はてなキーワード: 創作物とは
フィールド型RPGでも戦略SLGでも主人公になれるポテンシャルを秘めている。織田信長を主人公としたゲームや創作物は多数存在するけれど、西郷隆盛は織田信長以上に主人公にふさわしいと思う。
ほんとなえるわ
作品の内容が場末みたいな1話単発ネタならいいけどストーリーものに入れられるとほんとなえるわ
もしなかったら本来の話ぜったい違ったやろっていう
タイトル通りの疑問。
時々という頻度を超えるくらいにはこいつ少し人格に問題あるんじゃないかと思うことがあってイライラする。私がお気持ちツイートしたところで相手が病むのは目に見えているからちょっと吐かせてくれ。
私はとある界隈の弱小文字書きだ。支部にも投稿していてジャンル全盛期ではそこそこブクマも伸ばしたからツイッターでも文字書き名乗って創作アカウントとして運用している。繋がりたいタグやらフォロバしてもらったりやらフォローをもらったりやらで相互も増えたが面倒事も増えた。私は地雷がなく相互になった人の創作物は一通り読む。そして感想なんかも送ったりする。文字書きにとって感想がどれだけありがたいものか知っているから多少なりともモチベーションに繋がればと思うからだ。大体は喜んでくれてそこから交流に繋がるのだが一部は奇妙な反応をする。私の考えすぎかもしれないが何故か異様に上から目線なのだ。まるで作家様とファンのように明確に線引きをした振る舞いをする。私はオマエと相互じゃなかったのかと思い確認するがやはり相互だ。それも相手がタグに反応したから繋がったというきっかけだ。ツイッターは訳の分からないやつもいるんだなあと思って無視する訳だがそいつらはやたらと愚痴が多い。日常のことにとどまらず感想が来ないことに関してまでも病み始めて見ていて憐れだ。もしも最初からそいつらのファンだったとしてもあんな恵んでやってるというような反応をされて応援し続けられないだろう。私が推している作家は気さくで明るい方が多いからもしかしたらそうでもないのかもしれない。ただ見ていて不愉快だ。最初のうちは他に繋がっている相互の手前そこそこの付き合いはしていたがそのうち付き合いきれなくなり放置したらフォローを外された。私は見る専のフォロワーが減ったのかと思いしばらく気づかなかったが私の方のフォローはそのままだ。繋がりたいタグしておいてリムるんだ。へえ。彼女なりの優しさで作品あ見れるようにしてくれたのかもしれないが大きなお世話だ。フォローは外した。とまあこんな感じの作家様様がよくいる。私って絡みづらいのかな寂しいとよく言うが同類の人間連れてきてもお前は仲良くしないだろう。ただファンが欲しいだけだと思う。
私に実力があって良い作品を書けば対等な立場で仲良くできたのかもしれない。それを承知で言わせてほしい。オマエらと私の評価そんな変わらねえからな。いいねRTやブクマ、フォロワー、感想の数、どれを見ても差はほぼない。言うなればフォロワーや感想に関しては私の方が多い。別に作品が良いからとは言わない。少なくともそいつらよりはまともな対人関係ができているからだろう。私が何故下に見られなければいけなかったのかは謎のままだ。
そいつらと縁が切れたからといって私に変わったことは何もない。仲のいい相互と楽しくはしゃぐだけだ。ただ仲良くしたいと思って歩み寄ろうとした私の気持ちは踏み躙られた。そんなことが複数件起こり今はもう新たに交流を広げようとは思わない。フォローもしないしフォロバもしない。感想もぱったりと送らなくなった。何故二次創作をやっている者同士仲良くできないのか。普通に同界隈の友達をたくさん作りたかっただけなのに不愉快なことが多すぎる。
現実の好みと創作物の好みが違うのっておかしいことじゃないよな、
だってNTRモノが好きだからってNTRたいわけじゃないだろうし
ロリが好きだからって本物のロリと二次元のロリって全然違うし…
俺、二次元ロリ好きだが(クジラックスが好き)本物のロリは動物に対して可愛いっていうのと同じような感情になるから…これ言うと目敏い人に動物とロリを同等に扱ってると思われそうだが動物に深い意味はなくてただ性的な目で見る対象ではないという意味でだしてるから許してな
まあそれでいったら二次元の女と三次元の女も全然違うし二次元の男と三次元の男も全然違うんだが
俺の話になるんだが、最近…特定の男キャラが犯される漫画で抜いてしまった…俺、おかしいのか?
いやでもな、誤解しないで欲しいんだが…俺は某中出身 匿名希望 三次元の男には興味ありません、この中に二次元 なんか すげー かわいい 男 が居たら私の所に来なさい 以上!なだけなんだよなあ…
いやでもな、その特定の男キャラでしか抜けない…というわけでもないが(ああ!試したよ)わざわざ見る気が起きるのはその特定の男キャラだけなんだよ、普通に女を犯す漫画も読むが…そのキャラを犯す方が良いことに気づいちまったんだよ…
腐男子って言うのも違うな…と、俺はアイツが好きなだけなんだと思う、ただ男と男がくっつく話には興味ないから
違反ではない。舞台設定やキャラクターは日本では著作権の保護の対象にならないので、他人の創作物の続編やサイドストーリーを著作者の許可なく描くのは許されるというのが学会の通説。つまり、コミケで売ってるようなものは絵が一致しなければBL改変とかでも多くは著作権法上許されている。ここには著作者の意見は関係ない。
ちなみに、海外だと様子が違って、例えばアメリカだと、有名小説の「類似または同一の考え方、性質および人格を付与し、詳細にわたりオリジナルを再現した」続編小説は著作権侵害となる可能性がある。
グレー。厳密には違法な可能性はあるが、今流通しているものは今のところ問題ない。
社会一般によく知られたキャラを使う場合、不正競争防止法2条1項2号にある著名なキャラのパブリックイメージを保護する規定にひっかかる可能性がある。たとえば、竹をくわえた少女の絵を表紙に使って宣伝するのは、「鬼滅の刃」の顧客誘引力で自らの物品の注目を高めようとしているとみなせて、原理的にはアウトの可能性がある。わいせつな画像などキャラのイメージを崩すような創作を広く発表するのもアウトかもしれない。
不競法の対象は事業者なので、文化祭で文芸サークルが配布したとかならおそらく大丈夫。事業者の定義ははっきり示されていないが、税法の定義を借用すると、法人化しているかとかではなく、反復継続して行っているかがポイントになるかもしれない。年に二回のコミケに出すのはどうか、というと、具体的な事情を鑑みて個別に裁判所が判断、ということになる。判例もガイドラインもないので詳細は不明。
不競法は、あくまで民事の話で刑法ではないので、著作者が問題にすると決めた時に初めて問題となる。いきなり警察が来たり逮捕されたりする可能性はゼロ。民事では裁判の前にまずは当事者間の話し合いなので、権利者から何かを言われた時に初めて対応しても遅くないかもしれない。もちろん、作者が二次創作を許可している場合は問題ない。
ちなみに、「社会一般によく知られた」っていうのは「ポパイ」とか「シャネル」とかが想定されているかなりハードルが高い条件で、企業側でそのキャラのパブリックイメージの確立と保護のためにそれなりの投資を長年しつづけていることが必要。「マリオカート」レベルでも地裁と高裁で認定が分かれている。グッズ展開があまりなされていないようなマイナージャンルでPixivに絵やマンガを公開したりするのは、ほぼ間違いなく合法。
そもそも「罪」ではない。前科もつかない。ただ、不競法の損害賠償請求における基準額は、該当商品の売上高を基準にされることがあるので、販売することで損害賠償額が上がる可能性がある。利益ではなく売り上げ基準なので、印刷費と交通費考慮したら赤字、とかはあまり関係ない。(情状の考慮の際に参考にはされる)
これは仮の話しなんだけど、現在進行系の特定の詐欺とか文書偽造とかマネーロンダリングの手法とか、多分書いたら面白がられるとは思う。
でも、バラすと具体的にどこのグループの誰かが俺の親族だとバレてしまう可能性があるから、直接そのまま書く事はできないんだ。
というか、俺がバラしたとわからなきゃまだいいけど、わかったら何をされるかわからないし、そう考えたら怖くて不眠症がぶり返すからね。
でも、確かに言われてみて思ったけど、もうちょっと独自性とか情報量を落として創作物っぽくできれば、嘘をもっと沢山まぜてみればいける……のかなぁ?
話の骨格や部品は既存のハードボイルド系、アングラ系の小説とかノンフィクションとかを盗作にならない範囲で借りてきて適当にリミックスするだけもいいんじゃないかな。
でも、自分にしか書けないリアルな心情描写ってあると思うんだよね。そういうの前面に押し出して書いてみたらどうかな。それって絶対オリジナリティ出せると思うし、心情描写だからバレる心配もまず無い。
あと、思いっきりぶっ飛んだ設定にするとか。ダークファンタジーとかSFの枠組みだったらバレにくいと思う。
弱者救済を高らかに謳うポリコレが吹き荒れている。悪しき差別や他者を傷つけるような思想や表現を全て吹き飛ばし、地上に楽園を作るんだそうだ。
しかしその楽園に私の居場所は無い。私の性欲は相手を深く傷つけるだろうし、私の趣味は「偏見」に溢れている。具体的にはロリコンで百合厨のオタクだ。
何故それらが廃されるか。ロリコンは言うまでもなく、実行すれば相手を身体的にも精神的にも深く傷つける悪しき性癖だ。私自身積極的に他人を傷つけたいとは思わないので手は出さないが、性欲は発散したい。だから自慰をするのだ。しかし自慰行為というのは何もなくてできるというものでもない。通常は性的に興奮する写真や実写動画、絵やアニメーションを見ながらするのだが、私の場合前者2つは法律で規制されているので手に入らない。だから後者2つで発散していたし、それに満足していた。どっかの偉い先生の台詞じゃないけど「一生独りでシコって死」ぬつもりで生きてきた。しかし、ポリコレの旋風はそれを許さないらしい。現に西洋の多くの国では二次元ですら規制され、逮捕者もいる。二次元も含めた児童への性的な欲求を完全に否定する世界は子供を持つ親や小さな子供にとって楽園かもしれないが、私にとっては地獄だ。そして日本でもじきにそうなる。ロリコンに厳しい世界の流れはもはや変わらないだろう。
百合厨について、ここで言う「百合」とは女性同士の愛を描いた創作物の事を指す。作者は多くの場合ヘテロの女性や男性だ(もちろんレズの百合書きがいることも否定はしないが非常に少数だろうと思われる)。アメリカではBLMの流れに沿って、異なる人種を演じるのは差別だという風潮が生まれ、そこから異なるセクシュアリティの人間の役を演じるのは差別だという考えが派生したそうだ。そこから考えられるのは、「BLや百合をゲイやレズ以外が書くのは差別だ」という風潮が生まれるのではないかということだ。杞憂かもしれないが、ありえることではないだろうか。そうなった場合、まず書き手が大幅に減少する。多くの作者はレズではないからだ。更に、当事者のリアリティが求められ、偏見やステレオタイプに厳しくなる。ファンタジーのないただ生々しいだけの恋愛に何の面白さがあるだろうか!(そういうのが好きな人を否定はしないけどさ)
全ての人の人権と尊厳を守る素晴らしい楽園が現れる。しかし同時にそこはある人にとっては耐え難い地獄である。審判の日は近い。
そういう意味でガワは似たようなものなのに中身が別物になってる
でもちょっと疑問なんだが
アニメとか創作物ってそもそも感情を揺さぶるものじゃなかったかな?
逆にVはストーリー性に弱いから、その点ではアニメや文字媒体に勝てない
いい感じに住み分けられているのかもしれない
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もう少し考えた
そもそもVtuberとアニメ・ゲーム・音楽・小説というコンテンツを切り離すのは間違いな気がした
ああいうVtuber、もっと広い意味で言えばリアクターは、コンテンツをどう楽しめばいいかの感情の補助輪的な役割なんだと思う
これはニコニコ動画みたいなシステムでも代用可能だったが、システム主導ではなくVtuberという人主導にすることで色んなコンテンツに対してガイドすることができるようになった
と、そこまで考えて、それではリアクターなしのアニメと、リアクターありのアニメはじゃあどこが違うのか、と考えると
リアークター有りの優位性としては、ガイドがあることで感情の増幅器になることがあると思う
一方で劣位性としては1人で考えたい時には阻害されることが上げられると思う
やばいまとまんない
物書き……というより脚本を書くような仕事をする事がある(ぼかし)けど、田舎の人間を描く事ができない。
最近の増田を見てても思うけど、どう頑張っても田舎と都会の人間の精神性は遠い。
自分がどれだけ田舎に旅行に行っても、田舎の友人を作っても、田舎に関する文献を読んでも、多分一生わからない。
物語に置いてはより色々な人物を表現できる方がいい。その上で特殊な仕事、例えばヤクザとか、医者とか、画家とか。そういう特性を持った人物って世の中の大多数なわけではないから、多少脚色してもバレないものなのだ。
医者が医療ドラマを見てこんなのあり得ないでしょ!という事はあるんだけど、大多数は医者ってこんな感じかな、と適当に思ってくれるわけ。
ただ田舎の表現はそうはいかない。田舎の人間は多い。田舎特有の空気を適当に都会の人間が表現してもすぐバレるのだ。
田舎から上京してきた22歳男性、とかも描けない。ものすごく物語という物体に適合する属性だと思うんだけど、田舎から上京した時の気持ちがわからない。田舎から上京した増田を読んでも本質的に理解できない。
描けない上に理解もできないので田舎や田舎者を舞台にした創作物も多分正しく摂取できてない。田舎から上京してきた友人はサマーウォーズを観てベロンベロンに泣いていたが自分はもう全然わからなかった。
そういう訳で僕がストーリーを構想する時にはどうしても都会人を主役にするしかなく、まあそれでも問題ないっちゃないんだが微妙にバリエーションを得られないなあと思う事があるのだ。逆に田舎の人は都会人の哀愁を描けなかったりするものだろうか。渋谷に居ると空っぽを感じる、のような。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/77739
みんな大好き初詣も、おみくじ、占い、お盆、クリスマス、バレンタイン、ジューンブライドもみんなスピリチュアルでしょ?スピリチュアル嫌いな人がどうやって折り合いをつけているのか知りたいくらいだよ。
なんとなく、好き嫌いを追記しました。結果結構好きな人になってしまった。
基本的には行かない。好きな人・会いたい友人などに誘われたら行くかも。
嫌い。
話のネタにはなるので友人といて100円ならガチャガチャ感覚で引くかも。
友人と楽しめる場合は好き。
嫌い。ただし占い自体に金を払っているわけではないもの(テレビや雑誌の一コーナーなど)には興味はないが嫌悪感もない。
親族で集まるなどの予定があれば参列はする。親族がいなければ日付もわからないだろう。
休みがあるという点では好き?
チョコレートを食べる日。
スピリチュアルなの?迷信的な意味?知らないしそもそも関係ないので特になし。
そういえば、友人などで「ジューンブライドだから6月にしました」って例を聞いたことがないな。そんなに根強くない?
好きでも嫌いでもないが、ジューンブライドという概念がなければ6月のガチャが花嫁衣装になることもなかったとしたらあってよかった。
基本的に、スピリチュアルに金を払うことに嫌悪感があるので、金がかからなければわりとどうでもいい。クリスマスやバレンタインは食品に金を払っているのであって、神などに向けてお布施をしているわけではない。
あと、「否定すると世間的にやばい」ものは公言しないようにしている。
多分そういう意味じゃないと思うんだけど、「金を払うと願いを叶えてくれる」というのが「神」という言葉に対してあさましくて嫌い。
「並ぶ」「儀礼的なことをやる(手合わせる秒数とかわかんなくて居心地が悪い)」のも好きじゃないなと思った。
存在は信じていないが、単語・定義としては理解できる。賽銭の項目で書いたが、自分自身「神」という単語に神聖性を感じているので自分にもスピリチュアリズムがあるような気がする。
フィクションの概念としての神は好き。現実に存在するとされるならそれは嫌い。
まだ未経験だが、やりたくないし、多分やらないと思う。
嫌い。呪いの手紙みたいな、悪いことで人を縛るのはやめようよ。
家族のをやる機会があればもちろんやる。でも自分のときはやらないでほしいなあ…世間的に難しいだろうか。
個人的に、葬式的なものには何も思わないけど、坊主が嫌い。坊主を呼ばずにやりたい。
見えるとか言い出す人とは距離を置く。他人にそんな話するメンタリティ含めて。
嫌い。
フィクションならなんとも思わないが、実録と銘打っているものは嫌い。
関わらないようにしている。海外には住めなさそう。
勧誘で訪問されたとき、断るときに心が痛いのでなくなってほしいなあと思う。
あと、キリスト教や仏教などそのものの教義や経典にはわりと興味がある。
関わらなければ自分にはあまり関係がないので好きでも嫌いでもない。
関わらないようにしている。
関わらないようにしていても往々にして向こうから接近してくることがあるので、どちらかといえば嫌い。
ほか、何かあったかな?
予定もないしあんまり知らないんだけど、家建てる前になんかやる儀式?も建てる人間が金払うんだとしたらま~~~~じで嫌だなあ。
「死んだお母さんが悲しむよ」という方便的な説得(しかも実際それで立ち直ってしまった人とか)とか、「お米には88の神様がいて~」「バチが当たるよ」みたいに子供を諭すことについてはどう思うのか気になる
実際立ち直れてしまった人にはよかったねとしか思わないが、自分が言われたら嫌だ。生死に関わらず勝手に他者を代弁するなと思う。
お米のやつ、聞いたことがなくて、ピンとこない。教養がないって言われそう。
おそらく、自分を育てた親もこういうのに関心がなくてあまり言ってこなかったんじゃないだろうか。
結婚式の例に漏れず予定はないけど、自分が育てる立場なら子供を諭すときは具体的な理由を明示したい。難しいんだろうけど。
どうでもいい再追記
「〇〇はスピリチュアルじゃない」系のコメントがめちゃくちゃあるけど、発端は最初に引用したブコメを受けてのものなので知らん。
個人的事情としては気の毒だな~と思うので友人だったら慰めるけど、創作に男も女もないってのは欺瞞で、創作物は作家や時代性などの周辺情報も含めて摂取されるもんなのは自分でもわかってるだろう。処女作と十作目、まどマギ以前と以降の魔法少女物、自分で作詞作曲した歌と提供を受けた歌、顔出し作家と覆面作家、全部受け手の印象は変わるってのは、何年も表現稼業やってて頭も良さそうなんだからわかってるはず。こういうアイデンティティ問題や社会問題の意見の中に、自分で欺瞞とわかってる要素を便利だからって理由で混ぜてると、次第に考え方全体が自分にとって便利な方向に流れる癖が付いて正当性を失うので危険だぞ。
LGBTsの言説やモチーフにした創作物を見るだけで気分が悪くなる。
全て連想して、何もかも楽しめなくなった。
某アウティング事件が話題になって当時の感情がよみがえってきた苦しいので吐き出す。
人それぞれでべつにどうでもよい、関係のないことと思っていた。
以下ぼかしフェイク乱文乱筆諸々あり
<経緯>
・会社に入って数年、初めて後輩(同性)ができた。
それまでまわりは年の離れた同僚ばかりだったため
年の近い同僚ができたということが嬉しかった。
・後輩とはすぐに仲良くなり飲みに行ったり休日も遊んだりするようになった。
・徐々にやけに距離感が近いと感じるようになった。
・少しずつ軽いボディタッチやすれ違いざまになぜか触られるなど理由のない接触が増えてきた。
・会社でたまたまひとりで人気のない倉庫で作業していたと急に後ろから抱きつかれた。初めて身の危機を感じた。
めちゃくちゃ怖かった。本当に怖かった。怖い瞬間って声出ない。
一拍おいてなにやってるんだ、とかなんとかいってその場は引き剥がしたが、その場で笑って悪びれず接触を増やしてきた。
・そのあと後輩からの飲みなど誘いを断りまくったら、会社での接触が増えた。
周りに人がいたら冗談混じりに近づいてきて、一人でいたら抱きつきや匹敵するような接触を
冗談のような顔でしてくるのが最悪だった。エスカレートした。具体的にされたことを書こうと思い出すと涙出てきた無理。
・後輩に会うと思ったら会社に行きたくない気持ちになるようになった。
<ショックだったこと>
・仲が良くなれたと思った人間に裏切られた。
・後輩相手なのに何も反撃できない自分に対して失望した。情けない。
悔しいより怖いが勝っていた。自分の気の弱さに、自分自身が嫌になった。傷ついていることを認めるのも傷つく。
・後輩なんかのせいで、やりがいを持って働いていた会社に行きたくない気持ちになったこと。
・今でも書いていて涙が出る。こんなことでと思ってしまう。
・自分が同性からのセクハラと言える行為を受けていること自体認めたくなかった。
・避けても注意しても悪びれない後輩にどうすればよいかわからず、思い切って背後から抱きつかれたことなど具体的な言動含め
当時一番信頼していた先輩に相談したら「懐かれている」「仲よくて良い」「勘違い」と笑われた。
・後輩は人当たりがよく社内外でも仕事ができると評判の、できた若手ホープだったので、
何を言っても自分の立場が悪くなるように感じた。何もかも難しかった。
・メンタルの状態が最悪になり、上司との面談が設けられるくらいなってしまったが、言えなかった。
尊敬する上司だったが、同時に後輩のことを高く評価しているのもわかっていた。
まず信じてもらえないかもしれない、信じてもらえたとしてどうなるのか?
想像すると何も言えず別件で以前抱えていた解決した仕事のせいにしてしまった。
<救われたこと>
話したら、真剣に聞いてくれて本当に救われた。
深刻さ、傷ついていることに気づいてくれて、
どうすればよいかを一緒に考えてくれた。苦しい気持ちを認めてくれた。
それはおかしい、とはっきり言ってくれた。
とりあえず距離をおくこと、態度を硬化させる、周りからどう思われても良いからなるべく接しないようにするなど、
方針を決めることができた。
<相談後>
・ちょうど仕事が繁忙期にあたる時期に入り、仕事量を理由に強固に避ける態度をとることができた。
・本来先輩と後輩という関係性で、先輩である自分が仕事のできる後輩への態度を硬化させると自分の評判が落ちかねないことに
気が滅入ったが、そんなことで評価されなくなるようなら、もうそれまでだと言い聞かせた。
・周囲で仲良かったのに最近どうしたとか聞かれても、評判が落ちようが自分の精神、安全を優先する意思を貫いた。
・貫けたことで、自尊心が少しずつ戻ってきた。戻ってきた時に、自尊心がすり減っていたことに気づいた。
・後輩の接触は減った。気弱だと思っていた相手が態度を硬化させたことに気づいたようだ。早く配属変えになって自分の視界に入らない所にいってほしい。
・在宅勤務最高。
・表題のとおり、最初の繰り返しになるが、自分がされたことがフラッシュバックして
LGBTsの言説言論、関連ニュース、モチーフにした創作物、匂わせ系を見るだけでも気分が悪くなる。
全て連想して、何もかも楽しめなくなった。
後輩が実際にそれかどうかは本人は匂わせつつ明言したわけではないが、自分は被害にあったと感じている。何もかも無理になった。
おっさんがズのドラマが流行っていた時なんかは見たくないのに新聞や広告で見聞きして心底最悪だった。
もちろん、すべてが後輩のような輩ではないのはわかっている。
自分が尊敬する芸術家や著名人の中にはLGBTsを公言している人もいる。
なのに、以前のように、人それぞれとか多様性が良いとか二度と思えなくなった自分がいる。
<余談>
・学生時代に気弱を直そうと武道を少し習っていたが、実際身を守るのは無理だった。
体を鍛えてもメンタルは難しい。反撃も無理。距離をとるしかできない。どうすればよいかなんてわからない。
私の年齢はおそらく元増田より10歳ほど下だが、同じように性的な体験をまったくしたことがなく、そのことをコンプレックスに思っていた。
友人同士で話しているときに、他の人が自身の性的な体験についての話で盛り上がっていると疎外感を感じた。
私は子供の頃から人一倍性的な事柄に対する関心が高く、性的な事柄に関しては誰にも負けない知識をもっていると自負していた。
しかし友人たちは不完全な知識であっても、それが自分の実体験に基づいている。
対して私の知識はほとんどが妄想・ネット・本・映像から得たものである。
おまけに私はややBDSM的なものが好きで、さらには性的指向が女性(特に年上の女性)に向いているので、私が好んで見る性的な創作物はほとんどが「きれいなお姉さんが虐げられる」という類のものであった。
そのため性的経験がないことと「きれいな女性が虐げられる」創作物を見ることが好きであることに1人悶々と悩んでいた。
一時期はレズビアンのコミュニティに入って交際相手を見つけようかと思っていたこともあるのだが、田舎に住んでいるためそのようなコミュニティが近所になかった。おまけに他人に自分の性的指向について知られるということがとても怖かった。
また、先ほど性的指向が女性に向いていると書いたが、男性に対して恋愛感情がわかないということはなく、これまで何人か好きになった男性はいた。
つまり、私は完全に女性のことしか好きにならないというわけではないのである。そして、そういった自分の性的指向はレズビアンのコミュニティではあまり歓迎されないのではないかという不安があった。あくまでこれは私自身の思い込みであり、事実とは異なると思う。
よって、レズビアンの人と出会って性的な体験をする手段が私にはレズビアン風俗しかない!と思い、レズビアン風俗の予約をとった。
私の好きな「きれいな年上のお姉さん」と思われるキャストの方を指名した。BDSM系のオプションについては生身の人間に苦痛を与えることがどうにも憚られたので付けなかった。金欠だったということもある。
実際にそのキャストの方は本当にきれいな年上のお姉さんだった。プレイ内容についても大変満足であった。やはりプロである。
1回性的な体験をしたことによって、性的な体験をしたことがないというコンプレックスは解消された。
勿論この体験も「きれいなお姉さんが虐げられる」映像が好きであることと同様に他人にひけらかすことができるものではない。
それでもいいのだ。自分にとって大切なものは心の中にしまっておけばいい。そう思うことができるようになった。
しかし、私はどうにも「きれいな年上のお姉さん」ともう1度性的なことをしたいという気持ちにはなれなかった。
私にとって「きれいな年上のお姉さん」は、役所の受付で二言三言言葉を交わしたり、ちらっとすれ違ったり、(こういった眼差しは不快に思う人もいるだろう)、創作物などの映像・画像の中で見て1人で勝手に興奮したりするものであって、ともに人生を過ごす存在ではないのではないかということに気づいた。
また、初めて生身のレズビアンの方に出会って女性に対して性的な関心を抱く自分を肯定してもらえたことで、女性が女性に対して性的な関心を抱いていもいいという当たり前のことに気づき、自分の性的指向について悩むことがなくなった。女性が女性に対して性的な関心を抱くことは何も私だけの特別なことではないのである。
余談ではあるが、レズビアン風俗に行った後しばらくして友人の男性と付き合うことになった。本格的なお付き合いはこれが初めてである。
「女性のことが好きだから男性のことは好きになってはいけない」といった思い込みが解消されたことも、初めて他の人と付き合うことができた一因であろう。
まとめると、私にとって「きれいなお姉さん」が好きな自分、つまり性的な事柄が好きな自分との距離の保ち方を学んだということがレズビアン風俗に行った1番の成果であった。
「自分(作者)が我が子(創作物)を育てるに当たり、近所に住んでる義実家(二次創作勢)が介入してきたら、どうするか?」って話のようですね。
・我が家のことに口を挟まないで欲しい。余計なお節介です(二次創作ヘイト)
大まかに区切ると、上記の2択になると思います。(もちろん、「条件付きならOK」とかもあるでしょうが)
難しいのは、義実家は善意で介入してくる場合が多く、かつ、その介入が良くても悪くても関係性が切りにくいところ。
「義実家の介入(二次創作)を我慢することによって対価を得ている、もしくは、ペナルティ(損失)を避けている」という事実。
当人は善意のつもりでも、予期せぬ介入をされたらストレスになるヒトもいると思う。義実家への気遣いもしないといけないし。
だからといって義実家に「いらんお節介。来るな。迷惑」なんて言ったら、自分が悪者にされかねない。
現状は、コミックスの描きおろし部分にやんわりとしたお気持ち表明をするくらいが、せいぜいでしょうか。
『自分の思うがままの育て方をしても』
『「我が子」は思ったように育たない場合がある』ってことなんだけどな!!
*あえて「義実家」にしたのは、「実家」よりも直接モノが言いづらいニュアンス的なもの。別に「実家」でもいいです。どうせ例え話だし。
呪いとかいうワードチョイスをしている辺り増田も内心では自覚しているんだろうし、酷なことではあるけれど、嫌ならデメリットを甘受してでも「私の作品は二次創作禁止です」って言わなきゃただの我儘でしかないよ。
結局なんで『二次創作を許容しなければならない空気感と文化』ができたかと言えば、個々人で見れば増田のように嫌だと思う人がいても、全体で見ればそういう文化があった方がプラスになるからだよ。
増田が人の作品を勝手に使って二次創作している奴らのことを思ってやる必要はない。
だけど、そうした二次創作を上手く利用して宣伝をしたいと思っている出版社や、二次創作からプロへの道を拓いた同業のクリエイター、二次創作が副収入になってなんとか食いつないでプロをやれているような駆け出しクリエイターのことはどう考える?
増田一人が自分が権利を持つ作品に関して「嫌です」と言えば良いだけのことのために、そうした人々を巻き込んで文化全体をまとめてぶっ壊したいという願望が、増田自身は正しいものだと思っているの?
別に今、増田が行っている方法以外でも創作物を発表することはできるのに、増田は二次創作を許可しないといけないような文化圏の中で発表することを”自分の意思で”選んだんでしょ?
その文化圏の中で作品を発表することのうまみ(商業的利益とか)を得ておきながらそこの文化に反するのはフリーライド的な考え方なんじゃないの?
創作物で、過ちを犯した人物をビンタもしくは殴ってから説教そして改心、みたいな場面が良くある。
自分はそういう場面で感動してしまいがちなんだけど、ふとこれって体罰だよなと違和感を持つようになった。
ビンタして屈服させてから優しく説くってようするに、受ける側の感情の負から正の振れ幅を大きくして説得力を錯覚させているようで、詐欺師が使いそうなテクニックだなって気持ち悪さがある。
あとは何だろう、過ちと痛みをリンクした形で記憶させることが抑止力になるから?パブロフの犬じゃないんだから、限界まで言葉のみで伝えるべきだろ。
相手が興奮状態にあって、正気に戻すためにビンタしてる場合もあるような。猫騙し(目の前で手を叩くやつ)でも良いのではって想像してみたらシュールだった。