2015-02-20

今日、俺、誕生日

何回目になるのだろうか、もはや正確な回数もサッと思い出せないが、はや20も後半になったのは自覚している。そして、これまで以上に誕生日という実感がわかない。

うまいもん食おうとか、ほしいもん買おうとか、誕生日から別にどうというわけじゃない。それも「歳をとるのがイヤだから誕生日意識したくない」というわけではない。

なぜなのか、その理由もすこし考えればわかる。友達も、職場の人も(俺1人の職場)、ましてや彼女もいないこの身ゆえ、今となっては「おめでとう」と祝われることがない悲しい人間からだろう。

期待しても仕方がないのだ。そもそも直近まで誕生日を忘れてたし。とにもかくにも、イベント感はまるでない。

今日も終わりに近づいたが、今年の誕生日も普段とかわらない1日だった。

なんの変哲もない、無味乾燥で、ただ虚しく老いていくだけの1日。昼過ぎ、出勤時刻ギリギリに起床して、心身にムチを打ち、倦怠感をふり払いながら労働

そして仕事中の今である。処理すべき雑務から逃げるように、死んだ目をして1人キーボードをカチャカチャさせている。

ここから家に帰って0時になるだろう、睡魔と戦いながら晩飯に風呂。なんだかんだ2時ごろとなる入浴後、さあ落ちついたぞというところで勉強かねての読書タイム

が、たいてい寝落ち。そして目をさます昼過ぎ、出勤時刻ギリギリで…こんな毎日をすごしていると、なんというか、生が実感できない。今日誕生日というこの日も以下同文。

しかし、というかだからこそなのかもしれないが、心の中では「祝ってほしい!」と思っている。「おめでとうと言ってくれ!」と思っている。

そうでなきゃこうして増田に書くこともない。この歳で口に出すのは恥ずかしい(そもそも口に出す人がいない)が、盛大でなくてもいい、どんな手段方法であれ「おめでとう」という言葉を浴びたい。うーん、これが承認欲求というやつなのだろうか。

そこでだ。なにが縁でこれを読んでるあなた、そうそう、あなた

まあなんだ、せっかくだからこの機会、この哀れな独り身に「おめでとう」を投げつけてみてはどうだろうか。なあに金がかかるもんじゃあない。

といっても、誰もいってくれないという悲しい事態を避けるために、自分自分に言っておこう。

ハッピーバースデーハッピーバースデー、俺。

ふと思い立ち、これまで俺が殴りつけてきた過去増田をふり返ってみた。

うん、書いていた。ちょうど7年前のこの日、俺は増田に「20歳、節目となる誕生日を一人でむかえるぜ!ヒャッハー」と書いていた。

ああ、俺は、なんら、成長、して、いない。

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