はてなキーワード: 居間とは
⚠︎自殺はやめようね⚠︎
※クズ注意※汚い※小中高、作文で放課後まで残った上に教師から「一言でいいから何か書いて…」と言われるような猿が書いた文章です。改行わかんない。
私は死を決意しました。嫌だったので。
その日の内に睡眠補助剤と風邪薬180錠2瓶とい●はすを購入し、家にあった頭痛薬2箱を失敬しました。
睡眠補助剤で眠い間に大量の薬を服用し、苦しまずに死ぬ算段でした。当時大バカだった(今もだよ)ので市販薬では死ねないことを知りませんでした。こんなので死ねたら死ねなくて苦しんでいる人いませんね。悲しい。(処置してもらっている時に先生が教えてくれたのですが市販薬はバケツいっぱい飲んでも死なないようにできてるそうです。)
色々とさよならできると思ってもうウキウキです。さっそく睡眠補助剤を口に入れ、よく噛んで飲み込みました。錠剤のままたくさん飲むと胃で拒否反応が起こって嘔吐してしまうと何かで読んだので。なんか酸っぱくてオエッてなる味でした。
10分くらい待って頭痛薬を飲み始めました。早い。これも頑張って噛んで飲みました。不味かった。
続いて風邪薬を飲みました。気持ち悪いくらい苦かった。噛むのに疲れてほぼそのまま飲みました。
用意した全ての薬を飲み終え、死ぬのを待ちます。宝くじを買ったことを思い出し、死ぬ前に番号を確認しておこうと思い、ベッドに宝くじを広げました。バラと連番、合わせて20枚くらいあったと思います。全部はずれでした。無念。
宝くじを確認後、なんだか気分が悪くなってきました。バカな私は「死だ!!!!」と思いましたが違います。ただの吐き気です。数分苦しんだ後、ゴミ箱に吐きました。噛まずに飲んだ錠剤がラララララッと出てきました。超苦い。泣きました。
とっさに手元にあった電話で調べると『吐いてしまったらもう失敗』みたいなことが書いてあって余計に泣きました。
この辺で眠気が襲ってきてしばらく寝ました。宝くじの散らばったベッドで。
夕方ごろに吐き気で目が覚めました。吐きました。何回か吐いていると姉が来て、笑いながら宝くじまみれのベッドで吐いてる私の写メを撮ってました。機能不全家庭。←言いがかり
しばらくするとキレながら母が来ました。オーバードーズしたことにキレているのではなく、学校をサボった(寝ている間に学校終わってた)ことと留年したことに関してキレていました。機能不全家庭。←言いがかり
絶え間無く吐く私を見てマズいと思ったのか、母は病院に行くと言い出しました。吐いたらもう駄目なことを説明しましたが聞いてませんでした。
居間に連れて来られ、ぐったりしていると母は病院に電話をかけていました。
受付の人「お子様は何歳ですか?」
母「22です!!!!!」
たぶん小さい子が誤飲したと思ったんでしょうね。ちょっと笑いました。
あれよあれよと病院に連れて行かれ、胃洗浄することになりました。
胃洗浄の流れ
生理食塩水が入った大きい注射器みたいなやつに細いチューブが付いた物体を先生が用意
↓
↓
注射器を押して生理食塩水を胃に入れます(お腹が冷たく感じる)
↓
胃の中で薬を含んだ生理食塩水をそのまま注射器を引いて吸い出します
↓
生理食塩水を交換しつつ胃から出る生理食塩水がきれいになるまで繰り返します
苦しくなかったですが吐き気が続いていたので最中に何度か吐きました。
物凄く苦しい方法で胃洗浄する病院もあるらしいので皆さんはやめましょう。
鼻からチューブを抜くときに粘膜を傷付けたらしく、少し血が出ました。
先生「なんでそんな冷静なのにこんな事しちゃうんですか??????」
胃洗浄が終わったら点滴をしました。何の点滴かは不明。点滴の横から吐き気止めを入れたのですがオーバードーズの吐き気には勝てず。ずっと吐いてました。黒いゲロが出ました。
母はずっと「苦しいでしょ??????反省するのよ??????」と言っていました。私は死ねなくて落ち込んでるんだから労われや。
点滴が全部入ったあたりで、入院するか帰るか聞かれました。帰りました。
次の日は耳が聞こえなくて困りました。
以上です。
学校は3年後にクビになりました。
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
アタワルパ「能うるか?」
非jokin’ 講師
新宿ぴえん
声が低いハスキー犬
八十八夜の二子玉の五十六と、四十九日の九十九里の三四郎のミニ四駆
十+八十八ハ/10+88=
88歳に似合う色→ベージュ
すごい夢中な人→ゴリ夢中
onの字
さだまさしの妻「そんなせっしょうな」
Uber「同乗するなら金をくれ」
nicheもsuchもいかない
鋭意ままよ
麦とホッブズ
金曜労働しよう
マシンガンの真贋
ドッジボールの在野
包丁とかけて露と解く→どちらも刃/葉の淵から零/毀れるでしよう
珈琲とかけて狂言回しと解く→どちらも引き立てが美味い/上手いでしょう
製紙とかけて調髪と解く
→どちらも髪を梳く/紙を漉くでしょう
未完成のセーターとかかけまして、文字の強調と解きます→どちらも編みかけ/網掛けでしょう
凍死神託
紅蓮グールド
今どこ?/イタリアに至りました/おシエナい/ナポリ葉掘り/信用をおトスカーナ/取り柄ステていいの?/サンジミアーノ惨事見あの
レンジ老婆
手をこまねくコマネチ
ジングルベルジングルベル駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
非売品のシナモン
ブルシットバルドー
あんぐり口を開けて怒る(angry)
人を殺めたゲシュタポ→下手タポ
お魚くわえたドラレコ
政調と分配
ざらにあるアパレル
スロバキアのクソガキ嫌
当方見聞録
当たり前ロマ二
He developed cancer because he had eaten too many crabs.
カルチェ羅漢
What is your New Year’s resolution?
I’d like to buy a 24 megapixel camera.
I had a Japanese breakfast in the morning, which made me had diarrhea, because it’s incontinental.
同時に笑う人々→一斉にやけ
とかや列島
What do you call a Roman emperor
What do you call an ethical country? Humanitalian
みすぼらしい・ダーダネルス海峡
銃では太刀打ちできない
野蛮ギャルド
What do you call a prominent environmental activist ?
Glitter Thumberg
What do you call a cake that is often stolen? Stollen
匍匐/葡萄
Large part of Rajput
酒とメーデーの神
改善ハワー
ぼったくる魚→ボラ
ドイツ語の独学
色々なところにいる魚→ホウボウ
比類ない地鶏
当たるもユッケ
茨城の道
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
(3) 要約
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
うるさい猫じゃらし→猫じゃかし
苔のムース
予告された殺人の記録↔︎受胎告知
物憂い株主
春眠打破
ハーシム家/拍子抜け
有無を言わせるな「うむ、分かった」
哲学書→形而モノ
聖書→啓示モノ
メメント森
地上のもつれ
この誰何(Suica)だれの?
予備のスペアリブ
お好み焼きが嫌いな人
焦点をshorten
掛け算で答えを割り出す
あるざますロレーヌ
夫妻肺片↔︎親子丼
心行くままに書く→まにmanuscript
頭抜けた手腕
東大前頭葉
親のコシヒカリ
アタワルパ「能うるか?」
非jokin’ 講師
新宿ぴえん
声が低いハスキー犬
八十八夜の二子玉の五十六と、四十九日の九十九里の三四郎のミニ四駆
十+八十八ハ/10+88=
88歳に似合う色→ベージュ
すごい夢中な人→ゴリ夢中
onの字
さだまさしの妻「そんなせっしょうな」
Uber「同乗するなら金をくれ」
nicheもsuchもいかない
鋭意ままよ
麦とホッブズ
金曜労働しよう
マシンガンの真贋
ドッジボールの在野
包丁とかけて露と解く→どちらも刃/葉の淵から零/毀れるでしよう
珈琲とかけて狂言回しと解く→どちらも引き立てが美味い/上手いでしょう
製紙とかけて調髪と解く
→どちらも髪を梳く/紙を漉くでしょう
未完成のセーターとかかけまして、文字の強調と解きます→どちらも編みかけ/網掛けでしょう
凍死神託
紅蓮グールド
今どこ?/イタリアに至りました/おシエナい/ナポリ葉掘り/信用をおトスカーナ/取り柄ステていいの?/サンジミアーノ惨事見あの
レンジ老婆
手をこまねくコマネチ
ジングルベルジングルベル駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
非売品のシナモン
ブルシットバルドー
あんぐり口を開けて怒る(angry)
人を殺めたゲシュタポ→下手タポ
お魚くわえたドラレコ
政調と分配
アパレルなんてざらにあるよ
スロバキアのクソガキ嫌
当方見聞録
当たり前ロマ二
He developed cancer because he had eaten too many crabs.
カルチェ羅漢
What is your New Year’s resolution?
I’d like to buy a 24 megapixel camera.
I had a Japanese breakfast in the morning, which made me had diarrhea, because it’s incontinental.
同時に笑う人々→一斉にやけ
とかや列島
うちは普通のサラリーマン家庭なのですが、父方の祖母は、占い師か拝み屋みたいなことをしていました。とはいえ、謝礼にお金はもらっておらず、食べものばかりだったようです。それも手をつけることはなく、近所のお稲荷さんにお供えしていました。
私が大学の時、先輩と出会いました。先輩はゼミのOGで、就活の相談で知り合いました。色白で、黙って座っていたら良家のお嬢さんという印象です。しかしどこか掴みどころがない人でした。
祖母が先輩と会ったのは、相談の時に私が忘れ物をしたのがきっかけでした。
春先だったか梅雨だったか、よく覚えていないのですが、雨が続く時期だったと思います。
友だちからもらった、ディズニーのお土産のタオルハンカチでした。大事なものだったので、同じ沿線だから駅まで持っていって渡そうか、という先輩の言葉に甘えました。
出掛けに、祖母も駅前へ花を買いに行くというので、一緒に向かいました。
先輩を見るなり、祖母は「とら」と言いました。ハンカチを渡してもらいながら、何を言い出したかと、私はポカンとしていました。
「お嬢さん、ごおうのとらでしょ。お母さんとお父さんの干支は何?」
「母はひ(き?)のえうまです。父はごおうのとらです」
先輩はちょっと驚いていましたが、割と平然と答えました。
「昔、古いおうちに住んでた?」
ここで根掘り葉掘り尋ねる祖母をたしなめようとしましたが、「色々聞いちゃってごめんなさいね」と、自ら質問を切り上げたので空振りになりました。
後から聞きましたが、先輩は育ちが西の方で、昔住んでいた家が、さるお屋敷の離れを一戸建てに改築したものだったそうです。訛りが全くなかったので驚きました。
その時はそれで解散となり、おばあちゃん何なんだろな、と思いつつも、それで終わりでした。
祖母と先輩が次に会ったのは、夏になった頃です。祖母はこの時期に、一番拝み屋的な仕事をしていました。とはいえ、詳細はよく知りません。謝礼のお供えものをもらってくるので、そうと知れただけです。息子の父が何も言わないのはともかく、嫁の立場の母は、こういうのどう思っているんだろうと思っていましたが、母は全く咎めませんでした。祖母と母は、仲良しとまではいかないものの、ごく普通の関係でした(それが実は大変なことだというのは今はわかっていますが)。
7月の中頃だったと思います。先輩と連絡を取りたいと祖母に言われ、私はびっくりしました。拝み屋絡みか、と訊いたら否定しませんでした。しつこく粘られ、「先輩が承諾したら」「私にも詳細を教えてもらう」という条件でしぶしぶLINEしました。先輩は祖母が拝み屋ということにもさして引かず、むしろ面白げにあっさり了承しました。
手伝いというのは、祖母の指定する家に一晩泊まるという内容です。孫の私でも、かなり怪しい話です。
「心配なら、W(私)ちゃんも泊まりなさいな」と祖母は言い、私もそうすることに決めました。
向かった先は、有名な温泉街の駅でした。交通費は先方持ちとのことで、温泉に入った後、駅からタクシーで向かいました。山坂のある道で、結構距離はあったと思います。
途中、神社にお詣りし(なんという神社か失念しましたが、たぶん八幡様だったと思います)、着いた先は、ごく普通の一軒家でした。
祖母は入る前に、先輩に「和室で待ってる人がいるので、やってもいいと思うなら、肩を叩いてあげて」と言いました。それから、二階には上がらないこと、全員一階の和室で寝ることを言われました。
インターホンを押すと、奥さんらしき人が、扉を開けてくれました。少し疲れた印象でした。二階に上がる階段は、入って正面の突き当たりにありましたが、赤ちゃんやペット用の柵みたいなものが塞いでいたので、うっかり上がることもなさそうでした。
和室には祖母の言ったとおり、高校生ぐらいの男の子がいました。背の高い、いかにも運動部という感じの男の子です。集団でいたら避けたいタイプかもしれません。しかし妙に落ち込んでるように見えました。歳や見た目割りに、大人しいというか。先輩は、特になんともなく、その子と叩きました。
その泊まりは何もありませんでした。
ラップ音とか、怪しい影とか、変な声とか、何も。
というか、実はこの話、最後までそういうのはありません。
まあ、私も先輩もいわゆる霊感などなく、先輩に至っては、夢で幽霊や化け物が出たら、怒り狂って殺しにいくとのことでした。だから怖い夢が怖くないと言っていました。
夢占いだとそういう化け物殺しはストレスの兆候らしいのですが、今となってはどうかはわかりません。
夜のご飯は弁当(高いの)を持ち込みましたが、朝はおにぎりと味噌汁を出してもらい、そのまま帰りました。帰り際に、祖母は封筒(おそらく交通費や弁当代)と、お菓子か何かをもらっていました。
私と先輩は訳がわからなかったものの、温泉・高級弁当・タダということでラッキーという感じでした。当初の怪訝さはどこへやら、うまい話ヤッターみたいな感じになりました。
結論として、この手伝いは数年続きました。夏が多かったものの、季節関係なく、先輩のスケジュールが空いていれば成立しました。
色々なところに行きましたが、大体条件は同じでした。
温泉があれば寄る。
先輩が居間の人の肩を叩く。
二階や特定の部屋には入らない。
祖母・先輩・私は同じ部屋で寝る。
ほぼ、先輩は肩を叩きました。
時折、臭う不潔な人や、ずっとうめいてるような露骨に変な人もたまにいましたが、普通に叩きました。
しかし、数回だけ、叩かないことがありました。
その時はその家には泊まらず、謝礼も貰わず、祖母持ちで、ビジネスホテルや空いている旅館に泊まりました。
叩かなかったいずれの時も、先輩がものすごく機嫌が悪くなりました。本当に、露骨に触るのも嫌という様子でした。普段飄々とした先輩が、突然牙を剥くみたいになるのです。
先輩の声は女性にしては低い方なのですが、「叩けません」という声にはドスがきいて一層迫力がありました。はたから見ていても、とても怖いのです。
叩かれない人は、ずっと呆然としていたり、逆にニヤニヤしていたり、やはり変な様子でした。しかし、叩かれた人にも変な人はそこそこいたので、正直私には差が分かりませんでした。
先輩に後で訊いてみると、先輩も理屈はわからないものの、とにかく本当に触れない、触りたくもない、汚らわしい、腹が立つ、という気持ちになったそうです。
今思えば、そういう不思議なことは間違いなくあったのに、直接的に怖い訳ではないと、存外平気なものなのだな、と思いました。
この手伝いがなくなったのは、突然でした。祖母が「今までお手伝いありがとうございました、これで最後になります」と、宣言したのです。秋か、冬のことでした。
最後のおうちは、特に印象はありません。そこの人は、肩を叩かれました。白い猫ちゃんがいて、私にも先輩にもゴロゴロいってかわいい子でした。
先輩は「役に立ちました?」と訊き、祖母は「大変助かりました、ありがとうございました」と言って、先輩にお礼は何がいいですか、と尋ねました。
「それじゃ最後にWちゃんも含めてお食事しましょう、それがうれしいです」ということで、祖母の奢りで3人でふぐを食べました。祖母は奮発してくれ、一番いいコースで食べました。
その後、先輩は引っ越して県外に行ってしまい、私も仕事に慣れて忙しくなり、疎遠になりました。
結局あの手伝いはなんだったのか。
その時、祖母は、私が先輩から借りっぱなしにしているものはないかと訊き返しました。先輩とはものの貸し借りはなく、お金などは代わりのものを奢ったりして都度トントンにしていたので、そういうものはありませんでした。
それを聞くと、祖母は話してくれました。というかメールですが。
「K(先輩)さんはね、とらです。悪いものには、ものすごく怖いとら。動物のとらみたいに、いるだけで怖い。巡り合わせもありますが、滅多にいないひとです」
「泊まりの都合が、合わなかったひとは、もう最初から、助かるご縁がなかったんです。来てもらって、肩を叩いてもらえたひとは、許されてもいいってこと。叩いてもらえなかったひとは、だめ」
「強いと因果も色々あるんだけど、Kさんは、絶対大丈夫。あのひと、甘やかされてないから、馬鹿みたいに運がいいとかはない。だから負ける時は負けるけど、それはそれで、怖いことなんです。自分を負かした相手の運を、埋め合わせに、根こそぎ持っていってしまう。貸し借りのことを聞いたのはね、それと同じで、借りっぱなしで泥棒するのが、とても良くないことだから。ちゃんと謝って返すか、許して譲ってもらうかしないと、持ってるものぜんぶ無くなるまで、持っていきます。自分からは、どうこうしないけど、ずうずうしいとか、わきまえないひとに、容赦しない」
祖母がこのことを言うのは、たぶん私と先輩のご縁が切れたからで、でも忠告でもあるんだろうな、となんとなく思っています。
コロナが本格的に流行り出す前に、祖母は脳梗塞で亡くなりました。
お稲荷さんへの謝礼のお供えの話は、葬式の後に父から聞きました。
父も詳しくは知らないそうですが、他人様の不幸せを、自分の稼ぎにしてはいけない、ということでお供えにしていたようです。
母が嫌がらなかったのも、たぶん金儲けじゃなくて人助けだと思っていたからなのかもしれません。
先輩は、人づてに聞いたところ、普通に元気で、バリバリ仕事をしているそうです。
お手伝い中、会社でパワハラで有名なお局さんに嫌がらせされている、とボヤいていたのですが、結局そのお局さんが部署をたらい回しにされ、会社をやめたそうです。
たぶん、そのお局さんはこの先いいことはないんでしょう。知らないとはいえ、恐ろしいことをする人もいるものです。
もう一つ、昔の友人にCDを借りパクされたという話を聞いたのも、今書いていて思い出しました。それもどうなるのでしょう。
特にまとまりのない文章になってしまいました。まあ、別に怖くもないでしょう。
こんな話は誰もリアルには信じないと思うのですが、やはりこうも変な体験だと誰かに話したくて(フェイクも混ぜてますが)、ここに投げています。
唯一怖いといえば、都合のつかなかった人、叩いてもらえなかった人のことがあります。
どうなったんだろう、とふと思います。
気にはなりますが、出来もしないことに深入りしないのも大事でしょう。
私は虎のように強くもないし、祖母のようにそれを見極めることもできないので。
そうそう。また書いていて思い出しました。そういえば、タオルハンカチを届けてもらった時に「親切にしてもらうのだから、お礼を持っていかなきゃ」と、祖母はゼリーを用意してくれました。あれは今思えば、なかなかファインプレーだったのかもしれません。
オチのない話で申し訳ないですが、あなたの暇潰しにでもなれば幸いです。
***
虎の威を借る狐だった。
こんなこと何度もないですよ。これが初めてです。
皆さんもお気をつけて。
***
だから気をつけてと言ったのに。
まだ気付いてないんですね。
これはとらの話なんですよ。
残念です。
***
縁がなかった、許された、許されなかった。
その差は?
だって良かれと思ったことが、こちらは些細と思ったことが、向こうを怒らせてずっと恨みを買うなんて、よくある話じゃないですか。人間相手ですら。
びっくりするぐらい真反対の考え方の人って、実際いるでしょう?
私は間違えない?
私は正しい?
本当に?
信じるって、そんなあっけらかんにしていいことなんでしょうか。
***
急に寒くなりましたね。
狐よ、肥えろ肥えろ、どんどん肥えろ。
***
黄質黒章、鋸牙鉤爪。
のこぎりの歯とかぎづめを持つ、黒いすじを持つ黄色の化け物。
訳が分からなくて、怖いですよね。
でも、それに「虎」と名付けたら?
だから「とら」にした。
少しでも縁のある器に注いで、形を捉えた。
そういうことなんですかね。
でも、名前が付いたからって、虎は本質的に虎のままじゃないですか。
ましてや「とら」だなんて、図々しいじゃありませんか。
そういうものの名を、人の分際で決めて、しかも領するなんていうのは。
定義付けるべきじゃなかったなら、せめて、よくある作り話とみんなが思って、薄まらないかなって思ったんです。
これも、いまいちでした。
あんまり詳しく正しく書いて、道理を通そうとするのは良くないんですよ。この手のは。
言うじゃないですか、ラテン語か何かの格言で「神秘は秘匿されるが故に神聖也」って。
でも今時って、皆さん考察したり、伏線や矛盾を突いたり、暴くのがお好きでしょう?
かえって、あちこちに細く尾が走っていってしまってね。申し訳ないことに。
***
これで手打ちにしてくれるそうです。皆さんどうも。
***
長らくお付き合いありがとうございました。
こちら出張の片手間に推敲もせず書いたもので、始末に困って貼ったのですが、存外見ていただけたようで、驚いております。
それでは、本当のお開きでございます。
皆様、余さず頂戴し、骨の髄まで堪能させていただきます。
ご機嫌よう。
昨日はワクチン接種二回目。夫と揃って行った。夫は私が熱に浮かされてても怪我をしても何か取り落としても、他人の目がない限り自分から助けてくれることはないし、子供を世話するとしたら私がやらないで仕方ないからすると嫌々で最低限の斜め下位の世話しかしない。常に私が具合悪くても自分がやらない言い訳が屁理屈で立つような過ごし方を無意識でしてる。どういう行事でも。こういうときにリスクヘッジのために提案して別々の日に行くとして、私の提案だと信じられない間抜けなアクシデントで何か壊したり軽い怪我をしたり対応出来なくて不機嫌に帰ってくるのでうっかり提案も出来ない。別行動の提案が出来たとしてトラブルがないのは夫が先にさっさとお家に帰る場合のみ。子供とふたり遊びに行く散歩に行くと子供はかなりの確率で転んだり事故に遭いかけたりだ。子供はうきうき勇んで出掛けるのに、トラブルありか、凄い短時間で帰ってくる。私と行くと沢山遊んでなかなか帰らないし自転車に乗り始めの頃しか転んだりは無かったのに。
昨夜は子供となかなか寝る準備が終わらず、布団に行けば遥か前に先に布団にいる夫は注射したから怖くて風呂やシャワーは止めると(だから夕方の接種にあわせてシャワー浴びたらと提案し私の運転する車で会場に。シャワー浴びたのに再度昼間着ていた汗臭い服を着た。わー意味のない事した。またまた声の掛け損。着替えの下着とタオル渡すとこまでだからか。着替え全部まりまるわたすべきだったのか。私が浅慮だったか。また失敗か。機嫌次第で嫌な気分になるようなちょっとした攻撃してくるからただの声掛けもしたくないのに。なんとか気合い入れて心と夫の選択肢で変わる雑事を何通りかシミュレーションまでしないとあとに響くから凄い負担でもう嫌なのに。寝床周りを洗濯した時に限って汗かいた体でそのまま就寝するので寝るときに臭くてイライラしてあまりよく寝付けない。布団別だから辛うじて耐えてる)言ってた夫の微妙な臭いの充満した部屋。
ワクチン接種から帰ってからは大仕事終えたとソファで寝た(向かう直前までこどもも構わずに用意された昼食を文句いいながら食べた以外は自室にこもってただけ。)あと食事以外は埃の凄い自室にこもっていた。私は帰ってから洗濯物や布団を入れ居間を掃除機をかけ自転車で子供の髪を切りにいきついでに買い物を大急ぎでして帰宅したら夕食を作った。
子供は
先日実家に帰った。緊急事態宣言下だが、徒歩5分なので咎められまい。
居間で母が懐かしいわねと呟きながら1冊のファイルを眺めていた。
それには私が通っていた小学校の献立表が6年分ファイリングされており、よくみると日付の隣に〇が書き込んである。
登校した日は〇。しなかった日は×。母は私の知らない所で献立表を簡易的な日記として使っていた。
×の日はほとんど無く、たまにある×は風邪や、葬式で田舎に帰ったとか、そういう理由。
夜暇だったので×がついた日をちゃんと集計してみると、合計7日。
偉いなぁ。
過去の自分を褒めている中で衝撃の事実に気が付いた。×の日の献立が全て酢豚だった。
そんなことある?と、私は6年間の献立表を朝方までチェックした。2回チェックした。
6年間で7回も給食に酢豚が出てくるのが多いのか少ないのかは分からないが、とにかく私は酢豚を食べていなかった。
中高は共にお弁当で、大学も頑張ってほぼ毎日お弁当を作った。就職後も同じだ。
でもその中で中華料理屋に行ったことは何回もあるし、酢豚という存在を知らなかったわけではない。
私は酢豚を食べてこなかったのだ。
大袈裟に書いてみたが、ある人はチンジャオロースを食べたことないとか、あんかけ焼きそばを食べたことがないとか、必ずありそうな気がする。
その運命に抗い酢豚を食べる決心をしたものの、記念すべき酢豚を自分で作って食べるのか、お店で食べるのか、人生で1番迷っている。
ところで、テレワーク期間中の電気代がかなりかかってるんだけど、
会社に請求すればいいのか、小池都知事に請求すればいいのか、誰か教えて。
PCも結構電気代かかってるし、通勤しない分、エアコンを 8時間以上/日 多めに使ってるから、
その電気代が大変なんすよ。
飲食関係の方も大変でしょうけど、飲食関連(卸業とか)、宿泊とその関連、
ついでに言うと、長年使ってた自室のエアコンが壊れて、8月初頭に買い替えたんすよ。
これだって普通に通勤してたらなくてもいい出費で(居間のエアコンだけで充分なので)、
しょうがないから冬のボーナス払いで買ったんですよ、ボーナスのない会社なのに。
俺みたいなサラリーマンが多くなると、自殺する人が増えるかもしれないなあ。
飲食だけじゃないんだよ、大変なの。
片付ける女
断捨離とか好きな女
片付けない女
汚部屋になる女
長女と次女がそれぞれのタイプで
モノがどこにあるかまったくわからなくなるレベルで片付けられる。捨てられる。
いっぽうすべてが放置されている床にモノが散らばる
どっちかになるのでおれが手を出せなくなる
断捨離のほうが嫁にいったのだけどいろいろあって帰ってくる時間が圧倒的に増えて
汚部屋から3段階くらい進んで掃除はしやすいがモノはあちこちに散乱はしているが
なにがどこにあるのか把握してるのでまあ過ごしやすいレベルで落ち着いたのだけど
2日前から急にタバコの匂いがするようになった。居間にいると、ベランダで誰かタバコ吸ってるのかな?くらいの強さで感じられる。
しかし家族に喫煙者はいないし、家族に聞いても皆なんの匂いも感じないというのでどうやら自分の問題らしい。
嗅覚症状というと当然コロナとの関連が気になってくる。でも自分の症状はニュースで聞くような、コーヒーの味がしないとか食べ物がまずいという感じでもない。
むしろ何か食べているとき、嗅いでいるときはタバコの匂いは感じない。そのほかコロナの典型症状は全く出ていないし、念の為酸素飽和度を測ってみると普段通り。
ググるとこういうのは異臭症といい、コロナでなくともわりと一般にある症状のようなのだが、よりによってこの時期にたまたま発症したと思って良いんだろうか。
同じような経験してる人、いたりしないだろうか。
てっきり平安時代あたりの宮殿を守る兵士とかから生まれたとか妄想してたわw
あ~しらなんだ♪しらなんだ♪
柔道創始
1874年(明治7年)、育英義塾(後の育英高校)に入塾。その後、官立東京開成学校(後の東京大学)に進学。1877年(明治10年)に東京大学に入学した。東京大学時代には中村正直や三島中洲に漢文学を学び、渋沢栄一の経済学の講義を受け、またアーネスト・フェノロサの薫陶を受けその指導の下、政治学、理財学(経済学)、哲学、道義学(倫理学)、審美学を学ぶ[3]。また1878年(明治11年)には漢学塾二松學舍(後の二松學舍大学)の塾生となる[4]。しかし育英義塾・開成学校時代から自身の虚弱な体質から強力の者に負けていたことを悔しく思い非力な者でも強力なものに勝てるという柔術を学びたいと考えていたが、親の反対により許されなかった。当時は文明開化の時で柔術は軽視され、師匠を探すのにも苦労し、柳生心眼流の大島一学に短期間入門するなどした後、天神真楊流柔術の福田八之助に念願の柔術入門を果たす。この時期の話として、「先生(福田)から投げられた際に、『これはどうやって投げるのですか』と聞いたところ、先生は『数さえこなせば解るようになる』と答えられた」という話がある。
1879年(明治12年)7月、渋沢栄一の依頼で渋沢の飛鳥山別荘にて7月3日から来日中のユリシーズ・グラント前アメリカ合衆国大統領に柔術を演武した。8月、福田が52歳で死んだ後は天神真楊流の家元である磯正智に学ぶ。
1881年(明治14年)、東京大学文学部哲学政治学理財学科卒業。磯の死後、起倒流の飯久保恒年に学ぶようになる。柔術二流派の乱捕技術を取捨選択し、崩しの理論などを確立して独自の「柔道」を作る。
1882年(明治15年)、下谷北稲荷町16(のちの台東区東上野5丁目)にある永昌寺の12畳の居間と7畳の書院を道場とし囲碁・将棋から段位制を取り入れ講道館を設立した。