はてなキーワード: 創作物とは
胸糞だから読まない方がいいと思う。
でもどうしても吐き出したかった。
薄情で不謹慎なのはわかるけど、ポカンとしかできない。あと葬式でも泣けない。でも結婚式は号泣する性質。もちろん悲しいって気持ちはあるんだけどさ
若くして亡くなった友達の葬式では、周囲が皆泣いてるのに泣けなくて、やべえなあって思いながら俯いてた。
でも、悲しまなきゃいけない、そばにいなきゃいけない、会いに行かなきゃいけない、声をかけなきゃいけない
個人の意見としては、自分が倒れたりしても、最低限もろもろの書類にサインしてくれれば帰っていい。
だったら家帰って好きなことするとか、夜なら仕事に備えて寝るとかしてほしい。
ついでに倒れたからってわざわざ仕事投げ出してとか来ないでほしい。死ぬかもしれない自分のせいで、仕事に支障出るし、大切な人の貴重な有給が減る。それはつらい。死んでも生きても後悔する
本気でそう思ってるのに、伝えたらバッサリそんな薄情なことできないとか、不謹慎だとか言われた
映画とか他人事なら泣けるし、悲しい気持ちもわかるけど、自分含め自分事だとすごい薄情で不謹慎な人になる。
なんでこうなんだろう。
おかしいのかな。
つうかノーベル文学賞取ってるようなのだろうが、国語の教科書に載ってるようなのだろうが、大部分は全員美少女にしたらほぼエロゲじゃね?
最近のラノベやアニメはエロゲっぽい~~って意見をたまに見るけど、そもそもあらゆる創作物はエロゲとの違いはキャラデザだけじゃね?
ギリシャ神話だって、主人公が「ガハハハ~~!!グッドだ~~~~!!!」って色んな女にえちえちな事をしてるし、この世界には最初からエロゲっぽい作品だけがあって、そのキャラデザが変わった途端に、エロゲっぽさを皆がそこに見出したのでは?
始めての観測によってフラグが立って、そのあとは前よりも緩やかな条件で観測が可能になったというか。
そういったイデアは最初から既に底にあったけど、その影の形に人類が見いだせる意味のパターンを人類がまだ知らなかっただけ。
あらゆる作品はキャラデザ以外はエロゲぽpくて、その中でよりエロゲっぽさが強いものを指してエロゲっぽいと呼ばれるようになっただけでは?
つまり、エロゲは美少女という触媒を利用した原点回帰で、それ故にそこから再度日本のクリエイターたちが分岐したのも当然の帰結だったと言えるのではないだろうか。
少し不思議+不思議ちゃん+浮気+ストーリー上無意味じゃないような無くてもいいような程度のセクロス、構成要素がエロゲすぎない?
俺には最低な趣味がある。それは他人のもめ事を見るとこだ。自分よりも低い(と思っている)ことを、見ることで愉悦に浸ることができる。
特に仕事がうまくいかないとき、なんとなくむしゃくしゃしたときなど、説明できないモヤモヤな気持ちが沈殿してしてしまった場合にそれらを見るとスカッとする。
その下世話な話題を俺に提供してくれているのはツイフェミと呼ばれる人とその反対陣営だ。
宇崎ちゃん、これフェミ騒動、ATUGIなど、本当にかきこみ一つ一つが哀れで仕方ない。そもそもtwitterの限られた文字数だけで、相手をねじ伏せようとしている様が本当に滑稽だ。それが本当にできると思っているのならただの馬鹿だ。
ちなみにこの文章は突発的に書いたので整合性やらは皆無だ。そもそも俺は文章の力で人は変えられないと思っている。それができる音は一握りの天才で、少なくとも俺らやお前らじゃない。
それができると思って限られたスペースで活動していること自体が知能の欠如と言えるだろう。
最初に言っておくが男女平等であることに不平不満があるわけでなく。むしろそれが遵守されるべきだと考えている。
ただ、男女が完全な平等というのは懐疑的だ。だってそうだろう。男には男性器が女性には女性器がついているし、身体能力だってまるで違う(Tに関してはあまり知見がないので、ここで突っ込まれても困るから、ここでは生物学上的ということにしてほしい)。
そもそもこんな長々とした文章を書いているのに、読者に100パーセント理解できてもらえないだろうな、変な文章書いてるな、話の芯がないなと思っているのに、なぜあいつらは自信満々に自分の言葉という力を信じているんだろうか?
そんでもって、最近趣味でツイフェミさんたちを見ていると思うことがある。
ジェンダーギャップが低いことを叫んでいる人は、本当にそれらが何の数値であるか、どういった意図があるのか知っているんだろうか。俺も数回1-2回ほどなにかしらのそういった資料を読んだだけなので、詳しいとは言えないけれども、それでもなお「ジェンダーギャップがー!」と伝家の宝刀のようにそれを振りかざす姿は、本当に人として哀れに感じる。
あとは「私と話したいならフェミニズムを事前に勉強してこい」という書き込みをよく見かける。これを書き込んでいる奴ってのは本当にtwitterの中にしか居場所がないのかなと思う。世間じゃフェミニスト=レディーファースト推進委員会位の認識だぞ。少なくとも田舎じゃそうだ。証拠出せって?それは私がエビデンスだから(笑)。反対意見を書いたり上げ足をとったりするやつも本当にどうしようもないけど、興味を持ってくれてるだけありがたいと思えよ。お前らの思想なんて今晩の献立以下の価値しかないことを認識しろ。街で駅前でビラを配るほうがよっぽど有益と思う。それができないなら、反対意見をねじ伏せるようなロジックを組み立てろよ。それができないんだったら、昨日の味方は100人だったけど、今日納得してもらって101人になったっていう草の根運動でもしてろよ。本当に無能集団。
これもよく言われてるけど一人一派ってなんだよ?馬鹿かよ。お前らは強固に結びつかなくちゃいけないのに、それを自分たちでバラバラにしてどうすんの?
最後にツイフェミさんを見てこれは思うんだけど、お前らって最終的に何をなにしとげたいの?全然ピンとこないんだけど。石川優実さんって正直嫌いなんだけど、Kutuuというわかりやすい指標を出してることだけは本当にありがたいなって思ってる。ほかの奴らもそこだけ見習え。世界平和を叫ぶ子供たちと同レベルだぞ。純真さがないだけかえって悪いわ。
あと、ここからはツイフェミさんに反対意見を言っている奴ら。正直に言うと俺もそっち側だと思う。でも、アニメアイコンや画像の無断転載してるような奴が言っても、説得力皆無だぞ。面白おかしく、煽りで版権のコラ画像使ったりするのって、お前らのほうが正直モラルを疑う。みんな使ってるからっていいっていうやつは、もう勘弁してくれ。そんな奴らは面白おかしく毎日あったくだらない出来事を書き込んでろよ。そういうもんだろ。
ツイフェミ側とお前らだったら、お前らのほうが犯罪者だからな。少なくとも、公平にジャッジするとツイフェミ側はそういった、お前らが軽んじている一線を遵守している奴は多いぞ。犯罪者が表現の自由を叫ぶなよ。馬鹿か。愚かすぎる。そこだけはフェミさんがいうように価値観のアップデートしとけよ。
全く関係ないけど、お前らがそういった権利関係ガバガバなムーブが、創作物が軽んじられている原因になっていることを自覚しろ。
このクソどもが。
食った肉が人肉かもしれないと気づいて主人公がゲロ吐いたりしてるだが、
昔からこういう「人肉は絶対食べられない」とか「人肉食った生物の肉は食えない」的なキャラが大げさな気がして仕方ない。
そういう人もいるだろうけど、実際には繊細な人だけじゃなかろうか。
別に食った事はないけど、ただの肉だろ。
牛とかでも食肉になるのは若い牛だけで、歳くった牛の肉は食えたものじゃないというから、大抵の人肉も多分ゲロまずなんだろうけど、味の問題をクリアすれば別に問題も感じられない。
外国のどこかの部族は、葬式で故人の肉を食べるのが風習らしいし、三毛別羆事件の人食い羆も、狩られた後に供養で食われたそうだ(不味かったらしい)。
太平洋戦争で飢えた時は尻の肉を食ったと言うし、腹が減れば人間何でもアリだろう。
どっかで性転換手術した人が、睾丸の試食会やって結構応募した人がいたと言うし。
三国志でも劉備は普通に食ってるし、反三国志でも確か馬超が于禁を食ってたような記憶がある。
「気にしない人は気にしない」レベルの話だと思うのだが、妙にオーバーリアクションする創作物があるんだよな。
マルコ・ポーロの東方見聞録だと日本人は人食い人種になってたり、ロビンソン・クルーソーで人食い人種に襲われたりしてるわけだが、
多分昔の西洋人が、遠い国の野蛮な民族を想像した時に人肉を好んで食ってるようなイメージを広めたから、人肉食が恐ろしげなイメージを持たされたんじゃなかろうか。
大体、人間だって自然のサイクルの一部なのであって、直接食えないならまだしも、人間を食った生物も食えないとか言い出したら野菜も食えんだろう。
っつー事で、あのweb広告見ても「大げさやなあ」としか思わなかったし、実際の作品を読んでも「主人公繊細やな」としか思わなかった。
https://twitter.com/nekonekota/status/1324318735243436032
内容を要約すると、新聞にこのような投書があったという。
質問者「Twitter上で絵を描いているが、評価されなくてむなしい。自分より下手な人が評価されてると腹立つ。」
回答者「他人と比較するのではなく、自分の目標に対してやっていくといい。」
そして回答者は続けてこう回答する。
「そのうち、他人が何を求めているのかが分かるようになる。相手が求めている事を提供することが評価されるということだ。」
増田もまた、インターネット上で創作物を公開する人間だ。当然SNSだってそのフィールドの一つとして使う。
自分もかつてこのようにサイトでのいいねの数などに執着していた時期があった。貰えなくて悲しい思いをして、貰ってる人を見ると腹が立った。まさにこの投書の質問者と同じだった。
しかし自分はある事に気が付く事で、この領域から抜け出すことが出来た。
それが、タイトルに書いた「SNSで不当な評価をされることがないという事実」である。
あなたは物凄く上手いのに全然評価されていない絵師を見た事がないだろうか。多分一度ぐらいはあると思う。
そういう人が伸びない理由は
である。
逆に、これを真っ逆さまにすると上手くないのに評価される事もある。
例えば「鬼滅の刃の絵を4歳児が頑張って描きました」というツイートがあったとする。上手くすればこれはバズツイになる。
まず身内のお仲間がRTする。鬼滅の刃自体のコンテンツ性が大きく著名で目に留まりやすい。そして子供が頑張って描いたというかわいらしい付加価値がある。
SNS力は人脈・付加価値・題材の話題性・情報有用性等の、一言で言えば風を読む力とでもいえるだろうか。そういうものである。
なので自分より下手な人が仮に評価されているとしても気にする必要はない。何故ならSNS力が高いから。SNS力が正当に評価されているから。
で、これを理解するとSNS力を高める方法が分かってくるので、SNSで一気に評価されるようになる。
例えば絵師が本職のイラストレーターなどを目指す場合など、自身を明確に宣伝する必要、数字が必要である場合は高めればよい。
でもそうでないただの趣味であるならば、自分のやりたいことを無視してSNS力を高める必要性があるのだろうか。
それなら評価など気にせずにいても良いのではないだろうか。
思いを形にするということにかけては商業流通の制約に縛られた一次コンテンツよりはるかにディープな表現ができるのが二次創作の素晴らしさ
だから、もともとの原作というものがあるからこそ出来てるのが二次創作なのにこうやって「二次創作の方が一次コンテンツより尊い」みたいに持ち上げるのがちょっと気持ち悪いなって思う。「二次創作の方が尊い」みたいな考え方に対して、いや二次創作はそれが二次創作である時点で他の創作物に比べて負けてるよと
https://anond.hatelabo.jp/20201103224649
「つらいね」「ファンとして同じ気持ち」「画集/タイツ買って応援だ」等と言ってくれた人達、おかげで気持ちが落ち着きました。ありがとう。
うまく伝えられなかったかな?と思ったことのひとつが、私はいちタイツユーザーとして、件の企画への違和感があったということです。ファンとして巻き込まれて悲しいってだけじゃなくて。
私はタイツフェチ絵を楽しむ女性ではありますが、同時にタイツを毎日履く女性でもあります。防寒目的だったり、ファッションの一環だったり、セクシーに見せたかったり、露出を抑えたかったりとその動機はいろいろですが、そういう顧客の気持ち(要望?欲望?)に寄り添った企画ではないと感じました。イラスト自体は好きだけど、「私はこのタイツでこうなりたい」より「タイツ女子いいよね」が起点にある表現だというか、タイツを履く人の目線じゃなくてタイツ女子を愛でる視線が強いというか。具体的にどこがと言われると感覚でしかないんですけど……(だから否定もしきれない)。
でも、そう思いつつもいろんなタイツを知るきっかけにはなって、結果として私の購買意欲はあがったんですよ。だから広告として一定の効果はあったんだよねと認めてもいるのです。これがpixivのイベント会場での企画展示だったり、アニメイトでイラストパッケージの商品を販売したり、ということだったら(TPOに即していてターゲット層にバッチリ届くという意味で)成功だったんじゃないかな…と想像せずにはいられません。ここらへんの分析や是非論は広告のプロの方に譲りますが。
ここまで、あくまで企業広告としてどうなんだろうという顧客目線での違和感の話です。あれらのイラストが女性蔑視で社会的に許されない表現なのかとか、成人向けコンテンツと同様に公共に出してはいけないものだったのかとか、そういう論点であれば私はイラストを擁護しますが、それはまた別の話じゃないかと思います。
コメントで腹立たしかったのは、「男オタク趣味でしかもロリ表現が好きって、性暴力受けたことないの?それとも性暴力を追体験したいの?」「もっと酷いことされたいのかも」「ブスで自尊心低いとそうなる」「性を売ってちやほやされるのが好きなんだろう」「年を重ねても頭が弱くて気づけない」ってマジで言われたことです。ツリーにぶらさがってます。
創作物の好みによって、こんなこと言われる筋合いは一切ありません。
「男では」とか「名誉男性」とかいう言葉もちらほら見かけました。女性が今回のようなイラストを好きだと表明するだけで、こんな言葉をふっかけられるのは異常じゃありませんか。
女性が(男性も)どんな表現を楽しもうがこんな偏見を持たれず、性を主体的に謳歌するのが当たり前の社会になってほしいと思います。
あと、これはどうでもいいことですが、私に対して「フェミが付け焼刃で作品調べて、オタクのふりしてイラストを批判してる」と言う人と、「内部事情に詳しそうだ、これは関係者本人がフェミのふりをして企画を擁護してる」と言う人が両方いたのにちょっと笑いました。
さて、いろいろ書いてきましたが、一番いたたまれず心配しているのが、関係者へ罵詈雑言が浴びせられている現状があることです。全体的には「広告としてはね」という穏健な意見が多い?と私は思ってるんですが(たぶん…)、中には関係者に対して「死ねばいい」とすら書く人も本当にいるんです(見ました)。
もちろん逆に、私は見ていませんが、企画が嫌だなってコメントしただけなのに罵詈雑言を浴びせられた人もいると思います。
炎上させるつもりがなくても、何気ない意見表明が数十万数百万と一気に積み重なった時、その総体は誰にどのような影響を及ぼすのか、なにが起こるのか……。叩けるものが現れたって意気揚々としてしまうことはありませんか?傷つけられた側なのに配慮を求められるのはおかしいっていうのもわかるんですが、どの立場の人も、意見表明のしかた、加減、タイミングを意識すると、もうちょっといい社会になるかも……なんて昨今の繰り返される炎上劇を見ていてよく思います。
そしてその気持ちを、掲載した公的な場での掲載主や表現の場の関係者に
と迫り、圧力によって取り下げてしまう、またはその意見通りの表現の変更が行われている事象が多く存在します。
この内容の言動を唱えている方の大半は、
制作側の、どの程度の表現が規制されるラインなのかを設けてほしいという要望にも明確な基準線を設けず、
このような言動を唱える方々の多くは、歩み寄りや論理性を持った話し合いを避け、
「こう思った」「こう感じた」という意見をひたすら投げ、
として、放暴的に意見を押し付けている状況であると理解しています。
論理的な意見ではないのであれば、それはただの「気持ちの表明」であると思います。
「私たちはこの性的な表現によって傷ついたんだ、私たちは被害者だ」
このように気持ちを表現するのは、表現の自由として誰もが認められているところではあります。
現に一般の創作活動を嗜む方々を、この表現によって傷つけているのです。
私は、この表現のことを「潔癖グロ」と言い表すようにしました。
この表現を発する方が傷ついたと感じる表現、つまり「エロ表現」ですが、
またSNSなどでは、クリック等の一動作置かないと表出されることがないようにされるなど、
様々な”ゾーニング”がなされており、
こういったエロ表現によって傷つけられる人の割合は少なくなるように配慮されるようになってきています。
エロ表現と同じように、何らかの表現によって傷つく人がいるのであれば、
同じように何らかの配慮によって"隠される"ようになるのが妥当だと思います。
正当性を持たせるためには、そこに論理の整合がなくてはなりません。
論理の整合があるから、多くの人が正当な意見であると考えるようになるのです。
ですが、論理性を持たない、個人の感情である一介の表現ですので、
それを発出した弊害である、それにより傷つけられる人のことも考えなくてはなりません。
人間は、生物は、生殖機能によって、生命活動を長い期間育んできました。
少なくとも哺乳類の一種である、ホモ・サピエンスという種として生まれた私たちは、
生殖を行うことで子孫が形成され、次代に遺伝子が受け継がれていきます。
私たち人間にとって、生殖というのは大切な機能であると私は考えます。
生殖機能から発出する性意識や衝動についても、勿論大切なものとして扱わなければならないと思います。
更に私たちは同時に、社会活動をしている、社会的な動物である、とも考えます。
社会の中で、性機能というのはしばしば、不適当なものであるとして端に追いやられてきました。
しかし、私たち本来が持つ生殖機能や、それから派生するものも蔑ろにされるべきではないと考えます。
性表現自体が蔑まれ、排斥されるようなものではないと考えます。
細胞を分裂させて、自分のクローンを作り出す微生物と同等の繁栄方法を行っているか、
私たちホモ・サピエンスがまだ理解が出来ない、未知の繁殖方法で子孫を残しているか、
そのどちらかの当事者であれば、この性表現を排斥しようという意見は飲み込むことはできます。
しかし私たちは人間であり、生殖というのはその大切な生命活動の中の一部です。
そこから生まれる性表現も、大切にされるものであると考えます。
上記の理由から、私は性表現の排斥という言動について、正当性はないと考えます。
まだ成熟しておらず、性表現や性衝動を、あるものとして理解せず、
生殖を組み込んだ社会形成になっていないから、そういった言動が出てくるのではないかと思います。
私たちは誰でも、生殖機能を有し、性的衝動を有し、性的意識を有します。
そのうえで、社会を営む上で、理性を有し、上手く社会を回すために、
理性で性的衝動を抑え込むことで、生物が社会を回すことに成功しているのだといえます。
忘れがちなことですが、大半の人が、その人固有の性的衝動を抑え込んで今日まで生活してきているのです。
上記の言動の人は、そのことを無視し、性的衝動等を無きものとして社会形成を考えていると感じます。
というのは、その性表現の中に、
実際に、
性活動がどのようなものか理解できず、負担をかけてしまうことであったり、
それによって心理的なストレスを抱えるという事態が発生しているというところから派出している言動なのだと思います。
そのような社会的な事態を、加虐側になるような人に奨励するような表現がゾーニングされるべきであり、
については、本来はゾーニングされるべきではないのではないでしょうか。
また、ゾーニングを排斥、排除の意味で使われている方が多く散見されます。
https://ja.wikipedia.org/?curid=3593582
ゾーン(Zone)に分けて、場所場所で差をつけて管理しよう、というのが都市計画用語におけるゾーニングであり、
派生してゲーム等でのレーティングでは、表現の過激さからスコアを付与し、
あらかじめ鑑賞、ゲームを楽しむ人に、その表現が苦手な人がいたときに適切に避けられるように設定されたものであり、
その表現自体を排除、排斥するためにレーティングを行え、というのは、
レーティングを行うのではなく、気に入らないものの検閲を行えと言っているのと同義であり、
検閲というのは、国民が国に課した憲法ですら、禁止であると明記されています。
「この表現は過激だから、この表現はこのレートに当たるけど、もっとレートを下げたいなら修正してね」
自身がそのプラットフォーム自体の管理者ではなかったとしても、
どこまでも製作者を追い続け、「不適切だから取り下げろ」と迫ります。
プラットフォームが認めている表現であれば、本来の意味からはゾーニングは適切になされているのであり、
不快であると表現する側がゾーンから異端であるのだと思います。
たとえ表現者が、
プラットフォームが認めているのであればゾーニングは適切になされています。
表現の製作者や、ましてプラットフォーム自体を潰そうと画策する行為は
(表現をする場所を取り上げることも咎められる行為だと思います。)
このような排斥の言動も、上記の理由から社会的には"隠されるべき"であるといえるでしょう。
女性だから、男性だから、その他の性だから、何かの加害者だから、被害者だから言ってもいいんだ、という理由にはなりません。
私は、現状のような、
潔癖であることが何よりも是であり、性的な表現は一般社会に全く表出されるべきではない
そこから生まれる性表現も、大切にされるものであると上述しました。
大切な人とどんなふうに愛し合おうか、ですとか
恋人同士でどうすれば二人が満足感の高い性行為ができるか、ですとか
どんなところがパートナーの好きなところなのか、ですとか
それに付随する性交の表現や、性器の表現も直接的でいいと思います。
私たちが本来有する機能であり、大半の方は性行為を経験することになるからです。
子どもは大人になるのであり、大人になったら経験をすることであるので、
思った感情を相手に話す力、話を聞いてどう思ったか考える力と伝える力、
そういうことを重点に置いて教育を受け、そのうえで、
ですから、社会的に逸脱した行為は社会でゾーニングを行うとして、
一般社会では適切に性的な表現は咎められるべきではないと考えますが、
(小学校の目の前に、男性器が勃起した、あるいは女性器の陰唇が開かれているような看板が
周りから一定の範囲にはそういったものを掲載しない等の規則が出来ればと思います。
子どもが学習の場で適切に教育を受け、学びの場から卒業した時、
性というものに抵抗なく触れていけるような仕組みづくりが求められていると思います。
翻って、
このような言動は「潔癖グロ」として、何らかの配慮が受ける側に必要であると考えます。
エロゲもラノベも全部好きだし買うし読むしプレイする。サブスクだとコミフロに手を出してる。だけどアツギのタイツのPRは不快だと思った。
鑑賞対象として見るぶんには良いし、エロ漫画でタイツ破られてるのやタイツ履いてる子に足コキされるのを読むのは好きだしAVの痴漢モノでタイツが破かれてるの好きなんだけど、だとしてもタイツ売りたい人間のPRとしては違うと思うんだよ。
それは私が現実ではタイツに求めるのが暖かさ・すね毛隠し・すねにある傷を隠すためのものとして扱っているからなんじゃないのかな。
創作物としてはエロ目的であることも実際多々ありまくるんだけど、現実と創作は違う。
でもって、販売のためのPRなら創作ではなく現実側に沿うべきなんじゃないかと思う。
アツギタイツのPRのなかにはイラストとしては好みだし、もしこれをピクシブあたりで見たら速攻でブックマークしてたろうなというのもあったんだけど、タイツの販売目的としては完全に不向き。
むしろ創作を現実にはみ出させ、お前らをこうして見ているんだよってあからさまにされたみたいで嫌だった。このあたりは個人の感覚ね。私はそうだからというだけで他人もそうであるとは言わないしあれで全然気分悪くならなくなった人もいるだろうし現実と創作をごっちゃにするなと言われるかもしれないが私はそう思った。
なにより、PRの方向性が完全に間違っていて、フェチ目的方面へのPRになってる。
この言い方いやだけど、タイツを性的消費する人は私のように履く人も一部はいるけど大半は履かないでしょ。スーツの下に履けばいいのにね。温かいよ。私はスーツの下でもジーンズの下でも履くよ。
閑話休題。
とにかくPRの方向や広報の方向が間違っていて、広報の方向をミスる会社は近々他にもやらかすことがあるだろうし、そういうときに「払った金をこんなことに使われたと思いたくない」という理由でアツギのタイツを買わないと決めた。
購入層へのPRだったら、Twitterでも言われてるけど気温に応じたおすすめの厚さや、私の場合はすね毛やスネの傷やその他諸々隠したいものがあるので実際に履いた写真なんかが見たかった。
投稿写真もああいうイラストじゃなくて実際の人間のものが良かった。具体的には同じようなタグつけでもいいからタイツ履いてない写真+タイツ履いたあとの写真。着圧タイプだったらどのぐらい足が細く見えるかわかるしすね毛をどんだけそらなくてもセーフかわかる。どんだけすね毛剃りたくないんだよって言われるかもだけど面倒くさいんだよ。
あれは性的消費か!?って言っているツイート見ると、いやこれ見てエロく思わないならそれは逆に失礼じゃないの!?と思うイラストがあるので違うやろとは言えないんだよな。
あんなフェチズム全力のイラストを「エロく無いですよ!」っていうの、むしろ失礼なのでは。
最初に出て来たPRの絵師さんのイラスト集、アツギがRTしてるから見たけどタイツが全体的にただ黒いだけじゃなくて部分部分によって伸びて色が薄くなってるのとか、めっちゃフェチ入ってて良い。エロい。創作物として見るなら最高。インタに一緒に載ってたイラストの電線しちゃったのも、そこだけ肌色が明確になるのが良い。タイツ破れ系のエロってあのタイツの破れ方をうまく描いてないのが多くてそういうのちょっと萎えるんだよね。
イラストとして見るのは本当に最高だしめっちゃ良かったんだけど、現実のタイツのPRでこれを流されると、お前らをこういう目で見る可能性もあるぞと冷水かけられるみたいで嫌。パンストモノAVも見るしそっちだとこういう感情にならないんだけどな。
BLUE GIANTって漫画を最近読んだんだが、それ以来音楽を聞いてると楽器演奏者の姿が浮かぶようになってきた。面白さ2割増しだ。
ブルーピリオドって漫画も少し前から読んでるんだが、こっちも読んでから美術館に行くと、作った人間の気持ちとか、それを色んな立場の人がどう評価してきたのかに思いを馳せられるようになった。面白さが倍になった。
こういう作品って他にもあるのかね?
いわゆる目を開いてくれる系の作品だと思うんだよな。
優秀な批評家は作品鑑賞の幅を広げてくれると言ってたのはヨイコノミライだったかな。
つまる所、俺が今求めてるのは「その作品の影響で自分の中に正しく作品批評をしようとする視点が新たに生まれるような作品」なわけだな。
ある?
多分はてなーなら1000個ぐらい知ってるでしょ。
半分でいいから教えてくれ
君がダサいと思っているのは多分「長文タイトル」じゃない気がするんだ|clock96|note
https://note.com/you96/n/ncc262b326f82
上記noteでは『アマチュア──悪い言い方をすれば趣味の素人──たちが、みんながみんな「売る」ためのことをやっていると思うのは、少し早計過ぎないだろうか?』と疑問を呈している。
答えは否だ。投稿者、特に日間ランキングへの掲載を狙う人たちの多くは『ただの趣味で終わらせたくない人』であり、少しでも有利になるようSEO対策に余念がない。よく話題になる長文タイトルも『当たり判定を最大化』『スマホの画面を占有する』『あらすじを読まない人に内容をアピールする』といったなろうの不出来なUIに最適化した結果である。
5chの作者向けスレッドでは需要のある要素やテーマ、更新時間、一話の長さ、タイトルやタグの付けかた等々、ちょっとでもポイントを稼ぐための長々としたアドバイスでテンプレが埋まっている。
これらの作品の面白さとは無関係な小技は、少々姑息ではあるもののルールの中に収まった正々堂々としたテクニックと言える。しかし皆がやってる努力だけではライバルを出し抜くのは難しい。
そこでチートである。ここでの意味はなろう小説に登場するチートスキルと違ってただの規約違反のことだ。以下で紹介するのは先人たちの間違った努力の歴史である。
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当初は「やってるやつもいるだろう」くらいの認識だったが、今では突然人気ランカーがアカウントBANされ消滅するのが風物詩である。バレると一発BANなため唐突に強制退会された作者は複アカ使いだったと見て間違いない。この場合作者ページには規約違反のため退会と表示される。
とある作者A氏は書籍化の企画も進行しそろそろ発売日が発表かというタイミングでBANされ話題となった。有志がキャッシュなどから調べたところ『ほぼ同じ期間に作られ一斉に同作品にポイントを入れ、それ以降活動実態がないアカウント』が三十数個見つかり、当時は異例の規模だったことから「プロの業者かよw」「必死すぎる」などと揶揄された。
その後A氏は別サイトに活動の場を移し元気に連載を続けている、もちろん書籍化はしていない。
王道である、はてなではおなじみのアレである。当初は都市伝説めいていたが、加入を誘うメールや参加者の暴露が相次ぎ実在が確認された。
行為としては互助会参加者達がメンバーの新作に一斉にポイントを入れる。複アカもそうだが短時間で大量のポイントが入ると日間ランキングに載る可能性が高く、非常に有利になる。
本人達は人目にさえつけば正当な評価が得られると思っているらしい。
最近は露骨な勧誘は減り、なろう投稿者のTwitterへ「作家同士で繋がらないか?」「お互い作品を批評して高め合おう!」など、具体的に言わないけど察してくれ的な誘い方に変化している。評価依頼は口に出さなければ規約違反ではないという理屈だ。
一昔前の5chのなろう系スレッドでは自作を晒して感想を求めるのが盛んだった。投稿しても埋もれてしまい感想ゼロなんてのはあたりまえなので、同じ投稿者に見せてアドバイスをもらうのは理にかなっている。自分じゃ悪いとこはわからないものである。
とある作者向けスレッドで自晒しされた作品が、スレッド住民から非常に高評価された。普段と比べればちょっと不自然なくらいだったが、まあ有望な新人が出るのは良いことだ。
しかしスレの中盤になって「スレ序盤に晒したやつ、持ち上げ方おかしくない?」と疑問を持つものが出る。よく書き込みを見ると『褒めつつも文章が固い』と指摘するレスとそれに反論するレスが同一IDだった。
最終的には『絶賛し評価ポイントを入れたと主張』『ブックマークを促す』『他のなろう系スレッドで、今〇〇で晒してる作品がすごいと宣伝』『有名作者を匂わせ褒める』『懐疑を表明する者に、実力が伴わないと自作自演の効果などないから問題ないと反論する』等々の大量の書き込みが、おそらく同一人物と断定された。
ところどころIDチェンジに失敗してたり、書き込みに共通する癖が明確だったのだ。指摘されて以降IDコロコロ君はプツリと消え去り、散々宣伝した作品はランキングに載ったもののじきに削除された。
当時スレッドで自晒しした作品がその影響でポイントを稼ぐことが多かったので徹底的に自作自演してみたのだろう。
作品の発掘を5chに頼っている層が意外と多いことを証明した(今はすっかり下火だが)。
感想爆撃
感想や評価なんて一個もつかないような作品に好意的な感想を書きポイントを入れたと宣言する、お返しでポイントをくれるのに期待する定置網漁のような戦法。
これをやったやつは物量がすごかった、たった数日で2千件以上である。当然感想はコピペだ!
感想をもらった方は大抵反応に飢えた無邪気な素人である。深く考えずお返しする人も多く一瞬でランキングに登り、数日後に規約違反でBANされた。バカバカしいくらいの規模だったからあっさり消されたが、お礼目当ての感想(作者アピールやポイント入れました宣言は必須)は有効であることが証明された。
爆撃して駆け抜けた作者B氏はコピペの中で元プロを名乗っていたので、感想をもらった方はよけい自尊心をくすぐられたのだろう。
B氏のいうプロとは、メールゲームの運営に参加してプレイヤーへの返信用テキストを書いた経験のことだ。
彼は小説家として成功し、アニメ化し、その伝で声優やアニソン歌手になることを夢見て動画サイトなどに下手な歌をアップしていた。
運営するHPは当初創作のことやメールゲームの経験が語られていた。しかし、しだいに怪しげなビジネスを語るようになる。
しばらくすると突然旅行代理店の社員募集を始める、なにやら少人数の社員で運営する画期的な格安代理店らしい。募集形態やHPの内容から、おそらく実態は存在しないだろうことが察せられた。
またしばらくすると過去の動画やHPにSNS、色々なサイトに投稿していた創作物などが一斉に削除された。ペンネームで検索するとフリマサイトの出品記録が見つかる。各種オタクグッツを売っており、コメントを見ると詐欺にあい生活費が底をついた、などと書かれていた。
出品記録も消えたころ同サイトでブログを発見する。詐欺の被害にあった経験を執筆しサイトで有料配信したいという内容だ。第一回の配信後すぐに『廃刊』表示で購読不能となり、以後B氏はネットから消え足取りは追えなくなった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
まあそんなわけで、小説家になろうでは日夜ランキングに載るための仁義なき戦いが繰り広げられているのである。
みんなも読もう! 小説家になろう!!
大好きな二次創作者がいる。
その人が作る全てが大好きだ、生み出すものはプロ並みの技術と言ってもいいと思う。
本当に大好きだ。
しかしその人は自分の作品は下手だとずっとずっとずっとずっとずっと言い続ける、
沢山評価が付いた作品もまぐれだとやっぱり下手だと言い続ける。
私に出来る事は感想を伝えること好きだと伝えることその人が求めるCP作品を少しでも増やしたいと自ら創作もした
するとその人が生み出すものには到底及ばない(謙遜でも思い込みでもなく本当に自分は中なのだ)私の創作物と比べ自分は下手だと言う
私は間違ってしまったんだろうか
どうしてそこまで自分のかくものを、かいた自分を痛めつけられるのか見ていてとても悲しい、
そしてその気持ちを、掲載した公的な場での掲載主や表現の場の関係者に
と迫り、圧力によって取り下げてしまう、またはその意見通りの表現の変更が行われている事象が多く存在します。
この内容の言動を唱えている方の大半は、
制作側の、どの程度の表現が規制されるラインなのかを設けてほしいという要望にも明確な基準線を設けず、
このような言動を唱える方々の多くは、歩み寄りや論理性を持った話し合いを避け、
「こう思った」「こう感じた」という意見をひたすら投げ、
として、放暴的に意見を押し付けている状況であると理解しています。
論理的な意見ではないのであれば、それはただの「気持ちの表明」であると思います。
「私たちはこの性的な表現によって傷ついたんだ、私たちは被害者だ」
このように気持ちを表現するのは、表現の自由として誰もが認められているところではあります。
現に一般の創作活動を嗜む方々を、この表現によって傷つけているのです。
私は、この表現のことを「潔癖グロ」と言い表すようにしました。
この表現を発する方が傷ついたと感じる表現、つまり「エロ表現」ですが、
またSNSなどでは、クリック等の一動作置かないと表出されることがないようにされるなど、
様々な”ゾーニング”がなされており、
こういったエロ表現によって傷つけられる人の割合は少なくなるように配慮されるようになってきています。
エロ表現と同じように、何らかの表現によって傷つく人がいるのであれば、
同じように何らかの配慮によって"隠される"ようになるのが妥当だと思います。
正当性を持たせるためには、そこに論理の整合がなくてはなりません。
論理の整合があるから、多くの人が正当な意見であると考えるようになるのです。
ですが、論理性を持たない、個人の感情である一介の表現ですので、
それを発出した弊害である、それにより傷つけられる人のことも考えなくてはなりません。
人間は、生物は、生殖機能によって、生命活動を長い期間育んできました。
少なくとも哺乳類の一種である、ホモ・サピエンスという種として生まれた私たちは、
生殖を行うことで子孫が形成され、次代に遺伝子が受け継がれていきます。
私たち人間にとって、生殖というのは大切な機能であると私は考えます。
生殖機能から発出する性意識や衝動についても、勿論大切なものとして扱わなければならないと思います。
更に私たちは同時に、社会活動をしている、社会的な動物である、とも考えます。
社会の中で、性機能というのはしばしば、不適当なものであるとして端に追いやられてきました。
しかし、私たち本来が持つ生殖機能や、それから派生するものも蔑ろにされるべきではないと考えます。
性表現自体が蔑まれ、排斥されるようなものではないと考えます。
細胞を分裂させて、自分のクローンを作り出す微生物と同等の繁栄方法を行っているか、
私たちホモ・サピエンスがまだ理解が出来ない、未知の繁殖方法で子孫を残しているか、
そのどちらかの当事者であれば、この性表現を排斥しようという意見は飲み込むことはできます。
しかし私たちは人間であり、生殖というのはその大切な生命活動の中の一部です。
そこから生まれる性表現も、大切にされるものであると考えます。
上記の理由から、私は性表現の排斥という言動について、正当性はないと考えます。
まだ成熟しておらず、性表現や性衝動を、あるものとして理解せず、
生殖を組み込んだ社会形成になっていないから、そういった言動が出てくるのではないかと思います。
私たちは誰でも、生殖機能を有し、性的衝動を有し、性的意識を有します。
そのうえで、社会を営む上で、理性を有し、上手く社会を回すために、
理性で性的衝動を抑え込むことで、生物が社会を回すことに成功しているのだといえます。
忘れがちなことですが、大半の人が、その人固有の性的衝動を抑え込んで今日まで生活してきているのです。
上記の言動の人は、そのことを無視し、性的衝動等を無きものとして社会形成を考えていると感じます。
というのは、その性表現の中に、
実際に、
性活動がどのようなものか理解できず、負担をかけてしまうことであったり、
それによって心理的なストレスを抱えるという事態が発生しているというところから派出している言動なのだと思います。
そのような社会的な事態を、加虐側になるような人に奨励するような表現がゾーニングされるべきであり、
については、本来はゾーニングされるべきではないのではないでしょうか。
また、ゾーニングを排斥、排除の意味で使われている方が多く散見されます。
https://ja.wikipedia.org/?curid=3593582
ゾーン(Zone)に分けて、場所場所で差をつけて管理しよう、というのが都市計画用語におけるゾーニングであり、
派生してゲーム等でのレーティングでは、表現の過激さからスコアを付与し、
あらかじめ鑑賞、ゲームを楽しむ人に、その表現が苦手な人がいたときに適切に避けられるように設定されたものであり、
その表現自体を排除、排斥するためにレーティングを行え、というのは、
レーティングを行うのではなく、気に入らないものの検閲を行えと言っているのと同義であり、
検閲というのは、国民が国に課した憲法ですら、禁止であると明記されています。
「この表現は過激だから、この表現はこのレートに当たるけど、もっとレートを下げたいなら修正してね」
自身がそのプラットフォーム自体の管理者ではなかったとしても、
どこまでも製作者を追い続け、「不適切だから取り下げろ」と迫ります。
プラットフォームが認めている表現であれば、本来の意味からはゾーニングは適切になされているのであり、
不快であると表現する側がゾーンから異端であるのだと思います。
たとえ表現者が、
プラットフォームが認めているのであればゾーニングは適切になされています。
表現の製作者や、ましてプラットフォーム自体を潰そうと画策する行為は
(表現をする場所を取り上げることも咎められる行為だと思います。)
このような排斥の言動も、上記の理由から社会的には"隠されるべき"であるといえるでしょう。
女性だから、男性だから、その他の性だから、何かの加害者だから、被害者だから言ってもいいんだ、という理由にはなりません。
私は、現状のような、
潔癖であることが何よりも是であり、性的な表現は一般社会に全く表出されるべきではない
そこから生まれる性表現も、大切にされるものであると上述しました。
大切な人とどんなふうに愛し合おうか、ですとか
恋人同士でどうすれば二人が満足感の高い性行為ができるか、ですとか
どんなところがパートナーの好きなところなのか、ですとか
それに付随する性交の表現や、性器の表現も直接的でいいと思います。
私たちが本来有する機能であり、大半の方は性行為を経験することになるからです。
子どもは大人になるのであり、大人になったら経験をすることであるので、
思った感情を相手に話す力、話を聞いてどう思ったか考える力と伝える力、
そういうことを重点に置いて教育を受け、そのうえで、
ですから、社会的に逸脱した行為は社会でゾーニングを行うとして、
一般社会では適切に性的な表現は咎められるべきではないと考えますが、
(小学校の目の前に、男性器が勃起した、あるいは女性器の陰唇が開かれているような看板が
周りから一定の範囲にはそういったものを掲載しない等の規則が出来ればと思います。
子どもが学習の場で適切に教育を受け、学びの場から卒業した時、
性というものに抵抗なく触れていけるような仕組みづくりが求められていると思います。
翻って、
このような言動は「潔癖グロ」として、何らかの配慮が受ける側に必要であると考えます。
機械学習用にGTX1080を4台使って1週間以上演算しても思った結果が出てこない。
ECCVは1300本超えの論文が採択されたり、CVPRが1000本超えてたりするが、
人に見せるというのでクオリティが高いというのが少ない印象がある。
限られたデータセットで競えるけど、現実の問題は全然解決しない。そのくせ労力もかかる。計算能力もソフトも足りない。
1週間経っても全然計算終わらない。音質を落としまくっているのに、数秒作るのに一か月くらいかかりそうだった。
先日Adobeが更新されたけれど、新機能がクオリティが高いとは思えなかった。
Adobe以外にも万単位の価格のソフトを買ってるが、色々機能が足りない。
4Kとか画素数が増える前に、色々できるようにして欲しかった。
台本を作る、絵を描く、絵を動かす、エフェクトをかける、3Dモデリング、レンダリング、作曲する、ミキシングする、機械学習に食わせる、
違和感があるので修正とやることが増えるわりに便利になってない。機能は足りないし、計算能力も足りない。
創作物に求められるものが増えていくわりに、便利になってない。
それで作るのに時間がかかっていると怒られる。
・美術品ってその時代背景とか、文脈とか、心象風景とか、ノスタルジーとか、知識やら感性やらが合わさって初めて良さがわかる、例えるなら超ニッチジャンルの創作物だと思うんだよね、だから理解できる方がおかしいんじゃねーのかと思ってるんだけどどうなの
俺は逆に背景にあるものを考えないと楽しめないわ。
お、こいつ美術の美の字もわかんねーやつだな?って思われてそう
そのとおりです
・絵がデカかった
・静かで靴の音が響いた
・ヘッドフォンマーク付いてるやつ、あれどうやって聞くのかわからん
・美術品ってその時代背景とか、文脈とか、心象風景とか、ノスタルジーとか、知識やら感性やらが合わさって初めて良さがわかる、例えるなら超ニッチジャンルの創作物だと思うんだよね、だから理解できる方がおかしいんじゃねーのかと思ってるんだけどどうなの
・そういうの関係なしに圧巻とかキレイっていう品は分かりやすくてよかった
いや違うか、細身とか巨乳とかロリとかもありそうだけど展示できないんだな
場所によるのか