「最後の言葉」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 最後の言葉とは

2010-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20100730121852

優しい言葉ありがとう

いや、皆本当ありがとう

あなたの言う通り、冷静なつもりで自分の事しか考えてないんだよな。

もっと話してみてダメだと思ったら俺が実家に帰るのもアリかな

最後の言葉、何か涙出たわ。ありがとう

そして増田で騒いでごめん!

2010-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20100701150641

こういう風に泣き寝入りをする女がいる脇で冤罪をなすりつけて金儲けをする女がいる。

痴漢をする男の脇で冤罪をかけられ泣く男がいる。

何が悪いっていったらまず痴漢をする男がいるからいけないんだけど難しい問題だよな。

早く全線に監視カメラつけろよ。

そうしたら痴漢してる男と冤罪でっちあげしてる女以外みんな幸せだろ。

ていうかこの増田自殺するわけじゃないよな?な?

元気に新しい自分になるってだけの話だよな?

なんか最後の言葉みたいで不安だ。

2010-03-08

飛行機の席で隣になった女性とちょっとHなことした

高校生の時、オーストラリアに1人で旅行に行ったことがある。

その帰りの飛行機の中でのこと。

隣の席に日本人女性が座った。

なんとなく、「こんにちは。」と挨拶したら、会話が始まった。

なぜかとても空いていて、周りにはほとんど誰も座っていない。

半径3mくらいは2人だけみたいな状況になった。

その人は、決して美人とは言えなかったけれど、

気があったのか、個人的な話にまでなった。

年は20代後半、大学を出て、一度日本会社就職したけれど、

いろいろあって海外に行きたくなり、今、オーストラリアで働いている。

しかし、小さな町で、日本人と話をするのは、1年ぶりかもしれないとのこと。

英語は上手になったんでしょ?とか聞くと、働くだけならそんなに英語は必要ない。

だから1年経ってもそんなに話せないとか。

これを聞いて、たぶん、会話に飢えているんだろうなあとか思って、

半分ボランティアみたいな気持ちもあって、いろいろ話を聞くことにした。

そのうち、最初は隠していた「いろいろあった」部分の話になった。

簡単に言うと、会社の人と仲良くなって、(たぶん初めて)付き合うみたいな感じになったのに、

他の女性が後からアプローチをかけて奪っていったみたいな話し。

しかもその男性も本当は私のことが好きだったんだと思うとか言ってた。

たぶん、この恋愛がらみで居心地が悪くなって、日本を離れたんだろうなあとか思って聞いてた。

逆に、彼女いないの?とか聞かれた。

そのとき僕は初めての彼女に振られたばかりだった。

まだHはしたことなくて、誰でもいいからHをしてみたいとか思ってたところが正直あった。

僕も女性のぬくもりに飢えていて、その人も男性に飢えていただろうから、

まだ飛行機が飛び始めて数時間もしないときに、「手握ってもいいですか?」とか言ってた。

最初は驚いてたけど、いいよとか言われて、それからずっと手を握ってた。

一応、スチュワーデスさんに見られないように、毛布をかけて見えないようにしてた。

それからはもう、歯止めがきかなくなって、お互い欲望をさらけ出した会話をしてた。

どんな彼女がいいかとか、彼氏がいいかとか、彼女ができたら何がしたいかとか。

たぶん、どうせ飛行機を下りたらもう二度と会わないという思いが二人ともにあったんだと思う。

そのうち肩に頭を乗せるようになり、僕も自分を止められなくなってきた。

キスしてもいい?」

たぶん、日本に到着する数時間前にそう言った。

もし、だめでも、気まずくなっても、数時間なら我慢できると思ったから。

その人はすごく迷っていた。

もしかしたら初めてだったのかもしれないし。

少ししてから、「ほおならいいよ。」って言われて、ほおにキスをした。

もう一回とか言って、少し口の近くにしたら、「もう。」とか言ってた。

キスして欲しい?」とか言われて、「うん。」とか答えた。

たぶん、このあたりから、我慢しなくなってきてた。

その後は早かった。

何回かほおにキスした後、口にキスをするようになり、舌が絡むようになった。

「ちょっと恥ずかしいね。」

とか言いながら、周りから分からないようにしようと暗黙のコンタクトがあった。

その人の体を触りながら、上着の下に手が入り、お腹をくすぐったりもした。

時々スチュワーデスが通ると中断して、ばれないようにどこまでできるかみたいな雰囲気になった。

服を着たまま、ブラジャーの上から胸をもんだ。

まだ、乳首を触るという発想がなかったから、そこで胸は終わり。

「えー、終わり?」みたいな顔をされて、どうしていいか分からなくなったので、

その人の手を僕の股間に持って行った。

最初はズボンの上から触っていたけれど、ジッパーを下ろし、直接触るようになる。

「ちょっと濡れてるんですけど。」とか言われて、「だって。」とか答えた覚えがある。

ゆっくり上下に動きながら、それをいかに分からないようにするか。

正直、上手とは言えなかったけれど、ほとんどいきそうになってた。

「だめ。ストップ。」

「我慢できないの?」

とかからかわれた。

今度は僕の版、最初はズボンの上から。

だんだん感じるようになってきて、ジッパーを下ろそうとしたら、

「だめ、これ以上はだめ。」とか言われた。

「えー。」といっても、「だめ。」と言われたので、

後ろからズボンに手を入れて、おしりを触る。

パンティの上から少しだけ触れたところで、

「だめ。これ以上は本当にだめ。」と言われて手を抜かれた。

それが着陸30分くらい前だったと思う。

もう一回、僕のを触ってもらい、今度はゆっくりゆっくりと動いた。

僕は胸をゆっくり触った。

そうして飛行機日本に着いた。

その人は別の飛行機への乗り継ぎがあった。

「もう二度と会えないね。バイバイ。」

それが最後の言葉となって、僕らは別れた。

たぶん二度と会うことはないと思う。

けれど、何回飛行機に乗っても、この経験はなかなかにできないと思う。

2010-02-22

僕には好きな人が居て、その人もどうやら僕のことを好きらしかった。

僕はいわゆる非モテというやつで、恋人なんてついぞ出来る気配はなかったけど、元気に実直に、自分良心に反さないようには生きていた。、

彼女はそんな僕の内面(他人からすぐ見えるところだから外面か)をなぜだか好いてくれたようだった。

彼女自分感情を隠すことが下手なようで、彼女が僕に好意を抱いてくれていることは、すぐに僕の知るところとなった。

女性からの好意を感じたことのなかった僕はいつしか、彼女のことを特別に気にかけるようになった。

彼女と同じ空間にいるだけで意識してしまうし、つい姿を目で追ってしまう。

友達に相談したら、それが好きになるということなのだと教えられた。

かくして僕と彼女は、たいした会話も交わさないまま両思いというやつになっていたらしい。

だけど彼女が好きなのは理想化された僕で、僕が好きなのは自分を好いてくれる彼女なのだった。

次第に彼女言葉を交わすことになった僕が最もよく聞いた単語は『意外』だったような気がする。

僕のだらしない実態を聞いて驚く彼女相手に自虐みちた笑顔を浮かべながら、彼女が好きなのはこんな自分ではないのだと繰り返し再認識した。

僕の方こそ本当に彼女のことを好きだったのかと言われると疑問符がつく。

つくのだけれど付き合うということに憧れのような感情をいだいていた僕は、彼女に告白することになった。

彼女の好きそうな状況で彼女の好みそうな台詞で行った告白は、5年よりも長い5秒程度の沈黙の後に受理され、めでたく僕の彼女いない歴リセットされたのだった。

付き合うということが、僕にはよくわかっていなかったのだと思う。

メールを送るにしてもどんなことを言えば良いのかわからないし、

結局のところ、息苦しさを感じながら彼女と会話するよりだらだらインターネットを見ていた方が僕の性にはあっていたのだ。

僕と彼女は申し訳程度に数回のデートを重ねたが、その度に彼女の僕に対する気持ちが離れていくのがわかった。僕の彼女への気持ちも同様だったから。

電光石火の早業で、僕は彼女に振られることとなった。

僕は自分最後の言葉「ありがとう」だったのか「元気でね」だったのか思い出せない。本当は「ごめんね」と言うべきだったように思う。

気づけばもうあれから5年も経っていて、僕の彼女いない歴は着々とかつての記録に近づいている。

つきあうということがどういうことなのかは、未だもってわからないままだ。

2010-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20100126201432

ごめん。約束だったんだけど、今夜限り名義復活しました。

マジです。ホント最後。来月引っ越すし。)

意図は簡単で、お得意の買い言葉ですよ。

増田には悪人しかいない」と嘆いている方が大半でしたので、

こうして大悪事を働き、名前まで覚えて貰おうと必死でした。

ネットに巣食う若者達が全部悪いのだ!」とも聞きました。

ならば、です。悪人ならば悪人こそ俺1人で良いし、

「ちょっと、まぁ、良いんでない。」って言ってくれる人が居るならね。

どちらにせよ完全封殺目的です。誰にとはあえて言いません。

(今頃休んでるんじゃないかな)

最後の言葉は今からという事で。

          〜T/H

2009-12-25

I left a woman to die on Everest

この間の富士山遭難事故について。3人で登って1人だけ生還した。

それが想像できない立場にいる人からは、彼らがどんな状況に置かれていたのかを、想像することも、理解することも出来ないのだろうと思う。

もちろん、片山さんが悪いわけじゃない。彼は、生き残れる力はあったが、助ける力はなかった。単にそれだけだ。

例えば、踏み切りで脚をとられた人がいたとして、どの瞬間まで人は助けに出るだろう?

それが知り合いだった場合、どれだけの決断が必要なんだろう。責めないで欲しい。


今回の事故で思い出した記事がある。

標高の高い山で遭難に遭うと、死体は地に帰らない。ずっと、永遠にそこにある。

世界最高峰エベレストには50年間で3800人以上が登頂し、200人以上の方々が亡くなっている。

死体は、回収されるまでそのままにある。登山者たちはその死体を横目に登頂を目指す。

Everest + body」で検索してみればいい。登山服を着た日焼けした死体に出会うだろう。

http://www.dailymail.co.uk/news/article-451798/Everest-climber-returns-mountain-bury-woman-forced-abandon-9-years-ago.html

1998年、イアンはエベレスト登頂を目指していた。

頂上まで背負える空気ボンベは1本。約1時間分のエアになる。

急いで登らないと登頂はおろかキャンプまで下山することもできない。

"Please don't leave me."

8000m付近で遭難して動けなくなっている女性がいた。彼女自分がここで死ぬことを知っているようだった。

イアンは、登頂を諦めて空気がなくなるまでのあいだ、彼女の傍にいてからキャンプに戻った。

それは、彼女最後の言葉となった。

人は死んだら、ただの物体になる。Manとbodyは類義語ではない。生命が抜け落ちている。

それからずっと、イアンは彼女のことを忘れることができなかった。

2007年彼女を引き取りに行くまでの間、彼女の体は、9年間もの間、登山道の傍で置き去りとなって太陽の光りを浴びていた。


人間死体は、登山者にとってはとても運べる代物ではないのだ。

野口健エベレストゴミ回収を始めた時、それより死体回収をやって欲しいという声もあったそうだ。

特に、締める言葉は用意していない。

生きてリスクを冒せば、成功することもあれば、失敗することもある。その場を生き延びる人も、死ぬ人もいるけれども、100年後にはみんなゼロになってる。

わたしたちは限られた時間の中にいて、死ぬ前の時間を生きている。誰かと一緒にいて、どちらかが死んでしまったとしてもそれはあなたのせいじゃない。

ただ、悲しい出来事があったというだけだ。

危険なことは避けるべきだと思うかもしれない。でも、それは本人が決めるべきことで、他人が気を揉んでもしょうがない。

一回限りの人生だから、何をして生きるかは自分で決めたらいい。だけど、できそうなことに挑戦していくしかないんじゃないかな。

2009-12-22

ネット強者の増加がビジネスチャンスを生む話



最近、儲かってしょうがないんだよ」

とある有限会社経営している友人と

久々に会って飲んだときの話だ。

その時の話を要約したのが上の一言。

時間以上話をしたが、主旨はこれだけだった。

なんでもここ2,3年、アシで情報を稼ぐ人が

大幅に減ったらしく、超がつくくらい簡単に

人脈を構築できるようになったらしい。

そのツテでどんどん仕事を受注して、

元々仕事はできるやつだったから評判も良くなり、

新たな、もっと儲かる仕事がくるようになる。

好循環のお手本みたいなケースになっているそうだ。

ネットの普及のおかげで、外に出て人脈を作ろうとする

積極性のある人が減ったんだろう」と彼は予想している。

「とある企業社長が、『メールだけでアポを取ろうとする、

自分ではなく相手にリスクを負わせる人が多いんだよ』

って、この前こぼしていたよ」

という話も補足として聞くことができた。

「お前も勝ち組になりたかったらネットはほどほどにしろ。

そして積極的に人とコミュニケーションをとるようにするんだ。

実は今ほど簡単に勝ち組になれる時代はないんだ。

それに気づいていないのは、ネット上でアナログな俺達を

上から見下している、ネット弁慶たちなんだよ」

ここ数年の急速なネットの普及のおかげで、

ネットが苦手な人の方が得をしているという

事実は、意外に知られていない。

これからネットがさらに普及して

リスクを取らなくなる人が増えれば、

危険を冒して行動する人たちにとっては、

ライバルが存在しない楽園のような

現代社会が構築されていくだろう。

人と会うときに

・1通のメールを送る

・1本の電話をする

ここが勝ち組負け組の分かれ道だという最後の言葉が、

とても印象的な木曜の夜だった。

2009-11-02

もう恋なんてしない

今日、3年間ほど付き合った女性とお別れをした。

いっちゃあなんだが、彼女遊び人の気があった。いわゆるフラフラする体質でも言うべきか。


彼女は、好きな人ができたといい、俺の元から1年前に1回去った。

しかし、彼女は俺から離れることが出来なかった。そして俺も彼女から離れられなかったのだろう。

そしてよりを戻した。

今年の3月彼女は友達から男性を紹介されていた。

彼女は、メールだけといっていたが、電話をしていた。

毎日つけていた日記サイトを見、こんな声だったんだ(ハートマーク)と綴ってあった。

嫉妬深い俺は、彼女の連絡先すべてを着信拒否した。


次の日、雨の中、彼女はずぶ濡れになってやってきた。

俺は許す気がなかったが、絶対に離れたくないと泣きつかれ、彼女には俺が必要なんだと思った。


そして5月彼女浮気をしたとメールをしてきた。

頭がパニックになった。

彼女いわく、浮気したのは俺がかまってくれないからついたウソだということだが、このころから俺の精神状態はおかしくなった。

初めて精神が体を蝕んだ。胃が痛くなり、不整脈が出るようになった。そしてあまり泣くことのない俺が号泣する日が続いた。


彼女の言動がおかしかったので、浮気ウソだということは薄々感じていたが、彼女のことが信用できなくなっていた。

それでも俺は信じたかった。

彼女に俺が必要だったと思っていたから。


6月某日、浮気をしたというメールを送られてきてから初めて会った。そして何ヶ月かぶりに抱いた。

彼女は俺だけだよといった。初めての相手も、最後の相手もずっと俺だよと。だから離れないでと。

男のメールアドレス全部消すよ、もう男と連絡とらないよ。


それからメール電話だけの日が続いた。毎日メールはしていたし、彼女は俺を失うのが怖いだろうと感じていたので心配することもなくなっていた。

8月彼女がたくさんバイトしたからお金たくさんあるの。カラオケおごってあげるとメールをしてきた。

俺は嬉しかったのでOKをした。でももう会う日はこなかった。


8月中旬頃から彼女メールが減っていった。色々忙しいんだろう。


そう思って11月になった。

7月に治ったと思っていた不整脈が俺を襲った。そしてなぜか、Google彼女名前検索した。


すると、10月に削除されていたプロフ日記リアル)が出てきた。

プロフの好きな男性のタイプには、2ヶ月(ハートマーク)と記されてあった。

2ヶ月???俺の頭は混乱した。俺とは3年3ヶ月ではなかったのか??


そしてリアルを見ると、彼女と見知らぬ男が手を繋いでいるプリクラが貼ってあった。

また、これから旅行も、お出かけも、クリスマスも一緒に過ごしたいと日記に綴ってあった。


頭が真っ白になった。


彼女にすぐさまメールを送った。

「何か隠していること無い?」

「特別無いよ?」

「本当のこと言っていいんだよ?」

意味が分からない(笑)

「他に付き合っている人いるでしょ?」

「何を根拠に(笑)

「前略と日記みたよ」


「私が二股したのは悪いけど、

そんなの必至に探している姿想像するだけ怖いわ」

これが最後のメールになった。俺がアドレスを変えたからだ。

その後、彼女から電話がきた。


「さびしかった。」

「あなたのことが忘れられないから連絡とっていたんだよ。」

「あなたが別れろって言うなら別れるよ。」

「彼は友達に紹介されたの。貴方に似ているの。」


俺は、

「もう俺が君と会うこともメールすることも無い。かかわらないでくれ。

電話番号は当分変えないから、死にそうになったときだけ電話してくれ。

君に贈ったプレゼントも、何もかも捨ててくれ。」


といい、相手に電話を切らせた。いつもは俺が切っていたから相手に切らせた。相手が俺をだまし、捨てたのだから。

散々だまされてきた。顔もスタイルもそこまでよくない。でも俺は彼女の声が、そして俺にだけ見せる表情が大好きだった。癒されてたんだ。

俺も彼女とのつながりが欲しかったのだろう。着信拒否はしなかった。


今日、午前5時、電話がかかってきた。

もしかしたら何かあったのではないかと思い電話に出ると、

ただ寂しいというだけの電話だった。

俺の言葉は届いていなかった。俺が辛いのも悲しいのも分かっているだろうに。

俺は、もう迷惑だといい、相手に電話を切らせた。

最後の言葉は「わかった」だった。


俺の初めての恋人童貞処女同士はこうしてあっけなく終わりを迎えた。

ぽっかり心に穴が開くというのはこういうことなのだろうか。


3年前、俺はまだ今の職についていなく、夢見る青年だった。

彼女学生。俺には顔も身長も地位も金も無かった。それでも彼女は好きになってくれた。

今でも思い出すのは、彼女がずぶ濡れになってうちにやってきた日のこと。


「捨てないで」

「ずっとそばにいて」

「絶対離れない」


絶対なんてこの世に無いというのを実感した。

俺が彼女と付き合っていた日、いつものように口にしていたのはその言葉だった。


「この世に絶対なんか無いよ。」


俺はその言葉を発し、絶対という言葉を信じたかったのだろう。

でも絶対なんて無かった。


もう恋なんてしない

2009-07-07

THE END OF EVANGELION」の感想集 2

http://anond.hatelabo.jp/20090707100038 の続き

 弐拾六話では全ての人とあっさり和解でき、すんなり受け入れられた。
しかし世の中そんなに甘くないというか、実はそれこそが自己中心的世界
と言える。もっとリアルに描いてみよう、というのが26話ではないかと。

 何故なら「本質的に解り合うことのできない他者が存在する」というこ
と、他者を認識するとはそもそもそうしたことである筈だったから。庵野
氏の構図で言う幻想世界の内部において、シンジはどうしてもそのことを
容認できず、他者を理解できないまま、自分を理解するよう他者に縋り続
けた。補完計画が完成し、群体から単体に還元され、全てを包含レイに
抱擁された時点で、彼はやっとそのことに気付いた。
 ラストアスカを殺そうとしたのは、アスカが正に他者であることを、
彼が遂に知ってしまったから。でも結局殺せないし、前のようにエヴァの
胎内に逃げることもできない。そこは既に第弐拾六話の月面と同様に、後
戻りの聞かない場所、補完が導いた現実世界。・・・

 なんと、エヴァと融合し全てのヒトを包含した神が、人一人殺せず、孤
独に耐えかねて泣いているんです。
 私はここに最高のユーモアカタルシスを感じました。こんなに見事な
ラストは、これまで観たことも読んだことも恐らく無かったです。(^-^)
宮村優子さんのラジオ発言とか最近目にするようになった彼女の雑誌のコメント
を見ると、宮村さんは今回の劇場版をお気に召さなかったのかなとも思います。
自分でも「なかなかのモノが出来た、俺の選択って凄いぜ。フフン」と庵野監督
が思ってたのに、いざ、脚本を渡したら宮村嬢からの冷たい反応。それにショッ
クを受けてああいったラストにしたのかな(^^;?
無責任な憶測ですけど
 あのラストシーンは,シンジが選んだこの世界が決して「気持ちのいい世
界」ではないことを辛辣に描いていました。しかし同時に,そこには絶望だけ
でなく,わずかな希望もあることをも示していたと思います。


 希望アスカの手,シンジの涙。 
                  そして,『会いたい』という気持ち。
 ラストシーン絶望的。シンジはほんの少しだけ変わった。もうひとり、ほ
んの少しだけ変わったひとがいるみたい。でも、その「ほんの少し」への一歩
のなんて遠いこと。2人は、まだ変わっていないみたいに見える。だけど、絶
望は希望の裏返し。これからどうするか、それは、私たちに委ねられたのかも
しれない。
  ひとつだけ考えられるのは、シンジ物理世界に戻ろうと決意したのをアスカ
  も知っていて、そんなシンジとだったら一緒にいても良いかな、って思ったの
  かも知れない。
  でも、砂浜で再び自分の首を絞めてる彼を観て「ああ…やっぱり何も変わって
  ないんだな…」と思っちゃったとか。
 寂しいことを言ってしまえば、アスカにとって、自分のために泣いてくれた人
を身近で感じたのは初めての体験だったのかもしれません。初めてで慣れてない
から、「気持ち悪い」のかも。
庵野監督は最後までアスカの扱いに困ってしまったようですね。その苦悩がラス
トシーンにも出てしまったのでしょうか。「おまえがいるから滅茶苦茶になっち
ゃったんだ~!」ってね。でもその存在を消せない(笑)
 嫌悪も一つのコミュニケーション。心の壁は現実そのもの。
 そして、今までと同じ、自我と、人を代表とする非我との戦いがつづく。
 何度もそれを確認しながら、幸せにも不幸にもなれるラストだったと思います。

 ラストシーンアスカ。第1話のレイと同じ場所に包帯を巻き、首を絞められな
がらもシンジの頬をなでる。
 これって、つまりアスカの中の“母性”を表してるのかな、と思いました。綾波
レイは「母」のメタファーそのものと言っていいでしょう。そして、シンジの側に
横たわっているアスカレイと同じ姿であることは、彼女もやはりシンジを優しく
包み込む“母性”を内に秘めていることを意味しているように思えます。その後の、
シンジの頬に触れる行為も。

 しかし、彼女最後の言葉は「気持ち悪い」。シンジを拒絶する言葉です。これ
は“14歳の女の子”として、「私はあんたの母親になる気なんて、今のところ、
さらさら無いわよ」と言ってるんじゃないでしょうか。「あんたが何を求めてるの
か分かんないけど、受け止めてあげる気なんてないわよ。余裕もないしね」と。ま
あ、あのシンジ-自分を傷つけるかもしれない他人を殺すこともできないで、ただ
しゃくりあげている-を受け止めることなど、14歳の少女に過ぎない、もちろん
自身それなりに問題を抱えているアスカに、できるわけないでしょう。たとえ“母
性”を持っているにしても。むしろ、一方的に求める方が酷です。(さらに、相変
わらず求めるだけっていうのも、また問題だ)。

 しかし、将来的には彼らがどう成長し、変化するかは分かりません。そういう意
味では、もう多くの方が感想に書いてますが、「これから」を感じさせてくれるラ
ストシーンではありました。もう語られることのない物語の続きの中で、彼らは彼
らなりに成長していくのでしょう。
不快感(=気持ち悪い)」というのは、赤ん坊が最初に感じる感覚だということを聞いた
記憶があります(←記憶あやふや)。そうでなくとも、「気持ちがよくない」という感
覚は、まぁ、「夢」だとか「望んだ世界」ではなく、「現実」を示唆しているのかな、
とも深読みしましたが・・・深読みしすぎかな?
 シンジアスカは、それこそお互い誰でもよかったんだと思います。憎む相手も
愛する相手も。でも、自分を互いに真正面からぶつけ合った過去が、二人には出来
てしまった。互いに、相手に対する憎しみも、相手が欲しいという気持ちも、相手
を拒絶する言葉も告げてしまうほど、互いの気持ちを相手にぶつけた。そして、そ
の憎しみも欲求も、おそらく今後の彼ら自身の心を強く拘束していくでしょう。
 ラストシーンで、くびを絞め、瞳を動かし、頬をなぜ、涙を流し、気持ち悪いと
つぶやいた二人は、それこそ、愛よりも深い、憎しみもかなわない、たとえ離れて
も、ひととき忘れても、もう互いの心の一部そのものにまで結びついたように見え
ました。

 One more final:   I need you.
 
 もう一つの終局もすべてのおしまいではありません。英語のタイトルは『私はあ
なたが必要である』でした。
 そして、皆に等しく、同じ戦いが、始まり、続きます。
 でも生きてさえいれば、幸せになるチャンスはどこにだってあります。だって生
きてるんですから。

 愛よりも深く。
 夏の映画は誰も他人を受けいれられなかった二人が、とにかくも深く結びついて、
そこから再び、同じ戦いが始まる、終局であっても、何も解決していない、ラスト
でした。
シンジ内面に問いかける声も、もはや静かなレイの後ろ姿ではなく、アスカの
赤裸々な罵倒へと変化しました。「お願いですから、もう電話してこないで下さ
い。」「よりを戻すつもりは更々ないの。」「その、やっぱり、友達以上に思え
ないの。」「ハッキリ云って迷惑なの。」「これ以上付きまとわないで下さい。」
これらのセリフ作品の展開からは伺うことができない以上、庵野監督自身の人
生から引用してきたものと解釈されます(もちろん脚色を加えているでしょうけ
れど)。つまり、劇場版におけるアスカは、これまで庵野監督を傷つけてきた
「5人の女性」のような「他者」を象徴する役割を与えられるようになったのだ
というのが僕の理解です。
 そうすれば、ラストシンジアスカの首を絞めかけたり、アスカがその後で
「気持ち悪い」と言ったりする寒々しい展開も、すんなりと納得できるのです。
現実の他者は、お互い決して期待通りの反応をしてくれない存在ですから。
 オタク依存を打破するために作ったアニメが、逆にオタク依存の代表になっ
 てしまった苦い皮肉。昨日某アニメショップで見かけた会話。

 「これ買えば」(とシンジ君が表紙のアニメディアニュータイプを指さす少女)
 「えーいゃぁー」(と汚いものでも見るかのように嫌悪する少女B)

 彼女らの心の中にはカヲル君しかいないらしい。作品全体のテーマを見ようとせ
 ず、自分のお気に入りのパーツを使って幻想エヴァを作り上げて固執する。虚
 構からも逃げ続けている。自分以外のエヴァはいらないのだ。そして、そのこと
 を指摘されると過剰に反応し激怒する。「ぱふ」の一部読者はひどいものだ。無
 論、綾波アスカの一部ファンにも言える。
 そういう意味で、庵野さんが「気持ち悪い」と言わざるを得なかったのは良く分
 かる。だから実写を入れてこれでもかこれでもかというぐらいに観客に語りかけ
 た。でもそれは届かない。最も病んでいる人間、庵野さんが最も一言言いたい人
 間は嫌悪する現実ファンタジーに変えて消し去ってしまうのだ。
シンジくんの首締めはちょっと??な気もしましたが
アスカシンジの頬を撫でて「気持ち悪い」は、
頬を撫でるシーン拒否、否定の感情からではなかったと思ったので
集合体としての生命の海から浮上して「こ」の世界の「ここ」にいる
「こ」の自分を認識し他の存在シンジ認識し
「気持ち悪い」ことも沢山あるけど「ここ」に自分と他人が存在
することを知覚認識して噛みしめていると感じました。

いやぁすっかりアスカが主役でしたね。
ここまでアスカ映画になってくれるとは
嬉しい誤算でしたってのはアスカ者の偏見でしょうが。

      とでも思わなきゃやってらんないよなぁ。
かくして、シンちゃんはアスカちゃんのドレイとなり、
一生、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。
                                                       <終劇>
       自分は性的嫌悪感からくる言葉だと思ってるんですけどネ。
       DEATHの新作カットの「ミサトやバカシンジの使ったお
       湯なんて~」の頃には、もうシンジ君が自分の事を性的対象
       して見てる事に気づいていたのでは?このぐらいのお年頃の
       と女性ってそういうのたまらなく嫌だと思うのですがどうで
       しょう?
シンジアスカを殺そうとするが思い止まる。アスカに優しい言葉を期待する
"ファン=シンジ"だが"虚構=アスカ"は"気持ち悪い"と突き放す。

そういうことか?ヒゲメガネよ。
それと映画アスカシンジを否定したのは
(自分の勝手解釈ですが・・)
「シンジアスカの事を、好きで求めているのではないのを、
アスカは気付いていた。なので、コーヒーメーカーに激突させ、
最後に’気持ち悪い’とまで言った」
好きで求めていない、というのは、恋愛感情のみ、でなく、
シンジは弱い自分を何とか持ちこたえさせる拠り所に「強く
見えるアスカ」にすがっていたふうに見えたからです。
アスカにしてみればそんなおかんのような役、あまり嬉しく
ない気が・・・。
 また、最後の台詞「気持チワルイ・・・」ですが、ラストシーンでのアスカ
の様子を見てみると、腕と頭部と目に包帯およびガーゼが当てられており、
これは第壱話においてストレッチャーに乗せられてシンジ君の前に初登場
した綾波レイそっくりの状態で、加えてあの目線から察するに、アスカの
中には、彼女自身の魂や人格に加えて、レイの魂が入り込んでいるのだと
私は感じました。

 いわば、アスカとしてはトラウマを刺激するモノとして忌み嫌っていた
レイの魂が自分の内面において(シンジへの想い故に)融合しつつある
ことについて現在のところ「ケンカカレー」(歳バレ?)の状態にある、
ということで「気持チワルイ・・・」という言葉に繋がったのだと私は考えた
のですが、みなさんはどう思いますか。
あのラストシーンは実はハッピーエンドである。
あの砂浜のシーンは補完直後のシーンではない。
実はその前にシンジアスカを見つけ、傷の手当をし、ミサトの墓を作ると
いう一連のシーンがあったのである。
しかしアスカは何も話さない、何も反応しない病室アスカの状態に戻ってし
まっていた。(偽りの復活)
そんなアスカを不憫におもったシンジは思い余った挙げ句、彼女の首に手を
のばす。
しかしその時、今まで何も反応しなかったアスカの腕が動き、シンジの頬を
撫ぜる。
嬉しさのあまり、涙を落とすシンジ。
更にアスカは言う。
「(あんたバカー、何泣いているのよ)気持ち悪い(わねえ)」

そうあのシーンは「クララが歩いた」パターン感動的なラストシーンなの
である。
しかし観客の期待を裏切る事ばかりを要求された監督は素直に感動的なシー
ンを作る事ができずにあのような解りにくい形にしてしまったのである。
だが安心したまえ、ビデオ・LD収録時には完全版として失われたカット台詞が収録され、誰の目にもハッピーエンドである事が解るに違いない。
(笑)
シンジ監督アスカ・観客に置き換えると、あのラストシーンは
また違った見方が出来ますね。
現実から遊離してしまっている観客を不憫に思った監督真心アスカが無反応だったら悲惨ですね。
それより、もし「気持ちいい」と言われたらどーする(笑)
 シンジ・観客、 アスカ監督ではどうでしょうか?

 シンジ「わーん。こんなEVAはいらないよぉ~。
     謎もあまり解明されてないし~
     そこで気絶してないで、もう一回EVA作り直してよ~」
 アスカ「(まだやれっての?)気持ち悪い....」
1:呼吸困難になった為の気持ち悪い
  えー、シンちゃんに首をギュッとね!(爆)された惣流ちゃんですけど意識
  の無い状態で首を思いっきり絞められては血のめぐりも悪くなり気分が悪く
  なったという、低血圧で良く立ち眩みしてる女の子意見がありました(苦笑)
2:あのセリフみやむーちゃんのアドリブ説
  庵野監督に捧げるアドリブ説(黒い説ですわねぇ(苦笑))という人若干名
3:怪我のために気分が悪い説
  右手の謎の治療跡で判ると思いますが怪我してる場合気分が悪くなるもんです
  (経験者談)
4:2日目説
  ・・・・・・(^^;)・・・・・・
5:観劇してる人へのメッセージ説
  ・・・・・・
 「きもちわるい」。
 他人の体温が気持ち悪いことって、ないですか?
 でも、その嫌悪感を、人は「愛情」で中和させる。
 けれどそれは「無理をしている」のかもしれない。
 本当は、人なんて、生まれてこない方が良かったのかもしれない。

 だけれど、生きている。
 それでも、生きている。
 生きていなければならない。
 
 決して理解できない「他人」の隣で、それでも「一人ではなく」生きている。
 エヴァみたいな「黙示録もの」のラストって、和解・融合、善悪何れかによ
る統一、純粋な荒廃、・・・みたいな一元的な世界の出現で終わるのが相場じゃ
ないですか。これは魅力的だけど、弱点があります。つまり、解り難いんです。
 具体的にどんな世界になるのかが想像できない。私達の周りにあるのは、一
元的把握が通用しない、それこそ「他者」が存在する世界です。争いの無い平
和な世界、とあっさり書くことはできるけれども、そこがどんなところなのか、
人或いは人々が何を考えて生きるのか、よく考えると理解できない。
 放映版の受け入れ難さって、ラストのそういう典型的ユートピアが、観る側
の想像力を麻痺させたせいがあると思うんですよね。

 映画版は、そうした典型から脱したところが凄いと思います。シンジとゼー
レの意思に従って、一元的な新世界を一度は成就しておきながら、シンジの成
長というモチーフを重ねて「その先」を開いてしまった。この点に限れば、黙
示録を越えちゃってますよね。そうして出来上がった「他者の居る新世界」に
は、シンジがその成長の代償として手に入れた、純粋で人間的な憎悪や悩みや
悲しみがあり、観る側として非常に素直に感応できる。これがユーモアやカタ
ルシスでなくて何であろうかと。そしてまたそうした世界を、アスカの最後の
台詞一つで完成したところがまた見事なんですよね。
インパクトのある、出来るだけ短い、どうとでもとれる演出、ということで
ああなったんではないでしょうか。鏡のように、見たいものが見える、見た
くないものが見える、うがった人にはうがった見方が見えるラストシーンだ
と感じてます。
最後にアスカが包帯をしている意味は、
「アスカ自身が女になった」
「シンジにとってアスカが女になった」
という二つの意味を同時に持っていると思います。
「気持ちわる」という言葉には、リアリティを持たす効果と、
触れあいによって「産むことが可能な存在となった」=妊娠イメージを出す効果、
それに、存在が個に分かれていることの実感(喜びも悲しみも)が
表現されていたように捉えられました。
 最後のシーンについてはアダムとイブというよりアジア系神話 洪水で生き残った
兄妹の話(日本のイザナギイザナミの話でもこういう始まりのものもあります)
の方を連想しました。

 アスカの気持ち悪いのセリフですが考えによっては色々とれるセリフですね。
私はシンジと一線を引くセリフと取りました。
(ここから他人としてスタートとして2人の関係はどうなるかという・・・)
この最後はFANが自分たちで考える宿題だと思えました
最後のアスカも女っぷりがよかった!きっと、あれがアスカのやさしさじゃないの
かな?と思った。急にわかったようなアスカになったら余計かなしいもん。
とっても、ハッピーエンドだったと思います。映画みたあと結構すがすがしかった。

気持ち悪い,はよかった。絶望とそれでも幻想を構築しなくてはならないという
意志が感じられ・・・るか? 絶望だけか? 慰めてもらいたいのか?
立派に完結していたと私は感じましたし、救いもあったと思います。
ラストセリフは、生々しい接触も含めてアスカシンジを受け入れ始める、
という言葉ではないのか、と思うのですが。
少なくとも、突き放されて終わったとは感じませんでした。
私、あのシーンは本編に絡まないと思ってます。
庵野のファンに対する愚痴だと思ってます。
ファンによって傷つき首を絞められた「エヴァ」から、
おおよそ倒錯しているファンの一番多いアスカの声で、
ファンに対して文句を言ったんだと思います。 
創世記によればエデンの園では人も含めてすべての生き物は裸で(つまり自分自身
をすべて晒して)いても恥ずかしいとは考えなかった。ところがアダムエヴァが
禁断の知恵の木の実を食べた途端に裸でいることに気づいて恥ずかしくなり、身体
を覆って隠した。このことが神の怒りに触れ、2人はエデンを追放された。
・・・ラストシーンの2人はやはり楽園を追われたアダムエヴァなのですね。
自分の殻(ATフィールド?)を壊すことができなかった(あるいは自分の殻に閉じ
こもって出ることができなかった)シンジアスカだけは結局補完されることなく、
荒廃した世界に取り残された・・。それでもアスカシンジを拒絶するかもしれな
い・・と。
この映画を、人間の内面の描写をメインとして考えると、まさしく、私の好きな
ジャンルに入るんですよね。いっかい、救っておいて、最後にもう一回、落とし
ちゃうっていう。(笑)でも、最後は、あれでよかったと思います。だって、簡
単にシンジが、他人を認め、世界も、そんなシンジを喜んで、迎え入れるで終わ
ってたら(テレビの終わり方かな?これは。)、面白さ半減だと思います。そこ
で、アスカに気持ち悪いといわれて、自分の選んだ世界の厳しさというものを示
して、終わった方が、なんか、心に重ーくのこるじゃないですか!(だから、
ONE MORE FINAL なんだとおもいます。)

  補完中にシンジアスカと、ものすごい勢いで傷つけあいます。
彼は最後には彼女の首に、手をかけるのです。
そこまで他人というのは自分にとって厄介なものなんです。
理解不能ですからね。

  それでも、シンジは「融合」ではなく「他者との並存」を選びました。

  「共生」だとか「相互理解」とか美辞麗句に彩られた根拠なんて、
これっぽっちも示されないのに。
根拠があるのだとしたら、寂しさゆえの「I need you」くらいなものです。
単体になってしまったら永遠に孤独ですからね。
(この辺、あまり自信無いな。二回目を見たほうがいいかな?)

  目の覚めた彼は、隣で寝ているアスカの首を、再び絞めにかかります。
そりゃ、あたりまえです。
自らの選択とはいえ、自分を苦しめる元凶が、
現実に厳然と、そこにいるわけですから。
ほっとくと、こっちが殺されるかもしれませんし。
「他人がいる」─────本当に深刻です。この問題は。

  なぜか生きていたアスカが、そんなシンジの頬に手をやって、
彼に「他者のいいところ」をちょっち認識させます。
苦しみとともに、ヨロコビもまた確実にあるのです。
シンジの手から、力が抜けて、その後のアスカの一言で
「終わらない夏の物語」の幕が引けます。
 アスカの「キモチワルイ」発言は、相当ショックだったのですが、
彼女らしい発言だなとも思います。少なくとも、病院のベッドで
息だけしてる状態で生きている彼女より、ずっといいです。
 「詩編 The End of Evangelion」では、アスカの言葉は、
「あんたなんかに殺されてやるもんですか」が入っていますが・・。
 現実は、そうそう、都合のいいようにはならないんだという事に
通じている気もします。
私が思ったのは、アスカはショックで植物人間状態がある程度つづいており、
(目がサカナだった)シンジはいっそ楽にしてあげようとしたと見えたのです
が。包帯をきれいに巻いてあるところを見るとシンジが悩むに十分な時間はあ
ったのでしょう。(だからエントリープラグから気が付いたらあの場面、てい
う訳ではない。)そしたらもう動かないはずのアスカの手が動いたので、嬉し
くて涙が出た。ついでに「気持ち悪い」という正常なアスカがはくセリフが出
て、アスカが完全復活したという、無条件ハッピーエンドだと迷いもなく思っ
たのですが。
あの最後のアスカ首しめられシ-ンですが、そのあと
のアスカセリフが最後の最後に観客を現実に引き戻すオチ
みたいにかんじました。首しめ、まえふり?みたいな(笑)

 TVシリーズを見る限り、アスカシンジに対して14歳の少女らしい「嫌いだ
けど好き」という心理を抱いているようです(まぁ25話で助けられなかったこと
がしばらくもめる原因にはなるでしょうが)。それゆえに、シンジ腑抜けさに我
慢がならないのでしょうか。ただ、その心理とは別にエヴァパイロットとしての
ライバル意識も強烈ですから、非常に言動もわかりづらくなるのでしょう。

 シンジの方は、ミサトさんレイアスカもいいという宙ぶらりん状態ですが、
考えてみれば男ならたいていは心理的二股、三股は当たり前です。しかし、この中
で本当に可能性があるのはアスカだけなのですから(ミサトは年上過ぎ、レイは・
・・実の所は母、ユイですから)、将来的になんとか努力するでしょう。そのため
に現世に戻ったのですから。

 で、最初のコミュニケーションが首締めと「気持ちわるい」。一種ダークな感じ
もしますが、「他人とのコミュニケーションが最初からうまくいってたまるか」と
いうことであれば、先がどうなるかは・・・
 しかし、あのラスト必然とはいえ悲しい物がありましたね。
アダムにとってイブとは所詮他人であり、殺意を抱く対象であ
り、自分を傷つける存在なわけですから。
しかし、やはり最後はきついです。安易な現実礼賛はもっと嫌ですけれども
あそこにはやはり意地の悪さは感ぜずにはいられません。
少数派なのかもしれませんが、肯定否定はともかく「私の趣味としては嫌だ」
というのだけは間違いないです。こんな人もいるということで、一応、存在
を認めていただけるとありがたいです。
やはり、あれは監督からのメッセージと取るべきではないかと。
月に斜線が入っているように、もうこの「エヴァ」は終ったんだ、
もう人の作品に自分の考えに目くじら立てて攻めるのはやめてくれ、
見る側と自分は「他人」なんだ、そこまで立ち入らないでくれ、攻めないでくれ、
こっちにしたら「気持ち悪い」んだ、
エヴァ庵野の首を絞めるのはもうやめてくれ・・・
そういう事だと私は感じました。いつまでも他人に依存されると気持ち悪いって
事だと・・・そういう意味の、監督の「エヴァは終ったんだ!」という宣言
ではないだろうか。
私はあのラストシーンは
「自分に棘があることも、相手が針を持つことも、
全てを承知した上で敢えて一歩前に進む事が出来るようになった
シンジ君」に成長した、と言う風に考えています。

「気持ち悪う。」の台詞に関しては、あそこから人類の新しい
時代が始まる的な雰囲気(オーケストラが聞こえてきそうな、
とでも申しましょうか。)の中で、劇の中の世界ではこれは
現実なんだ、と言う目的で入れたのではないでしょうか。
(日常性を出したと言った方がいいかもしれません。)
まあ、いわゆるハリウッド的な大円団では無いよ。ってとこですか。
私はいい出来だったと思ってます。
 アスカは「気持ち悪い」よりもその前に差し出した手の方が重要だと思います。
敗北の象徴である同じ右手だというのがヒントでしょう。
 シンジが心象世界ラストシーンアスカを求めて首を締める
シーンはレイプメタファーじゃないかという意見がありました。
確かにそう解釈するとあのラストも非常に理解しやすくなるんで
すよね。
そしてラスト台詞ですが、私はシンジだけでなく、世界の全て(自分も)
に対して感じたメッセージだと感じました。生きていくには気持ち悪い世
界だけど、やっぱり死ぬのは嫌だ、と。そもそもアスカシンジを好きだ
とは思ってなかったのでショックではありませんでしたが、手も触れず、
目も動かさなくてあの台詞だったら、やっぱつらかったかな(^^;)。ともかく、
我が儘を貫き通した監督に拍手!
やっぱシンジアスカの首を絞めたのは、ATフィールドの象徴で
しょうな。人は生まれながらにして、他人を拒絶すると


  

THE END OF EVANGELION」の感想集

上のエントリは,「EOEが公開された頃は今ほどインターネットが普及しておらず,情報が欲しい人や感想を言いたい人はNIFTY-Serveなどのパソコン通信で細々と交流していた」という話。この話を読んで「そういえば当時パソコン通信上でさかんに議論されてた『ラストシーン解釈』をまとめたものがあったはず」と思ってディスクサルベージしてみた。分量が多いので二回に分けて投下してみる。

当時から「観ると語りたくなる映画」だったんだなあとか,昔も今もみんな同じようなことしてるなあとか,いろいろ懐かしい。

  首を絞められながらシンジの頬に手を添えたアスカ。
このまま終わったら、アスカはただの聖人になってしまいます。(^^;

  アスカだって、問題のあるリアル人間なのです。(アニメの中だけど。)
それ描く為に製作者は、イメージ的には顔を「殺してやる」の時のまんまにして、
アスカ側からのシンジとの不一致を出すための行為として、「気持ち悪い」の悪口
を言わせたのでは無いでしょうか。
ここで「バカシンジ」だったら悪口に聞こえないし。
またこれは観客に向かって庵野監督が言ってるのかなとも思いました。
庵野氏はかつてEVAファンに失望しているようなことを言ってましたし、
アニメから現実に戻れということも言ってたと思います。それが実写で
観客をうつしたり、「現実は夢の終わり」などと言っていることに表れている
ように思います。ラストセリフ駄目押しかなと・・・。
シンジが“男のくせに泣いている”ことに対する非難
あるいは、監督自身の制作後感を語っているようにも思いました。
大きな期待をかけられ、やりたいことは膨らみ、当初の完成予定は遅れ、
賞賛と非難が入り交じる中、ファンの期待を(たぶん)裏切らない形で作品を
完結させた・・・。それは「疲れた」を通り越して「気持ち悪い」こと
だったのかもしれない。
 「きもちわるい」アスカにとっては、感覚的なものじゃなく、生理的にただ気持ち
悪かっただけかもしんないしんですよね。
シンジ綾波はあれでいいかもしれないけど、彼女性格から
して、今までの数々の屈辱を背負ってこれからまだ生きていく
ってことは「気持ち悪い」そのものじゃないかなぁ…。
えっと、アスカシンジに「加持さんはもういないんだよー(うろおぼえ)」と
言われてあ然とした後で風呂のシーンになって、湯船の水面を見つめながら

「ミサトやばかシンジの使ったお湯なんかに誰が入るもんか…
 ミサトやばかシンジの使った洗濯機なんか誰が使うもんか…
 ミサトやばかシンジの……・・・」

で、

『気持ち悪い』

で、「ミサトもいや!シンジもいや!ファーストはもっといや!!…」と
爆発したように思います、あぁ、うろおぼえなんすけど、すいません。

あと、ここのシーンって「DEATH編」の中でもテレビにはない
新作のとこだったような気もしてます、あぁ、
なんせうろおぼえなんで許して下さい、あぁ。

んで、そういうとこに、この『気持ち悪い』というセリフが使われていたことに、
そのなんだあれです、あたくし的には興味あるです。
最後のセリフのフックとして使ってるのかしら、とかとか。
 つまり、あれだけ首を絞められても死ねない、という
 アスカの、自分自身に対する言葉かな、と思っています。

 「生命の実」も取り込んだ、って事なのかな?
アスカの「キモチわるい」は、シリアスすぎる雰囲気になるのがイヤさの、テレ
かくし半分だと思います(^^)。
ラストアスカ台詞ですが、案外、怪我のショック症状で本当に気持ちが
悪かったんじゃないかなぐらいに思っています。アスカがまともな性格なら
ともかく、シンジと同じくらい壊れているアスカにいわれても、オタクのオ
タク批判のようなもので、まともに受け取る必要はないと思っていますから
これから二人が“アダムとイブ”として生きていかなければならないことに対する
嫌悪感
この映画が凄いところは、(中略)その後の砂浜のシーンでシンジが、
結局アスカに投げつけられる言葉「気持ち悪い。」が、
がんばったからと言ってそんなにほいほいうまく行くものじゃない、
現実は甘くない、という点を突きつけていた点にあるとおもいます。
 最後のシーンについて僕は、シンジに叩き付けられた現実世界
ではないかと思います。
 倒れているアスカの光を失った目、シンジの頬に触れた手とちぐ
はぐな「気持ち悪い」という言葉アスカシンジに対し「気持ち
悪い」って言うのは結構普通だけど、ちょっとおかしいなと思いま
した。以前にキス騒動で似たようなことがあったけど、今回は首を
絞められてる最中だし........。

 ここで僕は自分と他人の境界がわからないLCL世界(原始
地球の海に酷似した世界。海に象徴される)から、他人との境界が
はっきりし互いに気持ちを理解し合うのができない世界(海に対し陸、
すなわち二人がいた浜)に戻ったら、アスカはあの戦闘で気がふれて
しまっていたのではないかと思いました。(心を失ってしまった?)
シンジは共に歩いて行こうと思っていた女性が以前の姿を失っていて、
人形の様になっていた。彼女のことを考えいっそのこと殺そうと考える
シンジ。しかしできない。
 アスカが包帯をしているのを見ると、あれはあの出来事の直後では
ないですよね。(戦闘以前、戦闘中は頭に包帯をしてなかった。)
となると、あれは後日、もしくは後に起こってくることの提示だと
思うんですがどうでしょうか。
 もしこうなると、アスカは最も嫌っていた心のない人形自分が
なってしまったというかなり皮肉な結果になってしまいますが.......。
まごころを君に..... シンジアスカへ対するものだったのだろうか。
結局ある意味テレビと同じ。
つまり、自分じゃ最後を書けない、だからそれなりのを書いて
皆さんそれなりに満足(または不満)
というところですかね。
22話で精神的に侵食されたアスカは、25話で今度は肉体的に侵食
されてしまったわけですね。
こう考えると、なんとなくラストシーンアスカ言葉も納得がいく。
「気持ち悪い」というのは、世に存在する「男」に対する嫌悪感が発せさせ
た、ごく自然言葉だったのでしょう。
あれは(監督の考えている)アニメファンに対する痛烈な嘲りだと感じました。

世界の全てを破壊し飲み込んだ初号機とシンジには、同時にその世界に
対する全能の力も与えられました。世界をどうするかは、全てシンジに
まかされました。全てを虚無へと帰すことも、虚構の世界を構築して再び
そこへ逃げ込むことも、つらい現実世界へと歩き出していくことも、
すべて、彼が心を決めるだけで可能となるのです。

そして同時にそれは、観客一人一人に突きつけられた選択でもありました。
これはシンジの選択であるだけでなく、あなたたち自身の選択でもあるのだと。
画面に現れた、実写シーンや春の映画の観客たち、パソ通上での繰り返される
監督の悪口などは、そのメッセージじゃないかと思いました。

当然、答えは観客の数だけあります。

その中の一つの可能性をえがいてみせたのが、#26のBパートだったん
じゃないでしょうか。あれは「それでもエヴァ依存しようとする人々」を
象徴しているのではないかと。

あれはある意味、多くのファンが予想し望んでいた結末でした。
世界が変化し、その中に二人だけ生き残ったアダムとイブ。
しかも、ご丁寧にもアスカにはレイの象徴である包帯と眼帯まで
まいてあります。

しかし、そこにあるのは、おぞましいレイ死体。血の色の海。
シンジ殺意アスカの蔑みの表情。と、監督は甘い幻想を徹底的に
打ち砕いていきます。

そして、とどめにアスカがあの台詞をいうのです。
 他者が存在する世界に戻ってきたシンジは、自分の選択に絶対の自信が持てなかっ
たんでしょう。
 あそこでアスカの首を絞めきれたら、シンジ自分世界も終わらせていたと思う。
でも、できなかった。甘い希望にすがりついたんだよね。で、自分の弱さに泣く。オ
イオイ泣く。
 なにかわけのわかんないことで泣かれたら、きもちわるいよね。絶対、きもちわる
い。
 あそこでシンジを無条件に受け入れるアスカだったら、他者として成立しないと思
う。
 帰ってきたシンジは、体を再構成したアスカを弐号機のエントリープラグか
ら引っ張り出し手当てをしたが、彼女植物人間状態のままであった。
 シンジは、毎日みんなの十字架を作りながらアスカ意識を取り戻すのを
待っていた。
 いっこうに意識の戻らないアスカを横に、途方に暮れるシンジは、ふと水面
を見ると綾波の姿が、衝動的にアスカの首を締めるが、彼女の手が彼の頬に触
れた。彼は、意識を取り戻した喜びと彼女を殺そうとした自分に涙した。
 意識を取り戻したアスカは、生理的不快感と、自分を見殺しにしたシンジ
が目の前にいることに対し「気持ち悪い」といった。
 
 物語としてはこんな感じかなと思います。
  多数の人間犠牲にすることによって現実を取り戻した。
 自分の為した罪を背負い生きることを選んだ。
  飛び立つことは美しく、気持ちのいいこと。
  醜いかもしれないが「気持ち悪い」かもしれないが、
 本当の快楽とは、地に足を付け
 他人の首を締め続けることによってしか得られないのか?
    この言葉はもっと前向きに捉えて良いのでは?
    アスカと言えば「唯我独尊」な状態だったわけですが、彼女シンジを見て
    「気持ち悪い」と言うのは、それは彼女が本気で他人を受け入れようとし始め
    たからこそだと思います。

    他人を自分の心の領域に踏み込ませることは勇気のいることでしょうし、気持
    ちの悪いことでしょうが、それを彼女が始めたからこそ、「気持ち悪い」とい
    う言葉も出てきたのでしょう。

    ある意味彼女シンジ以上にATフィールドの強い人間であったかもしれな
    い、その彼女が(サードインパクトによって強制的に取り払われるのではなく
    て)自らの意志で心の壁を開放しようとしていることが重要なことのように思
    えます。
シンジアスカを求め続け
アスカシンジを拒み続けた。
最後にシンジアスカを殺そうとした。
なぜだ?
でも出来なかった。殺せなかった
そして、やはり最後までアスカシンジを拒んだ。
それが現実なのだ。
けど、首絞められて、そいつがいきなり泣き出したら
「気持ち悪い」
というか、そういう似た様なことを思うだろうね、やっぱり。
  私はこのI need youのテーマをアンビバレンツと理解した。
 人間の行動は大半がこのアンビバレンツの要素をおおかれすくなかれ含んでいる。
 合いと憎しみ,冷たさと優しさ,強さと弱さ。恐怖と怒り。悲しみと喜び,希望
 と絶望,これらはみな表裏一体で切り離す事は出来ない。
  シンジアスカの行動と言葉はこのアンビバレンツを象徴しているのではなかろう
 か。私にはそう思えた。
  シンジの嗚咽はこのアンビバレンツの悲しみを,そしてアスカ言葉はこのアン
 ビバレッンツに対する嫌悪をそれぞれ象徴していたのではないだろうか。
 アンビバレンツに苦しみながらシンジアスカも生きてゆくのだ。
 さて、シンジが他人との共存を選んで現実世界に帰ってきてアスカと砂浜
に寝てる訳ですが、ミサトの墓標があった事からいくらか時間の経過があった
様です。
 アスカが怪我をして包帯を巻いているのはアスカATフィールドを失わなか
ったからLCLにならなかった様です。(レイの迎えが来てない)プラグスー
ツを着ている事からも説明出来ると思います。きっとあんな状態でも弐号機が
守ってくれたんでしょう。(ここは希望的観測)
 そして戻ってきたシンジが弐号機のエントリープラグを探し出しアスカを助
け出します。包帯等はきっとエントリープラグに備え付けてあるはずです。
 そして砂浜、、、。

 しかしアスカ自我崩壊状態。「生きる意志」を無くしてます。半ば絶望気
味のシンジ。 そこにレイが現れ、そして消える。シンジは何かを悟りそして
危険な賭に出ます。ここからが僕の新解釈なんですが、、、
 
 アスカの「生きる意志」を試すために彼女の首に手をかけます。そしてシン
ジの願いは叶い、アスカシンジの頬にふれ、シンジに「生きる意志」を示し
ます。
 喜びに泣き崩れるシンジ。そして最後のセリフアスカが元に戻った事を表
してると考えたいです。
なんか、ラストの泣き虫シンジアスカセリフマイナスなショックを受けている
ファンが多いようですが、ボクにはそれが良く理解できない。どう見てもラストのシ
ンジはうれし(はずかし)泣きだと思うし、アスカセリフも前向きなモノだったと
解釈しました。
 砂浜でアスカは無表情で寝ている訳ですがあれは再び精神崩壊にあった状態
だと思います。やはり弐号機のなかでの復活はサントラタイトルにもある「
偽りの、再生」です。弐号機(母親)を失ったので元の状態に戻ったのと、エ
ヴァシリーズによる陵辱によるところも大きいでしょう。

 そんなアスカシンジは見つけます。シンジを受け入れないアスカ。
ここにシンジの成長があります。ここでアスカに「目を覚ましてよ」とか「僕
を一人にしないで」とか声をかけたら303号病室の時と一緒です。成長の跡
が感じられ無かったでしょう。彼は首を絞めるという行為でアスカ自身に存在
の是非を問いました。 
 しかし、何故首を絞めたのか? 首を絞めるという行為はアスカにとって特
別な意味があります。母親との事のトラウマであり、それが頭にあった為にシ
ンジとの抗論の時、彼に首を絞められたとき抵抗できませんでした。(そう見
えた)
 首を絞められた事に抵抗する行為は母親トラウマを乗り越えた事も表しま
す。シンジがここまで考えたとは思えないのでこっちは結果論ですが。 

 シンジアスカの首を絞めた真意は確信には到りませんが、結果としてシン
ジの成長と同時にアスカの生きるという意志表示、トラウマの克服、などアス
カの補完も表したシーンに思えます。あらためて考えるとこのシーンはすごく
前向きなシーンです。
アスカが「気持ち悪い」と言ったときの目は、心底嫌いなものを見る
ときの目に見えるんですがどう思いますか。
  だがそれは、おぞましい虚偽に統合=補完されない真実へ至るユイ一の可能性
 でもある。互いをさらにバラバラにしようと「噛み合う」者同士の断面が、なぜ
 か一致し「噛み合う」という皮肉意図せざる結果こそが、コミニュケーション
 の「奇跡的」な本質なのである。(だからG.バタイユのような思想家はそのよう
 なコミュニケーションを「聖なる」ものと形容する。)

  これは「コミュニケーション癒し」、あるいは「他者を傷つけるな(あるい
 は、他人を傷つけない限り何をしてもよい)」という価値観に対する、やはり根
 底的な批判である。――「希望」に向けてシンジは言う。「それでもいいんだ」

  ラストシーン「I need you.」はその明確な寓意である。 ――補完という「夢
 は現実の中に」意図せざる形である。互いをさらにバラバラに引き裂こうとして
 いる二人(アスカを絞殺しようとするシンジシンジを「気持ち悪い」と拒絶す
 るアスカ)の間には明確なコミュニケーションが成り立っていた。
  それは、「自分の横にいる人と普通につき合う」ことができている者なら、も
 っと上手にしているのとまったく同じことだ。われわれが自他を分断するべく振
 るうに決まっている暴力を、相手(あるいは自分)が死なない程度に、和らげて振
 るうこと。逆に言えば、もうすでに暴力が和らげられてしまっているからこそ、
 われわれは今ここで生きているとも言える。
  われわれは日常の中では分断の暴力を、「人の気持ちを些細に傷つける」ような
 隠微な形で振るい、致命傷への短絡が「結果的に」「意図に反して」回避されてい
 たりもする。些末な暴力遍在状態の中で、われわれはなぜか、「まだ生きてる」
 のである。
監督「君たち…、気持ちいいの?」
監督「おれは見てて、気持ち悪いと思うゾ。」
                  終劇
「気持ち悪い?つわりじゃないの?
 ちゃんと病院行って検査してもらった方がいいよ。
 サードインパクトベビー誕生!」

 ・・・・・・・なーんてね。
結局エヴァ劇場版って、エヴァという永遠に終わりそうもない物語を、
完璧に終わらせることだけが目的だったような気がします。その意味ラストの気持ち悪いというのもエヴァ完璧に終わらせる為の台詞とし
ては最高の決め台詞だったかもしれません。
あれは劇中の「気持ちいいの?」に呼応するものだと思います。
そうでないと「気持ちいいの?」という言葉の出現が唐突すぎると思います。
なぜアスカの首を絞めなければならないかはわからなかったが最後一緒にいたの
がアスカで最後の台詞があの台詞だったのも現実の厳しさをあらわしていて非常
にリアリティがあって良かった。あれが綾波でもミサトさんでも母さんでもシン
ジを受け入れてしまうだろうから、あの台詞にはならなかっただろうし、やっぱ
り最後はアスカしかなかったんだろうな
 あれほど激しく、直接ぶつかりあった2人って、あの話の中にいるかな。
 そんな風に思います。
 これからが、大変なんだよ、と。
 あらためてひとに触れるわけで、それが初めてなんだから、
 「…気持ち悪い…」というのは、仕方ないんじゃないかな、と。
 まずはそれでいい、それからどうするかなんだっていうこと、かな。

 シンジの髪に、頬に触れたアスカの手が、痛々しいけど、やさしかった。
ヒゲメガネが,ふられたみやむー嫌がらせしてるだけ。
  で、アスカ最後の言葉が「ありがとう。」でもなく、
 「バカシンジ」でもなく、
 ましてや、「あんたなんかに殺されてやるもんか」でもなかった。
  「気持ち悪い」。誰に言った言葉自分に?シンジに?それとも観ている
 俺にか?
 最後までアスカシンジはわかりあえなかったんだね。
 そして、唐突におわる物語。何だったんだ?気持ち悪いよ、ほんとに。
 
  「現実を見ろ。」言いたかったことはこれか。
 やっぱり大きなお世話だと思うよ。映画ぐらい現実をわすれていい気分で
 いたかったよ。その証拠に明日は休日出勤だ。とほほ。
 最後のセリフ「気持ち悪い」は「けして〔アダム&イブ〕は、みんなが
 思っている程に仲むつまじいモノではない」と言う意味かと(^^;)
 「とってもきもちいいこと」。身体の、心の境界線がなくなること、とけあう
こと…から、もどることをえらんだ、そして生きることを選んだシンジ。
 「…気持ち悪い…」は、アスカシンジへの嫌悪言葉、としてではなく、シ
ンジが、「とってもきもちいい」世界から、とけあう世界からもどってきたのだ、
ということをしめす、そこが、「生きる世界」なんだということをしめす、サイ
ンのセリフではないでしょうか。
 他人に触れる。それはわからない存在、「気持ち悪い」。でも、アスカのあの
手は、シンジを拒んではいないから。
 進んでいけると思う。もっといっぱいお互いをさわっていくとおもう。ずっと
「気持ち悪い」かもしれないけれど。それでも手をのばしつづけることをやめな
いだろう。生きていくから、シンジアスカを殺さなかったのだから。
拒絶も離別で辛い思いをしても人として生きたかった。
だから、人として戻ってきた、アスカを連れて。
人として生きるのに、1番いっしょにいてほしかった(1番好きだった)
のが、アスカだったのでしょう。

しかし、アスカの魂は戻ってこなかった。
人としていっしょに生きることすら拒絶された。
だから、シンジアスカの首を絞めた。

だけど、アスカは戻ってきてくれてた。
最後の「気持ち悪い」というセリフも

「心の壁を作ってくれた = 人として生きてくれた」

という意味があったと考えます。
あの、ラストアスカ台詞が「よかった」と言えるのは、
そこにどんな意味が込められているからなのでしょう。
僕は、何という救いのないエンディングだ・・・と思ってしまった。
教えてくださーい。
 ただ、ラストアスカの首を絞めようとしたシンジの頬をアスカがなでる。アスカ
が生きていることが判りシンジは涙を流す。何故かは判らない。独りでない、という
ことかもしれない。最後の「気持ち悪い」の一言が「アスカアスカである」ことを
物語っているのことに救われた気はする。
 私はシンジアスカの中に入ろうとしたのだと思います。
 しかしアスカATフィールドはそれを拒む。されどアスカシンジの頬を
 撫でることで、わずかながらの意志表示を示す。それにシンジは涙するも、
 アスカはそれに対して一言。「気持ち悪い」と。
 アスカが、シンジ罵倒し、拒絶し、否定する、その言動の端々から、アスカシンジに対する強烈なまでの「想い(愛・・・はやめとこ(^^;)」がにじみ出
ているような気がして、なんだかジーンと来るのです(←ヤバイかも(笑))。
そう思えば、物議を醸しだしているあのラストにも、一筋の光明が射し込んで見
えるから不思議なものですね~(←確実にヤバイかも(T-T))。
なんだか、見終わった後で妙にさめている自分を感じてます。
アスカの最後のシーン、最後の言葉、それがそのまま感想のひと、
結構いたりして……
  あれが二人の愛情表現だったらすっごく恐い・・・。アスカは「一緒に死んで
ちょうだい」ってことで母親に首を絞められた事があるみたいだから、自分を愛
してくれる者が首絞めてくれるのは気持ち良いことなのかとか、思ったりもして。
まさに命懸けのSMだな。
  って、ことは初号機が3号機(バルディエル)の首絞めたのも愛情表現(シンジ
×トウジ)な訳で、首が落ちたカヲルなんかはもう、最高に愛されてたのかな。

  で、ラストアスカの首を絞めるシンジが鳴咽し、アスカが「気持ち悪い」の
は、そういう歪んだ愛情表現を憂いての事なのかなぁと。
 ラストの「気持ち悪い」は、私の場合は
「アンタなんかに触られて汚らわしくて気持ち悪い」と「首締められて気持ち
悪い」程度しか思い付きませんでした。
深手を負った状態で気絶していたのに首まで締められたら当然、気持ち悪くなる
アスカの最後のセリフは、自分自身に対してなのかと思うの
ですが...アスカが嫌いなシンジの頬を優しくなでている行為(矛盾し
た行為)がそう思わせたのですが...
 うまく言えないけれど,とても嬉しかった。あのラストシンジアスカ
も,そしておそらく庵野監督も「こっちの世界」(ってどこ?(^^;))に還っ
てきたと思いました。それが無性に嬉しかった。
最後のアスカセリフで、シンジアスカ人間として認めあえるんじゃない
かな?という気になりました。少なくともこれまでとは一つ違ったステージに
進めたのでは?と思います。すごく暗ーい感じで終わったけど、大団円ではあ
ると思います。
 もっと救いのある,後味のいいエンディングを作ろうと思えば作れたと思い
ます。それでもああいう終わり方を選んだところに,わたしは庵野監督なり
の「誠実さ」と「正直さ」を感じました。わたしの「よかった」はそういう意
味です。(でも「好き」にはなれません(笑)
ラストで描かれた少しの「前進」、その程度の変化ならば、
ちょっと心の持ち方を変えるだけで十分な気がするのです。
あんな経験をした後で、普通なら生きていてくれてよかったって、レイが
生きてた時のように泣いてるところだと思うのですが、どうしてほんとに
首を絞めたんでしょうね。
僕は、ニーチェが言ったように、この世はただ繰り返す、楽しいことも苦しいことも
含めて。でもそれを勇気を持って受け入れることが、人間の生きる道なんだっていう
ことを言いたかったのかなって思いました。

2009-02-20

殺人犯多世界解釈

「愛してんだよ俺は」男の口癖であった。

多世界解釈ってあんだろ。あるゆる現在が二通りの未来に分岐し、増殖し、目も眩むような網の目ができあがるっていうあれだ。あれを聞いたとき雷に打たれたかと思ったよ。だってそうだろ?今ここにある世界はその無限世界の中でたった一つきりってことなんだぜ?すごいと思わねえか?」

「確かにそう考えることもできますね」主人はグラスを磨きながら返事をした。

「でも愛してるならどうして殺すんです?」

「かー、わからないかね。この愛が。だからてめえはグズなんだよ」男は心底不快そうな顔をして不味そうに酒を呷った。

「いいか?俺が殺したやつらは他の世界じゃ友人だったり兄弟だったり、もしかしたら恋人なのかもしれねえだろ?素敵じゃねえか。確かに今この世界でそうするのも悪くない。悪くはないがベストではない」

「あたしはベストだと思うんですけどね」男にグズ呼ばわりされても主人は気にした様子がなかった。常日頃から自分人殺しだと吹聴していた男を、主人は頭のおかしな客だと考えて本気で相手などしていなかった。今日の会話も、珍しく他の客がいない退屈を紛らわすための気まぐれであった。

「じゃ、なにがベストなんです?」

「だから殺すことだよ」男は右頬だけを上げて歪な笑みを浮かべた。

「俺がこの世界でそいつらと楽しくやっちまったら他のどっかの世界で殺されちまうってことだろ?そんなの悲しいじゃねえか。安心して楽しめねえだろ?だからこそ今この世界で殺してやんだよ。そうすればそいつらは他の全ての世界で楽しくやれんだろ?だから殺すんだよ。愛してんだよ俺は」

「それじゃ何ですかい」主人は面白そうな顔を浮かべ男に言った。

「あたしも殺されちまうんですかい?」

「自惚れてんじゃねえぞ親爺」男は苛立たしげに吐き捨てた。

「誰がてめえなんかを愛してるもんか。言っておくぞ、親爺。俺はお前が大嫌いなんだよ。見てるだけで虫唾が走るほどにな」

「これは面白い」主人はにやにやしながら男に聞いた。

「それじゃ何でわざわざ虫唾が走るほどに嫌いな親爺の店で飲んでるんです?教えてくださいよ」

「だからこそだ」男は酒が入ったコップを手に取った。

「てめえみたいに虫唾が走るほどに嫌いな親爺の店で、酒なんて糞みてえにまずいものを呷る。そうすれば他の世界の俺はこんな不愉快な思いをしなくて済むだろ?」そして男は一気に酒を飲み干した。

「愛してんだよ俺は」


主人がその男のことを思い出したのは3年後のことであった。酒場という場所柄、頭のおかしな客は数え切れないほどいるが、酒に酔った様子もなく、素面で頭のおかしなことを言う客は珍しい。その中でもあの男は飛びっきりだった。だから連続殺人の容疑で逃亡生活を送り、先日、白昼堂々街中で通り魔を犯し、その後、警察に射殺された犯人顔写真が載った記事を見て、3年という年月を感じさせない早さで思い出したのは当然とも言えた。記事の小見出しには男の最後の言葉が載っていた。

「愛されてんな俺は」

2008-07-30

元増田です。

いくつかのコメントを読んで、目が覚めた思いです。

あと、http://anond.hatelabo.jp/20080729222357の言ってくれたことをしてみたら、少し力が湧きました。

凹んでも元気だしてもどうせニートなら、精一杯就職活動していこうと思います。

落ち込んでるところ申し訳ないが、増田はちょっと神経が細すぎるんじゃないかと思う。

あと就職活動をちょっと重く捉えすぎなんじゃないか?

http://anond.hatelabo.jp/20080729215959

論破する、ってのは納得させる、って意味ね。

「確かに私は吃音ですが、それは○○のため問題ないと考えています。なぜなら、御社の業務における××では云々」

とかなんとか言って、反論するスキを与えなければいい。

http://anond.hatelabo.jp/20080729223357

確かにすこし弱気になっていた気がします。

論破するのは、想像実験はしていましたが実際に実行したことはありませんでしたから。

豪胆にいってみます、ありがとう

ブックマーク

kotorikotoriko 俺とか本物のゴロツキだから面接とか受けたことないし、その様子も全然想像デキねーよ!!! 自慢してる暇あったら気合入れろや!!!!!!|俺もドモり、ドモる言葉を避けて話すといいよ、ドモりは詩人だ。

何故か凄く元気が出ました。

最後の言葉は少し、わかるような気がします。

といっても、自分の場合も経験則でしかありませんが。

bignight イ??

生きていきます。何でもする覚悟で臨みます!

さー、就職先探しやりなおすぞー!

ついでにPerl勉強ももっかいはじめからやりなおし!

2008-02-25

「知らない人に付いていっちゃダメってあれほど言ったでしょ!!」

18歳の時、友達に会うために夜行バス京都に行った。夜行バスは初めてで、なかなかぐっすり寝ることもできず、朝6時半頃京都駅に着いた時には憔悴気味だった。それでも、初めての地にドキドキし、人がほとんどいない駅をうろうろし、何とかトイレを探し出し、個室で着替えたり、洗面所で顔を洗ったりした。

友人と会うのは彼女の都合で夕方だったため、それまで観光名所でもブラブラしようと、バス停のある入り口に向かって地下らしき通路を歩いていた。案の定、そこもガラガラ。というより、私以外人っこ一人見当たらなかった。そこにひょっこり一人の30代っぽい男性が目に入った。お、ぐらいには思ったが、大して気にもしなかった。けれど、何故かその男は私を見るや否やこちらに歩み寄ってきた。

「あの…今時間あります?」

「え…あ、はあ」

思わず立ち止まってしまったのは、てっきり道でも聞かれるのだと思ったからだ。私のその時の格好は、登山でもするんか?ってぐらいでかいリュックスッピン。尚且つ容姿は幼少期の陰口「デブ」「ブタ」がそのまま成長したもので、"ナンパ"という考えがそもそもなかった。地元の人じゃないので道はわかりません…と言いかけた時、「これからどこ行くの?」と聞かれ、そこでやっと、これってもしやナンパ…?と気付いた。

いや、待て。ナンパ?私に?こんな朝早くから?ただ暇だから話しかけただけじゃないのか?と頭の中でたくさんの疑問符が泳ぎ始めるも、男が早口の関西弁で有無を言わさぬ雰囲気だったので、私は威圧され「ええと、清水寺にでも行こうかと…」としどろもどろに答えた。ここのやりとりはよく覚えていないが、最後には「じゃあ、送ってあげるよ」と言われて、バス代が浮く!と思った私はのこのこ付いていってしまったのだった。ナンパだという可能性も考えていたが、清水寺に着いて一緒に観るんじゃないか、ぐらいに思っていた。

男の車に乗り込むと、彼は色々と自分のことを話し始めた。広島から出張京都に来ていること。車で寝泊りして丸一日風呂に入っていないこと。私みたいなデブタイプだということ。…最後の言葉を聞いて、流石にまずい!と思った。よりによって見知らぬ土地の早朝にデブ専と遭ってしまうなんて…どん確率だよ…と心の中で嘆いたが、時既に遅し。彼は会話の合間にちょくちょく「ほんとに君みたいなぽっちゃりした子がタイプなんだ」と言った。

はっきり言って、そんな風に口説かれたって全然嬉しくない。自分の不摂生と怠慢でここまで肥えたことは重々承知しているし、その脂肪を愛して欲しいなんて思わない。脂肪はあくまでオプション。よってデブ専あるいはぽちゃ専の方は初めて会った女性を口説く時は、顔のパーツを褒めることをお勧めします。こんなに脂肪を纏った君でも愛してる…!の方が好感度高いです。多分きっとメイビー。

閑話休題。早く清水寺着かないかな…!といよいよ焦り始めた時、急に車が止まった。もう着いたの?と思ったが、どう見ても違う。ひっそりとした公園の脇に車は停められていた。私がこの場所を、この状況を尋ねようとした時、男は言った。

清水寺、こんな早くから開いてないから…」

何故それを今頃言う!?とショックを受ける間もなく、無理矢理キスされた。胸も揉まれた。正確には、男に威圧されて怖くて抵抗できなかった。とりあえず、なされるがままになっていた。そして、何故か男はベロンチョとイチモツを出して、私の手をソレに持っていった。ふにゃっとしていた。

逃げたり抵抗したりすれば良かったのだろうけど、車から逃げても見知らぬ場所でどうすれば良いかわからない、抵抗して暴力を振るわれたらどうしよう、という思いがあって、ズルズルとラブホに連れて行かれた。実は、車を停めた右斜め前がラブホだったのだが、私はその建物をちょっと奇抜なマンションだと思っていたのだ。最初からラブホに行く気満々なら、わざわざベロンチョとチンコを出してしまうなんて面倒臭いことするなよ、と今になって思う。

ただ、私には切り札があった。それは生理。絶賛二日目だった。色々されても最終的に挿入だけ避けられれば…!と萎縮気味になりながらも思った。今更ではあるが、私は処女だった。(今も処女だけど)

いわゆる前戯的なものをされ、いよいよ男が挿☆入となった頃、言ってやった。

「私、今生理で……」

どうだ!これで挿入はできまい、ふはは!と何故か(本当に何故か)勝ち誇った気持ちでいたが、そんな私を一蹴するように男は言った。

「ああ。じゃ、うつ伏せになってお尻出して」

前の穴がダメなら後ろの穴へGOー!ってアンタ。何ですかその切り替えの早さ。それとも、アナルがそんなノーマルなことじゃないって思ってた私がとんだ世間知らずで、実際はアナル普通なの?そうなの?教えておじいさん!とハイジになってテンパり、戸惑いながら、すっごくビビった。これで最悪の事態は回避できると思っていたのに、よもや処女喪失前にアナル開通してしまうなんて!それだけは避けたい!

そう思ったけど、やっぱり怖くて、言えなかった。どれだけか弱い女気取ってんだ、って今なら思うけど、男が上を脱いだ時に、刺青が見えたのよ。そりゃあ怯えるよ。893とまでは思わなかったけど、逆らったら絶対叩かれるか殴られる…!と思った。で、覚悟を決めてケツを出して、男は後ろでゴムをはめたりしてるみたいだった。うつ伏せだったのでよくわからなかったけど。

それでも、覚悟を決めても怖いもんは怖くて。男の先端が尻穴に当たった瞬間、号泣してた。ほいほいと付いて来た自分をバカだと思うのも勿論、こんな格好でいることが情けなくって、未知の痛みへの恐怖で、めちゃくちゃ泣いた。嗜虐的な人ならこういうのも興奮材料なのかもしれないけど、男はどうやら違ったみたいで、そんな私に興醒めしたらしい。

「もう挿れるのは良いから…」

と言われて、ぐすぐすと鼻水を啜りながら私は起き上がった。これで開放される…と思ったが、それもまた早合点だった。男は勃起したチンコを目の前に差し出して、フェラチオを要求してきた。恐ろしいことに挿入よりはマシ、という思いがあり、ヤケクソで風呂に入っていないというだけはある臭いソレをくわえた。処女だけど、漫画エロ本だけはそれなりに読んできて、でもこういうのと現実は全然違うんだろうなーと思っていた。が、くわえてる最中男が

「大きいだろ?なあ、大きいだろ?」

と聞いてきて、コイツ二次元の生き物か…!?と驚愕した。ちなみに男のブツは太さは普通だったけど、ホモソーセージ四分の一サイズ出ました!ってぐらいの長さ。車でふにゃちん見たけど、勃起してもこんなもんか、って思ってスマン。

で、すったもんだでラブホは出たが、男に仕事電話がかかってきて結局清水寺まで送ってもらえず、京都駅で降ろされた。バス代が浮くどころか、私は何かを失い、代わりに「知らない人についていっちゃいけません!」という常套句を教訓としたのであった。

2008-02-23

部活クラッシャー

チラ裏な内容だが、こんな奴もいるんだよーということを言いたかったんだ。

高校時代の演劇部にそいつはいた。

俺が所属していた演劇部は10人くらいと少々心もとない人数ながらも、結構みんな仲良く和気あいあいとやっていたんだ。

だが、奴がいた。

仮にそいつの名前を……Aとしよう。

こいつが、引き金でとんでもないことになる。

俺は、演劇部の中では珍しい男子部員ってことで、力仕事とか色んなことを任されていたため、先輩と仲が良かった。

その先輩達が引退することになって、新しい部長は誰がいいか?って話になったんだよな。

通常、先輩達だけで次の部長を決めるらしいんだけど、先輩の人数がそのとき少なかったから俺も会議に参加できたんだ。

んで、部長候補にAとBが選ばれたんだよ。

Aは部活を真面目にやるし、演技力とか声量とかもよかった。演劇部部長としては確かにこいつでもよかったと思う。

だが、性格がダメで周りへダメ出しを出してばっかのスパルタ教育。しかも、常に自分が一番正しいとか思っているような奴だったんだよ。

Bも部活は真面目にやるが、演技力はいいとして声量が物足りなかった。

加えて、性格も控えめでどちらかといえば大人しかったので、部長としては少々頼りなかったかもしれない。

だが、部長が頼りないのなら俺らが支えてやればいいと思ったし、Aを部長にすると独裁状態になりかねない。

そう思った俺はBを推したんだ。

  

先輩達も俺の意見に賛成してくれて、結局部長はBになった。ちなみにAは副部長となる。

だが、これがAの逆鱗に触れる。

どうやらAはこの部活部長になりたくて仕方が無かったようなんだ。

そのために、演劇を頑張ったのに何で部長になれないんだ!と。

副部長なんて死んでもゴメンだ!と。

そんなことを、「副部長になりたいんだー」とAに対して言っていた人に向かって、Aは言ったらしい。

俺はこの話を聞いたときに、あーよかった。Aを部長にしなくて……と思ったのだが、Aは自分の何が悪かったのかを全く理解していなかったようで…………

どうやら、AはHPを開いていたらしく、そのことを聞いた俺は少ない情報を頼りにどうにかAのブログを見つけることができた。

そこには、Bを部長に決めた先輩へのうらみなんかが書かれていた。

私よりも数段Bのほうが下手なのに、何でBが部長になるんだ!と。

Aは、次の日に涙を流しながら先輩に直談判した。

A「先輩、どうして私が部長じゃないんですか!」

先輩「いや、だからね。私達で話し合って決めたの。BちゃんをAちゃんが支えてあげるとかじゃダメなの?」

A「だって、私頑張ったじゃないですか!」

先輩「いや、だからね……」

こんな感じ。会話にならない会話。

それをBの目の前でするんだよ。

まぁ、でもひとまずは先輩が説得して終わったんだよ。

この時は、これで終わると思っていたんだが……俺はどうやら甘かったようで……

  

その後、ことあるごとにAはBに対してイヤミを言うようになった。

具体例としては「しっかりしてよー。部長なんだから!」と、部長を強調しての言葉

Aがそれを意識して言っていたことなのかは知らないが、聞いているほうからするととんでもないイヤミに聞こえた。

まぁ、こんな感じで部活内がどんどん不穏な空気となっていくわけだ。

部長が決定してから、数ヵ月後。

次に演じる劇の案が3つほど出た。

こういう場合は部員全員の投票による多数決で決めることになっている。これは以前から決まっていたことだ。

その中から、俺は、これならばこの部活の人数でもいい演劇にすることが出来るだろう、この台本なら見ている人に何かを伝えることが出来るだろう……と思ったものを選んだ。

そして、俺が選んだものが一番票が多く結果的にその劇が選ばれた。たしか、6:2:2とかそんぐらいの割合だったと思う。

だがまたしてもAが噛み付いた。

A「私はこの劇をやりたくないです!」

え、いやね。だからほら多数決で決まったんですよー?

A「だって、この劇するとしたら私この役になっちゃうじゃないですか!こんな高圧的なキャラ演じたくないんです」

え、いや。だってお前ピッタリじゃん。しかもそのキャラ高圧的だけど、周りの物事を良く見れていて、劇の中でもかなりの良キャラだと思うぞ。お前とは違って。

A「こんな高圧的な奴だと思われるのは嫌なんです!」

だったら、今お前がしているその態度をどうにかしてください。

A「大体、今回の劇多数決で決まったけど大方スタッフ(裏方)の票なんでしょ!実際に演じるのはキャストなんだから、キャスト意見を優先させて!」

…………てめー、今何つった?(俺は裏方)

  

もー、こんな感じ。

さすがに最後の言葉には俺もキレて言い返したが、言い返したところで自分の意見ばっかで話にならない。

相手の意見を聞こうとしないし、せっかく後輩がフォローしているのにそれすらも無視ってお前、どーゆーこと?

これで、よく自分が部長になるとか言えたもんだ……

まぁ、この件についても何とかおさまった。

最後にはAが逆ギレして「わかったよ!この劇をすればいいんでしょ!私が諦めればいいんでしょ!」とか言って終わった。

まぁ、当然のごとく部活内での空気はよりいっそう不穏になりますわな。

そんな不穏な空気の中でやる演劇がいいものになるはずもなく……結局大会では(´Д`)ハァ…な結果に終わってしまった。

前年と同じメンバーで、それぞれが声量や演技力スタッフの演出などが成長していたのにも関わらずな。

さらにこの後もAは色々とぶち壊すんだが……書いていてまた腹立たしくなってきたからいったんここで終わらせる。

気が向いたらまた書くことにする。

2008-01-20

ばあちゃんがしんだ・・・

1月9日休み

母ちゃんからメールが来る。

「ばあちゃんが なくなった」

79歳・・・。突然だった。ほんとに突然だった。

つい一週間前の正月にひ孫連れて会いに行った時は、普通に元気にしてた。

それまでも1??2ヶ月に1回は会ってたんだけど、その時はなぜだかいつもよりたくさん会話した。

「13日は孫(オレから見たら従妹)の結婚式があるね。

久しぶりの孫の結婚やけん、楽しみやろ???

寒かけん、風邪ひかんよーに気をつけんばよ??。」

そんな事を言って、その時は帰った。

・・・まさか、それが最後になるとは思ってもなかった。

2年半前には、じちゃんが亡くなった。

じいちゃんは長い間病気で、いつ死んでもおかしくない状態だったから、それなりの覚悟はできていた。

じいちゃんが居なくなったら、ばあちゃんも弱ってもしかしたら・・・。

っていう周りの心配をよそに、ちょっとボケが進んだくらいで、元気だった。

補助なしの二輪自転車に乗って買い物に行くし、広い家で一人、ご飯作ってお風呂入って、生活してた。

老人ホームや周りの人間からの世話を嫌がっていたので、1日に1回くらいで誰かが様子を見たりしていた。

オレが親にも会わせた事のない彼女を連れて行った時、

オレの元嫁と間違えないように一生懸命名前を覚えようとしてくれていた。

たまにボケてて、完全に間違えてる時もあったけど、ばあちゃんの優しさに応えるため、

ばあちゃんの笑顔を曇らせないため、オレ達は気付かない振りしてた。

じいちゃんが亡くなった時、一番残念だったのは、ひ孫に一人も会わせられなかった事だった。

あと4ヶ月待てば、オレの次に結婚した従妹が初めてのひ孫を産んだのに・・・。

でも、ばあちゃんには一人だけだけど、ひ孫に合わせることができた。

「会いたい、会いたい。」って言うからヒマさえあれば連れて行って一緒に遊んでもらってた。

ひ孫もすぐになついて「ひーばーたん、ひーばーたん。」と言ってた。

ばあちゃんの喜ぶ顔を見て、周りも安心していた。

「まだまだ、いっぱい遊んでやらんばね!」

そんな矢先の突然の不幸。。。

死因は「急性心臓死」。

少しだけ心臓が弱かったばあちゃんは、9日の朝6時頃、一人でご飯を食べている時に倒れた。

最初に発見されたのは、10時過ぎに長男が様子を見に行った時・・・。倒れてから4時間も経っていた。

その時には既に息はなく、救急車が来ても応急処置をすることなく「死亡」の通告。

一人だった事から、事件の可能性もあるとして、警察官やら検察官やらが来て、調査する。

その間、1時間以上ばあちゃんはその場に倒れたまま。

結局事件性はなく、急性心臓死と診断される。

その日の夜。

仕事を終えたオレはばあちゃん家に向かった。

家族や親戚はもう帰った後らしく、オレの親だけが残っていた。

「みんな驚いていたよ。」

そりゃあそうだろう。オレも驚いている。

というか、未だに信じられない。実感がない。

布団の上にいつものように横になっているばあちゃんの顔には白い布が被せられている。

けど、それを見ても実感できない。

ゆっくり布をめくってみる・・・。

既に死化粧された顔は、白く綺麗だった。

手で頬に触れてみると冷たい。雪のようだ。

けど、それでもまだ実感できない。

ただ寝ているようにしか見えないくて、涙もでてこない。

本来ならその日にお通夜、翌日に告別式となるのだけど、

10日が友引だという事で、10日がお通夜、11日が告別式になった。

翌日10日。

どうしても仕事を休めなかったオレはいつも通りに出社。

なんとか定時に終わらせてお通夜に向かう。

通夜とか葬式をする時には、遺族の悲しみも薄れて単なる行事ごとの一つになったりするもので、

今回も例外ではなかった。

遺族や参列者の中で、心から悔やんでくれているのは何人いるだろうか?

遺族への挨拶や、お焼香も、礼儀・作法を守る事が第一のように見えてきてバカらしくなってくる。

親族だけ残ってのお通夜

そこではあたかも宴会でも開かれているような雰囲気。

「お??い、ともくん。ビールとおつまみ買って来て。」

・・・・・。

あなた達にとってお通夜って何ですか?

あなた達に、そこに居るばあちゃんの姿は映ってますか?

いつも通りの風景に、いつも通りに納得のいかないままオレはばあちゃんに線香をあげる。

ひとしきり喋って飲んで食べた人たちが、家に帰ったりその場で眠ったりし始めた。

オレは一人、ばあちゃんの前で線香をあげながら明日孫代表で読む事になった弔辞を考える。

・・・なんでかな?

哀しいはずなのにまだ一回も泣いてない。

オレもやる事が多くて、単なる行事ごとになってしまったのかな。。。

翌日11日。

親族写真を撮って、昼から告別式

今日淡々と「行事」は進められていく。

弔辞の打ち合わせ。

葬儀場の人

「もし弔辞をお考えになられていないのであれば、

こちらで用意したものを少しアレンジしてお読みいただく事も可能ですが?」

オレ

「・・・・・(なんだよ、それ)・・・・・。

いえ、自分で考えたものを読みます。」

この人達にとって葬式は「仕事」の一つなんだろうな。

でもこの人達がいなけりゃ、葬式をあげる事もできない。

釈然としないまま、オレは弔辞を読む。

ばあちゃんとの想い出、ばあちゃんへの感謝の気持ち、お別れの言葉を読み上げていく。

・・・すると親族や参列者から泣き声が聞こえてきた。

オレの弔辞で泣いてるのか、葬式の雰囲気に泣いてるのか分からないけど、それでもオレは泣かなかった。

後から言われたんだけど、

「ともくん、弔辞良かったよ。感動した。」

・・・なんだそれ。

あなた達を感動させる為に読んだんじゃないよ。。。

なんだろう。オレの方がおかしいのかな?

たぶんオレだけ泣いてないし、周りの人間のやる事なす事がいちいち気になるし。

もしかしたら、オレだけがひねくれてるのかな。。。?

告別式も終わりに近づく。

親族・参列者が棺桶に花やら想い出の品やらを入れていく。

オレは、一通ばあちゃん宛に書いた手紙を入れた。

昨日の夜、弔辞と一緒に徹夜して書いた手紙

ばあちゃんに言いたい事、聞きたい事、誤りたい事、お礼を言いたい事。

弔辞とは違って本当に言いたかった事、便箋3枚に書いた。

内容は誰も知らないオレとばあちゃんだけの秘密

後でじいちゃんと一緒に読んでね。

告別式が終わり、火葬場へ向かう。

いよいよばあちゃんの姿を見るのもこれが最後になる。

2年半前、じいちゃんが火葬される直前、ばあちゃんがひと言だけつぶやいた言葉をオレは聞いた。

「今までありがとうね。」

2人で50年以上付き添って、最後の言葉がこれだった。

オレはその時、じいちゃんの死より、その言葉感動して泣いたのを覚えている。

今度はオレから言うよ。

「ばあちゃん、今までありがとうね。」

単なるいち孫が言うのはじいちゃんに申し訳ないけど、オレからの最後の言葉はやっぱりこれにするよ。

火葬されてしまうまで1時間半。

みんなはまた思うように過ごす。

テレビを見たり、ケータイいじったり、おやつ食べたり、タバコ吸ったり、昼寝したり。

オレは少し焦げ臭い火葬場を離れて少し歩いた。

山の中腹から見下ろす風景は、ばあちゃんが79年間ずっと住み続けた土地。

田舎ではあるけど、だいぶ変わったんだろうな。

ふと、ばあちゃん家の隣に住んでた時の、藁葺き屋根の家を思い出した。

オレが小学校の頃に取り壊したけど、ばあちゃんとの想い出が一番つまってるのはあの家だったなぁ。

薄暗い土間の奥にあるお風呂

怖がって一人で行けなかったオレを連れて行ってくれた。

縁側と庭でいろいろ遊びを教えてくれた。

あやとりお手玉におはじきにゴム飛び。

ばあちゃん、オレは男の子だよ!

そういや悪ふざけでばあちゃんを川に突き落とした事もあったなぁ。。。

親に怒られてるオレに、ばあちゃんは笑いかけてくれた。

オレがどこからか盗んできた梅の実を漬けて、梅干しとか梅酒を作っていっぱいくれたね。

梅の美味しさを知らなかったオレは、梅が嫌いになって今でもあんまり食べられません。

そうそう、オレはばあちゃん家の中庭が大好きだった。

鯉が泳いでいて、アメンボとかカエルとかいたからしょちゅう見に行ってた。

あんなに広く感じたばあちゃん家。

でかくなったオレは今では背中曲げないと歩けない。

走り回ってた廊下も数歩で歩けるようになってるよ。

・・・あぁ。やっと少しずつ実感が沸いてきた。

ばあちゃん、いなくなったんだなぁ。。。

ばあちゃんが死んで2日以上たって、初めて涙が出た。

もう、あの優しい笑顔に会う事はできないだね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

火葬場の人から呼び出しがかかる。

そろそろばあちゃんの骨を拾ってあげる時間だ。

(・・・よし!)

オレは泣くのを止めて、火葬場に戻る。

ばあちゃんには最後まで涙を見せないでお別れしよう。

人が焼ける独特の匂いの中で骨を拾ってあげる。

昔はオレを軽々おんぶしてくれたばあちゃんが、今はこんなに小さな骨になっている。

普通は骨壷に全部入りきれないものなんだけど、ばあちゃんは全部入れてあげる事ができた。

お寺への納骨まで終わって、やっと全ての「行事」が終了。

みんなはそれぞれの家へ帰っていく。

オレはいつまでも暗い気持ちでいたくなかったので、友だちと遊びに行った。

そして翌日12日は仕事に行った。

オレはこの時くらいから、ある事に少しずつ気付き始めていた。

さらに翌日13日は従妹の結婚式

先月には従妹のお婆さん(オレからは遠縁になる)が亡くなり、4日前にはばあちゃんが亡くなり、

結婚式を挙げるかどうか悩んでいたみたいだけど、両ばあちゃんに見せてあげたいから、と決行。

家族愛に溢れた良い結婚式だった。

両ばあちゃんも喜んでくれただろうね。

翌日14日はみんなの都合に合わせた結果、初七日をするようにした。

もうみんなほとんど悲しみは癒えたみたいで、昨日の結婚式の話しとか明るい話題も増えていた。

明日からはみんな通常通りの生活。オレも仕事

ばあちゃんに線香をあげて、家に帰ろうとしたその時。

ばあちゃんの遺品を整理してたら出てきたと言われて一つの封筒を受け取った。

どうやらオレに関係があるものらしい。

その場で見る勇気がなかったので、家に帰って開けてみる事にした。

封筒から出てきたのは1枚の写真

オレと元嫁が結婚した時の親族集合写真だった。

ただ・・・元嫁の親族側ははさみで切り取られていた・・・。

オレが離婚した時、親の次に気をかけてくれたのがばあちゃんだった。

どんな風になっても(離婚しても)、ともくんの幸せが一番大切よ。」

と言ってくれた。

その時も泣いたけど、思い出して今日もまた泣いた。

いっぱい心配してくれたんだなぁ。と思うと同時にいっぱい心配かけさせたんだなぁ。と悔やんだ。

ふと、写真の裏を見たら、ばあちゃんが書いたと思われる文字がいくつかあった。

「××ちゃん」

と書かれたとこには取り消し線が引いてあり、その下に

「○○ちゃん」

と10回書かれていた。

そう。

元嫁の名前を消して、何回か連れて行った彼女の名前を書いて覚えようとしてくれていたのだ。

それを知ったオレは涙が溢れ出た。

最後までばあちゃんの優しさに触れる事ができた。

そして、ばあちゃんが死んで5日。

受け入れる事を止めていた自分にはっきり気付いた。

「行事」や「他人」のせいにして、受け入れないようにしていた。

そして仕事したり友達と会ったりして、できるだけ一人になる時間を作らないようにしていた。

一人になると当然ばあちゃんの事を考えてしまうから、受け入れてしまうのが怖かった。

でも、もう、受け入れよう。

ばあちゃんはいないのだ。いなくなったのだ。

そう思ったら、今まで我慢していたのか、ずっと、ずっと、泣いていた。

淡々と書いた弔辞も手紙も、今思い出したら涙なしには書けない。

ばあちゃん、ありがとう、ごめん、ありがとう

そして、さようならだね。

出来ることならもう1回ちゃんと結婚して、

ひ孫を見せたかったなぁ。

2007-12-04

遠距離になって三ヶ月

彼が海外に行って三ヶ月経った。時差は今向こうは冬なので11時間だ。夏は10時間だった。たかだか一時間ずれただけで一気に時間帯が合わなくなった。電話をかける時間がない、電話に出る時間もない。わずかな合間を縫ってかけていた昼休み電話もなくなった。深夜にビデオチャットをやるのがせいぜいだ。

ビデオチャットというのはあんまり好きではない。耳元で声はするのに、そことは違う方向に人がいる。ぐいぐいとイヤホンを耳の中に押し込んでみればみるほど近くにいる気がするのに、実際に手を伸ばしても画面に手がぶつかる。近くに聞こえるからこそ余計に遠さが際立つ。

手紙を書くよというのにもう何ヶ月か書かないまま放り出している。送ろうと思っている写真があるのに、メールで送ればすぐなのにそれもなんとなく手をつけていない。わだかまる。心に。いろんなものが。手を握っては開く。手をつないだときの感覚が思い出せなくなっている。寂しい。寂しい。

でもそんな感覚ももう予定調和で慣れてしまった。ちょっと泣きそうな声出してみたり、ビデオチャットでうまく映るように角度研究してみたり、笑い顔の練習してみたり、そういうのも飽きてきた。そういうのじゃ伝わらない、伝えたいものは伝わらない。そういうことに気付いてしまったからなんだろうか。

海外に行くことが決まる前、いろいろと話をした。話をしようとした。でもがんばれという言葉以外何も思いつかなかった。私にはこれからというのが想像できなかった。向こうに行っても何かしてとか毎日電話してとかそういう要求すら思い浮かばなかった。ただ大丈夫なんだろうか生きて帰ってくるんだろうかとかそういうことしか考えてなかった。そうするうちに海外に行くことは正式に決まり、それに向けて私自身も巻き込まれながら準備が進んだ。よくわからなかった。何も実感が伴わなかった。私自身がいこうと思ったわけではないからかもしれない。あくまでも他人事でそれ以上ではなかった。そのことが少し寂しかった。蚊帳の外にいるようで。釈然としない思いだけが積み重なっていった。静かに。

それでもいつだったかけんかをした。ブログと書けばいいんじゃない?と私は勧めていた。その方が向こうでどういうことやってるかわかるし、気楽にかけるから、コメントとかもできるし、他にも知りたい人いるだろうし、と言って勧めていた。彼はホームページを作ったことがあった。素人が作ったと一目でわかるようなHTMLだけの。ユーザビリティーのユの字も知らないような、○○のホームページにようこそ!とか書いちゃってるような。私はそれを知っていたし、でも何もいわなかった。ただ、ブログなんていいんじゃないと勧めただけだった。なぜか彼はそのことについて怒った。私にはわからなかった。何に怒り出したのかいまいちわからなかった。自分でもわからない釈然としない思いの上にその「わからない」が重なって、私は言い返した。なんなのさ!と声を上げた。彼は言い返した。けんかはめったにしなかったから、二人がそろって感情的になるのは珍しいことだった。

「結局賛成してないんじゃないか!」

「何が」

「そうやっていっつもなんか反対してくるんだよ、いつも!」

「なにを!いつもっていつ!」

まだ暑い季節だった。夜もだいぶ更けて、生ぬるい風が吹いていた。

「そういう……!」

「じゃぁ何で行くのよ!」

口から言葉が滑り落ちた。滑り落ちたと言う感覚だった。かつん、というミュールのかかとをアスファルトに叩きつける音が高く響いた。

彼は目を丸くして黙った。私も黙った。全てのそれまでがどこかへ行ってしまって、私の最後の言葉だけ残った。彼は何か口の中でもごもごとつぶやいたが、聞き取れる言葉にはならなかった。私は黙りこくってうつむいた。あぁこれか、と何かがすとんと私の中で落ちて、どこかに収まった。そういう感覚だった。脈絡なく滑り落ちてきて釈然としない思いを押しのけて私の中に収まってしまった。もうずっと前から知っていることのように。

それからしばらくして彼は予定通り行ってしまい、私もまたいつもどおりに日常を送り続けている。永遠にこういう日が続くような気がしている。何が目的だったのか、何がしたかったのか、何を求めているのか、なんだかもうわからない。電話をするためだけにつながり続けているような気がする。ビデオチャットをするためだけに付き合い続けているような気がする。何が目的で、何がしたくて、何を求めていたのか、全然わからない。わからなくなってしまった。目に見える形でそれを得ることがなくなってしまった。ただ漫然と日常が続いていく。ただそれだけ。

あのとき、彼は私の言葉には答えなかった。私もそれから一度も聞きはしなかった。明確な理由はきいたことがない。それなりのよくある、万人に言えばなんとなく納得できてしまうような理由ばかり聞かされて、でもそれが全てではないことを私は直感的に知っている。

伝えたいことは伝わらない。電話は遠すぎる。時差を越えて、数々の物理的障害を切り抜けて届くまでにたくさんのものが犠牲になってしまう。手紙電話ビデオチャットでも、すぐに届いてもゆっくりしか届かなくてもどちらにせよとどかないものは届かない。たとえちかくにいたとしても。私はあの夜、それを知ってしまった。自分の声が自分の耳に届いたときに、何が足りなかったか、何を伝えることができなかったのか、わかってしまった。わかってしまったら、どうでもよくなってしまった。どうでもいいというのはわずかに語弊があるが、それより近い言葉と言うのは存在しない。そういう伝わらなさを私は知ってしまった。これからも言葉で彼に伝えることはないだろう。伝わることはもちろんないだろう。

何度も何度も握り締めたのに、あの掌の感覚はもう曖昧になっている。

2007-11-29

じいちゃんの最後の言葉

自分を偽る人間だけには成るな、悪い意味でな、ぐぶっ

2007-11-12

死んだ男は死んだ

 俺は死んだ。が、それからの事は?

 確認する為に起きてみた。が、体はそのままだ。意識(?)だけが立ち上がり、俺の死体が倒れ付しているのが見える。

 うん、死体だ。畳に血が溜まりになっているし、ピクリとも動かない。顔色だって色があるという状態じゃない。だれが見ても死んでる状態だ。

 それを確認してついで前を確認。俺を刺した女がぼうと立っている。手に持つ血塗れた包丁はカタカタと震えて、いない。姿勢も不自然なところは、どこにもない。そして表情は、伏し目がちでわかりづらいけど、これまたなにもない。無表情だ。

 俺は、この女に殺された。のか? が、面識がない。誰だこいつ。

 思った疑問は声になった。

「誰だこいつ」

「!」

 女は顔を上げる、と同時に無表情から一転。それを鋭いものに変え、俺に再び包丁を突き刺してきた。

 刺される! と思ったが何も刺さらない。痛みどころか感触もない。

「!?」

 女の方も感触がなかったらしく、違和感を表情に露骨にだして距離をあけた。

 距離が出来ると、俺には余裕が出てきた。刺されて痛くないのだから、こちらが有利だ。たぶんだけど。

 だから、余裕を持って女を観察する。どこかで見たことがないか、詳細に確かめる。

 うーん。駄目だ。まったく、さっぱり、思い出せない。なにも思い出せない。

 なら問うまでだ。

「なあ、あんた誰? 俺を殺したの?」

「? 覚えてないのあたしの事」

「うん。ついでに殺される覚えもない。なんで殺したの?」

「あっきれたやつね、あんた。そんな白々しい嘘が信じられると思ってんの、このくず!」

 女の鋭い表情が、更に鋭いものに変化する。それで十分に人が刺せそうだ。でも、そんな顔をされる覚えはないなあ。本当に何もない。

「くずとはひどい。俺、君に何かしたか?」

「……! もういい、死ねっ」

 女は再び距離を詰め、体重を掛けて俺に包丁を突き刺してきた。が、再び刺さらない。どころか、女は俺を通り抜けてしまった。あらら。どうなってるんだ俺の体は。

 と。

「ぎゃっ」

 女が悲鳴を上げる。なんだ、と思って見れば、どこをどうしたのか女の胸に包丁が突き刺さっていた。転んだはずみでそうなってしまったのか? と思う間にも女はうぅうぅうめく。あわわわ、これはいかん、死んでしまうぞでもどうしたらいいんだ? 俺、死んでるんだよな? 電話とか使えるのか? この体で。というか電話どこよ? 覚えてないなあ。

 なら外に出て、と思ったが今度は動けない。正確には俺の体の上しか動けない。ああ、これじゃ助けを呼べない。とりあえず大声を出してみた。

「誰かーー!!」

 反応なし。今何時ぐらいなんだ? 周りに人が居る時間帯か? ぜんぜん覚えてないや。

 このままだとこの女が死んでしまう。うあわあ、痙攣し始めた。やべやべ。

 このままだとこいつの名前も、殺された理由もわからなくなる。

 あれ、でも俺、こいつに殺されたんなら、こいつが死ぬのは別にいいんじゃね? むしろざまあみろ

 とか逡巡したのがいけなかった。とうとう女はぴくり、と動いたのを最後に動かなくなった。

 ああー駄目だこりゃ。と思っていると、女の体からなにかがにょりりと生えてきた、かと思えばそれは女の形をとった。

 おお、これ俺と同じ状態なのか? これならもしかすると会話できるかもしれない。殺された理由も女の名前もわかる。

 俺は勢い込んで先ほどとはうって変わって穏やかな顔をした女に語りかけた。

「なあ、あんた」

「?」

「なあ、あんたはなんで、おれをころしたんだよ」

「はあ? なんであたしがあなたを殺したのよ。そんな事知らないわ」

「そりゃないだろ? いまさっきまでなにかのかたきみたいにおれをころそうとしたじゃねえか」

「それ、何のことよ? あたしはさっぱりわからない。というか何も覚えてないんだけど。それより、あんたこそ誰よ」

「おれ?」

 そういわれてみれば、おれなんてなまえだっけ?

 なにもおぼえてない。

 あれ、なんだかぼーっとしてきた。すーっとうえにひっぱられるような。

「ちょ、ちょっと、あんた消えかけてるよ?!」

 それが俺の聞いた最後の言葉だった。

http://neo.g.hatena.ne.jp/hanhans/20071130/p1

2007-05-29

とりあえず、ZARDが死んで悲しい

松岡農水大臣自殺は、ナントカ還元水関連等の表面的な問題ではなく、より根深いものに起因している気がする。というのも、自殺したのはちょうど大臣と関わりの深い緑資源機構談合疑惑特捜が動き出したころであったし、大臣自殺した翌日には緑資源機構の前会長自殺したからだ。松岡農水大臣遺書、つまり死に際する最後の言葉が、「私の不明、不徳のいたすところ」である以上、何かしらの罪悪を抱えている可能性が高い。緑資源機構に関して、予想以上に大規模な不正があるのではないか。

しかし、私がここで関心を持つのは罪悪そのものではない。罪悪のために、大の大人、それも2人もの大人が死を選択するということだ。世の中は「経営者が自分の私利私欲のためだけに不正をする」ような、単純な構造ではないと思う。場合によっては(あくまでも場合によっては)不正に関わらなければいけないときもあるのかもしれない。だがその場合には、罪悪とともに生きる覚悟がなければいけないのではないか。

いったん罪悪を引き受けるのならば、それが表に出たときにでも毅然と生きていけるか、予めそこまで考えて行動しなければならない。松岡農林大臣は、罪悪に対してあまりに無自覚であったし無責任であったのではないか。だからナントカ還元水のようなしょうもない問題がいっぱい出てきたのだろう。だから現職大臣の身分で自殺するというふざけた選択をするのだろう。この大臣の間違った保身に比べたら、収賄逮捕されて地位を失い、生き恥を晒しながらも精力的に活動している鈴木宗男の方がよっぽどかっこよく見える。こんなおっさんを聖人にしてはいけない。

とはいえ、自殺に至る心理なんていうものは、一種の精神疾患なのだろう。ZARD後追い自殺とか(笑)。ご冥福をお祈りします。

2007-02-23

ネット弁慶増加のおかげで、アナログ生き方の彼は勝ち組になれた

最近、儲かってしょうがないんだよ」

とある有限会社経営している友人と

久々に会って飲んだときの話だ。

その時の話を要約したのが上の一言。

3時間以上話をしたが、主旨はこれだけだった。

なんでもここ2,3年、アシで情報を稼ぐ人が

大幅に減ったらしく、超がつくくらい簡単に

人脈を構築できるようになったらしい。

そのツテでどんどん仕事を受注して、

元々仕事はできるやつだったから評判も良くなり、

新たな、もっと儲かる仕事がくるようになる。

好循環のお手本みたいなケースになっているそうだ。

ネットの普及のおかげで、外に出て人脈を作ろうとする

積極性のある人が減ったんだろう」と彼は予想している。

「とある企業の社長が、『メールだけでアポを取ろうとする、

自分ではなく相手にリスクを負わせる人が多いんだよ』

って、この前こぼしていたよ」

という話も補足として聞くことができた。

「お前も勝ち組になりたかったらネットはほどほどにしろ。

そして積極的に人とコミュニケーションをとるようにするんだ。

実は今ほど簡単に勝ち組になれる時代はないんだ。

それに気づいていないのは、ネット上でアナログな俺達を

上から見下している、ネット弁慶たちなんだよ」

ここ数年の急速なネットの普及のおかげで、

ネットが苦手な人の方が得をしているという

事実は、意外に知られていない。

これからネットがさらに普及して

リスクを取らなくなる人が増えれば、

危険を冒して行動する人たちにとっては、

ライバルが存在しない楽園のような

現代社会が構築されていくだろう。

人と会うときに

・1通のメールを送る

・1本の電話をする

ここが勝ち組負け組の分かれ道だという最後の言葉が、

とても印象的な木曜の夜だった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん