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はてなキーワード: 科学者とは

2013-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20130920051551

データの中身とか気にしなくても使えるコンピュータiPadなど)が技術者科学者でない人間コンピューティングの中心になっていくはず(我々コンピュータ産業に携わる人間が総力をあげてそういう方向にもっていかないといけない)なので、データの中身とか整理とか割とどうでもいい。そんなのはプログラムのしごと。

「一般ユーザ」はファイルシステム意識しなくてもいいし、意識しなくてもいいコンピュータ設計べきである

中学校(「コンピュータを利用した教育」の推進者たちがいうことがほんとうに実現するとしたら学校なんか要らなくなるはずなのでこれらについて考えるのは本末転倒なのだが)では、

を生徒自らが考えることを中心とした授業をやってくれないかなぁ。

とりあえず、この議論に首を突っ込みたい人は三宅なほみ氏の著書インターネットの子どもたちくらい読んでおくべきだと思います

2013-09-13

久美沙織の書いたMOTHER3小説が読みたかった

http://anond.hatelabo.jp/20130912120735

なんかMOTHER3の話が増田に上がってて、ふと「なんで3のパーティキャラって俺女とか義足のオッサンとか犬とかへんに奇をてらったキャラばかりにしたんだろう、1や2と同じように、最初の3人は赤い帽子少年と金髪の女の子眼鏡がよかったのに」なんてMOTHER3の不満だった点を思い返していたところで、「そういえば小説版ジェフって後天的事故が原因で義足なんだったな、3のパーティ3人目のダスターと同じじゃん」と今初めて気がついた。

思えば2のジェフの「生き別れ同然の科学者のお父さんがいて、父と微妙確執があるちょっと育ちのいい感じの少年」という設定も、1のノベライズおい久美沙織が造形した「小説版ロイド」の設定がそのまんまだった。

ゲーム版ロイドの父は息子同様にゴミ箱に入った状態で話し掛けて来る職業不明の気さくな人物である一方、小説版ロイドの父は「ギーグに捕らえられて敵のロボット兵器の開発をさせられていた気難しいマッドサイエンティスト」で、ジェフの父親であるアンドーナッツ博士に非常にキャラが近い。2のノベライズあとがきによると、あまりにもゲームジェフの設定が1の小説版ロイドそっくりだったので「同じ子じゃ書くのつまんない」と思ったがゆえに、久美氏はジェフにとんでもないオリジナル設定(※両足の義足とその原因となった事故トラウマ)を追加してしまったのだという)

1の小説版からゲームの2に、2の小説版からゲームの3にリンクする「3人目の仲間の共通点」を糸井氏の意図的ものと見るのはあまりに突飛すぎるかもしれないが、意図的にせよ偶然にせよ、7年ぶりに思わぬ発見を得て少しいい気分だ。元増田に深く感謝したい。


Amazonで売られている久美沙織MOTHERノベライズは「作者はキャラヒイキし過ぎ、女の子アナポーラ)がビッチ過ぎ、オリジナル要素入れ過ぎ」とそりゃもうボロクソに言われつつも随分なプレミアがついている。

彼女はもともと凄まじく悪ノリ&長文&脇道癖のある作家であり、かつて小説版ドラクエの4〜6(特に4)を執筆した折などは想定読者年齢層を全力でブッチした筆の冴えを見せつけたことで(主に悪い意味で)その筋では有名であるゲームでは「なんか魔族の王」程度しか設定されていなかったデスピサロの魔界での鬼畜イケメンぶりとロザリーに対するロリコンぶりを描写するために、実に第1巻の約3割を費した耽美と難解を極めるオリキャラだらけの序章を筆頭に「ドラクエ小説版」という単純な単語に惹かれた全国の無垢な少年少女を疑問の渦と睡魔の淵に叩き落としたものだ。

あれに比べたら小説版MOTHER脱線ぶりなど屁のようなものであるが、それでも1の地底湖における妙に淫靡な13歳同士のラブシーン、著者本人も認める2のタイトル詐欺MOTHERではなくBROTHERになってしまった)などは、精霊ルビス伝説を初めて読んだ小学生の頃から意味などろくすっぽ訳も分から彼女の文章を刷り込まれて育った増田のような重度の奴隷信者には溜め息のひとつで済ませられても、彼女作風を知らずまっとうなノベライズを期待して本を開いた方々には怒髪天ものであっただろう。


前述のような久美沙織ノベライズ奴隷信者たる増田が、開発中だった64版MOTHER3サブタイトル(豚王の最期)を聞いて思ったことは想像に難くないだろう。勿論「次の小説版どうすんだろ」の一択だ。

ネタバレをすると、小説版の2のポーキーゲームと違っていずこかへ逃亡しない。2の小説は一冊で完全に独立完結している。

ゲームよりかなり陰惨な設定を付け加えられ、死んだ方がマシじゃねえかと言う酷い目に遭わせられはしたものの、色々あって小説版の彼は救われ、オネットのはずれの家で弟達と仲良く幸せ暮らしている。

1では原作通りの「ジョージマリアに育てられた宇宙人の子供」だったギーグを、2では設定を完全無視して「多次元宇宙からやって来た、人間寄生して成長する凶悪宇宙怪獣」というわけのわからんものに平気で変えてしまった久美沙織の事であるから、恐らく3のノベライズ一筋縄では行かないだろう、どのような味付けをするつもりなのだろうか、とゲームも発売しないうちから想像してわくわくしたものだ。


だがいかんせんゲーム原作である3の発売まであまりにも間が開き過ぎ、残念ながらその間に久美氏の小説家としての執筆活動はほとんど行われなくなってしまった。

ゲームのものの出来が賛否両論で関連グッズ制作予算が割かれる可能性も少なかったろうから、どのみち彼女が現役だったとしてもノベライズの発売はなかったかもしれないが、今でも久美沙織によるMOTHER3小説はどんなものだったのだろうと思いを巡らし、赤い背表紙文庫本が3冊並んで棚に並ぶ事を願わないことはない。

多分ダスターは作者の好みの傾向から言って超かっこいい男になるだろう。ウェスは「ふしゃしゃしゃしゃ!」などと変な笑い声を上げるようなゲーム以上のしゃかりきジジイとして描かれ、一般プレイヤーなら名前すらウロ覚えであろうタツマイリ村の一住民の視点でまるまる一章が描かれることになるだろう。サルが主役の章なんかすごくそうなりそうだ。コーバのヨシダさんやマジプシー、ヨクバあたりのキャラそのままで彼女の筆にとてもよく似合うから、きっと笑ってしまうほど魅力的に描かれるに違いない。

そういうどうでもいい細部の事は想像できるのに、MOTHER3という物語彼女がどう完結させるのか、ポーキーというラスボスにどのような結末を用意するのか、自分程度の貧弱な頭ではとても想像できない事が悔やまれる。


増田MOTHER2小説の中では、ハッピーハッピー村の教祖であるカーペインターについて書かれた下記の文章が一番好きだ。(ちなみにゲームに登場するカーペインター氏は、別段このような性格設定や過去があるわけではない普通の中ボスである

少年の頃、彼は、痩せっぽっちで病弱で、ひどく不器用でした。学校はいいところを見せるチャンスがありません。おまけに常用していた薬の副作用で顔がゾンビみたいに青かった。気味悪がられて、いつもひとりぼっちでした。こころを通わせることのできる友達が欲しくて堪らなかった。でも、どうすれば、ひとに好かれるような人間になれるのか、ちっとも分からなかったのです。

せつない気持ちをぶつけるために、教祖は絵かきになりました。さまざまな青の濃淡で描かれた彼の絵に、希望共感を見出すひとたちが現れます。寂しいのは、彼だけじゃなかったのです。悩んでいるひと、困っているひと。ひと見知りで、ともだちを作るのが苦手なひとたちと、助け合って暮らしたい。そう思ったので、一生懸命働いて、この、人里離れた谷間の土地を買いました。誰でも、来たいと思うひとを歓迎する場所、みんなが他人を脅かさずに静かに過ごすことのできる場所として、ハッピーハッピー村を作りました。狭い画布ではなく、大地そのもの空間のものを、青いっぱいで埋めるのが、彼の夢でした。


平素の地の文では「今週のハッピーハッピー信仰大賞佳作受賞者は、ご近所一帯に青大将三百匹を放したヌリ村のジョン作さんです!」などというクソみてえな悪ノリを平気で書くくせに、彼女はこうやって時折、心に突き刺さっていつまでも離れない文章を書く。忘れられない文章がいくつもある。

から未だに彼女の書くMOTHER3物語をずっと諦められずにいる。


久美沙織が大昔に書いたゲームノベライズのことなんて知っているマニアック年寄りは、いかネット広しといえどもきっとあまり沢山はいないだろう。「翠の髪のボウシャルマン/王宮付きの軽業師」なんて小説版ドラクエの作中詩の一節をググったところで出てきやしない世知辛いご時世だ。

それでもこうして長文を形にしておけば、そのうちこれを見つけた同じ気持ちの誰かと思いを分かち合えるんじゃないかと思い書き残しておく。

2013-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20130908023552

世界の有名大教授イメージ → 一流の科学者教育バッチリ良心的な日本人科学者もこっちに逃げてくる

誰のイメージ?有名大教授、ってそれ、「教える」有名教授

海外だと、割と授業良くやる教授と、授業とかやる義務無しで研究に専念出来る教授ってポジションがあるんだけど。

逆に、日本はそこが全く隔てがないから問題だ、って言う問題提起もされてるくらい。

ご存知?

日本の有名大教授イメージ → 世間知らず、教育能力が無い、人によっては人格破綻

世界の有名大教授イメージ → 一流の科学者教育バッチリ良心的な日本人科学者もこっちに逃げてくる


日本大企業幹部のイメージ → 空気読みと責任回避うまいだけの老人、部下に残業させるのが大好き

世界大企業幹部のイメージ → 百戦錬磨ビジネスの達人、自分自身が最も労働時間の長いワーカホリック


どうしてこうなった。。

2013-09-06

リーダーとはなんぞや~NLMに行かない理由~

1年生の時からなんやかんやと意識高いと言われいまだに周囲から意識が高いと言われる私ではあるが、今年のNexst Leaders Meetingにはいかない。

まあもとより2010年に行ったのみで、それ以降は行っていないのだが。

招待もされてないのに行かない宣言かよwwwwwwと思われるかもしれないがなぜかやけに関係者に知り合いが多く、やたら長文の招待メッセージをいただいたりしている。

それでも私は行くまいと、そう思っている。

なぜか。

まずは登壇者を見てみよう。

http://nlm2013.info/speaker.html

一見してわかることは「世間受けする人ばかり」ということである

学識経験者西原先生くらいなものだし、なにより自然科学担い手たる技術者科学者が一人もいない。

もっというと官僚もいない。

この人たちの話を聞いて何でリーダーにつながるのは私にはわからない。

そこで、そもそもリーダーとは何ぞや、という話になる。

リーダーとは人を導く存在のはずである

http://nlm2013.info/activity.html を読む限りNLMのいうリーダーにはオピニオンリーダーも含んでいるようだ。

そのこと自体はいい。

だが、オピニオンも何も呼んでいる登壇者は分野としてはごく一部だし、日本にとって喫緊の話題であるエネルギーTPP、税率など、そうした真に社会的に問題であると言える分野の専門家がいない。

あえていうなら林大臣くらいだろうか。

そして、彼らの話を聞いてリーダーになれるのか?と思う。

私見だが、リーダーの素質にひつようなものは「確固たる立場」だと思う。

集団の運営方法としてはワンマン・調整型などいろいろあるであろうが、リーダー集団の中で確固たる立場必要とすることはかわりあるまい。

だが、それは人の話を講演という一方的な形で聞いて得られるものなのか、というと私はNOだと答えよう。

しろ必要なのは自己との対話であり、その道具としての学識であろう。

しかに、NLMは「自己との対話」を掲げている。だが、対話に必要学問なしになにが出来るというのだろうか。

大学生求められていることは他でもなく、学問を積み自己研鑽することなのだから

既に述べたように、登壇者に自然科学を担う人はいない。

社会のあり方と、そこに属する個人というのは科学技術に大きく影響されている。

インターネットしかり、自動車しかり、発電所しかり。

そのことを無視して、社会を語ることは可能であろうか。

自然科学を学ぶ存在……いわゆる「理系」は「根暗」だとか「コミュ障」だとかいわれ、社会の多数派を占める文系諸兄からはいい扱いを受けていない。

だが、実際に自然科学を学ぶ人間として声を大に言わせてもらうとすれば、研究コミュニケーションなしにできるものではないのだ。

研究は独りでやるものではないのだから

社会から隔絶され、隔離されているといえど、社会に与える直接的なインパクトでいえば、自然科学は決して無視できるものではない。

しかし、NLMは意図してか意図しないでか、ほとんど自然科学というもの無視している。

自然科学なしに社会は回らず、どれだけリーダー養成しても意味のないものとなってしまうと、彼らは気がついていないのだろうか。

いってしまえば、学生団体(に限らず大学生サークルというものは)全て自己満足しかない。

その自己満足を自覚し、どう発展させていくのか考えなければ、彼らの活動は泡として消えかねないのだ。

書きたいことはたくさんあるが、腹が減ったのでこれまでとする。

2013-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20130825052519

理系職業wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

さすがはてなーwwwww

まりあなたは、「理系」だと????????????

エンジニアって大学で何学んだん??????

普通にその辺の文系女子大出ててもなってるんですけどwwwwwwwwwwwwwwwwwww

理系ってなんなん???????

そして

そもそも仕事中の大半は白衣作業着だしな。スーツ全然気を遣わなくなっちゃったわ。

白衣wwwwwww理系wwwwwwwwwwwwwww

理系ても、白衣切るのって薬品使うレベル仕事だけって知ってた???テレビに出てくる科学者って皆白衣だけど、ステレオタイプ守るためだけだからね?????

化学生物系以外、白衣なんて切るかってのwwwwwwwwwwwwwwwwww

2013-08-20

擬似科学のとても簡単な見分け方

ネット界隈では盛り上がるネタの一つである擬似科学」。

アヤシゲな話に騙されない為にも、何が擬似科学で何がそうじゃないかを見分ける能力を身につけるのは

重要な事だと思うのだが、擬似科学を扱ったサイトを見てみても、そういった事を書いたのは少ないし、

あったとしても「科学リテラシをつける」みたいな感じの「そんなのできたら苦労しないよ」ってなのが多い。


そこで私がいつも使ってる、とても簡単な擬似科学判別方法を紹介する。

といってもかなり荒っぽいものから、後述するようにうまく当てはまらない場合もあるけど、

擬似科学を疑う最初ステップとしては非常によい方法だと自負している。


その方法は、「これまでの研究をくつがえした」と言ったら、とりあえず眉に唾をつけるというものだ。



で、なぜこの方法がうまくいくか。それはそもそも科学がどういうものかを考えてみればわかる。

科学、とくに物理学の素晴らしさは、物理学のいろんな分野が膨大な現象を説明し、数百年もの間に膨大な工業製品に応用されているにも関わらず、

それらが全て整合性が取れ、矛盾していないところにある。


定説となった科学理論はどれも、世界中で行われた膨大な数の実験と、膨大な整合性確認という強烈な淘汰で勝ち抜いたものだ。

からこそこうした驚嘆すべき整合性があり、その整合性こそが科学根本価値の一つである


であるのだから、「これまでの研究をくつがえす」などという事は基本的に起こらない。

だって過去理論がくつがえったのだとしたら、それってそれを実証した膨大な実験が全て実験ミスだったって事でしょ?

そんな事ありえるはずがないのだ。



…こんな事を書くと、「相対性理論はそれまでの理論をくつがえしたじゃん」って指摘が入りそうだけど、これは認識が間違っている。

相対性理論はそれまでの理論をくつがえしてなどいない。

(本論とは関係ないので興味の無い人は「話を戻そう」の行まで飛ばしてください。)


これはちょっと説明を要する。まず相対性理論以前の理論ってのは、物体が「常識的なスピード」で動いているケースを扱ったものだ。

ここで「常識的」ってのがどの程度なのかは略すが、時速1000キロくらいでも何ら問題ない。


それに対し、相対性理論ってのはさらにずっと速く秒速30万キロ(=光の速度)程度のものを扱った理論だ。

ってなわけで相対性理論はそれまでの理論適応範囲が違うので、決して前者が後者を「くつがえした」わけではないし、

過去実験も全て物体が常識的なスピードで動いているケースのものなので、尋常でない速度を扱った相対性理論とは矛盾しない。

相対性理論が示したのは、それまでの理論適応できる範囲には近似の点から見て限界があるという事。)


しろ相対性理論が作られた時求められたのは、それまでの理論過去実験結果との整合性だ。

前にも言ったように、整合性が取れてなければ、過去の成果が全て実験ミスだったという無茶な結論になるからだ。

から科学整合性は相変わらずくつがえらない。




…話を戻そう。

ってなわけで、科学理論は基本的にはくつがえされないし、「これまでの理論をくつがえした」と称するものは大抵単なる大嘘だ。

から前述の方法は大抵の場合擬似科学のよい判断基準となる。


しかしこの判断基準も絶対ではなく、うまく擬似科学を判別できないケースもある。

最後にそれを指摘して本稿を終わろうと思う。


まず理論最先端過ぎて、定説が固まってないケース。

この場合はまだ科学の側が準備不足なので、「これまでの理論がくつがえる」事もありうる。

しかしこうしたケースではそもそも正しい理論がなんなのか誰も知らない状態なのだから

いずれにせよ眉に唾つけてかからねばならない事には変わりが無い。


もう一つのケースは何らかの理由で実験しづらかったりデータがとりづらかったりする分野の理論場合

(例えば医学では倫理的理由で実験ができない場合があるし、深海の奥底のように人類が到達できなくてデータが取れない場合。)

前述のように科学の信頼性は実験とそれを支えるデータにより担保されているので、

こうしたケースで完璧な信頼性を保証するのは難しく、「これまでの理論がくつがえる」事もありうる。


しかしこうしたケースであっても前述の擬似科学判定法はある程度よい基準になる。

なぜなら、科学進歩普通の人が考えるよりもずっと遅く、10年かかってやっと一歩進むか進まないか

というようなレベルからだ。


残念ながらテレビを見ていると自称科学者達が「これまでの理論がくつがした」と称して

怪しげな自説を言っているのを頻繁に見かけるが、

科学進歩が数十年単位である事を考えれば、こうした自説の大半は間違いなのだ


から「これまでの理論がくつがした」ものはいずれにせよ眉に唾をつけ、

色んなメディアで色んな学者から同じ説を複数回聞いて

はじめて新説をちょっと真面目に調べてみる、というくらいの距離の取りかたでも十分では無いかと思うのだ。



追記:

いうまでもない事だが、本稿がいいたいのは、「「これまでの理論がくつがした」といったら大抵は擬似科学」というものであり、

「「これまでの理論がくつがした」と言わなかったもの擬似科学ではない」というものではないので、その点は注意。


さらなる追記:

本稿はあくまで「科学にあまり詳しくない人が努力せずに疑似科学を見分ける」という視点で書かれているので

論を簡単にする為細かいところで色々とごまかしたのだが、その辺を的確に指摘してくれた方(http://anond.hatelabo.jp/20130821065224)がいるので

興味のある方はそちらも参照ください。また同じ方の指摘により、誤解されそうな部分を微修正した。指摘してくれた方、感謝

2013-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20130819011639

ます匿名のやりとりに慣れてないですか?相手の肩書きを聞くと安心しますか?

その体で話してるのはわかりますが、その割にあまりに的はずれなことばかり言うものですから

少なくとも貴方は他の大学等の"諸事情"を知らないようですし、海外のことなどまず知らないのでしょう。

それでしたら、日本は諸外国に比べてという話にそもそも入ってこれないのでは?

元々その話にあなた意味不明煽りで入ってきたわけですよね?

技術者科学者研究者区別ついてないでしょ?

とか

あなた高卒でしょ

とか?これらからあなたなのですよね?

エンジニアのツリーは隣ですよ。

このツリーは元々エンジニアの話に大学の話を入れて、それは状況知らなすぎじゃ?というツリーですよ?

ですので、エンジニアというのがどういうレベルの人たちを言うのか知りませんが、

大学

そもそも論子どもが出来ると仕事が出来ない、と言う話

は間違い、と言うのがこちらの主張だったわけですが。

一体貴方は何が言いたいのですか?

批判はするけど意見は無いタイプですね

これが自分からもう構うな、ということですか?

それなら、上の明らかに間違った煽りについては謝罪くらいしても良いと思いますけども?

2013-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20130818113759

科学者研究者に含まれると思うのでその区分けがよく意味わからんし、技術者が何を示してるのかも分からんが、(まさか日本で言われてるちょっとプログラムかくこと覚えただけの人が技術者???)

エンジニア大学先生研究者ってのを、すべて同種のものとして使い始めたのはそちらだろう?

その違いによってそちらの主張がそれぞれに置いて変わるなら、そちらの話は何の意味もなかったことになるけども。

2013-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20130809191659

公立高校偏差値と教師の質の相関はさほどたかくないからね。国私立だと卒業生が母校で教師になったりセレクションをかけるのでそれなりのレベルの人はいる。

俺の母校の理科教師で東大修士卒の人がいて、毎回のレポート科学論文の形式で書かせるんだけど、内容がひどいのはともかく形式に少しでも不備があるだけで評価くれなかった。その時は科学者になれなかっただせえ若造が何気取ってんだかとか思ってたけど、大学入学後はその時の経験大分楽が出来た。知識も確かだったし教え方も上手かった。なんかスカしてて取っ付きにくい先生だったけど、今では尊敬してる。

2013-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20130808181107

イタリアでは地震が起きる可能性が低いと判断し、安全だと発表した後大地震が起こり、

その判断を下した科学者達が実刑判決をくらってる。


現状地震100%判断することなんて不可能。というか、何事でも100%予測するのは不可能。

科学者達は、現在持てる知識の中で確率的に予測するしかない。

その確率が0.0001%だろうと起こる時は起こる。

ただ、そんな確率を毎回発表してたら今回みたいな騒動が起こり、

やがてそれ自体が当たり前になり、警告の意味を失う。

こういった公式な発表の場合、公式的には科学者側は数字も示すが、

一般の人や政府人間数字意味すら理解できないから、結果、世間に出まわるのは1か0になる。

から、0の時でも充分起こりうるし、1の時でも起こらないことはある。

世の中科学100%の決定を出来るものだと考えてる人が多すぎるのが問題。

その辺りをまじめに教育した方が良い。

2013-08-07

一部の「過敏症」理論ホメオパシー

日記を書くきっかけははてなに次のエントリーが飛び込んできたこと。

http://togetter.com/li/544971

Wikipediaの「化学物質過敏症」の記事から、「化学物質過敏症に関する議論」の節が削除され、記事に「懐疑的意見存在する」という事実(査読論文が出展)が消されてしまったようなのである。あらら…

私は、「化学物質は身体に甚大な悪影響を引き起こし得る」ことを否定するつもり毛頭ない。当たり前だ。

ほんの僅かでも「化学物質」(種類は問わない)が存在すれば、それは悪影響を及ぼすだろう、という過激な過敏症理論を批判したい。(洗剤の残りカスとか、濃度測定済みの建材とか)

また、高濃度の化学物質による身体影響は、「化学物質過敏症」という曖昧な病名ではなく、もっと正確な記述でないと治療の妨げになるだろう。

まず、過敏症の話の前に、疑似科学代表として「ホメオパシー」について語らせて頂きたい。

ホメオパシー理論」の問題点を明らかにした上で、“一部の”過激な過敏症理論がこれと似た点を持つことを示すことで、これを批判したい。

健康食品や特殊医療は数あれど、ホメオパシーほど現代科学に真っ向から対立している治療法はなかなか無いと思う。

ホメオパシーは、アレルギーなどに対し、病原物質10希釈を30回繰り返したものを作り、これを服用することで、その物質に耐性が付けるというものである

だが、10希釈を30回繰り返すと、コップ1杯に存在する原因物質の量は分子1個程度または0個である

まり、「ホメオパシー効能がある」というのは、「病原物質分子の個数がほとんどど0個の水溶液を飲むことに効果がある」ということを示し、『病気の原因が分子原子還元されない何か』に由来することを認めることなのである

現代科学が『何か』の存在を見落としているという可能性が絶対に無いとは言えない。(例えば、18世紀末まで、科学者空気中に二酸化炭素より多く存在する成分(アルゴン)が存在することを見落としていた。)

しかし、そんなことを言い出したら、幽霊だの怨念だのと言ったオカルトでさえ否定できなくなる。(幽霊だって存在する“証拠”はあるのだ。例えば、心霊写真など。)

この点でホメオパシーは、コラーゲン健康食品ゲルマニウムなど「有意性が無い」という実験結果によって疑似科学だと結論付けれる例とは、明らかに異なっている。(コラーゲンゲルマニウムは、これを否定する実験結果に対して、ちゃんとした実験結果付きの反論を持ってこない。)

(仮に、実験ホメオパシー有効性(心理効果を除く)が確認されたら大事である世界中教科書を書き直すだけでは済まない事態になるだろう。)

私は「化学物質過敏症」の研究自体を疑似科学だとは思っていない。もっと正確な記述をするべきだと思うが…

それでも、一部の理論ではホメオパシーに類似したものがあるのだ。

“一部の”化学物質過敏症機械で測定できないレベルの微量物質が原因となっている「病気」を引き起こす、というそである

これはホメオパシーと同じ理由でちょっと考えづらい。

引っ越しして新生活が始まったけど、体の調子がどうも悪い。それならば、シックハウスを疑ってみるのは良いことだろう。

信用ある業者に環境濃度測定をやってもらおう。

結果、濃度が高かったら、不調の原因はシックハウスである可能性が高い。

そうでなかったら、体の調子の悪い原因は、化学物質ではない。日射環境食生活など別の可能性をあたってみるべきだ。

ちなみに。ホメオパシーが「病原の分子の1個程度を摂取するのは体に良い」と言ってるのに対し、過激な過敏症理論は「病原の分子の僅かでも摂取するのは体に悪い」と言っている。

から、このホメオパシーと“一部の”過激な過敏症理論は、互いに対立し合っている理論である

間違っても、化学物質過敏症治療ホメオパシーに頼ったりしないようにしよう。いや、これに限らず、ホメオパシーを頼ってはいけないのだけど

2013-07-25

はてサ我田引水理論は異常

ゴミ収集は行政サービスだろ?

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130724173518

kyo_ju 社会 行政 日本

少なくとも衛生自治会との抱き合わせ販売は不当/地縁団体は強制加入で当然、オトナになれみたいにいう人に限って、職場労組が強制加入だったら怒ったりしそうな気がしている。2013/07/25

誰がここで労組の話をしているのか・・・


東大43論文改ざん捏造疑い 元教授グループ

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/national/update/0725/TKY201307240640.html

zinjoutarou 研究 アベノミクス あほ

科学者モラルが問われる問題。間違った結果は暴かれるのが科学しかして、経済学はどうなんだ?リフレ論者は、自説が検証で間違っていた時は経済破綻する。2013/07/25

誰がここでリフレの話をしているのか・・・

2013-07-15

http://anond.hatelabo.jp/20130715172801

俺らが生きてる間は大丈夫かもしれないよ。一説によると、2100年までにはテクニカル・シンギュラリティつって、機械自分自分を修正できるような高度な知能を持って、人間を追い越してしまうなんて話もあるけど、これはあくまで理論に過ぎないし、反論あるし、まだまだ大丈夫かも。

ただ、俺らが死んだあとの世界がどうなるかって話なんだよ。俺たちの今がどうつながっていくのかという話。

で、ロボットは当分の間は人間が面倒看るだろうね。で、ロボット必要になればなるほど、ロボットの面倒をみる技術者社会の中で権力を獲得していくと思う。その時代は(まともな富の分配がなければ)格差も進んでいるだろうから、底辺の人たちがロボット技術者になる道は狭くなり、ロボット技術者世襲になっていき、貴族的になっていくと思う。そんな中で、科学者/技術者の誰かがパンドラの箱を開けちゃうと思うんだ。ロボットに高度な知能を与えて、ロボット同士で面倒を看れるようにしてしまうと思う。科学者って道徳とか社会とか以前に技術的興味でそういうのやっちゃう生き物だから。で、この技術って短期的にはすごく理想的じゃん。数人の技術者だけで数千のロボットコントロールして、あとは何もしないでも車とかをばんばん作れちゃう。だから、この技術海外にも売ろう、ってことになる。その先がどうなるかなんて、あんまり考えないと思うんだ。今の政治家見てても、先を見れても10年ってところ。少子化年金の問題すら放置してきたわけだからね。短期の経済に目がくらんじゃう。ということで、この技術は推進される。人類は短期的に幸福になる。でも、そのあとどんどんひどくなっていく。

途方もない先の妄想だけどさ、科学技術ってこの方向に進んで行く可能性あると思うのよ。それについてどうするかって指針を漠然と考えておくのも悪くないんじゃないかなと思う。100年後にどうなっていて、どういう法整備やルール必要か。ロボット三原則みたいなやつ。

ま、思考的なお遊びとして書いただけで、深くは考えてないよ。

2013-07-13

発明技術無罪」と「愛国無罪」は同レベル

科学者連中がどれだけ喚いて、無罪を勝ち取ったとしても、それで害を被った人は報われないんだよね。

実際にWinnyで共有されているだろう多くのエンタメを作り上げた人らに「俺達の技術無罪から。悪いのは流してるやつね」とか言ってみ。

あと、俺はもちろん原子力発明に携わった連中すべてを憎むよ。そいつらがどれだけ無実を主張しようと、そいつらが生み出した技術ヒロシマナガサキは多くの死者を出し、そいつらの怠慢でフクシマは今もなお危機の中にある。

無罪からどうかしたのか?問題点認識していながら改善しなかった奴が?

ふざけるんじゃねえよ。

2013-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20130622033829

ごめん、最初のをちょっと読み違えた。

自分就職活動してないで研究に打ち込んでるわけね。

でも僕は就活なんて何もしていないし、就職しても何もやりたいことがない。

もし、博士なりに行こうと思ってるなら、別にそれでいんじゃないの?

周りが君を馬鹿にしてるならともかく、君が周りを馬鹿にする必要は無いよ。

気持ちは分かるし、多分、大半の博士に進んでる人達は同じ事を感じてると思うけど。


逆に、単に就職したくないとかやりたいこと見つからいか博士に進もっか、とか少しでも考えてるなら

悪いコトは言わないから、何でもいいか就職した方がいい。嫌な仕事でも。

じゃないと、結局それが3年(で済めばいいけどま、5年とか30歳くらいまで)延びるだけ。

どこでも就職して新しいこと始めればやりたいこと見つかる可能性もあるわけで。

仕事で見つからないにしても、同じような状態で博士に残ったら人生ホントに終わるよ。


まず、そのどっちなのか、で。


どんなに優秀で教授とかから期待される様な人でも

博士に残ると就職した周りの様子とか見て、羨ましがったり、僻んだりはするよ、少しは。

だって自分は有無をいわさず頑張ってきたつもりでも、周りの人間に比べて収入が圧倒的に低いんだから

(副業しない限り最大で学振20万だし、福利厚生一切なしの。20代後半で)

ただ、例外的というか、実はかなり数はいるけど、お金自体に全く困ってない、って人も多いけどね、、、

(昔の科学者とかって貴族から金もあって暇あって出来た、ってことがあるけど、未だにそんな部分も少しはあるんだよね、、、)


いらない話にずれたけど、

ま、後は好きな事出来てるんだから得だろうと。ある意味、物凄い国のお金自分趣味につぎ込んでくれてるんじゃん、

とか考えて(おおっぴらにいったら批判されるかもだけど、自分で思う分にはいいのです)

前向きに取る努力もするべきなんだよね。無理矢理にでも。


自分が本気で続けていけるどうかは、今必死に考えた方が良い。

1つ言えるのは、もしM1だとしたら今の時点で研究の有無もわかってないし(分かってるつもりになっててもそれは分かってない)

今後大変さも面白いことももっと出てくる。

から、まだ自分は駄目なんだ、と思う必要も無ければ、自分は絶対大丈夫だ、って結論付けるのも早い。


就職活動に関して言えば、半年くらい全く学校に来なくなるくらいやるのは駄目だけど、

社会経験としてでもやっておくことはいいことだと思うし、

推薦とかで断るとやっかいだけど、ある意味保険として受けて採用貰っておく、っていうのも、

じっくり考えられる様になる土台が出来るし、悪いことではないと思うよ。

(企業側も自体含めた計算してるから無理にそこまで考える必要はないと思う。)


何にしろ、今、周りと自分の間で"差異"が生まれる事による焦りを感じてるだけだよ、どっちが良いとか悪いとかじゃなくて。

もし、周りが全部博士に進むし就職活動なんかもしない、って言うなら焦りも妬みもしないだろうし(実際、学部の時はそうだったんじゃない?)


修士に入った段階なら、丁度決める時期で悩む時期だろうけど、

悩む必要がある時期でもあるから、今そうやってグチグチ考えてる事は決して自分けがおかしいってわけではないし、

間違ったことでもないと思うよ。

人を羨ましがったり、馬鹿にしたくなるのもその一部だから、まあ、後数ヶ月は大いに悩んで良いと思う。

今、自分が何もしてないのに馬鹿にしてる、ってんならアホか、だけど、自分はこれ一生懸命やってるのに、ってのは、

まあ、どういうとこ行ったって悩む機会はあるものだし。



出来れば教授とか、先輩とか、そういった話出来る人が居るといいんだけどね。

(ちょっと前にあった最初から超暴虐的な教授もいるみたいだけど、教授って割りと学生から来てくれると嬉しくていくらでも話に載ってくれるもんだと思うけど。)

2013-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20130619130103

こっちの砲台を制圧するのとあっちの司令本部を制圧するのは別の目標・別の戦果なのぐらいわかるよな?

ロックマンXの敵拠点ってそんな安易に「砲台」と「司令本部」に切り分けられるようなものじゃないんだよ

現代社会の軍を基準にものごとを考えないでくれるかな

 

守備側がなぜ重要設備重要人物を分散したまま(護衛戦力を分散する)なのかさっぱりわからない。

工場に戦力を集めてその責任者ってのが工場へ逃げ込めば守備しやすいよなw

ロックマンXでは施設責任者が単体でその施設最強の戦力だから

施設を守るべき最強兵器コントロールルームで施設全体の稼動を監視操作すべき技術者科学者を兼ねてるんだよね

工場止めちゃったらシグマにわたさなきゃいけないものの製造が滞っちゃうじゃん

2013-06-14

日本イノベーションが起きないこと政府のせいにする人たちへの疑問

よく「日本ではなぜアップルが生まれないのか」って論があるけど、

それはぶっちゃけ運じゃない?

いや教育の影響とか不必要規制の影響もゼロとは言わないけど。

主因じゃないでしょ。

ジョブズという天才が偶然アメリカという地に生まれ、

偶然時代の趨勢や周囲の環境に恵まれたってだけの話じゃない?

なぜ日本より優れた政府が治めている欧州ではアップルが生まれなかったん?

なぜ今より教育画一的だった高度成長期日本で数々のイノベーションが生まれたん?

イノベーションってのは、天才科学者と同じで、政府ときに発生を左右できるようなシロモノじゃないと思う。

政府にできるのは、その成果をスムース社会に行き渡らせること。

イノベーションを起こそうとする無駄努力より、いま現実存在する富をいかに分配するかに力を入れてほしい。

2013-06-13

子供を作るのは鬼畜所業。それか馬鹿

子どものこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」という暴力 - キリン逆立ちしたピアス

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20130612/1371012059

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/font-da/20130612/1371012059

障害児を産むのが恐い http://anond.hatelabo.jp/20130613094716

子供を作るのは鬼畜所業

両親が子供を作れば、子供は生まれてきて様々な体験をする可能性があります

子供がどうなるかはまったくわかりませんが、それを作るかどうかを最終的に決めるのは両親です。

作りたければ作ればいい。作りたくなければ作らなければいい。

この増田趣旨

子供を作る人たちの多くが見落としているか軽視しているであろうと思われる、子作りに対する「ある観点」。

この観点から子供を作るという事について述べます

これは子供を作る上でしっかりと念頭に置いた方が良い重要観点であると思われます

この増田を読んで何か思う事がありましたら、自分なりによく考えてみると良いかも知れません。

特に将来子供が欲しいと思っている人は、事前に考える機会があっても良いかと思います

というわけでこの増田は、読んだ人に考える切っ掛けを提供するための増田です。

「子作り」とはどういうことか。「子作り」とは全て自分の都合。

「子作り」とはどういう事か。

よ く 考 え て く だ さ い。

生まれた子供はどういう目に遭いますか?

また、どんな目に遭う可能性がありますか?

想定出来る事だけでも不幸苦痛の雨あられですね。

また、親の想定外幸福も有り得ますが、

想定外の不幸も起こり得る事をお忘れなく。

自分の子に限って…」とか「ウチは大丈夫」とか…。

本当にそうでしょうか。よ く 考 え て く だ さ い。

全ての苦痛は生まれる事によって生じます

悲惨な状況を色々とイメージしてください。

生まれなければ、それらを 全 て 回 避 出 来 ま す。

子供悲惨な目に遭った時。原因は誰にあるのでしょうか。

どんな場合でもハッキリ言える事は、

親が産まなければ子供もそんな目には遭わなかったという事。

親 は 直 接 の 原 因 だ ろ う が。

この問題から逃げないでください。

子供が欲しい方へ。

何故子供が欲しいのか、よく考えてください。

考えればわかりますが、全 て 自 分 の 都 合 で す。

子作りは2つの意味博打である

一つ目はまんま、「子作り=博打」。

即ち、親の目的は己の利益利益を得られるかどうかは運に依存する。

賭け物は子供

要するに、子供(賭け物)を用意して利益を得ようというのが子作り。

賭けに勝てば(運が良ければ)親は利益を得る。

賭けに負ければ(運が悪ければ)親はその身を削る事になる。

(当然、勝ちとも負けともつかないケースもある)

二つ目は、「人生博打」。

即ち、子供人生がどうなるかは博打的要素(運)に依存する。

生まれた子供博打に強制参加させられ、

勝てば(運が良ければ)幸福人生を。

負ければ(運が悪ければ)苦痛に満ちた人生を送る。

(当然、勝ちとも負けともつかない人生もある)

子作りとは、この2つの博打を別々に行う事と理解して欲しい。

この博打の性質として、一つ目の博打二つ目博打も常に絶えず打ち続ける事になる。

その博打を打つ点(つまり人生)が無数に繋がり線となったものが人の一生である

まとめると、

己の利益を求めて親が子供を作る。

の子供は「博打人生」に強制参加。

せめてこれ位は理解した上で子供を作るかどうかを決めるのが望ましい。

子供への思いやりが無いからこそ子供を作る』

子供を作る事を決定するのは両親である

そして、実際に交尾をして作るわけだ。

では仮に、とてつもなく幸福な気持ちで生き、幸福なままの気持ちで死ぬ可能性が90%、とてつもなく不幸な気持ちで生き、不幸なままの気持ちで死ぬ可能性が10%の人生があるとする。

交尾によって子供にこの人生を負わせるとした場合、親は子供幸福になる可能性を容認すると同時に、子供が不幸になる可能性も容認している事になる。

可能性を容認するという事は実際にそうなる事を容認するのと同義であり、親は『子供が不幸になる事も容認した上で』子供を作っているのだ。

その辺は理解出来るよな?

例えば、日本人の1/3はガンで死ぬ日本人の男女が子供を作る場合その男女は「自分の子供がガンで苦しみ抜いて死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。

例えば、人間は必ず死ぬ。どこかのカップル子供を作る場合、そのカップルは「自分の子供が死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。

例えばこの世では、病気、障碍、事故犯罪災害など様々な危険が降り掛かる可能性がある。

子供を作る者は、当然の事ながら「自分の子供が病気になっても、障碍者になっても、事故に遭っても、犯罪に遭っても、災害に遭っても良い(仕方が無い)」

と思って子供を作るわけだ。

子供を作るとは、そういう事である

子供が欲しい」という親のエゴを充足させるために、膨大な危険子供に「無理やり」背負わせるのだ。

子供への思いやりが無いからこそ、こうして子供を作る事が出来るのである

『子作りは子供への死の強制である

まり子作りは殺人であるという点について。

別に法的な話をする気はない。

出産というのは、相手が死ぬとわかっていながら子供を作る行為だ。

生まれてすぐ死のうと80年生きてから死のうと、人の死ぬ原因が「両親がそいつを作ったから」であるのは確実だ。

事故で死のうが事件で死のうが病死だろうが災害で死のうが、そもそも死ぬのは「両親がそいつを作ったから」。

人が殺された時って「殺した犯人」が非難されるが、そもそもの問題として「親が産んだから子供死ぬ

出産というのは殺人よりも根本的な意味に於ける人殺しじゃあないのか。

人が何らかの理由で死んだ時、その理由というのは死の時期を決定するものだ。

だが、親はその時期に子供死ぬ事も容認して子供を作っているはずなので、親が犯人を責める事は出来ない。

そして、子供に死という結果そのものを喰らわすのは他でもない親だって事。

『つまり…』

人生子供にとっては非常にリスクの大きなギャンブル)」と「死(これは確定している)」。

この2つを他人に無理やり押し付けるのが子作りなんですよ。

それが善いとか悪いとかではなく、「わかっててやってんの?」って言ってんの。

わかっててやってるなら私は「鬼畜」だと思うし、

そんな事すらわからずに子供を作ってるなら私は「バカ」だと思うのね。

子供を作りたいから作る人」に対して私があれこれ言う事は出来ません。

しかし、「子供を作る事を正当化しようとする人」については批判します。

ありがちな反論に対するあらかじめの反論

反論

何を不幸と感じるかなんて子供主観次第では無いのか。

どんなに悲惨な状況であっても

それを幸福に感じる子供も居るかも知れないだろう。

反論に対する反論

その通り。逆に言うならば、

どんなに恵まれた状況であっても

それを不幸に感じる子供も居るかも知れん。

子供が不幸になる可能性」とは、

子供が置かれる環境に対しての言葉では無い。

子供主観が不幸を実感する可能性を指した言葉である

反論

子供を作らない事もエゴなのではないか

反論に対する反論

エゴですよ。

子供を作らない場合

自身のエゴによって子供が不幸になる事は無い。

子供を作る場合

自身のエゴによって子供が不幸になるという事態が起こり得る。

あなた子供自分エゴ犠牲になる事を容認するのか?

ここではそういう話をしているのだ。

反論

まず「不幸」の定義をはっきりさせろ。

反論に対する反論

「本人が不幸だと感じたら不幸」だ。

本人の主観依存する問題なので、細かい定義をする事自体がナンセンスである

強いて言える事があるとするなら、不幸とは「絶望感」に苛まれている精神状態である

絶望感に対して積極的な気分で向き合えないのなら、それが「不幸」だ。

まり、「本人が不幸だと感じたら不幸」という事だ。

よくある出産のケース

世間体タイプ

自分の考え、例えば「子供が欲しいか、いらないか」などを

自分たちで真剣に考え、きちんと相談し合ったことが無く、

子供作らないの?」「孫の顔を見せろ」などという外圧

ただ流されるままに子供を作ってしまタイプ

感情的タイプ

避妊具の存在も知っており、使い方も知っている。

将来設計も無計画で、自分たちに子育ては困難なのも知っている。

だが、一時的な感情の高ぶりを抑えるのが生まれつき苦手で

己の「ほとばしるもの」におまかせのタイプ

自分では情にあつく、人間味があると思い込んでるが

他人への迷惑行為は抑えられないような「人間味」である場合が多い。

現実逃避タイプ

感情的タイプの親戚のような存在

子供でも産めば何か変わるかもしれない」という

何の根拠もない理論に任せて出産するタイプ

「今自分がすべきことは他にある」という現実からは逃げ

手っ取り早い一人前扱いにすがる。

たいそうな目標を持って海外留学に旅立ったはずなのだ

留学先で男を作り妊娠、当初の目的も半端のまま帰国し

シングルマザーになるような者もここに分類される。

ようするに「母親になるという大いなる名目」を周囲に突きつけることで

己の人間としての中途半端さをごまかすわけである

これは「親になれば一人前」という風潮を作った社会にも責任はある。

無能連鎖タイプ

自分が駄目だったか子供に期待するタイプ

駄目だった奴の遺伝子で頑張らなければいけないのだから子供は楽じゃない。

いくら期待をかけても、結果も親そっくり。

そんな基本的なこともわからず、無意味連鎖を繰り返す。

自己実現利用タイプ

子供自分の所有物という意識が強く、自分の為に子を利用するタイプ

おかし名前をつけてみたり、下品なブランド物を着せてみたり

自分趣味押し付けたり、芸能界に入れて下品なことをさせる親もこのタイプ

彼らが愛しているのは子供ではなく、個性的なパパママを演じている自分自身である

お国の為タイプ

上記のような理由だけではかっこ悪いか

社会貢献などを持ち出して、さも自分先見の明があったかのように装い

己の人生歴史を美しく書き換えようとするタイプ

子孫を残したことしか自慢するものがない冴えない男親や

子供を育てたことぐらいしか自慢するものがない主婦に多い。

科学者タイプ

「何億もの精子の中で自分が選ばれ生まれてきた」

生命神秘「奇跡」などと、現象の面白さばかり取り上げ

「そうして生まれてきたもの果たしてどれだけのものなのか」

という問題は「考えると暗くなる」と不問にし、

ただ己の好奇心にのみ生きてるタイプ

・番外編・ オカルトタイプ

「子は親を選んで生まれてくる」と思っているタイプ

自身の信仰する宗教宇宙観を押し付けるのもこのタイプ

よくオカルト世界では「人生は魂の修行の場」と言います

なぜ時空を超えるほどの存在が、極めて人間臭い修行に励むのでしょうか?

前世の罪を償う為」という理屈もよく聞きます

善悪なんてものは元々人間ルールとして決めたものに過ぎず

人間でさえ「罪を憎んで人を憎まず」と言っているのに

魂を管理する神はずいぶんと粘着体質ですね(笑)

私が神ならもっと良い修行方法を考えますがね。

よくも産みやがって

強制的にこの世に産みだして、面倒見るのは可愛い子供の時だけ

大人になれば人生の大半を労働に費やすことを義務とされ

何もしないだけでゴミのように扱われ、自殺するのすら苦痛を伴う

頑張ってこの世で生きていく道を選んだとしても

最期は大半の人間病気なんやで苦しみながら死に、それまで築き上げてきたもの全てを失う

こんな苦行みたいなもんに自分たちの都合で強制参加させる親は自己

自分たちの幸せのことだけで、子供のことなんてまったく考えていない

生きるの辛いねといえば、みんなはもっと辛いんだ甘えるなと返される。

生まれる事幸せ、みんなで子供を守る見たいな倫理観。

でも、いざ生きていく事に耐えられ無くなって来て生きるの辛いねといえば、みんなはもっと辛いんだ甘えるなと返される。

みんな辛いのか・・・矛盾

基本、生るの幸せしか言ってはいけない。

別に成長して行く子供も守られてる訳ではなく誰も助けてはくれない自己責任

でも誰もが何時も子供を守ってると言うしそれが正しいと思ってる。

助けを求めれば当然誰も助けてはくれない。

支えてる振りして子供を操ってるのと、何もしてないのに守ってる恩を与える。

あんたが産まれてくると分かっていたら産まなかった。

親には、なぜ、私を産んだのか。何度も聞きました。

その理由が私にとっては納得のいくものではなくて、余計に腹の立つものでした。

から、そんな理由で産むな。と言ったことがあります

傷つける気持ちがあったというより、腹が立ったので言ったんだと思います

そのあと、あんたが産まれてくると分かっていたら産まなかった。

とも言われました。

この負の遺伝子はここで終わらせるべきだと思っています

でも産まれてきてしまったので、自分死ぬのは怖いです。

怖い思いして自分死ぬ為に産まれたのなら、

最初から産むな。って気持ちです。

寿命いっぱい、希望も無いのに、自分だけの為に働いて

自分だけを食わせて生きいる強さのある人間は凄いなあ。と思います

そういう人が、何を思って生きているのか知りたい。

産まなければ何も起きなかった

そもそも子供を産まなければ何も起きなかった

頼んでもいないし産む必要もない

根本の問題から目を背けるのはなぜだろうな

自分も将来同じ罪を犯すつもりでいるから?

親を責めないことでちょっとでも自分の評価を高めようという姑息な考え?

この世界地獄っぷりは日々ニュースでも目にしてるはずなんだがな

全て消化され記憶に残るのは成功例だけか

中絶される胎児が羨ましい

自殺スレをまわって少しでも苦しまずに死ぬための情報を集めてると

心底怨みがこみ上げてくる

親が産まなければこんなことしなくても良かったのに

自殺しなくても、どうあがいたって最後死ぬ

そのとき自殺よりもっと苦しむかもしれない

子供を産むことは人殺しと変わらない

どうして私の子がこんな目に

子供がひどい事故や事件、病気などになり

「どうして私の子がこんな目に」

という場面をテレビなどでよく見かけるが理解出来ない。

 

”こんな目に”あう可能性が充分ある世界という事は既に分かっていたはず。

何も不思議じゃない。普通に想定出来る範囲の悲劇が起きてしまっただけ。

運が悪い?そうだな。この世界に生まれた事が既に運の尽きだ。

 

子供を産む行為、それは子供がこの世界で”こんな目に”いや

”どんな目にも”あうかもしれないという事を想像覚悟するべきだ。

「私の子に限って」なんてのはそれこそ身勝手な妄信。

でもこれらを全て受け入れて

それでも産もうとする人間なんてそれこそ、理解出来ないけどな。

 

ああ、だから麻痺して思考停止状態で産めるのか。

それが人間の、種の本能的な仕組みなんだな・・・残酷すぎる。

同情することない。

子供を産んだら生まれてくる子供が苦労する。親も苦労する。

から子供を産むべきでない」と主張すると子産み派は、

  ・そういう考えはネガティブ思考だ

  ・人間苦労して成長する

  ・人生には苦しいことばかりじゃなく楽しいこともある

  ・頭でっかち

  ・こんなこと言う人は頭のネジが足りないんじゃないの

  ・うつ病じゃないの

と、偉そうなことを言うのである

しかし、実際に苦難・災難が子供自分自身に降りかかると

  「どうして私の子がこんな目に」

  「どうして私がこんな目に」

とこうである

本当に都合のいいおめでたい頭してるわ。子供産む奴って。

子供を作ったやつがその人生で苦しんだとしても同情することない。

  「ポジティブ思考で苦しんでください」

  「人間苦労して成長する」

  「人生には苦しいことばかりじゃなく楽しいこともあるでしょ」

と言ってやればいい。

子供自殺する、これもまた自然のうちだと。

親の都合と自然の欲求で子供を作るのだったら

いつ子供自殺されても「親不孝」などとは決して言わないで欲しい。

自分の意思以外で産まれてくるのだったら、せめて不幸になった場合

子供の意思で死ぬのを許容してほしい。

確率でも自殺はあるので、どうかお願いですから

親はそれをたまに起こり得る「織り込み済み」のこととして納得してください。

子供自分死ぬ、これもまた自然のうちだと認識してください。

不良品は廃棄されるものなのですから

生きる事は辛い。死ぬ事も辛い。

生きる事は辛い。死ぬ事も辛い。

両方とも辛いのだから、現時点でマシな方を取ればいい。

「死んだ方がマシだ」と思うようになるまでは生きる。

最期までそういう風に思う事が無ければ自然死するまで生きてもいい。

それで何の問題も無い。

生きるも死ぬもクソだが、マシな方を選べばいい。

生きる事が素晴らしいと思えるならば、そう思っても別にいい。

ただ、言える事は、

生まれて来たヤツが人生をどう捉えるようになるかはわからない。

人生を肯定出来るヤツになるかも知れんし、

人生を悲観して絶望しながら生きるヤツになるかも知れん。

子供を作るという事は、「生まれる子がどっちになるかはわからないけど取り敢えず作りますよ」という事だ。

何故作るかと言えば、それは「作りたいから」。つまり自分のためだ。

子供の事なんか考えちゃあいない。

この事を変に美化しようとするから、子作り賛美の醜悪な風潮が出来上がる。

美化などしなくていい。

子供がどうなるかは知らんが、俺は子供が欲しい。それだけだ」

と思えるヤツだけが子供を作ればいい。

子供の事を自分よりも優先させたければ、子供を作らなければいい。

この「子供を作らない」という事に関しても、自分がそうしたいからそうするだけだ。

どちらにしろ自分のためだが、

自分のための行動に子供を巻き込むのか、巻き込まないのか。

その点が異なる。

子供を作る事が一番子供の事を考えてない

子供を作る事が一番子供の事を考えてない」

と言ってるだけで、これは紛うことなき事実で真理だろ?

自分子供を作った時or作るとしたら

どんな心理でか考えて見ればいい。

どう足掻いたって自分(親、今生きてる側の人間

の都合しか出てこない。

子の為に子を作るんじゃなく、自分の為に子を作るんだ。

そこには別に善も悪もないし、求めてもいない。

子供を作るなと書いてる訳でもない。

ただありのまま事実として

子供を作る事が一番子供の事を考えてない」

これがあるよね、ってだけだ。

不条理

子供を作ることを是とすると不条理が生じる

子供を作ることを非としておくと不条理が説明できる

それだけ

矛盾が無い否定論を正しいと見て置き、作りたい馬鹿勝手にすればいいだけ

不条理も込みでね

作ることを是とするために正しい見解を捻じ曲げてはいけない

2013-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20130605233438

元増田です。トラバありがとうございます

児童文学を上げる方がいらっしゃって驚きました。

ムーミン名前の意外性に笑わせていただきましたけど、

そういえば、そうでしたね。

青い鳥文庫といえば、はやみねかおるさんの夢水清志郎シリーズ

幼少のころ繰り返し読んだのをよく覚えています

(今懐かしくなって調べたら、いつのまに髪の毛の色が黒から赤に

変わってて衝撃でした。歳がばれそうです)

児童文学出身作家さんやその人が書いた児童文学など

確かに安心して読めそうですね。

クレヨン王国アニメ見てました。懐かしいw

小説原作だったんですね。今度読んでみます

「大人向けの恋愛コミックならわりかし、キスまり

顔がほてる程度でいいのですけど、小説の方が筆走ってる感じはありますね。

アシモフは「夜来たる」(中篇)しか読んだことがございませんが、

タイトルと簡単なあらすじから想像される童話のような世界とは裏腹に、

「夜が来る」ことを信じる考古学者や科学者とそれを信じようとしない人たちの間に

どろどろの係争最後まで繰り広げて夜を迎えるお話だったのを覚えてます

確かにそういう話は出てこないですけど、硬すぎます(笑)

増田さんがおすすめしていたのは「神々自身」でしょうか。逆に気になって読んでみたくなりました。

十二国紀の新刊楽しみですね。タイトルの「丕緒の鳥」は、

丕緒の脳裏に浮かんだ慶王と二人きりで楽しむ陶鵲の静かな時間に胸を打たれてしばらく戻れなくなったのを覚えています

「落照の獄」は入るのかな。あの話はとてもよくできてはいるのだけど、読むのにすごく体力使いますね。。。

2013-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20130521142009

http://anond.hatelabo.jp/20130521140315

なんだろうな。一言で言えば、それは お父さんでも、フィンランドかどこかにいる公式のサンタクロースの人でもなく

なんだろうな、空飛ぶサンタクロースでもないかもしれないけど

 

人々が思い描く サンタクロースは 本当にいるよ。

もし、疑うなら、その上で、その疑いが気になるなら。 科学者になればいい。芸術家でも、音楽家でもいい

自分の力ですべてを見て、全てを学んで。 証明すればいい。

どちらかわからないけど、みんながこういうではなく。

 

納得行くまで自分で調べて、納得行くまで自分で探せ。

なんだろうな、空飛ぶサンタクロースでもないかもしれないけど

サンタクロースのようなものはいるぜ?

納得行くまで自分で調べて、納得行くまで自分で探せ。

2013-05-17

ニセ科学小考

科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程が、実は全然世間に知られてないってことが(あるいはその認識がないことが)、ニセ科学跋扈する背景にあるんじゃないかと思えてきた

現在日本で観察されるニセ科学が言ってることは、「最先端科学から間違ってるとは言えない」ってことよりもむしろ「ある程度すでに分かっていることから考えてもこれはおかしい」と思われることが多い。

まりニセ科学というのは、ある程度科学者コミュニティ内でのコンセンサスが得られている事柄に反しているのに、それを無視して「科学的」な知識である標榜することだとひとまず僕は理解している。

科学的」であればすべて正しいと考えてしま市民(非専門家)の"性質"を巧みに利用して、「主張」を信じさせようというところに、ニセ科学の罪がある。

後出しですが、ここまで何度か使ってきた「科学的」という言葉を僕は「科学者コミュニティの中での精査の繰り返しによる確かさの増大によって、ある一定の確かさが保証されている」みたいな意味で使っています

科学は正しいことを言っている、という素朴なイメージは間違ってはいない。実際、理科教科書に載っていることは一般的な意味ですべて"正しい(確かだ)"。今日科学文明を見ればなんとなくわかる(ただしこれは価値判断を含んでいる)ように、科学は"信用できない"わけではない。

ただ問題なのは、「科学から正しい」になってしまうことだ。つまりつのまにか、科学的なこと(数式とか専門用語あるいは科学者の肩書など)が言われていればそれは正しいのだと思い込んでしまう。ある意味科学への信頼の表れでもあるのだが。

実際そう考えるのは無理もないことだと思う。学校理科教育は当然"正しい"ことしか教えられないからだ。教科書の中の科学はすべて正しいんだから、"すべての科学(とそれっぽいもの)"は正しいと考えるのはまあ自然である

しかしこれでは見過ごされるポイントがある。教科書の中の科学でさえ、最初からまったく正しかったわけではないということだ。残念ながら普通理科の授業(初等、中等、もしかしたら少なくない数の高等教育でも)では時間の制約上、そういうことに言及されることはない。事実事実として(初めからそうであったように)教えられる。むろんこれは間違ったことではない。学校教育宿命かもしれない。

科学が今のような強固な体系を持っている理由のひとつは、科学が広い意味で積み重ねの産物であることだ。それもただの積み重ねではなくて、数えきれないほど多くの科学者による検討実験による再現性のチェックなどを経たものだ。学術論文をはじめ科学的知識はピアレヴューや引用反証とそれに対する反論なんかの積み重ねで、ある水準の確かさを保っている。

この、科学の正しさが積み重ねられたものであるという認識が、世間には意外とないんじゃないかと思うのです。これはつまり、いわゆる"通常科学"とよばれるもの認識、に近い。

こういう科学の"裏側"みたいなものはあまり世間では語られないような気がする(実際、日本では科学高等教育を受けた人でさえ学部なら4年生になってはじめて(すこしだけ)わかるようなものだろう)。それで科学事実科学事実として生まれる、みたいなイメージ固定化されたら、"科学ベール"をまとった主張をすんなり信じてしまうのは無理もない。相手がそれを逆手にとって、初めから騙す気でいるならなおさらだ

教育の力は大きい。すくなくとも義務教育は全国民が受けるのだから理想論ながら、理科教育科学の多く(ここは大事ですね)は積み重ねの営為によってその確かさ正しさを増してきたのだという認識を育む教育であるべきだと思う。そして"通常科学"におけるその過程もっと積極的に教えるべきだと思います。要するに科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程科学の裏側がもっと世間に知られることが大事なのではないかと。

科学的」だから正しい、という前提が世間にあるために、「科学的」なものの"絶対化"が促進され、その権威に付け込んでニセ科学跋扈する。そしてニセ科学を批判するために科学言葉を使うと、社会科学のなかの対立だと見なして、科学全体に不信感を持つ。さらにこれによってニセ科学に「(ニセ科学を批判している)科学は常に正しいとは限らない」という言い訳を与えている。科学の妄信的権威化の前では、ニセ科学は光に対する影のようなものだ。

まず社会が前提とすべきは、科学の知識の多くは積み重ねによってより正しい(確かな)ものになっていく、さらにいえば、いまこの瞬間もそうなっていっているという認識ではないか。より実践的な意味重要なのはニセ科学は単に科学的な誤りというだけではなくて、現在日本ニセ科学のすべてが、科学者真摯な積み重ねを無視・拒否していることです。しかし、こういった認識はまだ一般的でないような気がします。

もちろん、科学的真理というものがあるとすれば、それは科学者コミュニティの中の多数決で決まるというものでは決してない。単に時間が解決してくれるものでもない。時には、そのとき科学ではまったく説明のできない問題が生じ、"ただの積み上げ"だけでは科学の正しさが保証されない場合もある(というか何度もあった)。しかしながらニセ科学クーンの言う"危機"の発端ではないだろう。むしろ"通常科学"のなかで淘汰されるべきものだ。

ニセ科学という影に対峙するためには、むやみやたらな科学の絶対化は止めるべきだ。しかし、「じゃあ科学の相対化!」という(お決まりの)流れになるのではなくて、まずは世間にある静的な科学観をもうすこし現実にそった動的なものにかえていくべきではないだろうか。科学教育科学コミュニケーションの出番はここにあると僕は思うのです。

そのためには、たとえば理科教育科学史科学哲学科学社会学エッセンスを加えてみるだとか、また理科時間に拘らず、国語社会科時間科学という営みのエッセンスを振り分けてもいい。あるいは実際の研究前線を知っている博士号教員を増やすだとか、そういうやりかたもあるんだろうと思う。

科学の楽しさ素晴らしさを知ってほしい!っていう理科教育はもちろん素敵である。いっぽうで、科学とはどういう営みなのかということを誠実に教えること、あるいはいっしょに考えていくことは、科学のもたらす"正しい"知識を教えることと同じくらい大切なことではないだろうか。"科学という営み"についての観点も含めて、"科学リテラシー"なのではないかなと思うのです。

2013-05-08

データサイエンティスト

データサイエンティストって何?

直訳でデータ科学者

科学者なら誰でもデータを、客観性、再現性を持って扱ってんじゃないの?

オーロラ記録、マウス実験顧客アンケートだってさ。

それって今に始まった話じゃないよね。

それに、データで何でも解決できるとも思えない。

でも、何でも解決できるように煽られてる感じで気持ち悪い。

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