はてなキーワード: 鉢合わせとは
先日の、出勤して事務所のドアを開けたら警察官と鉢合わせた問題は、よくあることだと女子フリーターアルバイトさんから聞いた。女子フリーターアルバイトさんはDさんから聞いたらしい。当店で事件が起きたわけではなかった。なんでも、近くで何か事件が起きて犯人が逃走した場合、逃走中にそこら辺の店舗に立ち寄った可能性を見て、警察は近くの店舗の監視カメラをチェックしに来るのだそう。
ということをDさんがよく知っているのは、バイト歴が長いというのもあるけど、人の迷惑を考えずに軽々しく話しかけることができるというアビリティを持っているからだ。私みたいに、「邪魔したら悪いな……」と思って何も言われないうちに引く奴は、何年経っても情報通にはならない。
さすがにコロナが流行り過ぎてコンビニまでもが暇になってきた。といっても、昼間にスーパーに買い物に行くとすごいたくさん人がいるけれども。
昨日は節分だったので予約恵方巻きのお渡しというミッションが発生したのだが、夕勤ってあまり予約商品の引き渡し業務がない時間帯なので、不慣れというかそもそも知識がない。それで、シフトリーダーにやり方を教わった。シフトリーダーは昼勤もやれる女子フリーターアルバイトさんが一緒だから大丈夫だよね、分からないことがあれば彼女に聞いて、と言って帰っていった。
ところが! いざ恵方巻きの受け取りのお客様が来店して女子フリーターアルバイトさんのレジに来たら、女子フリーターアルバイトさんは、
「これって足りないですけど、ウォークインかどこかから取ってくるってことですか?」
と私に聞いて来た。(恵方巻きは常温保存なので、カウンターの内側に置いてあったのだが、一緒に注文された汁ものは冷蔵品だったのでウォークインの中の「予約商品。店頭品だし不可!!」というメモの貼られた籠の中に保存されていたのだ。)人の話はちゃんと聞こうな。しょうがないから汁ものは私が取りに行った。
一見ちゃきちゃきと仕事をしているが所々に奈落の底みたいに深淵な感じの難のある女子フリーターアルバイトさんだが、彼女の姉は輪をかけてヤバイらしい。そんな噂をAさんから聞いた。もともとが女子フリーターアルバイトさんがDさんに語ってDさんがAさんに語ったことだから、現実には女子フリーターアルバイトさんの姉は言われるほどの狂人デはないのかもしれないし、逆に想像を絶するレベルの危険人物かもしれない。何しろ女子フリーターアルバイトさんが信用できない語り手過ぎるし、DさんはAさんいわく「記憶力が悪い」らしいし、Aさんは他人の不幸を面白がり過ぎなので、彼らの伝言ゲームはかなり歪んでいるんじゃないかなと思う。
聞いた限りでは女子フリーターアルバイトさんの姉は買い物依存症であるらしい。Aさんはどんだけクソなんだよw と嗤うのだが、私は「買い物依存症は病気なのだから人柄がクソでなくともなり得る」と言った。あんまり否定するとAさんは拗ねてしまって面倒臭い奴に豹変するので、あまり他人の姉を馬鹿にするなよと直球に諌めることは出来ないものの。
「いくら金を使っても物欲が尽きないなんて俺には信じられない」
とAさんが言うから、
「買い物依存症の人はさもしい人間だから欲が深いんじゃなくて、散財しないと不安になるし不安だから散財する魔のスパイラルにハマってしまったただの人だから。散財しなければという衝動に人格が振り回されているという状態」
と私は言ったが、Aさんは理解できないのだそう。それは「理解できない」のではなく「共感できない」じゃないのかな。理解なら、依存症の人の行動パターンは似かよっているから、理解し難いところはないだろう。
出勤して事務所のドアを開けたら警察の人と鉢合わせ。巡査とか刑事とかじゃなくてなんていうの……サスペンスドラマの現場検証の場面で写真撮ってる人達……鑑識? 一体何事なんだろうと思ったが、聞いちゃダメな気がしたので、とっとと制服着てタイムカードきってフロアに出た。
そんな謎な出来事があったにも関わらずオーナーがすごい上機嫌だった。マジで一体何があって警察が事務所に入ったのだろうか。
私が出勤してから45分くらい、外に蛍光色の表着を着た人がいて誰かとしゃべっていたのだが、あの蛍光色の表着、以前店で迷子を保護して110番した際に来た警察官が似たようなものを着ていたような。でも、夜に散歩するお年寄りなどもああいう目立つ色の表着を着ていがちなのでわからない。とにかく目立つので、店に入ろうとするお客様がみんな蛍光色の表着の人をちらちら見ていく。
オーナーとのシフトだったのだが、警察沙汰になるような何かがあったにも関わらず、オーナーはスーパー上機嫌。あまりにもご機嫌だとかえって気味が悪く感じる。そのせいで私は変に緊張してしまったのか、仕事開始後一時間くらい、胃がキリキリして吐き気までしてきて早く帰りたい気持ちで一杯だった。
ご機嫌なオーナーが珍しく私に雑談を振って来たのだが、その内容は警察沙汰の件ではなくて近くの小学校でコロナが流行り休校になっているということだった。私が「それ初めて聞きました」と言ったら、オーナーから「増田さんちの子の学校と同じ市内なのに?」と驚かれた。そう、市や教育委員会や小学校はメールでコロナ情報を送って来ることがあるが、学校での流行に関してはプライバシー保護の観点から情報を一切公開していないのだ。子供のクラスの隣のクラスが学級閉鎖になったとしても知らされはしないのだから、他校のことなど尚更不明である。
休校になってしまった学校に通う子の何人かがうちの子と同じ習い事をしているのだが、習い事も先月から休講なのでうちの子が習い事を通じてコロナをもらうことはない。だが、その子供の保護者が実はうちの子供の学校の特別支援教室で働いていて、今も欠勤はしていない。何で知っているのかというと、私が毎日学校まで子供を迎えに行く時間が、その保護者が仕事を終えて帰る時間と被っているからなのだ。本人やその家族が感染していなければ子供の学校が休校になっていても普通に仕事には出れるのかもしれないが、休校になった学校の子供達の全員が大人しく自宅待機をしている訳はなく、近所同士で行来していないとは限らないので、地味に心配ではある。
週末になるとみんなでビラを折るんだ。そこでビラをただ折りを手伝っていた。
小さかったので、折り紙の容量でどんどん折っていった。
他の友達は子ども会とか習い事をしている中で、自分は親に連れられて政治関連の大会に出ることもあった。
小さかったので、何かぼーっとお茶とお菓子を食べる場所として過ごしていた。
高学年くらいになると、段々自分の家と周りの家の違いが分かるようになってきた。
選挙時期になると親は土日は会議、平日も仕事終わりに会議に出かけていくし、電話かけとか選挙カーとかにのって、街頭ではチラシを配る。
そんな親たちと鉢合わせしたくなくて、逃げるようにその場を去ったこともある。
選挙ポスターも貼ってあるし、友人らにその意味を理解されたくなくて家に呼びたくなくなった。
大量の政治関連の新聞記事のスクラップや政党支持のチラシを広げて、テレビ番組のゴールデンタイムはBSのニュース番組がずっと流れてる。
社会問題に対する認識をずっと植え続けられることに拒否反応を起こしていた。何で自分は家に帰ってきてもずっと、社会に目を向けなきゃいけないのと感じていた。
それで親は家事は任せ、夜は再び会議に行く。政治家じゃないよ、一般の政党支持者の話だよ。家庭の事を省みない態度に思春期は辟易したが、もう諦めた。
大学を卒業し、社会人になって結婚とか色々考える時に、ますます親の事が気にかかった。
相手の家にどう思われるんだろう。家には絶対呼べないと思った。自分と親は違うけど、明確にある政党を支持してるって思想をもった家は繋がりをもてるのか?
だから、政治のことを半端に分かってる人じゃなくて、なんかよく分からないくらいの人が相手にいいなと思ったし、気にしない人がいいという願いもある。
何だろうな。政治が大事だと思うし、親の事は否定できない。けど明確に、指示政党の立場示す行為を続けることって何かタブーなんだよ。自分的にだけど。
すげー卑屈になってくんだ。親が必死になってる様を見てかっこいいなと思うより前に、狂信的な態度におびえちまったというか。それが与党だったらまだ許せたのかな?
とにかくすごい閉塞的な気分になってくんだ。親が政治活動やってるってことが。周りからどう思われてるのかすげー怖い。早く家を出ろって話なのかもしれないけど。
自分もその親の子どもだから、若手として期待されるような声をかけられることがある。ジェンダー?SDGs?貧困?・・・社会問題を一緒に解決しようという眼差しが自分にはすごく、辛い。
疲れた。もう何でもいいそんなの。
https://anond.hatelabo.jp/20220108133858 が思ったより反響があったのでもう少し書きます。
件の公衆トイレは男女で分かれていて、二箇所離れた場所にあり、広さはアパートのワンルームほどです。片方だけ水路が2つになっていました。
衝撃的な体験から一週間が過ぎて分かってきたのは流れた直後が一番混んでることだったり、
二週間目くらいにはだいたい朝7時~8時過ぎと、昼過ぎから14時前後の2つの時間帯が最も大きい方をする人が多いこと。
あと先輩に鉢合わせたりした。最初はお互いに気を使って?時間や場所をずらしたのですが、先輩が入って行ったのを追って少し遅れて入っていきました。
見慣れた人の排泄姿を見るのは妙な感覚でした。先輩と私は食べてるものやタイミングはほとんど同じでも、消化のスピードが違うのか、
私は朝食後か昼食後か、たまに食べてる最中即催してくるのに対して、先輩は一時間後~二時間後くらいに催すようです。頃合いだろうと思ったタイミングで先輩と当たると心のなかで当たりだとか思ってました。
こんなことを書いてるくらいなのであれですが、いつの間にかうんちに遭遇したときはスマホのメモに憶測で年齢や靴の特徴と色とうんちの質と時間みたいなのを記録していました。
場所柄日本より食事の時間が厳格なこともあり、前述した2つの時間帯に行けば平日であれば必ず大をしてる人を見ることができたのと、ルーティンになってくると顔見知り的な人も増えてきます。
全体の傾向として若い子(日本で言う中学から高校生)の快便率がすごかった。量自体も多く、おしっこのキレもさることながら、すごくおならが出る印象。
胃腸が若いのと食べざかりもあるから妥当なのか。面白かったのは同じ制服やジャージを着た子が二人組とかで入ってきて、会話をしながら用を足してたこと。
はっきりとは覚えてないけど「スッキリした」とか「今日はいっぱい出たじゃん」みたいな会話を日常的にしていた。
二十歳ぐらいを超えてくると快便と呼べる人はガクッと減ってきて。おならばっかりでうさぎのような硬いうんちをころころっとだして苦しそうな人も多くなる。
先のエントリで書いた美人のお姉さん含め、大人になっても快便な人は鍛えているか、細身or寸胴の人が多かった。あと、つま先立ちやハイヒールの人も多かった。
完全に顔を覚えてしまったお姉さん他、快便の人たちはいきむ声が堂々としていて気持ちよさそうに出していくので、謎の誇りのようなのが芽生えるのかなって思った。
今その公衆トイレは完全に個室の今風のトイレになってるらしい。飲み会、(特に女だけの)で話題に困ったらいつもこの話なんだよね。
結果:
触れた:14人。
触れなかった:86人。
触れなかった理由:
1位 用事がある:41人
2位 無理:17人
3位 無視:8人
食べ物:
要求された:5人
要求されなかった:7人
実際に食べ物をあげた:2人
会話した
した:5人
しなかった:9人
連絡
取り合ってる:1人
取り合ってない:4人
爆サイに晒された
3回
飼い主と鉢合わせた
結果:童貞
雑感:
・当たり前だけど首輪を付けてる猫は飼われている。
・意外と無視されない。
・触れた率は後半になるほど上がった。
ワイなりの無敵の人や。
結果:
お茶した:14人。
しなかった:86人。
しなかった理由:
1位 用事がある:41人
2位 無理:17人
3位 無視:8人
割り勘:
持ちかけてきた:5人
持ちかけてこなかった:7人
実際に割り勘にした:2人
LINE交換した
した:5人
しなかった:9人
LINEで連絡
取り合ってる:1人
取り合ってない:4人
爆サイに晒された
3回
結果:童貞
雑感:
・その日の1回目は毎回緊張するけど2回目以降は作業。
・当たり前だけど誰かを待ってる風の女は用事がある。
・意外と無視されない。
・意外と割り勘にしようと言ってくる。
・お茶した率は後半になるほど上がった。
・再就職頑張る。
通勤は誰も見張ってないから、障害者は一人でバスor電車に乗る
バスの中で大声で叫んで踊り出したり、人の前に顔を近づけてケタケタ笑ったり
地元には知的障害とか自閉症とか?の人達を集めてお仕事をしてもらう場所がある
知的障害者の社会復帰、というやつなんだろう、なんか作業をしてお給料を貰えるらしい
そして彼らは電車もしくはバスでその作業所まで毎日通勤している
すごく怖い
通勤は誰も見張ってないから、障害者は一人でバスor電車に乗る
バスの中で大声で叫んで踊り出したり、人の前に顔を近づけてケタケタ笑ったり
電車通勤でも駅に置いてあるペーパーを全部引っ張り出したり、ゴミを持ってきては窓口の人に押しつけたり
それでも普通にルーチンワークで仕事にはいけるようだが、毎回電車で鉢合わせると最悪な気分になる
田舎で電車の本数も少ないため、みなその知的障害者が乗っている電車に乗らないと1時間前とかになるから渋々乗っている
知的障害者の社会復帰はいいことだと思うし、多分仕事に行っている間は家族の負担も減るんだろうけれど、これを毎日経験している電車の乗客はけっこう洒落にならない
特にバスの方が逃げ場がなくて最悪で、その知的障害者がバスにのってくるともう地獄だ。
中学生くらいの頃、知的障害者の弟が同じ電車で通学してて、よく分からないことを口走りながら目の前を通り過ぎていったときにこっちの友達が「なんだあれキモい」みたいなことを言ってて(もちろんそれが俺の弟だということは知らない)、何も言えずいたたまれない気持ちだったことを思い出した。
地元には知的障害とか自閉症とか?の人達を集めてお仕事をしてもらう場所がある
知的障害者の社会復帰、というやつなんだろう、なんか作業をしてお給料を貰えるらしい
そして彼らは電車もしくはバスでその作業所まで毎日通勤している
すごく怖い
通勤は誰も見張ってないから、障害者は一人でバスor電車に乗る
バスの中で大声で叫んで踊り出したり、人の前に顔を近づけてケタケタ笑ったり
電車通勤でも駅に置いてあるペーパーを全部引っ張り出したり、ゴミを持ってきては窓口の人に押しつけたり
それでも普通にルーチンワークで仕事にはいけるようだが、毎回電車で鉢合わせると最悪な気分になる
田舎で電車の本数も少ないため、みなその知的障害者が乗っている電車に乗らないと1時間前とかになるから渋々乗っている
知的障害者の社会復帰はいいことだと思うし、多分仕事に行っている間は家族の負担も減るんだろうけれど、これを毎日経験している電車の乗客はけっこう洒落にならない
特にバスの方が逃げ場がなくて最悪で、その知的障害者がバスにのってくるともう地獄だ。
たった一人二人の知的障害者のせいで、どうしてここまで他の人達が萎縮して、通勤方法を変えたりしなければならないのか
あっちの都合も分かるけどけっこうしんどいし、障害者に優しくなれない
ブコメもらってたので
我慢するべきじゃない? という声があったが、そうです。みんな我慢してるよここに吐き出してるだけ
田舎なのでいつも乗る電車orバスは顔見知りもいるが、みな顔を背けて我慢してる
とくに電車が遅延とかでギュウギュウになると、隣の車両にも逃げられず知的障害者がパニックを起こして暴れるのでもう…
殴られたりするわけじゃないけどやっぱりなんとなく怖い
各地からその知的障害者の作業場所へ人が集まるので同じ時間帯に複数の知的障害者が駅やバス停に現れる
俺たちは電車に乗ってる間に耐えればいいが、駅員さんは駅の備品を持って電車に乗ろうとする障害者を走って追っかけたりとか、もう可哀想だ…
一次あまりに酷すぎる行動を起こしていた知的障害者がいて、さすがにまずくなったのか、駅まで家族?だかが連れてきていた
家族がいる間はいい。でも家族は駅で改札の前で障害者を見送るだけだ
電車の中に入るとまたアババババってなるのでもう…でも家族の人も毎日職場まで送り迎えなんてできないよなあ、って思うので仕方ないんだろう
※ただの愚痴です
俺は昔から比較的女顔で、そっちのケがあるヤツにはしばしば狙われていた。
小学生の時は知らないオッサンからよく飴玉を貰っていた。(警察官が通りすがってからそのオッサンは見なくなった)
高校の時には泥酔したオッサンから「お兄ちゃーん」と叫ばれながら抱きつかれて身体をまさぐられた。
社会人になってからもホモ野郎に身体やケツの穴を狙われたことは何度もあった。
その都度なんとか純ケツは守り抜いたが、20代半ばになる頃には俺はすっかりホモ野郎嫌いに育っていた。
そんなある日、親しくはないがそれなりに長いこと面識のあったヤツ(以下A)から急に連絡が来た。
Twitterによくそのジャンルの投稿をしていたから気になったらしい。
俺は喜んだ。
俺は同好の士が増えることを何よりも歓迎するタイプのオタクだったからだ。
詳しい話は数日後にと約束してから、Aに興味を持ってもらえるような資料作りに奔走した。
ジャンルの魅力、奥深さを極力客観的に紹介しつつ、そのジャンルの楽しさを体験してもらえるような導線を準備した。
どんな質問を投げかけられても答えられるように、繰り返しプレゼンをリハーサルした。
そして、約束の日。
完璧だったかどうかは分からないが、Aが満足するに足るプレゼンテーションは行えたらしい。
「とても良かった。このジャンルにハマるかもしれない」
そう目を輝かせるAを見て、俺も満足した。
重なる出費に悩みながらも推しサークルの新作に手を出したがるAのその姿は、
ジャンル歴数ヶ月にして、まごう事なき沼の住人だった。
友人たちと集まった時には新作を持ち寄り布教し合った。
ここまではお互い楽しかったと思う。
だが、段々と歯車は狂い始めた。
『あいつ(俺のことだ)の魅力について』
青天の霹靂とはこのことだろうか。
俺は推しのジャンルを布教しただけで、Aには何もしていないはずだ。
だがこの時、Aの熱意はジャンルにではなく、俺に向かっていた。
『かなり可愛い』
『仕草がとてもいい』
『ママになって欲しい』
はっきり言うと、引いた。
こんなヤツではなかったはずだ。
『好きになりすぎておかしくなりそう』
『あいつでシコった』
『たくさん出た』
連日おシコり報告を受ける俺はドン引きを通り越した物凄い感情を感じていた。
語彙の限りを尽くして罵倒してやりたいと思った。
しかし、Aは長年面識があるヤツだ。
ここ数ヶ月は仲良くしていたこともあるし、
少なくとも、身内認定はしていた。
そのため、
「男同士には興味ないんだよな」
軽口のようにそう伝えて、しばらくAとは距離を置くことにした。
それから数ヶ月が経った。
昼ドラのように痴情の絡れから刃傷沙汰が起こることもなく、連日続いていたAのラブコールは次第に減っていき、やがてパッタリとなくなった。
『もう冷めた』
何ともまあ…という感じだが、ひとまず安堵した。
少なくとも連日「シコった」という報告をされるよりはよっぽど精神衛生上良いだろうと思った。
Aはその後もジャンルに残ってはいるようだが、俺宛てのツイートは全て削除され、Twitterの相互も外れ、連絡も取らなくなった。
ここで一件落着…と言いたいが、ちょっと待って欲しい。
俺は気付いてしまった。
なんでこのクソホモ野郎がまだジャンルに残ってやがるんだ????????
呑気にイベントの参加報告してんじゃねえよ!
こっちはてめえと鉢合わせになるのが未だに怖くて参加できねえんだよクソが!!!
◯◯さんとこの新作が〜じゃねえよ俺の推しと被せてくんなクソ!クソ!!クソ!!!
殺意というのはこういうものかと悟ったのはこの瞬間だし金玉蹴り飛ばしてぶっ潰してやりてえと思ったのもこの瞬間だし去勢しろやホモ野郎!!!!!
「冷めちゃった♡」で禊が終わったと思ってんじゃねえぞ下半身ブンブン丸がよ!!!
失礼、取り乱した。
ジャンルに馴染んで貰おうとAに構いすぎたのが悪かった。あまりにも一緒にいたので別の友人からは「今日は一緒じゃないんだ?」と揶揄されたこともある。
最初にAがツイートを投稿した時も、穏便に済ませようと「照れるな〜」とかテキトーなことを言って流した。
熱心に構う一方で、性的な目線に関しては日和見的などっちつかずの態度がAをヒートアップさせてしまったのだとしたら、あの時きっちり否定しておけば…
たらればになるが、Aと絶縁状態になっていない未来があったかもしれない。
…だが、これだけはAに伝えたい。
B L は ナ マ モ ノ で や る な
君ならどうお断りするね?
女子の家に忍び込んで両親殺して火を付けて、逃げるときに鉢合わせした妹を殴って逃げた男子高校生の場合で考えて欲しいわ。
ただ、君が言うような酷いやつらもまあいるとは思う。ああいうのは酷いよな。ほんとにね。
でもアプローチされる相手の都合はお構い無しで相手のリアクション、リアクションの理由を全く無視する奴もかなりいるんだよな…
私は個人的には女性の何割かやコミュ強が自分の対面を傷付けたくなくて自分ははっきりと意思表示せず(むしろ意思表示が失礼だろうと言い張りさえする)相手に悟らせようとするやり方は嫌いだから黙ってぶっちに嫌悪感持つのはわかる…
でも住所調べてなんか送ってくるとか、親しくない相手のアクションとしては脅しのニュアンスに簡単になってしまう位なのにそれやってくる奴に穏便に話が通じる期待はあんまり出来ないしすごい怖いわ
どんな人々にも差別心を持つまいと心がけているし、万が一自分の心の中に差別の芽があってもそれを客観視でき、即座に否定する理性を備えている。
けっこう自信を持って自分のことをそう思っていた。
夜中の散歩をしていて、とある福祉施設の敷地にうっかり迷い込んでしまった。
小さな町くらいある巨大なその施設には、知的障害者が子供からおとなまで数百人住み暮らしている。
その敷地に迷い込んだと気づいた時にはもう、施設の真っ只中まで来てしまっていた。
夜中なのであたりは真っ暗で、街灯と建物の常夜灯だけが光っている。
夜道が怖かったことなどかつてなかったのだけれど、この時はなんだかとても怖ろしかった。早くここを抜け出したい。
「成人棟」と書かれた案内板を見た瞬間恐怖はピークに達し、恐怖の正体もはっきりした。
「俺の真横のこの建物の中に、おとなの姿をした何かがいる……」
ただただ怖かった。
私はそこに住み暮らす知的障害者たちがどのような人々でどのような生活をしているかを知らない。
収容者が今部屋を抜け出してきて、自分が立っているこの暗い夜道で鉢合わせしたら、と考えると恐怖で身がすくんだ。
私がうっかり迷い込んでしまったくらいなので、敷地はオープンである。
知的障害者が町にさまよい出たりしては大変なので、当然外出はできないであろう。居住棟はきっと固く施錠されているはずだ。
そんな風に考えて恐怖で駆け出したい衝動をどうにか抑え、落ち着いて敷地を抜け出た。
同じ人間に対して本能的に名状しがたい恐怖を覚え、いっときとは言えそれを振り払えなかった。
これが差別心の芽でなくしてなんだろうか。
もちろん理性があればそんなものは打ち消すことができるけれど、そうするのに十分な理性を持たない人だっていると思う。
名状しがたい不安や恐怖を自らの理性で打ち消せない人々がたくさんいるということは、このコロナ禍でだいぶはっきりしたよね。
そういう人々が、「なんだかわからない人(外国人や障害者や病人)」に対して怖れを抱き、その恐怖をそのまま差別エネルギーに変換して言動に移してしまう。
内心で反差別を気取っていた私もそのプロセスを途中までたどってしまった。
今でこそあの時の恐怖心は根拠のないものだったと胸を張って言えるけれど、反差別の精神なんて本能の前ではわりと蟷螂の斧なのだと思い知った。
そんな体験でした。
run in to problemsって文章があったのでぐぐったがrun intoの意味だったもよう。
run intoであれば出くわすとかの意味になるのでトラブルに巻き込まれるてきな意味になるかと。
https://nativecamp.net/blog/20210707english
”Run into” にはさまざまな意味があります。代表的なものをいくつか挙げてみましょう。
・~と衝突する
・~に偶然会う(ひょっこり、ばったり)
・~と鉢合わせする
・~に刺さる
・流し込む
・~の中に通す
・~に陥る
・~に達する
ざっと挙げただけでも、このくらいです。他にも色々あるのですが、今回はこの中でも特に良く使われる「偶然会う」「鉢合わせする」といった表現について詳しくご紹介していきます。
日常英会話に出てくる “run into” はしばしば「偶然ばったり会う」というニュアンスを持っています。これは、ただ会ったのではなく「ばったり会う」というのにぴったりな表現です。
たとえば「スーパーに行ったら、偶然ばったり昔の同級生に会って、話し込んじゃったの」なんて言いたいときには、この “run into” が使えるのです。
を、まだ調べてない。
田んぼのあちこちにシラサギがいるのだが、その群れの中に少し小さくて灰色っぽくて首と脚の長い鳥がちらほらまざっている。
初めてそれらを見たときは、アオサギかな? と思ったが、それにしては小柄だし、頭の形がなんか違うのだ。
次に思ったのが、シラサギの幼鳥である可能性だった。でもググってみたところ、シラサギは小さなうちから白かった。
じゃああいつら本当に何なの? と思ったけど、すぐに疑問が解消されたらそれはそれでもったいない気がしたので、あえて調べないでいる。まあ、おいおいググろう。
家の角のところ、軒下で雨が当たらず一年じゅう乾燥しているわずかなスペースを、スズメが砂浴び場にしている。時々、外出から帰宅して玄関まで歩いている最中にスズメに鉢合わせる。本当に、鉢合わせそうなのだ。ジャスト私の額の前を掠めて飛んでいく、スズメたち。人間の気配に気づくのが遅れるほど、砂遊びは楽しいのか。砂にはスズメよりも少し大きい、歪な形の穴がぽっかり空いている。
夕方、出掛けようとしたら、ベランダにカナヘビがいた。私の気配に驚いて逃げ出したが、植木鉢をよじ登ろうとして失敗。スコン、スコン! と音を立ててコンクリに落ち、四、五回の挑戦でやっと植木鉢の上に登った。ドヤッて感じに顔を上げた姿が可愛かったので、思わず仕事に行くのを忘れて見守りそうになった。
https://anond.hatelabo.jp/20210708183653が字数制限に達したので書ききれなかった分はここに付け足します
ISILに関する記述もありますが、テロを賛美する意図は一切ありません。あくまで事実として記載しただけです。無論、ISILが惨敗した戦闘もあります。決してISILを格好いいと思わないでください。
・ペルシス門の戦い
B.C330 アレクサンドロス大王の東方遠征 ペルシア軍700vs★マケドニア軍1万7000
マケドニア軍の大軍に対し、ペルシス門を少数の守備隊が1か月守り抜いた。マケドニア軍は現地の住民から得た情報を元に挟撃することでようやく勝利を収めた。
・マリツァの戦い
1371年 オスマン・セルビア戦争 ★オスマン軍800vsセルビア軍2万~7万
セルビア軍は大軍を率いて、オスマン帝国の首都エディルネへの奇襲を試みた。しかし、オスマン軍の夜襲に遭い敗退した。
・ペンコの戦い
1550年 アラウコ戦争 ★スペイン・ピウンチェ連合軍500vsマプーチェ族1万5000~2万
スペイン軍はペンコに砦を築いた。マプーチェ族は大軍で包囲するが、攻城兵器もなく砦を突破できなかったため、兵を引いたところをスペイン軍に追撃される。マプーチェ族は4000人が戦死し、捕らえられた200人は鼻と耳をそがれた。
・チャカンの戦い
ムガル軍がマラータ軍を包囲。1ヶ月の攻防戦の末にマラータ軍は包囲した。マラター軍の死傷は300人、ムガル軍の死傷者は3000~5000であった。
・スラトの戦い
1664年 ムガル帝国1000vs★マラータ王国8000~1万
スラト市をマラータ軍が襲撃、3日間の攻撃の末、同市は6日間略奪の対象となった。ムガル軍の死傷者は28人、マラータ軍の死傷者820人であった。
・サラタの戦い
1699~1700年 マラター王国300vs★ムガル帝国1万
サラタ市をムガル軍が包囲、数ヶ月にも及ぶ包囲戦の末に陥落させ、守備隊も玉砕したが、ムガル軍は3500人が死傷した。
・トルナの戦い
1704年 マラータ王国700~800vs★ムガル帝国1万5000
ムガル軍がマラータ軍を包囲、トルナ市を陥落させた。マラータ軍の死傷者は170~180、ムガルの死傷者は300であった。
・コーレーガオンの戦い
1818年 第三次マラータ戦争 ★東インド会社750vsマラータ王国2万8000
マラータ軍とイギリス軍が交戦、丸一日の激戦の末にマラータ軍が撤退した。イギリス軍の死傷者175人に対し、マラータ軍の死傷者は500~600人であった。
1838年 グレート・トレック ★フォールトレッカーズ664(200人が非戦闘員)vsズールー軍1万5000~3万
フォールトレッカーズ(英領ケープ植民地から南ア北部へのブーア人移民)がズールー族の大軍と交戦し撃退した。ズールー族3000人以上の戦死に対し、ブーア人はわずか3人が負傷したのみであった。
・ヴェコプの戦い
1836年 グレート・トレック ★フォールトレッカーズ35vsマタベレ軍5000
マタベレ軍がフォールトレッカーズを襲撃するも、撃退された。マタベレ184名の戦死に対し、ブーア人は2名が戦死した。マタベレは戦闘には5万500頭の家畜を強奪することに成功した。
・チンハットの戦い
1857年 インド大反乱 東インド会社700vs★反乱軍7000
イギリス軍が反乱軍と鉢合わせし、敗退するが、全滅は免れた。イギリス軍の死傷者は200人ほどで、反乱軍の死傷者は589名であった。
・トゥエンクアン包囲戦
1884~1885年 清仏戦争 ★フランス軍630vs清・阮朝1万2000
フランス軍が清軍に包囲されるが、4ヶ月持ちこたえた末に撃退した。フランス軍の死傷者274名に対し、清軍の死傷者は3000名以上であった。
・ドガリの戦い
1887年 エリトリア戦争 イタリア軍550vs★エチオピア軍1万5000
エチオピア軍の大軍がイタリア軍の大隊を襲撃。イタリア軍はほぼ全滅したが、エチオピア軍も1071名が戦死した。
・サポティラルの戦い
1927年 サンディーノ戦争(アメリカのニカラグア占領)・バナナ戦争 アメリカ軍・ニカラグア政府軍20vs★サンディニスタ400人以上
アメリカ軍・ニカラグア政府軍は撃墜された米軍パイロット2名の救出に20名派遣する。救出隊は途中でゲリラの待ち伏せに遭い、奮戦するも撤退し、作戦は失敗した。救出隊は4人が死亡したが、ゲリラは40~60名が死亡し、1人捕虜となった。
・フォルネブの戦い
1940年 ノルウェーの戦い 第二次世界大戦 ノルウェー軍7vs★ドイツ軍70~80
ノルウェー航空部隊がドイツ空軍と交戦。ノルウェー軍は戦闘機1機、ドイツ軍は4機撃墜されたが、ノルウェー軍の燃料が尽きたため、戦闘はドイツ軍の勝利に終わった。
1942年 北アフリカ戦線 第二次世界大戦 自由フランス軍3703vs★ドイツ・イタリア軍4万5000
ロンメル将軍指揮下の枢軸軍が自由フランス軍の籠城する砦を包囲、16日間の激戦を経て、砦を占領した。フランス軍の死傷者369名に対し、枢軸軍の死傷者は3300名に及んだ。この戦いはイギリス第8軍の撤退と再建のための時間を稼ぎ、エル・アライメンの戦いでの連合軍の勝利につながった。チャーチル、ド・ゴールは勿論のこと、ヒトラーですらフランス兵の勇気を称えた。
・ヴェロニク作戦
1955年 アルジェリア戦争 FLN359vsフランス軍5000+航空支援
フランス軍はFLNの活動を鎮圧するため爆撃を伴った大規模な掃討作戦を実施する。FLNはゲリラ戦で1か月以上抵抗した後に撤退した。ゲリラ側の死者は9名で、鎮圧の失敗はFLNの影響力を大いに高め、アルジェリア独立につながった。
・ヴェラノ作戦
1958年 キューバ革命 ★7月26日運動300vsキューバ軍1万2000
バティスタ政権は反乱軍鎮圧のために軍を差し向ける。しかし、カストロ、チェ・ゲバラ指揮下の反乱軍に返り討ちに遭った。この戦いで反乱軍の指揮は大いに上がり、バティスタ打倒に繋がった。
・サンタクララの戦い
1958~1959年 キューバ革命 ★7月26日運動340vsキューバ軍3900
反乱軍はヒジャ・クララ州の首都サンタクララを攻撃、4日で占領した。その直後バティスタはドミニカへ亡命し、キューバ革命が成功した。
・ドゥヴロブニク包囲戦
1991年から1992年 クロアチア紛争 ★クロアチア軍480~1000vsユーゴスラヴィア軍7000
ユーゴスラヴィア軍はクロアチア軍を7ヶ月に渡って包囲するが、陥落できず撤退した。この戦いで1万5000人以上の難民が出た。
・サパティスタの反乱
1994年 サパティスタ民族解放軍3000vsメキシコ軍3万~4万
メキシコ最貧州チアパスで先住民たちが北米自由貿易協定NAFTAによる貿易関税の撤廃に反対、一斉蜂起した。政府はゲリラを包囲し、徹底的な鎮圧を試みるが、反乱が世間の注目を浴びると、一転、停戦を呼び掛けた。両者の間で先住民の権利と文化を尊重するサンアドレアス協定が結ばれた。
・ファルージャ陥落
ファルージャ市をISILが襲撃。1週間足らずでイラク軍を撃退し、同市を占領した。
・モスル陥落
2014年 ★ISIL800~1500vsイラク軍1万2000
ISILがモスル市を襲撃。1週間足らずで陥落させた。イラク軍は6万人で防衛に当たったと主張しているが、実際にはその2割ほどの兵力しか無かったと推定される。
・バイジ奪還
2014~2015年 ISIL1500以上vs★多国籍軍1万5000+米英加の航空支援
イラク軍は1年弱にも及ぶ激戦の末にバイジ市をISILから奪還した。ISILは2000人以上が戦死したが、イラク軍も2500人以上が死傷した。
・ラマディ陥落
夫の義両親と同居させてもらって3年目。義父は80代。年上の夫と結婚したのもあり、30代の私からすると「お父さん」というよりは「おじいちゃん」といった感じだ。この義父がよくわけの分からないとを言う。
初めて言われたのは、まだ同居の準備で夫の実家と自分の家を行き来してた頃。夫実家での用事が終わって自分の家に帰ろうとした時に「帰るんか」と声を描けられたので「うん、また明日ね」と言って帰ろうと靴を履いていたら突然、先程とは全然違う口調で「外うろうろしてたら朝鮮のミサイルに狙われるぞ!」と言って来た。
いきなりだったので凄く恐かった。思わず無視して玄関を出てそのまま帰ったが、帰り道で「ああ、ボケてんのか」と納得することで落ちついた。動きもヨタヨタし、入れ歯が必要なのに普段は付けていないので妙に歪んだ口元をしている老人だ。そりゃボケてはいるかなと。
一緒に暮らし出したら、そういうおかしな発言をよく聞くようになった。内容は基本的に中国人か韓国人にキレているか、大昔の偉人にキレている。「(土地名)に行ったら中国人にだまされるぞ」みたいな感じだ。平安時代の天皇にもキレていたこともある。こういう発言をしている時はうなるように低い声でぶつぶついうので6割くらいしか聞き取れないし、こっちもちゃんと聞く気がないので、多分そんなことを言ってる…程度にしか分からない。(そういってる時の目は完全にいってんなぁといった感じなので、正気じゃないんだろうなと思う)一度、一橋がどうたら〜と言っていたので、一橋大学出身の有名人にキレてんのかなと思っていたら、よく聞いたら徳川御三家の一橋家のことだったのでさすがに笑ってしまった。テレビで見た情報と自身のオリジナル解釈での妄言らしいので、情報の真信憑性は勿論ない。
夫に義父はボケてるのかと聞いたところ、そういう発言は若い時からよく言っていたらしい。しかし、夫は3人兄弟の長男なのだが、兄弟では夫しか言わず、後は義母に言ってるらしい。その時点で、ある程度、人は見て言ってるんだなと思った。この義両親、明らかに長男の夫よりも下の兄弟たちの方を可愛がっているし、夫も子どもの頃から他の兄弟との格差を感じて育ったようだ。2人とも結婚して外で暮らしてはいるが、今でもビックリするような援助を義両親から受けている。援助事態は義両親のお金だし、嫁の立場でどうのこうの文句を言うつもりはない。しかし夫が一番不遇を食らっているのだけはよくわかった。そんな一番扱いが低い息子の嫁だから、こいつにも言っていいと思われたんだなと思っていた。
嘘の害のない情報だが、頻繁に聞いていると非常にうざくなってくる。よく夕飯時に言うが義母も夫もタイミングによればたまにキレてるが、基本は無視でスルーするようにしているので、それに習って私もスルーしていた。スルーしてても義母も夫も相当ムカついてるので場の空気が悪くなるのでごはんがまずくなる。
義母や夫がいる時はまだいい。私が一人でいる時は特に言われる確率が高かった。私は話しの内容よりも、ぶつぶつ唸るような口調が恐くて本当に嫌だったし、他にもイライラさせられることが多い方なので相乗効果でかなりムカついていたが、スルーするよう頑張っていた。
よく義父と単独でエンカウントするのが朝、仕事に行く身支度をするのでトイレに行くのに起きた時だ。朝のコーヒーを用意している義父がよくいる。普段からうざいなと思ってることを朝6時の起き抜けに言われるのは非常にこたえる。そうでなくても昔から私は寝起きの機嫌が非常に悪い。高校の修学旅行で起こしてくれた同室の友達にキレて泣かせてしまったことがある程だ。我ながらよく我慢してるなぁとは思ったが、ある日我慢できなくなった。
一応、朝に鉢合わせすると「おはよう」と挨拶をする。義父も「おはよう」と返してくれる。そして、その「おはよう」とは明らかに違った口調で「(土地名)に行ったら中国人に騙されるぞ」と唸った。その土地名は私が出勤する方向とは真逆の場所な上に、丁度その数日前に義父が明らかな詐欺に騙されかけて家族全員が止めてたところだった。騙されるのはお前じゃろうがい!!とブチ切れてしまった。
朝っぱらだったが、まーまーの声量で「知らんがな!!!!」と言い返した。ちなみに私自身もわりと見た目で舐められる方である。デブで丸くて色が白い上に、移住して15年くらい経つが今だに訛ってるらしい。実母の「女は愛嬌でどうにかなるから笑っときなさい」という教えが染み付いてるので、トータルでどうやらほわっとした優しい印象らしい。職場で「何言っても許してくれそう」とか言われたことがある(そんで失礼なことを平気で言うやつもいる)でも恋人にはわりとすぐキレる方だから、夫はそのギャップが相当恐いらしい。
多分、言い返した時に義父も恐かったようだ。言い返したすぐは、何かぶつぶつ言ってたいたが「だから何??」と強めに言ったら黙った。
その後、一人で居る時に言われることは無くなったし、食卓でも回数が減ったように思っていた。最初は丁度その頃、諸事情で義父の運動量が増えたので「やっぱ運動は健康にいいからボケにも効くんだな」と思っていた。昨日、仕事が終わって家に帰ったら義母が「も〜〜今日は暑かった!!」というので「暑かったね〜」と返したら「暑いし、お父さんは分け分からんことばっかりずっと言うから、もう気がどうにかなりそうだったわ」というのだ。
じじい、やっぱ人を見て言ってるだろう。私が恐くなったから言わなくなっただけのようだ。ボケてる老人ですら人を見てこんな態度なんだから、だいたいの人間、そうなんだろうなと思った。
なんの変哲もないママチャリで、
今ならホームセンターで5000円くらいで売ってそうなやつ。
普通なら諦めるところなんだけど、
新しい鍵がついてた。
誰かが使っている様子。
見つけたのは朝で、通学途中。
僕と友達は張り込むことに。
2人で張り込んだ。
学校は当然休む。
無断欠席。
安心して張り込むと、
夕方になり、奴が来た。
友人と3人で呑気に現れた。
新しくつけた鍵を開けたところで御用である。
さて、ゴネられる。
謝ったから許せ、がはじまる。
待てよ、窃盗だろ。
鍵も壊してる。
少なくとも元には戻せよ。
相手は逃げることはできない。
証拠?
ガラケーもない時代にカバンにカメラを持ち歩く、アンドレ(友人)は写真部だった。
すいませーん。
盗難の届け?
いや、犯人捕まえちゃって…
状況はややこしくなっていた。
将棋で言えば「詰み」だが、
これだ。
アンドレに疲れも見える。
僕の空気の読まなさは筋金入りだ。
あの時の教師の顔は忘れない。
教師「そもそも、これがアンドレの自転車だっていう証拠はあるのか?」
やるな…
ちなみに、関係のなさで言うと、
僕が一番関係ない。
ただ、なんとなくその場を仕切る空気にちゃっかり収まっていたので、誰もこのイビツな中学2年生を排除しない。
嫌なガキだ。
ま、ま、こんなところで立話もなんですので。
果たして現れた親2組。
ここで最高にややこしいことに、
犯人の父は
これはどうなってしまうのか?
これはもう潮時。
ギブアップ、と。
アンドレ「自転車の鍵を壊されちゃって。直してもらわないと…」みたいな。
そこに全ての登場人物が乗っかる。
『窃盗』という核心を中心に、
オンザエッジのオクラホマミキサー。
この1小節を踊り切れば終了だ!
と誰もが思ったその時!!
なぜか一緒に呼び出されていた僕の母が
大慌てて飛び込んでくる。
「このたびはフランケンが大変なことを!自転車を盗むなんて申し訳のしようもございません!」
まあ、「自転車泥棒の件で交番にいる」とだけ言ったらそうなるよね。
「僕はもういいですよね?」
と後ろを振り返ると、
全員の疲れ切った顔が「いいです」と答える。
翌週、
おまけ
倒錯しすぎだろ。