はてなキーワード: ファンタジーとは
はてブホットエントリーの30選(http://gathery.recruit-lifestyle.co.jp/article/1141321068543131601)がイマイチ感性に響かなかった(普段読書しない人向けか?)ので、俺選してみる。
【反省会】
ドラゴンの怖さというのは、とても歯が立たない相手が空から襲ってくる恐怖。
ゾンビの怖さってのは、油断せず理性的に対処すれば逃げ切れる程度の相手に、
角を曲がったら出くわすんじゃないか、いつか一瞬の油断を突かれてやられるんじゃないかという恐怖。
でもゲームじゃ、どっちも重装備の騎士が『たたかう』コマンドで真正面から殴って倒せる相手でしかない。
『どういう怖さを持った相手なのか』
という点に注意を払って欲しい。
ウィザードリィの罪は深い。
バイオハザードも、ゾンビの『トロさゆえの恐怖』みたいのが表現できていて良かったのだが、
結局出てくる敵がみんな拳銃でバキュンバキュンやってりゃ倒せる相手ばっかだから、
そのうちタフだけが取り柄の筋肉筋肉した敵が多くなっちゃったし。
モンスターってのは本来、『出会わない事に全力を尽くすべき相手』という点を、リアルに表現したゲームに出会いたい。
恐怖の怪物にガツンガツン噛まれて大けがしてんのに、葉っぱ食って全快されたら興ざめも良いとこだ。
仙豆持ったサイヤ人みたいにサクサク回復しながらどんどん強くなられちゃ、そのうち神だの魔王だのと戦い始めるのも納得ってもんだ。
つまり、ドラクエやFFのキャラ達にとってHP減少は、実は怪我しているのではなく、疲れている程度の事なのだ。
彼らは、ジャイアントに殴られてもドラゴンのブレスを浴びても「疲れるだけ」なのだと考えると、色々納得が行く。
疲れてるだけだから、葉っぱ食って全快するし、宿屋で寝ても全快するのだ。
すげえよあいつら。
なんか、モンスターが怖くないのも納得の強さだわ。
HP回復アリのゲームのキャラって、地球人じゃなくてサイヤ人だわ。
青鬼とか恐怖の森みたいに、『敵に触ったらアウト』状態のファンタジーゲームがあれば、
わりとやってみたい。
・「数人の斥候を出してじっくり構えるべき」派と「速攻で門の周りを制圧して拠点にすべき」派が議論を重ねて後者が勝った(その議論ができる程度の時間の差があった)
・予言者的な存在が向こうの世界の不鮮明な映像を見せてくれたが、その映像に出てくるのは鎧もつけていない民間人であったので侮った、まさか自分たちに優る超文明だとは思わなかった(門を開いたのはその予言者)
ファンタジーでなくても「全ての登場人物に十分な余裕があり熟慮を重ねた行動しかしない」ような作品なんて存在しないが。
愚かな皇帝を戴く臣下の苦悩を描くもよし、悲惨な境遇から玉砕覚悟の侵略を行わざるを得ない悲劇を描くもよし、何とでも書けるものだよ。
もちろん、女子だって処女になりたくて処女になったわけじゃないだろうに。
実際は童貞はそんな服に惹かれているわけじゃないんだよ。
コンサバだろうが、ギャル服だろうが、殺されるときは殺されるからな。。
―― いわゆる「童貞を殺す」という概念は「実際の童貞」には言葉通りに作用するものではないと思うので、「リアルな童貞はこんな服で死なない!」と肩肘張らずに、ラノベの世界のような「ちょっとファンタジー」としてお楽しみいただければと思います。――
http://americanboss.hatenablog.jp/entry/2015/07/09/021131
それでも書いた人が童貞を見下してるのは、漏れてますよ、文章から。
今回のクールって未来モノ、SFっぽいモノが多い気がするんだけどどうなんだろ? ファンタジー系がちょっと減った?
順次追加する予定。
原作が人気作なので期待
描画が丁寧で引き込まれる
話の流れもいい
出だしがすごく興味を引かれる話の作り方でおもしろそう
安定
良くも悪くもにじみ出るノイタミナ感
なんかいい
展開がイライラする
よくある日常モノでどうということはない
光が眩しい
当たると思ってるのだろうか
痛々しい
1期に3話くらいで切ったのでそれっきり
1期から興味湧かなかったのでそのまま
男は見たくない、しかし自分の代わりに射精してくれるちんこが必要。
また、オーガズムのもっともわかりやすい表現として、射精させよう!
浮遊ちんこや触手でもいいんだろうけど、それはファンタジーすぎる、など。
この場合、ちんこは自己投影の対象なので、わりとガチなちんこであるべき。
■■■ファンタジーの壁■■■
ファンタジーはちょっと。ということで限りなく女子に近い存在でちんこがついている。
幼少期の思い出し妄想の場合もあり、その場合はちんこは小さめ。
ちんこが2本の方がおトク!というわけで2本。
と、それだけではなく、幼少期に女性との交流がほとんどなかった場合など、
児童の体のイメージが自己、あるいは友人、兄弟などの少年しかないため、
ロリ妄想を膨らませつつリアリティを出そうとするとショタになってしまう。
また、双方への自分自身の投影もあり、自己愛の要素も含まれる。
■■■リアル願望の壁■■■
わりとガチホモなわけだが、一見すると男×女に見えるので、生理的な拒否感は少ない。
同性愛的な要素があるのは当然だが、この組み合わせだと双方への投影が可能。
男としての愛し方の投影が男役、愛されたい存在としての投影が男の娘。
ちんこはリアル系。しかしわりと簡単にトコロテンになったりする。
整理しやすいように以上4つに絞ったが、本当はとにかく複雑である。
例として下記のようなものがある。
・ ガチホモ
・ ペニバン女子×M男
気持ちが悪いと思われるであろうことを承知なのですが、私はよく自分と恋仲となる想像をします。
別にナルシストであるというわけではなく、どちらかといえば自分のことは大嫌いで
どうして自分は自分以外の人間になれないのだろうとよく考えたものでした。
しかし、私は私と一緒になりたいと思うのです。
自分を見た時、自分としてあるなら、この自分でいたくないと望むのですが、他人として自分を見た時、とても良い相手であるように思えます。
変わりたいと願う自分がいる一方で、そのままで居てほしいと願う自分もいて、わけがわかりません。
もしかすると、自分のことを外に出さないように隠しながら生きてきた結果
他人が自分を理解してくれるという想像ができなくなってしまっているからかもしれないし
単に、なんだかんだいってナルシストであるというだけかもしれません。
同じ人間が2人いると生活の上で困るので、かわりばんこで夫婦を入れ替わって男女の営みをできたら……
(別に男男でもよいし、女女でもよい。切り替えられたらそれを越す愉しみはないように思えます)
今の世の中、結婚を望みつつも出会いを待つ間にその期を逃したという方の話をよく耳にします。
そんなご時世に、こういったファンタジーな望みで他人との恋仲を面倒臭がっていて、大丈夫なのだろうか?
いやきっと大丈夫ではなく、ただ大丈夫じゃないまま、歳を取っていくのではないでしょうか。
……深い山の奥、手作りのロッジに住み、裏手で薪を用意する私と、そこに労いの言葉とともに、冷えた水を持ってきてくれるもう一人の私。
FableIIIというゲームの話をしたいと思う。
FableIIIは、XBOX360&PC用のRPGで、僕がプレイしたのはXBOX360だった。
洋ゲーによくあるオープンワールドゲーって感じ。スカイリムとか。Falloutとか。
当時Twitterでフォローしてた、洋ゲー好きのゲイの人がそう呟いてた。
その時大学生で、ちょうど何かゲームがやりたいなと思っていた僕は、
当時「アイドルマスター」専用機だったXBOX360を引っ張りだした。
(なんでゲイがアイマスやるのか?ホモはアイドル好きだから。)
FableIIIの主な舞台は、ざっくり言うと剣と魔法の中世ファンタジー。
主人公は王子なんだけど、ひょんなことから統治者である兄から国を追われ、
剣と魔法を使って復讐を誓い、レジスタンスを率いて国を奪還する、みたいな話。
で、同性恋愛要素ってのは何かっていうと。
このゲーム、ゲーム中に登場する全てのNPCに男好きか女好きかが設定されてて、
自分がそれに合い、そのNPCの好感度を上げれば、恋仲になれるってことらしい。
しかも、同性でも結婚式を上げることができて、セックスもできる。
というわけで僕はプレイしながら男の吟味をしはじめたわけだ。ホモだし。
王城を出て最初の町は、山賊みたいな痩せ男しかいなかったので、軽くスルーしつつ、
成長を進めて、恋愛要素を解禁していく。
で、いくつかの施設を通り過ぎたあとの、ブライトウォールという名の町にいたのがジョーだった。
背は少し低め、がっしりした体つきに、顎ひげと優しそうな顔が印象的な男。
(NPCに話しかけると、なんとその人が同性愛者かどうかが表示されるのだ。現実もこうならいいのに)
すぐさまジョーに話しかけまくり、沢山遊びをして、好感度を上げていくと、
「ジョーの手を引き、湖畔まで送り届ける」
FableIIIの要素として、NPCと手をつなぐ、というのがある。
まあICOみたいなものだ。そうやってクリアするクエストがいくつもある。
僕はジョーの手を引き、村を出て、村と山道をつなぐ大橋を渡る。
手を引かれながらジョーが喋る。
「ところで俺、なんで付き添ってるんだ?パーティーに行くんだっけ?」
「変な夢を見た。あるお店に行けば、19.99ゴールドで全世界を手にすることができるんだよ。」
そうなんだ。ジョーはよく軽口をたたく。
途中、魔物が出るので、ジョーを一旦離れたところに連れて行き、魔法で魔物を一掃する。
それからまた手をつないで湖畔に向かう。
村を出た頃には日が暮れていて、湖に着いた頃にはもう夜になっていた。
湖面に月光が揺らめいている。
ジョーを指定の場所まで連れて行き、さてどうする、と思っていると、メッセージが出る。
どうしてこんなゲームに夢中になっていたんだろうって思う。
いや、なぜかは分かる。
ただ、それらが全部、今まで僕の方を向いていなかっただけだ。
だから、たまたまそれが僕の方を向いてくれて、キスをしてくれた時、僕はそれに心奪われた。
そういう体験を、僕はずっとしたかったのだと思った。
そのあと、僕は大都市で指輪を買い、近所の広場で結婚式を上げた。
ブライトウォールに一軒の家を買って、そこにジョーを招いた。
(FableIIIでは不動産を所有できる。)
お金がなかったので小さい家だったが、それでも心の底から嬉しかった。
ベッドがあったので、そこにジョーの手を引いていき、セックスもした。
画面暗転からの、声のみだったけど。
そうやって、ジョーとの日々を楽しんでいた僕だったが、ひとつ気になることがあった。
wikiを見てみると、なんと、武器や魔法のレベルをどんどん上げていくと、それに応じて外見が変わるというのである。
確かに、スキルをカンストしていた僕の外見は、体に紋章が浮き出るムキムキマッチョマンだった。
これはちょっとよろしくないな…と僕は思った。
僕はどちらかというとちょっと小太りな感じのほうが好きなので、これだとジョーと釣り合う男になれない、と思ったのだった。
なので、ちょっとこれはリセットするべきかな~とつい思ってしまったのだ。
それにまだ、ギリギリやり直しても気力が持つかなーくらいの序盤ではあったのだ。
で、やり直して気付いたのだが、なにやら街にいるNPCの名前がぜんぜん違う。
そう、どうやらNPCの生成は、性別名前外見性指向ふくめて全部ランダムだったのだ。
じゃあ毎回ブライトウォールにジョーがいるわけじゃないのか、なあんだ、と思ってメニュー画面に戻り、
一瞬血の気が引いた。
ってことは、ゲームをまた初めからプレイしてしまった時点で、前の世界は消えてしまったのか?
いやいやいやいや。
僕は走りだす。
ブライトウォールの町を隅から隅まで全力疾走して探すが、そもそもジョーという名前のNPCすらいない。
日が暮れて、僕は途方に暮れた。
仕方なく、僕は、違う街に行こうと思った。
ランダム生成なら、違う街で、ジョーと同じ外見で、同じ性指向で、同じ名前の男が見つかるかもしれない。
でも見つからなかった。
じゃあ、と、同じ条件じゃなくていいから、男の同性愛者ならいいや、と思い、恋愛関係を結んでみた。
でも、それは、ジョーではなかった。
というかそもそも、友情関係から恋愛関係に移行するためのクエストが、NPCによって違う。
あの湖畔でのデートはもう二度と繰り返せない。
ジョーの声がする。
行きたいよ。君のところに行きたい。
というのは嘘で、本当は、その数日後に、ちゃんとロードメニューを見つけたのだった。
すげーわかりにくい場所にあった。
一旦戻ってまた違うファイルを開かなきゃいけなかったのね…。
僕は、泣いた。
僕はブライトウォールに一回り大きな家を買った。
それから、貧民街の孤児院を修繕し、黒人の子をひとり引き取った。
家は村の高台にあるので、玄関を出ると、山向こうに日が沈んでいくのが見える。
それをジョーと僕の子供の3人で並んで見守る。
ジョーが言う。
「俺、25年後はどこにいるのかなあ、って考えるんだ。それから、26年後のこともね。」
僕もそう思うよ。
ジョーのセーブデータは、今でもXBOX360のHDDの中に入っている。
…いや、もしかするともう消えてるかもしれないけど。
なんかレッドリングかなんかになると全部ダメになるんだっけ?知らないけど…。
だから、1年に1回くらい起動しては、ジョーとの会話を楽しんだりする。
もうとっくに全部のパターンを聞いちゃったけど。
5年も前のゲームだけど、発売日に買った思い出のゲームでもあり、
それを今日、夕飯を買った帰り道にふと思い出して、ここに書いた。
あの日、確かに俺はジョーを見つけたんだ、ということを残しておこうと思って。
それだけの話である。
最近、というかずっと以前からファンタジー世界を脳内で作り上げることが日常になっている。
昨日は、そのファンタジー世界から数千年経って、改めて作り上げられた文明が現代社会に近くなりファンタジーも廃れてしまった世界の中で魔術師同士が戦うというラノベ的な空想をして、「あぁ!じゃあファンタジー世界の主人公だった奴を後半に敵キャラとして出せばいいじゃん!」とか脳内で盛り上がっているところで仕事場に着いた。
現実逃避の一環で、自分の中で作り上げられている世界を再考していっている。異常だ。
仕事の方はどちらかといえば単純作業が多いので、頭を使うというより、機械的に作業をこなすことの方が多い。
なので気付いたら日が落ちているということも多く、帰宅すれば肉体的疲労に苛まれる、汗臭いのを嫌うのでシャワーを浴びた後は殆ど布団の上である。
このファンタジーを文字に起こしたいんだろうな、とは思っている。しかし、身体はもう付いてこない。
脳内で終わりかけているのだから、もうその時点で俺のこのファンタジーやラノベ的空想は終焉を迎える。今度想像するのはどんな世界なのだろう。そして、そのどれも形作らずに消えていくのだろう。
なんだか昔見たビビアンガールズの作者みたいな死に方しそうだなぁとは思う。しかし最悪なのはビビアンガールズすら手元にないまま死ぬことが確定していることだ。出来ても謎の文書がノートパソコンか、メモ帳かから見つかったりするぐらいだろう。
あらゆる貧困を抱えた馬鹿というのはこういう死に方をするのがザラなんだろうな。私にはパソコンやインターネット環境があったからまだ言葉に出来たのだろうけれど。それでも、発想したものも貧困であれば行動も貧困そのものだ。
「明日に影響するんじゃないの?」とかそういうことを考え出してしまうのはもう物作りをする諸段階から作業から崩れ去っている。こんな場で愚痴を吐く様に自分を否定している。
物作りは常に行っていかなければならない。そうしなければ、物の仕組みを理解しなくなるからだ。
物作りは絶対にやり遂げなければならない。そうしなければ、途中でやめるこ
絶対に迷ってはならない。迷わず行けよ、行けばわかるさ。ってのは筋肉馬鹿の一言じゃない。先を歩いて失敗を経て成功した人間の言葉なんだ。
だけど、なんだか進めないんだ。ここ数日、数年、生まれてこの方。
それ以外はファンタジーすぎてもまだそういうドラマとして楽しめなくもなかった。
でもなんかなー最初からフラグが立ちすぎてて大きなドラマがないのが見通せちゃうのがつまらん。
まあ百合と違ってゲイの素養なんてほとんどの男にはないのが普通で、そういう展開にするんだったら両方とも根っこのところゲイじゃないとダメだってのはあるんだろうけど。
でもなー・・・ゲイがオナニーのために読むならわかるけど、女が男同士のセックスシーンにこれほどまでに紙幅を割く理由がマジでわからん。
個人的にはBLマンガでも百合に置き換えれば読めなくもないだろうと楽観してたけど、なんかもう全然キャラとかストーリーとかが性転換するには超展開すぎてとてもそんな余裕なかった。
起きて最初にすることは
ってやつ。
いや~ひどかった。
BLの才能はないと思ったけどネットで感想探すと好意的なのが多いんだよな。
その後でよしながふみのBLマンガを読んだけど、よしながふみだとそこまでの生理的嫌悪感はなかった。
まあきのう何食べた?でもともと耐性があった作者だったからってのもあると思うけど。
BLマンガを読んでると世の中ゲイだらけみたいに思えてくるわ。
まったく想像がつかない。
久しぶりに『批評空間( http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/ )』を覗いてみたのですよ。
いやぁ~ 昔と変わりませんなぁ。
ノベルゲーだからテクノロジー上の大きなブレイクスルーがないのを割り引いても、ゲーム内容・ファンの意識には往年を偲ばせるものがあります。
まず物語のパターンが古典落語や歌舞伎並にテンプレ化されてるじゃないですか。
パーツの組み合わせが変わってるだけなんですよね。GoogleのDQNやIBMのワトソンでもシナリオ書けそうです。
次、ユーザー層。
ゼロ年代くらいのファン層がまんま繰り上がってオッサンになっている印象を受けます。
発売日の延期、修正パッチをネタにして騒げる人たちなんかは、ワシントン条約で保護すべきでしょう。
エロゲ界隈は真性オタの牙城と言いますか、原理主義者の聖域のままであってほしいですね。
電車男以降、オタクがライト化するのに抗して生まれた"キモオタ"概念が近年ベタになりつつあるのは懸案事項であります。
『オタキング→ダイエットに成功したサブカル博士→家族をシェアするイロモノ』というキャリアを"詰んで"しまった岡田斗司夫には失望しました。
経産省の旗振りのもと、AKBや深夜アニメと一緒に『クール・ジャパン by 秋元康』なんていうプロモーションされたら海外のファンコミュに亡命します。
地下アイドルのコンテンツ集金体系が、マス向けとは全く異なる論理で成り立っているのが面白い。
ミリオンドールを読んで思っただけだから、ミリオンドールの描写が完全なファンタジーなら的外れなんだけど。
CDを複数枚買ってチェキ撮影する、何度も貢いで顔を覚えてもらうなど、「金を払うファンが偉い」という思想が根底にあって、それを運営もアイドルもファンも理解している。
搾取に後ろめたさがなく、当然のようにやっているのが良い。
あと、アイドル自身が直接物販に出るから、金を払うファンは「アイドルを支えている」という実感が得やすい形だと思う。
弱小アイドルの場合、強靭なファン1人が本当に金銭的な支えになってしまうこともあるだろう。
一種のパトロンと言えなくもない。
俺の知っている限りあらゆるメディアがおぼえたてセックスはすごいのだと言い張るのだ。最近では「お兄ちゃん、右手の使用を禁止します」がそうであった。ほかにもさまざまなエロ漫画がおぼえたてセックスすごいと俺に囁いた。しかし俺はそのたびに疑問に思うのだ。おぼえたてはすごい。それはわかる。そこまではいい。しかし男女(であるとして)相互におぼえたてすごいやめられない、セックスすごいよぉと思えるためには前提条件がひとつ必要なのだ。それは少なくとも男性の側が早漏ではないということである。包茎であることもあまりよくない。この世界は敵だらけだ。
たとえば挿入から射精までの時間を5秒としよう。服を脱いでからふたたび着るまでの時間を1セックスとする。1セックスにつき何回射精できるかは個人差があるだろうが、おぼえたてはすごいのだから5回くらい射精できるとする。若いってすばらしい。みんな敵だ。しかし早漏の人はそのすべてを5秒で終える。仮に挿入時間と女性の側の満足度にある程度の比例関係があるとしよう(かならずしもそうとは限らないが、この記事の目的は単に逆恨みすることなのでそれでよい)。その場合、挿入時間と女性の満足度は1対1の比例ではなく、おそらく指数関数的な動きを示すはずだ。もっとも挿入してから男性が3日射精しないとかだと話は違うが、この場合そういう例外的な事例は措いておく。
指数関数的であるということは、時間が短ければ短いほど満足度の上がる比率は下がる。つまり5秒×5セット=25秒分の満足ということではなく「え、もう?」×5回ということである。これはすごいな。心折れるな。もう俺ヤギでいいやっていってヤギ探す旅に出るも、ヤギからも「え、めえ?」とか言われるレベルだ。もうだれも信じられない。ヤギですら。
つまり「おぼえたてセックスすごい」というのは、あくまで男性が早漏でないことを前提にしているということだ。神速のホワイトスペルマであるような人種は、何度セックスしても速度的な意味で常に神の領域にいる。時間が止まって見えるほどの異能があったとして、自分の内部では5秒を無限の時間に感じ「ああ、まだだ、まだ遠い……この5秒は永遠だ……」と思っていたとしても現実には挿入してフンッ、ハッ、あああ……である。
ご理解いただけただろうか。あとおぼえたてセックスすごいのとお医者さんごっこの経験ある人はそれを詳らかにしていただきたい。現実とファンタジーの境界線の彼方に我々は見果てぬ夢を見るのだ。
あと「お兄ちゃん、右手の使用を禁止します」は、すごく安定したテキストと、すごく妹かわいいのと、おぼえたてセックスすごいのと、妹かわいいのと、妹がすごいので、ぜひやってみるといいと思います。ただし個人的な嗜好により最初のえろしーんまでの煮詰まり感がすごくありがたいので、えろしーんを通過すると一山越えたなあって感じになってあとは作業になります。もっとなんかこう、お兄ちゃんの夢精ジュースが飲みたいとかいう理由で、煮詰まった状態を延々と繰り返して相互におあずけ繰り返すようなエロゲないすか。