はてなキーワード: 作用とは
筋トレ始めてから2年、見た目にも強そうになったしベンチプレスもMAX100kg越えたんだけど
電車の中でイキってるオッサンに怒鳴りつけたり騒いでる大学生っぽい集団にオラついたり
住んでる部屋の隣の奴がうるさいから怒鳴り散らしながらドアを蹴りまくったこともある
このままだと前科者になりかねないと頭ではわかってるんだけど自分に向けられたストレスを一切我慢できなくて、自分でも些細と思うようなことでめちゃくちゃにキレるようになってしまった
どうしたらいいんだろう
これは筋トレなんかしてない人による筋トレ逆ステマだと思います。
まずこのベンチプレスMAX100kgというところでも、経験者なら「あっ(察し)」となります。
なぜならこれは、やったことない人が思う”凄い”の基準だから。
これはウエイトトレーニングしてる人の中ではすごくない。全然。雑魚と言われるレベル。
100kg挙がるぐらいまでやった脱初心者なら、「上には上がうんざりするほどいる」ということは気付く。
1人でやってても雑誌やyoutubeやウエイト板見てるだけで気付いてしまうし、
多くの人はジムやスポーツクラブでやるので、扱う重量も体も自分とくらべものにならない人を必ず目にする。
だからほんとにトレーニングしてる人で、ベンチがMAX100kgなら、恥ずかしそうに申告するんです。
あなた達の周囲にベンチプレス100kgだという人がいたとして、
気まずそうに100kgだと認める人は本当にやってる人で、100kg挙がる人です。
得意げに100kgだと申告する人はやってない人で、100kgも挙がりません。
まとめます。
・ベンチプレス100kgごときですごいと思うトレーニーはいない。(それをすごいと思うのは明かにやってない人の感覚)
・自分が初めて100kg到達してもそれで増長することも不可能。(何の趣味でもやりはじめるとより上の領域が目に入る)
・ウエイトやり始めると美的感覚が変わり、ベンチプレス100kg程度の体は「強そう」ではなく「細い」「クソガリ」と感じるようになる。
パワーリフターみたいな身体を「強そう」「かっこいい」と感じるようになる。同性にも異性にも筋肉で太いケツや脚を求めるようになる。
以上のあらゆる観点から、元増田にはトレーニングしてる人の臭いがしません。
トレーニングについてのディテールもなさ過ぎるし。いきなりポンとベンチプレス100kgっていうでしょ?
どういうフォームなのか何もなし。ビッグ3の他の種目はどうなのかもなにもなし。
更に言えば喧嘩やぶつかり合いで強くなるのに必要なのはデッドリフトとスクワットで、
ベンチプレスは胸板が厚くなること以外は実用的には何の役にもたたないし。
そして100kg程度じゃ胸板なんかいくらも厚くならないし。「見た目も強そうになった」とか笑わせないでほしい。
こんなの本当に妄想だとわかるのが、
ベンチ100kg程度の一般人と変わらない体でこんなことしたって
イキったおっさんも騒いでる大学生も余裕で「あ?」って向かってくるから。
100kgなんて準備運動の私にすらつっかかってくるおっさんがいるんです。
体つきで彼我の強さがわからない、あまり気にせずに突っかかる人間は実は結構いる。
ましてMAX100kgぐらいのクソガリがそんな傍若無人に振舞えるわけが無いでしょう。
そしてウエイトトレーニングに興味ある人の為にも書いておきますが
ウエイトトレーニングの精神作用について、テストステロンが出るとか活力が出るとか凶暴になるとか言われるああいう効果を得たいなら、
それもやはりベンチプレスではなくスクワットとデッドリフトです。
何故か?
ベンチプレスより遥かに使う筋肉が多くて大きくて、キツいからです。
スクワットで限界にチャレンジしてるとき、顔がジャックハンマーみたいになります。
あそこまで血管は浮き出ませんが、目が釣りあがり目が据わり恐ろしい顔つきになります。自分で鏡にビビります。
スクワットやベンチプレスで限界に挑戦していると日常生活でも活力が出ます。
ベンチプレスでは変なホルモン出ません。少なくとも100kgなんて領域では出ません。
私はベンチプレスならストリクトフォームノンブリッジノンベルトで140kg上がります。
でもこんなの全然すごくありません。上には上がうんざりするほどいます。
そもそも身近にいる私の先生が200kg上がるから増上慢など不可能です。
ていうか女性ですら私より挙がる人が山ほどいるんです。
体重たった52kgの白川カオリさんが私と同じ140kgです。
ね?「自分がすごい」なんて感じる隙どこにもないでしょ?
知れば知るほどそうなるんです。
フィクションなんかでよく「格闘技ちょっとかじった人間がイキる」という描写が出てきますが
あれもちゃんと格闘技やったことある人ならリアリティがないとわかります。
何故か?
ちゃんと始めてみれば、教室や道場で繰り返し「自分が一番雑魚」「すごい人は山ほどいる」「自分程度がイキったらすごい人達が黙ってない」「そもそも自分程度では誰にも自慢できない」というのを肌で感じるからです。
格闘技とかでイキってる人間がいるとすればそれはその道場のトップの人間です。
始めて2年で実力もキャリアもないという人は絶対に身の程をわきまえて謙虚なものです。
何故なのかはっきりはわかりませんが、筋トレに対して敵意を顕にする人がネットで結構います。
話題フリーの掲示板でトレーニングスレ立てて歓談してると喧嘩腰で入って来たり。
彼等は筋肉に対する変な意識過剰、コンプレックスや恐怖心があるのではないかと思います。
元増田の嘘話の異常な乱行
も、
筋肉のある人間に対する恐怖や嫌悪のイメージが膨れ上がったものではないでしょうか。
「あいつらこんなことやってるに違いない」みたいな。
でも電車とかで暴れてる人は単にストレスで頭が狂ってるだけで、体は普通だったりすることが多い。
実際の所はトレーニングしてる人間は大体みんなオタク傾向で寡黙で礼儀正しいです。頑固な人は多いかな。
イキってるといってもチンピラ的なノリではなくナルシスト的なノリです。
基本はウェーイな仲良しで、でもそのうちその輪の中で弱い誰かをじんわりはぶってるみたいな。全員大して挙がらんくせに。
筋肉を恐れて妄想逆ステマしてるぐらいなら、興味はあるんでしょうから、ジムに飛び込んでみて体で体験した方がいいと思います。
コンプレックスは未経験ゆえに生じるものですが筋トレはすぐ体験できるのだからコンプレックスの中では解消しやすい部類です。
2019/06/27
うんごめん
ぶっちゃけ近くのジムでよく見かける駄サイクルフィジークサ-クルが嫌いなだけ
前にジムにいたフィジーク頑張ってる若者は重量も挙がるし真摯だった
サークル避けてよそ行っちゃったけど
http://toianna.hatenablog.com/entry/2019/06/25/205348
「フェミニストは一人一派」というのはフェミニストが用いる奇妙な理論で、その内容な「フェミニストを名乗って吐いてもその主張はひとりひとり違うのだから十把一からげのような扱いは拒絶する」「とは言え細部は違っても同じフェミニズムなんで連帯するよ」程度の意味合いだ。
これは一時期盛んに言われてたのだけど、なんでそういう事を言いだしたかといえば非常に便利だからだ。こん「一人一派」理論で、たとえばフェミニストのAさんが言ったことに妥当な反論が集まったとき「でもAさんのフェミニズムはフェミニズムAなんで他のフェミニストには関係ない」というように切断処理ができる。これを繰り返せば無限に尻尾きりができるために、実質的にフェミニストは不敗の存在になれる。
他の社会運動では、穏健派vs過激派でもいいし、派閥Avs派閥Bでも、とにかく運動の方向性において複数の集団が対立したとき、言論でもパワーゲームでもなんでもいいから勝敗をつけることが可能で、それが社会運動としての推進力なり自浄作用なりになってきた。でもフェミニズムは「一人一派」を唱えたためにもうそれが出来ない。過激派は過激派1,2,3,4……と内容がほぼ全く一緒のクローンであっても「一人一派理論」によりそのすべてを個別に論破し打ち破らないと死なないゾンビになった。数が無限のゾンビだ。げっそりする。同じ言い合いをぐるぐるぐるぐる無限に繰り返すだけだ。そしてその無限の繰り返しをやめることは出来ない。なぜなら「一人一派」なので、途中でやめたら差別になってしまうからだ。
(一人一派理論を採用するのなら)すべてのフェミニストはその全員がひとりっきりのワンマンアーミーなのに、全女性の痛みとかいう最終兵器を振り回して暴れるターミネーターだ。全女性の痛みx全フェミニストの数。膨大すぎて絶望する。
どんだけ話し合って個別の問題を解決したところで、後から後から新鮮ゾンビのように「新しい私だけのフェミニズム」が出てくる一人一派理論は、しかし、その特性故に社会を(男性だけでなく女性だけでなく、こうして同じフェミニストさえも)疲弊させてしまった。終わりのない最終戦争みたいな状況でうんざりさせてしまった。
フェミニストはなんでこんな奇妙な理屈を言い出してしまったんだろう? 他のあらゆる社会運動だって大事なのはその勢力=人数なわけだから、自分たちの集団としての価値を細切れにしちゃうような、団体としての価値を損なうような理論をもちだしたりはしない。「私達は互いにかばい合わない個人の群れ、烏合の衆です」なんていわない。そんな「社会性に背を向ける」ようなことを言ったら、「社会」運動として成り立たない。
フェミニズムは、だからもう、運動としてはどん詰まりで終わりに見える。もちろん人間の社会には男性と女性がいてその扱いをめぐる社会運動ってのはなくならないし、この先もまた盛り上がったりするんだろうけれど、それってフェミニズムとは違う名前の別の看板じゃないと立ち行かないんじゃなかろうか。それくらいフェミニズムって理論的にも運動的にも行き詰まってる様に見える。それもこれも「一人一派」なんて自殺のようなことを言い出したためだ。
これは女性に特有の権力の一種だから閉鎖的空間だと増幅されるんだと思うよ。
もちろん男性もやることではあるけどね。
例えばあるコミュニティ内において男性だらけで固まっていると社会から危険な集団であるとみなされる可能性が高くなる。
これは犯罪者の内訳として男性が非常に多いという特徴があるから。
つまり女性というのは社会的に安全で安心なものであるという無意識の共有概念が存在するんだ。
これは男性も女性も持ってて「女性は安全である」という概念を人類ほとんどで共有してる。
だから、女性がある人間を好んだりすることってのは社会的に非常に強い意味を持つ。
つまり女性が「あの人が好きです」とか「あの人は優しいです」というとそれだけで社会的に安全だとみなされる効用がある。
もちろんこれも男女にかかわらず作用する。
なので、女性が他人を褒めること自体にものすごいパワーがあって世間から推奨されるように感じてくる。
これは逆説的にに人を否定することに対しても恐ろしい効力を発揮する。
こういう女性の権力を自覚していない女性は徐々にこの行為に酔うようになってくる。
特に女性で固まるコミュニティ内はどんどん歯止めが利かなくなる。
褒めれば褒めるほど身内や自分の好きな人や物はエンパワメントしていくし、外様の人間はどんどん悪魔化していく。
だから外の人間を定期的に連れてくる必要があるんだけど、女性だとミイラ取りがミイラになっちゃうし
男性をコミュニティに入れるってのも解決策にはならないし、実際危険なこともあるから推奨はしない。
なぜならこの承認の権力にエンパワメントされた男性が暴走するから。
このエコーチェンバーはすごく不健全な快感を生むしかなり危険な兆候なので少しコミュニティから距離を置くことも考えてもいいと思う。
それは弱者でなくなることです。
やはり圧倒的にオススメなのは筋トレだよねー。何しろ必ず効果が出る! 金持ちになるには生まれ育った環境が欲しい。頭が良くなるには遺伝的素養が欲しい。だが筋肉はほぼ誰にでもある!
根気が続かない? いやいや、精神力も鍛えられる! むしろ筋トレによって精神力が鍛えられるまである! たぶん脳神経的なあれで、頻繁に使えば効いてくる作用がある。
たぶんお前らは、フェミニズムを憎んでいるのに、そのレトリックに囚われている。レイプされる女に身体を鍛えろとか言うのは無理があった、そうだろ? だから救われるには身体を鍛えろ、とかは禁句になっていた。
だから女よりKKOの方が救済されるべきだろ、となったとき、フェミニズムの理論をそのまま引っ張ってしまったんだ。もはやお前らに筋トレして強くなれと言ってくれるやつはいない。
だがフェミニズム以前の弱者男性は救われていた!「男だろ、泣くな」という言葉によって弱者でなくなる道へと常に誘われていた。
取り戻せ!それを!三島由紀夫はキチガイだったかもしれないが、たぶん弱者男性ではなかったし、お前がキチガイじゃないならだいたい大丈夫だ!
本音のところは「わざわざ自分が我慢してやってるのに他人が自由なのは許せない」というだけのことだろ
そのために正義がどうの自浄作用がどうのといちいち理屈をこねくり回しているだけ
ただの同調圧力だというのに
2.5界隈のことは詳しく存じ上げないし、興味もない。厳密に2.5に半ナマのルールが適用されるものなのかも分からない。
半ナマ界隈がいっそ過剰に隠したがる、隠すことを強要したがるのは、自衛のためでしかないと思っている。
半ナマ妄想の数々を関係者が見て、はたして好意的に受けとるか否定的に見るか分からない、なら最初からなかったことにしましょう。BLという性癖やこのジャンルを潰さないために。半ナマ妄想を界隈を知らないファンが見て、作品や演者への誤解を招いたら大事だ。だから隠しましょう。あらぬ批判を避けるために。
自衛でしかない。グレーなものを白とも黒ともしたくない、存在を認知されて価値付けされたくない。そうでしかない。
それでいいと思ってる。自衛以上の意味など見出ださなくても。自衛のためにやっているだけだろう。
2次元作品ならよいのか。よいのだろう。今までグレーなものが許されてきていたのだから。声優に見られることはよいのか。それを是とする人にとってはよいのだろう。
「自衛を他人に強要すること」それ自体を疎んでもいい。それで界隈の自浄作用が無くなってもいいだろう。そこの住人が居心地がいいのなら。グレーは白と認められるかもしれないし、あるいは黒になるかもしれない。それでジャンルがどうなろうが構わない。それが界隈の決めたことなら。
2.5がどこに位置付けられ何を目指しているのか私には分からない。界隈で合意に至れればいい。2.5という特殊性において「合意する界隈」の範囲をどこまで広げるべきか、私は知らない。
人の趣味を馬鹿にするな!!!!!オタクもそれで苦しんできただろう!!!!!
オタク趣味や外見、挙動を馬鹿にするのは論理的な指摘ではないから反発を受けて当然だろう。
タピオカインスタ蠅は仲間のポイ捨てに注意喚起を行っているか?
全くしていないだろう。
それどころか、その他人に迷惑しかかけていないろくでもないタピオカブームをオタクに批判にされて反発する始末だ。
オタクは犯罪的な行為やモラルに欠けた行為を確認すれば身内でも批判を行うし、外部からの批判も真摯に受け入れる。
自分たちがどう見られているかを少しも意識していない連中は本当に見苦しい。
インスタ蠅は滅びなければならない。
「今後の対策」がこれまでと同じく無実無関係の男性を犠牲にするものだから批判されてる。
痴漢が推定有罪である現状では、それは「泣き寝入りしろ」と同義。
ていうか、間違った人刺したたら大人しく刑を受ける覚悟あるんかね?
お前は同性の犯罪全てを「自浄」してるのか?
→想定される状況=電車内の痴漢では、安全ピンは『ただちに他人をして危険感を抱かせるに足りるもの』とまではいえない可能性が高い。
本来ならそうだろうな。
しかし君みたいな無法者たちが挙って「安全ピンを刺すために用意する」と言ってるんだ。危機感を抱かせるものになるだろうよ。
・痴漢から逃れる場合にはそもそも正当防衛により、傷害罪だったとしても相殺される
・痴漢がいる状況で、他人の手を刺してしまった場合には、緊急避難が適用される
・万が一痴漢がいない状況で(=冤罪発生の可能性があるケース)他人の手を刺した場合には、誤想防衛が適用される。ただし、その上でごく軽微な刺傷を超える結果で『傷害』だと認められたら過失傷害罪
捕まっていない痴漢を証明するのは悪魔の証明だし、これまでにも記録に残らなかった。
それをいつまでもぐちぐちと……
あと、男に泣き寝入りしろって言ってるわけじゃないですよ。「痴漢男性(男性とは限らないかも)」だけですよ。
男性が男性の中で自浄作用きかせて、そういった輩を排斥してくれたら私たちとしても問題はないですけれど。
他人を殺傷するための道具として計画し、用意してたら凶器だわ。「用法上の凶器」って奴ね。こんな基礎知識もなく加害宣言してるの?
・用法上の凶器か否かの判断基準は、人を殺傷する用具として使用される外観、社会通念に照らし、ただちに他人をして危険感をいだかせるに足りるものといえるか
→想定される状況=電車内の痴漢では、安全ピンは『ただちに他人をして危険感を抱かせるに足りるもの』とまではいえない可能性が高い。
・痴漢から逃れる場合にはそもそも正当防衛により、傷害罪だったとしても相殺される
・痴漢がいる状況で、他人の手を刺してしまった場合には、緊急避難が適用される
・万が一痴漢がいない状況で(=冤罪発生の可能性があるケース)他人の手を刺した場合には、誤想防衛が適用される。ただし、その上でごく軽微な刺傷を超える結果で『傷害』だと認められたら過失傷害罪
①リベラルのやつらはそういうとこが悪い。全く同意。保守陣営に加われ。
②そもそも文化・儀礼っていうのは、集団の中で仲間と仲間以外を区別するために存在するのだ、という説がある。
正しいやり方で宗教的礼拝が行えるものは味方であり、出来ないものは敵なのである。
箸の持ち方に類するマナー類も同じであって、それができることは仲間に見えることであり、出来ないことは仲間に見えないことである。これは感情的作用であって、やるなとかいうだけ無駄。ブサイクにも欲情しろとか言っているのに近い。
少し合理的に見るならば、マナーを守ろうとしないものは、「仲間に見られようとする努力」を怠っていると言える。イキリヤンキーみたいなもんだね。
従って、お箸は正しく使えたほうがいいぞ。
でホッテントリした回答なんだけれど
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664
高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる"弱者"です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です
……
(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)
>JRAの厩舎に販売された飼料添加物(商品名グリーンカル)の一部に禁止薬物のテオブロミンが含まれていたことが判明し
一部ってなんだよと思うわけ。
https://www.nosan.co.jp/business/lifetech/pdf/green_cal.pdf
完全に「禁止薬物は入ってない」と明記されてるわけ。
https://ameblo.jp/jonathan-mum/entry-11197781759.html
>テオブロミンは、平滑筋弛緩作用をもち、血管及び気管支の拡張作用があります。
>カフェインより弱く、中枢神経を興奮する作用もあり、大脳皮質を刺激し、集中力、記憶力、思考力を高めるほか、精神の疲れをとり、気持ちを落ち着ける作用があります。
どう考えても、売る前に混ぜてから売ってるわけ。
厩舎側が知らなくて混ぜられてるはずがないわけ。
誰かの依頼で、売る奴が売る前に混ぜてるわけ。
…誰の依頼なんでしょうねぇ~…
男女同権は当然だと思っているし
同性を好きになろうが異性を好きになろうがそんなものは個人の自由で当たり前だと思っていた
(文化的に洗練されているとはそういうことだ
欧米の「リベラル」は日本のそれと違ってこれらをきちんと平等に持っている)
しかしそのすべてがネットで暴れるクズを自浄する誠意のないクズどもが多いことによって心底ゴミにしか感じられなくなった
単なる男女逆転のセクシズムで暴れるだけのクズを潰せない普通のフェミニストは何が違うのか
TPOを弁えず男向けのエロサイトにうす汚ねえホモ画像を連投するクソホモは何が違うのか
どいつもこいつもただセクショナリズムで暴れてるだけだからジャップはクズなんだよ
自浄作用なんかありゃしねえ
医者のサヨクが低学歴のネトウヨ貶す以上に同階級の医者のヘイト問題を取り上げてるとこなんて見たことねえ
学者のサヨクが低学歴のネトウヨ貶す以上に同階級の学者のヘイト問題を取り上げてるとこなんて見たことねえ
自分自身のよってたつところそのものの腐敗をこそ追究しろよ自浄ならよ
クソホモ◯ね! 惨たらしく◯ね! 汚ねえもん見せんじゃねえ!
キイトルーダ(KEYTRUDA、一般名「ペムブロリズマブ(Pembrolizumab)」)は、MSD株式会社が製造販売する抗PD-1抗体という免疫チェックポイント阻害薬の一種であり、免疫系に作用するタイプの薬剤。
近年、がん細胞が免疫系の攻撃から逃れるための様々なメカニズムを有していることがわかってきました。
その1つに、免疫細胞ががん細胞を攻撃する際にブレーキをかける機能が明らかになり、PD-1・PD-L1伝達経路といわれます。
がん細胞上のPD-L1というタンパク質と免疫細胞上のPD-1というタンパク質が結合することにより、免疫細胞が攻撃を
抑えてしまいます。この作用を免疫チェックポイントといい、それを阻害する薬剤が免疫チェックポイント阻害薬といいます。
https://oncolo.jp/drug/keytruda-2
http://www.msd.co.jp/newsroom/msd-archive/2017/product_news_0215.xhtml
タイムラインが闇堕ちする仕組み
深津さんのこのエントリ、非常によくまとめられていてわかりやすく、個人的にも高く評価したいのだけれど、インターネットと共に育ってきた身(現在30代)としては欠けてる視点があるなと気付く。
先ず1つ目の欠けてる視点として例えば「2ちゃんねるではディスコミュニケーションを前提とする掲示板もしくはスレッドでしかディスコミュニケーションがほとんど発生していなかった」という点。
この「ほとんど」という部分が重要で、人間がいっぱい居れば口論が発生してしまうことは往々にしてあるので「絶対に発生しなかったわけじゃない」のは当たり前の話。
ディスコミュニケーションを前提とした掲示板って今でも一部で悪名の高い『生き物嫌い板』とかだよね(※動物愛護者はググらない方が精神衛生上良い。これは本当に心からの善意と博愛精神を持って全力強力に要請したい。ググるな知るな見るな)。
そして更に欠けている視点と言えば、これたぶん現在の40代以上にはまったく知らないか、もしくは知っていても下らなすぎて一切関わりを持とうとせず内容を知らないユーザが多いと思うんだ。
それが何かと言えば「過去のインターネットには『喧嘩板』と呼ばれるディスコミュニケーションを前提としたディスコミュニティが存在した」って点。
この喧嘩板はlivedoorしたらば掲示板へ各々のコミュニティに所属するユーザが好き勝手に設置していったもので2ちゃんねるには存在しなかった。
その喧嘩板の黎明期は各コミュニティで口論が発生した際にそのコミュニティの雰囲気を破壊しすぎないようにユーザが各々に自浄作用として「オイちょっと体育館裏に来いやクソボケ!」的に設置するものだった。
まあつまり端的に言えば「口論をするため2ちゃんねるの外に設置された掲示板」ってわけだ。
しかし次第にその当初の目的は薄れていって(ストレス解消のためか)本当にどうでも良い理由で口論することが目的の2ちゃんねるの外の掲示板になっていったんだ。
悪ノリが過ぎる2ちゃんねる運営ですらここまでストレートに口論するためだけが目的の掲示板は設置していなくて、そのためか深津さんは「コミュニティ自浄のためのコミュニティ設立」「ディスコミュニケーションをするためのディスコミュニティ」を認識できていないんだよね。
こういうコミュニティの面白いところは現在のみんなは理解できるだろうけど「現在、喧嘩板は廃れている」ということだね。
現在、2ちゃんねるユーザ数が減っているとはいえ、完全にコミュニティが崩壊したのか?といえばそうではないとみんなは知っているはず。
少なくとも一定の需要があった喧嘩板が廃れ、2ちゃんねるのコミュニティが存続しているという事実は深津さんのエントリでは説明が付かない。
2ちゃんねるが存続している理由、これはおそらくきっと「喧嘩板は口論のたびに設置されることが多く、設置目的からして喧嘩板の寿命は非常に短かった」というのが関係していると思われる。
喧嘩板は2ちゃんねるのコミュニティが崩壊しないよう、まるでアポトーシスのように2ちゃんねるの代わりに早々その役目を終える運命だったんだ。むしろその短命こそが目的だったとも言える。
改めて2ちゃんねるのディスコミュニティ化を防ぐやり方を振り返る良いタイミングなのかもしれない。
つまり2ちゃんねるでは問題が起きるたび枝分かれのように分岐してディスコミュニティ化を防いできたんだ。
ただこれは2ちゃんねるのみで起きたことではない。実は現代(平成終期)のTwitterでも確認している。
それは何かと言えば、Twitterがディスコミュニティ化したと捉えた一部のユーザが分散SNSのMastodonへ移住した件だ。
分散SNSはその大半がオープンソースで提供され、各自が自由に設置できるSNSだ。大小の規模を問わず分散SNS同士が相互接続することでコミュニティを形成している。
その流れの中で生まれたのが「テーマ系サーバ」と呼ばれる分散SNSサーバで、分散SNSを設置する際に音楽テーマやイラストテーマなどお題目を掲げ、ゆるく話題を絞るという試みが起きた(このテーマは絶対基準でなくテーマに合っていない雑談をしても叱られることはない一応のお題目だ)。
2ちゃんのる的に言えば「専門板」に該当し、ゆるく話題を絞ることによって大幅な「板違い」を防ぐことが狙い。あまりにも自由だと怪訝な表情を浮かべざる得ない発言が目立ってしまう可能性があるからだ。
分散SNSは「自由」に関してばかり着目されることが多く「ユーザの自由を縛る中央集権や、ユーザの発言の価値観を中央が判断することへ対してのアンチテーゼである」ということが注目されやすいが、実はそればかりでない。
Twitterを例にすると、Twitter運営やTwitterでなければならずTwitterを愛するユーザは決して認めないだろうが、分散SNSユーザはすでに「Twitterはディスコミュニティである」と見做している。
Twitterを愛する者からすると多くの反論があるだろう。しかし現実として分散SNSへ移住したユーザを代表格として一部のユーザはTwitterというコミュニティを見限っている。
Twitterは喧嘩板のような口論をし他者を罵るディスコミュニティだと烙印を捺したのだ。自身のルールを押し付け合い、自身のルールに反した悪とみなせば徹底的に追い詰める。それがTwitterだと分散SNSユーザは言う。
突然、話は変わるが現在の若者に人気のサブカルチャーコンテンツに「Fateシリーズ」という作品がある。
ゲーム、小説、漫画、アニメと幅広くメディアミックスを展開する作品であり高い評価を若者から受け人気だ。
そのFateシリーズに「アーチャー」と呼ばれる登場人物が居る。
詳細は省くが、アーチャーはもともと正義の味方へ憧れる少年であり、いつまでもその心を待ち続け、いつしか少年は成長し多くの人々を救ったことで正義の味方の代名詞である英雄と称されるようになった。
そんな正義の味方アーチャーが登場するFateシリーズだが、長期シリーズでは付きものの登場人物がどんどん増えていくという長期シリーズの悪習を踏襲している。
そんな中で「オルタ化」と呼ばれる既存の登場人物を再定義する設定が追加された。つまり同一人物ではあるが設定の違う二人目が現れたのだ。
もちろん既存登場人物の「アーチャー」にもオルタ化は適用された。ここでは「アーチャー・オルタ」と呼ぶことにしよう。
アーチャー・オルタはアーチャーの正義の味方たる魂が反転した存在という設定だ。なんだつまり悪役になったのか?と考えるのは誤りだ。
アーチャー・オルタは悪を倒す。それも徹底的に追い詰め手段を問わず悪を殺戮する。悪を倒す正義の味方が反転した存在、アーチャー・オルタは「悪の敵」である。
日本のサブカルチャー界は2000年以降、これまで掘り下げられてきた「正義の味方」というテーマを非常に強く掘り下げてきた。もうそろそろ20年に到達する一大テーマだ。
「ブギーポップは笑わない」「涼宮ハルヒの憂鬱」「とある魔術の禁書目録」「金色のガッシュベル!!」「機動戦士ガンダムSEED」「テラフォーマーズ」「僕のヒーローアカデミア」etc...挙げればキリがないほど様々な正義の味方が考察され描かれてきた。昨今の日本で流行のアメコミもその流れの一環だろう。
そんな正義の味方の考察の中で対比として描かれたのが悪の敵アーチャー・オルタなんだ。
正義に反する者を悪と断じ、正義の味方に反する悪の敵が徹底的に追い詰める。
Twitterはそんな悪の敵が蔓延るディスコミュニティだと分散SNSへと一部のユーザは逃避した。
2ちゃんのるの頃とは逆に喧嘩板を設置するのではなく、Twitterが喧嘩板になってしまったからこそTwitterは最早手遅れだと自らがそんなディスコミュニティではないSNSを立ち上げていった。
しかしnoteは2ちゃんねるやSNSのように分岐してディスコミュニティのアポトーシスができない。可能な方法と言えば中央集権SNSと同様に運営が物事の可否を判断することだ。
我々はそろそろ勇気を持って認めるべきだと思う。
Twitterと利用する多くのユーザは公正、平等、自由、博愛、倫理、法治、人権、平和etc...健全を重視して運営・コミュニケーションしようと模索し続けており、その結果がディスコミュニティ化してしまった現状であると。
これらを訴えるアナタたちは決して悪ではない。しかしアナタたちは正義の味方か?
少年少女の時分で胸に秘めた正義の味方であるアンパンマン、仮面ライダー、ウルトラマン、戦隊レンジャー、セーラームーン、プリキュア、魔法少女が今アナタのような言動を取るか?
そして愛を唱え、自由を訴え、平和を願う者たちをWebサービスはどうやってコントロールすると言うのか。中央集権たるnoteにはそれができるというのか。
ディスコミュニティは悪が蔓延って生まれるばかりでない。ディスコミュニティは悪の敵が蔓延っても生まれるのだ。
この視点が欠けている限り絶対に上手く行かないと警告すると共に、noteが今後見せてくれるであろうイノベーションに強く期待したい。
>信仰って何かというと、現実から目を背けたいときの心の救済なんじゃないかな。
ここが雑なので、いろいろ誤差が大きくなっていく。
信仰は結果として迷信だったかもしれないけど、科学が未発達だった時代に信仰をしたのは、それが「現実」だったからだ。世界は神様が作ったという世の真理を、教えてくれるものだった。信仰を知らないものこそが「現実」を知らない者だった。
魔法が消えた、と君が言ったのは、信仰が示していた「現実」が迷信だったことが判明してきたということだ。
現実から目を背けて救われたい、という信仰のありようは、確かに君の目の前にあるかもしれないが、それは魔法が消えたから出てきたものだ。
もともとの信仰ではない。
だから、信仰が衰退した後に来るのは、笑い、みたいな、別の気晴らしとかではないよ。
別の方法で「現実」を説明するものが信仰に取って代わります。つまり、科学、社会思想、そんな感じのものだね。
em菌や水素水を否定する人たち、フェミニズムを擁護したり攻撃したりする人たち、信仰めいてると思ったことはないかね? 彼らはまさにかつての信仰者のように、人生に価値を与えられ救済されている。
anond:20180903115144 。3回目。
視聴環境は引き続きバンダイチャンネル(https://www.b-ch.com/titles/1109)。お得パック使用で7日間見放題(約千円)。
NHK の全マクロス大投票の感想は、カムジンに投票したけどあい君に負けてグババに勝ってた、シェリルの人気凄すぎ(好き嫌いが強く分かれるキャラクターだと思っていたけどここまでとは)、星間飛行の順位には納得いかん、です。
スタジオぬえがストーリー監修ではなく、また時系列順で一番未来な作品。主人公がジャーナリストでヒロインの一人がバルキリーのエースパイロットなど設定面が異色。感想を三行でまとめると
スペースが余ったので、さわりだけまとめる:
地球人類の殆どが死に絶えた地球外人種ゼントラーディー人との衝突から半世紀、地球は SDF-1 マクロスの残骸を仰ぐマクロスシティを中心に、地球圏共存体として復興をとげていた。あの大戦争により完成された、歌を感情に作用させる戦術兵器として用いる「ミンメイ・ディフェンス・システム」により、十数年ほどのスパンで散発するはぐれゼントラーディ軍との先頭は全く問題となっていおらず、統合軍は過信を抱き腐敗しつつあった。 そんな時に十年ぶりとなるはぐれゼントラーディ軍が太陽系に現れた。民間人のみならず多くの軍人でさえも勝利を確信するなか、ミンメイ・ディフェンス・システムにより敵の動きが鈍る。しかしその瞬間、戦場に統合軍のものではない異質な歌が流れ始め、敵の動きが激化し、統合軍は戦線を維持できず敗走してしまう。地球人類はついに歌を持つ文明と出会ってしまったのである。
これまで鑑賞してきたマクロスシリーズでは、主人公が軍属のバルキリーパイロットであったのに対して、II の主人公ヒビキは民間メディアの人間であるし、ダブルヒロインが敵の歌姫と軍のエースパイロットであったりと、違いが新鮮であった。総じて面白かった。
SF 作品としても、デニスの「宇宙は広い。地球が宇宙に君臨する最も優れた星などと考えるのは大間違いだ。」、「地球が最も優れた文化を持っているだと、ふざけるな。文化が何なのかも分からなくなっていやがるくせに。偉そうに言うんじゃねえ。」という言葉に仮託されるように、SF 的批評観をもって異文化コミュニケーションを描き出そうとしていた。人と人が分かり合うことというテーマを、明確に初代から引き継ぎ発展させていたのもよし。初代で確立したミンメイアタックの否定から入るストーリーは初代でのボドルザー艦隊との決戦を知らないと歌の価値が分からないし、地球文化に染まったイシュタルをミーム汚染として排除するシーンは初代の展開のオマージュだろうし、SDF-1 をシンボルとして活用する終盤の展開は初代の背景がないと成立しない。まさにマクロス II というタイトルにふさわしい作品内容だ。初代の超時空要塞マクロスの発展としてはよくできている。
少々残念な点としては、地球文化側が一方的に与える立場であったこと。これはマルドゥークの一部が地球人語を話していたことから推測できるように、彼らもまたプロトカルチャーを引き継ぐものであり、しかし地球人と異なり歌を戦意高揚の兵器としか理解していなかったから、だろうが。
だから、つくづく内容量に対しての展開の早さと話数の短さがもったいないと感じる。良い短編とは長編小説が書けるネタを惜しみなく使ったものだ、という冗談もあるが、とにかくこの内容ならばもっと初期イシュタルとのコミュニケーションや復興したマクロスシティの様子、発展した地球圏の風俗をしっかりと描いて欲しい。またのちの作品である 7 や F などで導入された設定(移民船団、フォールドブースター、民間軍事会社 SMS、マクロスクォーターなど)を考えると、統合軍の危機に駆けつけない他船団など不自然さがある。
初代マクロスではできなかったことをやろうぜ、という感じであった。マニューバもしっかりと描いていたし、変形の意味付けもしっかりあったし、1992年ということを考えたらこんなものではないだろうか(プラスが異次元すぎる)。雑多な感想を書くと、基本的に孤軍奮闘のマクロスにおいて大艦隊戦は珍しい気がする。マルドゥークのメカは普通に格好良いが、ゼントランのブサイクなメカの方が丸くてかわいくて印象に残る。民間のバルキリーというアイディアはすごくいいので、もっと他の作品にも出そうよ。
今作での一番のお気に入りは、6話にちらっとだけでた超巨大デストロイド・モンスター。大きいのは良いことだ。
腐敗している描写などはあったが、大艦隊戦にエース部隊など、統合軍が一番輝いている作品は本作であろう。
主人公のヒビキを中心として、敵の歌姫(イミュレータ)であるイシュタル、統合軍のエースパイロットであり何かとヒビキと衝突するシルビーのダブルヒロイン。さらにイシュタルに執着するマルドゥークのフェフ様とシルビーへの好意を隠さないスマートイケメンエースパイロット(名前忘れた)を揃えており、正直恋のレースの行き先が全然見えなかった(いや最終話になるまで恋の駆け引きが殆どなくて、急に大人のシーンになってびっくりしたとかないよ)。
イシュタルは純度100%の美樹本絵美少女の上に、おとなしい性格、ブカブカのシャツ、スリットのある下着とかカップを強調したドレスとか男のロマンが詰め込まれたようなキャラクターだ(イミュレータの服装ハレンチすぎない?)。しかし増田はソバカスがチャーミングなシルビーに一票を投じたい。ツンケンしたところもいいし、SDF-1 に賭けたり遺言ビデオレターをノリで撮るなど思い切りの良さはピカイチだし、何より上層部からは目をつけられ民間人からは苦情をぶつけられると言う板挟みのところがいい。初代でも未沙派だったし、増田には中間管理職系の人が刺さるようである。戦う軍人ヒロインでしかもバディものいいよね…
ところで気がついたのだが、マクロスでダブルヒロンの時って年上系ヒロインが正義? 初代:未沙(19歳)とミンメイ(15歳)、II:シルビー(同い年くらい?)とイシュタル(年下っぽい)、ゼロ:サラ(16歳)とマオ(11歳)、そしてフロンティ:シェリル(17歳?)とランカ(15歳)。製作陣の趣味なのだろうか。増田は、妹系か姉系か選べと問われれば姉系と即答するので問題はないが。
ちなみに今作で一番かわいいと思ったのは、5話でちょびっと映ったウェーブのかかった紫髪のイミュレータの娘。一番渋カッコいいのはエクセグラン司令。
敵(マルドゥーク)も歌を持っていると言うことで、ポップカルチャーである地球の歌と軍歌であるマルドゥークの歌の対比はよかった。ということで印象に残った歌は「バルキリーで誘って」とイミュレータの歌。前者はアイドルソングの時代感がいいし、後者は聖歌や民族音楽のような異質感がある。ただ全体的に歌が少ない!もっとイミュレータの歌が聞きたかった。
地球側のアイドルであるウェンディさん。二つ結びの髪の毛にコテコテではすっぱ口調など十分に現代でも通じるキャラクターだと思う。