やっと気持ちが落ち着いてきたので書く。
休日中、近所のコンビニへふらりと寄った時、気づいたらポケットの中に財布がなかった。
運転免許証、健康保険証、キャッシュカード、クレジットカード、四万円近い現金……全部失った。
関係各所に電話をかけまくり、休日の大半を使って怒涛のような時間をさらに失った後、財布にあと、何が入っていたのか書き出したメモを見ながらふと、がま口の裏に長いことお守りを入れていたことを思い出した。
あのお守りも、もう戻ってこないかもしれないんだ。
視界がみるみる歪んでいった。お金は稼げば、戻るし、運転免許証だって手続きがめんどくさいだけじゃんね。そう、内心粋がっていた心がみるみる崩されていくのが分かった。
お守りといっても神社で貰うそれではなくて。とある漫画の切れ端なのだけど。
中学時代、初めて出来た悪友に勧められて漫画を読むようになった。様々な漫画を読んだけど、その漫画に影響されて二人でたった五分のために映画館まで行ってしまった作品は一つしかない。
あずまんが大王だ。
とある女子高生らの三年間を描いた作品に、その個性豊かな面々に面白いほどはまった。連載と作中の時間の流れが同じだったこともあるかもしれない。
あれは、作中では高校三年の終わり、僕らは中学二年でそろそろ受験を考え出す時期だった。
大学受験の合格者発表の掲示板の前に、ちよちゃんという天才キャラクターが三馬鹿トリオのお守りに念を込めた。
たわいもない四コマの左側には
「このページを切り取ったら、ちよちゃんのご加護があるかもしれない。」の煽り文句。
編集部の方が勝手に入れたのかもしれない。だが、自分たちは本気で信じた。
そのページを大切に切り取ってお守りにしようと誓い合った。
地元の志望校に二人進んだ後も、クラスは違えど、部活は同じでいつもつるんでいた。たわいない話をする中で一年に一回ぐらいはなんだかんだと思い出す日があって、財布からお守りをどちらからともなく取り出して、当時すでにヨレヨレになってたそれに笑いあった。お守りさえあれば、全てを乗り越えられる気がした。
お守りなんて、何の効果もない。そのことを知ったのは、皮肉にも大学受験の時だった。
大学へ上がって何度か会う機会はあったけど、もうお守りについて、話すこともなかった。
研究室に入る頃、機種変したときにうっかりデータを消して知人の実家の連絡先以外分からなくなった後、連絡がぷっつりと途絶えた。それでいつまでも関係にこだわっていたのは自分だけだったとやっと気づいた。
それから何年も経ったが、相変わらず自分は財布にお守りを忍ばせていたわけだけど、財布と一緒に消えてしまった。コンビニにジャージ•サンダルで出かけた足で。もうそれだけの価値しかあれにはなかったのか。幕切れのあっけなさを、理性は関係ないと否定するが、感情が追いつかない。左脳と右脳に綺麗に分かれていれば、イルカのように休めるのに。