はてなキーワード: DoComoとは
長いことはてブにいるが、ずっと気になっているヒトデがいる。
なぜそんなにもヒトデが気になるのか。
そのため、互助、互助と言われていても陰ながら応援を続けていた。
好きなゲームを連想させる名前で書いている記事の内容が薄っぺらいにも関わらずはてブ総合トップに載ってくるからである。
これを分解すると
となる。
このうちの1つでも欠けていたら私はこの日記を書いていない。
しかし、互助の存在故にブクマが付き、そして総合トップに掲載されるのだ。
「参考になります!」などクソの役にも立たないコメントを付ける奴であり
例をあげてみよう
たとえば
使ってみたという割に、1時間程度その辺の情報あさったら誰でも書けるレベルの情報しか載ってない上に、
別に申し込みや切り替えの手順がわかりやすいわけでもない。自分が利用した楽天モバイルしか載せておらず比較すらしていない。
そのくせ、間違っている部分(回線が重たい時があるが、今後利用者が増えて改善されていくとあるがMVNOの場合は逆であることが多い。)
があったり、東京都心部では昼まったくつながらなくなる注意もなく、「ぼったくってるからだよ」などとdocomoはともかく、稲盛さん他、携帯会社の黎明期を支えてきた人を無視するような発言があったりととにかく浅さが目立つ。
イワタ君フリーランスに関する記事は他の方も色々と書いており、
そのそれぞれに深みを感じた。
終始煽り続けながらもフリーランスのきつさを暗に伝えることで就活を促す人、
そこには想いがあったり、自分が生み出したものがあったりする。
しかし、ヒトデの記事はその辺でクダ巻いてるおっさん以上のものはない。
「世の中こういうもんだぞ」と上から目線で説教たれるおっさんと何が違うのか。
他の記事を見た後、この記事を見たとき私が得たものはゼロであった。
イワタ君の気持ちになって読むと、ただ不安を煽られるだけであったことから
単なる話題に乗っかったアクセス数稼ぎにしか思えず腹が立ったくらいだ。
と、いろいろ書いたが、個人的には頑張ってほしい。
そこで満足するヒトデにはなってほしくない。
MVNOでも本気で比較した記事を書こうとしたらもっと時間がかかるだろうし、
おそらくそれは社会人でもあるヒトデが強みにすべき箇所ではないのだろう。
それならば、それでも、なんとかもっと自分の強みが活かせる記事を書いてほしい。
ホッテントリメーカーで作るような煽りタイトルって、みなさんもう見飽きてると思うんですよね。
今調べたらホッテントリメーカー2008年だそうで。どうりでねー。古臭いなーと思いましたよー。
「一から学ぶJava」ってのをね、1.0にするだけでこんなに素敵なタイトルになるんだから面白いですねー。
タイトルを思いついただけだったんですけど、思いついたらやっぱりちゃんと中身も書かないと行けないじゃないですか。やだー
面倒くさいんですけどね。ちょっと1.0から学んでみましょうか。
Javaの1.0がリリースされたのは1996年1月23日ですね。発表されたのが1995年5月23日でJavaの誕生日といった場合にどちらを取るかで揉めることがあります。
かれこれ20年前なわけで、当時のパソコンというとハードウェアはCPU が Pentium 133MHz メモリ16M とかそんな感じだったかなあ。今どきの携帯電話の例としてiPhone 6sを挙げるとCPUが1.85GHz メモリ 2G ってんだから凄いですね。OSは1995年11月23日にリリースされたWindows95とかそんな時代背景です。インターネットがようやく一般に普及し始めたところでしょうか。
今から思うと相当弱いハードウェアですけども、そろそろVM方式を採用しても良さそうな、そんな時代でした。インタープリタだと流石に遅い、でもC言語のようなコンパイル言語だと"Write once, run anywhere"とはいかない、という判断もあったのだろうと思います。Javaが純粋なオブジェクト指向言語ではなくintなどのプリミティブ型を持つというのは、当時のマシンスペックを考えた場合、ある程度妥当な判断だったと言えるでしょう。これが後々苦しくなってくるわけなのですが。
Javaを作った会社はSun Microsystems(サン・マイクロシステムズ)というアメリカの会社で、2010年1月27日にオラクルにより吸収合併され今はありません。SolarisというOSとSPARCプロセッサでUNIXサーバーの販売で90年代後半までは一人勝ちのような状況だったと聞きます。当時にすでに「ネットワークこそがコンピュータ」(The Network is the Computer)というモットーを掲げてたんだからおかしい。1996年リリースのJavaが標準でネットワーク機能を備えていたのもこのあたりの思想から来ているのかもしれませんね。
当時のプログラミング言語としてC++が挙げられますが、C++でのプログラマへの負担といいますか、ヒューマンエラーの起きやすさといいますか、その辺を改善する目的で開発されたのがJavaだったわけです。
1996年の時点にこんな言語が登場したのですから革新的でした。
いろんな企業がJavaに賛同します。その中にはMicrosoftもありました。この時期、Microsoftは次期のWindows開発用のプラットフォームにJavaを据えようと考えていました。その後、袂を分かつことになるのですが……。
プログラム言語として構文などを見ると、C++を強く意識した構文なのは間違いなく、しかしポインタ演算を廃してポインタを機能を限定した「参照」に置き換えるなど簡素化が多く見られます。C++からはいろんな機能が削られています。関数ポインタ、構造体、演算子オーバーロード、テンプレート((テンプレートについては実装が間に合わなかったという話を聞きます))などなど。そのためC++の劣化であるように揶揄する人もいますが、こうしたものを捨てて言語仕様を比較的小さくシンプルに抑えた点は評価に値すると思います。しかし、今でもこうした削減された機能を愛する人からはJavaを腐す要素として挙げられてしまうのでした。
Wikipediaからピックアップすると1.1での大きな機能追加は
といったところです。当初よりJavaの内部文字コードはUnicodeで文字を表すchar型は16bitで設計されていました。Unicodeは当時それほど普及しておらず、Unicode対応のテキストエディタさえ少なかったと記憶しています。時代を先取りしていると言えますが、大きな誤算はUnicodeが当初16bitのコードポイントに世界のあらゆる文字を格納しようとしていたことで、漢字圏の我々からすると16bit=65,536程度の空間に文字が全部入るわけないだろ!というものだったが故に早々に破綻し、Unicodeは21bitのコードポイントに拡張されることになるのです。これはまた後の話。
なんにせよ、日本語が対応されたのは1.1からで、日本でのJavaの採用が始まったのはこの頃からと言えましょう。
当時のJavaのGUIはAWTというものでしたが、これを用いたGUIの開発は当時は結構行われていたイメージですね。Visual BASIC でGUIを作るプロダクトも結構あったと思います。GUIのためのオブジェクト指向言語としてJavaが使われていたイメージがありますね。JavaBeansもそのための仕様でした。件のsetter/getterの話題に繋がっていくのですが。
JDBCはJavaとデータベースをつなぐインターフェースです。RMIではあるJava VMから別のJava VMにオブジェクトを送って実行する、といったことができます。こうした機能が用意されたことで、ソフトウェアのフロントとしてのGUI、裏方の実装のためのネットワーク機能、データベース機能、さらにはソフトウェアを配布するためのJava Appletという布陣でJavaでのソフトウェア開発が加速していた時代といえます。
Microsoft Visual J++ もこの時代ですよ。
Java 1.1以降のバージョンのものは互換性確認のためにOracle Java Archiveからダウンロードすることができ、今でも入手することができます。もちろん、Java7ですら2015年4月にEOL(End of Life,サポート終了)となっているので、通常利用するのはJava8としてください(本稿執筆時点)。
当時のドキュメントを見るのも一興です。現在と比べると標準APIがかなり小さい。なお、当時のjavadocは今とはデザインが大きく異なります。
この時代であれば、全パッケージを舐めて標準APIを学ぶこともそう難しくはありませんでした。この時代から触っている人間は新バージョンが出るたびに増えるAPIを順に学んでいけたのです。しかし、現代にJavaを学ぶ場合、どのバージョンでは何があって……というのをいちいち学ぶ必要はほぼありません。Java5以前は一緒くたでいいと思いますし、一部のAPIで歴史的経緯があってねーというのを知っていればおそらく十分ではないでしょうか。
strictfpキーワードは浮動小数点演算をやる人は覚えておきましょう。JavaはパフォーマンスのためにCPUの浮動小数点演算を扱うことが許されており、そのため実行するCPUによって精度が異なることがあるんですね。まあ今時のCPUだと大丈夫だとは思うんですが。
リフレクション機能ではJavaのクラスを抽象的に扱うことができます。設定ファイルに書かれたクラス名のclassをロードして実行する……みたいなことができるんですね。フレームワーク的なものを作る場合には多用することになります。
1.2からは新しいGUIのSwingが採用されました。AWTがOSごとのGUIパーツを用いていたためデザインに違いがあったのに対し、Swingでは統一的なルック・アンド・フィールが用いられるようになりました。まぁ今ならJavaFXを使うのが良いと思います。
初期のJavaはやはりVM方式の実行速度の遅さが指摘されていました。実行時の構文解析を伴わないだけインタープリタよりは早いものの、実行バイナリを作るC/C++よりは遅い、そうした評価です。ここではサン・マイクロシステムズのVMにJIT(ジャストインタイムコンパイラ)が乗ったことが挙げられていますが、JIT自体は別の会社が先駆けて開発していたことは記しておきたいと思います。
JITコンパイラは実行時にJavaのバイトコードを環境のネイティブコードにコンパイルして動かす技術です。この後、JITコンパイラ、動的再コンパイル技術、世代別ガベージコレクションを備えたHotspotといった様にJavaVMは進化していきます。現代では実行時の最適化が進み、大きなスケールで見た場合、Javaの実行速度はC/C++での実装と比べてそれほど遅れるものではありません。遅くても倍の時間は掛からない程度といったところでしょうか。
あとは特記すべきはコレクションフレームワークです。皆が多用しているであろうjava.util.Listやjava.util.Mapといったライブラリが整備されたのがこの時なのです。それ以前はjava.util.Vectorやjava.util.Hachtableというクラスが可変長配列の機能を一手に担っていました。今ではVectorやHashtableは使うべきではありません。
Java の開発はSun Microsystems が主導していたけども、すべてがSunのものだったというわけでもなく。Javaには多くの会社が出資していてその中のひとつがMicrosoftだったわけですね。
Microsoft の Visual J++ では delegate とか独自機能拡張もありましたけど、裁判で問題になったのは J++ でコンパイルしたclassファイルはMicrosoftのVMでしか動かないという部分ですね(他社製のVMで動くclassファイルを作ることもできる)。classファイルがどこのVMでも動くの大事だろ、"Write once, run anywhere"だろ、お前何してくれてんの!と喧嘩になったわけです。当時のMicrosoftはブラウザまわりでも独自拡張がやりたい放題、標準規格?なにそれ美味しいの?みたいなスタンスをあちこちで見せていたものです。
結局、この事件でMicrosoftのJavaはバージョン1.1相当でストップ。好き勝手にやれないなら独自に言語作るわーとばかりに.NET フレームワークと C# といった方向に舵を取ります。
JavaがPC上でのUI開発の主力になろうとした勢いはここで潰えます。
Java SE とは別にこの時代に Java EEがリリースされていることは特記しておきたいですね。これ以後、それまでのCGIに取って代わって、JavaはWebサービスの開発のプラットフォームとして多用されるようになります。
2000年あたりからはJavaはGUI開発というよりは、Webサービスの開発が主流という流れになっていきます。インターネットのサービスが非常に発達していった時代、背後ではとてつもない量のJavaのプログラムが支えていたわけです。ただまあ、こうした産業利用は一般的なユーザーの目にはあまり入らないわけです。一般人からすればJavaといえばJava Appletみたいなイメージはずっと残っていたでしょうが、実体としてはJavaといえばServletという時代になっていたわけです。
企業で用いられる社内システムにもServletは多く採用されました。
理由はいろいろ挙げれると思うのですが
というのが大きな理由だろうと思います。JSPというテンプレートエンジンを用いてHTMLを整形してWebページを作り出す、というアーキテクチャはある意味では便利で簡単でした。
もっともHTMLの表現力に足を引きずられるため、GUIの機能性という点では後退したわけなのですが。それでもメリットが大きいと判断されたのでしょう。というか、まともにGUIを組めるプログラマがほとんどいないから、GUIのシステム開発がなかなか成功しないってのもあったんでしょうけどね。
2000年あたりというと携帯電話の普及も取り上げなければなりません。現代のスマホ、ガラケーに比べれば非常に機能は貧弱で、まさに携帯「電話」でした。要するに電話とメールぐらいしかできなかったんですね。
そこにdocomoのiアプリ、Jフォン(ボーダフォンを経て現ソフトバンク)のJavaアプリ、auのEZアプリという携帯電話上でちょっとしたアプリが動くよ!というのが乗るようになってきたんです。これがJavaを組込み用途にコンパクトにしたJava MEというものが土台となっていて(正確にはiアプリはちょっと違う)Servletと並ぶJava言語の大きなもうひとつの領域となっていました。
iアプリは当初は容量が10k byteまでといった制約があり、容量制限が非常に厳しかったのですが、新機種が出るたびに容量は緩和されていきました。
docomoはiアプリ含めiモードによって一世を風靡します。こうした土台を作ると、その上で商売をしたい人がたくさんやってきて、勝手にコンテンツを作ってくれる。docomoはそれらから手数料を取るので労せずして大金を稼げるというわけです。賭場の胴元というわけです。
この賭場が、将来にAppleのiPhone, GoogleのAndroidに荒らされることになります。docomoがなかなかiPhoneを出さなかったのもiモードという自前の賭場を失うことを良しとしなかったためです。金づるを失ったdocomoはSamsungと組んで独自の携帯向けOSであるTizenの開発に乗り出します。そんなTizenですが鳴かず飛ばず。噂ではインドあたりではリリースされたとか、なんとか。
話を2001年に戻しましょう。
Microsoft離反でGUIのプラットフォームとしてのJavaというものは存在感を弱めていました。この分野の復権に寄与したのはJava 1.4 (2002年2月6日)で導入されたJava Web Startです。
Java Appletがブラウザ埋め込みで動作したのに対し、Java Web Startではブラウザから起動しつつも独立したアプリとして起動するのです。
Webシステムが企業の社内システムに採用された話は先に述べたとおりですが、やはりWebシステムのGUIというのはHTMLに引きずられて貧弱だったんですね。
端的に言えば入力値が数字かどうか?みたいなチェックがなかなか難しい。HTML上でJavaScriptでやるわけなんですが、なかなか気持よく入力できるような感じにはならなかったんですね。
また、Ajaxによるブラウザのページ遷移を伴わない通信というのが出てきたのも2005年ぐらいなので、入力値に対してサーバ問い合わせするようなことはできなかった。当時だと一旦画面遷移させないとできなかったわけです。
こうした事情から、クライアントサイド、要するにPC側でもっとリッチなUIが使いたい!という要望があったわけです。Webシステム使いにくい!という不満の噴出と言ってもいい。そこで出てきたのがRIA (Rich Internet Applications)というわけです。
Javaは1.0時代のAppletからそうですが、ネットワークを介して別のPCにプログラムを送り込み、そこで動作させるという能力を持っていました。それこそまさにRIAに求められる機能性だったわけですね。
RIAの代表とされるのは
あたりです。三つ巴の戦い、どこに軍配が上がるのか!?と注目されましたが、勝利したのはHTML / JavaScriptでした。
Google MAP で注目を浴びたAjax技術、それまでブラウザでは不可能と思われていた高級なGUIをHTML / JavaScriptで実現させました。もうやめて欲しいですよね。せっかく脱ブラウザの流れが来たと思ったのにまたWebシステムに逆戻りですよ。
RIAが失速した理由として考慮して置かなければいけないのはスマートフォンの台頭です。RIAでは端末を選ばずどこでも同じアプリが動かせる点がポイントのひとつでしたが、スマートフォンではそうは行かない。"Write once, run anywhere"を破壊したのはスマートフォンだったというわけです。
しかし、先日インストールなしでアプリを実行するAndroid Instant Appsが発表されたりしまして、結局RIAの思想といいますか、要求というのは今でも息づいているのだなと思った次第です。
1.3 / 1.4 では機能追加はあっても言語構文が大きく変わることはありませんでした。大きく変わったのはJava 5です。この時からバージョニングが変わって1.5ではなく5と表記されるようになりました。
Java5の特徴はなんといってもジェネリクス。それまでjava.util.Listにデータを出し入れするのにはキャストが必須だったわけですが、ようやくキャストから開放され型の安全度がぐっと高まりました。その他に以下のような変更があります。
言語としては随分変わっったわけですが、もうかれこれ10年以上前のことですからこれらの機能が「Java5から導入された」という知識は今となってはあまり必要とされません。これらの機能が使えないJava 1.4で開発をする事案が殆ど無いからです。0ではないのが悲しいところではありますが。
Java 6 (2006年12月11日)がリリースされた後、Java 7 (2011年7月28日) が出るまでJavaは停滞してしまいます。その間にSun Microsystemsという会社がなくなってしまったためです。
Sun Microsystems の経営状況が悪化しており、ついに身売りをすることになりました。身売り先はIBMともGoogleとも噂されましたが結局2010年1月27日にオラクルに吸収合併されました。
Javaの停滞中にはJava VM上で動く非Java言語も台頭してきました。Scalaなどですね。
やや戻って2007年にAndroidが発表されます。Androidの開発言語にはJavaが採用されていますが、実行環境はJava VMではなく、ライセンス的な事情でJava(TM)は名乗らない微妙な位置関係にあります。
Java 5 以降で大きく言語仕様に手が入るのは Java 8 (2014年3月18日)です。並列処理を行うためのStream APIと、そのために簡易に関数を定義するためのラムダ式が導入された点が大きいですね。日付APIも刷新されました。
このように、Javaは1.1の黄金時代から今に至るまで利用ジャンルを転戦しながら産業の土台となって支えてきた歴史があります。ジャンルの趨勢により浮き沈みもあります。今後についても決して楽観視はできないでしょう。Javaを学ぶことはプログラミングを学ぶステップとしては意義はあると思いますが、Javaを学べばゴールというわけではありません。プログラム言語も次世代へと移りつつあります。業界動向には注視していきましょう。
軽く調べたんだが携帯キャリアの歴史の1つのターニングポイントは1992年。
1つはエヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社がNTT本社から移動通信事業を完全に引き継いだこと。
これが1994年にツーカーと共にデジタルツーカー(*1)となり、なお紆余曲折を経て今のソフトバンクになる。
ちなみに1992年以前の携帯CMは電話が持ち運びできるということと問い合わせ番号ぐらいしか伝えていない。
当時のことはあまり知らないがどこもこんなものだったのではないだろうか。
まあ当時はかなり値の張るサービスだったと思うので、
金のことなんか気にせずただただ電話ができればいいという好奇心旺盛な人を取り込めればよかったのだろう。
話は戻るが1992年に今の携帯キャリア3極体制の原型が出来、(*2)
まだまだ携帯電話事業に対して市井の人々の関心が今ほど高くは無かった90年代中期。
業界の中核をなす企業でありながら少々ごたつき気味だったドコモと新興勢力のデジタルホンは、
まずはブランドの認知が早急だと判断したのかインパクトの強いCMを打ち出した。
(当時のCMはみつからなかった)この桑田佳祐が映っている部分が1992~3年ドコモ開始時のCM。
「オギャーっと、ドコモ!」のキャッチコピーでタイアップ楽曲はサザンオールスターズの「シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA」。
キャッチコピーの語感やシュラバ★ラ★バンバの曲調からバブルの残り香のような勢いを感じるインパクトの強さ。
宇宙人に扮したAV女優が乳丸出しでサザンのメンバーを襲うという、これまた豪勢でインパクトを残すものだった。
現在にいたるまでコンスタントにDocomoのCMに出演していることからも、このCMの重要さは見て取れることだろう。
こちらはデジタルホン系列の関西デジタルホンが1996〜97年に放送した「しゃべるならデジタルホン」シリーズの1つである。
クエンティン・タランティーノがひたすらしゃべり続け「しゃべりタランティーノ」という決め台詞をいうと
視聴者はデジタルホンという携帯キャリアの存在しか頭に入ってこない。
デジタルホン(現ソフトバンク)の初期を代表するCMで記憶に鮮明な人も少なくないはず。
思えばこの2つのCMが昨今の携帯キャリアのブランドイメージの源流なのかもしれない。
著名人が奇抜な格好したりショートコントをやってる携帯のCM、というものの原型は、
それでも1990年代はまだドコモの広末やIDOの常盤貴子や織田裕二などによる爽やか路線が主流だったが、
「IDOはどこにあるの?」というトヨテツのボヤキで幕を開け、
浅野忠信、豊川悦司、永瀬正敏らによって展開されたAu by KDDIの初期のキャンペーンによって、
携帯キャリアのCM=際物なイメージは確固たるものになってしまったのではなかろうか。
(*1):ツーカーの存在はデジタルホンと足並み揃えたかと思えばKDDI傘下に入ったりそれでもJ-phoneのサービス採用してたりとややこしいので割愛したい。
昨年の2015年11月末に引越して住所変更の連絡をした全リストです。これから引越しをする人の備忘録になればと。
なお、私は、妻なし、子供なしです。
0SIM by So-netがおもしろそうだったから、試しにdocomoのd-tabを買って年末年始の間に祖父母(80代)宅に設置してみた。
フォトスタンドや今までの携帯での経験から、祖父母のためにわざわざ連絡をとるというのは自分たちにとっても負担があり、なかなか長続きしないことはわかっていた。
そこでこんどは大喜利ばかりやっている家族LINEに祖父母のタブレットを加え、流れてくる情報をみてもらう方針にしてみた。
今まで他人のスマホなどをみても「むりむり、そんな新しい機械使えるわけない」なんていってた祖父母だったけれど、すでにLINEの使い方はマスターしたらしく家族LINEでの大喜利に参加している。
0simの無料分の通信量を超えてしまうこともあるかもしれないが、デジタルじじばばができあがるのなら、孫としてはうれしい悲鳴だ。
ドコモを解約する前にポイントが失効しないようにローソンでdポイントカードをもらってきたけど、Pontaと合流するんじゃなかったんかよ。
よくわかんなくなってきたから陣営ごとの加盟店を整理してみた。カオスすぎて娯楽関係とネット関係をバッサリ切ったけどなおカオス。ローソンってPontaとダブルブッキングしてるイメージだけど、au Walletを一陣営として捉えればセブンイレブンもしてるし、WAON陣営は反nanacoのよせあつめって感じがすごい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151218/k10010345031000.html
これ見たけど、素直に羨ましいと思った。
ドコモはカケホーダイかカケホーダイライトっていうプランしかなくて、パケットパックは独り身の場合データS,M,Lっていうのを選ぶ。
カケホーダイライトが電話全然使わない人用。データSってのが上限2Gそれ以降は低速になるやつなのね。
じゃあカケホーダイライト+データSで1700+3500=5200円でいいじゃんって思うやん?(それでも高いけど)
だけどカケホーダイライトはデータSのパケットパック使えなくて、M以上じゃないと無理なの。
データMは5G上限で5000円。高いよー。
俺は今クロッシィ2年縛り+パケホーダイライトで、月々サポートがそろそろ切れる頃なのね。
次携帯変えるときはこのカケホーダイとパケットパックに切り替えなきゃいけない。
なんでかっていうと、クロッシィ2年縛りを継続のまま新しい携帯を買おうとすると月々サポートが付かなくなるの!!
一方、カケホーダイプランに切り替えれば月々サポート受けられるんだわ。
本日の夕方からスター・ウォーズ フォースの覚醒が上映される。さらには金曜ロードショーでも第1作目が放送されるとあって、多くの人が関心を寄せているところだろう。
で、さっき寝ころびながら映画でも見ようと思ってiTunesやアマゾンのプライムビデオやらで何か良い映画はないかと探していたのだが、ふとdTVをチェックしたらスターウォーズが6作とも見放題ではないか。そう、540円でスターウォーズが全作見れるのだ。
これってすごいことじゃね?だって金曜ロードショーで2作が放送されるだけで結構な話題になって、何か関東ローカルの番組も合わせたら全作見れるぜ!っていうのもニュースで見た気がする。おいおい、待てよw dTVなら540円払えば全作すぐに見れるぜw
「いや、ツタヤでも借りられるしw」と思ったそこの君。たしかにツタヤに行けば旧作だから100円という低価格で借りられる。全作で648円だから、dTVともほぼ100円しか変わらない。しかし、みんな考えることは同じだ。絶対に貸出中で借りれない。
とりあえず反論をつぶしたところで、題名にあるどうしてドコモはこの件を宣伝しないのかである。同じく動画見放題のHuluやネットフリックスのラインナップにスターウォーズはない。もちろん、auのビデオパスやソフトバンクのUULAとかいう雑魚共はもってのほかである。完全にドコモ様の一人勝ち状態だ。俺たちの知っている503、504iシリーズで頂点に立っていたドコモが帰ってきたのである!!
話をもとに戻すが、スターウォーズなんていう大型版権を手に入れるには相当なお金が必要だったはず。どうしてTVで宣伝しないのか。会員数を急激に増やす大チャンスじゃないか。「お兄ちゃんの毛が3本パーってなんねん」とかいうCMをしているくらいなら、「500円でスターウォーズ見放題!ウヒョーーー」ってCMをどうしてやらないんだ!これも権利的なもので制約されているのか?バナー広告すらうてないって制約があるのか?こんなんじゃ誰もスターウォーズが見放題だってことがわからないだろ!
ごく当たり前のことなんだけど、この視点ではあまり見かけない情報だと思ったので。
au,Docomo,Softbank これらでiPhoneを契約すると、いまや月々7〜9千円
なぜか既存客よりも新規・NMP客を優遇するせいで、2年おきに契約どうしようかと悩まなければいけない。
ただそれだけならまだしも、各種割引が2年で終わっちゃうせいで、使い続ける人は月の支払額が
上がってしまう謎。。。本当にどうにかしてほしいですね。
一方、格安SIMがあるものの、SIMフリーiPhoneは高いし と思っている方もおおいかと。
私もそう思っていたのですが、計算したところ、実はそうでもないかと。
格安SIM は、音声通話まで対応したプランが、だいたい各社1500円程度
これと、SIMフリーiPhoneを24回払いの分割で購入するという方法。
※2年契約=24回分割なので、キャリアでの契約と同じ購入方法になる。
この方法だと、キャリア契約と同水準の支払額なので、実はSIMフリーiPhoneって高くないかも。
一例を参考までに::
格安SIMは大抵20円@30秒 なので 1時間通話すると 2400円 これを足しても 月7000円弱
キャリア契約とほぼ同じ水準です。 同じ水準なら「なーんだ」 となるとことですが、
2年縛りなしなので、いつでも新機種に替え放題、契約見直し放題。(分割途中でもSIMフリーは、
高値で売れ、次の機種の頭金にし、分割なしでも買えるかも)
そんなことしない場合も、2年後、機種代分割が終わるので、純粋に支払額は下がります。
正直話を聞いていると哀れでしかない。
未だにAndroid2.2の端末使ってるんだぜ?あのもうほとんどのアプリが対応やめちゃってる遺物をさ。
まあ、流石にあんなゴミ時代のAndroid端末を買ったのは、情弱すぎる‥‥‥としか言いようが無いからあんま同情もできんけど。
iPhoneだったらたった4年でゴミになるほどひどい扱いは受けないよね。
それは良いとして、当時のiPhone4なんかと比べてもAndroidは動作も遅いしタッチ感度は悪いし、追従性なんかあってないようなもんだし、センスはないし、アニメーションも殆ど無い。快適さなんてものはどこにもない5世代ぐらい前の代物。
iPhoneに比べたら銀行のタッチパネル操作してるような酷いものだったのに、どういうわけかやたらと持ち上げてる奴がいたよね。正直キチガイかよと思ったよ。今にして思えば露骨なステマだと思うけど。正直ステマじゃなかったら真性の基地外だわ。
そして今そんなキチガイのステマに踊らされてAndroid2.x系列のゴミ買って買い替えも出来ない奴が巷に溢れてるんだよなぁ。
HT-03Aとかいうゴミ中のゴミ買ったやつはdocomoからiPhoneが発売されると早々に機種変してたけど、すべての人がそんな思い切り良く機種変出来るわけないよね。ガラケー時代から同じキャリアの同じメーカーの端末じゃないと操作性変わって嫌って人いたしさ。
Android4.2以前の時代のAndroid端末進めてた奴はここで反省して、未だに2.2使ってる奴が最新端末に切り替えられるように資金援助してやるべきだと思う。それがこのクソ端末に夢を見させたバカタレどものせめてもの罪滅ぼしだと思う。
亀レスだが、iPhone6s価格も公開になったし、iPhone6s 64GBの話でまとめるぞ。
とりあえずこの4つだけ覚えておけば良い。
キャリアは、180日(6ヶ月)後にSIMフリー版にできるようになった。が、途中解約は基本的に無駄。
通信料金は格安SIMは安いけど、繋がりやすさとか速度とか気にするなら、キャリア一択。
田舎で自営業で電話ブチブチ切れたら仕事にならんぞ、ならdocomoとかにしとけ。
ワザと面倒にして、理解を放棄させる手段。2年後でしか比較できない意味のない単語な。
例えば、iPhone6 64GB au機種変なら実質3万8880円とか言ってるが、9万9792円の24回払いだから。それを、24ヶ月毎月割引してるだけだから。
この、「実質価格」で、6ヶ月でSIMフリーにすればキャリアの方が端末価格安いし、とかそういう理解が、一番計算間違えやすい。
端末代は、「一括購入」と「24ヶ月払いローン(借金)」の2つだけ。端末代が安いとか考えるからヤヤコシイ。
で、「毎月割(au)」とか「月々サポート(docomo)」とか「月月割(ソフトバンク)」は、「毎月の通信通話料金の割引」として理解しろ。
発端の投稿にならって以後auで話するが、どのキャリアも一緒な。
つまり、差額は3216円。SIMフリー版のほうが、3千円くらい高い。
電話かけ放題使わねえだろ?高いし。発端にそろえて「みおふぉん」計算な
差額は、2655円な。auの方が毎月2500円くらい高い。
8ヶ月目で逆転な。2年後だとこんな感じ。
差額で計算すると、こう(▲はSIMフリーの方が損してる場合な)
全部一緒な。端末代は、SIMフリー版もキャリア版も、ほぼ値段一緒。
「実質価格」は忘れて、「端末の割引」を「毎月の通信料金割引」扱いして計算する。
最初0円で手に入って、毎月の金額に分割されてるから気が付きにくいが、キャリア版のiPhoneって、SIMフリー版のiPhoneと価格まったく同じだから。
2年たたずに解約したら、割引消えるから。残債精算しなきゃなんないから。
つまり、ローンでSIMフリー版と同じ値段のキャリア版iPhone買って、通信料を2年間割引してもらってるだけだから。
オレの私見になるが、良いか?
ぶっちゃけると、ここ最近ずっと一番得な使い方って変わってない。
「2年の解約期間ごとに」「型落ちの機種をMNP一括0円で」「電話も通信量も、キャリア上限まで使う」
だから、iPhone5sを、(6sではなく)iPhone6一括格安で、他のキャリアにMNPして、毎月無料枠イッパイ使うのが、トクだよ。
ただし、電話もかけねえし、通信も3GB以内ってのなら、SIMフリー版買って、みおふぉんの毎月1728円(税込)のにしとけ。
(流石に毎月通信料差額で3千円超えると、6ヶ月2万、2年で8万近い差になるから、ちょっと擁護はできん)
なんか凄く安くスマホが使えるらしい、程度しか知らない人は詳しい人に聞く前にこれ読んどけ
あと、事前知識としてこの程度は知っておくと良いかも。
以上をチェックした上で相談すると、相手も快く乗ってくれるだろうし、助言もより具体的になってくるだろう
でもって、10万円は絶対に越えられない。高すぎると誰も買わなくなるというのもあるけど、本当の理由は法律。「割賦販売法」って奴。
キャリアで普通にスマホ買う場合、大半の人は24ヶ月の分割払いしてると思う。クレカ払いの人もいるだろう。ところが、これってさっきの法律で色々制約あるわけ。
日本クレジット協会のサイトに書いてあるけど、
Q2.
少額な商品に個別クレジットを利用する際にも、支払可能見込額調査は行われるのですか?
A2.
もちろん、支払いの遅れなどを確認する通常の審査は行われますが、法律では、携帯電話などの10万円以下の生活に必要な耐久消費財を店頭で購入する場合などについては、クレジット会社は、支払可能見込額調査をしなくてもよいことになっています。
要するに、基本的にモノをクレカで分割払いで買う時は、売り手は書い手の信用情報を事前に調べなきゃならんわけ。
ただし例外として10万円以下の携帯電話はしなくてOKよ、という事になってる。
だからスマホの本体価格は「絶対に」10万円を越えられない(消費税込みで越えてもいいかどうかはちょっと分からん)。
いや別に出してもいいんだけど、10万円を越えたらクレカでの販売は手続きがクソ面倒になるので諦めなきゃならない。
ところがここだけの話、国内メーカーのスマホって10万円未満だと赤字なのよね。それ位に高コスト体質から抜け出せずにいる。
しかしそうなるとスマホを作る会社が無くなってしまうので、キャリアがこっそりと赤字分を補填している。あのクソ高い通信料金から。
イメージとしては、
スマホの「本当の」本体代金=スマホの「表向き」の本体代金+××ヶ月分の通信料金の一部
こんな感じ。
こないだSIMロック解除義務化が開始されたけど、最低でも半年以上契約しないと解除に応じないとかクソふざけた事をキャリアがほざいてるのはこの辺が理由。
たとえ現金一括払いで「表向き」の代金だけ払っても、まだ「本当の」本体代金を全額支払った事になってないんだわ。
最低でも半年分の通信料金を払い終えて初めて「本当の」本体代金を支払い終えた、という事になってるわけ。
docomoの社長が半年契約義務を「転売防止のため」と説明したのもこれ。
日本のスマホメーカーってのはそういう甘ったれたぬるま湯に浸りきってる会社ばかりなので、純粋に本体代金だけで利益をあげなきゃならないSIMフリースマホを出すなんて無理。
こないだ、実売2万円位の出来合いの廉価スマホにロゴマークを付けただけで5万円になったVAIOフォンとかいうのが出たけど、要するにあれだ。
2万円くらいのモノにさらに3万円くらい上乗せしないと儲からない位に物作りがヘタクソなんだよね。
だから出さないし、出してもスペックの割に海外メーカーのよりもかなり高い。高いから売れなくて、全然本気にならないってわけ。
南半球へ渡る。
21世紀!?よくわかんないけどなんかすごいんだな!?という思いでテレビを見ていた。
あと「いろぶん」っていう面白い文房具の紹介をしてるサイトがすきだった。
中学入学と同時にケータイを買ってもらう。直後にパケ死して3ヶ月ぐらい没収された。
すきなカップリングがあまりにも供給がなかったためにWordでホームページを作ろうとする。
(mixiは本当はだめだけどみんなやってた。友達に招待してもらって、一応15歳だか18歳っていう設定でやってた。)
たしかこの年に初めて「ネットで出会った人」と友達になる。オフ会にパンダ柄のニット帽を被って行った。
5年後ぐらいにめちゃくちゃバカにされた。
全然オタクがいなくてギャルとヤンキーばっかりで超びびってた。ナマモノ同人を知る。
FC2ホームページ上に自分のホームページを作る。フォレストページにケータイ用サイトも作った。(V系ナマモノ)
それとは別にmixi、前略プロフ、リアル(ケータイ用のブログのことね)、写メ日記をやってた。alfooとか、chip!とか。
みんな「だれでも見れるリアル」「10人ぐらいしか見れないリアル」「親友()しか見れないリアル」を持っていた。
初めて彼氏ができて、脱オタク脱バンギャして、「JK」をやってた。
mixiコミュを見て回って、リアルを更新して、プリクラ撮ったら前略を更新して、リアルを更新して、の繰り返し。
初めてセックスして、「なんか思ってたんと違う...」ってなる。BLはファンタジー。
とりあえず登録したけど全然面白さが分からなくてしばらく放置。
だんだんmixiの友達がTwitterに移っていってしまったので、わたしもモバツイでTwitter見てた。見るだけ。
センターの直前に「大丈夫だ、問題ない」のMADを頭がおかしくなるほど見てた。たぶん頭がおかしくなってた。
高校の卒業式の次の日が震災だった。布団の中でひたすらTwitterを見ていた。
(サーバーの下敷きになって死にそうみたいな某氏の自演って当日だったっけ?見た記憶あるよ)
Twitterすごい!って感動した。
たくさんの情報が自分から探さなくても自分の目に届くということは、わたしにとってすごくすごく新鮮なことだった。
入学式が1ヶ月伸びた。
その間に同じ大学に入学する人とmixiで知り合い、会って遊んで、Twitterで交流するようになった。
ある男の子にChromeやThunderbirdを教えてもらった。
まだdocomoにはiphoneがなかったのでガラケーをガラケーに機種変。(後でめちゃくちゃ後悔する。)
大学に入学して初めて自分のパソコンを持つ。MacBook Air。
Twitterばっかりやってた。デマもパクツイもまとめブログもRTしまくってた。
同じ教室にいた人をTwitterで見つけて(というかわたしが見つかって)、なんやかんやあって付き合う。
ギークだった。
その人に教えてもらってUSBメモリをUSBとは言わなくなったし、Wikipediaをウィキとは言わなくなった。
以来、お気に入りもお気に入られもほとんどないけどはてなは毎日見てるよ。すきだよ。
なにしてたかなぁ
どうでもいいことがめちゃくちゃにつらかった記憶がある。
プログラミングできない(Rubyの配列で躓いた)事とか、サービスやアプリを作れない自分は価値がないと思ってた。
つらい時はインターネットが見れなかった。
そういえばたまにやきとんオフ行ってた。
めちゃくちゃに精神を病んでた。
一度だけはてなブログに思いの丈をババババーッ!と書きなぐった。
それでちょっとだけ冷静になって、次第に元気になっていく。
Twitterで出会い厨したりした。得るものがなかった。(jizouさんではない)
色々あったし、今も色々あるけれど、生きててよかったー!って思うし、
こうして増田にこの記事を書いていることがとてもとても楽しいよ。
2011年頃と比べると全然Twitterに投稿しなくなった。けど見てはいる。
とうらぶ二次創作おいしいです!pixivも今年に入ってから使うようになったし、