はてなキーワード: 忠告とは
あの男は頭の天辺から足の爪先まで、自己中心的な話しかしていないんだ。
そりゃあ、「自分を変える」ハウツーなのだから筋は通っている。
俺だって自分の都合を優先させることはあるから全否定はできない。
だが現実問題、その他の諸々を甘く見積もったり、そもそも無視しようってのはキツくないか。
自分次第でどうにかなることなんて、多いようで少ないんだから。
それが多いと思っているならば、ほぼ「好きに、楽に生きよう」と言っているのと同じだぞ。
そんなことを肯定的な表現で、色とりどりに飾り付けるのは欺瞞な気がする。
「自信を持つのです。あなたたちの成功も失敗も、全てはあなたたちのものなのですから」
これも良いセリフのように感じるが、言い換えれば「お前らが成功しようが失敗しようが、こっちは知ったこっちゃない」ってことだ。
「『よく学び、よく遊べ』…… いいですか、『よく学び、よく遊べ』です。 声に出すことでより効果があります。『よく学び、よく遊べ』!」
同じことを三回続けて言いやがった。
こうしてセミナーは小一時間ほどで終了したが、実際はそれよりも長かった気がする。
セミナー終了後、会場に陳列された関連書籍やグッズの前に受講者がゾロゾロ集まっていた。
金欠の弟はそこに並びはしなかったものの、以前に買わされた本を返す気は完全になくなっているようだ。
「『よく学び、よく遊べ』!」
「どうだった、兄貴。意外と悪くなかったでしょ?」
「んー、俺にはあまりピンとこないなあ……」
良くなさそうなものもポジティブに捉え、些細なことは気にするなとエネルギッシュに語る。
「俺、将来は“ああいう感じ”になれたらいいなあ」
とうとう、こんなことまで言い出した。
我が弟ながらチョロすぎだろ。
「1冊の本と、1時間のセミナーだけで、そこまで決めてしまっていいのか?」
その時になって、俺はようやく弟に直接的な忠告をした。
上手く言えないが、強い危機感を覚えたんだ。
「“ああいう感じ”になりたいというが、あれは人格を無責任に矯正して、体よくモノを売りつけているだけだぞ。誇れるような仕事じゃあない」
だが漠然とした危機感のまま意見したところで、それはイチャモンにしかならない。
弟の自我にまで踏み込めない以上、瑣末なことを指摘して屁理屈を捏ねても納得するわけがなかった。
「兄貴の考える“誇れるような仕事”が何なのかは知らないけどさ、犯罪でもないのに他人の仕事をなじるのはどうかと思うよ。自分が理解出来ないもの、気に入らないからものを否定するのは“誇れる事”じゃあないだろ」
そうして数日後、セミナーがまた開かれる時がきた。
「前は話をマトモに聞いていなかったから、今日はちゃんと聞いてみようと思う」
もはや弟は本を返品するかどうかという段階ではなく、なんならサインでも書いてもらおうって勢いだ。
「それにしても、兄貴までセミナーに来るとは思わなかったよ。あんまり良く思ってなかったのに」
「まあ、目につく部分だけで決め打ちするのもどうかと思ってな。実際にちゃんと咀嚼してから批判することにした」
「批判前提かよ」
そうは言ってみたものの、自分がどう立ち回るかは決めかねたままだった。
弟が何を拠り所にして物事を考え、生きていけばいいのかなんて俺が決められることじゃない。
そう頭では理解しつつも、今の弟に対する不安感は漠然と胸に残り続けていた。
しかし、この感覚を公正に言語化できない内は、俺が弟に忠告できることはないに等しい。
この場に来ていない両親も口には出さないが、たぶん似た感じだろう。
弟に何かを言おうとして、結局は何も言わないという仕草を数回ほど見たことがある。
自分の子供が、たまたま遭遇した自己啓発にのめり込んでいるんだ。
それでも理性と親心の狭間で揺れ動き、自分の子供に下手な忠告が言えない、といったところか。
セミナーを確認しに来なかったのも、場合によっては耐えられる自信がなかったからかもしれない。
会場に来てから10分ほど経ったとき、壇上に一人の男が現れた。
「みなさん、こんにちは。はじめましての方は、はじめまして。セイコウです」
あれがあの本の筆者か。
俺のクラスメートにはタイナイっていう意識の高い奴がいるが、それの進化系みたいな物腰だ。
格好は無地の服を着ているだけでシンプルだが、色合いが強くて、しかも上下を揃えているから逆に目立つ。
「今回も様々な話をしていきたいと思いますが、その前にまず思考をクリアにするため、みんなで頭の体操をしましょう」
書いている奴が同じだから当たり前だろうに、なぜか弟はそのことが嬉しそうだ。
「目を瞑って、呼吸を整えましょう。リラックスして、精神統一」
弟含め、会場にいる人間たちは言われたとおりに実行した。
俺は気乗りしなかったが、一人だけ目を開けたままじゃ目立ってしまう。
仕方なく細目にして、こっそり周りを観察することにした。
「さあ、自分自身をイメージして、喋らせてみましょう。そして耳を傾けて」
男の言ってることは、意味が分かるようで、イマイチ分からない。
だが周りの反応を見る限り、そう思っているのは俺だけらしい。
「自分を変えるために必要なのは、まず今の自分を知ることです。そして今の自分が何を求め、何が不満なのか洗い出していきましょう」
自問自答しろって言いたいのだろうか。
「それが自分にとってどれほど負担であるかを、ひとつひとつ数値化してみましょう。それで高いと思ったのならば、それはあなた方にとって必要のないものです」
そんな調子で、男はゆったりとした口調で色々と語っていく。
「お腹が空けば食べ物が必要ですよね。その食べ物は、できれば美味しいもののほうがいいでしょう? そして美味しいものとは、あなたにとって好物でもあるはず」
だが、その内実はシンプルだ。
役職付きが改造に関してあれこれ怒るくせに、こちらは開発は止めたほうが良いと思いますよって言って忠告してても全く聞き入れてもらえない。
MOD云々に怒りを漏らすなら、なんでPC版を出そうとするのよ。おかしいっしょ・・・。
何度も何度も何度も言ってるのに自分らで作れ言って、発売後にMODがーふざけんなーとか言われても馬鹿なの?としか言いようがないんだよ・・・。
恐怖の一晩だった。戻れるなら10月31日の午前3時段階に戻り、おっパブへ通じるエレベーターを上がるなと忠告してやりたい。
貯金を積み上げるのには時間が必要だが、崩れるのは簡単だということを痛感した。
本当に、辛い。
なんでもない1日だった。いつも通りに仕事を終え、急遽同期に誘われて居酒屋に行き、楽しく酒を酌み交わした。
いつも通り、なんでもない1日の景色。
二軒目の居酒屋で同期が終電を逃し、我が街蒲田になだれ込んだ当たりから、徐々に不協和音がなり始める。
三軒目、蒲田の居酒屋、深夜1時。2時間ほど飲んで、午前3時。
この時点で相当量の酒量を摂取しており、どだい冷静な判断ができなくなっていたのだろう。
どうせなら女の子と飲みたい。どうせなら、可愛い女の子と飲みたい。
彷徨うまでもなくキャッチに捕まり、選ぶでもなく吸い込まれて行ったのが件のおっパブである。
付き合いで同業態の店舗には何回か行ったことがあった。ある程度金銭の感覚は掴んでいる自信があった。
そこまで極端な出費になることまでは想定していなかった。
女の子がくるなり、酒をねだられる。もちろん、応える。飲んでいいよ、飲んで飲んで。
ショットで飲みほす。すぐ注文する。気がついたら女の子が増えている。
不用意に両サイドから体を弄られ、弄り、酒がなくなったと思えばテキーラ。
午前5時に店を出たらしいが、つれが40万、僕が20万の支払いを行っていたようだ。
時系列ではなんとなく把握しているものの、具体的に店内で何をしたか、ほぼ覚えていない。
ただ、口座から折半して30万ずつのお金がなくなった事実のみがゴロンと転がっている。
さらに言えば、昨日は極度の二日酔いに陥り、予定もオールキャンセルとなった。
たまたま休日だったからよかったものの、胃のなかに何かを入れたらそれがそのまま出てくる、ポンプと化した。
虚無だ。虚無でしかない。
30万も払って、酒を飲んで、何をするでもなく、二日酔いの坩堝に落ちて行った、ただそれだけか。
死ぬこと以外はかすり傷だと思っている。が、まぁまぁ重い傷を負った。
金で解決できることでよかったっちゃよかった。
はてな匿名ダイアリーにおいてパート2というのはアリなのでしょうか…? 文化が分かりません。もし痛々しいようでございましたら申し訳ございません。
以前投稿した記事(https://anond.hatelabo.jp/20190926105149)にて私見を交え自分の持つ症状について解説いたしました。が、「タイトルとイメージが違う」とのご指摘がありそういえば元々は自分の人生について書いてみようとしたのだということを思い出しました。前振りだけでいい具合にまとまったのでそれで良しとしてしまっていました。
というわけで本題の発達障害者である私の自分語りをさせていただきます。自閉症と多動症を持って生まれた私がいかように生活してきたのか、振り返って書き連ねていきます。詳しい症状につきましては省略いたしますので、不明点がございましたら上述の記事を参考にしながらお読みください。
出生の頃から追って話しましょう。さすがに私の記憶は流石に薄れていますが、当時から私が育てるコツのいる子であることは母には察しがついていたようです。
目を合わせて話さない。集団行動ができない。特定のモノに極めてこだわる。このような特徴が見られたようです。もちろんこれらは赤ん坊であるならば持っていても変ではない特徴も含まれますが、私の場合は幼稚園年長くらいまで続いていたらしく「他の子とは明らかに違っていた」と言います。
集団行動の苦手さを表す具体例としては、前回の記事にも書きました幼稚園から脱走していたことが主だったモノとしてあげられます。とにかく放っておくといなくなる。あまりにいなくなるものだから、見失わないように私だけ違う色の帽子を被せられていたり園長先生が抱っこして確保していたり特別な措置が取られていました。「差別的ではないか」と保護者会で話題になったとか。まぁ当の両親は正しい判断であると先生にいたく感謝をしていたようですが。
まぁ幼い子であれば”ひょうきん”だとか”手のかかる子”という表現だけで済むのです。迷惑はかけましたが面倒な問題にはなりませんでした。
ここであげておきたいことが”目を合わせて話さない”という点とそれに対する母の対策です。
子供は成長しながらコミュニケーション能力を身に着け、その一環で「目を合わせて話す」ということの重要さを学ぶものです。大人の真似をし、後々意義を理解するというのが発達の基本ですからコミュニケーション能力もそうやって身に着けるのでしょう。
ただ私はとにかく誰かが話しかけてもそちらの方を見ないし、私が誰かに話しかけるときもこちらを見ない。私には会話中に相手の顔を見るという発想がなかったらしいのです。おそらくですが、やる意味は分からなかったのでしょう。「そういうものだからそうする」とか「みんなそうしてるから」といった発想は私には薄いのです。ゆえに真似をせず、発達が遅れる。この性分が字のごとく発達への障害になっています。
今思えばこちらを見ずに話しかけるサマというのは、やや気味の悪いように見えたことは想像に難くありません。
この悪癖を放っておいたらいけない、と母が実践したことが「とにかく自分から顔を見て話す」ということ。
子は親を見て育つ、それで覚えないならもっと見せていくしかないという発想のようです。とにかくちょっとした会話でもしゃがみ込んで目線を合わせる。呼びかけられたら自分から私と目が合う位置に移動する。意図が分かりやすいよう、たまに口でも「目を合わせて話してね」と言う。母の行動は徹底していました。
そうしているうちに、私は目を合わせて話すようになったんだとか。
つまるところ、覚えが悪い子もちゃんと教え込めば理解できるようになるのです。特に口で言うことは大事です。「こっち見てくれないと誰に言っているのか分からないから」など理由もつけましょう。意義が理解できればやるようになります。言い過ぎると逆効果という例もありますから、難しいところではありますが…。
また今更なのですが、ハッキリ言って私は親に恵まれています。「うつ病ブログ見てたら”恋人が助けてくれて~”とか書いてあった」とか「食費節約の記事見てたら”米は実家から送ってもらって~”とか書いてあった」などに近い事案かもしれません。ご了承ください。うつ病患者にとっての恋人とか、米を送ってくれる実家みたいな存在に自分がなるんだという気持ちで知識をつけることにこの記事が役立ってくれるなら幸いです。
問題が徐々に起き始めるのはこの頃からです。先生から露骨に出来ない子という扱いを受け、いじめを受けたりいたします。もう”ひょうきん”で済む年齢は終わってしまったのです。
実際私は色々なことができませんでした。運動は大の苦手で、漢字テストは毎回落第し、常識はずれな行動も多く、そして正直に色々言い過ぎます。私としては何がなんだか分からないまま先生に怒られ続ける日々でした。本当に何がいけなかったのか分からないので、具体的な問題の例を挙げられません。ただ先生から見たらよほど出来の悪い子だったのでしょう。そんな私がクラスメイトに標的にされるのは自然なことでした。
いじめのトドメになったのは噛み癖があったことです。どうも私は触覚に安らぎを覚えるようで、自分のモノは噛みたくなるし顔にこすりつけたがります。鉛筆他色んな所有物をよくかじっていました。正直言って、これに関してはいじめられる側の原因と言えます。
私に触れることはアウト、私の触ったモノはアウト、しっかり拭けばセーフになる。他の生徒からはそのような扱いを受けていました。
さてまぁ壮絶な過去に見えますが、我ながらこの時期はずいぶん気丈に過ごしています。
まず絶対親にこのことを言いませんでした。というのも、大事な人が傷つくのは嫌だったのです。偉いとか優しいとかではなく、それが破ってはいけないこだわりの一つだったのです。
学校でいかように過ごしていたかと言えば、とにかくクラスメイトに話しかけました。嫌な顔をされたりするのは当然ですし、拒絶された記憶もいくつかあります。
なぜそんなことをしたかと言えば、話していい人と悪い人を判断するためです。クラスメイトが全員いじめに参加していましたが、それが全員の本心というわけでもないのです。心底私が嫌いな人、みんながやっているからいじめに参加している人、実はほぼ嫌悪感を持っていない人など色々います。なんというか、これが分かっていないと学校生活で困るのです。分からないことや授業中など、学校生活では会話は必ず必要になります。ですからこの人は話しかけていい、この人は絶対ダメという判別をする必要があったわけです。給食の配膳なども私が配るものを受け取る人受け取らない人がいるので、それも覚えていた方がスムーズでした。
それで大丈夫だったのかなんて思う人がいるかもしれませんが”私に触ることはアウト”なので殴る蹴るは絶対にされないわけで、だから私もこのような行動をとっていました。ちなみに話しかけていい人にも必ず距離を置いて話していました。これらのおかげで嫌悪感をぶつけられることも減りましたし、触らなきゃ話せる相手もできたので大成功だったと言えるでしょう。
今思うと自分でもやや呆れる行動ですが、このような割り切った行動ができるのは発達障害者の強みだと理解しています。
ちなみにダメージが無かったかと言えばまったくそんなことはなく、ストレスが振り切れて”触ったらアウト”をということを使って逆襲したりもしました。本気で泣かれたことがよりショックで私も泣きました。発達障害者も人なのです。無関心でいられるのはよかろうとも嫌悪は精神的に来ます。
はてさてそんなのが一年ほど続いて、私の噛み癖も抑えられた上にクラス替えでいじめがウヤムヤになった頃の話です(子供のいじめなんてそんなものです)。
いじめが無くなったとはいえ、私が色んな事が出来ない状況は変わりありません。未だ先生の心証は良くなかったようで、三者面談では母が怒りかけるほど小言を言われたそうです。
これではいけないと判断した母は育児について調べ初め、発達障害について知るやいなや私を児童精神科に連れていき、正式に診断を受けることになりました。診断結果を話した結果、先生の対応は一変。連絡帳を通してたくさんの配慮をしてくれるようになったそうです。
診断を受けるということは自分が症状を理解することはもちろん、相手に配慮を求めることにも役立つのです。
私の母などもそうですが、先生の態度について色々思うことがある人もいるかと思います。ただ実際にいじめを目の当たりにしてできることはあまりにも少ないですし、しつけのなっていない子が存在するのも事実です。ですからやはり自分で自覚して問題を起こさないためにも、ただ出来ない子と思われないためにも診断は大事なことなのです。診断には強い説得力があります。少なくとも小学校教師になれるほどの英才の方であれば、医師の判断の重大さは分かるはずです。
さて通院や教師の配慮を通して自分が他の子とは違うことを十分に理解し、列から抜け出さないとか家に勝手に帰らないだとか当たり前のことは覚えながら成長していました。大人の方はみなそうですが、私の問題を挙げても存在否定はいたしませんでした。今自分のことが大好きなのはこのおかげであると考えております。
中学生になった頃には自閉症的な特徴がプラスな要素になることも多くなっていました。他人に無関心という点などは特に強かったですね。
なにせ中学校はけっこう面倒な社会です。どこのグループにいて、誰と誰が喧嘩して、あいつはどこに受験して、あの先輩はあんなことしてて…などなど。面倒です。そして誰もが面倒と思っているのに、多くの人はこの面倒な風評を気にしてしまいます。ただ自閉症患者としてはこれは本当にどうでもいいことなんですよね。立ち位置とか気にするの面倒なのです。知らんわ。
そういうわけで私は特定のグループにいることはなく、基本的に面白い人なら誰だろうと話しかけていました。それのおかげか誰とでも平等に話すなどと評価されることが多かったです。よく気軽に話せるなどと言われました。あとは趣味に偏見がなかったのも大きいでしょうか。バント、小説、アニメにスポーツ、変わったところではジャニーズなどの話を聞いていました。自分が知っているわけではないものも多くありましたが、楽しく話せる分には何でも歓迎でした。しがらみがない人間というのは中学校においてはとても貴重な人材だったのでしょう。ゆえに”他人に無関心”はお気に入りなのです。健常者に自閉症マウンティング取れますね。
また他人からしてみれば強烈に個性的に見えるようでけっこう人気がありました。良くも悪くも目立つ人だったのでしょう。
さてかなり上手いこと発達障害を個性にできたと書けば見栄えは良いようですが、決して楽なだけではありません。
とにもかくにも自己分析を続ける日でした。「お前は客観視ができない」と両親からひたすら言われ、客観視とはなにかから始まり自分がどういう特徴があるのかズラズラ考え続けていたものです。あるモノにどういう特徴があるか知る時の基本は、他のモノと比較することです。障害の本もいくつか読みましたが、自分は平気でやるが他人がやろうとしないことを色々見て知ることが一番客観視につながったのだと今では思います。まぁおそらくそんなことは小学生の頃にやっておくのが一般的なのでしょうが…。
意義が分からない限りやらないのが私でございます。自分を理解しないと人に迷惑をかけることになると知って、ようやくこういったことを始めたのです。
まず自分が失礼なことをたくさん言う人であると理解いたしました。ウケ狙いとかではなく、何とも思わず指摘するのだからタチが悪い。特に女性の容姿については言うべきではないと学びましたね。
それに自分は集中すると周りが見えなくなるし、やると決まったことは徹底的にやるし、陰口は言いたがらないし、ツッコミで強く手を出しやすい方だし、婉曲な言い方が理解できない。こういうことをとにかくたくさん知りました。この記事を書くこと自体も客観視の一環ですね。
しっかり向き合ってみれば結構分かるものです。ただまぁ前回の記事の通り「~~という特徴であるらしい」とか上手く自覚の出来ない特徴も多くありますが。ただ、これを知るだけでも行動は変わるものです。怒られたり驚愕されることはずいぶん減りました。
月並みではありますが、大事なのはとにかく障害に向き合うことです。なんでも知っておけば「あっこれやったらダメかも」と分かるモノです。「これはしちゃダメ!あれはしちゃダメ!これはしろ!」といったようにルールを決めるのではなく、特徴を知ってその都度対応しましょう。ルール決めが必要な時があったとしても、第一優先はそこではありません。
ここまで書いて気付きましたが、中学校でのエピソードに欠けていますね。強いて挙げるなら友人がバカにされてハチャメチャに怒ったことでしょうか。
やけに他人を見下す阿呆がいまして、彼奴が私の友人を散々に罵倒したと聞いて教室に殴りこんだことがあります。結局ロクな解決にもなりませんでしたが、他人に無関心というのは「他人がどうでもいい」のではなく「自分が好いている人以外がどうでもいい」のだと知ったキッカケです。友人は他人に入らないらしく、むしろ思い入れが強いのかもしれません。
前回の記事で発達障害者がストーカーになったなどと反応がありましたが、なるほどと少し納得いたしました。
高校時代についても書こうと考えましたが、エピソード不足でありますし少し疲れたのでここで筆をおきます。
さて前回にて「アスペで友人がいるなど詐欺だ」などという反応がございましたが、実のところ私も不思議に思っていた時期がございます。おそらくはとにかく正直で、フラットで、好きな人にはそれなりの接し方をしていたからではないかと結論付けています。20年生きてきて分かりましたが、正直は美徳と言うわりにそういった人は案外少ないものです。外面を固めるのが上手い友人が私の前では豹変したようにドサドサとキツイ言葉を吐くサマは中々愉快でございます。私が楽しいから友人といるのと同じく、彼らも私といて楽しいからいてくれるのでしょう。友人への敬意と多少のユーモアがあれば、あとは個性として楽しまれるのではないでしょうか。
記事の中では母についてはいくつか触れましたが、父の出番はありませんでしたね。というのも父は私のことを本当に放っておいたのです。好きなことをしていればそれでいい、とそれだけは言っていましたが強く干渉することはありませんでした。実際に父も自分の好きなことをたくさんしていました。食事が大好きで今ではメタボなほどですが、誰の忠告も無視してまだ食べ歩きを続けています。子は親を見て育ちます。私が自分に正直に、好きなように生きているのは父が影響しているのでしょう。結局両親ともども私のために色々してくれたのです。
ご参考になれば幸いです。
かわいそうだとか言って周りの忠告を無視して世話を続けてたら自分が食われてたって話。
あれ、うちの母がどうしようもないダメ兄をかわいそうだといってずっと世話してるのに似てるなって思った。
もう、母も老いて足も悪くなってきて世話をするのも難しくなってきているというのに、ダメ人間の兄は、知らん顔しておかんの年金にパラサイトし続けてる。
これで、俺が母を支えようとすれば、巻き添えでパラサイトされそうだ。
クマがいた家にいたワンちゃんも鎖につながれていたがために、クマに食われたんだよな。
俺も家族という鎖で逃げれないのかもしれない。
いや、いっそうこの鎖は外して逃げたほうがいいんだろうか。
母は兄に食い殺されるんだろうけどさ。
ケース①
公式のグッズに絵つけてるイラストレーターそっくりの絵柄でイラスト書いて、同人誌のノベルティにするって宣伝ツイートした絵師。
それやめとけとマシュマロで忠告されて、ノベルティじゃなくマシュマロのリンク消去。なんでやねん。メールでまた忠告されて、謝罪もしないでノベルティのツイート消してあともうダンマリ。
でももう海賊版ノベルティ頒布してたみたい。昔のイベントで。尚、そっちはまだ画力的に絵柄似せたように見えてなかったか、スルーされて終わり。w
いや、海賊版堂々とTwitterに晒したまんまでノベルティの回収もしてないまんまだから、全然笑えないが……。
ケース②
別ジャンルで自作おまんじゅうを作った奴が忠告され自粛した事を知り、これはつるし上げだと海賊版の擁護発言した絵師。
他の絵師からそんな擁護やめとけと忠告されて、「売られてないものを海賊版の定義にはめ込むのは行き過ぎだ」「ファンアートを見た企業がグッズを出さないと判断するなら、それは企業の気分。権利者以外はファンアートをとめられない!」と反論。
反論によれば、「グッズが出るのは企業が気分をアゲたからだから、企業が「気分をアゲてほしい」と発信してなかったら公式に似せたファンアートを自粛させると、つるし上げになる」らしい。
二度見、いや三度見した。
商標登録されてる版権グッズ問題で、気分が理由の擁護を見たのは人生初。
確かに、忠告してきた大手絵師にはあっ本めちゃくちゃ読んでます〜!と返事、弱小絵師にはあーそうですねーで気分悪そうな返事してたからこの絵師は気分がアガるかどうかで違法性を判断するのかもしれない。企業は気分で違法性を判断しないとは知らないのかもしれない。
尚、ファンアートが黒かどうか気にする奴は二次創作しないで欲しい、との発言で終わり。
でも説明されても理解できない人間相手だと自浄って何すりゃいいんだろう。絵師から言われて聞かないなら買い専から言われて聞くわきゃないし。
自分のCPは別CPでも自ジャンルだし知人いるしスペースは近いしスパークの買い子も頼まれた。辛い。
ちなみに自分のCPは自分のCPで別CPへの嫉妬でドロドロ、こっちも民度の高さからは程遠い。辛い。
ここまで読んでくれてありがとう。
2010年代になって、Wikipediaはかなり衰退したと思う
昔に書かれたコンテンツが残っているからまだ体裁を保てているけど、よく見るとかなりボロボロだ
「2008年現在」とか書かれていて10年以上更新されなかった文章がかなりある
今日これを書いているのは、昔だったら放置されなかっただろう宣伝的な文章を見かけたからだ
そこの偉い人(故人)の出口直日のページがやけに一方的だったので履歴を確認してみたのだ
そうしたらOomotowebmasterという名前のユーザーが2013年に編集していた事がわかった
一部の抜粋だが、出口栄二と対立した事に関する記述はこう書き換えられていた
直日の長女出口直美の夫・出口栄二大本総長が率いる派閥と、楽天社(大本芸術部門)の出口京太郎(直日の長男)を中心とする派閥が対立していた[1]。1976年、京太郎が大本総長に就任[5]。80年代になると内部対立が激化し、直日は四代教主に内定していた長女・直美の継承を取り消し、他家に嫁いでいた三女・聖子を出口家に復籍させて大本四代教主とした[6]。1990年、直美・栄二夫妻は大本を離脱して「大本信徒連合会」を結成、
しかし、出口栄二は忠告を無視して、その指導に抵抗し、求められる誠実に反する。直日は最後の最後まで忍耐をもって正しい信仰のあり方を教え諭したが、出口栄二は聞き入れず、教主の神性を、根本的に否定して大本の神業を甚しく阻害。ついには大本教団を告訴するに至った。大本信徒、また社会へ与える混乱をこれ以上看過することは出来ず、直日は、長女・直美の教主継承を取り消し、三女・聖子を大本四代教主とした[8]。 1990年、直美・栄二夫妻は大本を離脱して反教団団体「大本信徒連合会」を結成した。
かなり大本側に偏った記述になっていて、昔であればこういう関係者の宣伝的な記述はリバートされていただろう
十分な目玉があればWikipediaはうまくいくだろう
しかし今は目玉が足りないようだ
今でもちょっとした誤字に気づいた時などは修正することもあるけど、積極的に関わるのはやめにした
失望してやめる人数よりも、希望をもって始める人数のほうが多ければ、Wikipediaは発展していくだろうが、今は逆になっているようだ
自分は、今からWikipediaの編集者になる事はおすすめしない
一度破綻したほうがいいと思う
Wikipediaが寄付で運営しているのは中立性を保つため、というのが名目だ
それがどうだ
実際は規約に反してこっそり宣伝したもの勝ちの場を提供しているだけだ
Wikipediaのコンテンツはルールに従えば流用する事が許可されている
Wikipediaがなくなっても、コンテンツを引き継ぐサービスが出てくるだろう
これは自衛隊のメンタルヘルス担当官だった方の本にあった一文なんだけど。
じゃあパワハラするやつとされるやつ、どっちも上司のマネジメントの失敗なのかな?
パワハラしてきた人が、びっくりするくらい上司の忠告を無視していたんだけど……何回も言ってくれていたんだけど……最終的に鼻で笑ったと聞いて戦慄したわ。
どうやら彼のパワハラの原因が私の口の聞き方にあったらしいんですよ。
いや……私たち日本人同士なんですから、まずは日本語で話しませんか?気に入らないなら言いたいことを言葉にしていただけませんか?いきなり怒鳴りつけてくるのやめませんか?私お前のママじゃないよ。
両隣りの席の人があなたの隣で仕事したくないって会社に帰ってきたがらないのわかってますか?隣の部署の人から社内の人間への態度が悪すぎて、本気で嫌われているの知っていますか?顧客の対応しているときと会社に電話しているときの口調が違いすぎて、お客さまに二重人格呼ばわりされてるの、ちゃんとわかってますか?どうしてお客さまが私をいじめたことを激怒なさったのか、わかってますか?知り合いだからじゃないよ、私が仕事を一生懸命やってたからだよ。
別にパワハラした人を罰しろとは言わないよ。だってもう関わりたくないし。どうせ10年経てば忘れちゃうよ。
でもね、そのままでいいと、上司の上司たちは判断しているんだったら少し考え直してほしい。できれば病院につれていってほしい。メンタルのね。どう考えてもおかしくなってるよ、あの人。
1番わかんないのは、なんで私が仕事辞めろって言われるかだよ。なんであのキチガイのために仕事やめないといけないんだよ。そこはふざけんな。あれはどうせ自爆するのでいいです……
少し愚痴を言わせてくれ。
特定は怖いので、時期とか数字とかにフェイクを入れて話していく。
2年前の冬。私の所属する漫研で部誌を出すことになった。部員が2~3人ずつのグループに分かれて作る、グループごとに何を描いても自由な合同誌だ。
私はそのグループ分けの日は病院に行く用事があったため、要望だけ伝えて欠席した。
グループ分けにおいて、部員それぞれが己のスペックや希望を伝えて話し合ったらしい。「背景苦手」とか「普段は物書き」とか。私の要望は「漫画を描きたい。原作担当でも作画担当でもいい」と伝えた。
おそらくそれを加味してくれたのだと思う。結果、私はとある部員(Aとしておく)と2人組で漫画を描くことになった。Aは漫画を描いたことがなく、イラストを描くのが得意だと言った。ほぼ初対面なほどあまり話したことが無かったが、私がネーム、Aが作画というのが二つ返事で決まった。
その後、漫研の部室で、私が頭の中で練っていた大体の流れをAに説明し、Aはそれに賛同してくれた。私は自宅に帰り、ウキウキしながらネームに取り掛かった。10ページほどの短編だが、Aと相談したその日のうちにネームを完成させてLINEで送った。
Aは翌日、私のネームにOKを出してくれた。セリフの調整や服装などのやり取りも終わり、これで私の仕事は終わった………と、思っていた。
私はもっとAのことを知るべきだったのかもしれない。Aが時間にルーズなことを全然知らなかったのだ。
Aも私もあまり漫研の部室に顔を出すタイプではなく、互いに顔を合わせることは殆どなかった。
なので、今私たちの漫画の進捗がどうなっているのか把握出来なかった。そのうえ、Aはネームを確認した日以降、LINEを全く見ない。未読無視されるのはあまりいい気分ではなかったが、そういうタイプなのだろうと思って放っておいた。ネームに書かれていること以外の質問や提案も無いし、順調に進んでいるものだと思っていた。
そんなある日、私はたまたまAのTwitterアカウントを見つけた。そこでAは毎日どころか毎時のように呟いていた。
LINEは無視でTwitterは常時運転かよ、と少しイラついたが、それよりも驚いたのはアップしているイラストだ。Aはかなり筆が早いことが分かった。ラフやアナログも多かったが、結構な頻度でオリキャラや、私の知らないゲームのキャラの絵を描いていたのだ。
そのイラストの中には、私と合同で作る漫画の一部分もあった。かなり序盤のシーンだったが、確かに作業を進めてくれているみたいだな、とこのとき私は安心していた。
だが、事件(?)が起きたのは、漫研全体で決めている部誌の提出締切日。同じ漫研で特に仲が良い私の友人(Bとしておく)から連絡が来た。
内容は、意訳すると『Aが締切に間に合わなかった』『締切は5日間延長』『○○ちゃん(=私)もAを手伝ってあげた方がいい』『漫研の部室内で○○ちゃん(=私)が嫌われかけている』といったようなことだった。
Aが締切に間に合わなかったのは衝撃的だったが、それよりも、私が漫研の部員から嫌われかけているというのに驚いた。
Bの話によると、グループ内でネーム/作画で役割分担したのは私たちだけらしく、他のグループではそれぞれが数枚ずつ作品を作って15ページ前後のものに仕上げるのだとか。
私たちの役割分担を知った漫研の部員たちが「Aの負担が多すぎる」「Aが可哀想」「Aはネーム担当(=私)に文句言うべき」などと話しているのを、Bが聞いて私に忠告してくれたということだ。
色々と信じ難いことだらけだったが、私はその日は特にやることも無かったので、急いでAにLINEで連絡した。
「Aさん、何か手伝えることある?ベタとかトーンとか、なんでもいいから言って!」と。
すると、この時ばかりはAはすぐに返信した。「部室に居るから来て欲しい」と。幸い私は学校の近くに寮を借りていたのですぐに向かうと、Aは人物の線画をようやく終えた状態だった。
Aはデジタル派で、液タブを用いてクリスタで作業をしていた。私は板タブで無料ソフトしか持っていなかったため、Aに合わせてクリスタの期間限定無料版をインストールし、原稿をairdropで受信して、セリフ打ち込みやトーン貼りを手伝った。使い慣れていないソフトに難航したが、それでも適宜使い方を調べながらなんとか作業を進めた。
Aは思ったよりも自由奔放な人間で、締切を過ぎているにも関わらず、作業中にも別のイラストを落書きしたり、Twitterを覗いたりと好きに過ごしていた。私は昔からビビりな性格で、課題や宿題は締切日よりかなり余裕を持って提出しなければ落ち着かないタイプだったので、Aの行動が理解できなかった。
Aが自虐的に「私の絵はココがダメだ……」などと言う度に、「そんなことない!私はすごくいいと思う」などと言って励ましていた。今なら言えるが、私はAの絵のタッチが嫌いだった。そのうえ、そんなやり取りがその日の作業中頻繁に行われた。八方美人とは程遠い私にとって、この日は苦痛だった。
しかし、この日の頑張りあってか、作業はかなり進んだ。セリフも入れたし、トーンもベタも大体貼った。Aも背景やらその他の線画を描き終えた。あとは私の担当した部分のレイヤーを繋げればめでたく完成──と、思われた。パソコン上でAのメールアドレスを教えて貰い、その場でデータを送信した。そしてAと別れた。
その日の夜も私は家で残りの作業をし、終えた分をまたメールで送信した。延長した締切日のうち、私はこの日以外はバイト漬けでAの作業に付き合えない。私が手伝える部分は今日中に終わらせたかった。
表紙にペンネームを入れないといけないので、「私のペンネームは□□でお願いね」ともLINEで伝えておいたが、返信無し。
次の日にAのTwitterを覗くと、Aは友人と遊びに出かけていたらしい。その次の日は、また別のところに遊びに行っていたのだとか。
私は本当にAの行動が理解出来なかった。部員みんなで作る部誌の締切に遅れ、部長に締切を延長してもらったうえで、まだ完成していない作品を残してよくそんな所にいけるものだなと。
断っておくが、私は最初にネーム内容の相談をしたその日のうちにネームをAに渡した。その日から締切日までは2ヶ月以上もあったのだ。なのにAは原稿を提出できず、負担が大きいと他部員に思われ、私が嫌われる。こんな理不尽なことがあってたまるか。
結局、Aは締切日の午前三時頃に提出できた……らしい。Twitterでその呟きを見つけた。
一応一段落したみたい。と安心していたのも束の間。数日後、AからLINEが来た。
「○○さん(=私)のペンネームって何?表紙に何も書かなかったから部長に指摘された」
…………は?
私は一応もう一度「私のペンネームは□□だよ」と伝えた。LINE画面上では、
A:○○さん(=私)のペンネームって何?表紙に何も書かなかったから部長に指摘された
私:私のペンネームは□□だよ
こんな感じだ。本当に訳が分からない。
そして最も訳が分からなかったのは、出来上がって刷られた部誌を見たときだ。
確かに原作は私の漫画だが、セリフは所どころ違うし、トーンも私の貼ったものではなかった。──つまり、Aは私の送ったデータを使っていなかったのだ。いや、もはや見てすらいないのかもしれない。
メールが届かなかったかもしれないと思われるが、それは絶対にありえない。A自身が私のパソコンに直接メールアドレスを打ち込んだし、1回テストとして送ったのを、その場でAは確認して受け取った。
つまり、私のやった作業は全て使われずに無視されたということ。そして、Aは私の手助け無しに5日たらずで原稿を完成できたということだ。2ヶ月間もの締切を守れずに、その後のたった5日間で仕上げたのだ。
つらつら書き連ねて思い返すことはあったが、どうせもう過去のことだ。漫研の人数は非常に多く、出入りも活発だった。私がAと特別に仲良く接することはこれ以降無かった。
ああ、漫研で私が嫌われていた件についてだが──漫研は人数が多く、人の顔と名前が一致していないことがよくある。悪口を言っていた部員は、本人が目の前に居るにも関わらず、「Aにあんなに仕事押し付けたネームの人ひどくない?!」と私に言ってきた。ネームの人=私だと思っていなかったらしい。
「あはは、本当にそうだよね」
私は乾いた笑いしか出て来なかった。
これが、私の2年前の冬の苦い出来事。
タイトル通り。
これから詳細を話していくけど長くなりそうだということは先に忠告しておく。
私も絵描きで絵師とは同じソシャゲジャンルのマイナーカプでオンオフ活動していた。
…といっても私と絵師が話したことがあるのはただの1度きりで、私の出した本に絵師がツイッターのDMで感想を送ってくれたときのやりとりが最初で最後。
その時に絵師のツイートを少し覗いたけど、ツイートは丁寧で謙虚でたまに使う可愛い絵文字とか見てて印象は女性らしいなって思った。絵も可愛くていいねが増える旅に「こんな絵にいいねありがとうございます…!」って律儀にお礼を言ってるところもなんだか可愛くて好感が持てた。
男性向けのジャンルだったので同性から声をかけてもらえたのが嬉しくて相互フォローになったけど、それ以降何もやりとりはしていない。
そうなったのはその本を出した以降、私は就職したばかりで忙しくなってあまり絵を描かなくなり、ツイッターも低浮上気味になったからだ。
期間は大体2ヶ月ぐらいだったと思う。
その頃はソシャゲのイベントを回すので手一杯でTLは見てなかったし、たまに生存確認でソシャゲのスクショをあげる程度だった。ツイッターの画像欄がスクショばかりになって、フォロワーも少し減ったけどまあいいか程度にしか考えてなかった。
仕事にも慣れて少し余裕ができたときに、久々に自カプ供給がしたいなと思ってツイ検索をかけた。マイナーカプだから少ないだろうなと思っていたけど、画像欄には特定の絵柄で何作品も埋まっていた。
RTもいいねも4桁超えてて、2日3日に1枚という頻度で絵師は絵や漫画をあげていた。
絵師のホームに飛ぶとフォロワーはもうすぐ1万を迎えそうなところで、頻繁に絵をあげていた結果なんだろうなと絵師の努力に素直に関心した。
そのままツイートの方を見ていくと、いきなり1つ目のツイートに私はびっくりして手を止めた。
美容院にいってきたという内容で、画像は口元は隠しているが目はぱっちり写っていて、よく見るモデルさんがするようなツイートが最初にでてきてツイ主を何度も確認したが紛れもなく絵師で。
そのツイには既に100以上のいいねがついてて、リプもかわいい~といったコメントが多くついてた。
そのままツイートを漁ると、
「フォロワー今日もいいねありがとう!だいすきちゅっちゅ(きもくてごめん)」
「えっ俺の作品にいいねしてくれるみんなほんと神か???そんな神本当に存在するの???マ?????」
「何このめちゃくちゃ可愛い推しカプ誰描いたの~~って思ったら私だった!!」
「今回の本ほんと頑張ったのでスペースきたら褒めてくれてもいいんだぞ~~~」
こんな感じのツイートばかりで硬直した。
え……誰…………?ってなったけど何度見ても絵師は絵師だしホーム見れば相互フォローになってるしで最初やりとりしてツイート見に行ったときの絵師の面影がどこにもなかった。
一人称俺と私で安定してないしブスだからな~と言いつつも自撮り画像をあげ、フォロワーには基本タメ口、自分の作品を通して自己顕示欲を全面に押しだすツイートの数々に、私は即座に苦手な人種だと思ったし、そんな人種に絵師が変わってしまったことがショックだった。
それからTLを見ているとちょくちょく絵師のツイートが鼻につくようになった。
毎度自己顕示欲丸出しのかまってちゃんツイートに、私は段々と嫌悪感が増していった。
もう苦手なんてものじゃなく嫌いの域に入ってるんだろうなと思った。
それでも絵師のツイには毎回多くのいいねとファンからのリプが届いてて、他カプの有名絵師さんと仲良さげにオフで会ったり合同誌を出したり、トントン拍子に上手くやって嬉しそうな絵師を見てたら私の方が異端なんだろうかと思えてきて、どこにも吐き出せる場所がなくて辛かった。
特に辛かったのが絵師のファンが「〇〇(カプ名)といえば絵師さんだなと思います!!」と持て囃して、絵師が推しカプの王座みたいな立ち位置なのが辛かった。
これが苦手じゃない人種だったら素直に羨望できたのに、好きなカップリングで一番有名な人が一番苦手な性格だったってだけでこんなにしんどいとは思わなかった。
ツイートから絵師も自分のポジションを自覚していたようで、他の人が描いた自カプのイラストは漏らさずRTといいねをしていて、私はいいなと思った自カプ作品もクソみたいなプライドのせいでいいねできなかった。
それ以降自カプを描く気力もわかなくて、どうせ描いても絵師の承認欲求を満たす種になるだけだとか、そんなことしか考えられない自分も嫌になったし、たまに絵師に届くブラックなマシュマロコメントで安堵してる自分の性格の悪さに反吐が出た。
そんなの気にせずに自カプを描くのが推しカプへの薆なんじゃないのかって思ったけど、自カプのことを考えると絵師のことがチラついて気が沈む。
私自身が自カプ=絵師と連結かけてるのが我ながら滑稽で、そんな複雑な心境をずっと抱えた結果、違うジャンルに私は逃げた。
ただ今いるジャンルは割と人気ジャンルなので、絵師がこの界隈に入ってこない確証はない。
もうフォロワー数5桁を超えた絵師はジャンル移動しても人気者だろうし、好きになったカプの界隈ですぐに有名人になれると思う。
私はただ絵師が自分の界隈に入ってこないことを願ってブロックもミュートもできずに監視みたいなことをしているけど、こんな調子じゃ暫く絵師への執着は溶けそうにない。
長々と失礼しました