市橋達也は親が医者であるのに自分は医者になれなかったという。
医者の親のほとんどが開業医・勤務医に関わらずに子供に医者になれと言う。
いくら子供がバカでも私立の医学部に行かせてもらえれば問題ないのだが、親たちの中には国立の医学部だけしか許さないという親もいる。
それは、父が医者で母がナースで経済的に私立は厳しいという理由や、親が変なプライドを持ち合わせて私立を許さない理由から。
俺の親もそういうやつだった。俺が通っていた医者の子が集まる予備校にもそういう親を持つはけっこういた。
みんなくたびれていた。
国立の医学部のレベルは東大並みで、最近では東大以上とも言われている。
当たり前だが、時間を費やしたからといって誰もが合格できるわけではない。
俺の周りのやつらを見ていると、多浪でもすれば大抵がセンター8割くらいは取れるようになる。
だが、そこから先が難しい。そこから先は誰もが行ける場所ではないようだ。
辛いことに、親が医者であると合格できないのは甘え、もしくは出来損ないというレッテルを張られてしまう。
どっちも認めるのはキツい。
そうやって、精神的に追い詰められてさらに学力が伸びずに、学力が伸びないからさらに精神的に追い詰められる。
浪人の途中で心を病んでしまってリタイアしたやつは何人もいた。
みんなくたびれて、とても辛そうだった。
俺も三浪目のときに強迫性障害、パニック障害を発症した。そして、うつ病になった。
俺は中高連続で皆勤賞を取っているほど健康的だったのだが、長い浪人生活のなかで随分と変わってしまった。
頭の悪さ、要領の悪さ、とにかく自分のダメさをひたすら呪いつづけた。
でも、周りからはこう言われる。
親が医者でいいなー、と羨ましそうに言われるのだ。
俺は複雑な気持ちになる。
確かに経済的には恵まれているのだろう。
私立の医学部に行けるほど裕福ではないが、毎晩の食卓にデザートが出るほどは裕福である。
超田舎という条件付きだがそこそこ大きな一軒家を継げることになっている。
だから、幸福か不幸かはよく分からないのだが、少なくともこれだけは言える。
そう思ったことは数え切れないほどあったし、今だってそう思い続けている。きっと死ぬまでそう思うだろう。
「好きなようにすればいいじゃん」と言うやつがいる。「医者にならなければいいじゃん」と。
それは無理なのだ。それだけは不可能だ。多くの場合は、きっとそう。
生まれたからずっと医者になるように刷り込まれたせいでそれ以外の選択肢はあり得ない。
父、母、祖父、祖母、親戚、従妹、教師、知り合い、近所のババアすべてが「医者になるんだよね」とプレッシャーをかけてくる。
そんな環境が十年以上も続くと、精神疾患で強制リタイアするか、自殺するか、それくらいでしか対抗できないほどに洗脳される。
このどうしようもなさだけは同じような経験をしたやつにしか分からない。絶対に。
考えようとしても考えられないのだ。どうしたっても、どうしようもない。
さらに俺の場合、は俺自身も医者になれると思っていたから、余計にどうしようもない。
自分の頭の悪さが分からないほどに頭が悪かったのは悲劇なのだろう。
市橋達也はそんな俺と似たような境遇でいろいろと共感してしまう。
そのなかでも医者になれない子供はさらに少ないから、市橋達也を含めて俺たちの存在は相当なマイノリティだ。
だから、市橋達也が殺した相手がもし親であれば、きっと彼は俺たちのヒーローとなった筈だ。
親が医者で羨ましいなんて言われることが少しは減ったかもしれない。
俺たちのような境遇のやつがどこにいっても少ないだけに、市橋達也が親を殺さなかったのは残念に思う。
いまだにそう思っている。
非常に残念。
いくら辛い境遇だからといっても、それは親を殺していい理由にしかならない。それ以外はダメだ。
親を殺していたならば、少なくとも俺は援護したのに。本当に残念。