2024-09-11

外野目線による、某名門音大ヴァイオリン卒の演奏上の特徴みたいなもの

いうて東大物理だって色んな人がいる程度に、某名門音大ヴァイオリンと言ったって色んな人がいて当たり前。

加えて今回はn=5という、n=1に毛が生えた程度の話だ。

しかも「他の音大だって同じようなもんだよ」と言われそうな反面、自分が知る某名門音大卒の誰も彼もが共通する弾き方ということで、そこの学校校風なのか?と思い、筆を執った次第。

ちなみにこの5人は全員女性、うち2人が自分過去に習っていた先生である

ということで前置きはこれくらいにして、某名門音大ヴァイオリン卒の演奏者に共通して感じたこと、それも正直ネガティブに感じたことを挙げてみる。

けがない発音から出発している

前提として、ヴァイオリンは元々イタリア民族楽器だが、ヨーロッパに広まる過程で、ヴィオティというイタリア作曲家ヴァイオリン奏者が、フランストルテという職人に依頼して、弓だけ後付で改良したという経緯がある。

まり現在ヴァイオリンイタリア発祥かつ、弓だけフランス近代化された形で普及していると(だから今でもイタリア製のヴァイオリン本体と、フランス製の弓にプレミアが付く)。

このうち問題になるのが弓。フランス近代化される前の、元々のヴァイオリンの弓には何かと演奏上の制約が多く、一番のハンデは、腕の筋力で弓を弦に押し付けたが最後、弓が倒れてしま演奏できないことだ。

結果、ヴァイオリンには以下の奏法があり、奏者はこのどちらかを出発点にしている。

  1. いわゆる古典の奏法と言われる、弓の重さだけで弦を擦る方法アタックの後で音が緩やかに減衰する、いわば抜けのある発音
    本来ヴァイオリンらしい、自然かつ味のある響きが期待できる反面、ロマン派のような引っ張る旋律を奏でるには、歌う代わりに弾くくらいの、冷静かつ強い集中が必要
    なお近現代メカニカル旋律は明確に苦手。一方でガット弦の乾いた音には順応しやすい。
  2. 近代化された弓でなければ演奏できない、腕の筋力で圧をかけて弾く奏法。弓のストローク最初から最後まで均一な、いわば抜けのない発音
    たとえ手先だけの演奏であっても朗々とした音を奏でられる反面、ヴァイオリンらしいナチュラルな味わいや、古典的な魅力を表現するのが非常に難しい。
    現代メカニカル旋律は得意。ガット弦はギシギシかつ濁った音になりがちなので苦手。

で、これまで会った某名門音大の人らは全員2番目の弾き方。要は抜けのない音を出発点に、弾く音楽に合わせて音を抜こうと工夫する演奏

それでキレイかつ素敵な音になっていれば、あとはもう好みの問題なんだが、筆者を含む1番目の弾き方をデフォルトにしている人間からすると、「そこでそんなビブラートはかからなくね?」とか、違和感を感じる瞬間がそれなりにあったり。

それからロマン派や近現代のやたら難しい曲をめっちゃ上手に弾くのに、古典派の代表的作曲家であり、難易度的にはそこまで難しくないはずのモーツァルトを苦手とする人が多いのも大きな特徴。

しかしながら1番目の弾き方をデフォルトにしている人間は「モーツァルトをまともに弾けない人が、ロマン派以降のメンコンとかブルッフとか弾けるわけないじゃん」
と思っているので、この逆転現象を見るにつけ、「それ、ヴァイオリン弾けたことになるのか??」と疑問に感じることしきり。

いつでも音程だけは合い過ぎるほど合っている

基本的に、表現の細やかさと演奏の正確さは比例するのが普通なはず。つまり大味な表現だと音程も外れ気味で発音もあまりれいじゃなかったりする。

逆に言えば、音程なんて表現が細やかになっていけば勝手に合ってくる。このままじゃ繊細な表現を実現できない!→実現できるくらい音程が正確に合わなきゃ気が済まない!という感じで修正されるから

その一番素敵な例が、完全独学で名手レベルまでのし上がったギタリストだろう。彼らの表現に、義務感でやらされて正確さを獲得したような音は皆無だ。ハートに突き動かされて精緻を極めた音だけが、そこにある。

表現したいフレーズが完全に線になっていて、その線に然るべき音程の音がはめ込まれている感じ。

それに比べると、某名門音大卒の人たちの演奏はというと

「そんなにざっくりな表現で、そこまで音程が合うはずないんだけどな、どうなってんだ??」

違和感バリバリなのだ

なんでそんな、音程だけ全力で合わせたような音で弾くんだろう?というか、なんでそんな演奏問題ないと思うんだろう??

それよりは表現も正確さも拙いけど、ヴァイオリンが好きという気持ちが音にはみ出たような、一生懸命弾いている演奏のほうが自分は好きだったり。

というわけで

実はここまで書いた音大以外にも、弦の名門かつ指揮の名門と言われる音大がある。

そっちの音大では、上で書いた傾向を比較的持たない人が多いと言われる。

しかも草創期に在学していたOBOGが、常設ではないが世界的に評価されている、いわば祝祭オーケストラを結成したこともあるレベル

そこでコンミスを務め、海外教授をやっていた女流ヴァイオリニスト(故人)曰く

「〇〇先生(その音大創設者)に教わったことは、世界中のどこでも通用した」

この言葉は非常に重い。

まあ、自分が今更音大に行く可能性なんて、入るまでの大変さはもちろん卒業した後どうすんの?という問題も踏まえて万に一つもない。

しかし、もし今後音大に入れるチャンスが巡ってきたなら、どうせ入るならそこに入りたいなーと妄想するくらいには興味あったり。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん