はてなキーワード: SEXとは
と一言だけ言って、こいつは何がどう違うのかを一才説明したことはない。
で、説明しないので、こいつが何をどう考えているのかはさっぱりわからない。言い逃げだけする卑怯者であり、これでマウントを取った気になってるバカである。
しょうがないので、こちらの理解している意味で言うけれど、トランスジェンダーの存在は、極論だが、この二つを概念としては真っ向から否定する。敢えて極論するのは、話を分かりやすくするためである。こんな例外もあるあんな例外もあるだなんて気にしてたら話が先へ進まない。
まずジェンダーが否定されると言う意味を言おう。これは元増田でも語った通りである。ジェンダーなる概念は、社会的な性差が存在し、そうしたいわゆる漠然とした上は法律から、幅広く常識レベル、あるいは特に根拠がなさそうな世間的男女論的なこと(森氏の言ったような)、などなど私たちの社会にあるいわば観念のようなものだと言えよう。
ジェンダー論の重要な視点の一つは、これが「差別」につながっているという視点である。だから、特に根拠のなさそうな森氏の語りのようなものから、法律的レベルに至るまで、生物学的性別に強引に結びつけるのはやめよう、のような発想に繋がる。
ところが、トランスジェンダーは(これも極論である)、ここで否定される男らしさや女らしさに、自らの自発的・無自覚的な意思で従おうとするのである。注意すべきは、トランスジェンダーの人たちは、生物学的にはそれと反対の性を主張しているところにある。つまり、自己の生物学的性別には結びついていないのである。具体的に言おう、一般的生物学的女性(いちいち言わないが男性に変えて読んでもいい)の多くは、「女らしくしろ!」と言われたら今やかなりの反感を覚えるであろう。ところが、トランスジェンダーは全く逆で自ら女らしく振る舞おうとする。多少は、実際の振る舞いとしてそう言われたらら同様に反感を持つだろうが、その反面で自信を女として認めてもらったことをもしかすると嬉しく思ったりしているかもしれない。
ではセックスは? セックスの説明を内閣府から引っ張ってこよう。
「ジェンダー」を理解するのにあたって、引き合いに出されるのは生物学的な性差―セックス(sex)です。人間は生まれ持っての性別(sex)があり、大半は男性か女性に生まれます。1
皆さんがお母さんのお腹の中から「おぎゃー」と生まれてから、1週間以内に親御さんは役場に出生証明書を提出しますね。その時に書くのは赤ちゃんの性別・・・男か女か、つまり、生物学的な性差(セックス)です。この生まれもった性差は、生涯にわたって一生変更はありません。具体的には、生殖機能の違いです。つまり、妊娠出産や授乳が出来るのは女性だけで、男性にはその機能はありません。また、男性ホルモン・女性ホルモンの量の差で体毛や筋肉の量の違いにより、外見にも違いが表れます。それらも含めた生物(動物)としての性差をセックスと言います。
この説明に純粋に従う限り、トランスジェンダーが、自身の思っている性別こそ真の性別である、なので否定されているわけだが、もうちょっと拡張して考えたい。このセックスが言わんとしているのは、実際には「役場に出生証明書を提出します」のことであり、これもまたジェンダーの枠組みの中に入ると強弁出来なくもない区分である。何故なら、社会が性別の呼び方を定義していると言えるからである。
だが、その意味でもトランスジェンダーは全く矛盾した主張をする。自分が主張した(自己認識した)性別が真の性別である、と言うのだから。だから、戸籍変えたい! となるのだ。
つまり、物凄く表現しにくいのだが、トランスジェンダーを認めると言うのは、旧来的な性別は社会的科学的に定義されるものではなく、その本人自身が既に決定している、それが真の性別だと言う主張であり、これは旧来の考え方には全く相入れないとしか思えないものなのだ。
トランスジェンダーは今やGIDという障害認定すら拒む。トランスジェンダーは自己の認識する性別が絶対に完全無欠に正しいのであり、障害などではない、と。ただただ、体の方が間違っているだけである、と。だから、数年前に、ひと騒動になった女風呂へ入ったと公言した事例は、本人自身にとってはいささかの誤りもない行動なのである。当たり前だ、その人は「女」なのだから。だからスポーツだってそうなのだ。DIDsの人を含めて(トランスジェンダーでは全くないが)、そう主張する彼女たちに取っては女性の枠組みに入れないのは絶対におかしいのである。テストステロンの話は関係がない。
でも、増田にはトランスジェンダーは頭では全然さっぱり理解できない。今のべたDIDsはもちろん身体的にもその性別なのだけど、トランスジェンダーはそうではない。しかし、否定は出来ないので、「いや、それはある」と信じるしかない。
彼自身の過去の暴行沙汰や今回の件も含め、その辺りを肯定するつもりは無いが、正直彼に嫉妬し、彼になりたかったと思う点がある。
そもそもアイドルは色々な人から注目を浴びファンを作り推されていく、変な話そのアイドルに対して向けられている好きは一般人の比ではなく、当然付き合うにいたり倍率も高く、またその倍率を超えて付き合えた時には激しい優越感を得ることも出来るだろう。
そんな彼は、一部疑惑のままのものもあるが、複数のアイドルないしモデルと交際歴がある。上記の通りアイドルとの交際なんて男なら誰しも一度は憧れるが、絶対できない事である。
しかも1、2人とたまたま付き合ったとかではなく複数人との交際歴(疑惑含む)もあり、果てはそのまま子供を作って結婚までしてしまうという始末。
別に私は欅坂のファンでは無いが、色んなアイドルとパコパコして、最後は子供を作ってゴール(結果不祥事でゴールとはならなさそうだが)。これを羨ましいと思わない方が難しいのでは無いだろうか。
これはこの増田も未成年のエロ画像を欲しいだとかいう話ではなく、きっかけを辿れば元々はファンの少女の方から、自らの性的な写真を撮影してワタナベマホト氏に送付したという点に着眼。
最終的にはワタナベマホト氏から要求をする形になり、そのことが世間から叩かれるということになったわけだが、考え方によっては世の中にはワタナベマホト氏のことが好きで、自らの性的画像を送ってでも関心を持って欲しいという人がいるみたいなのだ。しかも女子◯生という高い市場価値を持ちながら。
画像を送った女性側にそこまで大きな注目が集まって無いという方は、おそらくこう言ったことはYouTubeの界隈ではよくある事なのだろうか、そう考えると恐らく他にもエロ画像を送っている人もいるのだろうし、余罪があると話すYouTuberの発言にも、そうなんだろうなぁと感じる。
要求せずとも自らのエロ画像を送ってくれる女子、しかも若い、そんな子を抱えてる彼は、一体どんな気分なのだろうか。
無論この増田はそんな画像を本人から送ってもらった経験もなく、無断転載であろう画質が荒く顔の映らない写真がついた迷惑メールしか来たことがない。
最後に、暴行事件を起こし送検されているにも関わらず、上記2点の行為ができているという点。
これに関しては罪を償ったからだとか罰を受けたからとかではなく、そもそも世間から、この人は女性に暴力を振るいますよ、というレッテルを貼られている、にも関わらず、そんな彼に自分の裸を送ったり、彼とナマでSEXしても良いと感じる女性がいるということである。
この増田は、そこまで偏差値は高くないが、日本人の多くが知っている大学へと進学し、同じく誰もが名前は聞いたことがあるだろう会社のグループ会社へ就職し、嫌なことはあっても辞めることなくしっかり仕事を続けている。
学校は全て共学であり、大学の学部も経営学部の為女子と関わる環境は大いにあった。
当然暴行なんかもしたことがなく、彼女が欲しいヤりたいという感情も大きかったので、ネットや本で勉強し、身だしなみを整えたり、合コンなんかにもよく行った。
現在交際している人はいるが、その彼女が出来るまで、社会人となり合コンで知り合うまでは、彼女なんて居なかったしSEXをしたこともなかった。結局1人しか付き合ったことがないのだ。
もちろん、自分の裸を送ってくれる人なんていなかった。
どうしてもヤりたくて、恥を覚悟で手を出すかを迷っている間にも、彼はアイドル達とパコパコし、性欲を満たし優越感を得ていたのだ。
どうすれば彼のような人生を歩むことが出来たのだろうか。彼のことが話題になった際、どんな人なのか気になって調べてみた。
その日以来、同じ年同じ日に生まれ、同じ日数生きているはずなのに、どうしてこんなにも差があるのだろうかという疑問が、頭を離れない。
間違い。近親相姦のほとんどのケースで娘は最初のうちは性的快感を得てるし父親を男として心から愛してる。
ただ女は子孫を残すために生殖能力の無い男は嫌いになる本能があるので、避妊してたり本当に歳で生殖能力が落ちたりして何度SEXしても妊娠しないことから父親を生殖能力無しと判断し嫌うようになる。
こうして心変わりした娘は「アレはレイプだった」と父親を告発する。
解決策としては娘とSEXしてしまった父親は責任を取って孕ませるべきだろう。見知らぬ男にレイプされたか同年代の偽装彼氏との間にデキた子と口裏合わせして出産させる。ここまですれば娘の父親への愛は冷めない。父親は我が子兼孫と若返った妻が手に入る幸福の極み。
13人の客、その7人目もスーツ姿だった。
ただ6人目の時とは趣が全く異なっている。
スーツは全体的にラメ加工が施されており、ビジネスシーンは全く想定されていないデザインだ。
「三大・エグい特殊造形の映画、『魅了のひじき』、『半生からの合体SEX』、あと一つは?」
「と、とくしゅぞうけい?」
まるでクイズを出しているようだ。
そう考えると、確かに往年のクイズ司会者を髣髴とさせる格好だ。
「あと一つは!」
聞き方は妙ちきりんだが、要は嗜好に合った作品を探しているってことなのだろう。
特殊造型という言葉には聞きなじみがないが、この客が挙げた作品から推測はできる。
観たことはなくてもタイトルは知られてるくらい、往年の名作ホラーだからな。
そして“エグい”って言ってるくらいだから、グロテスク要素のあるものと思われる。
その上で、近い時期の作品といえば……
俺はそう答えたが、その客は何も言わなかった。
その後も、司会者は似たような質問を繰り返し、俺は律儀に作品名を答えていった。
そうして何度か同じ応酬を繰り返した後、司会者は何も買わずに帰ってしまった。
期待は応えらず、俺は落胆する。
だが落ち着いて考えてみればなんてことはなく、その答えは簡単だった。
これは単なる冷やかしである。
今になって考えてみれば、他の客がやってたこともほとんど冷やかしだ。
半分くらいは映画と関係のない話ばかりしてきて、そのくせビデオは買わない。
下手したらレンタルすらしないこともあった。
接客も仕事の内だと割り切ってやってきたものの、こうも立て続けに冷やかされるとウンザリしてくる。
雇われの身だが、対費用効果のない仕事に労働力を奪われたくない。
たまらず店長に苦言を呈したが、返ってきたのは謎の精神論だった。
「マスダ、何で皆がウチの店にくるか分かるか?」
「ビデオを買ったり、借りたいからでしょ。家で映画を見るために」
「ここに来る人たちは何らかの問題を抱えている。何が問題か自分でも分かっていない人だっている。理由は様々だが、つまり順風満帆ではない、思い通りにいかない人生を送っている」
「そんな人たちでも、場末のビデオ屋で働くバイトと話している間は順風満帆なんだよ。そんな人たちを助けるのがマスダたちの仕事だ。目に見える利益だけ追求するんじゃない」
なんだか諭されているようだが大した理屈じゃない。
とどのつまり店長は「つべこべ言わずに働け」と言ってるだけである。
A「この⚒とは何だろうか? パパつまり父か?」
B「文脈から察するに性交ではないか? 交の字が⚒に似ている」
D「うーん、⚒は工具、こうぐ、こうび、交尾……? いやどうだろう」
E「Google Ancientで調べてみたのですが、かつて肉体労働者を土方といい、性交によって対価を得ることを肉体労働に例えて膣土方と表現する界隈があったそうです。⚒は肉体労働で使う道具ですから由来は土方の方だと考えられるでしょう」
A「ではこのPというのは?」
B「それこそパパだろう」
E「Google Ancientによると、当時流行っていたアイドル育成ゲームではプレイヤーのことをプロデューサー略してPと呼んでいたそうです」
C「それならパトロンのPの方が適切だ。金を出しているのだから」
D「アイドルプロデュースは遠いかなあ。やっぱり素直に考えてパパじゃない?」
A「PJというのは?」
E「Google Ancientによると、当時はプロジェクトをPJと略している者がいたようです」
C「それだと活はどこに行ったのか。PKJであるべきだ」
の4要素を訴える運動のことと書いてありましたが、そこに非宗教を唱える方も現れてきている、ということなのでしょうか。
いずれにしても、これらはすべて、個人の尊厳を取り戻すために、これまで社会の(暗黙的ないし強制的)要請によって様々な形で抑圧され虐げられてきた方々の悲痛な叫びとして表れた動きだと受け止めています。
古今東西、あらゆる宗教が女性差別的思想の醸成に一役買ってきた歴史があることは私も理解しています。
日本においては、神社神道は現代でも女性差別的な側面は変わっていませんし、伝統仏教の各宗派も長きにわたって女性差別を繰り返してきました。各所各山で自浄・改善の動きが少しずつ見受けられるようになったとは言え、理想にはまだまだ程遠いのが現実です。大変に嘆かわしいことです。
お尋ねの件についてですが、信仰の自由は守られて然るべきですから、私は彼女たちの願いそれ自体は悲しみと共にうなずきます。やはりそこには、宗教を否定・拒絶するだけの動機があるのです。おそらく宗教によって何らかの理不尽や痛苦を味わわされた経験が根底にはあるはずです。
しかし、何事も行き過ぎるとかえってよくない結果をもたらします。極端な行動で解決するということは、往々にしてないのです。お釈迦さまが右でも左でもなく中道を歩めと仰せになったのも、こうした話にも通じると思います。
彼女たちが「宗教に属さない」、「自分のことは自分で決める」、と決意することは素晴らしいことです。自分の尊厳を守るための大切な選択だと思います。ただし、その思いが行き過ぎた場合、彼女たちが次に取る行動は、
ということです。自分たちの在り方が正しいと信じれば、そうではない人間が正しくないと信じるのが私たちです(これは僧侶にも言える難しい問題です)。そうすれば、差別され苦しめられてきた側の人間が、また別の人間の新たな苦しみを生み出すことにもなりかねません。それだけは互いに避けねばならないでしょう。
あの人は信じてる、自分は信じない、でも仲良し。そういう、違いを乗り越えて出会える道を、女性も男性も性的マイノリティも関係なく共に探ってゆかなければ、そこにはただの断絶と分断、怒りと憎しみしか待ち受けていません。そもそも、彼女たちがこうした運動を起こさざるを得なくなるような社会通念を生み出した不特定多数を変えない限り、問題はそうそう容易くは解決しないと思います。
このことは誰もが、ゆめゆめ肝に銘じなければならないでしょう。
現代の人々にとって、「宗教」という言葉の持つ意味合いがあまりに変容してしまったことを第一に考えねばならないのではないかと、日頃から感じております。
私がこうした事象について何よりも訴えたいのは、
すべての宗教は、その時その時の時代背景・社会構造の中でたびたび利用されてきました。そのために大切な教えまで歪められることさえありました。日本においてもイスラムにおいても、家父長制とうまく融合させて、男性優位の支配構造を作ってきたのです。これは宗教が求める人間の姿ではありません。宗教という、ある種神秘の領域を振りかざすことで、精神の内外から強烈な規範となって人々(特に女性)を抑え付けてきたのです。それを行ってきたのは“人間”(特に男性)です。
この“人間”をどうにかしない限り、私たちは未来永劫救われることはないという教えを私は信順しています。見渡せば、その通りとしか思えない世界が広がっているからです。
いささか乱雑な論述になってしまいましたが、これが私の思うところです。
合掌
映画館は換気も十分だし話さないし飲食提供も無ければクラスターしねーんだろうが
8年待ったんだから後数ヶ月ぐらい待てる!とか言う奴はもうエヴァ観るな
借りた金の返済を8年待って2回も延期されたらキレるだろうが
緊急事態宣言が出たら延期します、って言っておけば別にキレねーよ
そもそも旧劇のときから、というかテレビ放送のときからこういう仕打ちを受ける度に「ふざけんな庵野」って言い続けてきたのがエヴァだろうが
25,26話で「ふざけんな庵野!」
破では「ごめんなさい庵野」
Qでは「ふっっざけんな庵野!」
だろうがどう考えても
「テレビ放送の最後は、いわば最高のテクニックで前戯してイク寸前だったところで突然「SEXとは何か」とか語り出したようなもの」
シンエヴァはQで勃起しなかった奴が次は体調万全でSEXするって言って8年待たせていよいよラブホまで予約して、ツール類・予習万全でやるぞ!ってなったら「ごめんビビったから別日で」みたいな感じだわ
こっちはもう濡れてんだボケ さっさとやることやれクソが