2013-09-06

リーダーとはなんぞや~NLMに行かない理由~

1年生の時からなんやかんやと意識高いと言われいまだに周囲から意識が高いと言われる私ではあるが、今年のNexst Leaders Meetingにはいかない。

まあもとより2010年に行ったのみで、それ以降は行っていないのだが。

招待もされてないのに行かない宣言かよwwwwwwと思われるかもしれないがなぜかやけに関係者に知り合いが多く、やたら長文の招待メッセージをいただいたりしている。

それでも私は行くまいと、そう思っている。

なぜか。

まずは登壇者を見てみよう。

http://nlm2013.info/speaker.html

一見してわかることは「世間受けする人ばかり」ということである

学識経験者西原先生くらいなものだし、なにより自然科学担い手たる技術者科学者が一人もいない。

もっというと官僚もいない。

この人たちの話を聞いて何でリーダーにつながるのは私にはわからない。

そこで、そもそもリーダーとは何ぞや、という話になる。

リーダーとは人を導く存在のはずである

http://nlm2013.info/activity.html を読む限りNLMのいうリーダーにはオピニオンリーダーも含んでいるようだ。

そのこと自体はいい。

だが、オピニオンも何も呼んでいる登壇者は分野としてはごく一部だし、日本にとって喫緊の話題であるエネルギーTPP、税率など、そうした真に社会的に問題であると言える分野の専門家がいない。

あえていうなら林大臣くらいだろうか。

そして、彼らの話を聞いてリーダーになれるのか?と思う。

私見だが、リーダーの素質にひつようなものは「確固たる立場」だと思う。

集団の運営方法としてはワンマン・調整型などいろいろあるであろうが、リーダー集団の中で確固たる立場必要とすることはかわりあるまい。

だが、それは人の話を講演という一方的な形で聞いて得られるものなのか、というと私はNOだと答えよう。

しろ必要なのは自己との対話であり、その道具としての学識であろう。

しかに、NLMは「自己との対話」を掲げている。だが、対話に必要学問なしになにが出来るというのだろうか。

大学生求められていることは他でもなく、学問を積み自己研鑽することなのだから

既に述べたように、登壇者に自然科学を担う人はいない。

社会のあり方と、そこに属する個人というのは科学技術に大きく影響されている。

インターネットしかり、自動車しかり、発電所しかり。

そのことを無視して、社会を語ることは可能であろうか。

自然科学を学ぶ存在……いわゆる「理系」は「根暗」だとか「コミュ障」だとかいわれ、社会の多数派を占める文系諸兄からはいい扱いを受けていない。

だが、実際に自然科学を学ぶ人間として声を大に言わせてもらうとすれば、研究コミュニケーションなしにできるものではないのだ。

研究は独りでやるものではないのだから

社会から隔絶され、隔離されているといえど、社会に与える直接的なインパクトでいえば、自然科学は決して無視できるものではない。

しかし、NLMは意図してか意図しないでか、ほとんど自然科学というもの無視している。

自然科学なしに社会は回らず、どれだけリーダー養成しても意味のないものとなってしまうと、彼らは気がついていないのだろうか。

いってしまえば、学生団体(に限らず大学生サークルというものは)全て自己満足しかない。

その自己満足を自覚し、どう発展させていくのか考えなければ、彼らの活動は泡として消えかねないのだ。

書きたいことはたくさんあるが、腹が減ったのでこれまでとする。

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