はてなキーワード: 解決とは
人生で感じる大きなストレスの第1位が配偶者との死別、そして第2位が離婚です。
なぜ離婚はつらいのか、離婚経験がない人向けに語っていきます。楽しんでもらえれば幸いです。
「生涯一緒にいようと約束したのに、その約束を守れなかった人」と思われます。
他人から思われるというよりも、むしろ本人がいちばんそう思って苦しみます。
結婚は、振り返ってみると、なんだかんだ命を懸けた判断でした。なんとなくであれ、気がついたらであれ、できちゃったからであれ、自分の長い人生を共にあゆむと決意した相手なので、離婚となるとその決意が底から抜けます。
離婚で味わった感覚としては以下の通りです。長いので読みやすいように分割してます。
このあたりを抱えたまま社会に生息することになります。なので結構キツいです。
離婚経験がない人は、そっと見守りその話題を一切出すことなく楽しい話題を提供しつづけるのがベストです。へたに聞くとそこは地雷原です。もう何が地雷なのかわからないぐらいやばいです。
相手が話し始めたら聞いてあげるのがいいです。「わからなくてもいいからつらさを少しでもわかってほしい」というのがあります。
離婚経験がない人から言われる助言ほどムカつくものはありません。聞かれるまで助言を言うべきではないです。というか聞かれても相手を否定することを言わないほうがいいです。否定はめちゃくちゃ自分でしていて、「肯定される」「肯定する」ということを渇望しています。全肯定botになるのがよいです。
そんなことよりも「コーヒー飲む?」とか「音楽何すきでしたっけ」とか「ピザ頼むんですけど何食べますか?」とか「見て!ネコ!かわいい!」がいちばん心にしみます。
これは離婚経験があっても同じことです。離婚経験があるからといって助言が参考になるわけではないです。一緒にすんな!みたいな感じになることもあります。基本的には相手に寄り添うことが必要です。
離婚者は弱っているので、誰かの一言や行動で簡単に懐くし、簡単に絶望します。とにかく愛らしきものを感じると飛びつくのです。
なので悪意がある人に敏感です。悪意がある人は最初悪意があるわけではないと思います。しかし、その人の無理解や無神経さや誤解によって、離婚者から次第に悪魔扱いされはじめます。言葉にしなくても行動から「どうも自分は悪魔扱いされてる」と感じるはずです。
そして、「そんなに悪魔として振舞ってほしいのなら、本当に悪魔みたいに振舞ってやろうか」と考えて、「ざまぁみろ」と鬱憤を晴らし、復讐する感じだと思います。これがセカンドレイプのようなものです。離婚者は、ありとあらゆる場所でこれをされています。なので、世の中に敵しかいないように感じ、悪魔しかいないように感じます。
条件付きの愛でなければ愛されない、メリットを渡さなければ愛されないと考えてしまい、他人の奴隷のような動きをしたりもします。
このあたりが非常につらいです。
信用できる人を徹底的に探しはじめます。もしくは人間について絶望しやがて1人で立つことを選び1人で生きていくのかもしれません。
それができなければ死を選ぶか、リビングデッドのように目的なく世の中を彷徨うかすると思います。とんでもなく人を疑う割に、やはり信用できる人を探しているのはおもしろいです。
離婚前の彼彼女の状態が良ければ、離婚直後に彼彼女らにポジティブな手を差し伸べることは長期的に見て有益です(利用してはいけません。投資と見るとよいと思います)
人生で最も苦しいときに手を差し伸べてくれた相手には、非常に好感を覚えます。
逆に自分が逆境に陥ったときに助けてくれるかもしれません(必ず助けるとは言ってない)
また、手を差し伸べても、離婚者は手を振り払ったりします。いわゆる試し行動ですが、これに腹を立てて「なんだ!助けてやったのに!」と怒ると、敵対判定されます。離婚者はとてもめんどくさいメンヘラなのです。
N=1なので、べつにこれがすべてだと言うつもりはありません。
頭の片隅にでも置いておいてもらえると嬉しいです。
いま現在離婚した人を助けるためというよりかは、自分がいざ離婚してしまったときに、「そういえば…」と思い出して、現実に帰ってくるときにこの記事が役立つと思います。
離婚前に読んだ方がいいです。離婚防止になるだろうし、離婚後に「このことか」となると思います。
離婚後に読んでも「そんなん知っとるわ」となるはずです。
主語はかなりデカかったと思います。振り返ってみると全体ではなく個人的な感想ですね。不快な思いをさせてしまった方々に深く謝罪します。すみません。
離婚経験者の中でも「自分はせいせいした」という意見もあって参考になりました。
自分はリアルでは離婚の深い話はあまりしないようにしています。
そもそも離婚したこと・結婚経験があることをあまり話しません。何か恋愛などについて聞かれたときは濁しています。もともとの自分が味方を作りにくく敵対されやすいので、潜在的な敵に弱点を晒さないというのもあります。
たとえば離婚話をして離婚つらかったんですよ〜!と明るく言うと、未婚の人から結婚できたことのマウントだと思われて敵対されることもありました。
「信用できない人に自分の魂部分に関わる深い話をしてはいけない・弱さを見せると凛々として叩く人間がいるので自衛しなければならない」ということは大きな学びでした。
当時は「そんなんだから離婚されるんだよ」とか「メンヘラすぎて無理(笑)」とかの、まさに敵対的なブコメのような言葉が刃のように刺さっていました。ひどいものだと「死にたい」と言ったときに「振られたぐらいで死にたいの?じゃあ死ねよ」などと声をかけられたこともあります。自分にとってはそうした発言がセカンドレイプだと感じていました。弱っているときは、弱い者を叩きたい人が本当に多く集まってくるのだなと理解しました。
言われたときは認知的不協和の解消をされているとか、公正世界仮説によって自分が悪いことにされている、とリフレーミングしています。「離婚でつらかった」という話を聞いて気分が良くなる人は少ないと思うので、「不快な思いをさせてきたこの話者が悪い!」と帰結するのは当然のことかもしれません。
現在はそういう人とリアルで遭遇すると、心の中で敵と判定して切断し、以後は社交辞令的・常識的な付き合いのみするようにしています。
もしかすると人間性の底を常に観察しているような目をしているかもしれません。
また、自分は失恋はこの離婚が初失恋です。元配偶者に依存していたのもありますが「他の人に絶対に行かずこの人と人生をともにしようと苦しいときも耐えていたのになんでこんな目に…」という気持ちが大きかったです。
離婚直後はとてつもなくモテず、ほとんど誰からも相手にされませんでした。恋愛が久しぶりすぎて何もわからなかったし激病みという状態です。徐々に月日とともにモテるようになっていきました。
ただし、モテることは元配偶者への復讐がメインなこともあり、モテてもほとんど嬉しくありませんでした。
また回復の過程で多くの人を恋愛的に傷つけたり逆に傷つけられたりしました。
元配偶者への後悔の念が愛情となって相手に行くけれど、それは元配偶者への贖罪や悔恨や愛情だから、相手のことはちっとも好きではない。相手からは強烈に好かれるけど、好かれれば好かれるほど試し行為をして振ったり振られたりを繰り返していました。これはかなり長期間続きました。
自分の話かと思った。「登山する楽しさってよりもどれだけ難易度高い山を攻略するかみたいなゲーム脳になってる」は上手い表現ですね、その通り。長期休みに勝手に登山にいってしまうのは非常に良くない。話し合いで解決が必要。ただ死ぬまでやるってことはない、そこはわかってるはず。いくつかの難易度が高い山を制覇したら気が済んでそこそこの山で満足できるようになると思う。そして家族で山にいくことに憧れるターンがくる。きっと楽しいよ。
落ち着いたと思うので書く
7月20日(土)深夜
https://togetter.com/li/2405091
部活帰りの中学生が熱中症になりそうな後輩にスポーツドリンクを買ってあげたところ、その行為が学校のルールで禁止されている「買い食い」に該当するとして教師に叱られた。部活の遠征でも携帯電話の所持が認められないなど、理不尽が多いのはおかしいのではないか。
安易に義憤に駆られた人たちが、教師個人や学校に対して、正論を主張する流れになると非常に可燃性が高そう。しかし、学校や部活で正しく熱中症対策が行われていたか、登下校中に水筒などで水分補給をするように指示をしていたかなど、現状不明確な因子で論調はガラッと変わる可能性がある。
投稿者は学校や教師には直接確認を行っておらず、娘の証言だけで判断をしている。娘が嘘をついてないまでも、話を盛って引っ込みがつかなくなっている可能性はある。
mixmonkey 2024/07/21
規則の中で助ける方法はいくらでもあるし、スポドリ飲ませてもいいけど、教師に怒られないようにするのが真のおりこうさんと諭すべし。条件反射で文句言ってるヒトはホワイトハウスに乱入するタイプ。
ホワイトハウスではなく合衆国議事堂でした。雑な煽りですいません。
その応急処置としての水分補給でスポドリを自販機で買ったという話なのに、部活帰りのスマホ持ち禁止された子が、熱中症の後輩を日陰とかに置いて大人探しするため、自販機購入諦めてその場離れろってこと?
まずは体温を下げるために涼しい屋内に避難することを優先。症状が強ければ体幹に近い血管や、手のひらを氷などで冷やす。意識があれば水分補給をするというのが、熱中症の応急処置のフロー。
https://www.netsuzero.jp/learning/le03
なんで教師の下らないプライド守ってやらなきゃならんのやへし折ってしまえ。その瞬間に校則変える方法あんのか?応急処置で自販機で買ったんだろ。てかもっと具体的に言え。
いや、スポーツドリンク買うなとはいってないのよ。正論ではなく、正面からの解決策でもないので、決してかっこいいものではないという揶揄を込めてるんだが、伝わらなかったならすまん。みんな現実では正論いわないけど、ネットではすごいのな。まぁ、スカッとするし、気持ちはわからないでもないよ。
具体的には?
100字でかけないよ。近所の家をピンポンするのもいいし、ハードルが高いならまずコンビニなどの商店に入って、事情を説明するのが良いのではないか。学校の近隣であれば理解は得られるだろう。法改正により各自治体にクーリングシェルターの設置が推奨されており、世田谷区では図書館などの公的施設や、銭湯・薬局などがクーリングシェルターに指定されている。世田谷区ならそんな遠くない距離に緊急避難先がある。
クーリングシェルターでは水分補給できるようになっているし、商店で水やスポーツドリンクを購入するにしても、お店の人に一言声を掛けておけば、教師に説明するときも信用を得られる。
https://www.wbgt.env.go.jp/heatillness_shelter.php
まあ、独り言言うのは俺の勝手でもあり貴方の勝手でもあるのだけれど、「条件反射で文句言ってるヒトはホワイトハウスに乱入するタイプ」というのはどうも意味不明なので、そのへん敷衍していただけると助かります
義憤で書き込んでるなら、煽り耐性が低すぎるし、極論だけど、何も考えず人の命が係わってるんだから校則なんて破ってもいいってひとは、自分に正義があれば規則や法律を破ってもいいと思っている。あなたはそうではないですか?大丈夫ですか?っていう煽り。悪法であっても理由があって存在しているので、そこに思いが至らないのは浅慮。全く逆に思えるかもしれないけど、無条件に法令を遵守するひとも同じタイプ。
批判の矛先
誹謗中傷 4%
全体的に、読者の解像度が低いうえに義憤に駆られて書き込みをしてるヒトが多い。批判の対象を明確にしなくても、その先に特定の教師や、学校があることを意識したほうがいい。なんなら、投稿主の勘違いで濡れ衣の可能性も十分ある。世の中には、炎上を楽しむ人が一定数いて(Togetterのまとめ主のIDはenjoy_enjo_である)無責任なので、巻き込まれないようにリスクヘッジが必要である。
人間はそういう生き物で、簡単にハックされてしまうし、過去に大小の戦争に発展したことが何度もあるので、義憤を感じるときは少し落ち着いて、自分に対して批判的な視点を持つようにしてほしい。
わかっててやっているなら、やけどしない程度に楽しめばいいとおもう。
因みに、投稿主はしばらくして投稿を削除しており、有料のnoteでは「義憤で書いたが、あまりに延焼したので問題が大きくなったり娘に迷惑がかかるといけないので消した」と述べているので、今後も投稿主から批判された教師や学校の言い分が伝えられることはないだろう。Xの仕様変更のせいなんだろうけど、元投稿を消してもまとめには残り続けるTogetterもどうなんだろうな。
とっ散らかった思い出話?で失礼します。
当時はLLMなんて影も形もなく、人工知能といえばなんかちょっと賢いくらいのアルゴリズムをさしていて、
理論的にはニューラルネットワークもSVMもあったものの機械学習が注目されるちょっと前の時代。
(ちなみに設定上はマルチはニューラルネットワークではなく、ニューロネットという似た何か)
今のような計算機もないし、理論的な話もフレーム問題みたいなやる気のない議論しか無く。
とりあえずプログラミングは勉強したものの、なんかちょっと賢いアルゴリズムくらいしか学ぶものがなかった。
機械学習(SVM)が流行ったのが大学に入った頃でこれはと思って飛びついたものの、まぁ大したことはできず。
対話ボットとしてでも再現できればと思っても、まともな生成は夢のまた夢だった。せめて対話の分析ができればと思っても、言葉の意味とか全然扱えない状態で、
対話の分析なんかしても、定型文に近いパターンが扱えるかどうか。当時のペースだと100年経ってもマルチどころか、
イカリヤ(ハンドメイドメイ)も厳しい状況で、よく博士課程なんか進んだな。この当時から、こつこつ対話の研究を
続けていた方々には、本当に頭が下がります。で、対話は難しすぎるので、目先を変えたタスクで博士課程を取る。
このころには、長瀬源五郎になれないということには気が付いてきてはいたものの、誕生に関わる可能性のある
博士とった後くらいで、 Mikolov がLLMの遠い祖先といってもよいRNNLM とみんな大好き word2vecを作った。
この時点ではまだ、言葉の意味をベクトルで表せるって程度で、その後のBERTくらいまではまだ性能があがってすごいくらいで、
まだマルチっぽいものも作れないしまだまだ遠いな、とちょっと高を括っていた。そろそろ対話を研究する時期じゃないかとは思いつつも、手は動かず。
そして気が付いたら、GPT-2 が簡単なコードを書けるようになっていた。この時点で、なぜ他のものは投げ捨てて飛びつけなかったか、
今でもちょっと考える。その時点ではチェリーピッキング的なものでも、精度の問題ならいずれ勝手に解決されることは分かっていたのになぁ。
で、結局今はLLMのプロンプトエンジニア。これはこれで面白いのだけど・・・、マルチが作りたかったはずなのに、随分離れたとこに流れ着いてしまった。
今となってはマルチ風に会話できる対話ボットぐらいすぐに作れるんだが・・・、なんかもうそういうことじゃないんだよな。。。
例えOpenAIに転職してたとしても、マルチに近づけるわけではないんだが。なんか、大作の構想練り続けてうん十年みたいだなー。
XY遺伝子を持っていても、女性ホルモンを長く打つなどすると体が女性化してくるので問題がない場合もある
なので、遺伝子ではなく、テストステロン値でわけようという話がある
相手にされてなくなるだけだぞ
すまんな、社会経験はあるが、体験してないことは細部までは知らんかった
公共交通機関でもめたことないから各社がどこまで介入するかは知らんかった
他ではだいたい間に入って貰えてたので
よく考えたら普通はおらんね。そこも踏まえて、赤字になるから気持ち的な解決以外では(依頼するメリットない)なぁ……とも書いたつもりだったけど、流石に読み取りにくかったですね
うちの親族で、モヤモヤの解消のために、流石にそれは(顧問料内では)無理ってのを、必要分払うからって感じのことを何回か聞いたことあって
ついでにいうと、自分自身は軽く相談乗って貰ったことと、がっつり裁判の時に、他のそっち系強い方紹介してもらって全部任せたことががあるだけで、弁護士さんの費用についてはざっくりしかわかってないです
高校生の頃から登山をしてきた人間として、妥協的解決方法を挙げる。
子供が生まれてからは子供と一緒に行ける日帰り低山しか行かなくなった。低山は人が少ない分、道迷いのリスクはあるが、GPSが発達してきてそのリスクは大分減った。
もちろん、事前の地図読みと、上りの際の分岐確認は写真をとりながらチェック。登山口と下山口が異なる縦走などは極力避けている。
あと、日帰りだと、荒天時はそもそも行かなくなるので、さらにトラブルは少なくなる。
ただ、登山を始めたころは、高い山、有名な山にどうしても登りたくなる。
実際、有名で、沢山の登山者がいる北アルプスの表銀座だって、自分が歩いてきた稜線が円弧を描くように空中に伸びている景色は、自分の体の小ささと、それにもかかわらず、歩き続けられた自分の足の強さを同時に実感できる。
南アルプスの北岳からみた富士山は、山と山のあいだの空気の厚み、上空から地上までの空気の重なりを、青色のグラデーションが教えてくれる、絶景中の絶景だ。
とりあえずの必須条件として、子供用GPSを持たせることと、計画書の提出(所轄の警察と家庭用)から初めてはどうだろうか。
子供用GPSは位置情報を携帯電話のパケットでサーバーに定期的に送る機器だ。電池が長持ちし、自ら電源を切ることができない。保護者(妻)は数分ごとに地図で場所を確認できる。ここ数年で商品が増えた。
主な登山道なら、ほぼ携帯電話の圏内だ。音声メッセージを送ることもできる。月額700円くらいだ。
計画書は登山者のためでもある。ガイドブックを参考にしながらでもいいし、地図を見ながらでもいい。日帰りでも、行動の節目節目で計画した時間通りでなければ、引き返すきっかけになる。
どうしても、日本アルプスなど高山に登りたいなら、小屋泊まりをやめることから提案しよう。1日の行動時間や距離が長くなりがちだし、何かあったときの装備が貧弱になりがち。ウルトラライトは一見機能的だが、トラブルには弱い。あれは体力も経歴も十分な人がやる事だ。
あと、バリエーションルートもだめだ。滑落しやすい場所もふえるし、トラブル時に他人の目がない。登山道も迷いやすい。テントは災害時にも有用だ。(これは山好きが道具を買ったときに家族にする言い訳の典型だが。)
テント泊で夜明け前(夏場なら4時くらい)に歩き出し、10時か11時にはテン場に到着、あとは食事して夕方に寝るような計画にすれば、行動範囲は狭くなるが夕方の道迷いや午後の荒天に遭いにくい。
ご主人は、休みがとれるみたいなので、予備日は必須。焦らないで日程をこなせるようにしよう。自分は雨の日の停滞が意外と好きだった。
あと、冬は絶対ダメ。あと、秋も日が早いから要注意。8月の日照時間は、5月のそれとほとんど変わらない。道迷いは夕方におきる。
さらに、ご主人は、高尾山からスタートだということなので、首都圏在住だと思われるが、関東から東の山は早く日が暮れる(日本標準時で比較した西日本と比べて)。低山で練習したくなる時期の、ちょっと涼しくなる9月は、昼過ぎには登山口に帰るくらいの気持ちでないと危ない。
無理だよ無理
登山家やランナーは脳内麻薬ジャンキーだから話し合いでの解決は不可能だよ
登山家は離婚と登山やめるだったらほぼ間違いなく離婚して登山を続ける方を選ぶ
薬物中毒者と一緒
今、ジャンプで彼方のアストラって作品が連載しているんですよ。 追記:願いのアストロでした
簡単に言うと
これだけ聞くと「え?ワンパンマンでしょ」「ちがうね。スクライドだ!」「ニセコイでは?」ってなると思うんですけど、読んでみると文脈が凄いワンピースなんですよ。
「クソありがとうございました!」とか「美味かった~~~(風船みたいな腹)」みたいな感動部分もバッチリパクってまくすがなにより凄いのが、「うおおお俺の拳は銃弾だー!」でアストロのピストロしてドン!で解決なんですよ毎回。
これだけ聞くと超ど素人の一本目だけに許されるクソぽい新連載なんですけど、これは新宿スワンや東京リベンジャーズで売れに売れた漫画家の新作なんですね。
普通に漫画としてはそこそこ上手い(連載年数全部足したらほぼ20年の人の割には・・・とはなる)んだけど、なにより凄いのが初期ワンピのおもしろ要素を再現してる所。
悪いチンピラを前にして正義のチンピラが損得を考えずに正義のパンチで解決するっていうワンピースの黄金律で話が進むんですよね。
今のワンピってルフィがぶん殴ったら全部解決するかっていうとそうでもないことが多いでしょ?
でもアストロは初期のワンピだから悪い奴をルフィが殴ったら気持ちよく全てが解決するんですわ。
これをジャンプで平気でやるの、新人だったら潰されるっていうか「ワンピは二つもいらないよね」でアウトになると思うんですよ。
でもそれを一流作家が「俺はワンピースで行く!」で通してしまったからこの連載は成立している。
そして、今のワンピが偉そうに大河漫画を気取って初期の爽快任侠路線から離れているから、こんなにもワンピでも共存できてしまっている。
いや凄いな。
docomoやNTT系列のこの手のアカウント周りの仕様や管理画面の使いづらさは異常なので,可能な限りNTT系列のサービス,docomo系列のサービスと契約をしないことが人生の時間を浪費しないためのベストプラクティスである。
ただ,どうしても契約しなければならないパターンもある。例えば,フレッツ光しかマンションに引き込んでいないだとか,dアニメストアのような囲い込みの激しいOTTサービスと契約しないとアニメが見られないとか,やむにやまれぬ事情でこれらを使う必要が出てくる場合もある。
その場合,NTT側,docomo側に一切の要求をしないように気をつけなければならない。彼らに何一つ期待してはならない。
何しろ,彼らは基本的に自分は悪くないという言い訳のために仕事をしている。それが最大のモチベーションである。彼らは公務員のように上役から命令されたことに従い,自分はその範囲内で悪くないことを証明し続けなければならないというモチベーションで行動しているのだ。
ユーザの問題を解決したり利便性をあげて対価を得るというモチベーションは皆無であり,相手にするだけ無駄なのである。
新たなトラブルを抱えることになりかねないので設定をこねくり回すなどの作業は絶対にしてはならない。また,何か相手方の落ち度でトラブルがあったときですらもサポートを責めてはならない。余計な言い訳をされてあなたの大切な時間を失うだけだからだ。
可能な限りサポートの言う通りにして,怒りも見せず粛々と対応すべし。その際,非効率な紙の作業だったり,謎の管理画面での作業やdocomoショップでの手続などを案内されることもあるが,ここでも怒ってはならない。あくまでも厳かに粛々とやることだ。
何か意見があっても,それが取り上げられて改善につながることなど絶対にないし,彼らを刺激しても何一つ良いことなどないのだから。
回想シーンを多用して敵味方の深掘りをする
その辺は長編少年バトルもの漫画の定番だし、当然ワンピースも祖ではなくそこに倣う側だけど、
と、このジャンルで課題になりそうなポイントを軒並み解決しているところかと。
長期連載少年バトル漫画を描くために設定がしっかりチューンされた作品だと思う。
その上で、最初から暖めているであろうメインストーリーも完結に向かわせる。
ワンピースを表面的に真似ようとしても、ここまで世界観が強固で大河感のある少年漫画は、ちょっと出にくいんじゃないかと思う。
こうした人の望みをかなえるなら、労働者同士の労働審判制度が必要だと思う。
不要な人は労働者同士の多数決によって、人事に訴えられる制度。
解雇規制を緩和し、不要な人材に対し「今のあなたは社会に不要である」事を一旦、確定させる。
(たとえば解雇事由をハローワークに提出し、その理由を改善する必要があると訴える)
VRChatでフレンドの話を聞いてVR演劇に興味を持ち、VR演劇のYoutube配信アーカイブを少し見てみた。
あらかじめ言えば、全編見るには耐えられず、飛び飛びで表現を確認しただけである。
ちなみに、実際にVR演劇をVRで1度だけ見たことがあり、それは全編見た。
私自身の演劇の関わりを話すと、学生時代は演劇が好きで、多いときは年間60本程度観劇し、自分で舞台を演出したことも何度かある。
最近は全く関わっていないけれど。
それで、VR演劇を見てみた率直な感想をいうと、現状ではVRで演劇の良さを表現できているとは思えなかった。
まず、個人的な考えとして、VRにも関わらずプロセニアムアーチの中でやる芝居はナンセンスだと思う。
正直言って、今の技術ではアバターにどんな細かい演技をさせたところで、リアルな人間から出るオーラに比べて、アバターから伝わるものは100分の1も満たないと思う。演技自体に魅力を感じない。
にも関わらず、VRという空間にもかかわらず舞台と客席をわざわざ分けて見れる部分を限定することは、あまりにもリアルに比べて不利な条件で戦いすぎていると思う。
勝てる要素がないどころか、演劇の魅力を一切表現できず、下手なお人形遊びを見せられているようにしか思えない。
お人形遊び感を更に増しているのが、アバターの統一感なさである。
アバターを統一感を持たせるのは大変だということはもちろんわかっているが、美少女とおじさんのアバターのテイストが違いすぎて、違うおもちゃの人形を使っている感がすごい。
前述のとおり、細かい演技も表現できないから、余計におもちゃ感。
それをカバーできる演技力もないから(当然で、一流のプロでも難しいと思う)、見るに耐えない。
そんな悪条件のなかでわざわざプロセニアムアーチの中で勝負する意味はどこにあるのだろうか。
やるだけ無駄。演劇の魅力を伝えるどころか、ただでさえ受け入れられていない演劇をよりつまらないものとして発信しているように思える。
その打開策として、最初は劇場のワールドだけど、開始すると劇場が壊れて、舞台セットが現れるといった演出を行っているのもあった。
プロセニアムアーチの破壊としての演出自体には、VRならではの表現方法としてなるほどとはおもったけれど、どうやら客席自体は固定で、観客は結局固定した位置から見ることしかできないみたいであり、プロセニアムアーチ自体は破壊しても、本質的な第四の壁の破壊にはならず、結局は同じことやっているなと思ってしまった。
第四の壁の破壊を目指したものとして、体験型VR演劇と銘を打った作品があり、これはなかなか挑戦的だとは思う。
観客自体がワールドを移動しながら、また物語としての役割を与えられて、役者から行動を促されながらストーリーが進んでいく。
これはVRだからこそ作りやすい作品ではあると思うし、VRならではの演劇を目指そうという気概は感じられた。
ただし、こういった体験型コンテンツというのは、現在はリアルでも相当アプローチをかけられている分野で、ネットコンテンツが全盛な今、リアルの生き残る可能性として大きく取り扱われているものだと思う。
単なる体験型として見ると、インターネットコンテンツとしては挑戦的かもしれないけど、やはりリアルコンテンツと勝負するとどうしても分が悪い。
もう一歩踏み込んだ演出がなければ、これも正直VRならではなものとも思えない。
VRでリアルに勝てる可能性のある分野はリアルでは再現できないほどの視覚表現を駆使することだと思うが、これは映像アーティストが本腰入れたらできるものであり、VR演劇を行うような団体でそれを駆使するのは、まだ厳しいと思う。VR演劇のほとんどは無料で、参加者の自己表現の範囲内だから、予算のかかることは難しいだろう。
映像アーティスト志望の人がVR演劇に可能性を見出してくれるような魅力を表現できれば、そういった道もできてくると思う。
現状でいえば、VR演劇は実際の演劇の何段も劣る環境下で、同じ舞台で勝負している印象があり、これでは勝負にならないどころか、演劇の魅力がほとんど伝わっていないなと思う。
もっとVRならではの視点での演出や構造を表現してくれれば、VR演劇の可能性を感じることができるのだけれど。
個人的には、VRならではの演劇演出というのは一つ思いついているものもある。
演劇ならではの良さを、更にVRで伸ばす事ができるという視点があると思う。
そんなに特異な演出ではないから、すでに誰かがやっていると思うし、もしかしたらうまくいっていないのかもしれない。
これについては、もう少しちゃんとVR演劇を見て、有効性が確信できたら書いて見るかも。
ちゃんと傾向がみえてきたら、VR演劇論的なものもできてくるんだろうね。
VRならではという意味では、まだまだ課題はたくさんあると思ってはいるけれど、私がVRChatを始めたばかりの2年前に見たVR演劇はVRとはまた違った視点で可能性を感じたことがある。
その演劇自体は、舞台上で行われる普通の舞台で、第四の壁を破壊する行為として、キャストが観客に語りかける演出があった。
それ自体はリアルな演劇のアプローチと一切変わらないものであったが、観客の反応が違った。
そのキャストが観客に語りかけるシーンは、登場人物の少女が競売にかけられるといった内容で、キャストが観客に対して「◯◯円からです。オークションスタートです」みたいなセリフ?(うろ覚え)を言って、観客を競売の参加者に見立てて問いかけた。
これがリアルならば、ほとんどの場合は観客は反応せず、あたかも観客が競売しているかのようにキャストが装い、劇を進行させることが多いと思う。もしくは観客に仕込みをいれるかだ。
でも、VRChatは違った。
観客が突然ロールプレイを始め「いくらだ!」「この娘ならこれくらいの価値はあるはずだ」みたいな声を上げ、演技をし始めた。
多分仕込みではなく、自然発生的に観客がキャストになったのだ。(仕込みだったら申し訳ないけど)
VRChatを行っている人がロールプレイをして遊んでいる人が多いからこそ、発生した事象だと思う。
また、それを行うことが許される空気がVRChatにはあるのだと思う。
いくらロールプレイに慣れている人でも、リアルの舞台で振られて、観客席からそのようなことができる人は少ないと思う。そして多分リアルだとその行為自体を嫌がる観客も少なからずいるだろう。
私はここに、新たな第四の壁の破壊の可能性を感じることができた。
これ自体はVRじゃなくてもできることであるが、ロールプレイという訓練をされた観客、また観客がロールプレイをして許されるという空気感。
これはリアルではなかなかできなかった文化の形成ができているということで、リアルよりもVRが進んでいるものだと思う。
これは反応がなければ白けるだけのリスクある演出だけれど、きっと演出側は観客がロールプレイをしてくれるという信頼の元行ったものだと思うから。
とにかくこれにはすごく感動した。
ライブのコールアンドレスポンスのような観客との一体感を演劇で出せるとは。
この舞台と観客の一体感というのは、ライブだからこそできるものだ。
そして、ライブ感というのはリアルに比べてVRではいろんな要素の欠落から、劣ってしまう部分がある。
けれど、観客側のアプローチによって、そのライブ感は現実にも勝る可能性を秘めていることがわかった。
演劇における観客との双方向コミュニケーションは、常に課題として挑戦されている分野で、それを解決できるなにかを感じ取れた。
今はまだ厳しいVR演劇というコンテンツだけれど、VRならではの演出と双方向コミュニケーションで、リアルを超えるような演劇体験ができるようになったらいいなと思う。
ただ、VRChatはすこしずつ流行ってきており、一般的なコンテンツとなってくると、参加者自体も一般化し、こういった要素は薄まってくるのかもしれないという危惧もあるけれど。
辛辣な感想にはなってしまったけれど、私がみた作品のクオリティが低いだけな可能性ももちろんあるので、良いVR演劇があれば教えてほしいところ。
余談だけど、VRのピアノの演奏イベントにいってきて、音楽はVRでもかなり楽しめるなと思った。
演劇の俳優は単純に技術の低い人が多いというのも大きな要素なんだとおもう。
演技は定量的な技術の積み重ねで表現するのが難しい分野なので。
音楽はある程度定量的な技術の積み重ねで行ける部分があるからこそ、定性的な表現の域に達している人も多いのだろうという印象はある。
演技も定量的に技術力がつけばいいのだけど、いろんな演技法があってもそうなっていないのが現状だと思う。
まあ、役者自体が他のジャンルに比べて、勉強不足ということも大いにあるのだけど。
ロシアがアラスカをアメリカに売却したとき、そこに入植していたロシア人はアメリカ人になったのだろうか
ロシア人が新天地に植民して毛皮の仕事をしていたら、なんか突然自分の国籍がアメリカに変わった……変わるのか?
どういう扱いになるんだろう
パスポートを発行するのはロシアとアメリカのどちらになるのか(パスポートの歴史は何年から始まる?)
そもそも「ロシア人」だとか「アメリカ人」だとか、「○○人」であるということはつまりどういうことなのか
国籍って何?という点をそもそも自分はよく知らないのか そこから知る必要があるか
アメリカ独立とか北方領土問題とかについて書かれた本でも読んでみるか
そこに住んでいた人の帰属先がどうなるか、についての例を知ることができるかもしれない
あるいは、ずばりアラスカについて書かれた本を探す
ここらへんで紹介された資料でめぼしいものをピックアップして目を通しましょうね
アメリカがロシアからアラスカを購入した経緯などが知りたい。 | レファレンス協同データベース
在日朝鮮人とか在朝日本人とかの国籍がどういう扱いかも気になるが、今知りたい内容を知るには他の膨大な話題の海を泳ぐ必要があるから不適か
あっ この本面白そうだな
『無国籍と複数国籍 あなたは「ナニジン」ですか?』という新書
(というか、アラスカを売却したタイミングでそこに植民していたロシア人はそもそも存在するのか?植民していたとしても出稼ぎ的な感じで定住しておらず本籍的なものはロシアのままだったりしないか?それも知りたいな、やはりレファレンス協同データベースで提示された資料を第一に漁るべきか)
あー 国籍という概念自体が比較的最近に生まれたのか 最近……18世紀を最近と言ってしまっていいか知らんが……
これでこの日記は終わり
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Nearly all Russian settlers left Alaska in the aftermath of the purchase; Alaska would remain sparsely populated until the Klondike Gold Rush began in 1896.
購入後、ほぼすべてのロシア人入植者はアラスカを去り、1896 年にクロンダイク ゴールド ラッシュが始まるまでアラスカの人口はまばらのままでした。
After the transfer, a number of Russian citizens remained in Sitka, but nearly all of them very soon decided to return to Russia, which was still possible at the expense of the Russian-American Company.
移管後、多くのロシア国民がシトカに留まったが、彼らのほとんどはすぐにロシアへの帰国を決意した。露米会社の費用でそれはまだ可能だった。
ほとんどのロシア人はアラスカを去ったのだなあ。じゃあ国籍問題も発生しなかった、と。
疑問は解決したがせっかくなので調べた本は読んでみるか