何回目になるのだろうか、もはや正確な回数もサッと思い出せないが、はや20も後半になったのは自覚している。そして、これまで以上に誕生日という実感がわかない。
うまいもん食おうとか、ほしいもん買おうとか、誕生日だから別にどうというわけじゃない。それも「歳をとるのがイヤだから誕生日を意識したくない」というわけではない。
なぜなのか、その理由もすこし考えればわかる。友達も、職場の人も(俺1人の職場)、ましてや彼女もいないこの身ゆえ、今となっては「おめでとう」と祝われることがない悲しい人間だからだろう。
期待しても仕方がないのだ。そもそも直近まで誕生日を忘れてたし。とにもかくにも、イベント感はまるでない。
今日も終わりに近づいたが、今年の誕生日も普段とかわらない1日だった。
なんの変哲もない、無味乾燥で、ただ虚しく老いていくだけの1日。昼過ぎ、出勤時刻ギリギリに起床して、心身にムチを打ち、倦怠感をふり払いながら労働。
そして仕事中の今である。処理すべき雑務から逃げるように、死んだ目をして1人キーボードをカチャカチャさせている。
ここから家に帰って0時になるだろう、睡魔と戦いながら晩飯に風呂。なんだかんだ2時ごろとなる入浴後、さあ落ちついたぞというところで勉強かねての読書タイム。
が、たいてい寝落ち。そして目をさますと昼過ぎ、出勤時刻ギリギリで…こんな毎日をすごしていると、なんというか、生が実感できない。今日の誕生日というこの日も以下同文。
しかし、というかだからこそなのかもしれないが、心の中では「祝ってほしい!」と思っている。「おめでとうと言ってくれ!」と思っている。
そうでなきゃこうして増田に書くこともない。この歳で口に出すのは恥ずかしい(そもそも口に出す人がいない)が、盛大でなくてもいい、どんな手段・方法であれ「おめでとう」という言葉を浴びたい。うーん、これが承認欲求というやつなのだろうか。
そこでだ。なにが縁でこれを読んでるあなた、そうそう、あなた。
まあなんだ、せっかくだからこの機会、この哀れな独り身に「おめでとう」を投げつけてみてはどうだろうか。なあに金がかかるもんじゃあない。
といっても、誰もいってくれないという悲しい事態を避けるために、自分で自分に言っておこう。
ふと思い立ち、これまで俺が殴りつけてきた過去の増田をふり返ってみた。
うん、書いていた。ちょうど7年前のこの日、俺は増田に「20歳、節目となる誕生日を一人でむかえるぜ!ヒャッハー」と書いていた。
ああ、俺は、なんら、成長、して、いない。
探したけれど見つからない http://anond.hatelabo.jp/20080220