はてなキーワード: 最後の言葉とは
★★★★☆
2巻2話。
ニューヨークにて、父親殺しで逃走中の少年が飛び降り自殺をはかる。
少年であったため、警察は生かして助け、裁判を受けさせたいと考える。
たまたまニューヨークに来ていたBJに手術の依頼がくるが、自分にかかわりのないことだと一蹴。
次点で、BJを本人の前でこき下ろした世界的外科手術の権威である教授に白羽の矢が立つ。
名誉を守るため、教授は恥を忍んでBJに助手を頼み、手術は成功し、少年は蘇生する。
しかし、裁判の結果、死刑が宣告され、BJは死刑にするため助けたのではないと傍聴席から叫ぶ。
死刑執行直前、少年は裁判のときに叫んでくれた人へのお礼を最後の言葉にする。
今まさに死刑執行されている壁の内側を、BJは無言でにらみつけていた。
これはめっちゃ覚えてる。
幼心にも印象的だったんだろうな。
まだ出てきてないけどキリコとの対比につながる部分がある気がする。
死刑にするため助けたんじゃない!!どうしてわざわざ二回も殺すんだっなぜあのまま死なせてやれなかった!?
って激するBJが印象的。
二度死んだ少年
えらばれたマスク
白いライオン
シャチの詩
二つの愛
幸運な男
閉ざされた三人
奇胎
からだが石に…
1巻4話。
J.Hという人物から届いた、「ばらっちい」鞘のようなものに包まれたメス。
イニシャルの正体は自分の命を救ってくれた本間丈太郎先生からのものだと勘付いたBJ
それは自分の手術ミスでBJの体内に取り残されたメスがカルシウムで包まれたものだと
人間が生きものの生き死にを自由にするなど、おこがましいとは思わないかと
BJ自らメスをとり完璧な手術をするが、結局先生は亡くなってしまう
手紙入れるつもりだったんならイニシャルにする意味なかったのでは・・・というのは無粋かね
うーむ
人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね
あとはピノコか
こんなものを送ってくるなんて先生とピノコにジェラシー感じてゆのよとか
本間先生についてお話してくれないとデザートのケーキあげまちぇんってのが地味にアクセントでよかった
2.白いライオン
3.シャチの詩
4.えらばれたマスク
5.閉ざされた三人
6.報復
親族死ぬ→激しく落ち込む(原体験)→女の子に出会う→立ち直っていく\(^o^)/単純
綿谷 新(わたや あらた)
永世名人を祖父に持ち、自身も小学校1年生から5年生まで全国大会の学年別で毎年優勝してきた実力の持ち主。小学校卒業後は祖父の介護のために福井へ戻り、千早や太一と離れ離れとなる。その後、祖父の死に関する出来事がきっかけでかるたから離れる。
馬渕 洸(まぶち こう)
成瀬 翔(なるせ かける)
東京から転校してきた少年。菜穂や須和達ともすぐに打ち解け仲良くなるが、どこか他人を寄せ付けない一面がある。転校初日に菜穂達と帰ることを優先し、母親との約束を断ったことがきっかけで母親が自殺したことが自身にとっての最大の心残りとなっている。母親の死後は、祖母の自宅に身を寄せていた。
有馬 公生(ありま こうせい)
生前に母と交わした最後の言葉は「お前なんか、死んじゃえばいいんだ」。その直後母が亡くなり、そのことがもとで演奏中に自分が弾くピアノの音が聞こえなくなるという症状を発症、ピアノから遠ざかるようになる。
これは私が読んだ漫画だけでこれくらい。。。。
繰り返す。はてなの民、増田の民よ。幾千万のはてなの民、増田の民。はてなに集う民草よ。よく聴くのだ。これが最後の言葉である。
はあちゅうの「ちゅう」はピカチュウの「ちゅう」もしくは長虫スカサの「ちゅう」である。
はてなの民、増田の民よ。日ごと集うはてなの民、増田の民よ。よく聴いたか。心に結んだか。はてなの民、増田の民よ。
ありがトーワチキ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
しばらくすると、町の人の間でも、若者の儲けっぷりが有名になりました。
漁師はこのバカな若者に続く、第二、第三のバカが現れることを恐れ、地元ヤクザに若者の殺害を依頼しました。
ヤクザは若者を拉致し、人気のない山奥へ連れて行き若者をリンチしました。
「老人が既得権益を独占し、若者のイノベーションを潰すから日本はダメなんだ」
ヤクザは若者をマグロ加工用の巨大ミキサーで粉末にし、海に撒いて死体を処理しました。
そうして何年かが経ちました。
ある日、漁師達が仕事を終え、寂れた酒場で酒を酌み交わしていたとき、
それを聞いた漁師の一人がこう言いました。
「誰だっけそれ?」
不謹慎だと言われればそうなるだろう。
約2年付き合った一つ年下の彼女。
その時は別に付き合っていたわけじゃないけれど、共通の友達も多かったし、一緒に飲んだりすることもあった。
僕らが住んでいたのは千葉。地震の被害としては東北と比べたら大したことないとかいわれるけど、
数日交通網が麻痺していたのは覚えてるし、コンビニやスーパーから食べものが無くなって、米だけ食べてた数日間とかもあった。
電力消費を抑えるため、地域ごと時間を区切って意図的に停電させるものだ。
「大丈夫、怪我とかしてない?」
「食べ物ある?」
「寒くない?」
彼女はこう返した。
「暗いのが本当に怖い。電気が通ってないって怖すぎる。」
そりゃそうだろう。まだ3月の寒い時期の夜に明かりもない、暖房もない部屋に一人でいたら怖いのは当たり前だ。
実は当時の僕の家は駅のすぐ近くだったこともあって、計画停電の該当地域から外れていた。
不憫に思ったのと多少の下心で、
と伝えた。
そう言って鍵の隠し場所も教えた。
僕がアルバイトから帰ってきた24時頃ベッドに座ってたときもあった。
結局停電期間中は彼女が着替えに行くとき以外はずっと僕の家にいた。
僕は就職活動とか、バイトとかで昼間はほとんど家にいなかったけど、
「20時くらいに帰る」
計画停電も終り、彼女就職のための引越で千葉からは離れることになった。
僕はちょうど自分のロードバイクが盗まれたばかりだったので助かった。
「困ったらまたいつでも頼ってやw」
「もう大丈夫ですw」
とお互い照れ隠ししながらだったが、
「あん時はホント頼りになるし、不安だった私を一所懸命励ましてくれたりしてありがとう」
と言って貰えた。
返事はOKだった。
結婚も決まり、式の準備について話していたのが2014.3.11
「もう3年も前なんだね、あの停電なかったら付き合ってなかったよねw」
本当にそうだと思う。なんの因果か3.11は僕らの結婚の必須の要素だった。
世界は良く出来ている。
とのことでした。
「世界は良くできている」
これそんなに駄目なんですね。震災があって良かったなんて思うわけないでしょう。
僕は全ての物事に因果関係があると考えていて、素直に関心したらこんな表現になりました。
悪気はありませんでしたが、気を悪くされた方々、失礼しました。
忘れられない話があるんだ。
ある日ブタゴリラが野菜を配達しにある民家に勝手口から入って野菜を置いた。
でも誰もいなかったから、冷蔵庫前にかかっていたホワイトボードに
その時、以前に書かれていた「カレーができています」ってメッセージを消してしまう。
翌日その家の小学校低学年の子供が激怒してブタゴリラに殴りかかる。
理由を聞いてみると、その子供は過去に母親を交通事故でなくしていた。
ブタゴリラが消したメッセージはその子の母親が残した最後の言葉だったのだ。
キテレツとブタゴリラはタイムマシンを使って母親が生きていた頃に戻り
その子のために新しいメッセージをホワイトボードに書いてもらう
ついでにカレーも作ってもらって鍋で持って帰ってきた。
俺はどうしても、この話に納得がいかないのだった。
いろいろと考えさせられる部分が多くてすごい面白かった。
薬とか車の部品とか飛行機の部品とか、そんなものがコピーなのかって驚きだった。
需要があるから供給があるだけとか、中国が模倣が尊敬される文化(書道とか)だとか。
サプライチェーンが複雑になると、末端で模倣品が紛れ込んでもわからず、完成品の車や飛行機が生産されることとか…
薬のコピー以外は何が存在してもまあ当たり前なのかな、って思える。
薬は人命に関わるはずなんだけど、コピーがあるのは何でなのだろう。この疑問は「なぜ武器を作るのか」と一緒なんだろうか。
自分がコピーした薬で苦しむ人を知ることがない、っていうのが大きいのかな。出所を突き止められて訴えられるとかもないのだろうし。
世界の反対側で苦しんでる人がいくらいようと知ったこっちゃないのだと思う。それはまあコピーに限らなければ、アメリカとかヨーロッパの国々もそうなのかもしれない。
数年前チュニジアで起きたジャスミン革命を発端にアラブ諸国で革命が起きた。Facebookが大きな役割を果たした現代的な革命。
「日本は海外に比べ平和だし民主主義国家だから革命は必要ない」と言う間抜け友人の為に説明した。
チュニジア革命の根本的な原因は、一部の人間が利権を独占し政治が腐敗していた事だ。
そっくりそのまま日本に当てはまる。
間抜けのために一つ一つ説明した。
政とは政治家のことだが、全ての政治家が汚れているわけではない。例えば誰だか思い浮かべてみるといい。
小沢一郎を思い浮かべた彼は新聞テレビとネットニュースくらいしか情報源がないお馬鹿さんだ。
癒着している政治家が誰だかここで述べるのは時間の無駄。君が見抜く目を持てばいい。
しかし、そもそもまともな政治家は潰される。問題は潰す側の官僚のほうだ。
官とは官僚のこと。
「官僚って何?」
と言った友人にはあきれたが、説明も難しい。
日本の政治を実質的に行っているのは政治家ではなく官僚である。
要するに官僚が政治的権力を握っていると言っても過言ではない。
ただ、内閣に対する国民の支持が高い時など場合によっては政治家が官僚を動かせる。あくまで官僚の権益を大きく損ねない範囲内でだが。
本来、立法は国会の仕事だが、法律を書ける国会議員はまずいない。
官僚が法律を書く。官僚が自分達の都合のよい様に法律を書ける。
「政官財マスコミが癒着してることの何が問題なんだ。」間抜け友人はそう言うので逆に質問した。
「いま日本が抱える大きな問題を思いつく限り言ってみて」
・景気の先行き
間抜けのわりに問題は認識している。
ここで重要なのはこれらは個別の問題ではなく、関係し合っている問題であること。
未来を悲観視する材料が多いと、人々は消費を控えたり、結婚や出産に躊躇する。
これらの問題が改善されないのは、政官財マスコミの癒着構造に根本的な原因がある。
日本経済を立て直し、それらの問題を解決するためには、財政支出を減らし、景気を効果的に刺激する支出を行う必要がある。
がしかし、彼らにその気はない。
医師会や農協など一部の利権を守るため、医療改革や農業改革などが期待できる新たな産業を育成しない。
IT革命が起きてこの20年の間に急激に成長し強力なブランドを築き上げた企業はアメリカばかり。
Apple Microsoft Google Adobe など。
反対に日本はそれらの企業のおこぼれを貰っているような企業か、デフレ企業かM&A企業だ。
日本で最近急成長した企業といえばユニクロやSoftbankだが、デフレの申子と言われている。
新たな価値を生み出したそれらアメリカ企業の足元にも及ばない。
政府は大企業を潰れないように支援するのではなく、ベンチャーが生まれ育つ環境を作るために金を使うべきだ。
変えようとする政治家は潰される。しかし、国民から圧倒的な支持がある政党や政治家が生まれれば、潰すに潰せなくなる。
だが国民にも問題がある。大手マスコミ報道を鵜呑みにする間抜けが選挙で間抜けな投票するか、投票さえしない。
例えば、官僚支配政治を改革しようとしていた民主党の鳩山内閣は始め支持率は高かったが、基地移転問題や献金問題が原因で支持率が下がり、参院選で負けて政権運営が苦しくなり、結果的に官僚のいいなり野田内閣が出来上がり、挙句の果てに小沢を追い出した。
よく考えるといい。基地移転問題は沖縄住民には深刻な問題だが、その他大勢の日本人にとって正直、深刻な問題ではなかったし、できれば近くに移転して欲しくないと思っていたはずだ。それなのに、鳩山が移転失敗した際には日本国全体の大問題だったかのように民主党をひどく非難し、支持率はひどく下がった。
献金問題にしてもそうだ。官僚支配政治に比べたらささいな問題であることを理解できない政治潔癖症の国民が自分で自分の首を絞めたのだ。
衆院選で民主党を支持した国民が、自分に何ら影響のない問題を問題にして参院選で民主党を支持しなかったのだ。
結果、ねじれ国会によって民主党は力を失い、官僚支配政治の改革どころか、官僚に支配される党になってしまった。
そこに国民の間抜けさがよく表れている。その民主党を後から非難する間抜けは救いようがない間抜けだ。
メディアリテラシーが低く論理的思考ができぬ間抜け国民が多い限り、この国の政治が変わることがないだろう。
だが、殆どの国民は原発の問題だけに終始し、その背景にある癒着構造にまで目が行き届かなかったようだ。
売り払った理由として彼が言った最後の言葉で締めくくろう。
「日本の本質的な問題は、人口の減少と増え続ける借金です。財政支出を大きく削減しない限り日本経済は衰退していくだろうしデフォルトだってないとは言えない」
間抜け友人は言った。「デフォルトって何?...」
...
ある人の葬式に行ってきた。
自分も大好きだったその人は、某大型宗教の敬虔な信者だった。夫婦ともに。
2ちゃんねるでよく叩かれているその宗教は、まあ選挙前になるとちょっと電話がわずらわしいけれども、直接の実害があるわけではないし、「自分にとってよくわからないもの」という不安はあるものの、取り立ててわざわざヘイトを表明する対象ではなかった。少なくとも俺にとっては。信じてる人に親切な人も多いし。
今回参加した葬式は、俺の知っている浄土宗だか浄土真宗だかの葬式とはいくつかの点が違っていた。
俺の知ってる通夜は坊主が来て、読経があって、お布施だのお車代を渡してといった感じだったけどそうではなかった。親族でも友人でもない、喪主でもはっきり誰なのかわからないような人がたくさんやってきて、その中で一番偉いっぽい人がリーダーシップをとってお経を唱える。皆がそれについて一斉に読経するのだ。通夜が終わったら誰だかわからない人たちはあっという間に帰っていく。
そんで葬式。
まず受付が違う。親族や友人、職場でお世話になった人用の受付と、その宗教の方々の受付が別に用意される。署名してお布施を受け取るんだけど、その宗教の方々専用の受付では署名しかしない。お布施を受け取らないから引き出物も渡さない。
会場は前後で半分に分けられる。前には親族や友人が。後ろにはその宗教の方々が。後ろ半分はあっという間に席が埋まる。座りきれずに立っている人もいる。どうやら故人は、県内でもわりと高いランクの人だったみたいだ。
葬式開始。
司会のおじさんがマイクで、県内でも偉いランクの誰々さんが来てくれている、みたいな説明をする。その人が棺の前に立つと会場後方のあちこちから数珠をこすり合わせるギョリギョリという音が聞こえる。俺が知ってるのと違う、長くて大きくてところどころ枝分かれしている数珠。
棺の前には、戒名の代わりに、今回授与された「称号」が飾られてる。二階級特進みたいなものかもしれない。
会場いっぱいに広がる読経の合唱。リーダーシップをとる偉い人、マイクを持った司会、会場後方の信者の方々が一斉に、はっきりした声でお経を唱えている。初めは凄い音量だなと驚いていたがあっという間に眠たくなる。
でも会場に三色の旗が飾られているわけでもないし、会場前方の席の皆さんは普通だし、これはこれで、そんなに大した差異でもないのかな(許容範囲かな)とか思ったりしつつ、何しろ故人が惜しまれて仕方がないわけで、ご家族からのお別れの言葉で俺はめそめそ泣いてるばかりだった。
そしたら俺の涙が引っ込むようなことがあった。リーダーシップをとってる偉い人(普通の葬式で言うところの坊主役)のありがたいお話のところだ。
故人のことも知っているらしく、思い出話をしつつ、故人が苦しまずに旅立たれたことがせめてもの救いだといった言葉もありつつ、人の命とは、残された我々はどうやって生きていくべきなのか、みたいなありがたいお話があった。内容はふつうに理解できる、何らかの方向に偏ったものではないように感じられた。
ただ、最後の言葉だけ違った。「~であるからして、皆さんもこれからも、この宗教を広めることをもっともっと頑張りましょう」という内容の言葉で締めたのだ。「広布」という単語を使っていたと思う。
葬式の最後は喪主の挨拶だ。メモを見ながらも自分の言葉で、故人が如何に家族や友人を愛し、愛されて過ごしてきたかを語る胸にしみる挨拶だった。俺はまためそめそ泣いた。ただ、ラストだけ違った。突然メモを読み上げるようにして、自分の言葉じゃないお決まりの文句のように「これからも広布に励んでまいります」的な言葉で締めた。
正直なところ、なんなんだ、って思ったよ。
どんな宗教を信じたってかまわない。心底良いと感じているものを好きな人におすすめするのだって自然だ。俺はやらないけど、故人が夫婦で信じた宗教なんだから否定したくないし、故人の本望なのかもしれない。
でもなんで、最後の最後で、会場にいる仲間に「これからも我らが宗教を広めるのを頑張ろうぜ」って言葉で締めくくらなきゃいけないんだ。親族にとっては、ご友人にとっては、故人を偲ぶ会で別れを惜しんでいる俺らにとってはそれは「求めてないプラスアルファ」だって感じた。なんで故人を偲んで終わりじゃダメなんだ。なんでなんだ。
俺は、俺の葬式では同じようにしてほしくないって感じたよ。例えば俺がものすごい極端なジャイアンツファンで、弔問客の9割がジャイアンツファンで坊主もジャイアンツファンだったとしても、最後の最後で誰かに「だからジャイアンツ優勝を祈念しましょう、ファンを増やしましょう」とか言われたくない。俺がジャイアンツ狂いなのかもしれないけど、それじゃなんだか……バカみたいじゃないか(ジャイアンツファンの方、関係者の方、すみません。たとえ話です。他意はないです。俺、野球興味ないのにごめんなさい)。
葬式を終えた今。それまでその宗教は「自分にとって良くわからないもの」というステータスだったけど、今はなんとなく、「故人の葬式を利用しようとしている」という点で、ネガティブポイントが追加された状態です。なんなんだあれ。なんなんだ、って思ったよ。
なんかねー、ブログ消した。
理由はほんとにくだらないことで、ネット上の話ですらない。なんかもう、ほんとうにどうしようもないこと。
ネット疲れとかじゃぜんぜんないすよ。
これ以上どうしようもないことがあるんだろうかってくらいに。
つーか増田ってこれ妙に幅が広いな。改行自分で入れてやらなきゃだめか。
なんつーかまあ、過去の自分がすべて呪わしくなるようなことやっちまった。
ま、そんなおおごとだと思ってるのは俺だけで、実は世の中にあふれてる些細なことだとは思うんだけど。
ああ、身バレとかじゃないすよ。
で、過去の自分っていうと、まあ現に生活して生きてる自分は消せないじゃん。
それができる年齢ってとうに通過してるからさ。
でまあ、消せる自分からとりあえず消していこうかなーと思ったときに、
いっちょ軽くネット自殺でもやってみますか、と。そう思ったのね。
まあ、ここに至るまでの心理の流れは、ほとんど自暴自棄ってやつなんだけども。
はてダはほら、俺の本拠地だし。あとまあ、別に知ってる人も少ないんだけど、mixiには
そんで、ログなんかとっとかないじゃん俺。
だから「本当に退会する」を選んだら、ここ数年の俺のテキストで全部消える。
「消すのはひどい」って、そう言ってた人がいてさ。それは俺もそう思うんだ。
まあ、ひどいよな。
あれ、そういや増田ってこれ、文字数の制限あんのかね。まあいいや。
ひどいとは思うんだけど、呪わしい自分のカケラがネット上に散乱してるのって、無理。
まあ、どうせウェブアーカイブさんやらキャッシュやらで、一部は永遠に残リ続けるわけだけど。
それにほら、いまのこの気分って一時的な衝動だから、この気分が一ヶ月か二ヶ月かして和らいで、
そんで戻る場所があったらまたのこのこと戻ってくんのよ俺。もうそれは確実。
そういうのいやだなーと思って。
それってほら、クソじゃん。ゴミじゃん。汚物じゃん。
死にてーでも死にたくねーよってだれか生かしてくれーとかさ。そんなんだれにとって
意味があるんすかって話ですよ。
でもあんがいそうでもなかったらしいんだよね。クソを鑑賞する人もいるらしい。
ほら、うんこっていっても、あんまりに素晴らしいかたちしてたら、見る価値あるかもしんないじゃん。
そんで俺は、うんこの脱臭技術を身につけて、うんこ垂れ流しつづけたわけ。
そうやって、いつかはてなにたどりついて、気がついたら、まあブロガー?みたいな立場になってた。
なんかねー、読まれたんですよ。読まれたから生きてこれた時期ってのが確かにあったんですよ。
でもいまは別に読まれなくても死なないしさ。
楽しくなかったかって言われたら、そんなことないわね。
たとえば俺がIDなりアカウントなりブログ名なり名乗ったら「まあ聞いたことある」程度の人って、たぶん万単位は
確実に行くんじゃねえのかな。俺はあんまそういうの気にしないほうっていう建前だったし、実際、ネット上での活動の
大部分は、引きこもった場所でやってたんだよね。最近はわずか数人の人たちだけ相手に、死ぬほど
長文の日記書いてたしさ(まあ、あれが直接の理由)。
でもそういう場所でだって、背後に「あの」っていう権威は背負ってて、そんで俺、自分にそれを許容
してなかったかっていったら、それは絶対ないわけ。心のどこかには「俺がなんか書けば人呼べる」
みたいなのあって、それもひっくるめて、もう呪わしくてたまらないものになった。
そんで、はてなもmixiも退会して、ローカルにあったテキストも全部消して。
これで、ここまで俺が書いてきたものは、すべて消えた。
ほなさいならなーと思って、万年筆でノートに文章書き始めたんだけど(病気か)、でも、未練ですなー。
インターネットに「ほなさいならなー」の一言も残せずに去るのはちょっとさびしかった。
んで、捨てアカ取っていまここで増田書いてると。まあそんな流れです。
いまの俺がネット上から消えることで、迷惑をかける人、がっかりさせてしまう人、まあいると思います。
ごめんなさい。
本当にごめんなさい。
いままで読んでくれた人たちは、それだけで俺を文字どおり「生かして」くれたのだから、その恩に報いるためにも
ログは残しとくべきだったってのはわかってる。
これは裏切りだ。
それわかっててもダメだった。自分の存在がどこかに「ある」のを見たくなかった。徹底的に消したかった。
そんでもって、俺には「ありがとう」を言わなきゃいけない人も、きっとたくさんいます。
個人名あげていくと、あとで「あの人忘れた……」的な感じになるのでやんないけど。
俺みたいなくるくるぱー相手につきあってくれてありがとうございました。
俺はインターネットがなければ、きっとなにものにもなれなかった人間です。
インターネットがあったから生きてこれて、インターネットがあったから文章を読んでもらうことができて、
知人もインターネットにしかいなかったし、友だちですらインターネットが連れてきた。
まあ、俺がだれであるかは、タイミングと文体でモロバレもいいとこだと思いますけど。
といってもニコ動のアカウントはそのままだが(別に言わなくてもいいことだろそれ)。
まあ、別の名前でどっかにのっそりと存在するかもしんないけど、いまのとこその予定はないです。
そんなわけで、なかなか楽しかったです。
長年悩まされてきた不整脈が、ほぼ完治してきたので、自分なりの方法を書きます。
もし、不整脈に悩まされている方がいましたら、参考になれば幸いです。
■発症
のように、食い気味の拍や、本来は休符の場所に拍を入れる感じ。
今まで、ひどい風邪をひくとたまに不整脈が出ることがあったので今回もそれかな?と思ってたら、一週間続いたのでこれはよくないと思い病院へ。
■最初の通院
医者曰く、「よくある病気である。基本的には対症療法しかない。カテーテルアブレーションというのもあるが、そこまでの症状ではなく、普通に運動もできる。なんなら私も不整脈なんだよ」ということを言われた。
最後の言葉は、ちょっと医者としてどうなんだ?と思ったけど、結局これといった解決策もなく病院をあとにする。
■運動をしてみる
対策として、あえて運動をしてみた。
走ってて、最初は胸に違和感があったけど、ある程度激しく運動をすると胸のつかえが取れる感覚を覚えた。
その後しばらくは、不整脈が出なくなった。
なんだ、ただの運動不足か、と安心しきってたら数日後あっけなく再発。
また走ればいいやとしばらく放置したのち、再度ジムに行って激しく走ってみたものの、何と不整脈持続。
軽く焦り始める。
■二回目の通院
つまるところ、この手の不整脈は往々にして精神の問題から来るもの、とネットには書いてあった。
確かに、当時の自分は悩める子羊で、仕事の事や将来の事、家族の事など、今となれば「やりゃいいだろ」というような細かいことまで悩んでおり、
それが原因だという自覚があった。
なので次の一手としては心療内科に行ってカウンセリングを受けることにした。
これが解決すれば不整脈も治るかなと足繁く通った。
結果、悩みの一つである将来の事に関しては、転職をしてみようという決意に至り、活動をすることにした。
■サンリズムという薬
直接療法ではないが、症状を軽減してくれる。
仕事に集中できるためしばらくの間服用を続けた。
こんな状態の最中、転職活動を行った俺すごい、と一応自画自賛もしとこう。
加えて、こんな状態でも日々の通院や転職活動を容認してくださった前職の関係者の方に、ホントに御礼申し上げます。
■三回目の通院
転職を果たし、新たな地に移り住む。
さすがに三回目となると、こっちとしても説明も慣れたもの。
自分で「期外収縮」だと言うと、医者もあまり関心がないのか、たまたまその先生が専門外なのか、あまり親身になって聞いてくれなかった。
「あまり気にしないことですよ。運動もほどよくしたほうがいいです。悩みすぎないように」
という、俺でも言えそうな言葉をもらい、何となく釈然としないが薬をもらうためにしばらく通院。
■薬への耐性
薬も服用を続けると、体に耐性ができてしまって、なかなか効かなくなってきてしまった。
成分の密度が濃いワンランク上の薬をもらうこともできたけど、いたちごっこのようにまた効かなくなるだけなので、もう服用をやめた。
その頃には、多少の諦めもあった。
■不整脈が出る周期
説明がものすごく難しいけど、胸のあたりにドーンという深い重みが襲ってくるような感覚、一瞬の焦り、息が詰まる、のような体験をすると、翌日には不整脈の激しさが増す。
かといって、打つ手はなかった。もうカンセリングも受けたし、また受けても同じかなと。
ただ、解決策は徐々にわかり始めてた。
一般的に不整脈の原因の一つとして「自律神経失調症」があり、副交感神経の働きが弱いと不整脈が出やすくなるらしい。
そこで鍼をうってもらい、無理矢理にでもリラックス状態になってみたら何か改善されるんじゃないかと思い、試しに鍼灸院に行くことに。
結果、かなりリラックスはできた。
その他、温泉に行ったりマッサージを受けたりと副交感神経が優位になるようなことを行った。
しかし、完治はしなかった。
■光明
とはいえ、今までなかった「不整脈が出ない日」というのが、ちょっとずつ増えてきた。
何か、もう少しな気がしてきた。
家に居る時は不要な悩み事をしない、腕組みなどの交感神経が優位になるようなことをしない、
などを行った。
そういうクセってなかなか治らないけど、
「もうこれ以上不整脈が続くと、いくら心臓に問題の無い期外収縮とはいえ負担はかかってしまう」
と考えたら、ある種の防衛反応で悩みすぎる事もなくなってきた。
「だって死にたくないもん」と考える事で、細かい悩みは持たなくなってきたように思う。
■とどめの対策
それでも症状は出る。
あとちょっとなのになぁ、と歯がゆい気持ちになり、それが悪循環になり症状が悪化したり。
でも、自律神経の乱れが原因と決めつけて、いろいろ調べた結果、以下のことを試す。
マグネシウムの摂取は、体の神経系の異常を正常に戻す、という記事を発見し市販のサプリを購入し服用を始めた。
すると、服用後1ヶ月でほとんどと言っていいほど症状が出なくなった。
今も再発の不安は残るけど、このまま無くなる気がしている。
一袋300円弱。すごくリーズナブル。今まで高い薬を買ってたのがアホらしく思える。
■まとめ
という結論に至るにはちょっと自信ないです。
結果としてそうなったけど、精神的なものの兼ね合いだと思っています。
発症後すぐに投与しても変わらなかったのかもしれませんし。
一度虐殺器官を読んだ人(=自分)が内容を思い出すためのもの。
第一部
1
死者の国の夢と、そこに現れる死んだ母さん。
2
僕は「濡れ仕事屋(ウェットワークス)」として、二〇一〇年代後半に頻発する内戦をおさめるため、「レイヤーワン」を殺してきた。レイヤーワン――罪の多寡とは無関係に、それを殺すことでもっとも効率的に争いを終結させられる標的。
仕事で殺してきた数多くの(時に罪のない)標的のことは少しも心に留まらないのに、プライベートでの、母に対する医療行為の打ち切りを決断したことで、僕は気を病んでいる。
3
仕事で、二人の標的AとBを殺すように命じられ、異国に入る。標的Bについての情報は、上司から与えられているはずなのだが、それが上司の意図により隠されている。
4
標的Aはその国で虐殺行為を率いていた為に、ぼくの手により暗殺される。
ぼくは標的Aに、なぜそのようなことをしたのかをきくが、彼はしきりに「わからない」と繰り返す。
標的Bはすでにそこにはいなかった。
第二部
1
彼はしばしば「地獄は頭の中にある」と言っていた。
ぼくの父も、かつて自殺したのだった。
標的B――ジョン・ポールを追って、僕らは殺しを繰り返してきた。彼は内戦から内戦へ渡り歩いているようだった。
だが、ぼくらが暮らすアメリカは、「ドミノ・ピザやペイムービーのリピートの平和」か支配し、戦火とは無縁だったのだ。
2
ペンタゴンに召集される。
そこで「ジョン・ポールは軍とは無縁の文人、学者でいる」、「しかし、彼が関わった国は決まって内戦が起こる」と聞かされる。
彼は今度、ヨーロッパに入ったらしい。
ぼくの新たな任務は、チェコで彼を追跡すること。
3
死者の国の夢――「死体は物質にすぎない、生きた人間も」と母さん。
幼少時、僕は家の中で母さんの視線を感じ続けて育った。その視線から逃れるために、「濡れ仕事屋」を始めたのだった。
4
ジョン・ポールと関係を持つらしい女、ルツィアと接触する。チェコ語の講師をしている彼女の生徒として。
ルツィアに、「言語は進化によって獲得された『器官』である」という話を聞かされる。
5
チェコ・プラハで行方をくらませた人間(ジョン・ポールもそうかもしれない)のIDの追跡可能性はゼロらしい。
9・11のテロとの戦い以後、認証を繰り返さなければ買い物も交通機関を利用することもでしないのに。
ルツィア曰く、「ジョン・ポールはもともとMITの学者だったが、いつからかDARPAの研究(ぼくが使う武装、SOPMODを作ったのもDARPA)をするようになった」
6
ルツィアの部屋からの帰り、若者におそわれるが返り討ちにする。おそらくは、ジョン・ポールの協力者。
IDトレースによれば、かつてジョン・ポールとルツィアが密会していたとき、彼の妻子はサラエボで核に吹き飛ばされた。
第三部
1
死者の国の夢――夢の中のプラハでは、例の虐殺が発生していた。
その夢でも、母さんが現れる。
「母さんは意識はなかったけど、内蔵は動いていた。そして、ぼくが医療行為の中断を認証した。
……母さんが死んだのは、ぼくが認証でイエスと言ったときだったんだろうか?」
「あなたは、任務での殺しでは「それは政策が決めたことだ、自分が決めたことじゃない」と、責任の重みから逃れられた。
でも、医療の中断の責任からは逃れられない。あなた自身の決断だから。
……そう思っている。もしくは、中断をする前から私は死んでいたと信じたがっている。
けれど、本当は、私だけじゃなく、あなたがころしてきたすべての人々が、あなたの決断によって死んだ。
私を殺した罪を背負い込めば、あらゆることが帳消しになると思っているの?」
2
夢の虐殺後の静けさとは裏腹に、プラハのあるクラブには、生き生きとした騒々しさが満ちている。
そのクラブでは、IDを認証せずに支払いできる紙幣(みなくなって久しい!)を使うことができる。
「プライヴァシー(認証されない)自由と、テロの自由からの恐怖はトレードオフ。自由の選択の問題」
3
ジョン・ポールの妻子がサラエボで核の熱で蒸発したとき、彼女はジョン・ポールと不倫し、セックスを楽しんでいたという罪の告白。
罪悪感の対象が死んでしまうということは、いつか償うことができるという希望を剥奪されること。
死者は誰も許すことはできない。
4
「濡れ仕事」で数々の骸を見、中央アジアからワシントンに帰ってくると、母さんは事故で死んでいた。が、彼女の心臓は再び動き出した。――危険な軍隊へ行ってしまったぼくへの復讐として、ぼくに生き死にを決断させたかったから?
決断の材料を探す為に、母さんのいえ――ぼくの生家でもある――に行く。
かつてそこでも母さんの視線を絶え間なく感じながら、ぼくは育った。
見つめられることの安堵は、(認証され続けることの安堵は、)息苦しさの表面にすぎない。
結局、母さんの残したログは見ずに(ロックがかかっていて、他人が見ることはそもそもできなかった)、ぼくは母さんの「死」を決断する。
――母さんの視線の「気圧」から逃れたくて、ぼくは母さんを「殺した」んじゃないのか。
5
僕の告白に対してルツィアは、
「人間は生得的に善ね利他行動を行える。あなたの、お母さんを「殺した」決断も、本能による利他の行動。だから、あなたは許されるべき」
ルツィアとの帰り道、気を失う。
ジョン・ポールによる電撃を食らって。
6
とらえられた僕は、ジョン・ポールと会話をする機会を得る。
虐殺の言語は、僕の装備を作ったDARPAが協力した研究により生まれ、僕の殺す対象を選ぶのと同じシステムを利用してる。
7
ルーシャスは、〈計数されざる者〉という、ポールの協力者集団の一人だったのだ。
〈計数されざる者〉は認証を嫌う。プライバシーと平和はトレードオフの関係にあるはずなのに、実際は、認証をすればするほどテロが増加している。
それは、世界の人々が、自分のことにしか興味がないから。ドミノ・ピザとビデオクリップの平和に浸っているから。すぐに手にできるはずの現実に手を伸ばそうとしない奴らばかりだから。
ジョンとルツィアは去る。
僕はルーシャスに殺されかかる。その寸前のところで、ウィリアムズに助けられる。
第四部
1
旧印パ国境地区。そこにいるらしいジョンをとらえるように命じられる。
2
痛いと「感じる」ことはなくても、痛いと「知覚する」ことはできる。人をためらうことなく殺せても、その殺意を自分のことのようには感じない――僕は「濡れ仕事」をこなせるように、DARPAによって、そのように調整されている。
――「殺される」前の母さんと同じ、希薄な意識だ。僕が「濡れ仕事」をするために必要な、意識の希薄さ。
この殺意は、本当に僕のものなのか、僕が「殺す」前、母さんが本当に「死んで」いたのか、僕にはわからない。
3
4
ジョンを文化顧問として雇った、ヒンドゥー原理主義国、ヒンドゥーインディア。
その少年・少女の兵を、「他人の殺意」で殺しながら、ジョンのもとにたどり着き、彼をとらえる。
5
ジョンは、
「私が行っている「虐殺の言語」と、きみが施されている「「他人の殺意」による殺人」は同じだ。どちらも、良心を抑制する」と。
ぼくは、
「あんたには内通者がいるな。政府部内に。僕らの面子か、もっと上のほうだ」
ぼくらアメリカと同等の技術を持った敵によって、列車が襲われる。ジョンは僕たちによる拘束から逃れる。
僕たちも敵も、痛みを「知覚」するが、感じない。体の部分が吹き飛ばされても、戦闘は続く。お互い、「ハンバーガーになるまで弾と火薬をたたき込むしかない」。
リーランドはミンチになりながら、死の間際まで、冷静で希薄な意識で戦い続けた。
第五部
1
インドでミンチになったリーランドは、商品と違ってメタヒストリーを持たないから、つなぎ併せて一つにして、棺に納めるだけでも一苦労だった。
それでも、ミンチにさえならなければ、認証によるメタヒストリーを僕らは持つ。母さんもそうだった。
母さんのメタヒストリーがプロテクトされていなければ、僕は母さんを「殺す」か否かの決断を、認証の蓄積によるライフログを手がかりに探すことができた。
リーランドがミンチになった戦いがきっかけで、ジョンとの内通者が発覚する。
2
発覚した情報を手がかりに、ヴィクトリア湖へとジョンを追う。そこは、誰も追おうとしない人工筋肉のメタヒストリーの行き着く先。
〈ヴィクトリア湖沿岸産業者同盟〉は、人工筋肉の利権を得るために、独立しようとしている。
3
ジョンがいるはずのゲストハウスにルツィアを見つける。
ルツィアを探してゲストハウスに入ると、ジョンが待ちかまえていた。
4(物語のコア)
ジョンは、
「虐殺も利他も、進化によって得たモジュールという点で同じ。むしろ両立すらできる。生存のための大量虐殺というのもありうる。たとえば、食料を多部族から奪って自部族の仲間を生きながらえさせるためだったり」
ルツィアは、
「あなたは、サラエボの奥さんや子供を失って絶望しているから虐殺の言語をばらまいているのね?」
ジョンは、
「いや、愛する人々を守るためだ」
――そうだ。ジョンがいたどの国も虐殺に見回れていたはずなのに、彼の過ごしたアメリカとチェコでは、それが起きていない!
5(物語のコア)
ジョンは、
「人々はみたいものしか見ない。だから、いくら認証しても、テロはなくならない。
ならば、テロで爆発するはずの憎しみがこちら、アメリカやチェコといった先進国に向く前に、彼ら同士で憎しみあってもらおう。――そのために、虐殺の言語をふりまいた」
ジョンは、ぼくらの世界へのテロを未然に防ぐため、虐殺の旅を重ねた。
ルツィアは僕に、ジョンを殺さずに逮捕するように言う。僕らの世界の平和は、ジョンによる無数の死者の上に成り立っているのだと、みんなが知るべきだと。
と、ルツィアがヘッドショットを決められて死ぬ。
ウィリアムズによって。
「なぜ殺した」と僕。
「妻と子のためだ。彼女らは、この世界が虐殺の上に成り立っていることを知らなくていい。
ドミノ・ピザを認証で受け取る世界、くそったれの平和な世界を、俺は彼女らのために守る」
ウィリアムズはジョンを殺したがっているが、僕はルツィアの最後の言葉の通りに、ジョンを生きてアメリカにつれていき、証言の場に立たせたい。
ジョンとともに、逃げる。
「おまえを逃がせばまた、虐殺の言語を振りまくのだろう?」と僕。
「いや、死んだルツィアの望んだ通り、世界に真実を知らせよう」
タンザニア兵と合流しようとするが、それはタンザニア兵になりすました、僕の「濡れ仕事」の仲間だった。
彼がジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
……僕は、プロテクトがあるためにライフログを見られなかったのではない。ただ、漠然とした恐怖があって、ライフログの閲覧を申請しなかっただけだ。
僕は幼いころ、常に母さんに監視(ID)されているような気でいたが、母さんのログを読んでみると、必要最低限にしか、僕の存在が記述されていない。
母さんの記録の中に生きていたのは、圧倒的に父、自殺したはずの父だった。
僕は、ジョンからもらった手帳を元に、虐殺の言語を語る。虐殺の言語でもって、ルツィアの願い通り、真実を世に知らせるのだ。
そして、世界にとって危険な、アメリカという火種を、虐殺に突き落とす。
僕はこの決断を背負う。ジョンがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。
☆改変版
ジョンは、
「いや、私は米国内の後ろ盾を失った。深層構造の原理を知られれば、たかが言葉だ。応用されるのも時間の問題だろう。マスコミや政府公報で、いくらでも虐殺の言語を打ち消せるさ。
だが、私は〈計数されざる者〉という新たなバックアップを得られた。認証に対して憎悪を抱く、世界的な組織だ。この力を使えば、私たちのすむ「こちら側」を静寂に保つことができる」
「なにをするつもりだ?」
僕の「濡れ仕事」の仲間が、僕がジョンの答えを聞く前にジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
僕はジョンに、「真実」が書かれたテキストファイルを渡されていた。
それを世界に知らしめ、僕たちが虐殺の上にたっていることをみんなが理解することがルツィアの願いなら、僕はそうするべきなのだろう。
公聴会で、ぼくはジョンの件で見聞きしたものを語る機会を得る。
ジョンから渡された「真実」をオルタナに浮かべて話そうとする。
すると、僕が見ずにいた、母さんのライフログをオルタナに突きつけられる。――これが、〈計数されざる者〉、ジョンが最後に得た力か。
幼少の僕は、母さんに監視(ID)され続けていたと思っていた。しかし、母さんのライフログには、あまりにも父ばかりがいる。彼の死語ですら。
それを皮切りに、次々に、アメリカの全議員、いや、オルタナをつけているすべての人々の視界に突きつけられる、真実のログ。世界からアメリカに憎悪の数々が向けられているという真実。〈計数されざる者〉のルーシャスは言っていた。プライバシーの提供と、テロとのトレードオフの不均衡は、みたいものばかりを見ることによって起こると。認証の中に閉じこもり、ドミノ・ピザとビデオクリップの平和の外を知ろうとしないことで起こると。
ふと、アメリカはもう死んでいるのだと思った。母さんに視線を返せない、父さんのように。憎悪を浴び続け、しかしそれを無視しているアメリカは、死んだ父さんと同じだ。
……だが、アメリカに憎悪を向ける小国とて、自分の窮状をしらしめようと騒ぐばかりで、他の小国を知ろうとすらしていないのだ。僕が母さんのログを見ようとしなかったように。
ジョンが行った、〈計数されざる者〉の力の改変。それは、小国の内部で争いを起こす虐殺の言語よりも規模が大きなものだった。互いに無視しあっていたずの、小国と小国の視線をぶつけ合わせる。そして、小国同士で戦争を起こすことで、「こちら側」の平和を保とうとするものだった。
ジョンの考えと僕の考えは違う。
母さんが僕を見ないのは、父さんというすでに存在しない項があるからだ。アメリカからの存在しない視線を小国が期待するように。
存在しないものを、存在しないと意識させること。僕にはそれができる。ジョンから得た「真実」の欠片、虐殺の言語と、僕のマザータン、アメリカで語られる英語によった。
改変前は
だったんだけど、
これはなんか、最後の最後でシモンがちゃんと答えてないみたいで気持ち悪かった。
形式的にも状況的にも、アンチスパイラルからシモンへの要請だったのに
「ええ、問題なくやっておくと思いますよ…あいつらが」みたいな。
急によそよそしくよそへ振る。
一見請合ってるようでどこか、お願いした側が不安になるような答え方。
最期に敵の立場を捨てての「ちゃんとやってくれよ」っていう願いの言葉に
吼える感じ一辺倒の返答をするのは無礼で愛想が悪い。
相手の危惧や念押しは「当然だろ!そんな心配すんじゃねえよ舐めてんのか」と強い態度で一蹴しておきながら
保証の話になると「ちゃんとやると思いますよ…私じゃない奴が」ではスッキリ消えられない。
ああいう答え方を書いた人の気持ちはわかるよ。
あそこでシモンが個人対個人の会話のように「おう任せとけ」って言ったら
傲慢になってしまうだとか、もう人類って言うかシモンがすげーだけじゃん、って思われてしまう危険があったと。
(この発想はもちろん、帰還後に総統引退して旅に出てしまうのともつながってる。)
だからあそこは人類の・螺旋族の総代としての立場からの返答になった。
でもさー、熱血に殴り合って殴り合った相手の最後の言葉に政治家答弁でレスは無いでしょ。
シモン「ああ… お前も一緒に祈ってくれ」
すべての問題を解決しつつ
大変すっきりしました。
マスゴミは嫌いだけど、今回の件は徹底的に潰してヨシ!!、全力で応援する!!
松本復興相、記者会見中に突然サングラス
松本龍復興対策担当相は28日、就任後初となる記者会見を行った。重責を担い吹っ切れたのか、質疑途中にサングラスをかけ、自ら率いる被災者支援チームを「チーム・ドラゴン(龍)」と命名した。
バカじゃねぇの?
シャレこいてる場合じゃねぇし、フジテレビは勝手に名称を使うなと訴えればいい。
松本復興相、宮城県の村井知事を叱責
松本龍復興担当大臣が就任後初めて、3日、宮城県庁を訪れましたが、村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、知事を叱責しました。宮城県庁を訪れた松本龍復興担当大臣。村井知事が出迎えなかったことで顔色が変わります。
「(村井知事が)先にいるのが筋だよな」(松本龍復興相)
笑顔で現れた村井知事、握手を求めますが、拒否。応接室が緊張します。そして要望書を受け取ると、松本大臣が語気を強めて自らの考えを伝えます。
「(水産特区は)県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ。ちゃんとやれ。お客さんが来るときは、自分が入ってきてからお客さんを呼べ。長幼の序がわかっている自衛隊なら、そんなことやるぞ。しっかりやれよ。今の最後の言葉はオフレコです。書いたらもうその社は終わりだから」(松本龍復興相)
あきれた。
こんな奴に復興に関わる全権力を集中させたらヤバイよ。絶対ヤバイよ。ただの独裁者じゃん。
気がつけば大学4年間なんてすぐ終わると言われたのが、入学当日。
俺の場合「あとちょっとで大学生活が終わってしまう」という言葉が、折り返しの3年生の春から、心の中で続いていた。
内定も出ていて、この春から働く。過労死しない程度に頑張りたいと思う。
着てるもの以外は地味な子だった。無口というより、他人に流されているような人間。無感情。
ただ、服が可愛かった。そんなんで、好きになってた。
一度だけ、目があったことがある。
それからだ。
近づくだけで、背中の毛穴が開いて、痒くなって、そこから汗が染み出す。痒みが、微かな痛みを帯びる。
目に入る範囲を歩くだけで、気取らなきゃ、と焦る。微妙に顔の表情を変えて、無関心を装いながら。
そんな淡い日々も、気がつけば、
俺には一個上の彼女がいて、
あの子は可愛い服ではなく、とっても地味なスーツを着て、大学に通っていた。
でも今、俺には彼女がいて、
天秤にかけても、今の彼女が好きで、
でも、あの子と話しをもっとしてたくって。
違う話になって恐縮なんだけどさ、
そこで彼女と知りあったのもあるし、仕事も見つかったから、もうどうでもいいけど。
で、最近、体力もちょっと落ちた気がする。
周りの女子も、すこし肌がくすんでるような気もするし、
年を取るのが嫌になってきてる。
今はそんなこと微塵もやりたくない。
何が言いたいかってさ、
俺みたいな奴はたくさんいると思う。
高校から出てきて、ちょっと背伸びしようとして、
そういう白痴こそが、昔の俺なんだ。
以上が俺の後悔。
100人にも満たない中小企業の小さな会社で社長は懸命に業績回復に努めてくれた。
僕にとっては初めて出会った「大人らしい大人」だった。
毎日送られてくるメールからは彼の考え方や思想が読み取られ、そのどれ一つとっても考えさせられるメールだった。
社長とは強面で上から押し付ける態度で威張ったりするものだと思っていた。
しかし彼は威張ったりえばったりすることなく物腰柔らかな調子で、しかし目は決して笑うことなく淡々と物を諭すような、そんな人だった。
「もう言葉がない」
彼のストーリーはその日に終わったのだ。
65歳という年齢だがまだ働きたいらしく、駐輪所のバイトで時給850円で働くと言っていた。
いつか終わる日が来るんだろう、そう思った。
これを問題にしている人はかけ算を単に「暗記」で覚えて
「そもそもかけ算とはなにか」を全く考えてこなかった人なのでは?
と、考えざるを得ない。
元になった問題はこう。
「5枚のおさらに3個づつリンゴがのっています。リンゴは全部で何個?」
で解答欄に式と答えを書くようになっている。
これが単に計算式だけ書いていれば問題だったろうが、上記のような文章問題において
重要なのは、「答えを出すための過程」である大前提があることを忘れてはならない。
でなければ、式を書く欄など要らないではないか。
故に
計算式は「3X5」でなければならない。
決して、問題文からは「5個のグループが3つ」とは読み取れないのだから5X3と書いていたら
それは「問題文を理解できなかった」ということになる。
例え、結果が同じだとしても、「計算の考え方を理解していると証明するのに」は
3X5以外の解答はありえないというのが理解できるだろうか?
理解出来ない人は実際に碁石でも、おはじきでも、さらにリンゴでも使ってみてください。
だから、先生は式のところだけ×にして、答えの15には◯をしていた。
故に、コレを問題だと考えた人は、まず自分が算数を理解していなかったことに
ショックを受けるべきなのではないだろうか?
しばらく、忙しくて、此処を見ることができませんでした。
自分の考えを適当に書き散らした駄文に付き合ってくださった方が
結構いた事にびっくりしています。
そこで、大雑把にトラバの意見を反映しつつ追記してみようと思います
まず、大前提として、自分は「3x5≠5x3」とは言っていません。
あくまで、あの問題文の解答を出す過程の記載としては誤っているということです。
そもそも、かけ算とはなんでしょう?
「同じ数を何回足したかを省略して記載する方法」
確かに3を5回足しても、5を3回足しても答えは同じ。
でも、それを式として書くなら、数字の順番は限定されてくる。
いや、将来的にはファジーにしてもいいんですけど
算数は、スポーツで言えば、基礎体力。
格闘技とかだと、まだ足腰を鍛えている段階です。
ジャッキー・チェンの映画なら、空気椅子させられて、あちこちに
茶碗をのっけられ・・・d(^^)\(゚Д゚#)ばき
ま、基礎の段階で柔軟な対応しちゃうと、意外とかえって混乱してしまうと思います
それに、大前提の考え方が分かっていないで、先に進むと、どこかで整理がつかなくなって
まず土台があって、初めて先に挑戦することができる。
芸術や文章が模倣から始まるように。スポーツが基礎体力や柔軟性を高めることから始めるように
ということで、前置きが長くなりましたが、もう少しだけ解説を追加してみましょう。
(あ、これだと「かけ算で計算して答えを出せ」というのが抜けていたか(^^; )
という問題なので、これを足し算になおすと
「3+3+3+3+3」
になりますよね。
3を5回足している。
これをかけ算になおす時、「5x3」と著すのはちょっと自然じゃないのではないかな?
ということです。
5x3が正しいとおしゃっている方。多分、文章の順番からそう考えたんでしょうね。
大元の小学生と同じところで、問題文に引っ掛けられてますよ(^^;
それはさておき、リンゴを○にして、皿の存在を空白にして、図で現してみるとこう
○ ○ ○ ○ ○
○○ ○○ ○○ ○○ ○○
上の図を元にして、かけ算の式に直して、○の数をこたえなさい
(ちと、図がずれているのは勘弁してください)
ということ。
確かに、5x3でも答えは同じ。でも、「上の図を参考に」という問題の意図を
完全に無視してますよね。
だから、件の先生が、式のところだけ☓にしたのは
あながち間違いでもないよ。ということ。
「ただ、☓にするだけではなく、フォローの言葉を添えるべきではないのか?」
知ってどうするのでしょう?
(一応、ちがいますけど)
でも、(そうだとしたら)ストレートに書かなかったせいで、
どんどんトラバの論点がずれていってましたよ。
そのとおりですね。でも、本題と関係ないですし、
誰に提出するものでもない駄文ですので、
うわぁ、追記の方が長いよ・・・
このような乱文、雑文にお付き合いいただき、
かつ、意見を述べていただいた皆様、同意を頂いた皆様。
ありがとうございました。
彼はまだ、20代半ばだったと思います。
彼の心が少々不安定であることは、以前から聞いていました。
彼の死を聞いた時、最初に思ったことは「信じられない」でした。
しかしそれは嘘ではありませんでした。
嘘ではないと分かった時、心に浮かんだことは「うらやましい」でした。
死にたいと思っても自殺さえ満足にできない意気地なしの私には、
最後の一線を越えられる彼の勇気が「うらやましい」と思ったのです。
彼は自殺する前の最後の日記を「しっぱいさんどめ」と書き、そこで
「こわいよ」
と何度も繰り返していました。
思えばあれが最後の言葉だったのかも知れません。
彼が死んだと本当に理解した時、
「私も一緒に連れて行ってくれ」
そう思いました。
自殺してはいけない、自ら死を選んではいけないという言葉を良く聞きます。
私の父母は良く言います。
「その体は両親が与えたのだから勝手に傷つけてはいけない」と。
本当にそうでしょうか。
彼らが子供をほしがったから、私はこの世に生み出されました。
少なくとも生まれてきたことは自分の意志ではありません。
私は時々思うのです。
「何故この世に生まれてこなければならなかったのか」と。
生まれてきた意味を探すことが人生の意義だとも聞かされていますが、生まれて来たくなかったと思う自我を持つ者にとって、生きることは苦痛でしかないのです。
じゃあ死ねよと。さっさと死んでしまえと。
自分でもそう思います。
でも怖くてできないんです。
けれど「怖い」って思うことが「生きたい」って思うこととイコールではないと思います。
今の自分は、生かされているのでしょう。
他人に生きる意義を預け、自分では何も考えない。
それが今の私です。
死を選び実行できた彼がとてもうらやましいです。