はてなキーワード: 浪人生とは
僕は浪人生だ。幸いにして、僕の両親は予備校と生活に関するお金を出してくれる。
おかげで、僕は自宅浪人することなく、一地方都市に出て浪人生活を送ることができている。
先日テストがあった。いわゆる授業での理解度を問うテスト、高校でいえば定期テストみたいなものだ。
僕の結果は散々だった。特に数学。自己採点の半分も行かなかった。記述すべきポイントが抜けていたり、計算ミスをしていたり。
理科でも単純な記号で答えるべきを化学式で答えてすべて×をもらったし、僕は中途半端にしか勉強してこなかったのかもしれない。
振り返ってみれば、やはり僕の選択は中途半端だった。
数学ができないから、安易な選択をしたとはいえ、結局やりたいことは理系の学問だった。
そんなことを周囲には言っていたと思うし、僕自身そう思っていた。
結局僕は高校三年生のころ、理転することにした。とはいえ、今更コースを変えられない。僕は理科と数学を独学することになった。
その結果が今だ。
予備校の偉い人が説明会で言っていた。
「今の時代、大学は名前さえ気にしなければ誰でも入学できるのです。でも。受験生の意識はそうではない。うちでも多くは合格浪人、いわゆるどこかしらの大学には受かっているけど、そこを蹴って浪人する。という訳ですね」
国立2大学に蹴られ、私大を受けていなかった僕は、どこにも受からなかったただのゴミだったのだ。言い換えれば、僕はどこにも必要とされていなかった。
浪人当初は「俺を落としたクソ大学どもめ、覚えていろよ」という思いで勉強してきた。
1ヶ月が経ち、各大学が得点開示を始めた。例に漏れず、僕も受験した大学に得点開示を求めた。
あと数点だった。前期試験を受験した、挑戦圏の大学は全然合格まで程遠いという感じだったけれど、後期試験を受験した「確実に受かる」と言われていた大学は、あと数点、得点率に直せば、1パーセントに満たないところで落とされた。
確かに僕には、理系教科を独学するというハンデがあったと思う。浪人確定のとき、高校の先生はその点においてものすごく同情的だった。
とはいえ、僕はあと1パーセントを突き詰めることのできなかった、中途半端な人間だったのだ。
話は変わる。
僕には親友と呼べる大変仲のいい女性がいた。まあ、同じ年な訳だし、女子としてもいかもしれない。
傍からみれば、「お付き合いをしているの?」とよく言われた。僕としても、彼女としても恋愛感情は皆無だったはずだ。
いや、僕は「好き」だったのかもしれない。今になって思えば、明白は恋愛感情を持っていたのかもしれない。
確かに恋愛感情を抱いている時期があった。中学のときだ。3年、4年も前の話だ。
最近、そんな友人に彼氏ができたらしい。Lineでそんな話が飛んできた。彼氏との関係は「あと一歩」らしい。
そういう段になって、僕は混乱し始めた。もちろん親友だった訳だし、責めるつもりもない。
形だけでもよかったねと祝福しても、心に残るのは複雑な心境だけ。
僕はやはり中途半端だったのだ。結局親友という立場に甘んじて数年過ごしてきた自分が、中途半端な存在だったのだ。
僕はたぶん、今でも彼女が好きなのだろう。たぶん自分の深いところではそうなのだろう。
それでも親友だから、彼女はLineを飛ばしてくる。雑談的な内容でも飛ばしてくる。彼女の彼氏には申し訳ないと思いつつ、僕はどう対応すべきなのだろう。
僕が目指しているのは研究者、知識労働者だ。でもよくよく考えてみる。
僕は中途半端な人間だ。そんな人間に研究者は成り立つだろうか。ただ「やりたい」ではダメだし、一定の成果を求められる。
そんな人間に知識労働など勤まる訳がない。僕は予備校生という立場で生産性のないゴミであるのは明白だ。
そのことに気づいた僕は、どう生きてくべきなのだろう。
ストーブの前で寝転びながら、最近書かなくなった日記アプリ代わりになんとなく書いてみようと思い今に至る。
自分がまだトラウマのなかにいるような気がする。論理の格子の中に、思考の逡巡から抜け出せない。
その前に何が問題で、原因で、わたしの精神的秩序が崩れ始めたのか考えなければいけない。それが結果的によくないことになったとしても、前進するためには必要なんだと拙いながらも思う。(俺は誰に遠慮しているんだろうか?)
思うように自己実現できないこと
自己実現したいこと
なぜ惹かれる一方で恐れを抱くのか? それはリスクという言葉に置き換えられのか? 重要度はどのくらいか?
四年ぐらい前に好きな子に振られてから、振られ癖みたいなものがついた。自分は男性として、人間としての魅力がないと思うようになった。
当時の自分は開業医の親から逃げ出したい一心で美大を目指すなんていう突拍子もない考えをする浪人生だった。自立心に欠いた子どもが受験という一つの人生の節目でわがままを通そうなんてするから後々に自分の選択に後悔することになる。 自己評価するとき、これが大きな枷となってる。枷という言葉を使うのでわたしこの事実から逃げ出したいのだろう。
大学の新入生向けのアドバイスはたくさんあるのに浪人生向けのものが少ないので
駿台での体験談を僕の在籍した御茶ノ水のスーパー東大理系クラスを中心に一年間に沿ってアドバイスを、需要あるかはわからんけどまとめてみる。
ちなみに僕は各種模試はうまくいって、早慶受かって、東大本番は失敗して、後期で某国立に受かった者です。
1 校舎決め
ただ自習室を求める人はどこでもいいと思う。しっかりとした授業を求めるなら首都圏なら御茶ノ水が無難。下のクラスでもいい講師がある程度揃うからね。
あとは通学時間と家計と相談。通学が1時間半以上かかるようだとオススメしない。
ちなみに駿台茶水スーパー東大理系クラスの紹介すると、一クラス当たり200人で上からSA,SB,SCの三つに分かれ、
SAの半分くらいが東大に受かって理3に受かる人もいる。SBからは数人受かって、SCからは滅多に受からん、それどころか東大受ける人も少ない。
SAでも半分しか受からんから、クラスが上でも浮かれない方がいい。
講師に関しては
現代文は霜先生は担当しないので注意。数学は大数の編集者など。物理の山本先生はSAのみ(そろそろ引退なさってるかも
各種講師の紹介は
http://www32.atwiki.jp/pchira/
の講師陣を参照に
どんな入学方法でも受けるテスト。これだけで前期のクラスが決まる。このテストの結果は公開されない。そして受験者大半がやる気ない。あまり気を抜くとSCに落ちるので注意。。
とか言うがSAとSCの学力差は余りにも激しいので正直SCになったら東大は諦めた方がいいと思う。英語で発音アクセントがでるからやっといた方がいい。
3 入学前
とにかく駿台の入学は遅い。友達が大学の入学式を迎える頃には自習を始めよう。
個人的には春季講習はおすすめしない。やる気的にも身になんない場合が多いし、今後の授業と被る内容が多い。
自習の内容は通常授業の教材が手に入ったら、ひたすらその予習でいい。それまでは授業についていけるよう抜けを埋めとくといいと思う。
◎自習
A自習室
開放自習室と専用自習室がある。専用のほうが締め切りで暑くて臭い気がする。
どちらかはお好みで。個人的に3号館なら開放の銀杏以外をおすすめする。部屋が開放されてない時もあるけどね
B自習内容
教材の予復習を中心に
駿台の授業で足りないと思うのは
•全体的に問題演習。特に英文は読む量が授業だけだと少ない。
4 入学
オリエンテーションを経て授業。最初の席の周りの人とは一年間を通してなにかと関わることが増えます。
ぼっちになりたくなきゃオリエンテーションで話しかけておきましょう。特に同じ高校の人が同じ校舎にいない場合ははどんどん周りに話しかけて行こう。
◎生活面に関して
春はは大学生のリア充話が鬱。気になる人はFacebookとかは見ないほうがいいかも。
夏はだれる。
冬はまだまだ学力に不安があるものの、早く入試が来て欲しいと思う。
これらが多くの人が通る道だと思う。
5 授業
一週間に一コマだけホームルームがある。ホームルームでは普通に計算演習とかするので出ても損はないと思う。
下のクラスほど沢山の授業を切りがち。あんま切らないことをお勧めするけど、切った人がみんな失敗してるわけでもないので何とも言えない。
一限寝坊するようになるとズルズル二限も寝坊するようになるので注意した方がいい(このパターンは後期に多い
6 各種模試
所詮模試です。判定も目安に過ぎないと受験を終えて気づくというのはよくあることです(僕もですが)
クラス落ちない程度に頑張ってください。SAの目安は1300点くらいと聞いたが真偽は定かではない。
7 各種講習
総じて講習が役に立つことは少ない(特に中だるみやすい夏期講習は)
講習の教材は予習復習が不十分ににりやすく消化不良になりやすいことと授業内容と被りがちなことが原因だろう
東大がつく講座は夏と冬でセットでとった方が内容がしっかり網羅できる場合が多い。
東大現代文はお勧めせず、直前東大現代プレの霜栄だけを取ることをお勧めする(これで現代文は網羅できる
どうしてもとりたい人気講座(現レボとか)があるなら友達にも頼んで何人かに抽選してもらって後にキャンセルするといい
座席はお金を振り込んだ順で講座期間中に席替えするのでどこがいいとも一概に言えない。座席表無視して適当なとこ座ると案外バレて注意される。
夏は講座をあんま取らなかったのに冬はいっぱいとったあなたは不安に駆り立てらている証拠だ
あと駿台の資料に出てくるの合格した人は講座をたくさんとった人ばっかだが、受かる人がみんな講座をとりまくってるわけではないぞ!
8 表彰式
成績優秀者には前期は夏休みの終わりに、後期はセンター後に表彰式がある。選考基準はよくわからん。
表彰状と景品がもらえ、えらい先生からありがたいお話がいただけます。山崎良子の面が拝めるのもこの時だけだろう。
特に優秀な人には奨学金が貰えます(全額免除ってわけではない)
僕の時は
後期は秋山仁先生がお話して、記念にはなるが使い道の全くないクリスタルの置物が貰えた。
9 センター試験
各自で受けます
駿台もセンター会場になったりします。ここで二浪が確定しないよう頑張ってください。
やっは受験終えて思うのは選択肢はいくらあってもいいので早慶は両方受けといた方がいいと思う。自信があるなら理科大とかは受けなくていいと思う。
だいたいの努力した人は合格点当たりの実力でウヨウヨするもので、結局最後は問題が自分にハマることが重要で、運要素は大きいと思う。
負け犬の遠吠えではないが、東大の合格点±20くらいの層は実力はあまり異ならないと思う。
合格した人はおめでとう。駿台3号館で大島先生のお話を聞きに行こう。
喜びすぎてFacebookとかで合格をアピールしないこと。さすがに印象悪い(みんないいねってしてくれるけどね
一方不合格した人は駿台の資料に出てこない不合格した人たちの気持ちを知るのであった。
あと駿台の資料で東大以外の大学の合格者資料は第一志望で受かったわけではない人の場合ということもよくある
13 後期国立
早慶受かってると別に後期対策はいいかな、てのはよくある話。本当に最後なんだし鞭打ってがんばれ、あんま人のこと言えないが
地方大を受ける人は、余力がなくともここで家探しをしておくことを勧める。
14 後期発表
受かってるといいね。どこの大学にしても後期の発表は寂れている気がする。地方大の人は急いで家探しに
15 合格報告
もちろん行くかどうか任意であるが、仲良くなったか別として担任は仕事ではあるが色々雑務をこなしてくれたのだからお礼に行くべきだと思う。
合格報告に行くと、Fランだと知らんが自分の進学する大学のサクセスボイスを書いてくれと頼まれる。あと写真撮影。
これらはどこに受かったとしても君が第一志望に受かったのかのようにあるべき校舎に貼られて行くのであった。
と一年間を振り返らせていただいたが、
浪人は第一志望に受からなくても、努力すれば其れ相応に人生において学べることも多いと思う。
もう15年も昔に卒業した大学に卒業証書を貰う事になった。戯れに偏差値を調べてみたら40だった。
15年前の偏差値を知るよしも無いが、当時から3流大学だった事は間違い無いし、それでも大学は非常に楽しかった。
ふと、もしかしたら高校生や浪人生で偏差値40の大学に入学する事に不安を抱いている人もいるかもしれないと思い、ここに吐き出してみる事にした。
いい大学へ入りなさい。いい会社に入りなさい。安定した仕事をしなさい。親が公務員だった事から常日頃からそう言われて育てられた結果、小学校から成績は低空飛行を続け、高校では県下で下から数えた方がいい3流高校へ入学。そのまま推薦で3流大学へ入学という底辺コースをひた走った。
努力無く見栄えだけは整えようと、部活や生徒会の役職をこなしながら教科書の代わりに小説や漫画を読み、寝食を忘れてゲームにのめり込んだ。というのが僕の小中高だった。
当然学校の勉強なんてついて行けるわけが無く、中学時代は教科書が記号に見えたし、英語なんて未だに主語と動詞も理解していない。
それでも高校も3流だった事が功を奏し、比較優位の問題で成績は悪くなく、小論文と面接で大学は受かった。第二次ベビーブームの終焉による学生不足という学校側の都合もあったと思う。
もちろん、私立、文系、低偏差値、別居という4重苦に対して多大なる投資をしてもらった親があってこその入学だった。
入学して最初に感じた事は、大学は人種のるつぼだったという事だ。政令指定都市の3流私立なんて、政令指定都市のご子息が集まるはずもなく、僕の様な「はぐれ者」が全国から集まる事になる。
いきおい、出身もバラバラ、年齢もバラバラ、バックグラウンドとしての知識もバラバラなやつらに囲まれる事になる。それだけでも相当面白い。
また、皆一人暮らしな事から寄り集まる事も多く、各地の料理や故郷観とも言うべき価値観などもゆるやかに共有していくコミュニティが作られる事になる。
その政令指定都市の中でも15くらい偏差値の高い大学に在籍した妻の話を聞くと、周りは政令指定都市のご子息だらけで、実家または遠くても近県出身が多かったとの事なので、これは偏差値というより立地と偏差値がパラメーターになってバリエーションが変わってくる様だが、多様な価値観を知る事ができ、感じる事ができるというのはどこの大学にも共通した価値だと思う。
曰く「社会に出てからの仲間には必ず損得勘定が働く。君たちは損得勘定抜きでつきあえる最後の仲間だ。大切にしろ。」
おぼろげながら社会の厳しさを想像していた僕には、目から鱗な一言だったが、今でも確かに一理ある。と思う。
低偏差値大学であればあるほど、なんというか社会に出てからのバリエーションが豊富(?)なため、価値観にも違いが出てきて、仕事の話や生活の話はしにくくなるが、今でも合えば当時に戻って文字通り損得抜きで話ができる大切な仲間ができたというのは財産だ。
逆に偏差値の高い大学に入るメリットも、まさにここだろう。低偏差値の場合は損得抜きの仲間を作れるが、偏差値が高いと損得有りな関係を構築する事が可能だ。
今後いつまでこの状況が続くかわからないが、就職というのが卒業生大多数の選択肢となる現代日本においては、偏差値の高い人達は価値観が似通う仕事をしている割合が多いようにみえる。
結果、社会に出てからも有用なお付き合いができる仲間が持てる。という事になる。正直これはうらやましい。
研究内容や就職しやすさなんてのは些細な話で、この一点においてのみ、僕は高偏差値大学がうらやましいなと思う。これが必要だと思う人は頑張って勉強して偏差値の高い大学に入って下さい。
ただし、これは低偏差値出身でも高偏差値の人達と付き合ってると、次第に増えてくるものなので、何が何でも学生時代に得なきゃいかん!というわけでは無い。ちょっと座布団ひいて社会人生活をスタートできる。という程度の話だ。
大学に入ると教授という生き物が居る。低偏差値大学は、この大学教授の距離が異様に近い。
これは卒業して他校の話を聞いてはじめて知ったが、低偏差値大学の教授はある種学生に諦めにも似た境地を持って接しているため、権威誇示などという無駄な事に労力を使わない。
普通に研究室へ行けば居る人という近所のおじさん感覚で教授と会話できるのは、低偏差値大学ならではのメリットだろう。
低偏差値大学は遊びに来ている学生も多い事から、少し普通に学生ぶってみるだけで、その道の専門家の豊富な知識と多様な人脈が面白い位簡単に手に入る様になる。
これは有形無形の様々な価値を僕にもたらしてくれた。当時の研究内容は教授の助けもあってそれなりに面白いテーマにできたし、それは社会に出てからも自分の専門領域として高偏差値出身の人達との目線併せという意味で一役買ってくれている。
また、師事した教授の人脈で直接師事していない教授を知り、そのつてが就職にも有利に働いた。
何よりも「答えの暗記」ではなく「問題を考える」という事に慣れる事ができた事は大きい。今にして思えば、なんで高校までは考える事を教えないんだろう??実は聞いてなかっただけで教えていたのかな。
ほんの少し吐き出そうと思ってたら、意外と長くなってしまった。もう一回要点だけまとめてみる。
文系でも私立で一人暮らしとなったら、余裕でレクサスを買える位の金を払って大学に行く事になる。それなら、十二分に喰い物にしてやろう。という気持ちで臨めば、低偏差値大学には低偏差値大学なりの得られるメリットはあるので、前向きな気持ちで入学してください。新入学おめでとう。
市橋達也は親が医者であるのに自分は医者になれなかったという。
医者の親のほとんどが開業医・勤務医に関わらずに子供に医者になれと言う。
いくら子供がバカでも私立の医学部に行かせてもらえれば問題ないのだが、親たちの中には国立の医学部だけしか許さないという親もいる。
それは、父が医者で母がナースで経済的に私立は厳しいという理由や、親が変なプライドを持ち合わせて私立を許さない理由から。
俺の親もそういうやつだった。俺が通っていた医者の子が集まる予備校にもそういう親を持つはけっこういた。
みんなくたびれていた。
国立の医学部のレベルは東大並みで、最近では東大以上とも言われている。
当たり前だが、時間を費やしたからといって誰もが合格できるわけではない。
俺の周りのやつらを見ていると、多浪でもすれば大抵がセンター8割くらいは取れるようになる。
だが、そこから先が難しい。そこから先は誰もが行ける場所ではないようだ。
辛いことに、親が医者であると合格できないのは甘え、もしくは出来損ないというレッテルを張られてしまう。
どっちも認めるのはキツい。
そうやって、精神的に追い詰められてさらに学力が伸びずに、学力が伸びないからさらに精神的に追い詰められる。
浪人の途中で心を病んでしまってリタイアしたやつは何人もいた。
みんなくたびれて、とても辛そうだった。
俺も三浪目のときに強迫性障害、パニック障害を発症した。そして、うつ病になった。
俺は中高連続で皆勤賞を取っているほど健康的だったのだが、長い浪人生活のなかで随分と変わってしまった。
頭の悪さ、要領の悪さ、とにかく自分のダメさをひたすら呪いつづけた。
でも、周りからはこう言われる。
親が医者でいいなー、と羨ましそうに言われるのだ。
俺は複雑な気持ちになる。
確かに経済的には恵まれているのだろう。
私立の医学部に行けるほど裕福ではないが、毎晩の食卓にデザートが出るほどは裕福である。
超田舎という条件付きだがそこそこ大きな一軒家を継げることになっている。
だから、幸福か不幸かはよく分からないのだが、少なくともこれだけは言える。
そう思ったことは数え切れないほどあったし、今だってそう思い続けている。きっと死ぬまでそう思うだろう。
「好きなようにすればいいじゃん」と言うやつがいる。「医者にならなければいいじゃん」と。
それは無理なのだ。それだけは不可能だ。多くの場合は、きっとそう。
生まれたからずっと医者になるように刷り込まれたせいでそれ以外の選択肢はあり得ない。
父、母、祖父、祖母、親戚、従妹、教師、知り合い、近所のババアすべてが「医者になるんだよね」とプレッシャーをかけてくる。
そんな環境が十年以上も続くと、精神疾患で強制リタイアするか、自殺するか、それくらいでしか対抗できないほどに洗脳される。
このどうしようもなさだけは同じような経験をしたやつにしか分からない。絶対に。
考えようとしても考えられないのだ。どうしたっても、どうしようもない。
さらに俺の場合、は俺自身も医者になれると思っていたから、余計にどうしようもない。
自分の頭の悪さが分からないほどに頭が悪かったのは悲劇なのだろう。
市橋達也はそんな俺と似たような境遇でいろいろと共感してしまう。
そのなかでも医者になれない子供はさらに少ないから、市橋達也を含めて俺たちの存在は相当なマイノリティだ。
だから、市橋達也が殺した相手がもし親であれば、きっと彼は俺たちのヒーローとなった筈だ。
親が医者で羨ましいなんて言われることが少しは減ったかもしれない。
俺たちのような境遇のやつがどこにいっても少ないだけに、市橋達也が親を殺さなかったのは残念に思う。
いまだにそう思っている。
非常に残念。
いくら辛い境遇だからといっても、それは親を殺していい理由にしかならない。それ以外はダメだ。
親を殺していたならば、少なくとも俺は援護したのに。本当に残念。
TLを見てたらNHKの朝ドラ「純と愛」にイラッとしてる人が多くて笑った。
好感を抱けるようなまともな登場人物がいないからイラッとして当たり前だと思うよ。
純:理想の実現に見合う実力もないのにその時の感情で突っ走るバカ。常識もない。
愛:コミュ障でいつもオドオド、キモいストーカー。邪気眼を発動している。
純の父:甲斐性なしの無能なモラハラ男。娘にはまともに向き合えず怒鳴り散らし、ニート同然の息子達には軽く叱るだけで強く出れないというヘタレ。
純の母:娘の理解者のようなふりをしているが、↑を諌めず放置してる時点で立派な毒親。
純の兄弟:兄はまともに家業を手伝っているような描写はないし、弟は浪人生なのに勉強もせずゴロゴロ。ニート兄弟。
純のおじい:なんだか人格者っぽい扱いだけど、信者(孫)の視点なので信用出来ない。ホテル経営のなんたるかを純の父に教え込めていないので、先の事を考えなかった独断経営者だと思われる。彼の理念を上っ面だけ真似する孫がトラブルを起こしまくっているので全ての元凶と言える。っていうかちゃんと子孫にノウハウ位は教えとけや。
社長:人当たりが良さそうだけど、女癖悪そうな描写。っていうか純を採用しようと思う時点で頭がおかしい。あんたはホテルを潰す気か。
お偉いさん二人:絵に描いたような無能な上司。生理的嫌悪感を凝縮したようなオッサン達。
接遇担当女上司:純がルームサービスの電話に「もしもし」と出た事により、電話のとり方すら教えていない事が発覚。一体何やってんのさあんた?
純の母:まだ作中には出てきてないけど、番宣番組で見た限りではモラハラヒス系教育ママっぽかった。出てきた瞬間にイラッとすると思う。
今年、一年間の浪人生活を経てようやく大学に進学することが出来た。
私の進学した大学はいわゆる「高学歴」といわれるような大学であり、生徒数も全国でも有数のマンモス校である。
なれない大学生活もあっという間に過ぎ、前期も終わりに近づき、学内には期末テストで終われる生徒の姿を見かけるようになった(かくいう私もその一人なのだが)。
過去問探しに奔走し、必死に友達にすがる。私の通う大学には付属校があるため、そこからエスカレーターで大学に入学した人は
先輩たちも多く重宝されるのだ。そんな時ふと思うのが、「友達って一体なんなんだ」ということである。
自分は友達が少ないほうだと思う。お昼ごはんを一人で食べることも少なくないし、休日は一人で本を読んですごすことが多い。
だが、お昼ごはんを食べる人間が、休日を一緒に馬鹿騒ぎしてすごすことが出来る人間が友達なのか。
それってただの知り合いじゃないって思っちゃうわけです。
だれでもいいわけでしょ。寂しさを紛らわせることが出来れば。寂しいのがいや。そういう感情があるから、群れたがるわけでしょう。
だから、入学当初に必死にアドレス集めに奔走するわけでしょう。では、あなた。その手に入れたアドレスの中に今でも連絡を取っている人が何人居ますか?と問いたいわけです。
わからない。園感情がまったく理解できない。うわべだけ、寂しさを紛らわすだけの存在なんて友達って呼べますか。
そんなことを考えながら、大学内の集団をみてると怖くなる。寂しいという感情に支配された人形たちが、狂ったように下品な笑い声を上げているわけです。
あの大学は人間を減らすべき。少なくともいらない学部2、3個はあるでしょ。クズの養成所としてしか働いていないよ。学内に居ると実感する。
きらきらした目で学校見学している高校生とその府警方を見ていると、「絶対入っちゃだめだぞ!こんな大学!クズしかいないからな!」と叫びたくなる。けどそれは出来ないチキン。
俺もあそこと同じような過疎の田舎に住んでるよ。仕事も電力じゃないが生活インフラに関わってる。
今まで財政の多くを占めてた原発交付金がなければ自治体運営が厳しい。しかも過疎の町だ、高齢者もおおい。
これは理由としてあまりに弱い。弱いというか小さすぎる。あまりに。どーーーーーーーーーーでもいい。くそくっだらねえ。
極端に言えば原発なんてのは最悪の場合、日本および周辺が滅ぶ問題なわけ。極端に言えばだよ。実際にそうなっちゃう率は万馬券なみなんだろうけどさ。
で、その極端な場合の被害度を仮に数値として表わしたときに「マイナス1億ポイント」とする。
そうしたときに上記にある「過疎村の人の生活」なんてプラスのポイントとしては「0.0000000000000021ポイント」くらいだよ。
ここはまあわかるよ。でも上記とは別問題だよな。
ここはでも原発稼動によるプラス点が3000万ポイントくらいはいってる感じがする。
あるときから地球上空に現れた謎の宇宙船。その地球外知的生命体から謎の要求が地球に対してなされる。
それはある浪人生の身柄を差し出せというものだった。圧倒的な文明力の差を見せつけられ、地球側は彼を差し出すことになる。
そのときのやり取り
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純粋未修で2振して撤退した俺が、ロースクールに進学又は在籍する純粋未修者にロースクールの社会構造を伝えること並びに生き残りの方法及び生き残れなかった場合死なずに済む方法(撤退)を伝授すること。
ロースクール(以下「ロー」という。)は、成績優秀者をピラミッドの頂点とした、階級による格差社会です。教授も学生も、成績優秀者を持て囃します。まじでモテます。「※ただしイケメンにかぎる」じゃない世界が、ここにある!(イケメンならなおのことモテるわけだが)
成績悪い奴は人間扱いされません。あからさまに無視されることもあるし、授業で発言すれば笑われることもある。彼女など夢のまた夢orz(余談だが、彼氏づくりに影響がなさそうだったのは不当だ。)
インド人もびっくりのカースト制度ですよ。最初はひでえなと思ったけど、司法試験の仕組みを考えたら当たり前。2~3年で合格レベルにもっていかなきゃならんのに、バカにかまってるひまはないっすよ。
純粋未修は、それまでの人生がうまくいってて自分は勉強得意だと自負してる人が多いけど(だからこそ新しい分野に挑戦しようとしたわけで)、自分が勉強できないんだということを受け入れるのって、辛いと思うよ。人間って、何回も自尊心を傷つけられると、ほんと自分てだめな人間なんだなと思ってダメスパイラルに入るんですよ。ロー入るやつってなまじ勉強ができるからそういう挫折も経てない人が多くて結構心折れるし回復魔法知らない人が多くて(俺とか)病むよ。しかし病んでると勉強進まないからますます成績悪くなって(以下略。
また、ローは、階級が初期に固定されて、後に革命を起こしにくいのも特徴。ぶっちゃけ、法律って、最初っからセンスある奴はあるし、ない奴はないんですよ。純粋未修だろうがなんだろうが、1年前期で成績優秀者になるやつはいる。※階級固定は多分既修も同じ。むしろ既修はロー入学以前に数年勉強して既に自分の実力を把握してるから、より固定化されてる気がする。成績優秀者は能力+努力がある奴が大半だから、革命起こすには数倍以上の努力が必要という残酷な真実。
さらに、いったん格差ができると、それは拡大する一方なんですよ。みんな優秀な奴とかかわりたいから、優秀者に情報が集まる。みんな優秀者に質問するし。かてきょとかやったことあればわかるけど、勉強は、教えられるよりも教える方が身につく。教えるやつはどんどん理解が深まり、教える機会がない劣等生とは差が広がる一方。
あと、大事なのは勉強会ね。司法試験では勉強会単位で合格が決まると聞くけど、俺の実感としてもそんな感じ。優秀なやつは優秀なやつ同士でゼミ組んで、全員で合格しようぜ→全員合格(たまに一人落ちるやつがでる)。他方、劣等生は劣等生同士でゼミ組んで、全員落ちるか受け控え続出orz。知らない間に公務員試験受けてたりな!
そんで重要なのが、ロー成績と司法試験合格率の相関関係。上位ローでは概ね相関関係があるらしい。サイトで公開してる学校もある。つまり、ロー成績悪いけど予備校漬けで逆転狙うぜ!が、実現困難だってこと。実際、俺の感覚でも、受かるべくして受かったやつと、落ちるべくして落ちたやつが大半で、え・あの人が落ちたの?はあっても、あの人が受かったの?はほぼいない。
だから、ローの成績悪いなーそして上がる見込みもないなーと思ったら、方向転換することも視野に入れたほうがいいんじゃないかというのが俺の提案。
撤退か否かの見極めに役立つかと思い、書いてみる。統計とかじゃなく、俺の感覚だけど。
以上の少なくとも1つに当てはまるようなやつじゃないと、3年で合格レベルまでもっていけないんじゃないかと。
これもあくまで俺の同輩や先輩で、中途退学者、卒業して試験受けずに新卒で就職した人、1~3振り後に方向転換した人は今!?てゆー結構個人的なリスト。
俺がどこかは申し訳ないがノーコメ。
予備校が溢れてるんだからまず講座説明会とか行ってみて、入門講座をやってみる。法律の答案ってモンを答案を読んでみる。つまらんと思ったらそもそも入学しなきゃいい。※ツイッターで「適性○○点!」てプロフィールに書いてる人を見かけてびっくりしたんだが、適性試験と法律の適性は相関関係ないです。適性試験が良くても法律ができるとは限らないんで、驕らないように。
法曹になる動機だけじゃなくて、司法試験受ける動機も含む。どーしても弁護士になりたいんじゃあ!!!社会正義じゃあ!!!!などとおっしゃる立派な方は別にして、普通はそこまでは考えてないと思う。既修だったら、これまでに投入してきた時間と費用を思い返して今更受験やめられない(サンクコストだっけ?)っつう考え方もあるかもしれんが、未修だとそこまでのリソース投入してないからよく言えば身軽、悪く言えば覚悟が足りてない(いや自分のことですが)。
成績あがらなくても努力し続けられるのか、孤独な浪人生活でも踏ん張れるのか、いや踏ん張りたいのかってのをよーーーく考えたほうがいい。おれはふんばれなかった。みんな、おらのしかばねをこえてゆけ。
まだローでどんなことやるかわかんないからおれはつくらなかったんだけど、やったほうがいい。つーかさっさとやれ。予備校ごとに合格体験記が溢れてるから参考にしつつ。社会人なら仕事のプロジェクト計画と同じだし(某社会人の受け売り)、学生は今までの勉強の歴史を辿って自分の合格必勝法的なものを考えろ。
俺の敗因はこれだと自己分析してる。プライド捨てて質問したり、答案見せたりできなかった。自分ではがんばってしてたつもりだけど、ぜんぜん足りなかった。
この前、元女子アナの菊間弁護士の本読んだけど、心底裏山しいと思ったのは、菊間弁護士には浪人中信頼できる勉強会仲間がいたこと。「4人で手をつないで♪」とかスイーツ()とバカにせず大事なことじゃないかと。孤独な勉強って、つらいっすよ。勉強会仲間がいれば俺も心折れなかったと思う。
これらを頭において挑めば、ロー在学中余計なこと考えずしこしこ勉強できるし、しこしこ勉強してれば成績はあがるだろうし、合格も見えてくる。がんばってください。
司法試験が人生のすべてじゃないけど、人生を賭けて挑戦する試験なんだから、いろいろ覚悟しろ。
菊間弁護士の本に「司法試験は下りエスカレータを逆走するようなもの」と書いてあったがまさにソレ。やるなら必死に。
でも、心が折れて修復不可能なら、潔く去ればいい。司法試験に落ちたからって、人生は終わりじゃないから、死ぬな。
以上
朝は一番始めに家を出る兄の時間に合わせて5時30分に朝食を取れるようにする。
終わったら夕飯の買い出しに行き夕飯を作る。
全員外に出てるため、慣れれば楽である。
専業主婦が辛いのは、肉体的な辛さではなく、精神的なものであると知った。
浪人生のような成果を認められない、行き場のない虚無感。
浪人は大学合格とともに終止符を打つが、専業主婦はこれが一生続くのである。
ニートは楽だと思っていたし、社会生活から逃れて休息期間が欲しかった私には死ぬほどうらやましい職業だったが、
あの一年間では働くことの喜びや、社会と関われることの嬉しさを知れた。
今は社会人になり、夜間学校にも通い、忙しい日々を送っている。
もうだめかもわからん
俺はいわゆる進学校落ちこぼれ。高1の時は模試の偏差値70近くあったけど、高2からは右肩下がり。全く勉強しなかった。
きっかけはとある本。「世界一簡単な東大合格法」みたいなタイトルだった。要はこんな問題集をやれば東大に受かるよ、というもの。
とりあえずこの本に書いてある本を買って、やった気になっていた。「学校の勉強は無視しよう!」なんて言葉だけ都合よくとって先生の話は聞かなかった。そういう日々が続きついに受験期へ。もちろん勉強なんかする気になれなかった。今からやっても到底間に合わないと思ったからだ。
笑ったよ。自分の馬鹿さ加減に。でもまだココロのどこかで「勉強しなかったんだから落ちて当たり前」「俺はやればできるんだ」そう思ってた。
で、浪人生活が始まる。・・・うまくいくはずがなかった。2年間でついた怠け癖は治らなかった。そしてもちろんこの年も不合格。
自分は何も学習しちゃいなかった。もう自分のすべてが嫌になり、気づいたら欝になってた。
療養すること2年目の10月。俺はセンター試験を受けることに。実質3浪だからもう就職できないことは知っていたが、せめて大卒の資格が欲しかった。
でも勉強なんてしなかった。ヤル気なんてわかなかった。目の前が崖なのに揚々と勇んで歩けないのだ。
お正月三が日が過ぎたころセンターを申し込んだことを思い出し、勉強をし始める。10日間の勉強で600点だった。
そして今小学校から好きだった宇宙に関する学科を受験しようとしている。院にまで進むつもりだ。
決して偏差値の高い所ではない。旧帝でもない。しかし本当に好きなことを勉強しようとしている。
僕は、高校時代かなりの苦労をした。精神的に追い詰められ、立っているだけでやっとの状況でふらついていた。他人が怖く、知った人以外の顔がまともに見れなかった。黒板を見るのもやっとの状況だった。そのような精神状態で、勉強もまともにできず、大学受験にも失敗した。
そこから、浪人生活が始まった。1年間予備校に通い、ほんの少しの親しい間柄以外の人とはしゃべらず、昼食の時はトイレで震えていた。それでもどうにか精神状態を保ちながら、どうにかこうにか生活を続けていった。ときどき親にも受験で失敗したことをせめられるようなこともあった。それでも高校時代よりはましかなと考えながら毎日予備校に通った。
そして今年、幸運にも難関大学に入学することができた。少しずつ他人の顔が見れるようになってきたし、友達もできた。
高校時代にそういう状況だったことは親にも言っていない。周りも気づいていないと思う。でも、自分にはわかっている。自分自身には「よく頑張ったな」と言ってあげたい。
韓米FTA反対デモ、道路占拠し警官隊を暴行
韓米自由貿易協定(FTA)の批准に反対するデモ隊が10日午後、ソウル市永登浦区汝矣島の国会議事堂近くの産業銀行前で道路を不法占拠しデモを行った。
同日午後2時半ごろ、警察の推定で1200人(デモ隊は5000人と主張)のデモ隊が「韓米FTA反対」というスローガンを叫び、集会を行った。参加したのは、アゴラ(インターネット掲示板)、金属労組、全国民主労働組合総連盟 (民主労総)、建設労組、公共運輸労組、進歩新党、民主労働党などの旗を持ったデモ隊で「ハンナラ党が強行採決すれば、現政権とハンナラ党に審判を下す総力闘争に突入する」などと訴えた。
午後3時35分ごろ、集会を終えたデモ隊は、国会議事堂前の道路の片側3車線を占拠し、ハンナラ党本部に向かって行進しようとしたが、約5800人の警官隊に阻まれ、にらみ合いとなった。
警察は午後3時45分ごろ、放水を開始。逮捕に乗り出した戦闘警察官1人がデモ隊に倒され、足で蹴られる暴行を受けた。この騒動で、戦闘警察官を暴行したデモ参加者とイ・ヘソン民主労働党最高委員ら11人が警察に連行された。デモ隊は午後5時ごろに自主的に解散した。
しかし、デモ隊約800人(警察推定)は、午後7時ごろに産業銀行前に再び集結し、韓米FTAに反対するろうそく集会を開いた。
東京から来たという労働運動家は「韓進重工業の闘争とFTA反対闘争は日本でも伝えられている。これからは共に闘争しよう」と話した。大学修学能力試験を受験し、京畿道富川市で服を着替えて駆け付けたという浪人生(20)は「ツイッターを見て、試験が終わってすぐに来た。2008年の米国産牛肉輸入反対集会には参加したが、FTA反対集会は今回が初めてだ」と語った。
集会にはインターネット放送で活動する鄭鳳株(チョン・ボンジュ)元国会議員、鄭東泳(チョン・ドンヨン)国会議員(民主党)、姜基甲(カン・ギガプ)国会議員(民主労働党)らも参加した。鄭東泳議員は「朴元淳(パク・ウォンスン)氏が(ソウル市長選で)勝ち、韓進重工業(の闘争)も勝利し、FTAでも勝つことができる」と気勢を上げた。デモ隊は午後10時10分ごろに自主的に解散した。
一方、午後2時ごろにはソウル駅前広場で在郷軍人会など10の保守系団体で組織する「愛国団体総連合会」の2000人(警察推定)が、韓米FTAの早期批准を求める集会を開いた。参加者は「国会は北朝鮮追従・反米勢力に振り回されず、韓米FTAを即刻批准し、国益を守れ」などと主張した。
故伊藤和夫の授業をyoutubeで見て、都会の受験生ってこんなスゲー授業受けてたんだと、15年後にカルチャー・ショックを受けたので、田舎の浪人生だった自分が使った大学受験参考書(東大理系96年入学、いまではなんとか研究職)。
内容はスタンダードでよい。
個人的にこれだけで必要十分だと思うし、これだけしかやらなかった。暗記科目とか非暗記科目とか言うけど、試験である以上、数学だろうが物理だろうが暗記科目だと思ってる(日本語の能力だけはどうにもならないけど)。これくらいはマルっと憶えられないと応用もなにもないと思う。浪人生は勉強だけしてればいいから、大学受験の範囲も泣きながらやれば3ヶ月で終わる。あとは、ひたすら復習。ペンだここさえて、ほとんど部活のノリだった。
昔は一冊ものだった気がするが、いまは全6冊になってるな。
日栄社のうっすいやつを適当に2, 3冊ずつくらい。おすすめすぎるシリーズ。
英文法標準問題精講
英文標準問題精講
和英標準問題精講
物理標準問題精講
化学標準問題精講
網羅すれば完璧。
旺文社の標準問題精講シリーズは、コンパクトで軽くて、本当にありがたかった。
ジョン・ロックの民主制とルソーの民主制の違い、という話が印象に残ってる。別に先生と仲はよくはなかったが、田舎の、文系理系分かれてないようなふつーの公立高校で、唯一信頼できた授業だった。そのプリントはいまでもとってある。
ごめんレス遅くなった。
例えばの話を持ち出して、「そうなることは確実」で締めくくるのはフェアじゃない理論展開だと思います。
入試や就活で1年棒に振ったぐらいで「下降曲線」が「確実」なんてのもちょっと乱暴だと思います。
浪人生や就職浪人が、俗にいう幸せな家庭や人生を描けるケースはそれほどマイノリティじゃないと思います。
高卒や無職のサクセスストーリーなんて今や茶の間も盛り上がらないベタな話かと。
僕は別に元増田頑張れ!なんて言う気はさらさらないので別に元増田が死にたいというのなら止めはしませんけども。
そんなことで勝ち組だの負け組だの結論出ちゃったみたいなわかった顔してバカじゃない?
http://anond.hatelabo.jp/20110401141231
ここに書いたことが全部です。
生まれてから死ぬまでの間、人間はどれだけ不幸を体験するのか考えてみた。不幸かそうでないの基準は、予想できるタイミングなのかどうかの違いなのかもしれない。
・じいちゃん、ばあちゃんが亡くなる
最大で4回
・両親がなくなる
最大で2回
・死に至る病にかかる
これは1回。持ち直したら、不幸じゃないよね。
・死ぬ
これも1回
この先のは、ランダムイベント。何かを得て、それを失う系のイベントが多いような。
・友達が亡くなる
若いうちだとびっくりだ。歳をとれば、それなりか。
・嫁もしくは旦那が亡くなる
結婚しないと発生しない
・浪人生になる
23%。考えようによってはチャンス。
・就職できない
需給バランスが合っていない時代もある
・会社を馘首になる
1.5~2%/年 そんなときも
・火事で家がなくなる
6万/4686万戸 年間で0.1%くらい
・交通事故に遭う
100万件/12000万 年間で0.8%くらい
・自己破産する
14万/12000万 0.01%くらい
・結婚できない
20~34歳の未婚率は2000(平成12)年には、男性68.2%、女性55.5%
・子供ができない
DINKSの割合は、8.2% もう少し低めか
・子供に先立たれる
100000人生まれると20歳までに732人亡くなる 0.73%
・うつ病にかかる
100万人 / 12000万 0.83%
・ハードディスクが壊れる
0.34%
「父親なくして、金の負担かけたくないから、京大に入りたかった」
両親による子どもへの早期教育、子どもの未来の押しつけ、それを礼賛してきたメディアなど、まず自分の側に思い当たる点はなかったか、大人の側こそ真剣に考えてみる必要性がありそうです。
この事件も一週間で国民の皆様からは忘れられると予想されます。
私たちの側でできる対策としては「テレビ(ニュース)を見ない」ことが挙げられます。
ですので、一次情報である通信社(ウェブサイトで無料配信もしている)を見るのがおすすめです。
共同通信、時事通信、ロイターなど名前だけはご存じかも知れません。
こういう時、体制側(国家擁護側)と反体制(国家を疑う者)で罪の問われ方が変わってきます。
相撲協会や現行のマスメディア、国立大学は体制側です。浪人生や無職は反体制として扱われます。
前者の罪は軽く、後者の罪は重くすることで今の国家が成り立っています。
これが逆になったら、どうなるでしょうか。
【疑問点】
・カンニング者は精神を病んでいた事実の隠蔽(当人の質問履歴参照)
・両親による子どもへの早期教育、子どもの未来の押しつけ、それを礼賛してきたメディアなど、まず自分の側に思い当たる点はなかったか考えようとしない点
・何かが起こるときには、その背景に要因となるものが存在するが、その点について報道を自己規制している点
【この現象への推測】
・メディアが彼を予備校生、浪人生と呼ぶことで国民の皆様は自分からある種のイメージを連想してくれます。報道側・国家(体制)の側にとって都合の良いイメージを。(国家・体制に疑問を持ちやすい人格で排除すべき対象者)
・反体制抑圧政策の一環(エジプト革命の無報道・サブカルチャー展抗議団体の要求で中止・NHKの行ったニコニコ生放送を独り飲み会と称して陰鬱さを強調したイメージダウンと孤独死との関連づけ・ニュースといえば犯罪報道となっている日本の現状…)
こうしていくら述べても、暖簾に腕押しなので国民の皆様は何も述べなくなります。
そうしてお笑いを見て笑わされることで、気を紛らわせているのでしょう。