はてなキーワード: Docomoとは
そしていつの間にか、古いOSで動くソフトが少なくなっていくという事実。
もちろん、電話として必要最低限の機能は使えるはずなので、とりあえず
使おうと思えば 使えるけどね。
あれこれやりたいという人には おすすめできない。
それらの寿命を考えて だいたい2年ぐらい使えればいいやといった感じであろう。
もしかしたら、最近のは性能がよくなったので、3年ぐらい使う人もいるのだろうか?
メインじゃなくてサブとしてなら アリだ。
私もサブとして6年前に発売されたスマホをたまに家で使ってたりする。
docomo withは月1500円の月々サポートと考えられる。
が、1500円以上の月々サポートと比較すると 損と考えられる。
これは 2年使用の前提だが、2年後に1500円より高い月々サポートのものに
機種変更すれば、お得は続くことになる。
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/what-is-mizuhonokuni28
安倍首相「妻の携帯が水没した」 ↓ ○○「携帯を水没さた?証拠隠滅だ!」
みたいに読み取った人がいて、そのコメントへの☆もかなり集まってます。
このBuzzFeedのタイトル表記のみだと、確かに携帯が水没したことにより
昭恵夫人の携帯が時期は不明だが何らかの事が起きたかのように感じられてしまう。
「妻の携帯が一時水没しているので、それ以前のことはないんですが」
(中略)
ちなみに、水没についてのメールもある。産経新聞が報じた2016年6月4日のメール(要旨)には、こんなやり取りがある。
他のニュースを読むと、昭恵夫人と篭池氏妻は携帯のSMS(ショートメッセージサービス)を使ってやり取りしていたと公表されています。
では、ここで安倍首相の妻のFacebookを見てみると、『去年5月』時点で携帯を落とし、一時的に連絡が取れなくなったとの事が書いてある。
昨日(5月14日)の日に落としてしまって使えなくなったとの記載があり、今(恐らく5月15日)ドコモショップに行って買い替えたとの書いてあります。
更にコメントを読んでいくと、和式トイレで用を足しているときに落としたとも書いてある。
2016年5月14日 昭恵夫人の携帯が和式トイレへダイブ 2016年5月15日 昭恵夫人が新しい携帯に交換 2016年6月04日 昭恵夫人と籠池氏妻とメールのやり取り
となります。
BuzzFeedタイトルの『水没』は森友学園の問題が起きる半年以上前の話であることがわかり、最近水没させて最近のメールが消えたというわけでもない事が分かります。
BuzzFeedのタイトルが誤読させるような恣意的なタイトルであるのは間違いないと思いますが、記事をちゃんと読み解けば最近の話ではないことも分かります。
では、ここからは記事をろくに読まないで陰謀論を唱えている人達のブックマークコメント。
引用元 - http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/kotahatachi/what-is-mizuhonokuni28
※普段どのようなコメントを書いているか分かるように、ブックマークリンク貼らせてもらっています。
b:id:FUKAMACHI 昔は秘書が謎の死を遂げていたものだが、今はケータイが水没する時代なのだな。現代的だ。2017/03/24
b:id:kowyoshi 「それでも安倍しかいない」な皆さん、今どんな気持ちですか? 2017/03/24
b:id:scopedog ドリル小渕の次は水没アッキーかよ。2017/03/24
b:id:netcraft3 重要なHDDをドリルで粉砕する議員事務所があったりするし、自民党は情報を全部デイリーバックアップをとった方がいいんじゃないか。 2017/03/24
b:id:shufuo 一番関心の高いであろう2015年9月のメールも消えてんだな。アカスリみたいなもんで定期的に水没させとくかね。 2017/03/24
b:id:metamix メールでやりとりしたんならエシュロンに残ってるでしょ、アメリカに頼んでデータ提供して貰おう。国の一大事だし 2017/03/24
b:id:Lat 水没ねぇ。契約を含めやましいとこれがなければ相手に勝とうとする必要すら無く、事実を淡々と明らかにすれば良いだけなので、記録が残っていないとか、無償で講演したとか何で言ったんですかね?無理があるだろ。 2017/03/24
b:id:lag-o 秘書の謎の死を考えれば携帯の水没はかなり平和的になったけど、いよいよ次は記憶喪失ぐらいになるんではないかと心配。すでに部分的な記憶喪失っぽい発言はしてるけど 2017/03/24
b:id:blue0002 端末が水没しただけではデータは消えない。ついた嘘もね 2017/03/24
b:id:kori3110 記録は処分されるものだし、携帯は水没するもの。仕方ないですよね。きちんと事実が解明されたうえで「重要参考人は自殺するもの」まで至らないことを祈る 2017/03/24
b:id:bigburn 秘書が死ななくなった時代でよかったよかった 2017/03/24
b:id:ustam 秘書の身代わりに携帯が…と聞いて兵馬俑を思い出した。 2017/03/24
b:id:mouseion 証拠隠滅を図るのは別におかしくもなんともない。小渕優子もドリルでパソコン破壊したしな。それに2015年の段階で既に共産党とか豊中市議らが昭恵夫人の関与を指摘してたと思うので疑われても詮無い話。 2017/03/24
b:id:xipokyh 成蹊らしい偏差値の低そうな回答でホッコリしますね。李下に冠を正さずの意味も一昨日くらいに財務省の担当者から教えてもらったんだろう 2017/03/24
b:id:filinion そーかー、公開すれば昭恵様が無関係だと証明できたかも知れないのに、うっかり水没させちゃったのかー、そりゃあ偶然ダナー。 2017/03/24
b:id:take-it アッキード事件より「水没アッキー」の語感のキャッチーさ凄い。 2017/03/24
b:id:anigoka ドリル優子に比べて周到さが足らない 2017/03/24
b:id:yajicco そっかー、水没じゃしょうがないよね(棒読み 2017/03/24
b:id:comitlog 都合良く水没なんて、真っ黒じゃないですか。 2017/03/24
b:id:kagura-may まだ、「妻が店の手伝いで焼き鳥焼いている時に炭火に落としました」の方が説得力あるわ。 2017/03/24
b:id:quick_past 動画投稿者が長らくアップロードを停止していたときの言い訳は「PCが紫色の煙を吐いた」 2017/03/24
b:id:mangakoji 笑った。普通に通信会社にLOG出し命令したらいいじゃん。いつもやってることでしょ? 2017/03/24
b:id:xvd385hsDdk 籠池ファミリーが契約してる方の携帯にもプロバイダのメルサバにデータ残ってるじゃん、アッキーが携帯壊して開示拒否っても無駄じゃない? 2017/03/24
まだ他にもいたけれども非常に多いw
b:id:dot ブコメ見てると、事実よりも自分の意に沿ったストーリーの方を信じる人の多さに、眩暈をしたような感覚に陥る。 2017/03/24
「○○は悪いに違いない!そんなことをするなんて都合が悪かったからに決まっている!」
と思い込んでいる人が多い。
これがはてなユーザーだけなら問題ないのだが、Twitterやfacebookを見ていると著名人や国会議員や弁護士などといった一定以上の知識がある人達でも、こんな状況になっている人が多い。
S006が壊れた。
こいつの次にはガラケーは買えねぇんだろうと万感の思いを込めて買ったS006。
昼になんとかauに連絡。
万感の思いを込めて買った割に安心なんちゃらサービスに入ってなかった。
「今ケータイのご利用を続けたいとお考えのお客様は、ガラホというものがございまして~」
とオペレーターのAさん(男性)が4Gケータイのプランを案内してくれる。
3Gケータイから4Gケータイのプラン移行の案内など頻度が少ないのだろう、
Aさんは途中何度か保留で確認をしながら現状のプランに近いものを案内してくれた。
S006はプランSS(年割11年以上+家族割で50%OFF)934円で利用中だ。
Aさんは近いプランとして、5分以内の通話かけ放題スーパーカケホ1200円と普通のカケホ2200円を案内した。
私が悩んでいると
「!…少々お待ちください。今とあまり変わらないお値段と無料通話分が付いたプランがあるのですが…申し訳ありません、500円からのデータ定額サービスへの加入が必要なようです…」とのこと。
なんてこった。
気に入った端末もねえのに月額料金まで上がるのか…
私が案内への礼を言い、電話を切ろうとすると
「こちらこそご満足いただける案内しきれず申し訳ありません。時節柄ご自愛ください。」とAさん。
なんと気持ちの良い奴じゃろう。
できれば、SIM型がS006と同じで、新品未使用・店保障が付いているもの。
とりあえず購入。
で、今
……VKプランSってのがあるやん……
AさんはAQUOS K SHF31向けの料金プランであるLTEプランSを見ながら案内していたようだ。
LTEプランSも誰でも割適用で998円無料通話1100円分。
ただし、こちらはAさんの言う通りLTEダブル定額とのセット加入が必須。
またさらに調べてみると、VKプランSもプランSSと同等プランのように見えて
1年縛りから2年縛りになる上に、解除料金が上がる。
結局4Gケータイではなく3Gケータイを買って正解だったかもしれない。
もちろんAさんを責める気はない。
しかし……
なぜオペレーターも混乱するような料金体系になっているんだ。
全てのオペレーターが全てのケータイプランを網羅的に理解してるわけじゃないだろう。
せめてオペレーターの手元にはその混乱が生じないよう対策があってしかるべきではないのか。
なぜ年割適用できんのだ。
他社が同様の囲い込みに出ている以上、仕方ないのはわかる。
しかし、長期継続利用者が同等プランと見せかけて不利な契約しか選択できないのは何故だ。
auだってケータイをもっと大事にしてくれたって良いじゃないか……
確かに、自分はdocomo系MVNOを利用した所謂2台持ちだ。
しかし、これには私なりの言い分がある。
一つは、よく言われるように固定費削減のため。
そうはいっても、ただ通信費を抑えたいだけならば、MVNOの通話プランも充実してきた昨今乗り換えも可能だろう。
合理的な理由付けとしてauケータイを手放さなかったのはこの辺りだ。
しかしdocomoにMNPし、今使っているモバイルバッテリーより性能のいいものに換え、デュアルスタンバイ端末を購入すれば私の目的は果たされてしまう。
そもそもなぜ私がau長期利用者であるかといえば、それはいつでも挑戦者でいたいからだ。
初めて自分用の携帯電話を購入したとき、docomoではなくてauを選んだのは自由を感じたからだ。
着せ替え携帯しかり、その後のINFOBAR含むau design projectしかり、
機能性以上に遊び心を取り入れたauは対抗文化的な一つのアイコンだったのだ。
「私はいつだってauを辞められちゃう自由を持っているのだぞ」
「私はずっとauを使ってきたのだぞ」
そう思っていたかったのだ。
しかしながら無情にも時は流れ、ガラケーも復調傾向と言いながら
キャリアが長らく既存顧客をないがしろにし続けた結果ユーザーはMVNOに流れていったわけだが、最近ようやくauが重い腰をあげて既存顧客に目を向け始めたらしい。
重い腰の一環で長期利用ユーザー優待としてデータをプレゼントされた。
2GB。データの翌月繰り越しなし、プレゼントは三ヶ月に一度。
情弱だからバカ正直に10年以上使ってる身としては10年使ってこれか感はあるし、これは第一歩で既存ユーザーへの優遇は拡大するよな!?とは思ってるが、それでも自宅にWiFi環境がなく7GB使い切ってた身としては嬉しい。
2GBもろたとツイートしようと思ってふと他の人ももらってんのかと検索したら、何これ?系のツイートやラッキー系のツイートの合間に、いらねーよ容量余ってんだ月額割り引けという意見がちらほらあって、今日日の客は手厳しいなauは値引には走らないんじゃないかサービスモデル的にとか思って見てたら、auサポートがせっせとツイートにリプライしてる。
これが興味深かった。
割り引けという意見はサポートからリアクション取りようがないからスルーしてるが、何これ?系には、こちらのサービスですとサイトに誘導して、ラッキー系にはお礼。ああ新規サービス始めたから周知っすねーと思いきや、電波悪いというツイートにもどういった状況でしようかとリプライしてる。
bot、いやAIか?反応キーワード広すぎんだろと思ったが受け答えにずれはない。人間かよ。なんだよ自意識過剰かよ反応しすぎだろ。ついでになんで揃いも揃ってそんなに顔文字なんだ、顔文字使うのがサポート業務で義務付けられてるのかよ。
他のキャリアもこんな感じなのかと思ってdocomoソフバン見てみたが、 サポートのアカウントです業務でやってます〜って感じだったこういうイメージだよ企業のサポートアカウントは。どこに行きたいんだauサポートは。なんであんなにきゃっきゃしてるんだ。
あれか、JALに対するANA、親しみやすさで……とか考えているわけはなく学生バイトか。バイトのノリなのかあの顔文字は。ただ使う顔文字からするともっと世代が上のような気がしてならないがそれとも学生もいまだにあんな顔文字使うのかよ顔文字使わない30代に教えてくれ。
iモードがはじまってから、すぐにスパムメールの受信料が問題になった。
今の若い子は信じられないと思うが、昔はメールを受信するたびに、
そもそもメールアドレスが携帯の電話番号@docomo.ne.jpだけだったので、
スパムを送る方は送りたい放題ということもあった。
動物占いで「狼」だった私は取得できる時間になるや否や「wolf」という
アカウントを取得した。
しばらくは快適だった。
2日経ってから「wolf2@doco...」という人からメールが来た。
内容は、「wolf@doco...」というアドレスをオレにくれと。
無視をした。
3日経ってから「wolf3@doco...」という別人物からメールが来た。
内容は「わたしは狼の末裔で人目を偲んで生きています…一族の復活の為にもwolf@doco...」を
当然無視をした。
そうこうしている数日間、wolfなんとかさんから続々とメールが来た。
皆一様に「wolf@doco...」を譲ってくれという内容だった。
中にはオモシロイものもあったが、基本的には無駄に偉そうな内容だった。
そうして、結局、新たなスパムメールを受け続け、心が折れかけていた時に、
wolfstar@doco...から「吾輩にメールを譲るのだ、さすれば許してやろう、譲らなければお前を見つけて食べてやる」
みたいな内容のメールを、1時間おきに送り続けてきた。世にいうリアル狂人だった。
これがきっかけで「wolf@doco...」の中の人を辞めることにした。
たぶん、誰かが2代目wolfとなってくれただろう。
あれ確か、NEC、シャープ、富士通、LGあたりが一度は担当した事があったはず
auだと、INFOBARはシャープ、HTC、京セラが担当していたし、今展開している「qua」とかいうブランドも、京セラ、ファーウェイ、LGがスマホやタブレットを担当してる
禿げは知らん
docomoはかろうじて分かるようになってる(けど隠す気満々なのは見て明らか
https://www.nttdocomo.co.jp/product/smart_phone/dm01h/spec.html?icid=CRP_PRD_dm01h_spec_up
https://www.nttdocomo.co.jp/product/smart_phone/dm02h/spec.html?icid=CRP_PRD_dm02h_spec_up
このページにしか製造メーカーがシャープやLGである事が確認出来ないが、それでも「きちんと載せてるだけマシ」なレベル
auはもっと悪質でたとえば現在発売中の「Qua phone PX」とかいうやつ
http://www.au.kddi.com/mobile/product/smartphone/quaphonepx/
auの公式サイトなんだけど、「概要」「特徴」「スペック&サービス」の三つのタブに、LG製である事を示す文言は全く無い
「メーカー名」の欄は、他のスマホだとSONYとかKYOCERAとかSHARPとかきちんと載せてあるのに、「auブランドモデル」とだけ
せいぜい同梱品の型番が「LGV33用ICカードオープナー(試供品)」と、かろうじてLG製である事が推察できる程度
コソコソ隠そうとされると、かえって不信感抱くよね
長いことはてブにいるが、ずっと気になっているヒトデがいる。
なぜそんなにもヒトデが気になるのか。
そのため、互助、互助と言われていても陰ながら応援を続けていた。
好きなゲームを連想させる名前で書いている記事の内容が薄っぺらいにも関わらずはてブ総合トップに載ってくるからである。
これを分解すると
となる。
このうちの1つでも欠けていたら私はこの日記を書いていない。
しかし、互助の存在故にブクマが付き、そして総合トップに掲載されるのだ。
「参考になります!」などクソの役にも立たないコメントを付ける奴であり
例をあげてみよう
たとえば
使ってみたという割に、1時間程度その辺の情報あさったら誰でも書けるレベルの情報しか載ってない上に、
別に申し込みや切り替えの手順がわかりやすいわけでもない。自分が利用した楽天モバイルしか載せておらず比較すらしていない。
そのくせ、間違っている部分(回線が重たい時があるが、今後利用者が増えて改善されていくとあるがMVNOの場合は逆であることが多い。)
があったり、東京都心部では昼まったくつながらなくなる注意もなく、「ぼったくってるからだよ」などとdocomoはともかく、稲盛さん他、携帯会社の黎明期を支えてきた人を無視するような発言があったりととにかく浅さが目立つ。
イワタ君フリーランスに関する記事は他の方も色々と書いており、
そのそれぞれに深みを感じた。
終始煽り続けながらもフリーランスのきつさを暗に伝えることで就活を促す人、
そこには想いがあったり、自分が生み出したものがあったりする。
しかし、ヒトデの記事はその辺でクダ巻いてるおっさん以上のものはない。
「世の中こういうもんだぞ」と上から目線で説教たれるおっさんと何が違うのか。
他の記事を見た後、この記事を見たとき私が得たものはゼロであった。
イワタ君の気持ちになって読むと、ただ不安を煽られるだけであったことから
単なる話題に乗っかったアクセス数稼ぎにしか思えず腹が立ったくらいだ。
と、いろいろ書いたが、個人的には頑張ってほしい。
そこで満足するヒトデにはなってほしくない。
MVNOでも本気で比較した記事を書こうとしたらもっと時間がかかるだろうし、
おそらくそれは社会人でもあるヒトデが強みにすべき箇所ではないのだろう。
それならば、それでも、なんとかもっと自分の強みが活かせる記事を書いてほしい。
ホッテントリメーカーで作るような煽りタイトルって、みなさんもう見飽きてると思うんですよね。
今調べたらホッテントリメーカー2008年だそうで。どうりでねー。古臭いなーと思いましたよー。
「一から学ぶJava」ってのをね、1.0にするだけでこんなに素敵なタイトルになるんだから面白いですねー。
タイトルを思いついただけだったんですけど、思いついたらやっぱりちゃんと中身も書かないと行けないじゃないですか。やだー
面倒くさいんですけどね。ちょっと1.0から学んでみましょうか。
Javaの1.0がリリースされたのは1996年1月23日ですね。発表されたのが1995年5月23日でJavaの誕生日といった場合にどちらを取るかで揉めることがあります。
かれこれ20年前なわけで、当時のパソコンというとハードウェアはCPU が Pentium 133MHz メモリ16M とかそんな感じだったかなあ。今どきの携帯電話の例としてiPhone 6sを挙げるとCPUが1.85GHz メモリ 2G ってんだから凄いですね。OSは1995年11月23日にリリースされたWindows95とかそんな時代背景です。インターネットがようやく一般に普及し始めたところでしょうか。
今から思うと相当弱いハードウェアですけども、そろそろVM方式を採用しても良さそうな、そんな時代でした。インタープリタだと流石に遅い、でもC言語のようなコンパイル言語だと"Write once, run anywhere"とはいかない、という判断もあったのだろうと思います。Javaが純粋なオブジェクト指向言語ではなくintなどのプリミティブ型を持つというのは、当時のマシンスペックを考えた場合、ある程度妥当な判断だったと言えるでしょう。これが後々苦しくなってくるわけなのですが。
Javaを作った会社はSun Microsystems(サン・マイクロシステムズ)というアメリカの会社で、2010年1月27日にオラクルにより吸収合併され今はありません。SolarisというOSとSPARCプロセッサでUNIXサーバーの販売で90年代後半までは一人勝ちのような状況だったと聞きます。当時にすでに「ネットワークこそがコンピュータ」(The Network is the Computer)というモットーを掲げてたんだからおかしい。1996年リリースのJavaが標準でネットワーク機能を備えていたのもこのあたりの思想から来ているのかもしれませんね。
当時のプログラミング言語としてC++が挙げられますが、C++でのプログラマへの負担といいますか、ヒューマンエラーの起きやすさといいますか、その辺を改善する目的で開発されたのがJavaだったわけです。
1996年の時点にこんな言語が登場したのですから革新的でした。
いろんな企業がJavaに賛同します。その中にはMicrosoftもありました。この時期、Microsoftは次期のWindows開発用のプラットフォームにJavaを据えようと考えていました。その後、袂を分かつことになるのですが……。
プログラム言語として構文などを見ると、C++を強く意識した構文なのは間違いなく、しかしポインタ演算を廃してポインタを機能を限定した「参照」に置き換えるなど簡素化が多く見られます。C++からはいろんな機能が削られています。関数ポインタ、構造体、演算子オーバーロード、テンプレート((テンプレートについては実装が間に合わなかったという話を聞きます))などなど。そのためC++の劣化であるように揶揄する人もいますが、こうしたものを捨てて言語仕様を比較的小さくシンプルに抑えた点は評価に値すると思います。しかし、今でもこうした削減された機能を愛する人からはJavaを腐す要素として挙げられてしまうのでした。
Wikipediaからピックアップすると1.1での大きな機能追加は
といったところです。当初よりJavaの内部文字コードはUnicodeで文字を表すchar型は16bitで設計されていました。Unicodeは当時それほど普及しておらず、Unicode対応のテキストエディタさえ少なかったと記憶しています。時代を先取りしていると言えますが、大きな誤算はUnicodeが当初16bitのコードポイントに世界のあらゆる文字を格納しようとしていたことで、漢字圏の我々からすると16bit=65,536程度の空間に文字が全部入るわけないだろ!というものだったが故に早々に破綻し、Unicodeは21bitのコードポイントに拡張されることになるのです。これはまた後の話。
なんにせよ、日本語が対応されたのは1.1からで、日本でのJavaの採用が始まったのはこの頃からと言えましょう。
当時のJavaのGUIはAWTというものでしたが、これを用いたGUIの開発は当時は結構行われていたイメージですね。Visual BASIC でGUIを作るプロダクトも結構あったと思います。GUIのためのオブジェクト指向言語としてJavaが使われていたイメージがありますね。JavaBeansもそのための仕様でした。件のsetter/getterの話題に繋がっていくのですが。
JDBCはJavaとデータベースをつなぐインターフェースです。RMIではあるJava VMから別のJava VMにオブジェクトを送って実行する、といったことができます。こうした機能が用意されたことで、ソフトウェアのフロントとしてのGUI、裏方の実装のためのネットワーク機能、データベース機能、さらにはソフトウェアを配布するためのJava Appletという布陣でJavaでのソフトウェア開発が加速していた時代といえます。
Microsoft Visual J++ もこの時代ですよ。
Java 1.1以降のバージョンのものは互換性確認のためにOracle Java Archiveからダウンロードすることができ、今でも入手することができます。もちろん、Java7ですら2015年4月にEOL(End of Life,サポート終了)となっているので、通常利用するのはJava8としてください(本稿執筆時点)。
当時のドキュメントを見るのも一興です。現在と比べると標準APIがかなり小さい。なお、当時のjavadocは今とはデザインが大きく異なります。
この時代であれば、全パッケージを舐めて標準APIを学ぶこともそう難しくはありませんでした。この時代から触っている人間は新バージョンが出るたびに増えるAPIを順に学んでいけたのです。しかし、現代にJavaを学ぶ場合、どのバージョンでは何があって……というのをいちいち学ぶ必要はほぼありません。Java5以前は一緒くたでいいと思いますし、一部のAPIで歴史的経緯があってねーというのを知っていればおそらく十分ではないでしょうか。
strictfpキーワードは浮動小数点演算をやる人は覚えておきましょう。JavaはパフォーマンスのためにCPUの浮動小数点演算を扱うことが許されており、そのため実行するCPUによって精度が異なることがあるんですね。まあ今時のCPUだと大丈夫だとは思うんですが。
リフレクション機能ではJavaのクラスを抽象的に扱うことができます。設定ファイルに書かれたクラス名のclassをロードして実行する……みたいなことができるんですね。フレームワーク的なものを作る場合には多用することになります。
1.2からは新しいGUIのSwingが採用されました。AWTがOSごとのGUIパーツを用いていたためデザインに違いがあったのに対し、Swingでは統一的なルック・アンド・フィールが用いられるようになりました。まぁ今ならJavaFXを使うのが良いと思います。
初期のJavaはやはりVM方式の実行速度の遅さが指摘されていました。実行時の構文解析を伴わないだけインタープリタよりは早いものの、実行バイナリを作るC/C++よりは遅い、そうした評価です。ここではサン・マイクロシステムズのVMにJIT(ジャストインタイムコンパイラ)が乗ったことが挙げられていますが、JIT自体は別の会社が先駆けて開発していたことは記しておきたいと思います。
JITコンパイラは実行時にJavaのバイトコードを環境のネイティブコードにコンパイルして動かす技術です。この後、JITコンパイラ、動的再コンパイル技術、世代別ガベージコレクションを備えたHotspotといった様にJavaVMは進化していきます。現代では実行時の最適化が進み、大きなスケールで見た場合、Javaの実行速度はC/C++での実装と比べてそれほど遅れるものではありません。遅くても倍の時間は掛からない程度といったところでしょうか。
あとは特記すべきはコレクションフレームワークです。皆が多用しているであろうjava.util.Listやjava.util.Mapといったライブラリが整備されたのがこの時なのです。それ以前はjava.util.Vectorやjava.util.Hachtableというクラスが可変長配列の機能を一手に担っていました。今ではVectorやHashtableは使うべきではありません。
Java の開発はSun Microsystems が主導していたけども、すべてがSunのものだったというわけでもなく。Javaには多くの会社が出資していてその中のひとつがMicrosoftだったわけですね。
Microsoft の Visual J++ では delegate とか独自機能拡張もありましたけど、裁判で問題になったのは J++ でコンパイルしたclassファイルはMicrosoftのVMでしか動かないという部分ですね(他社製のVMで動くclassファイルを作ることもできる)。classファイルがどこのVMでも動くの大事だろ、"Write once, run anywhere"だろ、お前何してくれてんの!と喧嘩になったわけです。当時のMicrosoftはブラウザまわりでも独自拡張がやりたい放題、標準規格?なにそれ美味しいの?みたいなスタンスをあちこちで見せていたものです。
結局、この事件でMicrosoftのJavaはバージョン1.1相当でストップ。好き勝手にやれないなら独自に言語作るわーとばかりに.NET フレームワークと C# といった方向に舵を取ります。
JavaがPC上でのUI開発の主力になろうとした勢いはここで潰えます。
Java SE とは別にこの時代に Java EEがリリースされていることは特記しておきたいですね。これ以後、それまでのCGIに取って代わって、JavaはWebサービスの開発のプラットフォームとして多用されるようになります。
2000年あたりからはJavaはGUI開発というよりは、Webサービスの開発が主流という流れになっていきます。インターネットのサービスが非常に発達していった時代、背後ではとてつもない量のJavaのプログラムが支えていたわけです。ただまあ、こうした産業利用は一般的なユーザーの目にはあまり入らないわけです。一般人からすればJavaといえばJava Appletみたいなイメージはずっと残っていたでしょうが、実体としてはJavaといえばServletという時代になっていたわけです。
企業で用いられる社内システムにもServletは多く採用されました。
理由はいろいろ挙げれると思うのですが
というのが大きな理由だろうと思います。JSPというテンプレートエンジンを用いてHTMLを整形してWebページを作り出す、というアーキテクチャはある意味では便利で簡単でした。
もっともHTMLの表現力に足を引きずられるため、GUIの機能性という点では後退したわけなのですが。それでもメリットが大きいと判断されたのでしょう。というか、まともにGUIを組めるプログラマがほとんどいないから、GUIのシステム開発がなかなか成功しないってのもあったんでしょうけどね。
2000年あたりというと携帯電話の普及も取り上げなければなりません。現代のスマホ、ガラケーに比べれば非常に機能は貧弱で、まさに携帯「電話」でした。要するに電話とメールぐらいしかできなかったんですね。
そこにdocomoのiアプリ、Jフォン(ボーダフォンを経て現ソフトバンク)のJavaアプリ、auのEZアプリという携帯電話上でちょっとしたアプリが動くよ!というのが乗るようになってきたんです。これがJavaを組込み用途にコンパクトにしたJava MEというものが土台となっていて(正確にはiアプリはちょっと違う)Servletと並ぶJava言語の大きなもうひとつの領域となっていました。
iアプリは当初は容量が10k byteまでといった制約があり、容量制限が非常に厳しかったのですが、新機種が出るたびに容量は緩和されていきました。
docomoはiアプリ含めiモードによって一世を風靡します。こうした土台を作ると、その上で商売をしたい人がたくさんやってきて、勝手にコンテンツを作ってくれる。docomoはそれらから手数料を取るので労せずして大金を稼げるというわけです。賭場の胴元というわけです。
この賭場が、将来にAppleのiPhone, GoogleのAndroidに荒らされることになります。docomoがなかなかiPhoneを出さなかったのもiモードという自前の賭場を失うことを良しとしなかったためです。金づるを失ったdocomoはSamsungと組んで独自の携帯向けOSであるTizenの開発に乗り出します。そんなTizenですが鳴かず飛ばず。噂ではインドあたりではリリースされたとか、なんとか。
話を2001年に戻しましょう。
Microsoft離反でGUIのプラットフォームとしてのJavaというものは存在感を弱めていました。この分野の復権に寄与したのはJava 1.4 (2002年2月6日)で導入されたJava Web Startです。
Java Appletがブラウザ埋め込みで動作したのに対し、Java Web Startではブラウザから起動しつつも独立したアプリとして起動するのです。
Webシステムが企業の社内システムに採用された話は先に述べたとおりですが、やはりWebシステムのGUIというのはHTMLに引きずられて貧弱だったんですね。
端的に言えば入力値が数字かどうか?みたいなチェックがなかなか難しい。HTML上でJavaScriptでやるわけなんですが、なかなか気持よく入力できるような感じにはならなかったんですね。
また、Ajaxによるブラウザのページ遷移を伴わない通信というのが出てきたのも2005年ぐらいなので、入力値に対してサーバ問い合わせするようなことはできなかった。当時だと一旦画面遷移させないとできなかったわけです。
こうした事情から、クライアントサイド、要するにPC側でもっとリッチなUIが使いたい!という要望があったわけです。Webシステム使いにくい!という不満の噴出と言ってもいい。そこで出てきたのがRIA (Rich Internet Applications)というわけです。
Javaは1.0時代のAppletからそうですが、ネットワークを介して別のPCにプログラムを送り込み、そこで動作させるという能力を持っていました。それこそまさにRIAに求められる機能性だったわけですね。
RIAの代表とされるのは
あたりです。三つ巴の戦い、どこに軍配が上がるのか!?と注目されましたが、勝利したのはHTML / JavaScriptでした。
Google MAP で注目を浴びたAjax技術、それまでブラウザでは不可能と思われていた高級なGUIをHTML / JavaScriptで実現させました。もうやめて欲しいですよね。せっかく脱ブラウザの流れが来たと思ったのにまたWebシステムに逆戻りですよ。
RIAが失速した理由として考慮して置かなければいけないのはスマートフォンの台頭です。RIAでは端末を選ばずどこでも同じアプリが動かせる点がポイントのひとつでしたが、スマートフォンではそうは行かない。"Write once, run anywhere"を破壊したのはスマートフォンだったというわけです。
しかし、先日インストールなしでアプリを実行するAndroid Instant Appsが発表されたりしまして、結局RIAの思想といいますか、要求というのは今でも息づいているのだなと思った次第です。
1.3 / 1.4 では機能追加はあっても言語構文が大きく変わることはありませんでした。大きく変わったのはJava 5です。この時からバージョニングが変わって1.5ではなく5と表記されるようになりました。
Java5の特徴はなんといってもジェネリクス。それまでjava.util.Listにデータを出し入れするのにはキャストが必須だったわけですが、ようやくキャストから開放され型の安全度がぐっと高まりました。その他に以下のような変更があります。
言語としては随分変わっったわけですが、もうかれこれ10年以上前のことですからこれらの機能が「Java5から導入された」という知識は今となってはあまり必要とされません。これらの機能が使えないJava 1.4で開発をする事案が殆ど無いからです。0ではないのが悲しいところではありますが。
Java 6 (2006年12月11日)がリリースされた後、Java 7 (2011年7月28日) が出るまでJavaは停滞してしまいます。その間にSun Microsystemsという会社がなくなってしまったためです。
Sun Microsystems の経営状況が悪化しており、ついに身売りをすることになりました。身売り先はIBMともGoogleとも噂されましたが結局2010年1月27日にオラクルに吸収合併されました。
Javaの停滞中にはJava VM上で動く非Java言語も台頭してきました。Scalaなどですね。
やや戻って2007年にAndroidが発表されます。Androidの開発言語にはJavaが採用されていますが、実行環境はJava VMではなく、ライセンス的な事情でJava(TM)は名乗らない微妙な位置関係にあります。
Java 5 以降で大きく言語仕様に手が入るのは Java 8 (2014年3月18日)です。並列処理を行うためのStream APIと、そのために簡易に関数を定義するためのラムダ式が導入された点が大きいですね。日付APIも刷新されました。
このように、Javaは1.1の黄金時代から今に至るまで利用ジャンルを転戦しながら産業の土台となって支えてきた歴史があります。ジャンルの趨勢により浮き沈みもあります。今後についても決して楽観視はできないでしょう。Javaを学ぶことはプログラミングを学ぶステップとしては意義はあると思いますが、Javaを学べばゴールというわけではありません。プログラム言語も次世代へと移りつつあります。業界動向には注視していきましょう。
軽く調べたんだが携帯キャリアの歴史の1つのターニングポイントは1992年。
1つはエヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社がNTT本社から移動通信事業を完全に引き継いだこと。
これが1994年にツーカーと共にデジタルツーカー(*1)となり、なお紆余曲折を経て今のソフトバンクになる。
ちなみに1992年以前の携帯CMは電話が持ち運びできるということと問い合わせ番号ぐらいしか伝えていない。
当時のことはあまり知らないがどこもこんなものだったのではないだろうか。
まあ当時はかなり値の張るサービスだったと思うので、
金のことなんか気にせずただただ電話ができればいいという好奇心旺盛な人を取り込めればよかったのだろう。
話は戻るが1992年に今の携帯キャリア3極体制の原型が出来、(*2)
まだまだ携帯電話事業に対して市井の人々の関心が今ほど高くは無かった90年代中期。
業界の中核をなす企業でありながら少々ごたつき気味だったドコモと新興勢力のデジタルホンは、
まずはブランドの認知が早急だと判断したのかインパクトの強いCMを打ち出した。
(当時のCMはみつからなかった)この桑田佳祐が映っている部分が1992~3年ドコモ開始時のCM。
「オギャーっと、ドコモ!」のキャッチコピーでタイアップ楽曲はサザンオールスターズの「シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA」。
キャッチコピーの語感やシュラバ★ラ★バンバの曲調からバブルの残り香のような勢いを感じるインパクトの強さ。
宇宙人に扮したAV女優が乳丸出しでサザンのメンバーを襲うという、これまた豪勢でインパクトを残すものだった。
現在にいたるまでコンスタントにDocomoのCMに出演していることからも、このCMの重要さは見て取れることだろう。
こちらはデジタルホン系列の関西デジタルホンが1996〜97年に放送した「しゃべるならデジタルホン」シリーズの1つである。
クエンティン・タランティーノがひたすらしゃべり続け「しゃべりタランティーノ」という決め台詞をいうと
視聴者はデジタルホンという携帯キャリアの存在しか頭に入ってこない。
デジタルホン(現ソフトバンク)の初期を代表するCMで記憶に鮮明な人も少なくないはず。
思えばこの2つのCMが昨今の携帯キャリアのブランドイメージの源流なのかもしれない。
著名人が奇抜な格好したりショートコントをやってる携帯のCM、というものの原型は、
それでも1990年代はまだドコモの広末やIDOの常盤貴子や織田裕二などによる爽やか路線が主流だったが、
「IDOはどこにあるの?」というトヨテツのボヤキで幕を開け、
浅野忠信、豊川悦司、永瀬正敏らによって展開されたAu by KDDIの初期のキャンペーンによって、
携帯キャリアのCM=際物なイメージは確固たるものになってしまったのではなかろうか。
(*1):ツーカーの存在はデジタルホンと足並み揃えたかと思えばKDDI傘下に入ったりそれでもJ-phoneのサービス採用してたりとややこしいので割愛したい。
昨年の2015年11月末に引越して住所変更の連絡をした全リストです。これから引越しをする人の備忘録になればと。
なお、私は、妻なし、子供なしです。
0SIM by So-netがおもしろそうだったから、試しにdocomoのd-tabを買って年末年始の間に祖父母(80代)宅に設置してみた。
フォトスタンドや今までの携帯での経験から、祖父母のためにわざわざ連絡をとるというのは自分たちにとっても負担があり、なかなか長続きしないことはわかっていた。
そこでこんどは大喜利ばかりやっている家族LINEに祖父母のタブレットを加え、流れてくる情報をみてもらう方針にしてみた。
今まで他人のスマホなどをみても「むりむり、そんな新しい機械使えるわけない」なんていってた祖父母だったけれど、すでにLINEの使い方はマスターしたらしく家族LINEでの大喜利に参加している。
0simの無料分の通信量を超えてしまうこともあるかもしれないが、デジタルじじばばができあがるのなら、孫としてはうれしい悲鳴だ。
ドコモを解約する前にポイントが失効しないようにローソンでdポイントカードをもらってきたけど、Pontaと合流するんじゃなかったんかよ。
よくわかんなくなってきたから陣営ごとの加盟店を整理してみた。カオスすぎて娯楽関係とネット関係をバッサリ切ったけどなおカオス。ローソンってPontaとダブルブッキングしてるイメージだけど、au Walletを一陣営として捉えればセブンイレブンもしてるし、WAON陣営は反nanacoのよせあつめって感じがすごい。