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はてなキーワード: 中学生とは

2023-08-13

anond:20230812161220

私も似たようなことをされたことがあるけど、小・中学生の時だよ。レベル低い話だな。正直周囲が「仕方ないよ〜」程度で済ませてるのが気持ち悪い。

2023-08-12

anond:20230812225540

中学生の頃の嫁を抱きたかったとか考えて悔しくならんのか?

金銭の関わらないセックスが出来るのは特権だな

30代になって田舎移住結婚して気付いた

俺の唯一の人生の成果は高学歴ということだ

高学歴と言っても浪人してるし留年もしてる

地方から出てきたから、東京に出てきた途端不適応を起こしてさっと心を閉ざした

唯一の趣味である釣り生き甲斐見出して、田舎Iターンしたら縁談の話が沢山来た

高学歴というだけも地方では武器になるのだ

縁談を取り仕切ってる方に、とにかく性格重視でと頼んだ相手はとにかくくたびれたおばさんだった

年上で田舎ゆえに相手が限られて、相手が見つから孤独に生きていくことが確定した人にチャンスを与えようという魂胆が見え見えだったが、結果俺はその縁談を受け入れた

理由自分と同じような境遇だと共感たからだ

縁談を受け入れたその日から、ほぼ毎日セックスをしてる

自分ははじめて、相手中学生以来のセックスだったがとにかくこれは特権だなと思った

大学院に行きたい50歳

会社員中学生高校生の子どもがいて反抗期が大変で学費もこれからかるというのに、すごく大学院行きたい。キャリアアップとかはホントどうでも良くて、単に人文系大学院に在籍して、大学図書館とか通って勉強したいんだ。ミーハー動機なんだ。

仕事の業績とそれを発展させる研究計画を出せば体裁は整う気がしている(自分仕事関係で本も出版してる。研究書とはとても言えないけども)。

問題英語だ。

50歳の平凡な知能の女が今から勉強をはじめてTOEFL80を取れるんだろうか…?

大学を出てから全く勉強してないので、最後英語学習をしたのは前世紀ということになる。

就職TOEIC必須!とか言われる前の世代で、仕事でも全く英語を使わなかった。

似たような経験ある方がいたら勉強の始め方や参考書などご助言ください。有給をフルに使ってお高めな塾に終日通うなどもありです。

※行きたいのは国内大学院です。

大学早慶文系だったが学力は正直低めだったと思う。

貯金を崩すことになるけど家のローン終わったし家計的には大丈夫そう。子ども医学部行きたいとか言ったら破綻するが多分ない。

anond:20230812093444

逆の立場になって考えてみれば、子ども気持ちがわかると思う。

もし片思い家庭教師大学生・・・

「私が好きなタイプはね、吃音じゃない人」

って言われたら思春期吃音症の中学生男子あなたはどう思う?

死ね

と言われてるのと同じ意味だと受け取るんじゃない?

親友の忘れ形見結婚した

高1の時に俺の親友が同じ学校だった彼女(嫁母)を妊娠させてしまった。


嫁母は高校中退したが、嫁父は学業を続け、高卒就職することが決定した。

17歳若さで嫁母は玉のように可愛らしい女の子(嫁)を産み、俺もそこにちょくちょく遊びにいっては赤ん坊を抱っこさせてもらった。

当時の俺は抱っこしているベイビーが未来の嫁になるとは知る由もなかった。


高校卒業後、嫁と親友結婚し、結婚して2年目に親友事故であっけなく亡くなってしまった。まだ21歳の若さだった。

親友即死では無かったので、最期の時には何とか立ち会う事が出来た。

死の間際、彼は俺に「これから成長していく娘を見られないのが残念だ。

どうかあいつらが幸せになれるようにお前が助けてやってくれ」と言い残した。


その遺言通り、俺は嫁の成長を見守るつもりだったけど、当時はまだ大学生の俺に力になれることは何一つなかった。

嫁母は就職しようとしたが、職歴学歴もないヤンママにまともな仕事はなく、夜職になってしまった。

彼女高校生で妊娠したことで親に縁を切られていたので実家に戻れなかった。


何年かして、次第に嫁母は子供放置して遊び回るようになった。

俺も嫁母に「嫁ちゃんのことも考えた方が良い」と忠告したのだが、嫁母は聞く耳を持たず、

俺が大学卒業して就職した頃に嫁母はロクでもない男と再婚してしまっていた。

嫁は継父に邪険にされて育ち、弟妹が次々生まれると家事育児押し付けられるようになって、家族旅行には連れて行ってもらえず、継父の親戚の家に預けられる始末だった。

嫁の小学校ランドセルは親戚のお下がり文房具は地味な百均だというからかわいそうになって俺がキティちゃんの筆箱や鉛筆を買ってやったこともある。


そしたらそれも妹に奪われて嫁は「俺君が買ってくれたものなのにごめんなさい」と号泣していた。

可哀想になって、嫁以外の家族旅行に行く時は「親戚に預けるぐらいなら俺に預けろ」と言って、俺が預かるようになった。

元々、継父の妹夫婦に無理やり押し付けて嫌な顔をされていたらしいから、この申し出は喜んでもらえたぐらいだった。

もちろん、20代独身野郎小学生を家に泊めるなんて普通はしないが、当時は彼女同棲していたから、できたことだった。

家族夢の国にも、北海道旅行にも連れて行ってもらえない嫁のためにとびきりお姫様扱いをして、おしゃれなカフェとか、遊園地とかデパートとか連れて行ってやった。

普段食べさせてもらえない美味しいものも食べに行った。

彼女最初の数年間は「妹が欲しかった!」と言って可愛がってくれて、嫁も俺たちを「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼んで懐いてくれた。

しかし、嫁が年頃になって美しく成長してくると彼女が嫁に嫉妬するようになってしまった。


当時の彼女もそれなりの美人だったが、20代後半になって美貌を失ってきているのを実感しているようだった。

反対に嫁はこれからどんどん大人の女性になっていく。不安しかなかったのだろう。

極め付けは彼女の「嫁ちゃんってあなたの娘でも親戚でもないんでしょ。嫁ちゃんが私より大事ならお嫁さんにしてしまえば!」というセリフだった。

それをまだ15歳の嫁がいる前で吐き捨てて、彼女同棲していたアパートから出て行った。


さすがに30代前半のオッサンアパートにもう連れてくることはできないので、

嫁に「今度からは外で会おう。俺が結婚したら、また家に呼べるから」と言ったところ、

「私じゃダメですか…?」と言われた。

「どういうこと?」

「私、俺お兄ちゃんのお嫁さんになりたいです。」

「な、な、何言ってるの!俺、嫁ちゃんのお父さんの親友だよ!嫁ちゃんの両親と同い年なんだよ!」

彼女ちゃんが私に嫉妬していたように、私もお兄ちゃん彼女嫉妬していました。

私は子供から相手にしてもらえない、彼女ちゃん大人の女性からいつかはお兄ちゃん結婚する、それが怖かった。

お兄ちゃん結婚式で綺麗なウェディングドレスを着た彼女ちゃん想像したら素直に喜べるのだろうか…。

彼女ちゃんが俺くんそっくりの坊やを産んだら、心から祝福できるだろうか…。

そんな黒い気持ちばかり抱えてました。

彼女ちゃんじゃない、他の女性がお兄ちゃん結婚しても同じこと。

ずっと私は悪い女です。子供なのにおかしいでしょ。」

「嫁ちゃんは早くにお父さんを亡くして、お母さんや継父に育児放棄されてきたから、お父さんを恋しい気持ちを俺への恋心と勘違いしているだけだよ。」

「そんなことは…ありません!」

普通、嫁ちゃんぐらいの年齢ならジャニーズ理想でしょ。それが普通だよ。俺みたいなオッサンなんてとんでもない。」

「私の大好きなお兄ちゃん卑下するな…!私はお兄ちゃんが好きなの!

私が幸せになるように助けてあげてってパパが言ったんでしょ!?だったら、その約束守ってよ」

「パパは俺と結婚しろという意味でそんなことを言ったんじゃないよ」

「形はどうであれ、私を幸せにしてくれるのはお兄ちゃんしかいないの。だから、私と結婚さてください」

「ごめん、本当に申し訳ないけど、嫁ちゃんはまだ中学生だ。子供をそんな対象で見られない。結婚だってできない。」

「じゃあ、3年後、大人の女性になった私を見てください。俺くんに相応しい大人の女性になりますから。」


嫁は高校からは寮に入って男女共学理系進学校に行くことになっていた。

生徒は男子の方が多いらしいし、3年間で素敵な彼氏

を見つけるだろうと思ったから、俺はもう嫁に会わないことにした。

どうせ、嫁の継父や嫁母は学費と寮費だけ払ってあとは放置するだろうから、俺が図書カードやら、スタバカードなどは時々送ってやった。

その間に引っ越しを済ませて新しい住所は教えなかった。

しかし、高校卒業したあと、嫁は俺を探し当てて俺のところにやってきた。

ていうか、田舎から事情を知らない友達(嫁父との共通の友人)が勝手に教えた模様。

苦笑いしながら「もう行くところがないんです」


嫁の継父は学歴がある女が嫌いでいまどき、女子大生亡国論を信じているような時代遅れなやつだったし、妻の連れ子のために大学費用を払ってくれるようなやつではなかったらしい。

学費は俺が出すから進学しなよ」と言ったが、「お兄ちゃんのお嫁さんになるのが夢だったから」と言って専業主婦になった。

俺みたいなおっさんの下にウルトラキュートでお肌ぴちぴちすべすべのボンキュッボン美少女が嫁にくるなんて開闢以来の出来事だろう。

可愛い子供も生まれ子供ハイハイたか記念カキコ

そして、親友と嫁母、30代の若さ祖父母にしてしまってスマソ。

そして、俺と嫁のせいで結婚適齢期を逃し、傷つけてしまった元カノにもいつかは謝りたいと思っている。

2023-08-11

俺がしがない万年サラリーマンやってる間に、中学生の姪っ子は部長さんになってた

帰省して、姪っ子をショッピングモールに連れて行った。

そしたら「部長!」って叫びにも似た声が突然して思わずビクッてなった。

きけば、姪っ子は所属する部活部長に今年からなっていた。

たまたま出会わせた後輩が挨拶しに駆け寄ってきたのだった。

すげぇな姪。

俺は万年サラリーマンなのに、もう部長かよ。

すげぇよ。

anond:20230811191304

電気工事士の方が良いだろ。エアコンの設置業者とか。理数系の素養が、中学生ぐらいか10年分くらいの膨大な差があるのに、ただの文系素人プログラミングすすめるやつとか、どういうつもりなんだろうな。

だれにもみせらんねえ

エロ小説書いた

2次創作

めっちゃ面白いみんな大好きなバイオレンス映画2次創作

Aを間接的に死に追いやるのがBなんよ

Aの死体を見に行ったBがその後ジジイセックスしてAの腐る前の体と比べるっていう

中学生か?て内容なんだけど

自分では何これ…抜ける…てなってさ

でもだれにもみせらんねえの

だって漫画アニメじゃないもん、元が

生きてる人が作り上げた生きた人が演じてできたもんだよ

見せられるわけない

こえでかい腐女子ってオナニー開示できてまじメンタル強いなって思った

書いたのは墓まで持ってく

毒親感謝している事

◾️歯列矯正

前歯の歯並びがガッタガタなのを気にしてやってくれた。小学2〜3年の1年程で終わったと思う。上顎のみで裏側に器具をつけるタイプのやつ。

当時は「歯並びなんてどうでもええのに。痛いし嫌だわ」と思いながらやってたが、大人になった今では1番感謝している。今でも「歯並び綺麗だね」と言われる。

ちなみに母親シングルマザー祖父母増田が産まれる前に他界しているため経済的に余裕があった訳ではなかった。

 

◾️コンタクト

中学生まで授業中のみ眼鏡をかけていたが、高校に上がると同時にコンタクトを買いに行かせてくれた。

眼科からの帰り道、視界いっぱいに広がった鮮明な景色への感動は忘れない。

 

◾️食育のゆるさ

①嫌いなものは食べなくていい

食べなくてもいいというか、そもそも増田が嫌いな食材ピーマンネギあんこ)は全く食卓に並ばなかった。

結果として歳を重ねるにつれて勝手に食べられるようになり、今では特に嫌いな食べ物はなくなった。

②食べれる量だけ食べればいい

「残さず食べなさい」と言われる事はなく、食べきれなければ残してもいいスタイルだった。

小学中学年頃までは好きなおかずだけ食べて残す事が多かったが、小学校高学年頃には大体完食出来るようになっていた。

③箸の持ち方は矯正しない

元々変な箸の持ち方だったが、特に母親から指摘された事はなかった。

小学2年生の頃に友達の家でお昼をご馳走になった時「変な箸の持ち方恥ずかしいな」と感じ、自分練習して正しい持ち方が出来るようになった。

自分が親になった今、子にあれこれ言ったところで結局は子自身が「自分でどうにかせねば」と気づかなければ意味ないんだろうなと思う。(食に限らずだと思うけど)

anond:20230810235104

鳩丸は高校生の頃に知ったけど、中学生の頃はなんか変な読み方ばかりしていたのよね。アホだったか

もうすでに執行猶予も終わってしばらくなので、書いてもいい頃だと思う。

関係者迷惑からないように一部にフィクションを入れているが、おおむね事実だ。

タイトルの通り、おれは昔、某大手掲示板荒らしていた。

当時のおれは某ファーストフード店正社員として働いていた。

だが、おれにはそれが強烈なコンプレックスだった。

ファーストフード店と書いたが、ファーストフード店名前を3つ挙げてと言われたら必ず出てくるであろうぐらい有名なファーストフード店だ。おれも学生時代はよく通っていた。

しかしそこに就職してしまったのが、なぜか俺の中で消化できないコンプレックスになったのだ。なんだか、客だったのに働いてる側になってしまったというか、言い知れないような不快感だ。

それでおれは働いているそのファーストフード店のこと自体が嫌いになった。

さらにはそのファーストフード店を悪く言ってるやつ(!)のこともどうしようもなく嫌いになった。

こう言語化してみると意味不明だ。だっておれ自身が働いている店が嫌いであり、さらにはその店を悪く言われるのが嫌いなのだ

分頭おかしいんだと思うが、まあ聞いてくれ。本番はこれからだ。

ところで、おれには中学生ぐらいのときから大手掲示板を見るという習慣があった。

しばらくは見るだけだったが、次第には書き込むようになり、ついにはヘビーユーザーになった。

俺が見ていたのはある総合雑談板のような場所だったのだが、そこには衣食住さまざまな話題が出る。

そこでたまに見かけるのが「俺が働いているファーストフード店悪口」だ。

なにしろ、有名なファーストフード店からまあまあスレも立っていたし、その掲示板ではそのファーストフード店のことを悪くいうような風潮があった。

先ほど書いた通り、おれ自身もこのファーストフード店のことが嫌いだから「まずい」だの「高い」だのスレ住民と一緒になって悪口を書き合っていた。

しかしある日、なんだか悪口レスを眺めているうちに、そこで自分が働いているということとの整合性が取れなくなっていき、おれはスレを手動で荒らし始めた。

手でポチポチ書き込みボタンを押してスレを潰していくわけだが、当然手動の速度だと高が知れている。

なので、おれはまずマクロツールを使った。ただ単に指名した場所クリックすることを繰り返すだけの簡単ものだ。

そしてそのファーストフード店スレが立つの確認すると、マクロを起動し、高速でスレを潰していった。

ファーストフード店話題など常に上がるものではないが、まあ1日に最低1回はスレが立つ。それなのでおれは掲示板をずっと(一日中仕事中まで)監視し、見つけ次第マクロを起動しスレを潰していった。

しかしこの小学生でもできるようなマクロ作戦にも限界が訪れた。連投規制ホスト規制だ。

連投規制ルーターコンセントを抜くだけで回避できたのだが、ホスト規制はどうとも出来ない。

おれはVPNを使うことによってホスト偽装する手法などを試した。VPNはすでに別の荒らし使用しているために使えないものなどが多い。よって、手動で使えるVPNかどうか確認していたのだ。

こうなってくるともはやノイローゼのようであり、現在進行形ファーストフード店で働きつつ、仕事中にも関わらずスマホ掲示板確認ファーストフード店スレを見つけたら、自分の自宅にあるPC遠隔操作し、マクロを起動するということをやっていた。

しかし単純なマクロだと同じ文章や同じ間隔でしか連投できず、やがては規制されてしまう。

規制されてスレがうまく潰せないと、おれは文字通り発狂し、部屋の壁紙剥がしまくった。

おれは手動で発見する方式マクロではもはや手に負えないと思い、プログラミングを学ぶことにした。おれは今までプログラミング言語など一つも学んだことがない。そもそも法学部出身なのだ

それなのに、おれは掲示板を荒らすためだけに主にPythonC++を身につけた。スレを潰すという目的を考えると、すらすらと身についた。日本語コードを書いているのと同じ感覚になった。

コードはまず「ファーストフード店」の名前が書いてあるスレッドを自動で取得。適切なIPアドレスリスト(手動でリスト化したもの)を選び、ランダム文字を生成、連投や規制に引っかかるとリストから削除、またリストからIPを選び連投することを繰り返す方式にした。

しかし自宅のPCwifiでやると逮捕されるのでは?という懸念が頭をよぎり、おれはUSBから電源を供給されれば動き続けるラズベリーパイ使用し、wifiから自動ファーストフード店スレッド荒らし続けた。

末期にはVPNの手動選定に時間がかかりすぎるという問題解決するため、自動掲示板に書き込めるかどうか判定するコード書き、ついにはおれは些細なエラー修正すれば全自動ファーストフード店スレッドを荒らせるようにしていた。

その頃にはもうファーストフード店なんてとっくに辞めており、実家ニートをしていた。

自動で荒らせるとなっても、たまにコードから漏れスレッドがあるため、おれは起きている間ずっと掲示板監視し続けた。

そしてある日の早朝、おれは逮捕された。

詳細は控えるが、主要な罪は不法侵入だ。というのも、おれはWifiが拾えてかつUSBがさせる場所を探しては、無断で侵入してラズベリーパイをさしていたからだ。

さらにはひとつだけでは心配になり、数ヶ所に設置していた。余罪も追求され、すべて自白した。

そうして今ここにいる。おれは無職だ。

あれ以来、掲示板は見ていないと書きたいが、そんなことはない。

見ているし書き込んでいる。荒らしはいない。

もう30もなかばになって、おれは貴重な人生時間をなんて無駄なことに使ってしまったんだろう、なんで今もその貴重な時間を浪費し続けているのだろうか?と自問自答している。

最近掲示板を見る以外には、雑草を見ている。

雑草はけっこう奥が深い。

雑草といってもそうひとくくりにできるわけではなく、ひとつひとつ名前がついていているのだ。スマホ植物AI分類アプリ雑草の種類を調べている。もう、それだけの人生だ。

おれの人生雑草以下だ。名前すらつかない。

入管問題

なんていうかさ

NHKドラマとか含めてさ

被害者を善性の人に仕立てて、悪行を仕方がなかったのだと無視し、受け入れろ」みたいに展開されるじゃない?

これが通るならさ

底辺国の人はまともに金ためて正規手段で職を得ようとかアホらしいよね

取るものとりあえず「他人旅券」を使ってでも入国して

入国さえすればすでに途上国レベル不況に喘ぐ日本人差し置いて人並みの暮らし保障しましょうって?

何人くらいを想定してんのかね?

こんなん法制化したら

世界から、何十万とか何百万とか押し寄せるぜ

「眼の前の数人」だから可哀想って同情するかもだけど

川口クルド人がお前の町に住み着いて大騒ぎすりゃ、絶対保守的思考に変わるよ

そんな事無いと思うなら、住んでみろよ

法律なんぞ知ったことかと違法滞在してる、行政も把握してない人間が、毎夜爆音暴走

病院機能停止し、警察も追いつかない

そんな町に住んでみろよ

もちろん、子供を外で遊ばせて、暴走行為を寛容に見守ってやるんだろ?

可哀想な「政治難民」だからなぁ


言ってみれば、クズ鉄の行動を善良な撮り鉄を引き合いに出して許容しろって言うようなもんでさ

お前の庭の桜を切り倒されても同じこといえんのか?

みたいな話なわけよ

他人事なんだよね


こういう話を、命を秤に乗っけて、酷いですぅ ><、って言うとき

お前はどこにいて何やってんだ?

たった一人の可哀想な老人にたった一個のおにぎり食わせてやれって話は誰でも出来る

それが毎日三食になり、人数が100人になっても、「ヤレ」っていうのか?


万引きなんか比じゃねぇ不法行為なのに

入管極悪非道みたいな扱いになる

いや、不法入国退去命令出たならクニに帰れよって話じゃん


ちな中学生ですでにコレだぞ

https://www.saitama-np.co.jp/articles/39041/postDetail

迷惑行為をして咎められると「差別差別

排除されたら報復

コイツ自分が悪いと思ってないだろ

2023-08-10

通勤で見かけた人について何か思っても、通勤中にスマホからあれこれ感想文を書いたりはできない

満員電車だし人の目もあるしすぐ移動するし疲れる

が、ふと何かのタイミングで思い出してこうやって書き捨てたりする

先日、電車の席に座って前に立ってた人が小さい男性だった

中肉中背から気持ちめくら

前に立たれた時に視線位置お腹のあたり

しかシャツのすそが裏返った状態ズボンからはみ出して

吊り革に体重かけてぶら下がるような体勢でスマホいじってて

もしこれが中学生から大学生までなら子供だなあと幼さを微笑ましくも眺められたのかもしれないが

まあオッサンだった、30代後半から50くらいまでのどこか

しか距離が妙に近い

そこまで混み合っていない電車で、隣の席に立っている普通男性と比べて一歩近い

いやまあ体が小さい分、吊り革までのリーチも足りず必然的に前に出ることになるのかもしれないけど

だらしないシャツ、だらしない態度で、ぶらんぶらんと吊り革につかまって揺れながらスマホいじってて、自分の膝につきそうなくらい接近するのが まあなんかちょっと嫌な感じ

まあ変な人もいるよね、けどまあ自分とは関係ない人なんだし気にしない、そう思ったのに

自分が降りる駅で一緒に降りてスタスタと歩いて行ってしまった

なんかモヤモヤした

数日前の朝の通勤時のことを今更思い出した

もう忘れる、ほんとどうでもいい

anond:20230810182708

中学生みてーな物言いしてるテメーが他人子供云々言えた義理か鏡見ろや

「ばけがく」の件

本質的には、Vtuber視聴者なんてVtuberマウント取って喜びたい奴らばかりってことよね

要するに、若い女性で「ちょくちょくミスをする庇護対象」としてしかVtuberを見ていない

したがって、細かなミスを姑のように見逃さず指摘する、それを楽しむ、というコンテンツになってる

ざっくり言えば、薄いキャバクラなのである

んで、化学を「ばけがく」と呼ぶのは当然間違いではないのだが、化学の読み方をソートすれば、まあ最上位は「かがく」だろう

からその点をもって、強引に「ばけがく」は間違い、としてネタ昇華し、お楽しみコンテンツにしようとしたのだと理解できる

したがって、「Vtuber視聴者中学生なのか」という指摘は的外れであって、実際調べてみるとそんなことはなくおじさんも多かったのである

しろおじさんが、キャバクラ嬢のなんてことはない一挙手一投足に注目して、いじって楽しんている様子が再現されているのである

anond:20230810142911

中学生の頃にスズカを見てたおっさんが「いつかアスクビクターモア産駒の一口馬主に」とか言っても絶対ならないって思う

そんな気持ちがあるならこの何十年の間のどこかでとっくになってなきゃおかし

アスクビクターモア増田です

クタくんが亡くなったそうです。

少し落ち着いたので書きます

訃報を目にしたとき競走馬から当然そういうこともあるだろうという気持ちと、は?なんで?なにが?という気持ちが同時に湧いてきて、別にこんなことよくあると言い聞かせる自分もいながら、思考はぐるぐるしていました。

そしてなんだか、訃報を聞いて1時間くらいたってから急に震えがきました。

えっ、ウソでしょ?なんで?って感情が1時間後に急にきて、ああ、やっぱり自分はショックを受けているんだなとそこで実感した感じです

過去自分応援ツイートを見返して、幸せだった時間を思い出すとますますつらい気持ち

そういえば中学生の頃最初に好きになったサイレンススズカも、こうだったな、と思い出しました

他の人の追悼ツイートが目に入り、

「ショックです。菊花賞の走りは忘れません。ご冥福をお祈りします

みたいな文を見て、はあ?お前はなんでもう割り切ってるんだよ、なんでもう過去のものにしてるんだよと苛立ったりもしました

今でも、「いい馬でした残念です」とか、「今後こういうことがないよう対策を」みたいな気持ちは一切自分にはまだ湧いてこなくて、

「ビクタくんになにがあったの?」しか正直なところまだ思えない

暑かったんだろうなとか、苦しかったんだろうなとか、もう少し思うと菊花賞の無理が結局彼をここまで弱らせていたのかなとかまで思うと、競馬ってなんなんやろなと

やる意味あんのかなって

まだ何というか、何を言えばいいのかわからないというのが正直な気持ちです

いつかビクタの子供が一口馬主で出てくるなら出資したいなとかも思っていたけど、それもかなうことはないんだな

正直まだ動揺していて、どう受け止めていいのか、どう感情を処理していいのかわからない

ほんとに、「動揺していますしか説明できない感じ

anond:20230809163829

心配してくれてありがとう

大丈夫かと言われると大丈夫だけど、今後今までのように無邪気に競馬見れるかというと見れない気はする

anond:20221024031733

以前のツリーにつなげとく

羽生結弦の思い出/感情の整理/記録(私用)

羽生結弦 結婚

初めて。

初めて推し結婚を心の底から喜べなかった。

Twitterでは祝福の声で溢れ、誰が見てもめでたいことはわかってた。

けれども、本当に「おめでとう」と言えなかった。

別にガチ恋勢とかそういうわけでもない。

でもなんで素直におめでとうと思えなかったんだろうと、色々思っていたけどこれまで吐き出していなかった感情を一旦全部整理しようと思ってコレを書いている。

明確な答えを出せるとは思ってないけど取り急ぎ感情の波が収まる前に書きつけておかないと多分忘れちゃう

しまた思い出したら追加で書いたりするかも。

追加:羽生さんのこと基本全部フルネーム表記してますが、ほぼ彼が「羽生結弦」という概念になってると思ってるので敢えてこの表記にしてます

報告の当日から何日もかけて、ちまちま思い出したことからぶつ切りで書いてるから話の前後やその時の情緒も語気も滅茶苦茶。

読み手のことを考えてる文章じゃないからかなり読みにくいが、同じように心の底から喜べずに悲しんでる人へ向けて「世の中に少なくとも1人、私がおるで」というための日記

から祝えない中、無理に喜ぶフリすると後から反動呪い言葉吐いてしまいそうだったか真剣に落ち込んでみた。

ちなみに、私はスケートという概念結婚したと思って正気を保っているので、ここから先はレディーガガの「marry the night」をお勧めします。是非聞いてね。

10年。

20ちょっと生きてる人間にとっての10年なんて人生の半分なんよねぇ。

あいいや。

初めて見たのはアイスショーで踊ってたツィゴイネルワイゼンだった。

元々親がスケート好きでたまにショーを見に行ってた事もあり、自分も連れて行ってもらったのが始まりだったと思う。

当時は荒川さんや浅田さんの影響も大きく、女子花形競技って感じで。男子はそんなに目立った感じじゃなかった。

(幼稚園生の時よくイナバウワーして遊んでたのでスケートといえば男子<女子だった)

小学生自分にとって、それまで見たことないタイプ名前電光掲示板に出ていたのは新鮮で「なんて読むねん」と思いながらぼんやりと見ていた。

なにより今では想像できない踊りで。

まぁ簡潔にいうと「何をしてるんだ…?」と聞きたくなるくらいすっ転びまくっていた。

(何年のやつか思い出せないけど知ってる方も多いと思う)

そんなアイスショーから数年。

羽生くん金メダルだって!」と。

中学の冬の朝、母親に叩き起こされたことを今でも覚えている。

え?「あの」羽生くん?と何度も確認して。

自分私生活が忙しくて少し離れてる間にすっ転びまくっていた少年五輪メダリストに変化していた。

何度も何度もソチ五輪映像を反芻して、居ても立っても居られなくなった私と母はそのまま3月のワールドに行った。

(このワールドsp、滑り出しの直前に「ゆづ〜!愛してるゥ〜!」という複数人による謎の掛け声があり会場全体が変な空気になったんだよな、カスゴミ客は◯んでくれ。)

その後はとんとん拍子で転がり落ちるように沼にハマりファンになった。

全部は長いから書けんけど、常に「羽生結弦」という男は自分にとって輝ける一等星というか。

第一印象がすっ転びワイゼンだったことも大きく、自分がまだ中学生でこれからなんでもできるという時期だったこともあって「彼のように努力すればここまで上り詰めることができるんだ」というある種の指標になっていたんだと思う。

羨望とかそういうのひっくるめて、こんなに頑張ってる人がいるのに、自分体たらくはなんなんだろうかと考えるそういう感じ。

中学高校私生活勉強で色々両立することがあって大きな変化はなかったけど、やっぱり「羽生結弦はいつも生活の側にあった。

普通に肩こり酷い人間だったから、黒と青のファイテン常に付けてた。これ可愛いよね。

高校入ってからかな。

母の彼への入れ込み方が激しくなってきたことがあって、若干嫌悪感を持つ時期があった。

詳細は省くけども、

ひねもす掲示板に張り付いて有る事無い事、噂やファン同士の諍い…望んでもないのに大量の情報を聞かされ、注入される感覚はあまりにも不快で気がついたら「憧れ」から「実の娘である私よりも母の気を引く邪魔存在」にもなっていた。

中国杯の後に増えたファン民度の悪さとかに嫌気が差していたり、自分勉強の方とかで精神的に追い詰められていた部分もあったから単純な話ではないのだけれど。

その頃自分大学受験に際して、部活のように取り組んでいた習い事を辞めていた。

スケート完璧勉強もできる「羽生結弦」を横目に「ああ自分は彼のようにはなれんのだなぁ」と失望してた。

また当時自分は家庭環境が最悪になっており家を出ることが目標だった。

家を出るためには親が納得するき足るだけの学力とそれだけの大学でないと説得できないと思ったこと、羽生結弦という男が育った街が知りたくて仙台大学を選んだ。

他に行きたい場所もなかったから、仙台に行くと決めてからはわりとすんなりと勉強ができた覚え。

羽生結弦過去ananの表紙を飾っていたが、意味わからんクソナガ茶マフラーを巻いてるポスターを机の前に飾ってた。

今なおよくわからん長ェマフラーをしてたのかは謎(調べると画像が出てくるから暇だったら見て)

どう考えても勉強する環境ではないが、サボろうとしても前向けばあの眼光から監視してもらう感じで。

話がズレたな。

平昌五輪差し迫り、母は現地で見たいと切望したものの、それまでの家事を疎かにする姿を見ていて誰がそれを応援しようと思ったか

当然家族全員反対した。

今思えば行っておいでと言えば良かったかもしれないが、私からしてみれば娘の受験よりも「羽生結弦」が優先なんだ、へぇ(笑)って感じだったし。

そんなこんなしてるうちに羽生結弦はサラリと2連覇。そこからまたファンが増え、シーズンオフアイスショーでも変なファンが増えたことでさらに嫌気が差していた。

どこかのアイスショーだったか忘れたんだけど、トイレ行ってる間にババアが「ゆづパンツが」とか会話で盛り上がってるの聞いて気分良いわけないからな。

あとアレな、アイリンの奥にある待合室の椅子全部、一つ一つに座っていたババア。この手のファン自称してる変な人たちも気持ちいから消えて欲しい。

無事進学が決まったことで家を出て、一人暮らしと同時に意識的スケート界隈を視界に入れないようにし始めた。

ここで一回離れたのが良かったのか悪かったのか。国際センター仙台駅の本屋仙台地下鉄ポスター

競技を追わずとも、さまざまなところで羽生結弦という男を目にして、その度にこの男を見て自分はこの土地までやってきたんだと思い出していた。

また話ズレるけど仙台大好き。

故郷よりも好き。

都会なのに緑が多くて気持ちがいいんよね。

就職を契機に都内へきてしまたか仙台を離れてしまったけど、はよ仙台戻りたい。

私は川が大好きなので死後、私の遺骨は広瀬川に撒いてくれと常日頃言ってます

大好きだ仙台

話を戻そう。

とはいえTwitterでこれ見よがしに呟いてるファンは正直気持ち悪かったし、自分も同じようになりたくなかったかTwitterでは鍵開けて呟くこともしなかった。そもそも羽生sageがひどい中、どれだけ擁護しようとも「羽生ファンガー」「ユヅリスト笑」と言われるんだから俺たちにできんのは「沈黙」だけだろ。

(ここでクラピカの顔が出てきたやつはツイカスかハンターオタだから前者はツイカであること自覚して生きような)

TwitterじゃなくてX?

うるせぇ、俺たちが共通センターと呼ぶのとおなじや。

そんなこんなでたまに目にしたり、アイショー見たりとかするくらいまではしてもシーズン中全部追うみたいな生活を2.3年せずにいたら北京五輪になってた。

数年まともに追っかけていなかった間に、さらスケーティング技術が向上してる様を見てやっぱり努力の人で憧れなんだよなと再認識した。

FPの朝。

雪がしんしんと降り積もる中、大崎八幡宮に4A祈願へ向かった。

FP前日に事実無根記事が大量に出回っているのを見て「4年経ってもこんな記事を書いて彼を貶めようと必死なんだ」と辛い思いしたな。

何年経っても彼を取り巻く環境は良くなるところか酷くなる一方なんだなぁと。

タイミング忘れちゃったんだけど、いつかのシーズンで本人が死のうと考えたみたいなこと言ってたのを時折思い出して。

それを考えると結婚したいと思える人と出会たことはなんて素晴らしいことなんだろうと素直に言えるんだけども。

そんなこんなしてたらあれよあれよと時間が過ぎて、引退かと思ったらプロ転向へ。

前々から引退したらどうしようと思っていたところ、最高の「答え」をお出しされて悲しむことも落ち込むこともなくて嬉しかった。

男子スケートにハマった理由に、彼らが命を燃やして戦うあの会場の空気が好きだったこともあって、その覇気がなくなったのは些か寂しい気持ちもあったけど。

まだこれからも彼のスケートが見られるんだなって嬉しかった。

ここまで色々自分の話をまとめてしまったけれど、ここからプロ転向後の個人的にモヤった点をいくつかまとめておく。

プロローグの八戸だっけな。

みんなのライト投票して踊るプログラムを決めるってやつでさ、

最初の方はみんな悲愴が多かった覚え(多分水色と青色が似ててそう見えただけの部分もある)なんだけど選ばず他のプロ踊って。

数日間ある中でも最後の日に、悲愴思い入れがあるからと踊って。

じゃあ最初からリクエスト選択肢から悲愴外してよかったんじゃね?になったけど。

あともう一個個人的に許せなかったのが阿修羅ちゃんだっけ、adoの曲使ったやつ。

adoなんて過去ネット活動してた人をアンチ自殺未遂まで追い込んでたわけじゃん。

そんないじめていた側の人間音楽を使うという事実を受け止められなかったんですわ。

giftとか、お礼に〜って内容なのにそこで使うのが「あの」「ado」ですか(笑)っていう。

いつまでも過去の話を蒸し返すなと言われるかもしれないけど、散々sage記事アンチに酷い目に遭わされてた羽生結弦がソイツの楽曲使うってグロくない?

この辺から自分の思ってた羽生結弦から乖離が起きてるのを感じていた。

まぁ自分が合わなくなっていっただけだけど。

あとまたこれは違う愚痴

notte stellata3/11に現地参加してたんだけど、中国ファンか知らんが明らかに場にそぐわない掛け声すんのやめてほしい。

こちとら鎮魂なり祈り、そこから希望とか再生意味するショーだと思っているのにそこで「あいしてる」なんてでかい掛け声は耳障りなだけなんよ。

最近見なくなったけど貞子みたいなストーカーも、アイスショー千秋楽必ずセンター1列目の変な女も邪魔

そもそもフィギュアスケートというスポーツのあり方自体も異質だよね。

プロではなくてアマチュアの方が技量が上、大会などに出場して集客してと見せ物のようになるのがアマチュアの方なん。

ただそのスポーツが好きというだけで始めた人間が、上手くなればなるほどよく分からない人たちの目に晒される環境にあって、

アスリートなのにアイドルのような消費の仕方/され方してるのがな…高校野球だけ謎に神聖視されてるのと似てる?

アイドル最初からそういう売り出し方をするからいいが、スポーツは違うじゃん。

好きで始めただけなの晒されて人格に難癖つけられてとかね。

世知辛いわね〜

まぁそんなこんなで、勝手理想像を求めてる俺みたいな人間は鈴の言葉でも反芻して生きような↓

すごい、馬鹿みたい。

勝手に期待して、勝手失望して。

ほんと馬鹿みたい。

でも王様ってそんなものなのね。

みんな勝手に期待して、陽子自体ことなんて考えてもみないで。

勝手失望していくの。

(アニメ十二国記』より)

Twitterとか世間では祝福の言葉ばかり目について、悲しむような人を見つけられなかった。

その様子を目の当たりにして、素直に喜べなかった自分の心の醜さに打ちひしがれてしまったし、周りのその「潔白」な態度に吐き気を催した。

だってさ…

今まで彼が「スケートを想って滑ってる」と思いながら見てた演技が「誰か特定の人に対しての感情を含みながら滑っていた」とかだったら悲しくない?

悲しくない?そう…俺が捻くれてるだけやね。

まぁそら遠くからお金落としてるだけのファンと、近くで辛い時支えてくれた人ならそっち好きになるのは当然だしね。

羽生結弦ファンであるなら、ファンもどこまでも清く、正しく、美しくあるべきところ私はそうできなかった。

私と同じように思っていても、表向き発信してない人が多くいると思うし。

私みたいな人も同じようにいるんだと知って、1人でも救われれば良いなと思って今回ここまでちゃん自分気持ちを書いた。

これは関係ない話だけど、Twitterで「羽生結弦結婚したのは俺?!俺!ole!」言うてる人の見て元気出たよ、ありがとう

どんなに切望しても普通には得ることが叶わない、スケートの神に愛された男が、スケート以外に愛する存在を見つけてしまった事実が悲しかった。

ただ、ただ、悲しかったんだと思う。

でもそれが神様でもなんでもない、人間としての羽生結弦で。

踏みつけても立ち上がるたんぽぽのように。

泥の中から咲かせる蓮の花のように

どんな場所でも美しく在る男の姿が。

そんな1人の男が好きだったな。

報道翌日に体を引き摺りながら仙台へ行って七夕祭り楽しんできたけど、また今度仙台行ってご祝儀代わりにお金落としてくるわ。

次はヒカペ目標で。

じゃ。


追記:

報告直後におめでとうと言ってた周りの人ほど今更落ち込んでる。最初に落ち込んでた俺の方がいま元気なの見るに、やっぱり無理するの良くねぇンだな〜に。

Twitter羽生関係を全部ミュートにしててしばらく見てないけど、羽生結弦に限らずオタクは全員キモいから自覚して生きような。

羽生結弦の思い出/感情の整理/記録(私用)

羽生結弦 結婚

初めて。

初めて推し結婚を心の底から喜べなかった。

Twitterでは祝福の声で溢れ、誰が見てもめでたいことはわかってた。

けれども、本当に「おめでとう」と言えなかった。

別にガチ恋勢とかそういうわけでもない。

でもなんで素直におめでとうと思えなかったんだろうと、色々思っていたけどこれまで吐き出していなかった感情を一旦全部整理しようと思ってコレを書いている。

明確な答えを出せるとは思ってないけど取り急ぎ感情の波が収まる前に書きつけておかないと多分忘れちゃう

しまた思い出したら追加で書いたりするかも。

報告の当日から何日もかけて、ちまちま思い出したことからぶつ切りで書いてるから話の前後やその時の情緒も語気も滅茶苦茶。

読み手のことを考えてる文章じゃないからかなり読みにくいが、同じように心の底から喜べずに悲しんでる人へ向けて「世の中に少なくとも1人、私がおるで」というための日記

から祝えない中、無理に喜ぶフリすると後から反動呪い言葉吐いてしまいそうだったか真剣に落ち込んでみた。

ちなみに、私はスケートという概念結婚したと思って正気を保っているので、ここから先はレディーガガの「marry the night」をお勧めします。是非聞いてね。

10年。

20ちょっと生きてる人間にとっての10年なんて人生の半分なんよねぇ。

あいいや。

初めて見たのはアイスショーで踊ってたツィゴイネルワイゼンだった。

元々親がスケート好きでたまにショーを見に行ってた事もあり、自分も連れて行ってもらったのが始まりだったと思う。

当時は荒川さんや浅田さんの影響も大きく、女子花形競技って感じで。男子はそんなに目立った感じじゃなかった。

(幼稚園生の時よくイナバウワーして遊んでたのでスケートといえば男子<女子だった)

小学生自分にとって、それまで見たことないタイプ名前電光掲示板に出ていたのは新鮮で「なんで読むねん」と思いながらぼんやりと見ていた。

なにより今では想像できない踊りで。

まぁ簡潔にいうと「何をしてるんだ…?」と聞きたくなるくらいすっ転びまくっていた。

(何年のやつか思い出せないけど知ってる方も多いと思う)

そんなアイスショーから数年。

羽生くん金メダルだって!」と。

中学の冬の朝、母親に叩き起こされたことを今でも覚えている。

え?「あの」羽生くん?と何度も確認して。

自分私生活が忙しくて少し離れてる間にすっ転びまくっていた少年五輪メダリストに変化していた。

何度も何度もソチ五輪映像を反芻して、居ても立っても居られなくなった私と母はそのまま3月のワールドに行った。

(このワールドsp、滑り出しの直前に「ゆづ〜!愛してるゥ〜!」という複数人による謎の掛け声があり会場全体が変な空気になったんだよな、カスゴミ客は死んでくれ。)

その後はとんとん拍子で転がり落ちるように沼にハマりファンになった。

全部は長いから書けんけど、常に「羽生結弦」という男は自分にとって輝ける一等星というか。

第一印象がすっ転びワイゼンだったことも大きく、自分がまだ中学生でこれからなんでもできるという時期だったこともあって「彼のように努力すればここまで上り詰めることができるんだ」というある種の指標になっていたんだと思う。

羨望とかそういうのひっくるめて、こんなに頑張ってる人がいるのに、自分体たらくはなんなんだろうかと考えるそういう感じ。

中学高校私生活勉強で色々両立することがあって大きな変化はなかったけど、やっぱり「羽生結弦はいつも生活の側にあった。

普通に肩こり酷い人間だったから、黒と青のファイテン常に付けてた。これ可愛いよね。

高校入ってからかな。

母の彼への入れ込み方が激しくなってきたことがあって、若干嫌悪感を持つ時期があった。

詳細は省くけども、

ひねもす掲示板に張り付いて有る事無い事、噂やファン同士の諍い…望んでもないのに大量の情報を聞かされ、注入される感覚はあまりにも不快で気がついたら「憧れ」から「実の娘である私よりも母の気を引く邪魔存在」にもなっていた。

中国杯の後に増えたファン民度の悪さとかに嫌気が差していたり、自分勉強の方とかで精神的に追い詰められていた部分もあったから単純な話ではないのだけれど。

その頃自分大学受験に際して、部活のように取り組んでいた習い事を辞めていた。

スケート完璧勉強もできる「羽生結弦」を横目に「ああ自分は彼のようにはなれんのだなぁ」と失望してた。

また当時自分は家庭環境が最悪になっており家を出ることが目標だった。

家を出るためには親が納得するき足るだけの学力とそれだけの大学でないと説得できないと思ったこと、羽生結弦という男が育った街が知りたくて東北大を選んだ。

他に行きたい場所もなかったから、仙台に行くと決めてからはわりとすんなりと勉強ができた覚え。

羽生結弦過去ananの表紙を飾っていたが、意味わからんクソナガ茶マフラーを巻いてるポスターを机の前に飾ってた。

今なおよくわからん長ェマフラーをしてたのかは謎(調べると画像が出てくるから暇だったら見て)

どう考えても勉強する環境ではないが、サボろうとしても前向けばあの眼光から監視してもらう感じで。

話がズレたな。

平昌五輪差し迫り、母は現地で見たいと切望したものの、それまでの家事を疎かにする姿を見ていて誰がそれを応援しようと思ったか

当然家族全員反対した。

今思えば行っておいでと言えば良かったかもしれないが、私からしてみれば娘の受験よりも「羽生結弦」が優先なんだ、へぇ(笑)って感じだったし。

そんなこんなしてるうちに羽生結弦はサラリと2連覇。そこからまたファンが増え、シーズンオフアイスショーでも変なファンが増えたことでさらに嫌気が差していた。

どこかのアイスショーだったか忘れたんだけど、トイレ行ってる間にババアが「ゆづパンツが」とか会話で盛り上がってるの聞いて気分良いわけないからな。

あとアレな、アイリンの奥にある待合室の椅子全部、一つ一つに座っていたババア。この手のファン自称してる変な人たちも気持ちいから消えて欲しい。

無事進学が決まったことで家を出て、一人暮らしと同時に意識的スケート界隈を視界に入れないようにし始めた。

ここで一回離れたのが良かったのか悪かったのか。国際センター仙台駅の本屋仙台地下鉄ポスター

競技を追わずとも、さまざまなところで羽生結弦という男を目にして、その度にこの男を見て自分はこの土地までやってきたんだと思い出していた。

また話ズレるけど仙台大好き。

故郷よりも好き。

都会なのに緑が多くて気持ちがいいんよね。

就職を契機に都内へきてしまたか仙台を離れてしまったけど、はよ仙台戻りたい。

私は川が大好きなので死後、私の遺骨は広瀬川に撒いてくれと常日頃言ってます

大好きだ仙台

話を戻そう。

とはいえTwitterでこれ見よがしに呟いてるファンは正直気持ち悪かったし、自分も同じようになりたくなかったかTwitterでは鍵開けて呟くこともしなかった。そもそも羽生sageがひどい中、どれだけ擁護しようとも「羽生ファンガー」「ユヅリスト笑」と言われるんだから俺たちにできんのは「沈黙」だけだろ。

(ここでクラピカの顔が出てきたやつはツイカスかハンターオタだから前者はツイカであること自覚して生きような)

TwitterじゃなくてX?

うるせぇ、俺たちが共通センターと呼ぶのとおなじや。

そんなこんなでたまに目にしたり、アイショー見たりとかするくらいまではしてもシーズン中全部追うみたいな生活を2.3年せずにいたら北京五輪になってた。

数年まともに追っかけていなかった間に、さらスケーティング技術が向上してる様を見てやっぱり努力の人で憧れなんだよなと再認識した。

FPの朝。

雪がしんしんと降り積もる中、大崎八幡宮に4A祈願へ向かった。

FP前日に事実無根記事が大量に出回っているのを見て「4年経ってもこんな記事を書いて彼を貶めようと必死なんだ」と辛い思いしたな。

何年経っても彼を取り巻く環境は良くなるところか酷くなる一方なんだなぁと。

タイミング忘れちゃったんだけど、いつかのシーズンで本人が死のうと考えたみたいなこと言ってたのを時折思い出して。

それを考えると結婚したいと思える人と出会たことはなんて素晴らしいことなんだろうと素直に言えるんだけども。

そんなこんなしてたらあれよあれよと時間が過ぎて、引退かと思ったらプロ転向へ。

前々から引退したらどうしようと思っていたところ、最高の「答え」をお出しされて悲しむことも落ち込むこともなくて嬉しかった。

男子スケートにハマった理由に、彼らが命を燃やして戦うあの会場の空気が好きだったこともあって、その覇気がなくなったのは些か寂しい気持ちもあったけど。

まだこれからも彼のスケートが見られるんだなって嬉しかった。

ここまで色々自分の話をまとめてしまったけれど、ここからプロ転向後の個人的にモヤった点をいくつかまとめておく。

プロローグの八戸だっけな。

みんなのライト投票して踊るプログラムを決めるってやつでさ、

最初の方はみんな悲愴が多かった覚え(多分水色と青色が似ててそう見えただけの部分もある)なんだけど選ばず他のプロ踊って。

数日間ある中でも最後の日に、悲愴思い入れがあるからと踊って。

じゃあ最初からリクエスト選択肢から悲愴外してよかったんじゃね?になったけど。

あともう一個個人的に許せなかったのが阿修羅ちゃんだっけ、adoの曲使ったやつ。

adoなんて過去ネット活動してた人をアンチ自殺未遂まで追い込んでたわけじゃん。

そんないじめていた側の人間音楽を使うという事実を受け止められなかったんですわ。

giftとか、お礼に〜って内容なのにそこで使うのが「あの」「ado」ですか(笑)っていう。

いつまでも過去の話を蒸し返すなと言われるかもしれないけど、散々sage記事アンチに酷い目に遭わされてた羽生結弦がソイツの楽曲使うってグロくない?

この辺から自分の思ってた羽生結弦から乖離が起きてるのを感じていた。

まぁ自分が合わなくなっていっただけだけど。

あとまたこれは違う愚痴

notte stellata3/11に現地参加してたんだけど、中国ファンか知らんが明らかに場にそぐわない掛け声すんのやめてほしい。

こちとら鎮魂なり祈り、そこから希望とか再生意味するショーだと思っているのにそこで「あいしてる」なんてでかい掛け声は耳障りなだけなんよ。

最近見なくなったけど貞子みたいなストーカーも、アイスショー千秋楽必ずセンター1列目の変な女も邪魔

そもそもフィギュアスケートというスポーツのあり方自体も異質だよね。

プロではなくてアマチュアの方が技量が上、大会などに出場して集客してと見せ物のようになるのがアマチュアの方なん。

ただそのスポーツが好きというだけで始めた人間が、上手くなればなるほどよく分からない人たちの目に晒される環境にあって、

アスリートなのにアイドルのような消費の仕方/され方してるのがな…高校野球だけ謎に神聖視されてるのと似てる?

アイドル最初からそういう売り出し方をするからいいが、スポーツは違うじゃん。

好きで始めただけなの晒されて人格に難癖つけられてとかね。

世知辛いわね〜

まぁそんなこんなで、勝手理想像を求めてる俺みたいな人間は鈴の言葉でも反芻して生きような↓

すごい、馬鹿みたい。

勝手に期待して、勝手失望して。

ほんと馬鹿みたい。

でも王様ってそんなものなのね。

みんな勝手に期待して、陽子自体ことなんて考えてもみないで。

勝手失望していくの。

(アニメ十二国記』より)

Twitterとか世間では祝福の言葉ばかり目について、悲しむような人を見つけられなかった。

その様子を目の当たりにして、素直に喜べなかった自分の心の醜さに打ちひしがれてしまったし、周りのその「潔白」な態度に吐き気を催した。

だってさ…

今まで彼が「スケートを想って滑ってる」と思いながら見てた演技が「誰か特定の人に対しての感情を含みながら滑っていた」とかだったら悲しくない?

悲しくない?そう…俺が捻くれてるだけやね。

まぁそら遠くからお金落としてるだけのファンと、近くで辛い時支えてくれた人ならそっち好きになるのは当然だしね。

羽生結弦ファンであるなら、ファンもどこまでも清く、正しく、美しくあるべきところ私はそうできなかった。

私と同じように思っていても、表向き発信してない人が多くいると思うし。

私みたいな人も同じようにいるんだと知って、1人でも救われれば良いなと思って今回ここまでちゃん自分気持ちを書いた。

これは関係ない話だけど、Twitterで「羽生結弦結婚したのは俺?!俺!ole!」言うてる人の見て元気出たよ、ありがとう

どんなに切望しても普通には得ることが叶わない、スケートの神に愛された男が、スケート以外に愛する存在を見つけてしまった事実が悲しかった。

ただ、ただ、悲しかったんだと思う。

でもそれが神様でもなんでもない、人間としての羽生結弦で。

踏みつけても立ち上がるたんぽぽのように。

泥の中から咲かせる蓮の花のように

どんな場所でも美しく在る男の姿が。

そんな1人の男が好きだったな。

報道翌日に体を引き摺りながら仙台へ行って七夕祭り楽しんできたけど、また今度仙台行ってご祝儀代わりにお金落としてくるわ。

次はヒカペ目標で。

じゃ。

2023-08-09

英語意味が異なる日本語

痛くなった理由

普通より若干成長が早くて、小学3年生くらいかニキビができはじめ毛深くなり脂肪がついて周りより背がデカくなった。醜さに拍車がかかって浮いていたし、ちょうどその頃の女の子が好きな「かわいいもの」が似合わなくなり、ピンク色の小物やスカートを異常なまでに避けるようになった。

結局成長が終わるのも周りより早くて、上記の性徴は中学3年生くらいには収まってきたが、身長は153cmで止まり顔つきも体つきも14~15歳くらいの感じでストップした。

20歳の今、お金を割と自由に使えるようになり、ピンクハートがついた指輪ビーズブレスレット魔法少女風の安っぽいネックレスファンシーキャラクターTシャツトートバッグを買うようになった。少女趣味ものを集めたい!という強い思いは特に無く、単純に今の私の感性がこれいいなあと思ったものを買っているだけなんだけど、きっと私は心のどこかで9歳から13歳の期間に失ったものを取り戻そうとしているんだと思う。

性徴が中学生あたりの正常な時期に始まった友達はみんな今、大人っぽい服装をして大人っぽいアクセサリーをつけている。その子たちは小学生の時に「かわいい」ができたからもう飽きたんだろう。それが”普通”なんだろう。ファンシーな「かわいい」を好むのは小学生で終わるはずなんだろう。

でも性徴に邪魔されて小学生の時に「かわいい」ができなかった私は、20歳にもなってピンクハートがついたビーズネックレスをつけている。

私はこのスタイルが好きだし自分アイデンティティだとも思っているから、まあいいんだけど、楽しいんだけど、ふと我に返って今の自分少女趣味になった理由を考えてみたとき、苦しくなることがある。

anond:20230720110020

エロネタ中学生みたいな下ネタに対する許容範囲は広いけど、直接的なセックス表現があると案外消される

たまに風俗童貞喪失しましたみたいな人が興奮冷めやらぬうちに長文書いて消されてるのが観測できる

ワンピースがまだやっている

連載開始時に中学生だった俺が30歳になってもまだやっている、というのはまだ笑い話な気分だったが、もはや40になろうとしてる。

まだやってるんだ、とぞっとする。

終戦直前に満州で産まれた母の話

こんな時期でもあるし母も病気やってしまって長くなさそうだからここにでも記録しておこうかな

増田はまだ30代だけど両親が戦時中まれの超高齢出産で母は満州で産まれた。

小学校とかで「お祖父ちゃん祖母ちゃんから戦争のこと聞いてきて発表してね」なんてあるけど増田だけ両親から聞いた話を発表して戦争って以外と身近なんだよって理解してた記憶がある。

戸籍確認するとほんとに母は満州まれだし母の父親記載がない。そういう時代なのだ

満州では素晴らしい生活が待っているよ、と地域ごとに募集された開拓民として満州に行った二世ということだ。

増田の母の母は現地で別のところから来た男性と恋に落ち、結婚はしていなかったけど子どもを身ごもり終戦の数か月前に出産した。だから父親記載がなかった。


そして8月日本終戦を迎えた。

満州ではまだ戦闘が続いていた。

というよりも満州での地獄終戦からなのかもしれない。

78年前の今日8月9日、満州ソビエトが侵攻した。

敦化県に母の家族は住んでいたみたいで戸籍記載のないの父は日満パルプ材木を運び入れる労働者だったらしい。

一番有名な敦化事件に巻き込まれたとは思わないが、父はソビエト軍によって捕まりその後シベリア抑留され日本には帰ってこなかった。

防衛省ロシアから提供された満州亡者名簿を確認しても名前はないのだが骨は日本に帰ってきているらしい。

何せ結婚していなかったので繋がりがなく、お祖父ちゃん開拓民として満州に行く前に住んでいた地域で同性の人に聞き取りしたのだが「骨となって帰ってきてる人はいる」ぐらいの薄い情報しか得られなかった。


満州には祖母兄弟の2家族ぐらいで移り住んでいたらしい

男の大人は既にいなかったみたいで当時中学生ぐらいだった増田の母から見ておじさんに当たる人が食料を確保したりして日本へ向けて朝鮮半島南端を目指したらしい。

その食糧確保も日本軍の食糧庫に盗みに入ったりすることで食いつないでいたり、祖母坊主にして男装したりしてレイプ対策をしていたが、それでも中国兵にレイプされかけたとき赤ちゃんの母を抓って泣き声上げさせて撤退させたり想像を絶する苦難だったそうだ。


そんな母も天寿を全うしようとしてる。所詮母も赤ちゃんだったので周りから聞いた話でしかないのだがそれでも解像度は高く直接経験した人の言葉はしっかりと伝わった。

78歳はまだまだ若い長生きしてほしいし母には幸せを感じたまま旅立ってほしい。そのためにはまず増田幸せな姿を母に見せることが大事だろうな、って思う

会ったこともない見たこともない先祖のことも大事だけど、まず目の前にいる両親に時間を使おう。そう思った今年のお盆でした。






そんな増田は今年もコミケに行ってきます

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