はてなキーワード: 比較とは
30過ぎるとインポテンツになりやすいんで、男はバイアグラを買ってから望むべきだった
原因はいくつかあるんだが、女というのは自分勝手な生き物で理由を知らず余裕がないと切り捨てるクソな生き物なんで、インポテンツの原因なんか考える気もしないのさ
原因は男と同じ
これは、死んだ時に夫がいた女性の年齢の中央値が、死んだ時に未婚であった女性の年齢の中央値よりも低くなっているから。
また、死んだ時に妻がいた男性の年齢の中央値が、死んだ時に未婚であった男性の年齢の中央値よりも著しく高くなっているから。
このことが、独身を嘆くあるいは蔑みたい男性諸氏や、ミサンドリー溢れるフェミニストの皆さんなどにとって「男性は妻の内助ので寿命を伸ばせるが、寄生された女性は夫がストレスになって早死する」ことを示すものだとして非常にキャッチーであるためか、定期的に話題になる。
でも、未婚と配偶者有りでの寿命の違いを見たいときに、死亡時年齢の中央値を使っては駄目なのである。その理由を簡単な数値例で示す。
毎年8000人の男性が生まれ、20歳前までは死亡者が出ず、20歳から毎年100人ずつが死んでいく社会を仮定する。社会には20歳の男性が8000人、21歳の男性が7900人、22歳の男性が7800人……40歳の男性が6000人……99歳の男性が100人存在し、100歳以上は存在しないという状況である。分母が少なくなって分子が不変なので、死亡率が歳を取るに従って上昇していく社会を想定していることになる。
ここで、結婚というイベントが40歳になった時の年初に発生し、40歳の頭の時点で生きている男性6000人の半数の3000人が有配偶者、残りの3000人が未婚のままになるとする。有配偶者でも未婚者でも寿命には関係なく、それぞれ毎年50人ずつ(合計100人で、男性全体の死亡ペースは不変)死んでいくとする。
男性全体では20歳の死亡が100人、21歳の死亡が100人……99歳の死亡が100人となって、死亡時年齢の中央値は59.5歳になる。
次に未婚者について考えると、20歳の死亡が100人、21歳の死亡が100人……39歳の死亡が100人、40歳の死亡が50人、41歳の死亡が50人……99歳の死亡が50人となって、死亡時年齢の中央値は49歳になる。
最後に有配偶者について考えると、40歳の死亡が50人、41歳の死亡が50人……99歳の死亡が50人となって、死亡時年齢の中央値は69歳になる。
このように、未婚者であるか有配偶者であるかは寿命に関係なく、両者変わらないペースで死亡していくとしても、死亡時年齢の中央値は未婚者と有配偶者で大きく差が出得る。逆に言えば、死亡時年齢の中央値の違いは、結婚の有無での寿命の違いを表しているとは限らないことになる。
ここにさらに相手死別による有配偶からの脱退を加えると、やはり未婚者と有配偶者の寿命を同一としたまま、未婚の死亡時年齢中央値よりも有配偶の死亡時年齢中央値が低くなるようなケースも作れる。配偶者より早死にした場合は有配偶者としての死亡時年齢にカウントされ、配偶者より長生きした場合は死別者としての死亡時年齢にカウントされるので、有配偶者の死亡時年齢中央値は低くなるバイアスがある。女性は結婚すると早死する、といった話はそういう効果を誤って評価したものなのである。
実際には、未婚と有配偶者の各年齢における死亡率を比較すると、男性も女性も殆どの年齢において有配偶者の方が死亡率が低くなっている。つまり、男女ともに有配偶者の方が長生きしているのである。
ただ、それはあくまで作曲という文脈においてであって、最近よく問題となっているイラストの方はだいぶ事情が違うことは理解しているつもりである。
少なくとも前者では(あまりにも前衛的でない限り)先人が発見した素晴らしいコード進行やメロディ、奏法の一部一部を繋ぎ合わせる場面が多く、結果的に人とSuno AIがやっていることにあまり大きな違いはないと個人的に思っているし、生成AIに対する絵師と作曲家の温度差はここに起因しているかもしれない。加えて、私にとっての作曲は趣味である以上、ほかの人がSuno AIを使うか否かは特に気にせず、従来通り自分の手で作り、実際に演奏や録音をすることを楽しんでいる。
しかし、イラストの生成AIをめぐる絵師と「AI絵師」の争いは遠目で見ていても熾烈である。
たとえばAIイラスト製作者のなかには、「あなたの絵はAI学習に使ったので、もう絵を描かなくてもいいですよ」といった心ないリプを、わざわざ絵師本人に送る人間がTwitterにいることを最近知った。
これは生成AIへの賛否にかかわらずシンプルにモラルが終わっていると思う。
査読者が意図的にリジェクトした論文を剽窃したうえで、執筆者に「あなたの論文を自分名義で投稿したおかげで、大学のポストが得られました。これからもサラミにして出し続けます」と、(剽窃行為自体がオワりすぎているが)直接報告するようなものだ。
こういう輩が増えれば、彼らに正義の鉄槌が下されてほしいと願う生成AI規制派もまた増えて仕方がないと言うほかない。
その一方で、一次創作ならまだしも、主に二次創作でインプレッションと知名度を稼いでいる絵師の方が生成AIに反対する姿には、たとえ各ガイドラインを遵守していたとしても、個人的にどこか違和感を覚えてしまう。これはとりわけ、オリジナリティも一緒に問題とされた場合に、より強くなる。
確かにイラスト生成AIと違って、誰かが何年もかけて会得した画風をそのまま盗用しているわけではないけれど、他の人やグループ、会社が時間をかけて練り上げたプロットをそのまま利用すること自体は、いわゆる「AI絵師」が使う呪文と近からず遠からずな気がしないでもない(これは絵に限らず二次SSも含まれるかもしれない)。これは「共通するテーマに基づいた作品群」というケースよりもはるかにコピー元の輪郭がはっきりしていると思う。
個人的には普段TLに流れる二次絵は本当に好きだし、楽しませてもらっているけれど、反生成AIの方々の動きが半ばデトロイトのアンドロイド狩りのようになりながら「オリジナリティ」についても言及し始めると、人間が一般に、文字通り1からオリジナルのモノを作れるのかどうかについて今一度考えた方がいいのではないかと感じる。
二次創作なら言わずもがな、「オリジナルキャラクター」でさえも、なぜツインテールにしようと思ったか、なぜ八重歯を生やそうと決めたのかといった理由の根源には、(個人の実生活における体験に基づかない場合は特に)別の作品が存在することの方が多いはずだ。
多くの人がいる場所でのモラルのなさ(引用元へのリスペクトのなさ)が目に余るために、公序良俗の観点から規制を求める。これ自体は理にかなっていると思う。けれども、モラルの話とオリジナリティの話は混同するべきではない。混同すると、創作者は創作者で結果的に自分の首を絞めることになる。生成AIだけでなく、人だって巨人の肩の上に立ってきたし、これからも立つことになるから。
10円の窃盗と100円の窃盗で前者のほうが重い刑であってはならない。
一方で、人命よりも性的自由や貞操の価値を重く量ることは全く問題ない。
信仰が命より重いという価値観を否定する合理的根拠は、実は存在しないのだ。
同様に、西側の意識硬い系国が人命第一主義を取ることにも、合理性はない。
純潔を至上の価値とし、女性を保護し、それに命をかけるという神聖な義務を男に課して何が悪いのか?
レイプ犯に対して男的価値と女的価値を守るために死刑やリンチという聖戦を行って何が悪いのか?
実は、男らしさを失った西側諸国こそが野蛮であり堕落であり、レイプ犯を私刑にするインドやナイジェリアこそが高貴であり理性であり紳士なのではないか?
規制緩和されてクビになるやつが増えたら当然転職サービスが活発になるし
一般企業もクビにした分採用に積極的&行程の簡易化に動くと予想する。
これをある程度一元化するような動きが出て来るはず。
自分から他人と比較しといて、それで自分のメンタルを害するのは無駄というか、非建設的というか、マゾなの?と思ってしまう。
あと、何が自分にとっての成功なのかは人によって違うし、スタート地点も違えば、能力やその他の資源も違い、その他あらゆるものが違う。それ、比較として成り立つの?という話もある。
うちはそこまで強いこだわりがあったわけではないし、そんなに比較検討したわけではないけどそこまで不満はない。
うん、インフレしているんから当たり前だろ。インフレ率を加味した実質賃金で比較しなきゃ
意味ないのに。それに利上げに言及しておきながらローン金利が低いままの想定なのも
微妙じゃないか? 変動金利型のローンでは、すでに値上げしているところも多
いのに。2馬力家庭が増えたとはいえ、妻の妊娠・出産・育児による収入減は
無視できないぞ。
体力向上のためにインターバル速歩!と言うような記事が出てきてたので批判しておく。
何年も前からあるやつでどこぞの大学教授が提唱して本とか出してるやつだ。
単にウォーキングするのではなく
数十秒の早歩きと普通歩きを繰り返すことで、負荷を上げてウォーキングより体力向上効果を出すと言うもの。
これによって毎日1万歩のウォーキングは無駄?!だの言ってるので否定したい。
その内容は
そのまま1万歩ウォーキングを続けてもらう群と
すでに1万歩歩く習慣があって鍛えられてる人たちが負荷同じで継続して向上していかないのは当たり前だ。
注意しておけよ
サーキットで走るためだけに100万200万で車を改造する人もいるわけで
どう頑張ってもリビングの60インチのテレビの横にゲーミングPCは置けないんだわ
PCはやっぱりPCなのでゲームのコントローラーに最適化されてないし
OSのアップグレードだのウイルス対策が必要だのでクソめんどくさい
同じ価格帯のゲーミングPCと同程度の性能なら圧倒的にコンシューマー機に軍配が上がる
ゲーミングPCはゲーム部屋で遊ぶもの、コンシューマ機はリビングで遊ぶもの
PS5以降(PS4の頃からだっけ?)の日本軽視には腹が立つけれど
何よりそんな宗教的な理由でゲームを楽しまないなんてもったいない
LAMUがアレな店なのは知ってるが安いから買い物はするのと同じ
待たないと出ないだろうが
逆にSteamにしかないタイトルが割とあるからそれをやりたくてゲーミングPCは持ってるが
たまーにリビングのテレビで遊びたいSteamタイトルがあるから困る
買えば良いだろアホかよ
これはたまたま幸運だった例の一つに過ぎない。「異性の一人一人を一個の人間として尊重し、真っ直ぐに向き合って」もこうはならなかった人は男女に沢山いる。
じゃあどうすればいいか?
結婚したんですかそうですかお幸せに。でもまあ俺には関係ない。
ヤリチンやヤリマンが100人とセックスして楽しかったらしい。まあでも俺には関係ない。
麻薬やドラッグをやってチョー気持ち良かったぜ、って言ってる人だと思えばいい。
A.
その通りです。エビデンスレベルが高いということは、研究結果の信頼性や確実性が高いことを示しますが、因果関係を証明するには別の厳密なプロセスが必要となります。
医学や科学の研究において、エビデンスレベルは研究デザインや方法論の質に基づいて評価されます。例えば、ランダム化比較試験(RCT)は、参加者をランダムに介入群と対照群に割り当てることで、バイアスを最小限に抑え、高いエビデンスレベルを提供します。しかし、RCTであっても、因果関係を直接証明できるわけではありません。
因果関係を証明するには、以下のような条件を満たす必要があります:
1. 時間的先行性: 原因となる事象が結果となる事象に時間的に先行していること。
2. 関連性: 原因と結果に統計的な関連性があること。
3. 必要性: 原因がなければ結果が生じないこと。
4. 一貫性: 同じ原因が同じ結果をもたらすこと。
5. 因果メカニズムの特定: 原因と結果をつなぐメカニズムを明らかにすること。
統計的な相関関係は、因果関係を証明する上で重要な手がかりとなりますが、それ自体が因果関係を確定するものではありません。因果関係を証明するには、実験や観察を通じて、これらの条件を満たしていることを示し、さらに他の要因の影響を排除し、メカニズムを明らかにする必要があります。
そのため、エビデンスレベルが高い研究であっても、因果関係を主張する際には慎重さが求められ、研究結果の解釈や応用には注意が必要となります。
ありがとうございます。まさかこんな誠実な文章が返ってくるとは思ってなくて、感激してます
激励までいただいて、俺が元増田と証明する手段がなくて口惜しいくらいです。厚く御礼申し上げたいです
書いてくれた案もどれも腑に落ちるもので、女性ならではの視点でなるほどと思えるものでした
おかげさまで解像度を上げられたと思ってます。ありがたく活用させていただきます
いや、メモといいつつシームレスに自分語りをしたかっただけなので、少なくとも増田は読まなくても全く問題ないです
積極的な女性の心情として、当然ながら密なやりとりを求めてることが理解できました
逆に俺がついていけるかは分からないくらいですが、会話の楽しさとトレードオフと考えると当然かなと
まだ一度も、本当に、一度も巡り合ったことはないけれど、もしあえた場合は強く意識します
ここは他からも沢山指摘があったところなので、ぜひサークルも探してみようと思います
なお一つ訂正があって、元文章で日和った書き方をした音楽が実は一番ガチです
漫画サークルも合わせて、音楽サークルも見てみます(即興が苦手でセッション系は避けてましたが、もうそんなこと言ってられないので。。。)
ここは少し文面を割きます
ご拝察の通り、LINEが少なめな人は受け身という考察は同意するところです
過去の友達たちも、うち「相当に仲良くなれた」子もこの特徴を示してました(もっと言うなら俺自身も根はこのタイプです)
銅鐸だのディスっておいてなんですが、おそらく本来の俺のタイプの子はここに紛れています
彼女らとの経験則として、時間をかければ(恋人としてはともかく)仲良くなれます
好意を表すのもゆっくりな人たちで、それは俺のペースにもあっており、これまでずっとそうしてきました
しかし悲しいかな婚活やアプリと非常に相性が悪い。特に短期間に比較検討を強く求められるプレッシャーと食い合わせが悪すぎる
好意が起こるのが遅いと理解できるとしても、それこそ銅鐸でいられるとコミュニケーションになりません。比較検討の際に、3回決戦はすべて接待として記憶されるでしょう
もっと面倒なのが、俺も別にこのタイプ全員が好きというわけではないこと。そんな贅沢なこと言ってられないとはいえ、妥協するには「受け身」属性とはあまりに幅広いです
でも軽くたくさん会いに行きたい属性ではまったくない。。。しかしそんなこと言ってる身分でもない。。。そもそも3回で俺がタイプと見抜けるのか。。。うーーん。。。。
まあ、頑張って、会うことにします
煮え切りませんが、少なくともこの気づきを得られただけでも僥倖でした。ありがとうございます
PS5 Proが本体価格約12万円と発表された。ディスクドライブや縦置きスタンドは別売りなのでそれらを揃えると約13.5万円になる。
ネットでは「こんなに高いならゲーミングPC買ったほうがいい」という意見が多く見られた。その意見に対する反応として「12万円ではこれぐらいの性能は組めない」「これと同等スペックのPCを組むには倍以上かかる」「いやゲーム専用機で12万円なのがいけない、なんでもできるPCと単純に比較できない」というような意見のやり取りを見たが、そういうことじゃないと思ったので俺が感じたことを書く。
例えるなら、100万円で買った車が故障して、修理の見積もり出したら50万円かかると言われて「なら前から買いたかった200万円の新車買うわ」となる気持ちに近いんじゃないかな。出費で考えたら修理50万のほうが絶対トクだけど、一定以上の金がかかるなら前から買いたかった高い買い物にいったるわ、という開き直り的なね。
ゲームが趣味と言えるぐらいゲームをやってる人のほとんどが「できればゲーミングPC欲しい」と思ってるはず。理由は言うに及ばないと思うが、あえて言うと「PCでしか遊べないインディーゲームが遊べる」「MODで遊べる」の2つが最も大きい理由だと思ってる。
でもゲーミングPCは高い。インディーゲームが遊べる程度にスペックが低くても良いのかと言われたら、そいういうことじゃねーんだよね。ゲーミングPCの値段を調べたことのないゲーマーはこの世に存在しないと思うが、自分の望むスペックのPCが最低20万はかかることに常々絶望してると思う。
で、今回のPS5Proの発表。既にPS5を持ってたらいらないだろって非ゲーマーは思うかもだけど、俺達ゲーマーは自分の日々の幸福にダイレクトに繋がるゲーム環境への投資は惜しまない心構えよ。既にPS5持ってるとか関係無い、良いものがコスパ良い値段で出れば買う、それがゲーマーの悲しき性。俺も既にPS5を持ってて遊べるゲームが増えるわけじゃないが、日々のPS5でのゲームプレイがより最高になるなら多少高くても買ったるぞ!という気持ちでPS5Proの発表をリアルタイムに見てたわけよ。
で、結果、本体価格約12万円。俺は思ったよね。「そんなにたけーならそのお金ゲーミングPC購入資金に充てるわ」
2桁万円超えたのがとても閾値だったと思う。10万超える買い物は俺にとっては「勇気のいる高額な買い物」のカテゴリに分類されちゃうわけ。そしたら、「勇気のいる高額な買い物の中でもっとも買いたいもの」であるゲーミングPCにお金を使いたいと思っちゃったわけ。
論理的なことを言うと「ゲーミングPCにかかる費用との差が縮まったからそちらに決断が移りやすくなった」ってことだと思うけど、俺の脳内で発生した気持ちはそんな論理的でなく、もっとヤケクソに近い気持ちだったと思う。
だから、実際に同じ値段でPCは組めないとかそういうことじゃないんだよね。PS5に投資せずPCに投資する決意がついた、が近いかな。
実際のところそんな感覚よ。
例えば、SteamOS対応でSteamゲームも遊べます、だったらかーなりマストバイ級になったと思う。技術的にはそんなに難しくないだろう。でもソニーはそんなことしない。ゲーマーならクロスプレイに非協力的だったり利益囲い込みに固執するSIEがそういうことには消極的だと知っている。
あとはまあ新しい体験があれば良かった。高画質・高FPSじゃなくて。コントローラーから匂いが出るとか、そういうしょーもないことで良い。今どきだとAIが一緒に遊んでくれるとかね。そういう今までにない体験があったら高くても買うの検討したと思う。そのあたり任天堂は一貫して大事にしてそうで、近々発表されるSwitch2にも何かしらそういうのはあるだろうと信頼している。
実はそれなりのゲーミングPCを既に持っている。家族と一緒に遊ぶために追加でゲーム機かゲーミングPCを買いたかったのが本当のところ。だから厳密にはゲーミングPCを全く持ってない人とは気持ちが違ったかも。そしたらスマン
夫は人見知りな訳ではなく、老若男女問わず比較的フレンドリーに接する人間だ。ただ女性を相手にする時には、自分が失礼なことをしないか、意図せず性差別的な振る舞いをしないかなどをとても気にしている。
恋愛経験のなさを嘆くより、今いる、あるいはこれから出会う女性の一人一人を一個の人間として尊重し、真っ直ぐに向き合ってみたらどうだろう。
これを実践することで皆にとって無害な人間になることはできても、それだけで誰かにとって特別な一人になることはできないよ
決してそこを間違えてはいけない
増田の言うようなことを言われるまでもなく実践していて、それでもなお出会いに恵まれずに苦しみを抱えている人だって大勢居るだろう
そういった人たちと増田の夫との違いは、偶然増田のような人に出会えたかどうか、その違いでしかない
増田たちが出会えたのはものすごく幸運なことだけど、その幸運は決して一般化できるような話ではない、それだけは認識して幸せに生きてくれ
いうて東大物理卒だって色んな人がいる程度に、某名門音大のヴァイオリンと言ったって色んな人がいて当たり前。
加えて今回はn=5という、n=1に毛が生えた程度の話だ。
しかも「他の音大だって同じようなもんだよ」と言われそうな反面、自分が知る某名門音大卒の誰も彼もが共通する弾き方ということで、そこの学校の校風なのか?と思い、筆を執った次第。
ちなみにこの5人は全員女性、うち2人が自分が過去に習っていた先生である。
ということで前置きはこれくらいにして、某名門音大ヴァイオリン卒の演奏者に共通して感じたこと、それも正直ネガティブに感じたことを挙げてみる。
前提として、ヴァイオリンは元々イタリアの民族楽器だが、ヨーロッパに広まる過程で、ヴィオッティというイタリアの作曲家兼ヴァイオリン奏者が、フランスのトルテという職人に依頼して、弓だけ後付で改良したという経緯がある。
つまり現在のヴァイオリンはイタリア発祥かつ、弓だけフランスで近代化された形で普及していると(だから今でもイタリア製のヴァイオリン本体と、フランス製の弓にプレミアが付く)。
このうち問題になるのが弓。フランスで近代化される前の、元々のヴァイオリンの弓には何かと演奏上の制約が多く、一番のハンデは、腕の筋力で弓を弦に押し付けたが最後、弓が倒れてしまい演奏できないことだ。
結果、ヴァイオリンには以下の奏法があり、奏者はこのどちらかを出発点にしている。
で、これまで会った某名門音大の人らは全員2番目の弾き方。要は抜けのない音を出発点に、弾く音楽に合わせて音を抜こうと工夫する演奏。
それでキレイかつ素敵な音になっていれば、あとはもう好みの問題なんだが、筆者を含む1番目の弾き方をデフォルトにしている人間からすると、「そこでそんなビブラートはかからなくね?」とか、違和感を感じる瞬間がそれなりにあったり。
それから、ロマン派や近現代のやたら難しい曲をめっちゃ上手に弾くのに、古典派の代表的作曲家であり、難易度的にはそこまで難しくないはずのモーツァルトを苦手とする人が多いのも大きな特徴。
しかしながら1番目の弾き方をデフォルトにしている人間は「モーツァルトをまともに弾けない人が、ロマン派以降のメンコンとかブルッフとか弾けるわけないじゃん」
と思っているので、この逆転現象を見るにつけ、「それ、ヴァイオリン弾けたことになるのか??」と疑問に感じることしきり。
基本的に、表現の細やかさと演奏の正確さは比例するのが普通なはず。つまり大味な表現だと音程も外れ気味で発音もあまりきれいじゃなかったりする。
逆に言えば、音程なんて表現が細やかになっていけば勝手に合ってくる。このままじゃ繊細な表現を実現できない!→実現できるくらい音程が正確に合わなきゃ気が済まない!という感じで修正されるから。
その一番素敵な例が、完全独学で名手レベルまでのし上がったギタリストだろう。彼らの表現に、義務感でやらされて正確さを獲得したような音は皆無だ。ハートに突き動かされて精緻を極めた音だけが、そこにある。
表現したいフレーズが完全に線になっていて、その線に然るべき音程の音がはめ込まれている感じ。
「そんなにざっくりな表現で、そこまで音程が合うはずないんだけどな、どうなってんだ??」
なんでそんな、音程だけ全力で合わせたような音で弾くんだろう?というか、なんでそんな演奏で問題ないと思うんだろう??
それよりは表現も正確さも拙いけど、ヴァイオリンが好きという気持ちが音にはみ出たような、一生懸命弾いている演奏のほうが自分は好きだったり。
実はここまで書いた音大以外にも、弦の名門かつ指揮の名門と言われる音大がある。
そっちの音大では、上で書いた傾向を比較的持たない人が多いと言われる。
しかも草創期に在学していたOBOGが、常設ではないが世界的に評価されている、いわば祝祭オーケストラを結成したこともあるレベル。
そこでコンミスを務め、海外で教授をやっていた女流ヴァイオリニスト(故人)曰く
「〇〇先生(その音大の創設者)に教わったことは、世界中のどこでも通用した」
この言葉は非常に重い。
まあ、自分が今更音大に行く可能性なんて、入るまでの大変さはもちろん卒業した後どうすんの?という問題も踏まえて万に一つもない。
しかし、もし今後音大に入れるチャンスが巡ってきたなら、どうせ入るならそこに入りたいなーと妄想するくらいには興味あったり。
これまでは高いと言ってもゲーミングPCより安いからまだ価値はあった
PS4→PS5は高速ローディングというアピールポイントがあったからまだ良かった
それに比べてPS5Proって画質が上がるくらい
しかもPS6じゃなくてPS5Pro
遊べるゲームはPS5と一緒
ほんとなんのために買うの?
このせいで無印PS5が足を引っ張ってXSS/XSXと同じ道を辿ることになりそう
そもそも日本はPS5の時点であまり買う人いなかったし、売れること期待してないんだろうな
ドル 円
PS5 499.99 72,980
PS5Pro 699.99 119,980
PS5Proだと1ドル=171円くらいだ
日本のPS5の値段改定はつい最近なのでここは揃ってても良さそうなのにPS5Proはかなり高めに設定されてる
日本で売る気無いなというのがよくわかる
はてなでモテ・恋愛・婚活の話題がループしているのはいつものことだけれど、自分はなぜ今の状態なのか?この先どうするつもりなのか?不意に整理したくなったのでもっとこういう原因あるだろとか言い訳だろとか意見くれると助かる。
(表題詐欺でアドバイスを求める投稿ではない。ごめん。思考のブラッシュアップはしたかった。)
と一言で言えてしまうが、如何せん解像度が低すぎる。思いつく限り、かつ、自分の驕り昂ぶりへの気恥ずかしさを無視して挙げていくとこうなった。
というとカッコつけてるように見えるが
のが一番でかいと思う。二次元も三次元もいけるのでおかずには困らない。1,2回抜いたらどうでもよくなる。ありがとうブルーアーカイブ。
「風俗行く直前にシコると風俗行きたくなくなるので実質数万円儲かる」とかいう言説は割と好き。
露出度高い女の人とか居るとめっちゃエロいなぁとは全然思うのでおそらく性的指向はバリバリのストレートと思われる。
完全童貞はまだネタとして笑えるけど素人童貞は微妙に笑えなさそうという超偏見も足を引っ張っているかも。
上にも書いたように
『適当に生活してて、たまたま好きな人ができて相手も自分のこと受け入れてくれれば付き合えばいいし、できなければできないで別にそれでいい』
と思っているので、基本的なスタンスはずっとこのままなんだろうなと思っている。
ただ、最近は若干心境に追加された項目があり、
『気の合う人間を探して見つけてパートナーになれればそれは結構喜ばしいこと』と多少思うようになったので、そういうノリでほんの少しの積極性を得て日々を楽しく過ごしている。
そういうノリで過ごしていると周りも変化に気づくらしく、彼女欲しいなら知り合い紹介するで!みたいな話もちらほら貰えててムホホwという感じでありがたく思っている。
(とはいえ経歴的に世間の標準から見たら不慣れの極みなのでトントン拍子でうまくいくはずもなく。まあしゃーない)
人生観ピュアピュアのところで書いていなかったがそもそも「恋愛も結婚も普通の趣味と同等でしょ」と思っているので、はてブを見ているとこの手の男女論の流れが、たとえば一部の自称ゴルフ上級者がアドバイスを求めるゴルフ入門者に『パター未経験はきついなぁ』『友達居ないのになんでコース回れると思ったの』『なんか気持ち悪い』『ゴルフの実績解除したいだけの人だ。』『こんなところでアドバイス求めてる時点で頭悪いんだろうな』『ゴルフしなくてもよくない』『ゴルフすれば楽しくなれると思い込んでる。要はガキ』『勇気がないんでしょ』『ソープに行け』みたいな詰め方をしているように見えて、なぜそんな上から殴ってるんだとイラつく。ジンオウガになってしまう。
ひとにやさしくしませんか?
大学2〜3年頃からだったか、ソナチネのたけしに憧れてマジで白シャツスラックスしか着なくなった。菊次郎の夏だったかも。
海沿いで腰掛けてボーッと波を眺めたり、繁華街を練り歩いたりしながら無限に主人公ぶってた。
ヨウジかギャルソンが良かったけど、サイズが合わなかった。ユニクロのスラックスは夏でも快適だ。
同じ格好しかしないからコーディネートの幅は磨かれなかった代わりに、シルエットや丈に異常なこだわりを持つようになった。
オタクが服に興味を持つとそうなるのかもしれない。求める先は異性や他人からのウケではなく。おれの場合はきっかけの時点でもうオタクっぽい。
モサい頭のチビガリだし、たけしのとっぽさにはきっと程遠かった。日中から手ぶらでうろつく姿は変な高校生みたいだったと思う。「主人公」は鞄を持たない。
と思ってた。
最近スタイルというのはもっと必然的なものなんじゃないかって思う。
炭鉱夫はデニムを。軍人は迷彩を。スケーターは動きやすいルーズな服を。オタク少年はママが買ってきたちょっと古いセンスの服を。
そこに演出はなく、その人を取り巻く環境が、生き様が服へと現れる。その自然体こそがスタイルなのではないか。
カートコバーンの真似をしてボロい服を着るのはグランジなのか?なんて語り尽くされた話だ。
スタイルは自分から喧伝せずとも周りが勝手に見出していく。そこには服飾というより精神性としてのかっこよさがある。
ザッカーバーグやジョブズが同じ服ばかり着るのも、彼らの忙しない日々を描くスタイルだ。それをノームコアと囃し立てて、こだわってない風の服をわざわざこだわって選んでもコスプレでしかない。
オタク君の服ってこういうのばっかり、的な揶揄だってベクトルは違えど本質的には賞賛と変わりないのかもしれない。
じゃあおれにとっての環境とは何か。「時代」というのは一つの環境ではないのか。
自我を持って着せ替え人形やコスプレをやるよりもむしろ、服にさほどこだわりのない人が流行に巻き込まれる着る服にこそスタイルがあるのかもしれない。
Twitter(a.k.a 𝕏)で、時代ごとの流行りの比較イラストや写真みたいなのがたまに流れてくる。ファッションは巡るって言説を添えて。
古めの映画を観てても、ジーンズ履いてスタジャンのポットに手を突っ込む若者が妙にかっこよく見える。「その時代の若者」というスタイルが。自分にそういう時期がなかったのがなんか寂しいし、ちょっとコンプレックスですらある。
この際スタイルとかどうでもよくて、能動的なミーハーでもなんでもその時代らしい若者の姿に染まりたいという気持ちがある。
2ch脳拗らせてミーハーを小馬鹿にしてた反動が来たのかも。何なら今だってサンバ履いてゆるいパンツ履いてる連中を若干小馬鹿にしてるけど。いつか自分もそれに倣わなかった悔やむ時が来るのかもしれない。
あの頃もたけしぶってる場合ではなく、若者らしく時代に染まっていれば良かったかな。
と思ったけど、冷静に考えたらそれ以前は「その時代の若者」であった時期もちゃんとあったな。
スラッとしたシルエットにと言われていた筈が、今や掌返して頭でっかちになるとか言われてオワコン扱いを受ける黒スキニーをちゃんと履いていたではないか。1460に捩じ込んで。流行りは3ホールだったけど。チェスターコートも着てた。
げんじファッションの黎明期だ。あれ下半身だけパンクスみたいで面白いな。
服にも強いこだわりは無かったし、自我がないからこその「スタイル」があった。
ミーハー心でyeezyも持ってたしな。QNTM。アレ今でも普通にかっこいいと思う。ブーム末期な上に履きおろさずに売っちゃったけど。
beatsのヘッドホンとかGIATNTSのチャリもかっこいいなと思ってた。まとめサイトの受け売りで情弱向けのゴミ音質とかルック車とか小馬鹿にしつつ、割と欲しかった。
どうしても今日中にとある本が手元に欲しかったので、久しぶりに丸善ジュンク堂で買い物をしようと思った訳です。
で、丸善って店頭在庫検索できるよなって思って、サイトを開いたんすよ。
そしたら、サイトがリニューアルされてて、丸善ジュンク堂書店ネットストアって形になってたんですねぇ(るんちょま)。
https://www.maruzenjunkudo.co.jp/
なんで、大企業って定期的にサイト更新すんのかなと思いながら、以前のように欲しい本を検索して、そこから店頭在庫がある店舗を調べようと思ったんですよ。
そしたら、在庫がある店舗一覧の表示がなくなってるんです。いや、在庫が店舗に一切ないということじゃなくて、そもそも在庫がどこにあるかという表示コーナー自体がなくなってるんですよ。もう10分くらい探しましたが、まったくないんです。
そのかわり、My店舗受け取りなる新たな機能がありました。これは自分が事前に指定したMy店舗にて本が受け取れるという謎サービスです(欲しい本がある場所がMy店舗なんじゃい)。そして、My店舗に指定できるのは5店舗のみ。つまり、首都圏近郊の全ての丸善ジュンク堂の中の、どこに欲しい本の在庫があるのかを知ろうと思ったら、My店舗に新たに店舗を登録して、そこに在庫あるかを調べて、無ければMy店舗を一度消して新しい店舗を登録しなおして、また在庫を調べてというのをエンドレスにやらないといけないんですよ。もうね、アホかと。馬鹿かと。思わず笑ってしまったもんネ。
わたくしは首都圏に生きておりますので、首都圏の話で恐縮なんですけれども、Amazonみたいなネット書店にはないリアル店舗型の書店の一番の強みって、実は「即時性」だと思うんです。ネットでも翌日にはだいたい届くけれど、それでは間に合わない、今すぐにそれが欲しい時に、即購入できる。困った時になんとかしてくれるのがリアルの強さだと思うんですよ。それ以外の、書店の魅力(たとえば良い本との偶然の出会いの提供とか)は一部の人以外はそんなにみんな求めてないんじゃないかしら。
にもかかわらず、店頭在庫を検索する機能を、ユーザーがひと手間かかるように変更するドラスティックな決断をした丸善ジュンク堂書店の皆さまにおかれましては、自分たちの強みを何と捉えており、どういうロジックでサイトの仕組みを変更したのか是非教えて欲しいなと思います。正直、こんなことしてるから書店はどんどん潰れていくんじゃないかと思った夏の終わり。
追伸:1つの店舗に電話かけてそこで調べてもらったらいいとも思ったけど、電話したくないからネットを使ってるんやで。
追伸:結局は、比較したときにまだサイトが見やすい紀伊國屋書店で買いました。
追伸:わたくしみたいなユーザーはマイノリティであって、マジョリティにはMy店舗受け取りのが使いやすいのだという可能性はもちろん。あると思います(天津木村)。
どうしても今日中にとある本が手元に欲しかったので、久しぶりに丸善ジュンク堂で買い物をしようと思った訳です。
で、丸善って店頭在庫検索できるよなって思って、サイトを開いたんすよ。
そしたら、サイトがリニューアルされてて、丸善ジュンク堂書店ネットストアって形になってたんですねぇ(るんちょま)。
https://www.maruzenjunkudo.co.jp/
なんで、大企業って定期的にサイト更新すんのかなと思いながら、以前のように欲しい本を検索して、そこから店頭在庫がある店舗を調べようと思ったんですよ。
そしたら、在庫がある店舗一覧の表示がなくなってるんです。いや、在庫が店舗に一切ないということじゃなくて、そもそも在庫がどこにあるかという表示コーナー自体がなくなってるんですよ。もう10分くらい探しましたが、まったくないんです。
そのかわり、My店舗受け取りなる新たな機能がありました。これは自分が事前に指定したMy店舗にて本が受け取れるという謎サービスです(欲しい本がある場所がMy店舗なんじゃい)。そして、My店舗に指定できるのは5店舗のみ。つまり、首都圏近郊の全ての丸善ジュンク堂の中の、どこに欲しい本の在庫があるのかを知ろうと思ったら、My店舗に新たに店舗を登録して、そこに在庫あるかを調べて、無ければMy店舗を一度消して新しい店舗を登録しなおして、また在庫を調べてというのをエンドレスにやらないといけないんですよ。もうね、アホかと。馬鹿かと。思わず笑ってしまったもんネ。
わたくしは首都圏に生きておりますので、首都圏の話で恐縮なんですけれども、Amazonみたいなネット書店にはないリアル店舗型の書店の一番の強みって、実は「即時性」だと思うんです。ネットでも翌日にはだいたい届くけれど、それでは間に合わない、今すぐにそれが欲しい時に、即購入できる。困った時になんとかしてくれるのがリアルの強さだと思うんですよ。それ以外の、書店の魅力(たとえば良い本との偶然の出会いの提供とか)は一部の人以外はそんなにみんな求めてないんじゃないかしら。
にもかかわらず、店頭在庫を検索する機能を、ユーザーがひと手間かかるように変更するドラスティックな決断をした丸善ジュンク堂書店の皆さまにおかれましては、自分たちの強みを何と捉えており、どういうロジックでサイトの仕組みを変更したのか是非教えて欲しいなと思います。正直、こんなことしてるから書店はどんどん潰れていくんじゃないかと思った夏の終わり。
追伸:1つの店舗に電話かけてそこで調べてもらったらいいとも思ったけど、電話したくないからネットを使ってるんやで。
追伸:結局は、比較したときにまだサイトが見やすい紀伊國屋書店で買いました。
追伸:わたくしみたいなユーザーはマイノリティであって、マジョリティにはMy店舗受け取りのが使いやすいのだという可能性はもちろん。あると思います。