もたいして抗議してるわけでもなくむしろ自発的に自由の権利として堂々とそれをやっているので、別にどこの誰からも文句の出る筋合いはないし、この記事も文句ではないのだ。が、その一方で、なんかスルスルとそっち方向にいっちゃっていいのかよ? とも思うのだ。
たとえば、フェミのひとも良識派政治家も「エロ雑誌は子供の教育に悪いです!」「性の商品化NO!」「女性を身体で評価するのは不謹慎です!」とはいうのだが、当の若い女性たちは、むしろ「胸の大きさとそのアピールは自分を幸せにする戦略として有効です!」とでも言わんばかりのファッションだし、ファッション雑誌も、価値観もそれを支援している。彼女たちのいう「カワイイ」が男性的視点(で発生する性市場)に迎合的になっているように思える。
なんだろうなあ。
将来が明るく感じられない今の日本において、おっぱい押し付けていい感じの高収入イケメンを入手するのは、生存戦略として優れてるっていう話なのか? そういえば5年位前から「キャバクラに努めているという女性」が妙に市民権を得たようにも思う。俺は別に構わないのだが、なんというか、女性の多数とか、フェミの人は、それで良いのか? なんかキミらgdgdじゃね? と思うのだ。