2024-09-11

大学2〜3年頃からだったかソナチネのたけしに憧れてマジでシャツスラックスしか着なくなった。菊次郎の夏だったかも。

春秋の98%はマジでその格好。

海沿いで腰掛けてボーッと波を眺めたり、繁華街を練り歩いたりしながら無限主人公ぶってた。

ヨウジかギャルソンが良かったけど、サイズが合わなかった。ユニクロスラックスは夏でも快適だ。

同じ格好しかしないからコーディネートの幅は磨かれなかった代わりに、シルエットや丈に異常なこだわりを持つようになった。

オタクが服に興味を持つとそうなるのかもしれない。求める先は異性や他人からのウケではなく。おれの場合きっかけの時点でもうオタクっぽい。

モサい頭のチビガリだし、たけしのとっぽさにはきっと程遠かった。日中から手ぶらでうろつく姿は変な高校生みたいだったと思う。「主人公」は鞄を持たない。

それが気に入ってたし、自分の「スタイル」だった。

と思ってた。

最近スタイルというのはもっと必然的ものなんじゃないかって思う。

炭鉱夫はデニムを。軍人迷彩を。スケーターは動きやすルーズな服を。オタク少年ママが買ってきたちょっと古いセンスの服を。

そこに演出はなく、その人を取り巻く環境が、生き様が服へと現れる。その自然体こそがスタイルなのではないか

カートバーンの真似をしてボロい服を着るのはグランジなのか?なんて語り尽くされた話だ。

スタイル自分から喧伝せずとも周りが勝手見出していく。そこには服飾というより精神性としてのかっこよさがある。

ザッカーバーグジョブズが同じ服ばかり着るのも、彼らの忙しない日々を描くスタイルだ。それをノームコアと囃し立てて、こだわってない風の服をわざわざこだわって選んでもコスプレしかない。

オタク君の服ってこういうのばっかり、的な揶揄だってベクトルは違えど本質的には賞賛と変わりないのかもしれない。

じゃあおれにとっての環境とは何か。「時代」というのは一つの環境ではないのか。

自我を持って着せ替え人形コスプレをやるよりもむしろ、服にさほどこだわりのない人が流行に巻き込まれる着る服にこそスタイルがあるのかもしれない。

Twitter(a.k.a 𝕏)で、時代ごとの流行りの比較イラスト写真みたいなのがたまに流れてくる。ファッションは巡るって言説を添えて。

古めの映画を観てても、ジーンズ履いてスタジャンのポットに手を突っ込む若者が妙にかっこよく見える。「その時代若者」というスタイルが。自分にそういう時期がなかったのがなんか寂しいし、ちょっとコンプレックスですらある。

この際スタイルとかどうでもよくて、能動的なミーハーでもなんでもその時代らしい若者の姿に染まりたいという気持ちがある。

G-shockエアマックスたまごっち

シュプのボックスロゴ。Y-3やOWのガチャベルト。

時代流行りと言うには局所的過ぎるか。

2ch脳拗らせてミーハー小馬鹿にしてた反動が来たのかも。何なら今だってサンバ履いてゆるいパンツ履いてる連中を若干小馬鹿にしてるけど。いつか自分もそれに倣わなかった悔やむ時が来るのかもしれない。

あの頃もたけしぶって場合ではなく、若者らしく時代に染まっていれば良かったかな。

と思ったけど、冷静に考えたらそれ以前は「その時代若者」であった時期もちゃんとあったな。

スラッとしたシルエットにと言われていた筈が、今や掌返し頭でっかちになるとか言われてオワコン扱いを受ける黒スキニーちゃんと履いていたではないか。1460に捩じ込んで。流行りは3ホールだったけど。チェスターコートも着てた。

げんじファッション黎明期だ。あれ下半身だけパンクスみたいで面白いな。

服にも強いこだわりは無かったし、自我がないからこその「スタイル」があった。

ミーハー心でyeezyも持ってたしな。QNTM。アレ今でも普通にかっこいいと思う。ブーム末期な上に履きおろさずに売っちゃったけど。

beatsヘッドホンとかGIATNTSのチャリもかっこいいなと思ってた。まとめサイト受け売り情弱向けのゴミ音質とかルック車とか小馬鹿にしつつ、割と欲しかった。

友達いなさすぎて当時の写真も残ってないのが悔やまれる。

まあこれからもたけしリスペクトは続けていくか。いつかそれが自然体になってるかもしれんし……

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