はてなキーワード: 雑務とは
8月、それは大学院入試シーズン。もう合格した人、これからな院試な人、落ちて路頭に迷ってる人、色々います。学歴ロンダとか留学とかやってる人もいるみたいですが、配属先決定時に意外と軽視されがちな研究室生活。
学部の研究室志望決定で理由に上がるのが「研究テーマ」だったり「緩さ」だったり。
院の研究室志望決定で理由に上がるのが今いるからとか最終学歴良くしたいからどこでも良いとか。
本当にそんな軽い動機で決めちゃって良いんですかねえ?
アカハラだらけ、研究室にお金がない、研究内容が全く違う、連徹・年中無休は当たり前、研究成果が出ない……
人によって何がダメなのかは価値観が違うのでなんとも言えないけど、いざ入ってから上のような事例に遭遇してしまったらご愁傷様。平穏無事にストレートで卒業できれば君の勝利、卒論/修論が書けなくてor病んでしまって留年したら君の敗北。そんなクソゲー、自分から覚悟して入室したのならともかく、巧妙に隠された罠を踏んでやりたくはないでしょ?学部の配属ならまだしも修士2年/博士3年もそんなことに時間を費やせますか?
良い研究室を選んで充実した研究生活を送ることは、例え就職するにしろアカポスを目指すにしろ非常に重要だと思う。就活の面接で研究内容を聞かれたときに、この研究にはどんな意義があって、しかもこんな成果があって、を明るく決められたら人事だってイチコロですよ。アカポスだって時の運要素が強いけど、健康な心身とちゃんとした成果が無ければ非常に厳しい。そして上手くいけば趣味などに費やす時間だって作れちゃう。
そんな将来、実現したくはありませんか。
さて、そんな理想を現実にするにはヤバい研究室を回避しなければなりません。
教授・准教授・講師が獲得してくる科研費などの大型予算(グラント)は研究室の研究遂行に必要不可欠。
大学から各研究室に支払われるお金なんて雀の涙で、備品や消耗品を購入するだけですぐ使い切ってしまう。
つまり、グラントが無ければまともな研究遂行は難しく、それを途切れさせてしまう研究室は何らかの問題がある可能性あり。
グラントが無ければ雀の涙を使って研究するしかないわけで、まともに必要なものを買えなかったり、居室の居住性に難が出てきたり。
NEDOプロジェクトや科研費の場合、予算を与えていることは各機関で公表しているはずなので調べてみよう。
グラントを獲得するためにはその研究者が有能であることを示さなければならないので、外部へ発信することが必要になる。
評価されるのは英語論文誌への投稿や国際学会の参加(日本語論文誌や国内学会もある程度評価されるが)。
そんな大事な活動なのに行わない期間があるなんておかしいでしょう?
空白がある場合、教員のテーマ選定能力や指導能力、研究遂行能力に問題があるかも。
「大きなプロジェクトを極秘で回しているので出てないんです!」みたいなことを言う人がいるかもしれないけど、普通幾つかのプロジェクトを並行して回しているし、大きなプロジェクトならそもそも成果が出る可能性が高いんだからコンスタントに出てないのはおかしい=やっぱりテーマ選定に問題があるよね?
スタッフがきちんといる研究室なら、大抵の雑務は事務スタッフがこなしてくれるし、実験のテクニックや機器のトラブル対応は技術スタッフにやってもらえる。
スタッフがいない場合、作業は講師や助教に振られるか学生に振られてしまう。そうすると余計な時間消費が増え、指導がおろそかにされたり、研究に割ける時間が減ったり、果ては無駄に居残る必要が出たり。
いない・少ない場合、権限を持っている教員がそういった非生産的な状態に無頓着であるか、スタッフを雇う予算がない=金欠研究室の可能性あり。
「学生達の仲が非常に良い」「元気なメンバーが揃っています」「明るく楽しい研究室」なんて文言があったら要注意。ブラック企業かな?
リンクページに明らかに教員のブックマークらしきものがあったり、日本語のページなのに英単語混じり(ルー語)だったり、デザインが謎だったりする場合、独特な教員である可能性あり。
この4つは例え他大にいても調べればわかる。ここから先は内部に繋がりがないと知るのは厳しいかも。
例えば4人いて、1人炎上するくらいならそいつが悪い。けど、半分以上炎上している場合は危険。
基本的に卒論と修論の発表会は通過儀礼要素が強く、ちゃんと考えてるかを試問教員がチェックする場。
ちゃんと指導されていれば厚い研究になるし、研究室内でディスカッションが十分に行われていれば質疑応答にきちんと答えられるはず。まともな研究室なら試問前に研究室内で発表練習して臨むのである程度穴は塞がれているはず。
つまり、所属学生の多くが炎上している場合、教員がまともに指導してくれていない可能性が高い。
学部や修士の段階で単独で研究を遂行できる人間なんて一握り。ここでサポートがないと君に待っているのは約束された敗北の大炎上。
他の研究室が6人とか7人とか配属されている状態で4人とか2人とかしか配属されていない研究室は、学部生の間で何らかの悪い噂が流れている/事実として配属されたくない場所である可能性が非常に高い。院試については就職組や外部進学組がたまたま大量に出た可能性もあるので、2〜3年追ってみて同様の状況が続いているか確認のこと。
1つだけキャンパスの外れにあるとか、そんな理由で不人気だったりする(研究室は悪くないのに)ところもあるので見極めは重要。逆に他の研究室が固まっている場所から最近になって移転して1つだけ僻地に追いやられる研究室は専攻内(教授陣達の中)で何かがある。
4)と同じ。学部生の配属人数は均等にするルールがある大学の場合、強制的に配属された人たちの吹き溜まりになってしまう研究室がちらほら。そういうところはまず良くないので脱出してしまう。中には院試前はニコニコ対応で囲い込んで院試後からブラックに豹変する研究室もあるらしいが……
グローバルだなんだと言ってもここは日本。学部生の大半は日本人のはずで、配属される学生はほとんど日本人。それが修士や博士で外国人だらけになっているのは生え抜きの学生がいなくなっている、即ち何かしらの闇を抱えている可能性あり。博士に進みたい人材が連続して配属されなかったとか、海外で超有名な研究室だからとか、そんな理由の時もあるので一概には言えないが。
ただしその場合でもコミュニケーション面や指導面でのハードルは覚悟すべき。英語できないと最初大変かも。
授業にやる気がないお方や多人数への指導が得意ではない方も多数いらっしゃるのでなんとも言い難いけど、スライド形式の授業でスライドのデザイン・内容展開があんまりだとか、レポート課題がやたら鬼畜だとかは考えもの。
逆に授業がクッソわかりにくくても個別に聞きに行った時に丁寧に教えてくださる場合は良い研究生活が送れるかも(ただし、こちらから積極的に行動しない人には不向き)
特にスライドが酷い人のところだと、発表がいつまでたっても上手くならず学会や就活などで苦労するかも。
研究室にその辺がうまい人がいれば教えを請えるのでそれほど重要じゃない。
コミュニケーションが上手く取れないと非常に苦労する。噛み合わない場合、独自の世界に固執しているか、言語処理能力に問題があるかも。また、小出しにしてくる場合、ちゃんと重要事項を把握していないかもしれない。
毎回期限ギリギリorちょっと過ぎてから話を持ってくる場合、社会人(オトナ)としての最低限を持っていないかも。
最近の大学教員は事務作業などの研究外活動に忙殺されてスケジュール管理が難しいが、時間に大幅に遅れてきてもしれっとしているような人はちょっと困る。10)とも少し重複するけど常識が通じない人と意思疎通を図ることは非常に骨が折れる。
博士課程を3年ストレートで修了することの難易度がそれなりに高いことは確かなのだが、それでもODや単位取得退学を頻繁に出すのはちょっと問題があると思う。「とりあえず受け入れるけどあとは一人で頑張ってね」のような放置プレイをされる危険性あり。
流石にこれは危険すぎるので巧妙に隠しているはず。ただ、研究室所属者から「RA費の余りから出すって」のような会話が聞こえるようなことがあったらアウト。いつ明るみになってお取り潰しになるかもしれないし、不正の片棒を担ぎたくはないでしょう?
快適な研究室生活を送りたければ以外と重要。権力闘争とか面倒ごとには巻き込まれたくない。
上の14個以外にも講師や助教が死んだ目をしているとか、専攻内ではごますり星人だけど研究室ではやたら偉そうとか、他の先生をやたらこき下ろすとか、お金にならない共同研究・短期留学生受け入れを大量に抱えているとかそんなポイントもあったけど、その辺は院生として実際に所属してみないとわからないと思うのでやめておく。
上記に一部当てはまったとしても、必ずしも危険ではない。学部生に敬遠される理由としてゼミが厳しすぎる(指導自体は的確だが罵倒に近いため)という研究室は、卒業してみれば意外とありだったり(そう思える日が来るのは遠いが)。
これから研究室を選択できるチャンスがある人は是非よく吟味してほしい。
特に大学院から大学を変えようと思っているそこのキミ。その大学/研究室は本当にキミが望んだような場所なのだろうか?入ってから「前の研究室の方が良かった」と思っても手遅れなのだよ?よくリサーチした?
今年の夏休みは3日だけだった。
世の中には9連休を取られる方もいるようだが、私の夏休みは公休の金曜日を含めて3日間であった。
今年は3日だけかよ、Fuckと思っていたが終えてみればかなりの充実感を得られた。
◆連休1日目
◆連休2日目
友人が家まで起こしに来てくださる
途中移動などがあるが、基本何かを食っていた
深夜に車で家まで送って貰い、別れる
◆連休3日目
目覚ましに催促される事なく目が覚める、正直さんぽ
◆今
彼の顔を見なくていいだけでこんなに心がぴょんぴょんするとは驚きだ
◆所感
月に1度こんなに満足度を得られるならこの先も頑張れそうだ。
チラ裏ごめん。
就活だ。
私の周りのエリートたちを見ていると、日系の企業から、全く内定をもらえていない。
東大・一橋・早慶→ 世界的な超名門大学・大学院、のような学歴も申し分なく、
もちろん英語も日本語もネイティブで、頭のキレもかなり良く、ロジカルで、知識も豊富で、話も上手い。
努力もしてきて、とにかく、とてつもなく頭が良い。
しかし彼らはみんな就活で失敗しまくっている。落ちるのは日系企業、もしくは外資でも日系っぽい企業。
私が考えた理由は2点ある。
1. 扱いにくい
おそらくエリートすぎて扱いにくいのだろう。上司よりも仕事が出来てしまったり、非効率な雑務が出来なかったり。可愛げがないのだろう。
だから上に従順してくれる体育会系とかが受かりまくり、エリートは落ちるのである。
外資は能力主義なので、可愛げのある奴なんかどうでもよく、仕事が出来れば良い。だから受かる。
2. 嘘がつけない
エリートたちは嘘をつくのが下手なので、「志望動機」を聞かれる最終面接まではホイホイ行く。
しかし志望動機でうまいことを言えないのである。「第一志望で〜す♪」なんて言えないのである。
言えても目が死んでいる。
外資は志望動機なんてどうでもいいのである。志望しているから受けているのだから。
この2つのせいで落ちてる気がする。
逆に
1. 扱いやすくて
2. 嘘・演技が上手い人
は、能力がなくても日系企業には受かっている。その代わり、能力重視の外資にはなかなか受からない。
成長するポテンシャル、我慢する力はあるのかもしれない。が、それだけでいいのか?と思ってしまう。
なんだか、勿体無いような気がしてならない。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20150805/p1
世話と養育とルールとしがらみを押し付ける存在・引き受ける存在としての地域社会が消失した以上、そのぶん、それらを親が引き受けなければならないウエイトは増大した。親自身が自由に子育てできるようになったとも言えるし、親自身が子育てを一括して引き受けなければならなくなったとも言える。さておき、育てられる子どもの側からみれば、世話と養育とルールとしがらみを押し付ける存在・引き受ける存在としての親のウエイトは相対的なものから絶対的なものに変わった。
私もそう思う。
かなり古いけど1996年くらいに出た本で「学校の再生をめざして」という本がある。
学校に過重な負担がかかる前段階として、親の変化を説明してた。
この時からなにか変わっただろうか。
大体上に書かれているとおりで、能力的にもリソース的にも不足している親に「世話と養育とルールとしがらみを押し付ける存在・引き受ける存在」が全て押し付けられる。その結果として、教育の場は閉じた家庭に限定されるため、教育されている内容に偏りが出やすくなったり、そもそも教育が不足する、と。
そういう子を引き受ける学校には、以前より能力ある教師やリソースが必要となるが、実際には人員や予算は削られていく一方で、雑務や報告義務が増加したりと、負担ばかりが増加していく。
にも関わらず、家庭に親にしても学校における教師しても、「他の人間が関与する余地を排除する」構造になっているため、全面的な責任と裏返しの独占的な支配権を保有することになる。
親も教師も、周囲から能力に対して過大な結果を求められ、責任を負わされ、問題を起こすな周りに迷惑をかけるなと言われ、それでいて自分たちにはそのために必要な能力もリソースも手助けも理解者も足りない。 あるのはただ支配権だけ。
こういう条件で子育てしろって言われた時に、「失敗」する確率は高い。何を重視するかにおいて、「周りに迷惑をかけるな」を重視すると、自分がもつ権力や暴力を持って子供を黙らせるしかないって考える人もいる。被害者意識が強くなると、子供を敵視する人だっているかもしれない。
こういう状況で、子供が発達障害児だったり、親と相性が悪かったりした時に、親はどうすればいいのか。どうすればよかったのか。
そう考えると、毒親もまた被害者ではある。
そういうことはこの年になってわかってきた。
とはいえ、自分は親が自分にした仕打ちを許せるかというと許せないのだが。
だが、親だけを恨むのは筋違いであろうということだけはわかる。
来客にお茶出すのは別に良いんだけど、それを洗うのは絶対に嫌。
そもそも自分が口つけた物でさえ、時間が経てば汚く感じてきて触れなくて捨てる事さえあるのに、
他人が口つけたグラスなんて汚過ぎて、洗うのを考えるだけで気持ち悪くて涙出てくる。
自費で購入するから紙コップにしたい。
我慢して他人のコップ触って、後で泣きながら手を洗ってる自分が恥ずかしいのは分かるけど、本当に気持ち悪くて無理なんです。どうしよう。仕事行きたくない。
でもお茶汲みして洗い物しないなんて新卒失格だと思うし、雑務を進んでしなきゃいけないのは分かってるんだけど。本当に気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くてほんっっっっっとに拒否感強い。
どうしよう。マジで触りたくない。
その前は目黒区で十年以上働いていた。
趣味はクラスィック鑑賞とゴルフ、茶道、仕事中に集めた料理のレスィピを家族に振る舞うこと。
(女子中学生は若い女が好きな友人に紹介してやることもあれば、今の若者では到底買ってやれないような高いクラスィックコンサートの席を用意してやり、真の大人の男というのがどんなものかを教えてやったりしている。)
中野区に戸建ての家を持ち、貯金は昨年一千万を超え、妻は小学校の教員で、長男と長女の二人の子供もいて長男は昨年めでたく結婚。
長女は箱入り娘で妻と同じく教員をやっており遊ぶ時間がないほど多忙なおおかげで貯金がすでに一千万以上ある。
妻も仕事が忙しいので家事のたぐいは私がほとんどやっていて、その代わり妻の収入を好きに使わせてもらっている。
妻は忙しすぎて付き合いが悪いので、元カノ達(大学時代から4人いるが全員未婚)と遊んでいてもまったく気づかず楽しくやらせてもらっている。
ただし体の関係はない…私は若い女が好きなので加齢女たちは私の暇つぶしだ。
私ははっきり言って勝ち組だ。
勝ち組な私の息子と娘以外の若者たちを見ると、もう哀れでしょうがない。
しかも今の若者は私のように品があり活動的で積極的でもないし、いつでも遊べる女達を何人もキープしてる様子もない。
仕事だって私は一日中遊んでパソコンでネットしていても金の方から舞い込んでくる(接客や雑務は下っ端の女性たちのためにある仕事)
けど今の若者はIT系だとかなんだか知らないが残業してるらしいがそんな仕事を選んだ自分の責任で自殺してもしょうがないと思う。
金も余裕もなく魅力がないから女も寄ってこないからデートすらできないんじゃないの。
特に女がひどい。
女子中学生、高校生、大学生といった若い女は若いだけで価値があるからいい。
頭が弱いからちょっと大人の余裕で包み込んでやればすぐ信頼して言うことをよく聞くようになる。
二十代になったら女は終わり。
社会人になったら顧客に体売るくらいの覚悟で仕事できないなら、女は仕事なんかやめちまえ。
仕事ができても愛想がない若い女社員がいたが、とにかく暴言浴びせて頭ぶっ叩いて差別しまくって辞職に追い込んでやったときは爽快だった。
人出が足りてないってのに子育てのため時短勤務延長しろ?何様だ、おい。
私は上に守られているので私が辞めさせられることは絶対にない。だから媚びへつらってればいいもんを。
俺には生きる目的がない。夢もない。ただ漫然とゲームやアニメ等のコンテンツを浪費し、飯を食って生きながらえてしまっている。死にたい。
おそらく、かつては生きる目的はあった。勉学に励み、大学から研究の道へと進み、父親のように研究者として生きたかった。大学中に恋をし、早いうちに結婚したかった。社会の役に立てることをし、名声を得られなくとも慎ましく生きていきたかった。
だが大学の研究室で現実を知った。俺には新しいことを考え出す力が決定的に不足していた。学部生として配属されたときに最初に与えられた目的が希薄であり、自分で目標を作り目的を見出さなければならないことを知った。日々の作業はただただ雑務であり、教授の話す夢物語と現実の作業の差を感じた。そこには楽しさもうれしさもなかった。
結果、研究室に入って数か月で鬱状態となり、修士卒業までの3年を無駄に過ごした。元々の人付き合いスキルのなさもあり、在学中に出会いなどあるはずがなあった。利子なしの奨学金も取れたが、あてにしていた返済免除などとれるわけがなかった。
修士に入ってすぐ、研究の道へ進むことをあきらめた。得たことは、お前の目標とこれまでそれに走ってきた人生は間違っていたのだ、という現実だけだった。
社会的には「幸いにも」、俺にとっては「不幸にも」、俺がこれまで勉強してきた方面で、有名大学の推薦枠で、大企業の子会社かつそうそう潰れないメーカー会社に就職した。
大学での研究の道はあきらめても、企業の開発部門なら心機一転できるし、あくまで利益追求という目的があるから、君にはそっちのほうが向いているのではないか、と大学教授から勧められたからだ。
だが、入社して1年経った今、仕事にも生活にも虚無感しかない。
やりたいかもしれないと思っていたことはすでに分業化されており、統括の立場になるには20年はかかるであろうことが容易に予測できた。
研修後、ある程度希望を出した部署には配属されたが、全く興味がない仕事に半年従事させられた。人手が足りないから応援にいってこい、ついでに仕事の進め方を学んでおけ、と言われたが、いかにうまく手を抜いてサボるかを学んだだけで仕事の目的と意味をいくら聞いてもさっぱり理解できなかった。
楽しいともやりがいがあるとも全く感じられない。これを20年耐えたところで、俺のやりたいかもしれないことができるとは思えない。
別にやりたくもない仕事を押し付けられるのは社会ではよくあることだろうから、そこは仕方がないと思ってやるしかないのだろう。だが、仕方がないと思ってやるのは何故かといえば、仕事だからであり、なぜ仕事をやるのかといえば、金を稼いで飯を食って生きるためである。ではなぜ皆そんなにやりたくもない仕事してまで生きるのか?
色々な知り合いに相談してみたが、「生きてるから仕方ないじゃない」「死んだらほかの人が悲しむから」程度の回答しか得られなかった。
理由もなしにそんなに必死に生きていられるのか。言わないだけで目標とかこう生きたいとかあるんだろ?と勘ぐっても、それが何かは皆目見当がつかない。
さらに言うなら、俺にはそういう目標やらこう生きたいとかやらもない。
いや、正しくは最初に述べたとおりのことはあったが、もうかなわない夢物語と化している。代替案はない。
一山当てて海外を豪遊したいだとか、結婚したいだとか、そういうことはなくもないが、その理由は「そういうことをすれば他人から称賛されるから」というクソな理由であり、俺が自発的にやりたいことではない。
少なくとも、俺は俺が嫌いだ。俺の性格が嫌いだ。
俺の性格の本質は、自己中心的な完璧主義、そこそこの努力で他人に賞賛されたいと願っているゴミである。自分の思い通りにならないと泣きわめく子供である。
いくら表現方法を変えようと、手管を尽くそうと、我慢しようと、精神に負荷がかかると必ずこの性格が顔を出してしまう。変えられない形質というやつだ。
こんな性格を持つ俺自身を俺は全く好きになれない。むしろ大嫌いである。
自己啓発本とかでよく言われているように、まずは自分を認めなければ始まらない、だから認めたらどうだ?アホか、こんな人間なぞ信用もできないし認めてやることなんかできない。
だから、死にたい。俺には苦しんでまで生きる意味なんて、目標なんてないのだから。
一方で、この俺の行動を「構ってチャン乙」と冷めた目で見ている俺がいる。当然だ、こんなことを書いているのは俺かわいそうアピールに他ならない。
こういう風に書き散らしてみたり、酒を飲んで人に八つ当たりしたり。世から見ればこんなことをしているのはメンヘラとレッテルを貼られ、忌み嫌われ、蔑まれていく。
こんなことをする奴を助けてくれる奴なんていない。この世にスーパーマンはいない。いたら詐欺師か霊感商法か宗教勧誘だろう。
さらに、俺の周りには俺が生きたかったような人生を送っている奴がゴロゴロいる。まさに最初に挙げたような、研究職について人生順風満帆なやつが何人もいる。つきあっただの結婚しただの子供作っただの、というやつも何人もいる。仲良しグループですらそういう話題に事欠かない。
そういう話を聞くたびに、激しい嫉妬に駆られる。どうして俺はそうなれなかったんだ。どうしてお前らは。どうして。どうして。
生きているだけで、そういう話がどうやっても耳に飛び込んでくる。別に友達に限らず、仕事の付き合いでの雑談でも絶対に出てくる。避けることはできない。
俺は愛情というものがよくわからない。恋人や結婚相手、子供が欲しいとは思うが、それは社会的ステータスのために欲しいのであり、純粋に誰かを好きになったことはない。さらに口下手のオタッキーだから、これまでに付き合ったことなどないし、当然童貞である。
恋愛関係については何も知らない赤ん坊であるのだろう。だが、完璧主義のため失敗は許されない。付き合うためのきっかけもわからない。職場には女性がいない。出会い系は危険というニュースのイメージを子供のうちにさんざん刷り込まれている。街コンは行ってくれる知り合いがいない。そもそも、恋愛をするメリットが分からないまま、他人の恋愛事情に嫉妬している現状が意味不明である。
当然知識はある。山の深くへ入り込んでも、海へ入水しても、首を吊っても、道や線路へ飛び出しても、薬品やガスを使っても、風呂場でコンセントをショートさせても、すぐに死ねるだろう。他人への迷惑度など知らん。
ではなぜ衝動に駆られてもそうしないのかというと、きっと死とはどういうことかを知らないからだと思う。
幸か不幸か、物心がついた後では私の身内や親しい間柄の人間では未だに誰も死んでいない。葬式に出たことがない。ペットも飼っていなかったので、親しい生物の死に直面したことはない。
二度と会えなくなるということはわかっているが、理解したことはない。
死んだらどうなるのか?魂なんてものや天国地獄なんてものはないだろうが、そうあってほしいという願望はある。
俺がこの詰み状態から抜け出すには、俺のことを受け止めてくれるそこそこかわいい未婚女性と、ネットやゲームに張り付くよりも楽しく生産的な何かが必要なのだろう。あと金。
だがそれは降ってはこない。だが掴み取るためには今よりもっと酷い精神状態になりながら人生に打ち込まなければならない。だが、そもそもこれまでに目標を勉学以外で自発的に達成できたことなどない。
それらが欲しいなら、どうすればそれを手に入れられるか?という戦略を立て、目標と妥協点を立て、行動しなければいけないのだろう。そのような気力はない。そもそも前提として俺の性格が人間失格レベルなのだから、人生は詰んでいるのだ。
また明日から仕事だ。死にたい。死ぬのがだるい。死にたい。助けてくれ、だが無理なんだろう。死にたい。
15/5/11
20代後半の男性。理系学部の大学助教 (任期付き) で年収は600万くらい。
大学教員は雑務が多く、昔と比べて忙しくなったとは言われるものの、ほとんど自分の裁量で研究を進めていける今の環境にはおおむね満足している。
研究活動はとても楽しく、休日にも予定がなければついつい大学に出て来てしまう。
これと言った趣味は無いが、小説を読んだり、大型の書店を散策したり、博物館や美術館を巡るのが好きだ (知識は乏しいので、単に眺めて楽しむことしかできないのだけれど)。
あと、友人に勧められたアニメを観ることも結構ある。気に入った作品は、(あれば) 原作を買ったり、関連するラジオを聴いたりと、結構ハマってしまうことがある。それでも、オタクというにはおこがましい程度の中途半端さである。
今の生活はそれなりに充実しているけれど、一人暮らしの部屋で、時々、ふと寂しくなることがある。
今の職は任期付きだが、うちの分野はやや人手不足のため、今後のキャリアにほとんど不安はない。実際、周りで職にあぶれた人を見たことがない (バイオ系みたいに人の多い分野は、とても大変だと聞きますね……)。
それでも将来の保証が具体的にあるわけではないので、客観的には、結婚相手としては選びにくいプロフィールなんだろうと思う。そう考えると、結婚相談所などに登録しても到底うまくいくような気がしない。
男性的な魅力はあまり持ち合わせておらず、僕のことを気に入ってくれる可能性のある女性は (経験的に) 20〜30人に1人くらいだと思う。その分、たくさんの女性と出会う必要があると思うのだけれど、そもそも友達すら少ない身としては、良い方法が思い浮かばない。
お葬式の各種儀式とか四十九日という期間の取り方とか、無くなった人と向き合い現実をキチンと受け止めるにはちょうどいい期間、内容だったな、と思った。
それぞれちゃんと意味があるんだろうけど、でもそういう事よりも手続きを踏んでいくことでお父さんはちゃんと仏になったと感じるし、僕も妹も母親も新しい1歩をあるいていけてると思う。
とくに妹は小さな子供がいるわけで、過去を振り向いてなんかいられない。今すぐそこに対処しなければならない現実があるわけで早い段階で気持ちを切り替え日々の雑務をこなしてた。
それまでは田舎のしきたりウゼー派だったがウゼーと思う原因にはちゃんと原因があったしウゼーことが逆に頼りにもなった。
ウゼーと思うのは物事の悪い面で、そこにはちゃんと良い面もあったわけだ。ずっと避けてたから知らなかった。
人は一人では生きられないっていう事の一つを感じた。
社員は仲間だとか家族だとか、ラフに行こう的な社風がしんどくなった。
そんな事言ってるけどその実社風は何もラフじゃないし、べつに仲間扱いもされない。
楽しい事、功績になる仕事はすべて彼らの中で消化されて、私には食べかすのような雑務だけがやって来る。
ワイワイやってる社員達の中に混ざろうとすれば「何で混ざってきてんの?」的な空気が流れる。
たぶん「私達が楽しくやってる間、あんたは電話取りしてて」役として雇われたんだろうなあ。
仲間とか言われて舞い上がって、頼ってもらえるよう期待に応えなきゃと空回りばかりして、そして何かと期待しすぎたんだろう。
参考書に教員採用試験と就職活動は両立できないと書いてあった。「そもそもすべり止めとして内定をもらうのは会社に失礼だし、生半可な気持ちで教員を目指すべきではない」との事。
尤もだと思い、就職活動はせず教採一本に絞った。教採の面接で不採用になった場合を聞かれ、「臨採で経験を積んでもう一度教採に挑戦します」と答えた。不合格。もう10月。
私立の求人を探す。集団面接にも行ったがすべて不合格。もう12月。
就職活動を始めた。教採について聞かれる度「教職は断念しました。今は一般就職を目指しています」と答えた。しかしどこも駄目。
今は臨採登録を検討中。
まぁ教員になっても研修、雑務、時間外労働、生徒や保護者への対応やら、しんどい事ばっかりなんだけど。一般就職してもそんなもんか。どっちにもなれそうにないけど
ウィスキーを飲むことを憶えた。
そうはいっても三日前だ。
だんだん、齢を重ねた結果だろうか、ひとりチビチビとやるのが妙に落ち着く。
なにをして過ごそうが、だれにもじゃまされない。
なんであんなにまでも日曜に焦がれたのだろう。
そのくせ、当日はやることも、特別なこともなく死ぬほどの退屈をもてあましていた。
いまのように、ゲームといった電子機器もなく、本当にやることがなかった。
いつのころからか、本を読むことを憶えたのは、もっとも金のかからない趣味だったからだと思う。
余った時間はすべて本についやした。
一冊、読破するたびに、己が大きくなれた気がした。
実際はどうだったのだろう。
それに気づいた時に読書をやめた。
そうやって、そうやって、いくつもの迷いと思いつきのような希望にふりまわされて、現在にいたる。
もし、あの時ああしていればと思うことはいくつも思いあたる。
けれど、しょうがないのだ。
とにかく、しょうがなかったのだ。
勤務先に世話好きな人がいる。
世話好きというか、頼まれてもいない
これがもう、たまらなくウザい。
○○さん、もうあれやりました?提出期限○曜日ですよ?
(2)また、たまたま席外しの時に、
他部門の人が尋ねに来た時も、「○○さん戻られました」とその人に電話。
私はこのあとまたすぐにミーティングで席を外すのに。
(というか、それって普通、先に私に言うべきことだよね?)
これまで何社か転職したが
こうした行動で、自分の存在価値をアピールしているだけなのだ。
そもそも(1)や(2)のようなことを当たり前に出来るから
「誰かに見てもらうこと・誉めてもらうこと」しか考えていないので
課長がこういった奉仕リマインダーを無駄に誉め、つけあがらせていること。
そこを伸ばしてどうする?とツッコみたい気持ちを日々こらえている。
何回目になるのだろうか、もはや正確な回数もサッと思い出せないが、はや20も後半になったのは自覚している。そして、これまで以上に誕生日という実感がわかない。
うまいもん食おうとか、ほしいもん買おうとか、誕生日だから別にどうというわけじゃない。それも「歳をとるのがイヤだから誕生日を意識したくない」というわけではない。
なぜなのか、その理由もすこし考えればわかる。友達も、職場の人も(俺1人の職場)、ましてや彼女もいないこの身ゆえ、今となっては「おめでとう」と祝われることがない悲しい人間だからだろう。
期待しても仕方がないのだ。そもそも直近まで誕生日を忘れてたし。とにもかくにも、イベント感はまるでない。
今日も終わりに近づいたが、今年の誕生日も普段とかわらない1日だった。
なんの変哲もない、無味乾燥で、ただ虚しく老いていくだけの1日。昼過ぎ、出勤時刻ギリギリに起床して、心身にムチを打ち、倦怠感をふり払いながら労働。
そして仕事中の今である。処理すべき雑務から逃げるように、死んだ目をして1人キーボードをカチャカチャさせている。
ここから家に帰って0時になるだろう、睡魔と戦いながら晩飯に風呂。なんだかんだ2時ごろとなる入浴後、さあ落ちついたぞというところで勉強かねての読書タイム。
が、たいてい寝落ち。そして目をさますと昼過ぎ、出勤時刻ギリギリで…こんな毎日をすごしていると、なんというか、生が実感できない。今日の誕生日というこの日も以下同文。
しかし、というかだからこそなのかもしれないが、心の中では「祝ってほしい!」と思っている。「おめでとうと言ってくれ!」と思っている。
そうでなきゃこうして増田に書くこともない。この歳で口に出すのは恥ずかしい(そもそも口に出す人がいない)が、盛大でなくてもいい、どんな手段・方法であれ「おめでとう」という言葉を浴びたい。うーん、これが承認欲求というやつなのだろうか。
そこでだ。なにが縁でこれを読んでるあなた、そうそう、あなた。
まあなんだ、せっかくだからこの機会、この哀れな独り身に「おめでとう」を投げつけてみてはどうだろうか。なあに金がかかるもんじゃあない。
といっても、誰もいってくれないという悲しい事態を避けるために、自分で自分に言っておこう。
ふと思い立ち、これまで俺が殴りつけてきた過去の増田をふり返ってみた。
うん、書いていた。ちょうど7年前のこの日、俺は増田に「20歳、節目となる誕生日を一人でむかえるぜ!ヒャッハー」と書いていた。
ああ、俺は、なんら、成長、して、いない。
さて。
見かけ:まあまあ。悪くはない健康的。
年収:悪い。平均以下
な俺なわけで、
結婚相手とか恋愛対象としても、あまり同年代に胸張っていける感じではない。上記のスペックでも
OKしてくれそうな子ならまだしも。
職場の女には手を出さない。面倒臭いことになると、働くのがつらくなるから。いつも顔合わせるのが。
そこで件名の、消極的営業をたまに受ける。
いや、受けた気持ちになる。
これがなんかモヤモヤして気持ち悪い。
「気のせい、気のせい、あー、気のせいだわマジマジ」
と思っているのだが、なんか面倒臭い。
少しずつ袋小路に追い詰められている気持ちになる。
細かいことが重なっていくと、それが気になっていく。
例えば:
-しょうもない雑務をしたら「ありがとう」とわざわざ言ってくる
-上記のようなことで、「ありがとうメール」をCCありの他の人も見るメールでいう
-頼んでもない業務に必要そうなもの(本当はいらない)を「察して」くれて購入してくれる(事務費用で)。こちらが礼を言わねばならない。
-違う部署内で盛り上がっていたネタを聞いていたのか、わざわざそのネタを拾って自分に声かけてくる。
上記のような「それ、わざわざいうの?必要なくない?」ということがままある。
一年前の研修の後片付け手伝っていたら容姿を褒められたのだが、ここからなんかモヤモヤがたまっている。
この事務員Aは、人を使うのがうまく、空気も読む年齢不詳のアラサー~30代中盤くらいなんだが、
頭が回る分、何を考えているのか読めない。顔は整っているのだが、ときおり妖怪みたいにニターっとわらう。
プライベートでなにをやっているのか社内の人がほとんど知らないというのがまた怖い。
上を見返してみると、こいつは思い込み激しい痛い男だ!恥ずかしい!
誰も居なくなったオフィス。
明かりは半分消されて、俺の周りだけが明るい。
終わらせれば今日は終わり。
どうせ家に帰っても1人なので、
さっき新年会をここで1人で
することを決めた。
30分もしないうちに
先ほど頼んだ寿司屋の出前が来た。
9時を回っても出前してくれる寿司屋。
プシッ。グビリ。ふぅ。生き返るな。
せっかくの新年会だ。
うん。
少し硬いが脂の旨味はしっかりとくる。
悪くない。
次は、白身。これは、カレイか。
プリッとしているが、
ヒラメとは違いさっくりした食感。
なかなか引き締まっていて良い感じだ。
立て続けに寿司を放り込む。
そしてまた、ビールをぐびり。
半端ない。
さぁ、食い終わったらまたがんばろう。