2023-08-09

終戦直前に満州で産まれた母の話

こんな時期でもあるし母も病気やってしまって長くなさそうだからここにでも記録しておこうかな

増田はまだ30代だけど両親が戦時中まれの超高齢出産で母は満州で産まれた。

小学校とかで「お祖父ちゃん祖母ちゃんから戦争のこと聞いてきて発表してね」なんてあるけど増田だけ両親から聞いた話を発表して戦争って以外と身近なんだよって理解してた記憶がある。

戸籍確認するとほんとに母は満州まれだし母の父親記載がない。そういう時代なのだ

満州では素晴らしい生活が待っているよ、と地域ごとに募集された開拓民として満州に行った二世ということだ。

増田の母の母は現地で別のところから来た男性と恋に落ち、結婚はしていなかったけど子どもを身ごもり終戦の数か月前に出産した。だから父親記載がなかった。


そして8月日本終戦を迎えた。

満州ではまだ戦闘が続いていた。

というよりも満州での地獄終戦からなのかもしれない。

78年前の今日8月9日、満州ソビエトが侵攻した。

敦化県に母の家族は住んでいたみたいで戸籍記載のないの父は日満パルプ材木を運び入れる労働者だったらしい。

一番有名な敦化事件に巻き込まれたとは思わないが、父はソビエト軍によって捕まりその後シベリア抑留され日本には帰ってこなかった。

防衛省ロシアから提供された満州亡者名簿を確認しても名前はないのだが骨は日本に帰ってきているらしい。

何せ結婚していなかったので繋がりがなく、お祖父ちゃん開拓民として満州に行く前に住んでいた地域で同性の人に聞き取りしたのだが「骨となって帰ってきてる人はいる」ぐらいの薄い情報しか得られなかった。


満州には祖母兄弟の2家族ぐらいで移り住んでいたらしい

男の大人は既にいなかったみたいで当時中学生ぐらいだった増田の母から見ておじさんに当たる人が食料を確保したりして日本へ向けて朝鮮半島南端を目指したらしい。

その食糧確保も日本軍の食糧庫に盗みに入ったりすることで食いつないでいたり、祖母坊主にして男装したりしてレイプ対策をしていたが、それでも中国兵にレイプされかけたとき赤ちゃんの母を抓って泣き声上げさせて撤退させたり想像を絶する苦難だったそうだ。


そんな母も天寿を全うしようとしてる。所詮母も赤ちゃんだったので周りから聞いた話でしかないのだがそれでも解像度は高く直接経験した人の言葉はしっかりと伝わった。

78歳はまだまだ若い長生きしてほしいし母には幸せを感じたまま旅立ってほしい。そのためにはまず増田幸せな姿を母に見せることが大事だろうな、って思う

会ったこともない見たこともない先祖のことも大事だけど、まず目の前にいる両親に時間を使おう。そう思った今年のお盆でした。






そんな増田は今年もコミケに行ってきます

  • うちの母親も満州で生まれて、戦争に負けた後、命からがら戻ってきたって言ってたな もう80歳超えてるけど

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん