はてなキーワード: 手続とは
A社長
おつかれさまです。増田です。
Bさんは急いでいる、遅れている、信用を失うとおっしゃるのですが、
そもそもCさんが仕組みを理解せずに各方面に対して根拠なく告げたであろうスケジュール通りに進むはずはなく、Cさんはそのことをもうご理解されたと思います。
当初取引先へ告げたスケジュール通りに進まないことをCさんが責任をもって伝え、謝罪すべきではないかと思います。
わたくしは、委託元さんの事務手続きのお手伝いをしながら手順を学ぶようA社長からご指示を頂き及ばずながら努めてまいりましたが、
Cさんが今のようにいくらでも風呂敷をひろげ、肝心な部分は「よくわからない…」で黙ってしまって結果苦情処理がこちらに来てしまっては、
わたくしは基本手順を学ぶどころではありませんし、現在手薄な本来の業務にも弊害が表れてまいります。
取引先へ当初ご自身が提示したスケジュール通りに書類がそろわない旨説明するよう、お声をかけていただけないでしょうか。
「当初の話通りには受け入れスケジュールは進まないと思うので取引先にそのこと伝えた方がよいですよ」
と言いましたが、実行していただけるかどうか怪しく感じます。
(現に少なくとも先週の金曜日から苦情メールがきた今日にいたるまでの3日間、Cさんは取引先へ話をしていないと考えられます)
このようなネガティブな内容のご相談やご報告は、本来はまず口頭で差し上げてご理解を求めるべきところですが、
何卒よろしくお願い申し上げます。
そんな大きな会社じゃないので、私の直の上司がもう社長なのです…。私はそもそも事務員だし「現在手薄な本来の業務」ってのもルーティンの事務作業の事なのだ。
どっちかというとDRMは、本人か家族で回し読みするぐらいなら問題ないけど、コピーして他人に配るのはルール違反。
という基本的なことをどうやって解決するか?という事に対するバッドノウハウで、最良の方法ではないよね。
映像コンテンツは、それを自分が視聴する権利を買ったんであって、コピーする権利をかったわけじゃないからね。
メディアコンバートはできてしかるべきだし、コピーする権利ではなく見る権利なんだから、LD版を持ってるのにDVD版を買わなければならないのは意味がわからないけど
何を買っているか?というのが明確じゃないのがメディアコンテンツの問題だと思う。
円盤の?映像なの?視聴する権利なの? 何を売っていて、何を買えたの? 視聴する権利なら、死ぬまで視聴できるようになってないとおかしいよね。
iPhoneじゃみれない、というのはおかしい(だから、ハリウッド物はルールを守って、iPhone用の映像が付いてくる、そのかわり原則的に見るのは本人な!という)
そういう暗黙の了解が多すぎて、自粛とか、自己規制になっていることが泥棒扱いなのであって、ちゃんと公明正大にみんなで話し合ってルールを作って、だめならちゃんとそれを改善する手続きがあるというのが合理的で民主的
調査不足の一言。
学校事務をしているが、「自分は○○になりたいが、どうしたらいいか」という電話をかけてくる人が時々いる。
資料も取り寄せずネットでも調べず、希望さえすれば誰かが手取り足取り教えてくれて成功させてくれる、障害なんかあるわけないとでも思っているようだ。
本当にその資格が取りたいのなら、自分がそれに届く状態なのかをまず自分で調べるべき。そうすることで色々な情報が手に入り、問題点に気付く目も養える。自助努力というやつだ。
上記の例は極端としても、目指す資格についてはみっちり調べておくべきだ。特に元増田は人よりも抱える問題が多いのだから、資格取得までのそれぞれのステップについて自分が参加可能かどうかをいろいろな方面から確認し、トラブルに見舞われないためにも状況を掴んでおかなければいけない。他の誰でもない、全て自分の進路のことだからだ。
臨地実習があるのは調べればいつでもわかること。自分の状況でこれに参加できるかどうかも、担当部署に訊ねればいつでもわかることだ。
自分がかかわる制度の動きについて目を光らせていなくてはいけない。これは、「障害があるから」で免除されるものではない。そういう事にルーズでないこともまた、仕事をしていくうえで必要なスキルだからだ。
もしルーズなのであれば、それによって起こった結果は自分の責任として引き受けなくてはいけない。今回のケースで言えば、進路を諦めることがそれに当たる。
自分が統合失調なのを学校側は知っているのだから、研修を受けられない事を向こうから言ってくるべきだ、もしくはどうにかして受けられるようにしてくれるべきだ、と期待するのは他人任せに過ぎるというもの。まぁ気持ちはわからないでもないが、学校側からすれば「あなたは勉強しても無駄ですよ」なんて言える訳もない。向こうだって商売だ。
できることなら、入学当初から調べをつけておいて、自分はこの実習を受けられますよね?と講師なり事務方なりに言質をとっておくぐらいのたくましさがあってほしい。それで100%確実に受けられるとは言えないけど、一度学校として認めてしまった経歴があれば、その責任として実習先をやりくりしてくれた……かもしれない。
あまり愉快ではないけれど、いざという時のために向こうに弱みを作っておくのも有効な手段のひとつなのだ。
統合失調であることを隠してくれ、などというのは言語道断。それは先生の言うとおり信用問題に関わる。その問題の責任も自分が全て取るというなら話は別だが、まずそんな事は不可能だ。
病気を隠して生きることを人に勧めているが、結局そのツケは本人にいずれ回ってくる。
学校での信用、就職先での信用、罹患者としての信用。結局どこかで何かを失う。
目指しさえすれば、頑張りさえすれば夢は叶うなどという夢想は、障害者にも健常者にも保証されてはいない。
例えば、出自で進路を断念する人もいる。性別の壁を越えられない人もいるだろう。どちらも薬を飲んでも克服できない障壁だ。
ものすごく頑張って勉強をしてきたことはとても立派だ。だけど哀しいかな、それとこれとは別なのだ。言い方は厳しいが、資格を取るにあたり頑張って勉強することは誰にとってもあたりまえで、その上で諸々の手続きや条件を満たせることが必要なのだ。
次回、海外Amazonを利用する時のために、一連の作業をまとめてみたい。
日本のAmazon垢は使えない。違うメアドで別垢作る。日本と同じメアドで作ると日本垢のデータ全部飛ぶ。
アカウント作るのは簡単。英語住所の入力はこのサイト( http://judress.tsukuenoue.com/ )使うと楽。
問題は支払い代金。計算が面倒。
送料は国、商品の種類・重さ、個口によって変わる( http://www.amazon.com/gp/help/customer/display.html/ref=hp_468520_globshiprate?nodeId=201118710 )。
クレカがVISA or MasterCard だと、円建てで決済できる。
『Amazon Currency Converter』という仕組みが勝手にドルを円換算してくれて、円表示で日本のAmazon利用するみたいに商品買える。
でも、換算レートはリアルタイムの為替より不利。Amazonが為替換算手数料取ってる。
『Amazon Currency Converter』を使わずに、外貨建てで決済する場合はAmazonに手数料払わずに済む。
三井住友VISAだと1.63%( https://www.smbc-card.com/mem/service/sec/kaigai01.jsp )。
円換算で10,000円分の支払いがあったら、163円の手数料をカード会社に払う。
関税対象品目は細かく分かれている( http://www.customs.go.jp/tetsuzuki/c-answer/imtsukan/1204_jr.htm )。
通関手数料は荷物1個につき200円。関税が無税の輸入品(例えばパソコン)は通関手数料が無料。
こういった税関に払うお金は、『Import Fees Deposit(輸入手数料デポジット?)』という名目で、米国Amazonに払う。
この『Import Fees Deposit』は余計に取られていて(!!)、2ヶ月くらい経つと半額くらい(くらい!!)還ってくるらしい(http://www.j-love.info/amazonnew/amazon_com_uk_qa6-6_import_fees_deposit_refund.htm)。
顧客第一主義の懇切丁寧なAmazonでさえこんなに面倒なのだから、海外通販は大変。
※※※補記※※※
このエントリーは私が以前、ガジェオタクラスタ向けに書いたエントリーの書き直し。元エントリーはこれ( http://anond.hatelabo.jp/20131011011448 )。
次回、海外通販を利用する時のために、一連の作業をまとめてみたい。
現在(2013/10/10)、これは米英のGoogle Play、Amazon、HP直販サイト、その他オンライン・オフライン小売店で予約できるらしい。
ソースはengadget日本版( http://japanese.engadget.com/2013/10/08/hp-chromebook-11-google-chrome-os-wifi-279/ )。
Google Playでは予約できない。Google Walletの登録住所にしか発送できなくなったから( http://juggly.cn/archives/87849.html )。
英国はなぜか予約開始してないし、そもそも英国内にしか商品発送しない( http://h20386.www2.hp.com/UKStore/Merch/Common.aspx?p=information )。
米国は予約始まってるけど、商品発送は米国内と在外米兵に対してのみ( https://www.shopping.hp.com/webapp/shopping/shipping_policy.do?leftNavIndicator=shipping_delivery )。
今回のお買い物は、消去法で米国Amazonを利用することになった。
日本のAmazon垢は使えない。違うメアドで別垢作る。日本と同じメアドで作ると日本垢のデータ全部飛ぶ。
アカウント作るのは簡単。英語住所の入力はこのサイト( http://judress.tsukuenoue.com/ )使うと楽。
問題は支払い代金。計算が面倒。
送料は国、商品の種類・重さ、個口によって変わる( http://www.amazon.com/gp/help/customer/display.html/ref=hp_468520_globshiprate?nodeId=201118710 )。
クレカがVISA or MasterCard だと、円建てで決済できる。
『Amazon Currency Converter』という仕組みが勝手にドルを円換算してくれて、円表示で日本のAmazon利用するみたいに商品買える。
でも、換算レートはリアルタイムの為替より不利。Amazonが為替換算手数料取ってる。
『Amazon Currency Converter』を使わずに、外貨建てで決済する場合はAmazonに手数料払わずに済む。
三井住友VISAだと1.63%( https://www.smbc-card.com/mem/service/sec/kaigai01.jsp )。
円換算で10,000円分の支払いがあったら、163円の手数料をカード会社に払う。
関税対象品目は細かく分かれている( http://www.customs.go.jp/tetsuzuki/c-answer/imtsukan/1204_jr.htm )。
通関手数料は荷物1個につき200円。関税が無税の輸入品(例えばパソコン)は通関手数料が無料。
こういった税関に払うお金は、『Import Fees Deposit(輸入手数料デポジット?)』という名目で、米国Amazonに払う。
この『Import Fees Deposit』は余計に取られていて(!!)、2ヶ月くらい経つと半額くらい(くらい!!)還ってくるらしい(http://www.j-love.info/amazonnew/amazon_com_uk_qa6-6_import_fees_deposit_refund.htm)。
ちなみにタイトルの『HP Chromebook 11($279)』は、ここまで書いた手順で予約すると、31,000~32,000円ほど。
ほとんど同じスペックの『Samsung Chromebook($248)』は、日本のAmazonだと30,900円で買える(並行輸入品)。
個人輸入手続きの話とは関係ないけど、今回の買い物でアメリカにたくさん年貢納めてることに気づいた。
Fランですかね。
こちらはある士業の人です。お仕事が欲しいので、将来クライアントさんになる予定の人たちに手ほどきを、と、いくつかの大学で半年=12回の授業をうけもっています。
大学の報酬はふつうの仕事の時給の五分の一とかです。場合によってはこっちの士業組織が手当を出すので大学の負担はただです(手続きあり)。
でもぜんぜん進度がちがいます。偏差値62の大学と57の大学とでは、ぜんぜん聴く意欲ってのが違うんです。
57の大学のほうがお金だしてでも来てくれといってくるので、安くてもしょうがないね、といっているのですが、
1000円しない教科書(amazonで品切れなしに入手可能)を最後まで買わない学生多数。
ノートを「どこを書けばいいか」聴いてくる人多数。(しかたないので教科書をまず買ってマーカー線引き+欄外記入しろと指導)
あと、この分野でもネットつかわないと論文一報読めないので、読んでもらわないと意味がないので、
検索実習やらせたんですが、今自宅に自分のつかえるネットがないって人、いっぱいいるみたいですね。
62の大学のほうは私じゃない人が担当ですが、毎年2回目までに全員教科書もってくるそうです。
講義後出席アンケートもみるかぎり理解度が雲泥の差です。うちも二回目までに教科書をもってこないと不可とかいったほうがいいですね。
これのブコメの幾つかがちょっと気になったけど,100字超えそうだから増田で書いちゃう。
親告罪か否かというのが第三者が当否を語ることの当否のメルクマールになるとするなら,強姦について第三者は口出しては駄目で,集団強姦については口出して良い事になる。なんじゃそりゃ。
親告罪における告訴は訴訟要件であるに過ぎず,構成要件に該当する違法な行為であることに変わりはない。
(そもそも「権利者じゃない奴は口出すな」と言ってる奴らの日頃の言動を見るに,そいつらが,権利者が告訴して侵害者が豚箱行きになる場合に権利者を批判しないなどとはおよそ信じがたい。)
が,だからといって強姦罪の問題意識がそっくりそのまま当てはまるかというと,そういうものでもない。
ある犯罪を親告罪とする場合の理由は,それぞれの犯罪類型ごとに異なる。
強姦罪が親告罪とされたのは,裁判手続等によって被害者の名誉が害されることを防ぐためだ。
(当時の立法者は大したもの,といいたいところだが,強姦罪の位置を考えると,上記「被害者」は誰なのか,やっぱり褒めるに値しないかもしれない。)
(強姦罪が親告罪であるのは上記のような目的であるが,親告罪であるがために,被害者が,告訴をめぐる弁護活動(という攻撃)に曝される現状に鑑みれば,被害者保護制度の発達したこんにちにおいては,非親告罪化した方が良いかもしれない。)
これに対し,著作権侵害が親告罪とされたのは,著作権者の寛容を許し,もつて文化の発展に寄与する
ためだ。
したがって,強姦罪において告訴がない場合と著作権侵害について告訴がない場合とでは,道徳的な許容性が異なるであろう。(民事での和解案あたりに反映されるかもしれない。)
そうは言っても,著作権法が親告罪とした趣旨が全うされるのは,侵害の事実を著作権利者が認識した場合だけである。
権利者のあずかり知らぬところで行われる著作権侵害については,権利者のお目こぼしという正当化根拠は妥当しない。
権利者に黙認して欲しけりゃ侵害してることを権利者に知らせておくべきであって,それをせずに親告罪であることを以って許されるべきだなどと主張するのは盗っ人猛々しい。
親告罪とされたのは大規模な侵害には大規模投資が必要だった時代の発想であり,誰もが大規模かつ密かに侵害できる今日においてはその根拠が揺らいでいるといえよう。
やっと気持ちが落ち着いてきたので書く。
休日中、近所のコンビニへふらりと寄った時、気づいたらポケットの中に財布がなかった。
運転免許証、健康保険証、キャッシュカード、クレジットカード、四万円近い現金……全部失った。
関係各所に電話をかけまくり、休日の大半を使って怒涛のような時間をさらに失った後、財布にあと、何が入っていたのか書き出したメモを見ながらふと、がま口の裏に長いことお守りを入れていたことを思い出した。
あのお守りも、もう戻ってこないかもしれないんだ。
視界がみるみる歪んでいった。お金は稼げば、戻るし、運転免許証だって手続きがめんどくさいだけじゃんね。そう、内心粋がっていた心がみるみる崩されていくのが分かった。
お守りといっても神社で貰うそれではなくて。とある漫画の切れ端なのだけど。
中学時代、初めて出来た悪友に勧められて漫画を読むようになった。様々な漫画を読んだけど、その漫画に影響されて二人でたった五分のために映画館まで行ってしまった作品は一つしかない。
あずまんが大王だ。
とある女子高生らの三年間を描いた作品に、その個性豊かな面々に面白いほどはまった。連載と作中の時間の流れが同じだったこともあるかもしれない。
あれは、作中では高校三年の終わり、僕らは中学二年でそろそろ受験を考え出す時期だった。
大学受験の合格者発表の掲示板の前に、ちよちゃんという天才キャラクターが三馬鹿トリオのお守りに念を込めた。
たわいもない四コマの左側には
「このページを切り取ったら、ちよちゃんのご加護があるかもしれない。」の煽り文句。
編集部の方が勝手に入れたのかもしれない。だが、自分たちは本気で信じた。
そのページを大切に切り取ってお守りにしようと誓い合った。
地元の志望校に二人進んだ後も、クラスは違えど、部活は同じでいつもつるんでいた。たわいない話をする中で一年に一回ぐらいはなんだかんだと思い出す日があって、財布からお守りをどちらからともなく取り出して、当時すでにヨレヨレになってたそれに笑いあった。お守りさえあれば、全てを乗り越えられる気がした。
お守りなんて、何の効果もない。そのことを知ったのは、皮肉にも大学受験の時だった。
大学へ上がって何度か会う機会はあったけど、もうお守りについて、話すこともなかった。
研究室に入る頃、機種変したときにうっかりデータを消して知人の実家の連絡先以外分からなくなった後、連絡がぷっつりと途絶えた。それでいつまでも関係にこだわっていたのは自分だけだったとやっと気づいた。
それから何年も経ったが、相変わらず自分は財布にお守りを忍ばせていたわけだけど、財布と一緒に消えてしまった。コンビニにジャージ•サンダルで出かけた足で。もうそれだけの価値しかあれにはなかったのか。幕切れのあっけなさを、理性は関係ないと否定するが、感情が追いつかない。左脳と右脳に綺麗に分かれていれば、イルカのように休めるのに。
『生野区連続通り魔事件』の削除について 該記事は特筆性無しとの主張により数度の削除を経て、現在削除(白紙保護)という状態に陥っています。 経緯 ①(初版作成) ②Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130526(削除5、存続4)、管理者Muyo(ノート/履歴/ログ)氏により削除 ③Wikipedia:削除の復帰依頼/生野区連続通り魔事件(復帰26、削除15)、管理者Freetrashbox(ノート/履歴/ログ)氏により復帰 ④Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618(削除31、存続26)、管理者Triglav(ノート/履歴/ログ)氏により削除 ⑤(復帰強行) ⑥Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件20130629(削除8、存続1)、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時削除、白紙保護 ⑦Wikipedia:削除の復帰依頼#生野区連続通り魔事件 - ノート(復帰1、反対1)、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時却下 ②③④ の段階では削除、存続意見が拮抗している状況が伺えます。つまり、特筆性無しでコミュニティでコンセンサスが得られている状況ではありません。しかし、④ の段階で削除が実施され、⑤にて手続きによらず復帰強行、⑥にて即時削除(白紙保護)がなされています。そこで、⑦にてわたしのほうから手続きに則り復帰 依頼をかけましたが、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時却下されてしまいました。事由としては<同じことを繰り返すな>ということですが、そもそもわたしの理解ではコンセンサスなき削除状態をただす依頼であったため、<同じこと>という認識は誤りだと考えています。 本件につきまして皆様のご意見、果たして特筆性無しというコンセンサスが得られているのかどうか、をお聞かせください。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月29日 (土) 14:54 (UTC) コメント ④の削除は、②の削除で合意不十分として③で復帰した経緯を全く無視したものに見える。よって⑦が提案されたものと考える。しかし、この経緯が理解されなかったらしく、⑦が即時却下されたため、まずここで認識の違いを埋める作業が必要だと考える。--Shigeru-a24(会話) 2013年6月29日 (土) 16:23 (UTC) コメント この中で一番問題なのは⑤ですね。なので⑥は当然の処置、⑦は却下されて当然です。一方、②から④の判断が適切だったかどうかは削除依頼を隅から隅まで熟読していないので、判断は控えます。--JapaneseA(会話) 2013年6月30日 (日) 01:11 (UTC) コメント ②および④では、「特筆性あり。存続すべき」ということの妥当性を保証できるような情報がついに提示されなかった、ということでしょう。ですから、少なくとも④については、それぞれの経緯を踏まえた上での、問題のない判断だったと言えます。(個人的には、③では「復帰すべき」とするコンセンサスが得られていない状況だったので、復帰が適切だったのか、少々疑問に感じています。結果論ですが、あのまま「復帰せず」でも良かったのではないかと・・・)⑤は行為として最悪なので論外、⑥は当然の処置、⑦は却下されても仕方がないでしょう。⑦は、削除状態を「正す」のではなく「質す・糾す」依頼であったというふうに私の目には映っています。--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 02:26 (UTC) コメント 各依頼について、 ②の時点では存続意見より削除意見のほうが妥当(この時点から資料にニュースでは不十分、以後の経過次第では復帰可能と示唆されています)。 ③については削除依頼で不参加の利用者が多く参加した(何故最初の削除依頼で意見を言わなかった方々がこれほど参加したか原因は予想できますが)ため、意見の合意が出来てないという理由。 ④については意見が十分に出尽くしWP:DP#CLOSEで言うところの『審議がまとまった』(自分は削除意見と存続意見の大勢が出揃ったと解釈しております、意見がまとまったという意味ですと『意見が拮抗している、その他技術的な理由等により、終了判定と削除実施が遅れることがあります』と相反するものになるので)ところで、削除意見のほうが理にかなうという判断。 ⑥はGFDL違反が絡む案件。 ⑦は新たな材料が無いため③,④の焼き直しとなることは自明。 現状ではこういう解釈をしており、どの管理者の行為についても問題は無いものと考えます。そもそも特筆性を問題にされている案件なのに二次資料の提示がされないことが現状での特筆性の無さを示していると考えます。よそでも言ったのですが『現状では確認できる資料が新聞レベルでありその域を越える資料が提示されていないため、特筆性(WP:GNG)を担保する二次資料(WP:PSTS)がないためウィキニュースか最近の出来事止まりということです』。 ④において無効撤回も含め賛否コメントの内容を大分すると 削除意見「現状特筆性が無い、特筆性を裏付ける資料が無い、特筆性を担保する資料が出てきてからでも遅くは無い」27「ウィキニュースの範疇,報道量の不足」4「雑報である、単なる嫌韓感情」1 存続意見「犯行理由等が特異,人種にまつわる事件」10「特筆性の理由は不適」1「特筆性はある、資料は十分」11「ネットニュース,削除依頼などで多く関心を持たれている事が特筆性の証紙」3「発展性がある」3「削除に足る要件を満たさない」2「議論不十分」1「事件の大小は問題無く十分百科事典的」1--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 03:35 (UTC) 分量が多いので若干見落としがある可能性などは否めませんが、だいたいこんなところです。加えて一度コメント入れて議論しない方もいますので編集者間の審議の合意は無理です、審議の内容であるコメントや議論に基づき管理者・削除者が削除の提案に合意をすることはあるでしょうが。--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 03:35 (UTC) コメント 大勢という文言を使ってらっしゃる方がいますが、基本的にWikipediaは多数決ではないと思っています。ですので、④の時点で「削除票が多い→削除が妥当」という解釈は間違っています。この間違いを糺そうとしたのが⑦の当方依頼および今次の議論提起です。削除されるのであれば、削除票が相当な大勢を占めねばなりません。相当な大勢であれば、それはコミュニティのコンセンサスが得られていると考えてもいいでしょう。しかしながら、そうではない。であれば、削除ということでコミュニティのコンセンサスが取れていない状況であると考えるのが妥当です。多数決ではないんです、コンセンサスが取れているかどうかなんです。何回も書いているんですが、ここの観点でのご意見を伺っているのです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 05:21 (UTC) コメント ヒートアップしすぎです。お茶でも飲みましょう。いま、生野の件の参加者を平等に招集したところでありますから、皆さんの意見を聞きましょう。 もう一点。返信を乱発するのはよくないので、私のコメントの一部を撤回しました。--Shigeru-a24(会話) 2013年6月30日 (日) 05:30 (UTC) 仰ることはわからないでもないのですが、本議論を提起したことによりこちらWikipedia:投稿ブロック依頼/BlueSkyWhiteSunでわたしにブロック依頼がかけられています。わたしがブロックと決したならば、本議論も自動的にクローズとされてしまうでしょう。あまり時間は残っていません。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 05:37 (UTC) 『大勢』は『たいせい』であり大体の状況という意味です。すなわち削除意見、存続意見が大方出揃いコメントの傾向が定まったということです。 元々の英語版の『Wikipedia:Deletion policy』にある『Deletion discussion』によると「削除依頼に参加する編集者は削除するか否か見解を出せる」「可否は多数決により決まるわけではない」「参加者は各々が自分の見解について説明し方針を参照する」といった内容であり、利用者の間で合意形成をするのではなく、利用者各自が見解を述べ管理者・削除者に対し合意を得るというのが本義であると考えます。そういった意味ではWikipedia:削除の方針の削除依頼のところは主語が省略されており誤解を招きやすい表現です。 自分は削除依頼は利用者の間で合意形成をするものでは無く、個々人の意見が集まったところで管理者・削除者が判断し閉じるものであると解釈しております。今回の件に関しては存続方の見解が削除方の見解に比べ具体的な証左に欠けていたのではないかと考えます(特に資料が新聞・ニュース止まりで特筆性を押し出すには力不足であったと見ております)。--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 08:03 (UTC) すべての合意は利用者間でなされるものと理解しています。管理者等は利用者間の合意に背くことはできないと存じます。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 09:47 (UTC) 特筆性という『弱い』制約にしたがって削除するには合意のレベルが低い。合意が取れているのか自体も明瞭でない。--60.34.102.131 2013年6月30日 (日) 07:46 (UTC) コメント 「④の時点で『削除票が多い→削除が妥当」という解釈は間違っています」とおっしゃられている方がいらっしゃるのでコメントします。そもそも、④の時点で「削除票が存続票より5票多いから削除しました」などという低レベルな判断・処置が行なわれたのではなく、削除票、存続票の中身をよく吟味し、検討して、総合的な判断の結果として、④で対処なさった管理者の方は「それぞれの投票時のコメント内容を見る限り、削除が妥当」と判断なさった、ということです。ですから、「④の時点で『削除票が多い→削除が妥当』という解釈」があったかどうかということは問題になりませんし、④の時点での管理者の方の判断には「糾す・糺す」必要のあるような間違いもありません。「削除されるのであれば、削除票が相当な大勢を占めねばなりません。相当な大勢であれば、それはコミュニティのコンセンサスが得られていると考えてもいいでしょう。しかしながら、そうではない。であれば、削除ということでコミュニティのコンセンサスが取れていない状況であると考えるのが妥当です」とのご意見については、結局のところ、Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは多数決主義ではありませんから見た場合に、意地悪な言い方をすれば「全有効投票数における削除票の占める割合がある一定量以上でないと『削除』という判断を下せない」ということになってしまいます。そもそも、「削除票が相当な大勢を占めねばならない」とする根拠が不明です。ウィキペディアでは票の数でコミュニティのコンセンサスが得られたかどうかが決まるわけではありません。投票の際に、どのような理由を述べるか、が重要なのです。ぶっちゃけた話、仮定の話として「方針文書・ガイドライン文書と照合した上で、具体的に理由を述べた削除票5票」と「個人的・主観的な理由を述べているだけの、適当な理由付けの存続票5票」があったとした場合、表面的には「票が同数」ですが、これは「存続」以外では判断できないということなのでしょうか。そういう事ではないと思うのですが・・・。「多数決ではないんです、コミュニティのコンセンサスが得られているかどうかなんです」との仰せですが、一連のコメントを拝見する限り、「削除されるのであれば、削除票は相当な大勢を占めねばならない。大勢を占めていなければ「削除が妥当」とするコンセンサスが得られたことにならない」という意見は、削除票を不当に軽く扱うものであると思います。その理屈ですと、「票の中身を検討する必要性」が度外視されているように感じますし、何よりもまず、「削除票と存続票の扱いや重さに極端な差をつけている」ように感じますが、ウィキペディアにおける「票」の重みは、「投票時のコメントの中身」によって決まるのであって、「削除票だから軽い」「存続票だから重い」というわけではありません。削除票が相当な大勢を占めていたわけではないことをもってコミュニティのコンセンサスが得られていないとするのはかなり無理があるのではないでしょうか。投票時のコメントの中身や説得力次第では、表面上の票数とは関係なしに、票数が少ない側(④のケースだと、「削除」側)の主張が通るケースもあるでしょう。しかし、④のケースでは残念ながらそうではなかった、ということでしょう。長文失礼いたしました。(結局のところ、「④の判断は誰が何と言おうと間違っていた。④の削除処置を糺し、正すために、記事を復帰すべきだ」ということなのでしょうか)--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 08:18 (UTC) コメント そういうあなた自身が存続票の存在を不当に軽くみているとしか思えません。中身中身と仰いますが、一体どこで削除票には中身があり、存続票には中身がないということがあきらかになったのでしょうか。存続票に中身がないといっているのはあなた個人であってコミュニティはそのような判断はくだしていません。くだしていない以上、双方の見解票は同等の重みをもって扱われるべきでしょう。なお、「正す」「糺す」論については本論とは無関係なため割愛させていただきます。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC) 返信 (BlueSkyWhiteSunさん宛) 票の「中身」は管理者の方が判断材料としてよく読むわけです。そして、その結果として、記事は削除になったり存続になったりする、ということです。私は「存続票に中身がない」とは一言も申し上げておりません。強いて言うならば、存続票が削除審議に与えた影響力の結果は、管理者の方々のご判断(処置)に現れているのではないでしょうか。なお、「(存続票の中身についての判断をコミュニティが下していない以上)双方の見解は同等の重みを持って扱われるべき」とおっしゃられていますが、そうであれば「(削除票の中身についてもコミュニティが判断を下していない以上)存続票と削除票は同等の重みをもって扱われるべき」ということです。ということは、「削除されるのであれば、削除票は相当な大勢を占めていなければならない」という意見は説得力を失います。なぜなら、票の重みについていかなる予断もないはずの状況で、最初から「削除票は相当な大勢を占めていなければならない」(語釈に忠実に言うならば「削除票は議論において相当な力を持つ中心勢力・メインストリームとならねばならない」となるでしょうか)とすることは妥当性がないからです。「相当な大勢を占めない限り、『削除票』を投じても記事は削除にならない」ということであれば、存続票に比して、削除票がクリアすべきハードルが高い(「相当な大勢」を占めねば考慮されない)という状況を招きます。しかしながら、「双方の見解は同等の重みをもって扱われるべき」であるおっしゃれたということは、「削除票は相当な大勢を占めていなければならない」という見解は撤回又は否定されたものと考えられます。なぜなら、「削除票の側だけ、クリアすべきハードルが高い」ということはなくなるからです。(翻って、存続票について考えた場合、存続票も「存続の為には、存続票は相当な大勢を占めねばならない」とお考えなのであれば、まだ話はわかりますが、一連のコメントを拝見する限りはそのようなお考えは読み取れませんでした)--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 11:06 (UTC) あー、ごめんなさい。同等に扱われなければいけないのは「双方の見解」ではなく、「双方の票」ですね。これはわたしの2013年6月30日 (日) 10:54 (UTC)のコメントを読んでもらえればわかると思います。それと作成された記事はWikipediaでは存続が基本です(誰でも勝手に記事作成はできますが、誰でも勝手に記事削除はできませんよね)。記事に対して削除すべきというのであればそれ相応の根拠がなければいけない。その根拠をまとめたのが削除の方針です。削除の方針を適用するためには根拠を述べて審議を通さなければいけないのです。なかでも削除方針ケースE(特筆性)は立証が難しい、というかほぼ不可能。であるならば、コミュニティの大勢を以って判断するしかないわけです。それが最前から繰り返しているコミュニティのコンセンサスです。もし、コミュニティの大勢が一致していない場合、つまりはコンセンサスがない場合、ケースEについては削除主張者は根拠立証不可であり、作成された記事は基本存続の原則に立ち戻るわけです。つまり、「存続の為には、存続票は相当な大勢を占めねばならない」ということはないのです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 11:36 (UTC) コメント 私はもう、この事件に関連する議論はもう疲れたのであまり参加したくないのですが、会話ページにお知らせがありましたので、お知らせがあったら必ずコメントする義務はないのですが、一応コメント残しておきます。あと機種依存文字である丸囲み数字は代替できる時には使用を控えるべきかと思いますが・・・。 まず私からすれば、②の削除措置は私個人としては問題のない事だと思っていましたが、まぁ仮に合意が取れていなかったとしましょう。そのための③があり、現に復帰しました。私からすれば、復帰する合意も取れていないので、削除の合意が得られていないとする意見に対して復帰の合意が得られていない意見が出なかったの不思議なのですが、復帰依頼で十分な人数と期間を持って議論をすべきという意味合いがあったのかもしれません。では、その間で特筆性を有する資料をどなたか提示したでしょうか?私は無かったと考えています。特筆性が「ない」の証明は複数の状況から総合的に判断するしかないですが、特筆性が「ある」と証明するのは、たった1つの資料を提示すれば済むことです。それを悪魔の証明というかヘンペルのカラスというかは分かりませんが、そういうことです。 なお、⑤に関しては論外です。仮に前の復帰依頼で削除の合意が得られていなかったとしても、それは復帰の合意が得られている事と同義ではありません。議論を無視した復帰は方針に反します。したがって⑥の削除は全く問題ありません。 そして⑦についても問題ありません。というか、この議論もほぼ同義かと思います。④の削除でも言われていますが、記事の復帰にはこれまでに挙げられたもの以外の、全員とは言わずとも10人中8人くらいが「この事件には特筆性がある」と言える資料を提示すべきです。私はこの議論に対して最初から削除派を貫いていますが、そのような資料が提示されれば考えを変えますし、提示されても尚考えを変える気がないと判断するのでしたらいつまでも納得しない人としてコメント依頼を提出するなどの事は構いません。ですが現状では、はっきり言ってしまえばそういう現状を変えるような客観的な根拠を提示せずに復帰に固執する方が納得しない人に該当するのではないでしょうか?そして、各議論で「削除票と存続票は拮抗している」という意見が散見されますが、多数決主義ではないという方針は何度も述べられていますが、仮に票数を数えるとして、存続票のどの程度が中身の濃い、具体的な意見を述べていたでしょうか?依然出た意見とかぶるものもありますが、存続票が多いのに削除を断ずるのは不当だという意見は、中身の濃さを見ずに存続票と削除票のそれぞれの重さをないがしろにする意見かと思います。 --Kiruria281(会話) 2013年6月30日 (日) 08:33 (UTC) コメント 票の中身論については上にコメントしましたので割愛します。特筆性においての削除(削除ケースE)やその他の削除ケースは、削除要件によって削除を行うものです。そして、そのケースに該当しない場合、多くの記事同様、存続が適用されるわけです。削除を訴える側は自らの主張にともない、削除要件を立証する必要があると理解します。立証が不可能であれば削除を申請することは不可能です。ケースEについてはもっとも立証が難しいものでしょうが、コミュニティとして記事の特筆性がないという判断がくだれば、立証に代えることも可能でしょう。コミュニティとしての特筆性がないという判断、すなわち、コミュニティのコンセンサスが得られるかどうかが、ケースEの適用是非を決定するということになると考えます。しかるに本件の数次にわたる投票がなされている現況を顧みれば、コミュニティのコンセンサスが得られていないのはあきらかです。それを問うているのが本議論です。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC) コメント 私は②には参加してませんが、読み返すと④の時以上に、②の存続票が酷過ぎるなと感じました。5対4と言ってもスピード違反の論理な意見が二つにそれと同調する意見だけでは、他の削除票と同価値と呼べるものではないでしょう。②の時点で削除で決着ついたと言わざる得ないでしょう。その後状況の変化があったわけでも、加筆されたわけでもない④の削除が正当か不当かなんて論じるまでも有りません。⑤⑦に至っては問題外でしょう。加筆さえされて充分量の内容になったのであれば、復帰に協力でもしますが、現時点ではあり得ない話です。--あな34(須魔寺横行)(会話) 2013年6月30日 (日) 09:25 (UTC) コメント 票の中身論については上に述べましたので割愛します。充分量の内容というのはどの程度の量か、具体的にご提示いただけますか。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC) コメント 論点を整理します。ケースE(特筆性)による削除は立証は難しい(これは削除側にとっても存続側にとっても同様)、したがってコミュニティのコンセンサスを以ってその有無を判断せざるを得ない。本件については長期にわたってその特筆性の有無が審議されており、直近の正常審議の行われた④の投票においてもコミュニティとしてのコンセンサスが得られている状況ではない。票の中身云々については立場によってお互いが相手の票の中身を判断して良いものではなく、基本的にその票の重さはいずれのものであっても同等に扱うべきである。なお、わたし自身の特筆性を有りとする論拠は日本では稀有(初?)なヘイトクライムであること、外部のニュース媒体からWikipedia編集に関して報道があった、こちらも稀有(初?)なケースであることです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:54 (UTC) コメント 二度同じことを言うのもなんですが、削除の方針について日本語版のベースとなっている英語版では利用者各自が方針に則り削除すべきか存続すべきか意見しその審議内容から削除者・管理者が判断するようです。日本語版でもWP:DP#CLOSEに『意見が拮抗している、その他技術的な理由等により、終了判定と削除実施が遅れることがあり
ある雨の日に出掛けようとしたとき、初めて異変に気がついた。
地味な傘ばっかりささってる傘立てを華やかにしているはずの一本のピンクの日傘がそこにない。
何故?いつから?ここじゃない家の中のどこかにあるのか?
ないと困る。母親に買ってもらったそれなりの値段がするブランドものの傘である。
失くした?いつ?どこで?
申し訳ない気持ちや、怒られる恐怖や、喪失感、
何より失くした事にすら今まで気がついていなかった自分の脳みそにただ、ただ絶望する。
何故こんなことに。
いつどこで失くしたかもわからないものが、見つかるとは思えない。
もうダメだ。
とりあえずブランド名で検索、財布やら何やらは出てくるけど傘の情報はほとんどないし、
もうダメだ。
この不良品で使い物にならない脳みそをもう一度使って考えてみる。
何処で失くしたか。
基本的に折り畳み傘を使うし、自転車での移動が多い。
この3つが忘れる可能性が高いと思われる。特に前二つが可能性として考えやすい。
最寄り駅沿線が一番可能性が高い。
鉄道会社のホームページを見ると3日保管後、警視庁遺失物センターに保管されるとある。
警視庁遺失物センター…どこで落としたとしても最終的にそこに集まるのか?
だとしたら最初からそこに問い合わせれば事足りるのではないか。
なんせこの大都会東京のあらゆる場所からの遺失物が集まるところなんでしょ??
傘なんて何万本あるんだ?
もう一つの可能性、よく使うバス会社のホームページを見てみる。
遺失物は営業所で保管。営業所は近いぞ!とりあえず営業所に行ってみるか近いし。
窓口が非常に狭い。客が2人いたら満員である。
窓口のお兄さんに用件を伝えると奥にいったっきり暫く出てこない。
「いつ頃失くされました?」
「色は?」
「ピンクです」
ああ、ごめんなさいごめんなさいもういいです諦めます
「あの、ない、ですよね?」
「いや…」
(いや?)
「一件だけそれっぽいのがあるんですよね。骨は多いですか?」
骨の本数なんて覚えちゃいないが(聞かれるとは思わなかった)
「なるほどね」
骨の本数なんて記録してるんだろうか。特徴のポイントとしては盲点だった。
「30日に届けられたもので、日傘じゃなくて普通の傘として届けられてるのですが、取手が薄茶色で、リボンの留め具が付いていませんか?」
!!こっちが伝えてない特徴が出てきたぞ!これは期待できるかもしれない。しかし30日って!全然違うじゃないか自分!
「そうです!」
「警察署に届けてあるのですが、結構前なので、さらにそこから飯田橋の遺失物センターに送られてるかもしれません。とりあえず問い合わせてください。」
受領番号、管理番号、警察署の電話番号が書かれた手書きのメモをくれた。ありがとうお兄さんありがとう。
しかしこれが本当に私のものじゃなかったら?また振り出しに戻る事になる。まだ喜べない。
ここは電話するスペースもないし、天気も悪かったから、駅まで行ってから警察署に電話をかけてみる。
若い女の人の声で、たどたどしく対応してくれた。即刻伺うことにした。
警察署に行くのは免許証の住所変更のときに来て以来である。確かに遺失物コーナーみたいなのがある。
ほいさ、と出てきた傘は私が求めていたそれである。おまえこんなところにいたのか!放っていてゴメンよ!
遺失物届出書っていうのと、受領書っていうのの2つの書類を書かされた。
この遺失物届出書っていうのを書くのがまず最初にやるべきことだったのかもしれない。
やがて雨が止み、傘を2本持って街を歩くボケ女の姿がそこにあった。
我が家の傘立てに華が戻った。
id:kawapara3 さんへ
無断転載ってなに?ってことですが
著作権法で許可された転載可能条件から外れた転載になると思います。
ウィキペディアによると
転載可能条件とは
日本の著作権法では、出所を明示すれば著作権者の許可なしに自由に転載してよい著作物は、以下3つのみである。
説明の材料として使う場合に限定して「国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物」(著作権法32条2項)
「新聞紙又は雑誌に掲載して発行された政治上、経済上又は社会上の時事問題に関する論説(学術的な性質を有するものを除く)」(著作権法39条1項)
同一の著作者のもののみを編集して利用する場合を除き、公開して行われた政治上の演説又は陳述及び裁判手続(行政庁の行う審判その他裁判に準ずる手続を含む)における公開の陳述(著作権法40条1項
らしいです
自分の定義としてもうちょっとざっくり言えば、は著作権保有者に無断でコンテンツをそのまま使用する行為ということを指しています。
主治医と話して原因を探ると、仕事もそうですが、嫁さんの実家も原因の一つです。
嫁さんの実家ですが、義父は大手上場企業を定年退職。それなりの退職金と年金もありますが、いまは経済的に大変です。
退職後、素人がネットで株を売買して大きな損失。海外旅行とゴルフで散財。
長男の経営する小さな会社に、名義だけ役員になり、借金の保証人となるも、長男が若年性痴呆になり、会社は解散。
役員に名前はあるものの、財政を見ておらず、解散する際には多額の借金だけが残ります。
会社の財政確認、借金の整理、離婚手続き、成人後見人の申請、その他の手伝いをさせられ、そのうえ借金の一部肩代わりまで頼まれました。
さすがに肩代わりは断りましたが、借金の原因の一部が自分たちにあると思ってはおらず。
毎月借金を返してはいますが、元金が減るほど返済できているとは到底思えません。
いまでも毎月問題を起こしては、自分たちでは解決する気持ちもなく、嫁さん経由で私にいってきます。
こちらの都合はお構いなしに、嫁さんと実家にいき、問題を解決するのは大変です。
そのうえ、それを「あたりまえ」と思っているので面倒をみきれません。
嫁さんの両親になにかあったら、相続放棄で借金問題は片付いても、痴呆になった嫁さんの弟も面倒は残ります。
それだけ次々と問題を起こしても、「解決してもらってあたりまえ」と思っているのが理解できません。
前のエントリー(『携帯電話の料金体系複雑杉ワロエナイ』): http://anond.hatelabo.jp/20130916151129
上記エントリーに対するご質問: http://anond.hatelabo.jp/20130916170902
以下、ご質問に対するご回答。
質問者が欲しい情報は「iPhone 投げ売り」でググればたくさん出てくる。
このエントリーでは昨日(2013/09/15)私が体験したことを書く。
販売店は「No. 1 SHOP!」 23区内。
販売店の兄ちゃんは、
ホワイトプランR(i) 980円
S!ベーシックパック(i) 315円
にまず入ってくださいと私に言った。2年縛り。
このうち「ヘルスケア」は2年間無料。更新月にタダで解約できる。
「バンバンのりかえ割(SoftBank HealthCare特典)」を利用するためにこれをつける。
この特典のおかげで3万円キャッシュバックが可能になるらしい。禿からキックバックがあるのか、そこらへんは闇深くて分からない。
上の合計は6,755円。諭吉はカウントしてない(このあと出てくる数字にも3万円のキャッシュバックは反映させてない)。
初月はこれに事務手数料が加わる。MNPの両キャリアで5,250円(禿3,150円、au MNP転出手数料2,100円)。私はau更新月だったから違約金なし。
都合、12,005円。
2ヶ月目はバンバンのりかえ割でホワイトプランR(i)980円が無料。月月割が-1,680円×24回。
そろばんを弾くと、4,095円/月。
でも、販売店の兄ちゃんは「『パケットし放題フラット for 4G LTE』は3ヶ月目以降なら『パケットし放題 for 4G LTE』に切り替えられる」と言った。
『パケットし放題 for 4G LTE』は2,100~6,510円。
私はiPhoneをWi-Fiのみで使うから、2,100円で済む。
でも、データ通信プランを変えるとのりかえ割がなくなり、ホワイトプランR(i)980円の無料はナシになる。あと、月月割の額も-1,680円から-1,260円になる。
整理すると、
ホワイトプランR(i) 980円
S!ベーシックパック(i) 315円
パケットし放題 for 4G LTE 2,100(~6,510円)
月月割 -1,260円
となり、3ヶ月目以降は2,135円(あとユニバーサルサービス料が3円)であいぽんが使える。
それと契約時、細々とした有料オプション(あんしん保証パック(i)プラス、iPhone基本パック、Yahoo!プレミアム for SoftBank、チャリティホワイト、UULA)に強制加入させられる。
でも、こいつらは違約金ナシで即日解約できる。UULAは1週間、Yahoo!は2ヶ月、残りは1ヶ月無料だから、1週間以内に解約手続きすれば負担ゼロ。
ただ、チャリティホワイトの10円は初月だけ払う(だから上述の初月負担額は、厳密に言うと12,015円)
以上が販売店の説明。
で、この即日解約可能オプション群を、ソフバンのサイト(My SoftBank)で解約しようと思ったら、なぜか「あんしん保証パック(i)プラス」だけ切れない。
あとは先のエントリーに書いた通り。代理店行って、不毛なコミュニケーションを1時間して、料金プランが3円/月になった(2ヶ月目から。初月負担額は販売店説明と同じ)。
3円/月になった経緯は需要あったら書く。
おい、禿! このエントリー見てるか! つーか見ろ! 代理店も販売店もユーザーも疲れきってんだよ!
※追記※
補足:『携帯電話の料金体系複雑杉で、どいうわけか3円/月プランになった』 http://anond.hatelabo.jp/20130916204854
余計なお世話かもしれないがアドバイスする。精神論じゃなく単純な手順論だ。
まずいきなり正社員を目指すな。最初は派遣社員か契約社員でいい。探せば誰でも入れるような仕事が山ほどある。
必ず「社会保険完備」のところだ。だからアルバイトは絶対するな。あとさ「作家になりたくて活動をしてた」というとき、嘘でもいいから何作出版者に持ち込んだくらいは言うといい。
で、石にかじりついてでもこれを半年勤め上げろ。そうすれば失業給付を受ける資格が手に入る。
有期契約労働っていうのは大抵、最初の契約は半年なんだ。だからこの時点で「契約を更新しない」を選ぶ。
そうすると、待ち時間ほとんどなしで失業給付3ヶ月が手に入る。これが有期契約労働の旨みだ。
そして失業給付を受けながら、公共職業訓練校について調べまくれ。そしてお前が身につけたい技術を身につけられる学校へ入学するんだ。
すると、失業給付が卒業まで延長される。働いてたときの3分の2ほどのお金をもらいながら学校に通うことができる。半年以上カリキュラムがある学校がいいぞ。
できるだけ理系の方が選択肢は広がる。手に職系とか。まだ20代なら学校に来る求人で就職できる可能性もある。
この辺の手続きもよく調べて、かつハローワークでよく打ち合わせて手続きをしろ。
ここまでで1年~1年半ほどかかるだろう。だが1年前とは自分の能力、自信、「どの業種を狙うか」が全然違う。
もちろん、だからといってスムーズに就職が決まるとも限らない。断られるたびに自尊心は大いに傷つくだろう。
しかし1年前よりはマシになっているのだ。
…
会社員生活は甘くない、つらいと思うかもしれない、合わないと思うかもしれない。
グッドラック。昔の俺。
罪を犯して罪を償うのは、当然のことです。では、犯罪者から命を奪えば、彼(ないしは彼女)は「罪を償った」ことになるのですか?
それで「イイキモチ」になるのは、ハッキリ言えば事件に関係のない第三者だけではないですか? いい気味だ、ざまあみろ、自業自得だ、正義は為された。…etc。そんなことで、被害者の心は本当に癒されるのでしょうか?
大阪教育大附属の児童殺傷事件の犯人、宅間守は、「死にたかったが自殺する勇気がなかった」「死刑になれる相手なら誰を殺してもよかった」「子供をねらったのは殺しやすかったから」そして、死刑判決が出て、遺族に何か言うことがあるか、と聞かれ「あの世でもう一回お前らの子供を○してやるわケッケッケッ」…という趣旨の発言をしたそうです。
こういう人間をただ殺して、それで遺族は本当に心が癒されたと思いますか?
日本社会では、問題が起こると、当事者が「責任をとって辞職」したりします。しかし、それは本当に「責任を取った」ことになるのでしょうか。
特に、事故など、今後の対応が重く、長く、苦しい、果てしないものになることが想定されるとき、そんな対応から逃げ出したくなっても無理ありません。そんなとき、「辞職したから責任取った」と得意気に言われると、むしろ殺意が湧きませんか? それはむしろ「無責任」の一形態に過ぎないのではないでしょうか。
私が死刑などやめた方がいい、と思うのは、それが無意味だからです。本当の意味で「罪を償わせる」ためには、生かして、生かして、長生きさせて、どんなに苦しくても一生をかけて自分のやったことと向き合わせる。「償う」などということが実際に可能であるか否か、それは分かりません。しかし「罪を償う」などということが、もしできるのだとしたら、そういう地道で苦しいやり方の中にしかあり得ないと思うからです。
よく主張される「死刑は見せしめとして役に立つ」という意見。ですが、これまで死刑が廃止になった国で、凶悪犯罪が増大したというデータはないので(むしろその逆です)これは否定されます(※)。死刑に「犯罪抑止効果がある」という意見にはエビデンスがない。また、死刑には、受刑者本人に対する教育的役割(刑を受けることで、罪悪感を感じ、社会復帰への道が開ける)がないことは明らかであり、経済効果についても、無期刑に比べてコストが安いということも無いのです(人を監禁して殺す、というのは簡単なことではありません。そのための特別の施設、管理者、担当者、手続き……様々に膨大なお金がかかっています)。
更に、よく言われることですが、死刑は不可逆であるというその性質から、冤罪が発生したときに取り返しのつかないことが起こりかねない、もっと言えば、取り返しがつかないだけに「『取り返さないでおこう』という圧力が発生する」という危険も指摘できます。
死刑制度には、合理的に見ればこれだけの問題があり、普通に考えればむしろ「無くす」のが当然の立場なわけです。ご理解いただけたでしょうか?
それでは、次の問題。これだけ問題のある死刑制度が、アジア圏で根強く残るのはなぜなのか? これを考えてみたいと思います。
死刑を残す国々(日、韓、中など)は、どれも同程度に人権意識が低いのでしょうか? これらの国々は、民主主義的にみせていても、その実、全体主義的な管理社会だからなのでしょうか?
…
いろいろな理由は考えられますが、私は、これらの社会が、依然として「家、一族」を基盤とする封建制社会の気風を残しているからではないかと考えています。
「家、一族」を基盤とする封建制社会は、「個人」に対する毀損を、「一家、一族」に対する毀損と見なします。「個人」を基盤とする社会にも、もちろん特定の個人との絆からくる個人的な「復讐」は発生するわけですが、「家、一族」を基盤とする社会では、「個人」に対する毀損が「家、一族」あげての「復讐」、つまり「敵討ち」を引き起こしかねない。だから、これらの国家で秩序を保つためには、国民が勝手に「敵討ち」をしないようにする…つまり「公権力による敵討ち代行」を、制度として保証するしかない。それが、これらの国における「死刑制度」の意味なのではないか。
「日、韓、中」が、近代社会における刑罰としての「死刑」制度に合理性がないと分かっていながら、その廃止に踏み切れない理由は、これらの社会がもつ潜在的な「敵討ち」の論理のせいであり、これらの国で国民に死刑が支持されているのは、依然としてこの国の人々が「敵討ち」大好きだからなのではないか、と思っています。
従って、核家族化が進行し、家族関係が欧米化していけば、いずれは日本でも、死刑は廃止されるのではないでしょうか。ごく自然の流れとして。そうなっても不思議はない、と私は考えています。少なくとも、死刑を廃止した国々が「人の命を軽んじている」わけでも、「罪を償わせるシステムをもたない」わけでも、被害者を軽んじているわけでもない、ということさえ理解していれば、死刑廃止論というのを、まるで非現実的な論のように批判するのがおかしいことは、理解できるはず。そこで考えるべきなのは、「なぜ他の多くの国と違って、これらの国では死刑がなくせないのか」です。
(6)終わりに
死刑廃止論を感情論だと決めつけて、叩く。そういうのを「案山子論法」と言います。相手の実体でなく、自分が勝手に想定した案山子のような無力な「敵」を相手に、(自分の中では)華麗にワン・ツーを繰り出し、ノックアウトする。気持ちいいかもしれませんが、それはただのオナニーです。
死刑廃止論を批判するなら、もう少し死刑や法律、社会に関する勉強をしてからにした方がいいと思います。
追記
※参考:抑止効果という神話 http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20070901/1188667970
いわくアイツは○○大学を出たのにプライドばっかり高くって真面目に仕事をしない、覚えが悪い、コミュニケーション能力が低い。
真面目で素直でやる気が人材を、自社で真っ白から育てるのが最高!
いくつも面接を受ける必要のある最近の就活は、「負けた感」を抱かせがちです。
特に高い学歴を持っている人物は「もっと上」を目指していたかもしれません。
経験の積み重ねは一朝一夕では買えないので、自社の事を知り尽くした人材は得難いものだとも思います。
これ実体験として感じる事なんですが「中の人」向けのモノってどんどん外からやって来た人には使いにくくなるんですよね。
人間の慣れはすごいモノなので、どんなに使いにくいモノでもそれが日常的に使うものなら不自由なく使えるようになっていってしまうのです。
特に真面目で素直でやる気のある人は、しっかりメモを取って頭と手で覚えていくでしょう。
アレを知っているのはAさんで、あの資料はどこそこに在って、独自の手続きCを踏んで……
外の人から見たらちんぷんかんぷんなものがドンドン出来てきて、それを皆で粛々とやるわけです。
バッドノウハウをどんどん作って、どんどんそのノウハウを身に着けていき、無駄なことを効率的にこなす組織が出来上がっていくわけです。
そういった組織で新しい人ができることは何もありません。誰にでもできる雑用をやりながら少しづつ先輩からそのノウハウを学んでいかざるを得ないのです。
・冷静に考えれば不味いよ腐ったしくみ
新しい人が慣れるまでに時間がかかる仕組みがよくない事は明らかです。だって、新人が「仕事」をできるようになるための時間が増えて、その分の労働力が無駄になるわけですから、単純な損失です。
そして、もっと不味いのはこの腐ったしくみは、一度腐ると腐る一方になりがちだという事です。
なぜか、
そこにいる偉い人たちはその仕組みに慣れ親しんできたわけで、何年もかかってそのノウハウを身に着けたのです。
そうすると、そのノウハウを捨てる事には無論抵抗があります。その上、いくら便利な仕組みでも、転換にはコストがかかります。
そうして、腐ったしくみを維持すると、どんどん転換は困難になって、その腐った仕組みを真面目に苦労して身に着けて来た人が増えていくのです。
その組織の中でしか評価されないような仕事ばかり身に着けるのは労働者にとってももちろんリスキーですが、会社にとっても恐ろしい事です。
まず無条件に教育コストが掛かる。人材の代替が出来ないから長時間労働化が進む。
組織は腐り続けても人は成長し続けられませんし、もっとも成長する若いうちに腐った環境への適応を求められるからです。
実は、見方を変えると、彼らがおかれている環境の方が腐っていたということはありませんか?