はてなキーワード: ライフとは
日本ではおそらくほぼ誰もやっていないことだ。
毎回必ずイイねとコメントをくれる人が、1人だけいる。とてもありがたいことだ。
俺とその人だけの世界かといえばそうでもなくて、多分ROM専が6人くらいいる。
俺はこの事柄でこれだけの人を集められることに自信がある。
(28日 追記)なんか思ってた以上に見られてて草生えたので拡張機能が前にくるようにだいぶ書き換えました。
推しは好きだけど推しの全肯定と腐・関係性のオタクがとにかく無理になったROM専のオタクが自衛として使ってるおすすめの拡張機能を陳列していくよ。
PC版Chromeのみ。ものによってはSafari、Firefoxとかも対応してる。
【YouTubeLiveClock】
個人的なおすすめポイントは「タイムラインノート」というメモ帳みたいな役割がある機能。
ワンクリックで自分用のタイムスタンプが作れるし、推しが配信画面にチャット欄載せるタイプならこれで隠せるのでおすすめ。
NGワード設定でチャットに流れないようにする。「草」とか入れとくとすっきりするよ。
ちなみに絵文字単体はすり抜けるので注意。
動画タイトルやコメントへワード指定でフィルターかけて非表示にしてくれる。
特定ユーザーを非表示することもできるのでブロックできないコメ欄とかどうしても表示したくない投稿者に使うと便利。
筆者は使ってないけど、チャット欄・コメ欄を完全に非表示にしてくれる機能がある他かなり細かくいろいろできるみたい。
他の配信・動画にも影響するためその辺考えて使うと便利かもしれない。
言わずと知れたTwitterクライアント。複垢管理やリストの閲覧におすすめ。
Twitter Webだとミュートワードがリストへ作用しないが、TweetDeckは効く。そこが良い。
TweetDeck側で設定し直す必要があるが、かなり快適になる。
【Better TweetDeck】
カスタムCSSが優秀で、これでツイートへのリプライ数・RT数・いいね数を非表示にできる。
【おだやかTwitter】
Twitter web用。おすすめ〇〇、ツイートへのリプライ数・RT数・いいね数を非表示にできる。
【Twitter Stress Reduction】
Twitter web用。おすすめ〇〇や画像を非表示にできる他、トレンドにNGを設定してワードやニュースサイトを非表示にすることができる。
Twitter web用。他人のフォロー・フォロワーを一括でブロックしてくれる。
やりすぎるとアカウントが一時的に動かなくなったりするので注意。Cookie削除すれば戻る。
【feather】
おまけ。iOS用有料Twitterクライアント。ミュート機能がとにかく優秀。TweetDeck同様リストにも効く。
iPhoneで推し活してる人は入れておけ。サブスクではなく買い切りな点もグッド。
その他自衛として、基本的に推しの配信ではチャット欄を閉じ、コメ欄も極力見ず、ツイッターはミュート・ブロック当たり前、ツイートは眺めてRTするのみ、パブサは一切してません。
推しのオタクを視界に入れず、推しから提供されたものは見たいものだけを見るようにするために過剰に自衛してます。
ここまでして見る必要ある?と思われるかもしれないけど、ただただ推しそのものが好きなだけなので…としか言いようがない。
俺は親が教授で、留年と留学を完全に親の金でやっているので、親ガチャはまあどう考えてもハズレとは言えん
厳しい親じゃなかったし、仲が悪くもない
五体満足で、でかい疾患もない
ただとにかくやる気がない
マジで追い込まれるまで何もできないし、マジで追い込まれたところですごい力が発揮できるわけでもない(だから留年した)
就活もめちゃくちゃ嫌すぎて、ニートになることを念頭においてやり、奇跡的に受かった謎の中小企業になんのライフプランもなく勤めているが、普通に鬱になりそう
大学生の頃、講義が週2コマとかだった時期があったが、バイトもしないで、かといって外にも行かず、マジで何もせずに過ごしていた
俺はそうなんですよ
何もやる気がないんだ
何もしたくない つうか早く死にたい
オタク界隈で人気のあるものは片っ端から逆張りし、コンテンツから目を背けていた。
かといってアンチという訳でもなく(今思えばアンチになる勇気もなかった)、人気コンテンツが
周囲で流行っている状況にただ苛つくだけの卑屈なる日々だった。
周囲で流行っているから。TLで良く情報が流れてきて盛り上がっているから。
コンテンツに何かされたわけでもない。ただ、流行っているからという理由、それだけだった。
じゃあ逆に周囲で流行っていないもの、一般的に酷評されているものを逆張りで好きになっていたかというと、
そんなことは無かった。嫌いなものは数あれど、好きなものは何もなかった。
触れることなく、ただただ逆張りの一心で一切興味を示さなかった。いや、示そうとしていなかった。
そして逆張りをする日々を楽しんでいたかというとそんなことは無く、
苛つきと虚無、そんな毎日の繰り返しだった。
ここまで書いて分かったが、私はまるで友達の輪に入れない小学生そのものだ。
友達の間でプリキュアやポケモンが流行っているが、自分にはその良さが分からず、輪に入れない。
だからコンテンツそのものを叩く。良さを理解できない自分よりも、自分に良さを理解させることの出来ない
コンテンツが悪い。自分には分からない良さを理解できているあいつらが悪い。
最低、最悪の理論武装だ。
そしてそんな理論を未だに振りかざしている自分はもっと最低で最悪だ。
吐き気がする。
ここまで長々と書いたが、ここまで書いた全てが過去形だ。
じゃあ今は逆張りをやめ、真っ当なオタク人生を歩んでいるかというと、決してそうではない。
結局、私は何にも興味を示すことが出来なくなってしまった。
面白いことは何もない、ただ空洞のような人間となってしまった。
ゴミみたいな仕事を終え、独りだけの家に帰り、家事を終わらし、寝るだけ。
そんな人生の或る日、このはてな匿名ダイアリーというものに出会った。
匿名であれば、この愚かな自分を吐き出しても、いや吐き出さずにはいられない。
そう思って今、キーボードを叩いている。
結局のところ、この日記に解はない。
ただ、もしこの日記を読んでいる人の中に、同じような境遇の人がいれば、
今すぐにそんな生き方はやめるべきだと、強く伝えたい。
そんな生き方をやめることの難しさは私自身が良く分かっている。
ただ、それでも何か好きなことは無理してでも作るべきだと、空っぽの人間にならないよう、
何か、何でもいい、コンテンツでも友達でも趣味でも何でもいい、何かを抱えて欲しい。
空っぽにだけはならないで欲しい。
それだけを、切に願います。
テーマは深刻なんだけど、ジョニーデップの持ち味の出た、面白い映画だった。
どうでもいいことだけど、昔からなぜか、
ジョニー・デップのことをしょっちゅう、ジョニー・ディップと言い間違えてきた。
これは、バングラデシュのことを、バングラディッシュと言い間違えるより恥ずかしいことだと思っている。
そのジョニーデップが写真家ユージン・スミスを演じる?というのが、
パイレーツオブカリビアンのイメージがこびり付いた身には全く想像がつかない。
興味本位で観に行ったら、本人としか思えないユージン・スミスぶりに、おお、と感動してしまった(あったことはないけど)。
ユージン・スミスのことは、というと
この映画を見るまでほとんど何も知らなかったので、どういう背景があって、あの写真が生まれたのか、垣間見られてちょっと感銘を受けたりもした。
映画で描かれているユージン・スミスは、アル中で薬中。過去のいろいろで、メンタルをやられて写真家としてのモチベーションがどん底にあった頃のユージン・スミスだ。
一方、フォトジャーナリズムを標ぼうしたものの、売上が上がらず、次第に、魂を売るかのような大衆迎合的な記事や広告を載せ始めた、落ち目の写真誌「ライフ」が背景として描かれている。
ピューリッツァ賞を夢見て起死回生を図るべく、次の目標に選んだテーマが、当時、世界のあちこちで問題化し始めた公害だった。
当時、すでにMINAMATAの名は世界でも、
日本の辺境の地で奇病だの猫踊り病だのと言われ、長い間、対応がなされず蓋をされ続けてきた公害として知られていた。
この映画は、写真家として再起を図るユージン・スミスと逆転ホームランを狙う写真誌が、水俣病に目を付けるところから始まる。
いやー、こういう不純な動機、構図。なかなか良いと思う。
水俣の記録ドキュメンタリは、これまでも土本典昭やNHK、いくつかみたことがあったけれども、この目線はいままでなかった。
この映画の見どころはなんといっても、ユージン・スミスの写真家として、親としての葛藤を描くジョニーデップの演技。
日本にきたものの、途中でやる気をなくして投げ出してしまい、大切なはずのカメラまで現地の少年にあげてしまうシーンとか。
ただ、残念でならないのは、ロケ地。
違和感があったのでググったら、なんと日本ではない。観終わったあとに読んだ町山智浩のコメントによると、セルビア・モンテネグロなのだという。
どうりで、海のシーンが逆光でぼんやりしているものが多かったわけだ。
漁民も、漁民たちが扱う魚も、明らかに違和感ありまくりで、端的に貧相だった。違うだろ。。もっと豊かな海を描いてほしかった。
あと、土本作品へのリスペクト、というのもひそかに注目していたのだけど、
まあ特にないのかな、という印象だった。
過去の記録映画を観ていれば、モデルが誰なのか、すぐにピンとくる。
ここはやはり、あれだろう、船頭小唄だろう、と思ったのだけど
そのかわり、ユージン・スミスになついて、カメラに興味を示し、撮って遊ぶ天真爛漫な少年が描かれている。
しかし、考えてみれば、船頭小唄なんぞ奏でようものなら、そのメッセージ性が強烈すぎて、
物語を邪魔してしまうだろうから、日本の観客向けにはむしろないほうがいい、ということかもしれない。
映画のクライマックスは、水俣病の歴史で欠かすことのできない、大きな事件である、チッソ株主総会。
そこからの流れはとてもテンポがよく、裁判によりチッソが補償を決定するまでの激動の動きが、
ユージン・スミスのもっとも有名な写真である、「入浴する智子と母」の撮影シーンを織り込んで進んでゆく。
國村隼演じるチッソ社長が人間味があって、いい味を出していた。土本作品など過去のドキュメンタリ映画ではなかなか見ることのできなかった加害者の視点、被害者と向き合い補償を決断するチッソ社長の描かれ方は映画ならではであり、圧巻と言わざるを得ない。
見事な演出だと思う。
NHKアーカイブスでも視聴できる有名なチッソ株主総会は、1970年。
スミスが乱闘に巻き込まれて負傷した事件は翌年の東京本社での事件なので史実とはちょっと違うが、
映画は、1973年、チッソが補償を決断し、川本輝夫(映画では真田広之演じるミツオ)が裁判での勝訴をかみしめるところで終わる。
その後の水俣病の動きはわずかにエンドロールで触れられているに過ぎない。
この映画は、ベースの設定が雑誌ライフの復活とユージン・スミスの再起というテーマを背負っていたため、
チッソが責任を認め、補償に応じる、という、ここで終わりになるのは、それはそれでエンタメ的な収まりどころ、なのかもしれない。
しかし、現実の水俣病の歴史は、ある意味、まさにこの裁判勝訴と、それに続くチッソの補償協定とを契機に、
チッソVS被害者団体という構図から、経済優先で被害を黙認する行政VS被害者という構図に大きく変化してゆく。
この映画が第2幕の終わりだとすれば、第3幕はスーパーヒーロー不在の、果てしなき国との闘いだ。
チッソの社長が除去された水をコップで飲んで見せたことで有名な、有機水銀除去サーキュレーター。
効果がないのを知りつつ黙認してきた通産省を筆頭に、高度経済成長を錦の御旗に被害に蓋をし続けてきた行政の悪業が明らかにされてゆく。
最終的に国の規制権限を行使しなかった責任が最高裁で認められたのは、それから四半世紀後の2004年。
さらに一方で、1973年の被害者の勝訴判決は、チッソの患者への補償の契機となったものの、その補償協定そのものが、地域社会の新たな分断の出発点ともなった。
補償をするためには、患者が症状によって定義される必要があるのは自明の理だが、補償協定の1600万円を受け取るに値する症状という形で定義・整理されてしまったのだ。
そこに絡んでくるのが厚生省と当時の環境庁だ。国の定める、公健法上の患者認定基準が、チッソと患者団体との補償協定の要件に連動してしまったのだ。
どういうことかというと、国は広範囲に患者認定を推進するため、公害健康被害補償法により水俣病被害者の認定制度を創設したが、
そこで認定された被害者は、73年に本来は一部の患者団体と締結した補償協定の適用を受けることが認められ、1600万円を受け取ることができるようになる、という仕組みだった。
しかし、1600万という高額の補償が、結果的に、チッソの補償能力を超え、被害者認定の足かせとなってしまう。取りこぼされた多くの被害者が今日に至るまで苦しんでいる、というのが、
映画のその後の世界なのだ。2004年に最高裁が被害者の要件を国の認定基準より緩く認定した、にもかかわらず、だ。
そして国の重要産業である化学工業、そしてチッソの賠償破産を食い止めるため国や県が金融支援をし続ける、という構図がこの映画の後に待ち構えている世界だ。
国は当然、実態調査、疫学的調査に消極的で、というか一度もなされたことがない。
その意味では、映画のエンディングシーンである勝訴判決は、実は新たな闘いの出発点ともいえるのが水俣病の歴史だ。
そのことを思い返しながら、映画の話に戻ると、この映画の残念なところは、以下の点。
・風景が日本でない、不知火海が見えない、漁民がいまひとつリアリティがない
・写真家、出版社、一部の被害者闘争のリーダーという限られた構図で、実態解明に尽力した熊大や問題を放置した行政が出てこない
・だから、なぜ原因企業が折れて補償に応じたのに問題が解決しないか、みえてこない→多分世界中の公害で類似のことが起きているだろう。
・エンドロールで見せている世界の公害にリアリティを与えるためにはやはり行政の視点をどこかに織り込まなければならなかったのでは。
ただ、だからといってつまらない映画では決してなかったし、満足感は高かった。みようによっては、セルビア・モンテネグロにしちゃあ頑張って日本の漁村を描いた、ともいえる。
ジョニーデップのクズっぽいキャラは最高に楽しめたし、撮影に至るまでの信頼関係の醸成など背景がみえたのは、この映画の見どころだ。
(追記)
別に買う買わないは個人の自由なんだしさ。興味がないから買わない、で良いと思うよ。
「買った方が安いよ」 って言われたところで、自分で比較しなきゃ納得しないよね。わかったからさ、いきなり割り込んできて賃貸のすばらしさを熱く語るの、やめてくれない?
比較したうえで賃貸を選んだなら、その人にとってはそれが最良の選択だよ。
・後々のメンテナンス大変
→ そうね。固定資産税といった税金やメンテナンス費用や災害保険も家賃に含まれてるから、楽だよね。後々、建て替えることがあれば退去してもらうし、そうしたら家賃も高くなるけど。
・買うと身動き取りにくい
→ そうね。居住権なんて主張してないで立ち退いてもらえないと困る。ところで、なんで身動きしやすくしておきたいの? (留置場に入る予定でもあるの?)いいけど、孤独死だけはしないでね。病気になったら病院へ。基本だね。事故物件になっちゃうから。オーナーに迷惑かかるよ。
・賃貸は引っ越せばいい
→ そうね。引っ越し費用は自分もちなのでどうでもいいです。家族が増えると荷物も増えるから、費用も増える。居住権を理由に動かなくなる人も多いけど。賃貸なんだから立ち退きをお願いされたら身軽に引っ越そうね。
・高齢者は家を借りれないとか嘘
→ これは判断できないな。ひろゆきじゃないけど、判断できるソースを持ってない。それはあなたの感想ですよね。そんな情報しか転がってない。孤独な漏示は嫌だって人も貸したくないけど貸すっていう人もいるだろうし、それでも問題ないっていう人もいるだろう。ただ、孤独死だけやめてね。病院へどうぞ。自分はいやです。
・ローン組んだら仕事辞められなくなる
→ なんで転職という選択肢がなくなるの? 転職すれば収入アップするかもよ? とりあえず、ローンが組めなくなる年齢までに、どっちにするか決めておいてね。家の賃料を払いながらマイホーム購入資金を貯めればいいだけなんだけど、50歳で30年ローンとかムリだから。ちなみに子供は老後の生活とか、面倒みてくれないよ。
・家を売るのも大変
→ まったくもってその通り。マンションを丸ごと買ってそのうちの1部屋に住むとか、売るときの条件も考えて購入しないとリスクにもなるよね。売るとか考えないよね。
→ 保険って知ってる? 知ってるけど払いたくない? 賃貸なら、普通は大家さんが家賃に含めるから楽だよね。
・戸建は近所づきあいが面倒
→ マンションならともかく、戸建だと近所づきあいが面倒だよね。わかる。だから、孤独死だけはほんと勘弁してください。
→ そうね。給料上がらないよね。そこを織り込まないと一生は住めないよね。とりあえず賃貸派は 「安い賃貸に移り住めばいい」 らしいけど、生活レベルを下げるの大変よ?
・支払いができなくなったら住宅ローンと賃貸の二重で支払う必要がある
→ そうね。災害が多い日本だと困るよね。保険の効かない災害もあるし。どうしても立ちいかなくなったら破産とか生活保護とか考えなきゃね。そうすると賃貸しか選択肢がなくなるね。
→ わかる。夫婦で考えたいよね。戸建だと、自分ひとりじゃ判断しにくいよね。わかるけど、それは考えないようにしてるだけで、別に結婚だけが家を買う・買わないを決める要因じゃないよ。自宅という意味でなら、マンションへの投機(1室を自分で使う)とか選択肢もある。
・マイホームだからって自宅で看取られて死ぬなんてできないだろう
→ そうね。ここは賃貸かマイホームかに関係ないと思うよ。複数人で住んでいれば何かあったら病院へ搬送されるし。マイホームなら誰も買い取らないだろうし、事故物件になっても比較して問題が少ないだけの話。
→ そうね。一応、資産でも負債でも、財産は財産という扱いだから相続も大変よね。
ちなみに首都圏の場合、少し前までは上昇傾向にあったけど、今は土地が安くなってきている。コロナ禍の影響なのかは、ちょっと知らない。ただ、買うならもう少し待ったほうがいいよ。郊外だと、在宅ワークの充実とかで逆に高くなってるところもあるけど。
場所次第なので、全国平均は見ない方が良いよ。あてにならない。
突然の自分語りを始めると、これを書いてる人は、家を買うとか贅沢だと思ってる。賃貸だから貧乏人とは思わないけど、貧乏人だと賃貸しか選択肢がなくなるとは思ってる。かなり安い地区だけど、少し贅沢したいと思ってマイホームを買った。事故物件ではなく、交通の便が悪い。余っている中古の家だ。東京23区に入る橋まで 15km という家付きの土地で、毎月のローンが5万円程度ということで察してくれ。ただ後悔はしていない。趣味のバイクライフは充実している。結婚はしていない。賃貸物件による不労所得が。病院はかかりつけをつくってある。孤独死だけ気をつけなきゃな。
何が言いたいかっていうと、ちゃんと自分を分析して、住みたい場所を分析して、それから賃貸か購入か決めてねっていうこと。賢い人は、まず己を知る。そして相手を知る。それができないと、どっちを選んでも不幸な結果が付きまとうから。
何度やられても心折れないでプレイし続けられるメンタルの強さは良いなって思う反面で
アイテム拾って、どんなアイテムか説明が表示されているのに『なんだろ、よくわからないアイテム』って言ってるのを聞くと、ええ・・・?ってげんなりする時がある。
この間見た配信で『ライフと魔法使用回数が増える』って明らかに説明が表示されて、それをVtuber自身が読み上げているのに『よくわからないアイテム』って言ったのを見て
「は?」ってならざるを得なかったよ。
本当に理解できてないんなら、それはそれでゲームをやってる暇じゃないんだよね。
文章を理解するために勉強をしないと駄目じゃないって思うのよ。
わかんないって、さすがにわざとだよね…?
小中学生のときに学校で必要なものは買ってもらったが、教育上の問題がと言われて流行りのものや欲しい物などは買ってもらえず親の言いなり
他の子どもたちが持っているものがおしゃれに見えて、子供ながらに引け目を感じていた。
教育上問題があると言われて、みんなが持ってるゲームを自分だけ持っていなかったり、漫画を買うことができないことはもちろんのこと、
何より辛かったのは買えない遊べないことよりも、周りの人たちの話題に入れず疎外感を覚え続けなければならなかったことかもしれない。
受験で進学先を決めるときには、親の決めた学校のはもちろんのこと、その先の進路も医学部に行く進路しかならないような感じでしか決められず、
どんなに自分のやりたいことがあっても親が敷いたレールの上を走る進学になってしまった。
もしも医者じゃない家庭だったのなら、ちゃんとした学校生活を過ごせて、自分の行きたい大学で好きなことを勉強しながらキャンパスライフをおくってみたかった。
就職してからは、お金はもらえるが、出世コース自分のやりたいことではなく限られたものしかないように思えた。
一向に自分のやりたいことはできないしし、幸せな人生を築くことなんて自分には一生縁がないんだろうと感じた。
ご飯が毎日食べられる、寝る家がある、義務教育までは受けられるっていう絶対的貧困ラインは超えていたとは思う。
でも、相対的貧困によってずっと心が貧しくて、生きていて楽しいと思えたことがなかった。
もう消えてしまいたい。
小中学生のときに学校で必要なものは買ってもらったが、教育上の問題がと言われて流行りのものや欲しい物などは買ってもらえず親の言いなり
他の子どもたちが持っているものがおしゃれに見えて、子供ながらに引け目を感じていた。
教育上問題があると言われて、みんなが持ってるゲームを自分だけ持っていなかったり、漫画を買うことができないことはもちろんのこと、
何より辛かったのは買えない遊べないことよりも、周りの人たちの話題に入れず疎外感を覚え続けなければならなかったことかもしれない。
受験で進学先を決めるときには、親の決めた学校のはもちろんのこと、その先の進路も医学部に行く進路しかならないような感じでしか決められず、
どんなに自分のやりたいことがあっても親が敷いたレールの上を走る進学になってしまった。
もしも医者じゃない家庭だったのなら、ちゃんとした学校生活を過ごせて、自分の行きたい大学で好きなことを勉強しながらキャンパスライフをおくってみたかった。
就職してからは、お金はもらえるが、出世コース自分のやりたいことではなく限られたものしかないように思えた。
一向に自分のやりたいことはできないしし、幸せな人生を築くことなんて自分には一生縁がないんだろうと感じた。
ご飯が毎日食べられる、寝る家がある、義務教育までは受けられるっていう絶対的貧困ラインは超えていたとは思う。
でも、相対的貧困によってずっと心が貧しくて、生きていて楽しいと思えたことがなかった。
もう消えてしまいたい。
時代と環境に幅があるから、フルワークして家庭に全額入れないといけないような状況を想定してるならごめんな。
アクシデントがあれば積むレベルなのでリスク背負うのは確かだし、元増田の願いがキラキラキャンパスライフなら的外れかもしれんが、実情は以下。
B. 実家の収入が300万以下or独立世帯なら、旧帝なら最低でも授業料半額免除は通る *2
結果、一種も併せて月10万は手元に残って、バイト絞っていても教科書代にも事欠く~ということはなかった。 *3
1. 入学金30万+αは別にキャッシュで用意しておく必要があるが、入学時特別増額で50万くらいは後で借りられる
安い縦型からそこそこのドラム式に買い替えたらもうこれなしでは生きていけなくなった。
楽になった点①:干さなくていい!
これが最高。どんなに量が多くても、外の天気が悪くても、そんなの関係なし!
しっかりホカホカに乾燥してくれる。
今までは、外の様子見て→全部ハンガーやらにかけて→せっせとベランダに運んで→なんとか全部干したと思ったら→雨が降ってきたり風で飛ばされたり鳥のウ〇コかけられたりヘンな虫がついてたり…。
こんな目に二度と遭わなくていいかと思うと実に気分が晴れる思い。
ほーんとに、自分で何にもしなくていい。
貯蔵タンクに液体洗剤と柔軟剤入れておけば勝手に計量して適量を投入してくれる。
はーラク。
でもこれは、縦型でも搭載されてる機能かな?
楽になった点③:布団もゴリゴリ洗える
以前までなら布団や毛布を洗うなんて一大イベントだったけど、丸ごとドラムに突っ込んで、はい終わり。
おかげで寝具周りの衛生状態が格段に良くなった。
楽になったことは大きく上の3つかな。
そこそこ高かったけど、それ以上の価値を得た気分。
悪くなった点①:しわが酷い
オシャレさんなんかはきっと耐えかねるレベルのシワシワ具合。
自分は乾燥までの手間いらずさに最高の価値を見出しているのでこの点は目をつぶっているけど、たまにちょっとだけ気になる。
「え?初期不良?」と最初動かしたときは思ったほどに、音がデカい。まるで電車が家の中を走ってるような感じ(モーター音がそう聞こえる。電車っぽい)。
巨大なドラムをブン回してるからどうしてもそれなりの音になってしまうんだろうけど。
悪くなった点③:メンテに手間がかかる
乾燥フィルターにたまるホコリは毎回の運転ごとに取り除かないといけない。こんなに毎回たっぷり出るんだって不思議になるほどすんごい出る。
他、扉内側のゴム部分にもそこそこたまるから、これもやはりこまめに掃除しないといけない。
あと、排水フィルターとかいうのもある。これは頻繁に掃除しなくていいけど。
これら全部、縦型のときはしなくてよかった。
別に特にメンタルがやばい状況というわけではないのでその点はご心配なく。
ふと自分の掲題のあたりについて改めて考えたりしたので、書いてみます。
なお、以下の文章で考えや認識を示しているところでは、暗黙に「個人的には、」という枕詞がついているいると思って読んでいただければと思います。
(毎文につけてるとくどいので)
ただ、何かの強い使命感などを持っているなどの理由から、簡単に答えの出る人は少なくて、生きていく中で、同じようなことを再考し続ける人も多いのではと思っています。
で、これについて自分の場合を考えると、前提として、私はあまり生に執着の無い方だと思っています。
痛かったり苦しかったりするのは嫌ですが、生を終えること自体に恐怖はありません。
人生楽しいこと、苦しいことがありますが、割合としては苦しいこと(や面倒くさいこと)の方が多いと考えているので、多分生きている方が大変なんだろうな、と感じています。
ここで、唐突にキアヌ・リーヴスの話をすると、彼はテレビ番組で死生観を問われた際に、少し間を置いて、
と答えたそうです。
私はこの答えが自分の生きる理由を一言で言い表していると感じました。
自分の場合、親は存命ですし、兄弟もいます。そして既婚者でもあります(現状、子供はいません)。
仮に私が自死をしたとした場合、おそらくそれは、私の親にとっては、何よりもの親不孝だと思いますし、兄弟や妻にとても大きな喪失感を与えることは想像できます。
(妻を幸せにする責任があるだろ、というような考え方もあると思いますが、正直なところ、それが生きる理由になるかと言えば、私の場合、ならないです)
ちなみに、余談ですが、ある友人は「絶対に死にたくない、怖いし」 といったことを言っていて、そもそも生きる理由なんて考えない人も結構いるのかもな、とちょっとした衝撃を受けたことがあります。
オチはありません。
どこかで聞いた(見た)ものですが、
という発言を知っていて、私もおおむね同じようなメンタリティで生きています。
ただ、つまらなかったり、退屈なのも辛いので、高杉晋作が遺したとされる以下の言葉に則って、
楽しく生きていけるようライフマネージメントしている日々です。
(上の言葉には続きがあるそうですが、ここでは省略しています)
以上。
小中学生のときに学校で必要なものは、いとこのお下がりばかりで新しく買うなんてことがなかった。
自分のものだけ色褪せていたり、デザインが一昔前のもので子供ながらに引け目を感じていた。
みんなが持ってるゲームを自分だけ持っていなかったり、漫画を買うことができないことはもちろんのこと、
何より辛かったのは買えない遊べないことよりも、周りの人たちの話題に入れず疎外感を覚え続けなければならなかったことかもしれない。
高校の進学先を決めるときには、公立しか選べないのはもちろんのこと、進学校かどうかではなく就職率が高いところを選ばなければならないような感じでしか決められず、
勉強を頑張ってきたにも関わらずランクを下げての進学になってしまった。
もしも余裕のある家庭だったのなら、ちゃんとした進学校に通って、ちゃんとした大学で好きなことを勉強しながらキャンパスライフをおくってみたかった。
就職してからは、同じ仕事でも大卒の方がお金が貰えてたり、出世コースも高卒だと限られたものしかないように思えた。
一向に生活はよくならないし、幸せな家庭を築くことなんて自分には一生縁がないんだろうと感じた。
ご飯が毎日食べられる、寝る家がある、義務教育までは受けられるっていう絶対的貧困ラインは超えていたとは思う。
でも、相対的貧困によってずっと心が貧しくて、生きていて楽しいと思えたことがなかった。
もう消えてしまいたい。
携帯電話を替えた。じつに5年ぶりのことである。有給を取って色々な移行作業を行い、LINEのデータを引き継いだところ、もう動いていないものも含めて様々なLINEグループたちのデータもあわせて新品のiPhoneに流れ込んできた。とくに問題もなく移行作業が終わったので、ここで過去に所属した多くのグループの中でも特に面白かったものをいくつか振り返ってゆきたい。
数年前、会社の同期である清田(仮名)という男が、1年間付き合った彼女へのプロポーズを成功させたとの報が入った。そこで私を含めた仲良しの数人が、”では清田の結婚式で余興や手伝いなどをやってやろうじゃないか”ということで集結したグループ、それがこの「清田まじでおめでとうの会」であった。”まじで”の部分に、我々の純粋な喜びの気持ちが凝縮されている本当に良いグループ名だったと思う。
しかしその後の両家顔合わせの際、詳しくはよくわからないが「宗教上の対立とか」(原文ママ)があり、泥仕合の末に婚約は破談。その知らせを受けた我々”清田まじでおめでとうの会”は、急きょ清田の好きな遊び(鉄道博物館、リサイクルショップでいらんものを買う等)を計画的に誘うための打ち合わせルーム、”清田まじでおめでとうの会・跡地”として活動内容と名称を変えて存続することとなった。その後、名前が長いし縁起が悪いとの指摘を受け”裸足の女神”(B'zの名曲に由来。清田はB'zが好きで、やたら足がきれいなので)を経由して”清田サトシ後援会”に名称を変更し、活動自体は現存する。なお清田は婚活サイトで別の女性と知り合い、現在は結婚して幸せに暮らしている。
高校の同級生のうち、仲のいいグループで作成しているもの。由来は、仲間内に「瀧」という苗字のでかい男がいるため。嫌われている先生の車のドアがアーク溶接されて開かなくなる事件が起きる、近隣のお母さんから「言う事聞かない子は〇〇高に連れてくよ!」みたいな感じで使われるなど、ものすごく治安の悪かった工業高校なのであまり積極的に同窓会に行く気が起きず、私はこの仲間数人で集まることを便宜的に同窓会と呼んでいる。ユニフォームっぽいデザインでオリジナルTシャツを作って草野球大会に出たことがあり、バスケかと思うくらいの点差で嘘のようにボロ負けした。ピエール瀧が逮捕されたときに数年ぶりに動いたきり、最近はほぼ使われていない。
大学生のころ、下宿先の西武新宿線・上石神井(かみしゃくじい)駅にあるとあるお店でアルバイトをしており、その際の同僚と作っていたグループ。由来は、お店が「上石神井1丁目店」だから。シフトの融通もよくやったし、わりと仲が良くて一緒に遊びにも何回か行ったが、今はもう数年動いていない。これもシンプルながら割と面白いセンスだと思う。
下ネタですいません。私に子どもが生まれた時、おおむね同時期に父または母となった同期社員で作成されたグループ。私の勤務先は同期が全員同時に人事異動をする制度になっており、その関係でだいたい同じ時期にライフイベントが変化する者が多いため、このようなことが可能になりやすい傾向がある。グループ名の由来は、本当にたまたま(ダジャレですいません)全員男の子だったから。覚えていないが、当初はもうすこし穏便な名称だったと思う。内容はとにかく「うんこ・アンパンマン・新幹線」の話題が多いな、という気はするが、子育てに占めるリソースもそういえば大体そんなもんなので割と役に立っている。また、アンパンマン考察ガチ勢がいて、すごく勉強になる。
中野坂上にある東京社宅とその周辺在住者の子育て世代が数人集まって近隣のおむつ等の安売り情報を共有する、上記「Yahoo!タマ袋」からスピンアウトしたグループ。予防接種を 受けられる近隣のいい小児科や、昨年はマスクを売っている場所の情報共有などもでき実際かなり役には立つのだが、パンパース界隈とマミーポコ界隈がちょっとギスギスしていたり(マミーポコ情報で賑わっていると「はいはいポコ厨乙」みたいなことを言われる)食器洗い機用洗剤が安いときに共有したらこれもまた宗派争いが起きたりと、家庭の奥深さを知ることが多くて面白い。奇をてらわないグループ名なのに何故かちょっと面白みのある響きなのも良い。
しょうもない割に意外と文量が多くなってしまった。たとえば引き継ぎに失敗してこれらがパッと消えてしまったらほとんど復元されないような思い出やら人の繋がりやらが結構多く、1円も払わずに使っているサービスにしてはそれはそれで恐ろしい依存だな、とは感じた。とくに意味は無いけど、たまには久しぶりの人にも連絡してみようかな、と思った。
それで今ピアノが弾けるかというと、楽器と縁遠くなってしまって弾けるとは呼べないレベルだと思う。
何故ピアノを習い始めたのかというと、親戚のお姉さんなどがピアノを弾いていたのがかっこよかったからで近所にあるピアノ教室に通うことになるのだが、これが何とも微妙な時間を過ごすことになる。
まずピアノ講師はおばちゃんだった。主婦業の傍ら近所の子供にピアノを教えるという感じの教室で、最初は子供向けバイエルなどで運指などの練習をした。毎週黙々とバイエルをこなすだけで、課題曲が弾けたら「次行ってみよう」というだけだった。
おばちゃんとは特に世間話などはしなかった。ただ教室に行って、挨拶して課題曲弾いて終わり。バイエルが進んでから初心者向けの練習曲教本に進んだけど、おばちゃんが指定する曲の音符をさらってきて弾いて、全部弾けたら次の曲みたいな感じだった。
練習教本修了くらいでツェルニーとブルグミュラーを渡されてまたさらってこいと言われ、ただ練習曲を淡々と弾くだけだった。追加でハノンも渡されたけど、指が疲れるだけで全く面白くなかった。
ここまで来ると何のためにピアノを習っているのかと思った。特にモチベーションを感じない。でもピアノ自体は嫌いではなかったのでダラダラと通い、中3で忙しくなるからという理由で教室は辞めた。辞めて「無駄な時間だったな」と思った。
今思えば、まず「ピアノを弾けて楽しい」「上達して嬉しい」というアクションは全くなかった。好きな曲を弾いたり、弾き方によって様々な表現があるなど興味を引くような機会があったりは全くなかった。ただ教本をなぞるだけ。なぞれたらおわり。
そしておばちゃんが積極的にコミュニケーションを取ってこなかったのも気まずい時間だった一因だと思う。何かやりとりはしていたんだと思うけど、基本的に楽しいものじゃなかったのを覚えている。おばちゃんの持ってる空気が重苦しくて、ピアノを楽しいと思ってはいけないような雰囲気があった。
たとえば女のコは大学生くらいにもなると主婦になって頑張らずに暮らすというライフプラン立ててる子も少なくない。でも男性だと大学生くらいでは全然じゃない?世間の目?内なる闘争心?仮に世間の目がなくて金持ち中年女が増えたらドカンと増えるのか?
あのさ、
最近できたの?
知らなかったわー!
ゴンドラが飛んでいて、
人力の大将が引っ張るタイプの蕎麦出前ロープウェイじゃなくて、
夜になるとカゴがキラキラ光っていて、
でも結構歩道手の届きそうなところを頭をかすめてゴンドラが行き交うので
ちゃんと届いてよじ登れないようにはなっていたけど
いつのまに横浜にロープウェイが出来たのかしら?って感じだったわよ。
蕎麦の出前用なわけないわよね。
都会はちょっと目を離した途端に
色々変わるのね。
そんでさ、
大阪の地下とかあそこ梅田駅地下周辺いつまで工事してるの?って
サクラダファミリアばりの工期期間を謳っていた阪急百貨店がやっと出来たと思ったら、
これ一帯どうなってるのローグライフ的な何回言っても迷ってしまうのどうにかして欲しいわ。
いつだってどこでも開発中なんだわって
ロープウェイだったわよ。
まあ乗るまでには至らなかったけど
うふふ。
買い損ねちゃったので、
だんだんと夜は寒くなってきたというか
本格的に冷えるというか、
一雨一雨毎に雨が降るっていう感じね。
そろそろ水出しルイボスティーもお茶っ葉を使い切れるのを機に今シーズンは
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!